どすこい山根康民日記

道路交通に関する事を中心に紹介しています。

原付きで北陸を走る について 紀伊民報 読者の欄に掲載されました

2023-07-09 09:38:51 | 日記

紀伊民報2023年(令和5年)7月8日付 読者の欄
原付きで北陸を走る 全体

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原付きで北陸を走る 6-2

原付きで北陸を走る 6-3

原付きで北陸を走る 6-4

原付きで北陸を走る 6-5

原付きで北陸を走る 6-6


原付きで北陸を走る 白浜町 山根康民(会社員・53歳)

5月25日から2泊3日で、新潟県糸魚川市の親不知(おやしらず)海岸と
富山県黒部市の宇奈月(うなづき)温泉へ原付きバイクで出かけました。

行きは京都、滋賀から国道8号を福井、石川、富山へと走り、
帰りは富山から国道41号を飛騨高山から岐阜市へ縦走し、
三重を走る約1300㎞の旅です。

宇奈月温泉へは、残雪のある北アルプス立山連峰に向かって走るのですが、
景色がとても素晴らしく何枚も写真を撮りました。

宇奈月温泉駅前には「宇奈月温泉開湯100周年」の横断幕が掲げられていました。
隣はトロッコ電車で知られる黒部峡谷鉄道の宇奈月駅。
駅の2階には黒部峡谷開発の歴史年表や資料が展示されています。

近くの黒部川電気記念館では、
映像や写真で黒部川開発や黒部第4ダム建設までの歴史を
分かりやすく紹介していました。

この後、小雨の中、新潟県糸魚川市の親不知海岸へ向かいました。
親不知まで来ると日本海に落ち込む断崖絶壁が続き、
古くから北陸道一の交通の難所とされています。

1883(明治16)年に崖の中腹に道路が造られるまで、
波を避けながら浜辺を通る危険な道でした。
そのため親は子を、子は親を顧みる余裕がなかった。
それで「親不知・子不知(こしらず)」と呼ばれるようになった。
親不知という地名の由来には、こんな話が伝えられています。

このような難所に日本の近代化を支えた
鉄道遺産「親不知隧道(ずいどう)」があるので見に行きました。

1912(大正元)年に開通し、全長は667メートル。
65(昭和40)年の複線化で廃線になるまで旅客や貨物の輸送を支えました。

黒部川や親不知のように人を寄せ付けない険しい地形に、
道路や鉄道、ダムなどの社会インフラを実現させた先人の努力に感心しました。
また、歴史遺産として保存されている点も大変素晴らしいと思いました。