どすこい山根康民日記

道路交通に関する事を中心に紹介しています。

奈良県東吉野村にあるニホンオオカミ像を訪ねる

2022-08-27 22:44:20 | 日記
8/27、奈良県東吉野村にあるニホンオオカミ像を訪ねて来ました。
前回(今年4月2日)、東吉野村を訪ねた時にチラッっとニホンオオカミ像を見たのですが、
その日は、今にも雨が降りそうな天気でしたので、次回もう一度訪ねようと思い
今回、再訪する事が出来ました(^^ゞ
ただ今回も天気は、曇り一時雨の天気でした。

前回、東吉野村を訪ねた時のブログ 
https://blog.goo.ne.jp/dosukoiya/e/6b1e8d607138cac8da62cb383c1eab8d




この日の主な走行ルート 白浜町→国道311号→田辺市本宮町→国道168号→
新宮市熊野川町→国道169号→奈良県川上村→県道262号線(国栖大滝線)→
吉野町→県道16号線(吉野東吉野線)→東吉野村(ニホンオオカミ像)→
県道16号線→吉野町→国道169号→大淀町→国道370号→五條市→
国道24号→紀の川市→国道424号→海南市→県道18号線→有田川町→国道42号→白浜
走行距離 約360㎞
ガソリン代 1,206円 飲食費 2,068円 合計 3,274円


上富田町(かみとんだちょう)下鮎川(しもあゆかわ)の国道311号
雲行きは怪しいですが、思い切って出発しました(^^ゞ

新宮75㎞ 本宮44㎞

田辺市鮎川(あゆかわ)地区
雲行きが怪しい時に山間部へ入るのは、雨に打たれる可能性が高まります(>_<)
それでも今日は、奈良県東吉野村まで走るぞ!

田辺市中辺路町(なかへちちょう)栗栖川(くりすがわ) Aコープ熊野古道なかへち看板

Aコープ熊野古道なかへち外観

11時頃、Aコープで生姜焼き弁当を購入して、少し早めのお昼ご飯

店頭にあるベンチに座って食事をしました
お弁当は、美味しかったです(^^♪

田辺市中辺路町福定(ふくさだ)

ここで道沿いに大きな栗の木を発見

青々とした栗が実っています。まだ食べるには早いでしょうね(*´ω`)

30年以上前だったかなぁ?ここ福定から田辺市龍神村まで車で走った事がありますが、
スゴく凸凹の悪路でした(ノД`)・゜・。

田辺市福定の奥には、白浜町の水源の森があります。
この時、ポツポツと雨が降り始めましたが、すぐに止みました。
う〜ん、この先、大丈夫かなぁ?(;^ω^)

田辺市中辺路町 小広峠(こびろとうげ)にある温度計をチェック
この時、気温は25℃。
今日は強い日差しも無く空も曇っているので走るには、心地よい感じです。

田辺市本宮町にある川湯温泉に ちょっと寄り道
吊橋から川湯温泉街を見て見ます

川湯温泉の宿泊施設
少し空が明るくなったように思います✨✨

川遊びを楽しむ人も多かったです

国道168号を走っている時に、ちょっと面白いものを発見

暗くて見えにくいですね(>_<)
空が、どんよりとしてきたなぁ~

道路電光掲示板に
只今テスト中只今テスト中 と表示されています。
何かテスト中って…テスト問題でもやっているのかなぁ?と思うとおかしかったです!(^^)!
こんな時、只今試験中というのは何度か見た事ありますが、テスト中というのは
ちょっと今まで見た記憶が無いですね(^^ゞ

国道169号 東野(との)トンネル

東野トンネル 1993年2月 延長1389m 幅7.0m 高4.5m

東野トンネル入口には「小松・有蔵・東野トンネル 節電のためトンネル内減灯中
トンネル内 ライト点灯」とありますが、走ってビックリΣ( ̄□ ̄|||)

東野トンネル北山村側坑口から400m付近

東野トンネル北山村側坑口から400m付近のトンネル内の様子
あまりの暗さにビックリしました((+_+))
トンネルは、北山側から入ると緩い左カーブになっていていますが、
トンネル内がとても暗く、その上、路面が濡れている事に気付きにくいため
この状態で二輪車が走行すると、スリップ事故を誘発する可能性があるので、
和歌山県新宮建設部へ照明の改善を写真添付で通報しました。
ただ正確に言うと、東野トンネルは、和歌山県ではなく
住所的には、奈良県十津川村になるので、ちょっとどうなるのか?気になります(;^ω^)

北山村にある道の駅おくとろ
5/5に来た以来なので、約4ケ月ぶりにやってきました。

道の駅おくとろ外観

ここで、観光いかだの乗船手続き等をされますが、
明日の第二便は満席という事で、人気なんですね。
私は、まだ乗った事ありませんが💦💦

すぐ隣には、ちょっとオシャレな感じの食事メニューが出ていますが、
🌭ホットドッグなんかをミニ筏(いかだ)のお皿にのせて出したら
おもしろいと思うし、インスタ映え?するんじゃないかなぁ(笑)

北山村観光協会 観光案内所

北山村の紹介

和歌山県なのに和歌山県の どの自治体とも繋がっていない💦💦
飛び地の村 北山村

北山村と和歌山県新宮市との繋がりの強さが、このような全国的にも珍しい
飛び地の村誕生になったんですね。人や地域との繋がりって大事ですね。
歴史が教えてくれます(^_-)-☆

さぁ、そんな北山村ともお別れして、いよいよ奈良県に入ります。
というか?正確には、既に奈良県十津川村を1回通って来ているんですけどね(^^ゞ

この先に見える不動トンネルを抜けると奈良県下北山村です

不動トンネル

長さ2038mと大変長いトンネルです

不動トンネル 2003年7月 和歌山県内延長1294m 全長2038m
高さ4.7m 幅7.0m

不動トンネル内にある和歌山県と奈良県の県境

県境から和歌山県側を望む

県境から奈良県側を望む

奈良県下北山村に入りました。
このあと再び、国道169号を走り北上します。

下北山村と上北山村との村境

上北山村側から下北山村を望む

これから上北山村を走ります

上北山村にある道の駅吉野路上北山 上空を写す
田辺市中辺路町でポツポツと雨に打たれましたが、その後は、まだ雨に打たれる事なく走れています。
ただ雲行きは、怪しく、いつ降り出してもおかしくないです((+_+))

ここの道の駅は、コンビニ(デイリーストアー)が併設されているので便利です

コンビニですが、毎週火曜日が休みなので注意が必要です。
いつだったかなぁ?ちょっと忘れましたが、火曜日に立ち寄った時、
店が閉まっていたので、ビックリした事を今でも覚えています。
この近くには、他にコンビニが無いのでお気を付け下さいネ(^^ゞ

店内でパンを買いました。この時、少し肌寒さも感じたのでホットコーヒーにしました。

道の駅の眼下には、北山川が流れています

このベンチに座って食べました。

私は、十分補給が出来たので今度は、相棒の栄養補給です(笑)
⛽ここで少し早めに給油

道の駅のすぐ隣にある後岡石油 大和北山SSさん。
隣接しているので便利です。
ここからは、叔母峯トンネルまで上り坂が続きますが、
トンネルを抜けると今度は、一転して長い下り坂が続きます。

川上村にある小倉橋(おぐらはし)

このような石積みは珍しい✨✨

よしのかは と表記されていますが、歴史を感じます



吉野川

やはり…昭和十一年三月架換 という事は、橋を架け変えたとなると
元々の橋は、もっと古かったのかなぁ?スゴイ!
こんな山間部に戦前の橋が現役で遺っているなんて!( *´艸`)
この道路、昔は幹線道路だった証拠だと思います。
いやぁ~いいものを見させて頂きました。

L型に石積みをしているのは、当時の工法なのかなぁ?
ちょっと今まで見た事がないですね(^^ゞ

吉野川

小倉橋

これが青空なら写真映えしたでしょうね(ノД`)・゜・。

橋の近くには、農協のマークが
懐かしいなぁア・・・久しぶりに見ました。
原付旅をしていて、こういう発見が出来ると、とても嬉しくなります

川上村を走って来ましたが、いよいよ吉野町へ

吉野町から川上村を望む

少し離れて川上村側から吉野町を望む

吉野町内を少し走ると、いよいよ目的地の東吉野村へ

吉野町と東吉野村の境界付近

東吉野村から吉野町を望む

道路(県道16号線:吉野東吉野線)は、2車線や1.5車線になりますが、
比較的、走りやすい道路でした。

目的地の東吉野村にあるニホンオオカミ像駐車場に到着

車が2~3台は駐車できそうですが、原付は全く気になりませんね(笑)

駐車場の写真

駐車場近くの石碑

ニホンオオカミ像への案内看板

ニホンオオカミ像全景





天皇陛下行幸跡の石碑が、ニホンオオカミ像より少し高い位置に設けられています

天皇陛下行幸跡 拡大
裏面には、維時昭和二十六年十一月十八日 小川村 と書かれていました。

ニホンオオカミ像 オオカミって、もっと大きいのかなぁ?と思っていましたが、
普通の犬とそんなに変わらないかなぁ?という感じです。

ニホンオオカミ像

ニホンオオカミ像

ニホンオオカミ像を正面から

塩とお米でしょうか?お供えされています

ニホンオオカミ像建立の記

自然環境の変化や人間の文化圏のひろがりにより、
多くの野生動物が地球上から姿を消してしまった。
ニホンオオカミも今日では、わずかに残る剝製(はくせい)や
骨格からその姿を想像するにすぎない。
明治三十八年(一九〇五年)当村において捕えられた
若雄のニホンオオカミが最後の捕獲の記録となった。

当時、ここ鷲家口の宿屋芳月楼で地元の猟師から、
英国より派遣された東亜動物学探検隊員米人マルコム・アンダーソンに
八円五十銭で買い取られ大英博物館の標本となっている。
この標本には、採集地二ホン・ホンド・ワシカグチと記録され
動物学上の貴重な資料として永く保存されるところとなった。

かつて台高の山野を咆哮したニホンオオカミの生存に
かすかな夢を托して雄姿を像にとどめ
ひろく自然の愛護を希い 村の文化史を彩る
貴重な遺産としたい。

昭和六十二年三月 
東吉野村

咆哮 読み方:ほうこう 意味:ほえさけぶこと
希い 読み方:こいねがい 意味:ねがいのぞむ。切に望む。



ニホンオオカミ像について

ニホンオオカミは、明治の初めまで、本州・四国などに
かなりの数が生息していたようですが、その後急減し、
明治38年(1905年)東吉野村で捕えられた若雄のニホンオオカミが
日本で最後の捕獲の記録となりました。

当時ここ鷲家口(わしかぐち)の宿屋芳月楼(ほうげつろう)で
地元の猟師から、英国より派遣された東亜動物学探検隊員
米人マルコム・アンダーソンに8円50銭で買いとられ、
大英博物館の標本となっています。

この標本には、採集地二ホン・ホンド・ワシカグチと記録され、
動物学上の貴重な資料となっています。
かつて台高の山野を咆哮(ほうこう)したニホンオオカミの雄姿を、
奈良県教育大学教授 久保田忠和氏の手により、
等身大のブロンズ像として再現されました。

緑と水のふるさと・東吉野村の自然愛護をねがう
シンボルとしていきたいものです。

昭和62年(1987年)
東吉野村


ニホンオオカミ絶滅の地、奈良に(とことんサーチ)
「最後の1頭」捕獲 英で眠る 生存への夢、映画や絵本に

日経新聞サイト ニホンオオカミ絶滅の地、奈良に
2017年3月18日 6:00

奈良県東部の東吉野村。
杉とヒノキに囲まれた県道を車で走っていると、絶滅種とされるニホンオオカミのブロンズ像が目に入ってきた。
「こんなところになぜ」と村役場に尋ねると「最後の一頭を捕獲した場所だからです」との答えが返ってきた。
東吉野村とニホンオオカミの切っても切れない縁を追った。

東吉野村小川地区にある「ニホンオオカミの像」
ニホンオオカミは1905年(明治38年)、
東吉野村鷲家口(わしかぐち)で捕獲されたのが最後とされる。
その後、生存が確認されず絶滅種と認定されたが、村役場の担当者によると
「最後の一頭の標本はロンドンにある」。
毛皮の標本と頭骨はロンドン自然史博物館に収蔵されているという。
担当者が海を渡った経緯を説明してくれた。

ロンドン動物学協会と大英博物館は東アジアの哺乳動物を研究するため、
1904~05年、米国人動物学者のマルコム・プレイフェア・アンダーソンを日本に派遣した。
各地を調査した後、たどり着いたのが鷲家口。
05年1月、猟師が捕獲して殺した雄のニホンオオカミを持ち込み、アンダーソンが買い取ってロンドンに持ち帰ったとされる。

オオカミというと西洋では童話「赤ずきん」に登場するどう猛な動物というイメージが強い。
ニホンオオカミにもそんな印象はあるが、イノシシやシカから農作物を守る動物でもあり、
一部地域では信仰の対象になっている。大きさも西洋オオカミに比べると一回り小さい。
博物館が標本を大切にする背景にはそういう違いがあり、実際にDNAの比較も行っている。

このロンドンとの縁を復活させたのが村議会の議員たちだ。
2013年、議員7人が博物館を視察した。団長を務めた丸井雅弘議員は
「室温や湿度をきっちりと管理し、大事に保管していた。感激で胸が熱くなった」と振り返る。
実は視察団は標本の返還を求めるつもりだったが、的確な管理や熱心な研究をみて正式な要求を封印したという。

「将来は博物館との交流をさらに深めたい」と話すのは東吉野村の水本実村長だ。
しかし「当面は貴重な観光資源として村おこしに活用したいと思う」。

村では15年にニホンオオカミに関する手作り絵本を一般公募。
最優秀賞の「ぼく、ニホンオオカミになる!!」は16年春、全国の書店で発売された。
16年秋には東吉野村をロケ地としてニホンオオカミを題材にしたキューバ人監督作品
「東の狼(おおかみ)」が、なら国際映画祭で上映された。

小川地区にあるブロンズ像の知名度も徐々に上昇。
最近は観光客が像の前でポーズを取る姿も目立つ。
像制作の経緯については、ニホンオオカミの威厳のある雄の姿を再現しようと、
村が奈良教育大学の故久保田忠和教授に依頼。1987年に完成した。
この際、写真や資料を集め献身的に支えたのが当時、村の主事だった堀谷左近さんだ。
自腹を切って渡英し博物館の標本を撮影。関連文献や書籍を読み込み、資料として提供した。

堀谷さんは「支援するうちにある思いが湧き起こった」と振り返る。
自ら起草した像の台座の「建立の記」に思いを記した。
「生存にかすかな夢を託して(中略)貴重な遺産としたい」

NPO法人のニホンオオカミを探す会(埼玉県上尾市)は監視カメラを多数配置し、
奥秩父山塊を中心に探索中だ。全国から有力な生存情報を得ている。
八木博代表は「東吉野村周辺でも元教師から1960年代の遠ぼえ情報、猟師から2000年前後の目撃談が寄せられている」と語る。

東吉野村とニホンオオカミとの不思議な縁の物語はまだ続きがありそうだ。
(奈良支局長 浜部貴司)

▼ニホンオオカミ 食肉目イヌ科。
体長は1~1.1メートル前後で背丈は50~60センチメートルと中型の日本犬程度。
毛の色は季節によって変わる。2~10頭で行動し、うなるような遠ぼえをする。
明治初期まで日本に多く生息したが狂犬病や駆除強化で絶滅に追い込まれた。

https://www.nikkei.com/article/DGXLASJB08H1K_Z00C17A3AA2P00/
引用:日経新聞サイト ニホンオオカミ絶滅の地、奈良に


東吉野村とニホンオオカミ
http://www.vill.higashiyoshino.nara.jp/tourism/japaneseookami
一部抜粋
最後に捕獲されたニホンオオカミ、海をわたりロンドンへ
明治38年(1905年)1月23日、本村の鷲家口において、
米人マルコム・アンダーソンが入手したニホンオオカミの経緯を回想すると。
アンダーソンは、イギリスの有名な貴族、ベットフォード公の出費で、
ロンドン動物学会とロンドン自然史博物館とが企画した東亜動物学探検隊員として、
明治37年7月来日。まだ25才の青年でした。
そして通訳をかねた助手として雇われた当時第一高等学校の学生、金井清氏とともに、
明治38年1月11日、奈良県庁で狩猟許可を得て、
桜井を経て13日から当村の鷲家口の芳月楼という宿屋に泊まっていました。

23日の朝、採取したネズミをはく製にしていたら、
3人の猟師が1頭のニホンオオカミの死骸を持ってやってきました。
この時、猟師は十数円を要求しましたが、金井氏は8円50銭を主張しました。
日当たりのよい宿屋の縁側で、長い間交渉しましたが、ついにまとまらず、
猟師たちはオオカミをかついで立ち去ってしまいました。

「このときのアンダーソンの失望は言語に絶するものだった。
元来無口のアンダーソンが、買えばよかった、
再び手に入らないかもしれないと独り言をいいながら
片足を立てて縁側に腰掛けた顔は今日も、ありありと残っている。」と
金井氏は当時の模様を記しています。

ところが金井氏の期待にたがわず
猟師たちはやがて引き返してきて8円50銭で折り合い、オオカミは売り渡されました。
「これが、日本で捕獲された最後のニホンオオカミになろうとは、当時、想像も及ばないことである。
アンダーソンとともに、鋭利なナイフで皮をはいでいる間、3人の猟師はたばこをすいながら眺めていた。
腹がやや青味を帯びて腐敗しかけているところから見て、数日前に捕れたものらしい。」と金井氏は記しています。
このニホンオオカミは、若い雄で、現在もロンドン自然史博物館に、頭骨と毛皮が保存されています。
その大きさは、頭と胴91.4㎝、尾34.0㎝、耳8.6㎝と記録されています。
ちなみにアンダーソンは鷲家口において、この他に
イノシシを3円50銭、シカの皮を4円45銭、カモシカ2頭を9円50銭、
その他、タヌキ、イタチ、ムササビ、モモンガ、リスなどを購入し、
1月26日名古屋へ向けて出発したと記録されています。


ニホンオオカミ像のある地点の周囲の風景

今回やっとニホンオオカミ像を訪ねることが出来て本当に良かったです。
しかも、くもり一時雨の天気予報でしたが、
ほぼ雨に打たれる事なく白浜まで帰って来る事が出来ました。

さてニホンオオカミですが、記録上 日本国内では、1905年(明治38年)、
吉野郡小川村鷲家口(わしかぐち)(現:東吉野村小川地区)で
捕獲されたのが国内最後となっていますが、
この山深い紀伊山地のどこかで、
今もひっそりとニホンオオカミが暮らしていて欲しい…という思いもあります(*´ω`)

紀伊半島には、まだまだ私が行った事のない知らない場所や知らないことがたくさんあります。
そんな場所を相棒(原付バイク)と
一緒に巡りながらの旅をこれからも楽しめたらと思います(^_^)/