魏の大軍、再び荊州に向け南下す!
その知らせは、荊州全土どころか遠く離れた蜀の首都にいる劉備のもとにも届きました。
「ちょ!諸葛亮先生!どうやら魏が再び動き始めたっぽいけど、どうする?!」
劉備と違って諸葛亮は全然焦ってません。
「だいじょうぶです、我が君」
「なんでそんなことが言える?」
「今回南下してきたのは、またもや曹仁や楽進、李典なんかのザコ武将。関羽将軍の相手ではありませんってば」
それでも劉備は不安です。関羽の力はわかってるけど、遠く離れた義兄弟の安否はやはり気になるものです。
諸葛亮の懸念は、荊州の南に控え情勢を伺っているであろう呉だけでした。
二度三度とやってくる魏軍ですが、どんなに勢いがあっても敗戦を重ねた戦地での士気は必ず衰えます。
魏に勝機なければ呉だって、荊州を窺うことはしないでしょう。
関羽が魏軍相手に有利に戦闘を進めれば進めるほど絶対に手は出さないはずです。関羽が劣勢になったときに初めて動くかもでしょうが、それでも呉では病気がちの呂蒙に代わって大都督となった陸遜は若輩浅学。
問題なし。きっと。たぶん。わからんけど。
諸葛亮ほどの天才軍師でも未来は読めません。
機に臨み変に応じる。そのときその状況で、知りえた情報の中でベストと思われる選択をするだけ。
「しかし今度は龐徳という猛者も軍勢に加わってると聞く。それでも?」
「あんなんクリックですよ。しかし我が君、そんなに心配なら張飛でも応援に行かせればいいじゃんか」
張飛はその頃、蜀の地の南方にある任地で南蛮族からの侵入を防ぐための警護に当たってました。張飛にしてみれば守備なんか退屈極まりない任務です。
そこに劉備から「兄、雲長(関羽の字です)のために荊州に救援を持って駆けつけろ」という指令が届いたものですから、張飛は小躍りしてすぐに軍勢を揃えて進撃しました。
「やった!大暴れできるぜ!」
今も昔もそうだけど、中国大陸ってやつは無駄にデカイ。「ちょっくら行ってくるわ」なんて言っても、ここから荊州まで馬でも3ヶ月くらい平気でかかります。
そんな長い旅路の間でも、張飛は久々に関羽と一緒に暴れることができるのが嬉しくてテンション上がりまくりでした。
「今行くからな兄貴ィッ!もうすぐ兄貴と飲めるぜ!待っててくれよッ!」
張飛、字を翼徳。燕のひと。もともと鴻家だかどこだかに仕えていた豪族であり、身分高き家系に生まれた。
曲がったことが大嫌いな性格で、相手がどんな人間であろうと言うことは言うタイプ。なにをもって曲がったこととするかはけっこう自分勝手なのが玉に瑕だけど、幼少の頃から大人顔負けの腕力で、大統領でもぶん殴ってやらぁ!です。
青年になった張飛は、当時の中国大陸を席巻した黄巾の乱の戦いに身を投じ、この反逆の民を相手に戦いました。
「一騎で千人に相当する(一騎当千)」とのちに評されるほどの武者っぷりっつーかムチャな突撃が得意だったため、大軍の黄巾を相手にしても全く怯むことなく、戦いにおいては従う兵も追いつけないほどの速さで敵陣に突っ込み、蛇矛を手に単騎で立ち向かいますが、さすがの張飛を持ってしても倒しても倒しても次から次と補充される黄巾の兵士に多勢に無勢。
いつのまにか彼の軍も、守るべき鴻家も散り散りとなり、流浪の日々を送ることとなりました。
彼は決して猪武者ではなく、本来は状況判断に優れ、信じた人間は決して裏切らず、そのために自分がなにをすべきかをよく考えていました。
ただ、少しだけ酒に酔うと物事を考えられなくなり、撫でたつもりが相手を傷つけてしまう結果となってしまうだけ。そのことを誰よりも本人が悩んでいた素振りすらあります。
どんなに蹴散らしても、次から襲い掛かってくる黄巾の民たちの目の奥底に彼がみたのは、現在の政治への絶望感や虚脱感、貧しさ故の反乱という悲しみ。
彼は戦いのなかで「本当にひとが喜べる世の中で、みんなで一緒に酒を飲んで、ただ笑っていたい」と思うようになりました。
「今ある国を立て直すことに自分は尽力すべきなのか?それとも新しいリーダーを立てて、世直しをするべきなのか?」
一人流浪する彼は、夜な夜なベロンベロンになるまで飲みながら、眠るまで考えました。
もちろん流浪といっても「ノックしてもしもぉ~し!」的なもんです。
「俺の名は張飛!燕から来た!初対面でぶしつけだけどねェ~!おめえーらッ!3分以内に食い物とガソリンもってこい!いいなッ!」
とある地の居酒屋で。
今夜も一人世の中を憂いてるカンジだけど「やっぱ酒はうまいな~。こんなうまい飲み物はないぜ」と思いつつ飲みながら(樽で)、ふと店内を見回すと、向こうのテーブルにいるデカイ男も、相当なペースで酒を食らっていました(樽で)。
張飛のトレードマークといえば髯なのですが、彼の髯はモジャモジャとしていて、キレイというかトラ髭危機一髪なものでしたが、その男の髯はサラサラしてツヤツヤしてよく手入れされています。
「よぉ!兄さん随分飲んでるね~!俺は張飛ってもんだ。どっちが本当の酒豪か、いっちょ競争してみないかい?」ヒゲ談義でもしようかな、くらいの気持ちでその男のテーブルに近寄りました。
美しい髯をたくわえた男は「うむ」と一言だけ口にし、新しい酒を(樽で)注文しました。その男こそ関羽雲長でした。
酔うと饒舌になるというか、頭に浮かんだ言葉を全部口にしたくなる張飛は、酒のイキオイもあってついつい自分話を始めだしました。これから世の中はどうなっていくのか?自分にできることはなにかないのか?そんなことを延々と。
黙って聞いていた関羽はイキナリ張飛の頬を引っ叩きました。
そんじょそこらの男共に武装した状態で囲まれても、素手で全員を張り倒すほどの張飛ですが、関羽のパンチ一発で面白いように吹っ飛んでしまいました。
自分を殴れる者などいない、という強さゆえの自信を持っていた張飛なので一瞬何が起こったのかわかりません。どうやら自分はこの男に殴られたようだということに気づき「なにしやがる!」と関羽を怒鳴りつけます。
関羽は語りました。
憂いてばかりで酒をひたすら飲むだけの男に、未来を語る資格はないこと。そんな体力があるなら今ここで誰かのために生きてみる道を探せということを。
関羽の言葉に張飛は振り上げた拳をストンと落とすと、急にしゅんと静かになり、ボロボロと泣きました。
「そんなことはわかってんだよ!でも俺って人間は主君である鴻家も守れず落ちぶれてしまった。俺が助けてあげるべきだったのに、駆けつけるのに間に合わず女も子供もみんな殺された。駆けつけたころにはみんな死んでいたんだ!」
張飛の心の奥底にあったのは、自分自身に対する責めでした。
あのとき自分がこう行動していれば…そばにいてあげれば、自分が盾となってでも守ることができたのに…。きっと好きなひとを傷つけやしなかった。
「もしも自分を許せないのなら、償いながら生きていくしかない。しかしそんな生き方はいずれ身を滅ぼす。我々はこれから誰かの力となり、その誰かのために尽力することで、本当の生を得ることができるのではないか?」
関羽の言葉は非常にゆっくりでした。
張飛は、この関羽という目の前の男もまた自分と同じ悲しみを背負っていることを感じました。
朝まで(樽で)飲み続けた関羽と張飛は、そのご行動を共にし、仕えるべき主を捜す旅に出ました。
「しかし、行くといってもどこに行くか?」関羽は思案しました。張飛とともにこれからどこへ向かうべきか?
「どうも兄者は物事を難しく考えすぎるな。何々すべき!なんてものは置いといてとりあえずどっか行こう!こ~んなに広大な大地なんだし、我々はどこまでも行けるッ!」
荊州へ向かって馬を駆ける張飛の心の中では、義兄関羽と一緒に魏軍を撃退し、勝利の美酒を飲み干すことを信じてやみません。
荊州までの行程、久々に一騎で駆けて、自ら率いてきた援軍を置いてきぼりにしてでも早いとこ到着したい気持ちでいっぱいです。
そのころすでに、戦地である荊州のでは戦闘が始まっていました。しかしながら関羽の兵も民も、わりとこの戦を楽観視してました。
前回に一度魏の軍勢をほうほうの体で退散させている実績もあります。「関羽将軍がいる限りこの地は安泰だ~」って思うほど、関羽将軍の勇名は轟いていましたし、ある噂も街中に流れていました。
その噂とは。
呉から、このたび任地についた陸遜という若者が、関羽将軍のもとに挨拶に訪れたというのです。
陸遜という無名の若者はひょろりとしていて、武人とはかけ離れた優男のようなカンジで関羽将軍の前に現れて「呂蒙先輩が病気のため国で療養していること」「その代わりに自分が任についたが、なんせまだ一年生なので今後は関羽先輩にいろいろご指導よろしくお願いしたいこと」「併せて蜀呉の同盟は今後も続けたいこと」…そんなことをまるで臣従の礼をとるがごとく述べていったという噂です。
関羽はこれにすっかり機嫌を良くして「こんな若造では我が軍が北で魏軍と争っていてもつけいるような策は見出せまい。安心安心」と思ったとか。
関羽はその夜、使者として訪れた陸遜を酒宴に招き、先輩パワーでいいだけ飲ませてガッツリ潰しておきました。
「これで対呉に憂いはない」
もちろん陸遜は関羽を油断させるためにおべんちゃらも使い、わざと潰れたのです。呂蒙と考えた策でした。
陸遜は自軍に帰ると、荊州VS魏の戦いの推移を見定めながら、さらなる行動を起こそうとしていました。
呉について甘く考えていることはありませんでしたが、陸遜という名すら誰も聞いたことのなかったような若造が何を企んでいるかなんて、もちろんそんなこと関羽も曹操も、諸葛亮ですら知りません。
『必殺関羽』
そんな旗印を掲げた龐徳が、関羽の守る樊城へと迫ってきました。龐徳はひたすら関羽を挑発し続け、関羽との一騎打ちを希望すると言い放ちました。
関羽の息子、関平は「あんなパーマ、父に代わってわたくしめが討ち取ってまいります」と勇ましく龐徳に勝負を挑みます。
「関羽を出せ!関羽を こォ ろォ すゥ~」龐徳はそう叫びました。
先陣をきり、龐徳に矛を向ける関平。
「ドラララ~ッ!!」
「関羽を こォ ろォ すゥ~」
龐徳と関平では戦闘の経験も力も差がありすぎました。だいたい龐徳はこんな小僧っ子は相手にしていません。
捕虜から登用されるという、あまりに身に余るほどの信頼をこの自分にしてくれた曹操のために、死んでも関羽を破るほどの意気込みを持った龐徳。
「関羽を こォ ろォ すゥ~」
「やかましいッ!何度も同じセリフはいてんじゃあねェーッ!テメー!オウムかコラァッ!」
勇ましく龐徳に挑む関平でしたが、龐徳の攻撃の前にあっという間に追い詰められます。
関平の危機を見て騒然となる荊州軍。
関羽と一緒にこの一騎打ちを本陣から眺めていた周倉が、総大将関羽に向かって叫びます。
「関羽さん!関平が切られそうなんスよーッ!無敵の青龍偃月刀でなんとかしてくださいよォーッ!!」
「周倉、俺はもう諦めたぜ。あの龐徳の攻撃をここから止めることは不可能だ」
「えッ!?なに言ってんスか?!関羽さん!?」
「だが、あの場所から龐徳だけを引きずりだせばいいわけだな」
関羽が大声で「龐徳!俺はここだ!」と声をあげると、今まさに関平に一撃を加えようとしていた龐徳はその動きをまるでビデオの一時停止のように中断し、その目線の先に標的である関羽を認めると「よし!」と頷き、一直線に目掛けて突進してきました。
関羽も赤兎馬を駆り、龐徳に向かって突撃します。
互いが交差した刹那の一合目で、互いの刀から火花が飛びちりました。
豪傑と呼ばれた並みいる武将を一閃のもとに叩き斬ってきた関羽でしたが、この龐徳という男を一瞬で「侮れぬ相手である」と理解しました。
何度も書いてますが、本当の脅威は呉です。
一見、蜀との同盟関係を尊重するかのように新しく就任した陸遜が、平身低頭して挨拶に来たりしてますが、これは敵情視察であると関羽はホントのところ看破していました。
この魏との戦いが長引けば長引くほど、荊州の軍は兵力を削ることになりますし、そうなれば後門の虎である呉が不意をついて荊州に攻め入ってくる確率がうんとあがります。
実際には陸遜と呂蒙はもう一歩進んだ計を画策しているのですが、関羽はそこまでは読んでません。
関羽としてはこの一騎打ちで龐徳を切り捨てて、魏の攻撃意欲を一瞬で意気消沈させてしまい、退却させるという方法をとりたかった。
さらに長くこの荊州の地に拠り、魏に備え呉を牽制する構えでいたのですが、関羽の一閃を受け止めた龐徳、これほどの男とは!
これほどの男が相手であれば、将来の計画においても他の方法を考えなければならない。
軍神関羽を相手に怯むことなく向かってくる龐徳。一見考えもなしに突撃を敢行しているようですが、その龐徳にも考えがありました。
それは関羽の懸念の通り、この戦を長引かせて、呉と連携の体勢をとり関羽を挟撃することだったのです。
龐徳は「勝負はまた後日!」と言い残し、本陣へ戻ろうとしました。
当然関羽としては、ここで龐徳を討ちもらすことはしたくないので赤兎馬の尻を叩き、追撃を仕掛けます。
関羽の焦りが、龐徳に攻撃のチャンスを与える結果となりました。
一日千里を走る名馬赤兎。その速さからは誰も逃れられません。退却する龐徳にも必ず追いつくと関羽のほか、荊州軍も魏軍の誰もが思うもの無理ありません。
赤兎馬がぐんぐんスピードをあげて、その速さが最高に達したとき、龐徳は急に馬を返し、関羽を直線状に捉え、目にも止まらぬ動作で弓を構え矢を引き絞り、放ちました。
誰もが経験あると思うだけど、あまくせつない初恋と、柱に小指をぶつける痛み。
小指が柱に向かっていくだけの運動エネルギーなら、その早さかける重さの衝突エネルギーだろうから、そんなに痛くない。いや、痛いけど。柱は動かないが、もしも柱もこっちに向かってやってくるとなると、その出会い頭の衝突は相当なダメージになるね、やっぱ。
関係ないけど、いつだったか尚ちゃんと学生時代に東京に遊びに来ていて、つら~っと歩いていたら、僕がその場になにかを落として、拾おうとかがみ込んだんだよね。そしたら尚ちゃんをそれを拾ってくれるために同じ体勢になって、お互いおでこがゴンッ!!ってなって、「コントかよ!w」って笑った記憶がある。
このくらいの矢での攻撃、関羽にしてみればたいしたものではありません。しかし最高の腕を持つ龐徳の放ったスライダー気味の矢、赤兎馬の速度、これが相まって、普段の関羽なら払うことができたであろう矢は、なんとしたことでしょう!関羽の左腕に深く突き刺さりました。
「それっ!いまだッ!関羽を取り囲め!」一斉に魏軍が攻撃に転じてきました。
関羽の危機を見てとった荊州軍もこれに応戦。一進一退の攻防の末、初戦は両軍入り乱れてのものとなり、互いが頃合を見計らって陣を退きました。
魏、今までこの地では敗戦を繰り返してきましたが、まさにとりあえず一矢報いたカンジです。
荊州の本陣では負傷した関羽を囲み、息子の関平、部下の周倉をはじめとした者たちも不安そうにしています。
軍神と呼ばれ、最強を誇る関羽将軍も、寄る年端には敵わないのか。
「ものども。そんなに心配そうな顔をするな。左手は義手で良かったわい」
「父上、そんな冗談を言ってる場合ではありません!右腕だったら二度と戦場には立てないかも知れないのですよ!」
「だいじょうぶ、右腕はミギーだから」
笑い飛ばしていた関羽ですが、この負傷は思ったよりも重く、それ以降あまり積極的な攻勢に出なくなりました。
龐徳が放った矢には毒が塗られていたのです。このままでは関羽の腕は腐り、使い物にならなくなるでしょう。
(この傷の治療がどのように行われたかに関しては、1月16日の『左手は、義手でよかったわい』を参照ください)
傷を完治させている間に関羽は、龐徳を含め魏軍を一気に壊滅させる策を考えました。
魏軍は関羽負傷というニュースに意気盛んとなり、調子に乗ってずいずいと進撃してきました。
現在、魏軍の陣取っている平地はやや窪地となっており、天候の良いときには陣取りとして最適の場所です。相手が攻め込んできても窪地に身を隠して奇襲も良し。どのみち荊周軍は城に篭って出てこないのですから、低地においても不利な要素はありません。
関羽負傷→魏軍ラッキー→調子に乗る、だからこそ巡ってきた好機。
関羽が考えた策は『水攻め』でした。
関羽は「いまだ完治せず」の情報をわざと敵陣に流し、魏の慢心を誘いつつ、密かに関平と周倉に命じ、筏を作らせ、付近の河を全て堰き止める工作を始めました。
大雨の日を見計らって、ダムを決壊させ魏の軍勢をこの地に一兵残らずに沈める作戦です。低地とはいえ、過去の歴史において、この地が水没したことなんか一度もありません。 だからこそ、まさか水攻めに遭うなんてことは誰も考えないでしょう。
そして、呉では。
関羽負傷の報を受け、とうとう陸遜が動きだしました。障害となるのは、関羽が設置していた烽火台です。南で変事が起これば烽火台が煙を上げ、次の烽火台にそれを知らせ、次の烽火台が…のこのシステム。まずはこれを崩さねばなりません。
陸遜は軍船を商船に偽装し、兵士たちにも商人に服装をさせて、第一の烽火台へ出発させました。
攻撃を悟られることなく、ひとつずつ確実に烽火台を押さえていく作戦。
単純ではありますが、商人に化けた兵士が烽火台の荊州兵に「お勤めご苦労様で~す。これは差し入れで~す」といって酒や食料を届け、守備にあたる兵士たちが油断したところを一気に叩くやりかたです。
どんな組織でもそうですが、そこに属す人間が全ての状況を把握していることなど、まずありません。皆無といってもよい。
北方では魏の侵攻があったことを、ここにいる兵士たちが知っていても、南に控える呉が襲い掛かってくることなど夢にも思いはしないでしょう。しかも同盟関係なのですから。
この同盟がどんなに脆く、戦国の慣わしにおいては一時の共闘のためであるなんて、下の人間が知る術もないし。
烽火台に配置された兵の任務は、異変があれば火を焚き、煙を起こすことです。いざというときに戦えとは命じられてませんし、そこまでの兵力は配備されていません。
急襲を受けた烽火台は、一度もその烽火を上げることなく次々と陥落していきました。
関羽のまったく知らないところで、荊州の地は呉軍に侵略されつつあったのです。その総大将は、呂蒙でした。
張飛が援軍をつれてこちらに向かっているという報告は、劉備から関羽にすでに届いていました。その到着までには水攻めで魏軍を壊滅させられる算段でしたが、それでも久々に会えるのは楽しみ。
「久々に義弟と酒が飲めそうだな。張飛のやつ、この腕の怪我をみたら笑うだろうか」
その知らせは、荊州全土どころか遠く離れた蜀の首都にいる劉備のもとにも届きました。
「ちょ!諸葛亮先生!どうやら魏が再び動き始めたっぽいけど、どうする?!」
劉備と違って諸葛亮は全然焦ってません。
「だいじょうぶです、我が君」
「なんでそんなことが言える?」
「今回南下してきたのは、またもや曹仁や楽進、李典なんかのザコ武将。関羽将軍の相手ではありませんってば」
それでも劉備は不安です。関羽の力はわかってるけど、遠く離れた義兄弟の安否はやはり気になるものです。
諸葛亮の懸念は、荊州の南に控え情勢を伺っているであろう呉だけでした。
二度三度とやってくる魏軍ですが、どんなに勢いがあっても敗戦を重ねた戦地での士気は必ず衰えます。
魏に勝機なければ呉だって、荊州を窺うことはしないでしょう。
関羽が魏軍相手に有利に戦闘を進めれば進めるほど絶対に手は出さないはずです。関羽が劣勢になったときに初めて動くかもでしょうが、それでも呉では病気がちの呂蒙に代わって大都督となった陸遜は若輩浅学。
問題なし。きっと。たぶん。わからんけど。
諸葛亮ほどの天才軍師でも未来は読めません。
機に臨み変に応じる。そのときその状況で、知りえた情報の中でベストと思われる選択をするだけ。
「しかし今度は龐徳という猛者も軍勢に加わってると聞く。それでも?」
「あんなんクリックですよ。しかし我が君、そんなに心配なら張飛でも応援に行かせればいいじゃんか」
張飛はその頃、蜀の地の南方にある任地で南蛮族からの侵入を防ぐための警護に当たってました。張飛にしてみれば守備なんか退屈極まりない任務です。
そこに劉備から「兄、雲長(関羽の字です)のために荊州に救援を持って駆けつけろ」という指令が届いたものですから、張飛は小躍りしてすぐに軍勢を揃えて進撃しました。
「やった!大暴れできるぜ!」
今も昔もそうだけど、中国大陸ってやつは無駄にデカイ。「ちょっくら行ってくるわ」なんて言っても、ここから荊州まで馬でも3ヶ月くらい平気でかかります。
そんな長い旅路の間でも、張飛は久々に関羽と一緒に暴れることができるのが嬉しくてテンション上がりまくりでした。
「今行くからな兄貴ィッ!もうすぐ兄貴と飲めるぜ!待っててくれよッ!」
張飛、字を翼徳。燕のひと。もともと鴻家だかどこだかに仕えていた豪族であり、身分高き家系に生まれた。
曲がったことが大嫌いな性格で、相手がどんな人間であろうと言うことは言うタイプ。なにをもって曲がったこととするかはけっこう自分勝手なのが玉に瑕だけど、幼少の頃から大人顔負けの腕力で、大統領でもぶん殴ってやらぁ!です。
青年になった張飛は、当時の中国大陸を席巻した黄巾の乱の戦いに身を投じ、この反逆の民を相手に戦いました。
「一騎で千人に相当する(一騎当千)」とのちに評されるほどの武者っぷりっつーかムチャな突撃が得意だったため、大軍の黄巾を相手にしても全く怯むことなく、戦いにおいては従う兵も追いつけないほどの速さで敵陣に突っ込み、蛇矛を手に単騎で立ち向かいますが、さすがの張飛を持ってしても倒しても倒しても次から次と補充される黄巾の兵士に多勢に無勢。
いつのまにか彼の軍も、守るべき鴻家も散り散りとなり、流浪の日々を送ることとなりました。
彼は決して猪武者ではなく、本来は状況判断に優れ、信じた人間は決して裏切らず、そのために自分がなにをすべきかをよく考えていました。
ただ、少しだけ酒に酔うと物事を考えられなくなり、撫でたつもりが相手を傷つけてしまう結果となってしまうだけ。そのことを誰よりも本人が悩んでいた素振りすらあります。
どんなに蹴散らしても、次から襲い掛かってくる黄巾の民たちの目の奥底に彼がみたのは、現在の政治への絶望感や虚脱感、貧しさ故の反乱という悲しみ。
彼は戦いのなかで「本当にひとが喜べる世の中で、みんなで一緒に酒を飲んで、ただ笑っていたい」と思うようになりました。
「今ある国を立て直すことに自分は尽力すべきなのか?それとも新しいリーダーを立てて、世直しをするべきなのか?」
一人流浪する彼は、夜な夜なベロンベロンになるまで飲みながら、眠るまで考えました。
もちろん流浪といっても「ノックしてもしもぉ~し!」的なもんです。
「俺の名は張飛!燕から来た!初対面でぶしつけだけどねェ~!おめえーらッ!3分以内に食い物とガソリンもってこい!いいなッ!」
とある地の居酒屋で。
今夜も一人世の中を憂いてるカンジだけど「やっぱ酒はうまいな~。こんなうまい飲み物はないぜ」と思いつつ飲みながら(樽で)、ふと店内を見回すと、向こうのテーブルにいるデカイ男も、相当なペースで酒を食らっていました(樽で)。
張飛のトレードマークといえば髯なのですが、彼の髯はモジャモジャとしていて、キレイというかトラ髭危機一髪なものでしたが、その男の髯はサラサラしてツヤツヤしてよく手入れされています。
「よぉ!兄さん随分飲んでるね~!俺は張飛ってもんだ。どっちが本当の酒豪か、いっちょ競争してみないかい?」ヒゲ談義でもしようかな、くらいの気持ちでその男のテーブルに近寄りました。
美しい髯をたくわえた男は「うむ」と一言だけ口にし、新しい酒を(樽で)注文しました。その男こそ関羽雲長でした。
酔うと饒舌になるというか、頭に浮かんだ言葉を全部口にしたくなる張飛は、酒のイキオイもあってついつい自分話を始めだしました。これから世の中はどうなっていくのか?自分にできることはなにかないのか?そんなことを延々と。
黙って聞いていた関羽はイキナリ張飛の頬を引っ叩きました。
そんじょそこらの男共に武装した状態で囲まれても、素手で全員を張り倒すほどの張飛ですが、関羽のパンチ一発で面白いように吹っ飛んでしまいました。
自分を殴れる者などいない、という強さゆえの自信を持っていた張飛なので一瞬何が起こったのかわかりません。どうやら自分はこの男に殴られたようだということに気づき「なにしやがる!」と関羽を怒鳴りつけます。
関羽は語りました。
憂いてばかりで酒をひたすら飲むだけの男に、未来を語る資格はないこと。そんな体力があるなら今ここで誰かのために生きてみる道を探せということを。
関羽の言葉に張飛は振り上げた拳をストンと落とすと、急にしゅんと静かになり、ボロボロと泣きました。
「そんなことはわかってんだよ!でも俺って人間は主君である鴻家も守れず落ちぶれてしまった。俺が助けてあげるべきだったのに、駆けつけるのに間に合わず女も子供もみんな殺された。駆けつけたころにはみんな死んでいたんだ!」
張飛の心の奥底にあったのは、自分自身に対する責めでした。
あのとき自分がこう行動していれば…そばにいてあげれば、自分が盾となってでも守ることができたのに…。きっと好きなひとを傷つけやしなかった。
「もしも自分を許せないのなら、償いながら生きていくしかない。しかしそんな生き方はいずれ身を滅ぼす。我々はこれから誰かの力となり、その誰かのために尽力することで、本当の生を得ることができるのではないか?」
関羽の言葉は非常にゆっくりでした。
張飛は、この関羽という目の前の男もまた自分と同じ悲しみを背負っていることを感じました。
朝まで(樽で)飲み続けた関羽と張飛は、そのご行動を共にし、仕えるべき主を捜す旅に出ました。
「しかし、行くといってもどこに行くか?」関羽は思案しました。張飛とともにこれからどこへ向かうべきか?
「どうも兄者は物事を難しく考えすぎるな。何々すべき!なんてものは置いといてとりあえずどっか行こう!こ~んなに広大な大地なんだし、我々はどこまでも行けるッ!」
荊州へ向かって馬を駆ける張飛の心の中では、義兄関羽と一緒に魏軍を撃退し、勝利の美酒を飲み干すことを信じてやみません。
荊州までの行程、久々に一騎で駆けて、自ら率いてきた援軍を置いてきぼりにしてでも早いとこ到着したい気持ちでいっぱいです。
そのころすでに、戦地である荊州のでは戦闘が始まっていました。しかしながら関羽の兵も民も、わりとこの戦を楽観視してました。
前回に一度魏の軍勢をほうほうの体で退散させている実績もあります。「関羽将軍がいる限りこの地は安泰だ~」って思うほど、関羽将軍の勇名は轟いていましたし、ある噂も街中に流れていました。
その噂とは。
呉から、このたび任地についた陸遜という若者が、関羽将軍のもとに挨拶に訪れたというのです。
陸遜という無名の若者はひょろりとしていて、武人とはかけ離れた優男のようなカンジで関羽将軍の前に現れて「呂蒙先輩が病気のため国で療養していること」「その代わりに自分が任についたが、なんせまだ一年生なので今後は関羽先輩にいろいろご指導よろしくお願いしたいこと」「併せて蜀呉の同盟は今後も続けたいこと」…そんなことをまるで臣従の礼をとるがごとく述べていったという噂です。
関羽はこれにすっかり機嫌を良くして「こんな若造では我が軍が北で魏軍と争っていてもつけいるような策は見出せまい。安心安心」と思ったとか。
関羽はその夜、使者として訪れた陸遜を酒宴に招き、先輩パワーでいいだけ飲ませてガッツリ潰しておきました。
「これで対呉に憂いはない」
もちろん陸遜は関羽を油断させるためにおべんちゃらも使い、わざと潰れたのです。呂蒙と考えた策でした。
陸遜は自軍に帰ると、荊州VS魏の戦いの推移を見定めながら、さらなる行動を起こそうとしていました。
呉について甘く考えていることはありませんでしたが、陸遜という名すら誰も聞いたことのなかったような若造が何を企んでいるかなんて、もちろんそんなこと関羽も曹操も、諸葛亮ですら知りません。
『必殺関羽』
そんな旗印を掲げた龐徳が、関羽の守る樊城へと迫ってきました。龐徳はひたすら関羽を挑発し続け、関羽との一騎打ちを希望すると言い放ちました。
関羽の息子、関平は「あんなパーマ、父に代わってわたくしめが討ち取ってまいります」と勇ましく龐徳に勝負を挑みます。
「関羽を出せ!関羽を こォ ろォ すゥ~」龐徳はそう叫びました。
先陣をきり、龐徳に矛を向ける関平。
「ドラララ~ッ!!」
「関羽を こォ ろォ すゥ~」
龐徳と関平では戦闘の経験も力も差がありすぎました。だいたい龐徳はこんな小僧っ子は相手にしていません。
捕虜から登用されるという、あまりに身に余るほどの信頼をこの自分にしてくれた曹操のために、死んでも関羽を破るほどの意気込みを持った龐徳。
「関羽を こォ ろォ すゥ~」
「やかましいッ!何度も同じセリフはいてんじゃあねェーッ!テメー!オウムかコラァッ!」
勇ましく龐徳に挑む関平でしたが、龐徳の攻撃の前にあっという間に追い詰められます。
関平の危機を見て騒然となる荊州軍。
関羽と一緒にこの一騎打ちを本陣から眺めていた周倉が、総大将関羽に向かって叫びます。
「関羽さん!関平が切られそうなんスよーッ!無敵の青龍偃月刀でなんとかしてくださいよォーッ!!」
「周倉、俺はもう諦めたぜ。あの龐徳の攻撃をここから止めることは不可能だ」
「えッ!?なに言ってんスか?!関羽さん!?」
「だが、あの場所から龐徳だけを引きずりだせばいいわけだな」
関羽が大声で「龐徳!俺はここだ!」と声をあげると、今まさに関平に一撃を加えようとしていた龐徳はその動きをまるでビデオの一時停止のように中断し、その目線の先に標的である関羽を認めると「よし!」と頷き、一直線に目掛けて突進してきました。
関羽も赤兎馬を駆り、龐徳に向かって突撃します。
互いが交差した刹那の一合目で、互いの刀から火花が飛びちりました。
豪傑と呼ばれた並みいる武将を一閃のもとに叩き斬ってきた関羽でしたが、この龐徳という男を一瞬で「侮れぬ相手である」と理解しました。
何度も書いてますが、本当の脅威は呉です。
一見、蜀との同盟関係を尊重するかのように新しく就任した陸遜が、平身低頭して挨拶に来たりしてますが、これは敵情視察であると関羽はホントのところ看破していました。
この魏との戦いが長引けば長引くほど、荊州の軍は兵力を削ることになりますし、そうなれば後門の虎である呉が不意をついて荊州に攻め入ってくる確率がうんとあがります。
実際には陸遜と呂蒙はもう一歩進んだ計を画策しているのですが、関羽はそこまでは読んでません。
関羽としてはこの一騎打ちで龐徳を切り捨てて、魏の攻撃意欲を一瞬で意気消沈させてしまい、退却させるという方法をとりたかった。
さらに長くこの荊州の地に拠り、魏に備え呉を牽制する構えでいたのですが、関羽の一閃を受け止めた龐徳、これほどの男とは!
これほどの男が相手であれば、将来の計画においても他の方法を考えなければならない。
軍神関羽を相手に怯むことなく向かってくる龐徳。一見考えもなしに突撃を敢行しているようですが、その龐徳にも考えがありました。
それは関羽の懸念の通り、この戦を長引かせて、呉と連携の体勢をとり関羽を挟撃することだったのです。
龐徳は「勝負はまた後日!」と言い残し、本陣へ戻ろうとしました。
当然関羽としては、ここで龐徳を討ちもらすことはしたくないので赤兎馬の尻を叩き、追撃を仕掛けます。
関羽の焦りが、龐徳に攻撃のチャンスを与える結果となりました。
一日千里を走る名馬赤兎。その速さからは誰も逃れられません。退却する龐徳にも必ず追いつくと関羽のほか、荊州軍も魏軍の誰もが思うもの無理ありません。
赤兎馬がぐんぐんスピードをあげて、その速さが最高に達したとき、龐徳は急に馬を返し、関羽を直線状に捉え、目にも止まらぬ動作で弓を構え矢を引き絞り、放ちました。
誰もが経験あると思うだけど、あまくせつない初恋と、柱に小指をぶつける痛み。
小指が柱に向かっていくだけの運動エネルギーなら、その早さかける重さの衝突エネルギーだろうから、そんなに痛くない。いや、痛いけど。柱は動かないが、もしも柱もこっちに向かってやってくるとなると、その出会い頭の衝突は相当なダメージになるね、やっぱ。
関係ないけど、いつだったか尚ちゃんと学生時代に東京に遊びに来ていて、つら~っと歩いていたら、僕がその場になにかを落として、拾おうとかがみ込んだんだよね。そしたら尚ちゃんをそれを拾ってくれるために同じ体勢になって、お互いおでこがゴンッ!!ってなって、「コントかよ!w」って笑った記憶がある。
このくらいの矢での攻撃、関羽にしてみればたいしたものではありません。しかし最高の腕を持つ龐徳の放ったスライダー気味の矢、赤兎馬の速度、これが相まって、普段の関羽なら払うことができたであろう矢は、なんとしたことでしょう!関羽の左腕に深く突き刺さりました。
「それっ!いまだッ!関羽を取り囲め!」一斉に魏軍が攻撃に転じてきました。
関羽の危機を見てとった荊州軍もこれに応戦。一進一退の攻防の末、初戦は両軍入り乱れてのものとなり、互いが頃合を見計らって陣を退きました。
魏、今までこの地では敗戦を繰り返してきましたが、まさにとりあえず一矢報いたカンジです。
荊州の本陣では負傷した関羽を囲み、息子の関平、部下の周倉をはじめとした者たちも不安そうにしています。
軍神と呼ばれ、最強を誇る関羽将軍も、寄る年端には敵わないのか。
「ものども。そんなに心配そうな顔をするな。左手は義手で良かったわい」
「父上、そんな冗談を言ってる場合ではありません!右腕だったら二度と戦場には立てないかも知れないのですよ!」
「だいじょうぶ、右腕はミギーだから」
笑い飛ばしていた関羽ですが、この負傷は思ったよりも重く、それ以降あまり積極的な攻勢に出なくなりました。
龐徳が放った矢には毒が塗られていたのです。このままでは関羽の腕は腐り、使い物にならなくなるでしょう。
(この傷の治療がどのように行われたかに関しては、1月16日の『左手は、義手でよかったわい』を参照ください)
傷を完治させている間に関羽は、龐徳を含め魏軍を一気に壊滅させる策を考えました。
魏軍は関羽負傷というニュースに意気盛んとなり、調子に乗ってずいずいと進撃してきました。
現在、魏軍の陣取っている平地はやや窪地となっており、天候の良いときには陣取りとして最適の場所です。相手が攻め込んできても窪地に身を隠して奇襲も良し。どのみち荊周軍は城に篭って出てこないのですから、低地においても不利な要素はありません。
関羽負傷→魏軍ラッキー→調子に乗る、だからこそ巡ってきた好機。
関羽が考えた策は『水攻め』でした。
関羽は「いまだ完治せず」の情報をわざと敵陣に流し、魏の慢心を誘いつつ、密かに関平と周倉に命じ、筏を作らせ、付近の河を全て堰き止める工作を始めました。
大雨の日を見計らって、ダムを決壊させ魏の軍勢をこの地に一兵残らずに沈める作戦です。低地とはいえ、過去の歴史において、この地が水没したことなんか一度もありません。 だからこそ、まさか水攻めに遭うなんてことは誰も考えないでしょう。
そして、呉では。
関羽負傷の報を受け、とうとう陸遜が動きだしました。障害となるのは、関羽が設置していた烽火台です。南で変事が起これば烽火台が煙を上げ、次の烽火台にそれを知らせ、次の烽火台が…のこのシステム。まずはこれを崩さねばなりません。
陸遜は軍船を商船に偽装し、兵士たちにも商人に服装をさせて、第一の烽火台へ出発させました。
攻撃を悟られることなく、ひとつずつ確実に烽火台を押さえていく作戦。
単純ではありますが、商人に化けた兵士が烽火台の荊州兵に「お勤めご苦労様で~す。これは差し入れで~す」といって酒や食料を届け、守備にあたる兵士たちが油断したところを一気に叩くやりかたです。
どんな組織でもそうですが、そこに属す人間が全ての状況を把握していることなど、まずありません。皆無といってもよい。
北方では魏の侵攻があったことを、ここにいる兵士たちが知っていても、南に控える呉が襲い掛かってくることなど夢にも思いはしないでしょう。しかも同盟関係なのですから。
この同盟がどんなに脆く、戦国の慣わしにおいては一時の共闘のためであるなんて、下の人間が知る術もないし。
烽火台に配置された兵の任務は、異変があれば火を焚き、煙を起こすことです。いざというときに戦えとは命じられてませんし、そこまでの兵力は配備されていません。
急襲を受けた烽火台は、一度もその烽火を上げることなく次々と陥落していきました。
関羽のまったく知らないところで、荊州の地は呉軍に侵略されつつあったのです。その総大将は、呂蒙でした。
張飛が援軍をつれてこちらに向かっているという報告は、劉備から関羽にすでに届いていました。その到着までには水攻めで魏軍を壊滅させられる算段でしたが、それでも久々に会えるのは楽しみ。
「久々に義弟と酒が飲めそうだな。張飛のやつ、この腕の怪我をみたら笑うだろうか」