どすこい山根康民日記

道路交通に関する事を中心に紹介しています。

🎍あけましておめでとうございます

2024-01-01 19:55:05 | 日記
1/1、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します(^^ゞ

2024年元旦を迎える事が出来ましたが、
石川県では震度7の大きな地震が発生しました。
この地震による大津波警報が発令されるなど大変な状況となっています。
https://www.jma.go.jp/jma/press/2401/01a/202401011810.html
⇧気象庁 令和6年1月1日16時10分頃の石川県能登地方の地震について

元旦に、このような大きな地震が発生すると、
お正月を楽しむ気分にはなりにくいような気がします。

まず最初に12月23日から修理に出していた
相棒(原付バイク)ですが、29日に1週間ぶりに帰って来ました。
今回は、ブレーキに違和感を感じた事から修理に出しましたが、
なおったので良かったです(*´ω`*)

今日は、お昼からお墓参りに出掛けて、その後、
由良洞隧道のパトロールに向かいました。

みなべ町堺地区で相棒(原付バイク)を正面から撮影
復帰後、初めての撮影になります。

相棒を右側面から撮影

すっかり元気になった相棒の後ろ姿
また一緒に走る事が出来て嬉しいです(^^♪

この時、海岸で小さな子供を連れたご両親でしょうか?
ご家族で遊んでいる様子を見かけました。
何てことない事かも知れませんが、こういう時間がとても大切なように思います。

元旦の今日とても良い天気です。

遠くに田辺市の市街地が見えます。

いつもは素通りしてしまいますが、今日初めて「岩代の結松」に立ち寄りました。

和歌山県指定文化財
指定年月日 昭和33年4月1日
史跡 岩代の結松

説明書きの拡大

和歌山県指定文化財
指定年月日 昭和33年4月1日
史跡 岩代の結松
斉明天皇四年(658)十月天皇と皇太子 中大兄皇子(後の天智天皇)は
紀の湯(白浜湯崎温泉)に行幸された孝徳天皇の遺児
有間皇子は留守官蘇我赤兄の口車に乗せられ、
謀叛のかどで捕えられ天皇のもとに護送された。
その途中紀の湯を眼前に望み当地の松の枝を結び
自分の命の平安無事を祈って歌を詠まれた。

有間皇子自ら傷みて松が枝を結ぶ歌

磐代の浜松が枝を引き結び
真辛くあらばまた還り見む
家にあらば笥に盛る飯を草枕
旅にしあれば 椎の葉に盛る。
(萬葉集巻二)

有間皇子は紀の湯で中大兄皇子の訊問に対して
「天と赤兄と知る吾全知らず」と答えられたが
帰路十一月十一日藤白坂において
十九才の若さで絞殺された。

昭和三十四年十二月
和歌山県教育委員会
南部町教育委員会

高く伸びる松

有間皇子結び松記念碑の案内

有間皇子結び松記念碑

記念碑の拡大
http://wakayama-rekishi100.jp/story/003.html
⇧悲劇の皇子 有間皇子と藤白坂
わかやま歴史物語100
https://maps.app.goo.gl/Wrp6yjdKWNYUHX329
⇧岩代の結松の場所

前回「南紀白浜を観光してきました」で真白良媛(ましららひめ)に関連して、
有間皇子の歌を紹介させて頂きましたが、有間皇子の結び松が、
みなべ町の国道42号沿いにあるのは知っていましたが、立ち寄ったのは今回初めてでした。
普段、走り慣れた国道42号でも、私がまだ気付いていない史跡が、
まだまだあるように思います。

印南町切目崎近くから白浜方面を眺める
有間皇子の頃から、ここから白浜が見えるのは変わっていないと思います。

同地点から紀伊水道沖合を眺める

今年最初の由良洞隧道パトロール

落ち葉は堆積していますが、排水路に損傷個所は見当たりませんでした。

特に異状なく

少し大きめの落石が2つありましたが撤去しました。

坑口付近に冠水も無く異状見当たらず

坑口付近から日高町側を写す

国道42号 日高町池田地区にある温度表示計

この時(16時過ぎ)気温8℃
防寒着を着用していないと寒いですね。
この冬は、原付で走るのは、出来るだけ明るい時間だけにしようと考えています。
というのも昨年と違い、何だか寒さが身に染みるように感じます((+_+))

今日は元旦という事で昨年1年間に走った走行距離ですが、
17,500㎞でした。参考:一昨年は19,928㎞
この事から1日あたりに換算すると約48㎞でした。
今年は、一体何キロ走る事が出来るかなぁ?(*´ω`*)

印南町切目崎付近

水平線に夕陽が沈んでいきます

2024年(令和6年)が始まりましたが、
今年は元旦から大きな地震が発生するなど、
大変な年明けとなりましたが、
地震の被害が大きくならない事を祈ります。