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どれだけ?と、どのように?

お金を稼ぐときどれだけ稼ぐか?と、どのように稼ぐかの違いがある。会社や国も同じで、儲けや、経済成長を考ええる時どれだけ?と、どのように?が問われる。国会の議論を見ていると、経済成長やその結果の格差是正の議論は、与野党共、GDPや分配の量の話になる。

しかし豊かな生活は、量も大事な観点ではあるが、どのように?の方がもっと大切かもしれない。子どもの教育でも同じことが言える。勉強時間にしろ、テストの結果にしろ、時間や点数だけで、学習した中身や結果は分らない。長時間やっても点数の上がらない子どももいるし、満点でなくても満点の子どもより、より理解していることはざらだ。また、どのように学習するかによって、学習して獲得する中身もぜんぜん違ってくる。だから教師は、どんな力をつけるかによって、学習方法を考える。

地球環境や、資源の限界が見えてきた現在、経済活動ではどのように?が、どれだけ?の量以上に問われているかもしれない。格差是正もを言う野党も、その前提が問われているはず。子どもの教育も同じで、子どもの人格(学習を含めた)を形成するとき、学習時間を多くしてテストの点数を競うのは、これだけ教育上の問題が出ているいま、もう限界ではないか。もし良質の労働力を求めるとしても間かたに合わない。《これは北海道の方言かもしれない。収支が合わないことの意味)

どれだけ?や、どのように?は、政治や暮らしだけの問題はないような気がする。

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