世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
我々が気がつくとき
(世の中がどこか変)とは誰もが感じているに違いない。既にいろいろなところに現れているようなのだが、本当に、その間違いに全体的に気がつくのは、日々の暮らしや、子どもの問題・平和の問題 からではないかもしれない。
多分、経済が誰から見ても(政府や大企業から見ても)本当に行き詰まった時ではないかと思う。上から下まで経済〈お金〉を求めている今、その願いが、にっちもさっちも行かなくならない限り、周囲と自らのおかしさに気がつかないかもしれない。国も地方も個人も(心身ともに)すでにかなり疲弊している。今は国の働き手の大企業の元気さだけが頼りだ。株をやっているのでその辺からみると、企業の実際の厳しさは増し、先行きは不透明どころか、誰の目にも行き詰まりと映るのはそんなに遠くないような気がする。ちょっとしたら、私が生きているうちに目にする事ができるかもしれない。それは大変なことではあるが、人間は智恵を持つ。最終的には世界のあり方を変更せざるをえないがそこで始めて本来に立ち戻れる。そういうものだ。日本の場合、株やGDPの下降をどんなにもがいても止める手段を失ったことに気がつかない限り無理かもしれない。でも気がついた時は、ちょうど60年前の敗戦時のようになるのではないか。そこで始めて改めて国のあり方や個人のあり方が他から求められるのではなく、自ら求めざるをえない。皆が求めている見かけの「経済」(株やGDP)ですら、政府の立場やメディアの論調とは全く異なり、もう既にかなり傷んでいるというのが私の感覚。世界のソニーは勿論だが,新興の楽天は火の車。横綱格のトヨタたキャノンも横綱相撲は取れな。毎日の株のチャートを見ていてそう思う。
(四苦八苦〉の7番目の、「求不得苦」(自己中心的に求めても、結果が得られない苦しみ)の宿命。今の時代は、この2500年前の釈迦の気が付いた真理を世界の誰もが問われている。