タイトルはよね3の言葉からいただきました。
走り始めてから一ヶ月ちょい経ちましたけど、未だに「苦しくなく走れる」ってところまでは到達できません。
そりゃあオメー、一ヶ月くらいで何を言ってるんだと思われるかもしれませんが、早く早く前に進みたい。
少なくとも筋肉痛はない。最初の何回かのランは筋肉痛がひどかった。単に運動不足なんだけど、その痛みも心地よい。
走ってる最中はホント苦しいです。「ここで走るのをやめて歩いても誰も文句は言わない。第一に無理は禁物ってみんな言ってるじゃあないか?」って思うし。
自分は貧乏性かな~って感じる。「ここで休めば、何の為に走ってるのか?いや、自分の為なんだけど。高いシューズも買って、ウェアも買って、時計はまだ買ってないから一本1000円の時計だけど、プロテインも買ったし。ここでやめたらもったいない」
「今日も仕事は辛くて、走り出すまではすごく面倒だったけど、走り始めたなら歩くのはもったいない」
「別に走らなくてもいいんじゃあないか?走ったことにしてしまおう。ウソついてもいいじゃん。どうせ今までだってたいした生き方してないし、これからもそうなんだろう?なぁ、俺」
いいや!それだけは!そんなに簡単になんでも諦めたら、これからもなにかを諦めていくような道を、妥協して行くしかなくなるんだ。
な~んて、やたら生真面目なカンジで書いたけど、走ってる最中は楽しくない。でも走り終えたあとが気持ちいい。ハァーハァーしながらも「どうよッ!」って誰に対してでもなく、いつもウダウダ言ってる自分に思う。
と、ここで掲題のタイトル。
「他人のペースに惑わされるべからず!!」なのですが、よね3が言いたかったのは「周りがどう走ろうと、自分のペースで楽しく行きましょ。怪我したらイヤじゃんか。のう、若きジェダイよ」ってことなんでしょうけど(帰省したときに「昔よね3が~って言ったのはつまり~ってことなんですよね!」とか俺が酔っ払って聞くと、いつもよね3は「うん、つーかそんなこと言ったか憶えてないし」と、とても冷たい)。
こんなことを考える時点で僕は、他人に惑わされるどころか「自分に惑わされてる」
前に「僕はみなさんより遅れて走り始めたから、その遅れを取り返したくて…」と、書き込んだときに「それは違うよ」とみなさんに忠告された。それについて少し考える、僕はなにをもって遅れたと考えたのか。
たくさんの物も考え方もあって、その大多数に対して、それに関わるほぼ全員は先駆者に続くってのが常じゃあないか。
あれ?なんか話があっちにいったな、修正しよう。
「惑わされるってことは他人を意識するからこそ」であって、なぜなら人は一人であるなら惑わされないし、そもそも意識しない。
だから、自分は自分のペースで行くしかない。(「行くしかない」ってあたりが義務っぽくてよくないな…「自分は自分のペースで行こう」に訂正)
もし、この地球にあなた一人しか人間という存在はいなかったら。あなたは自分を意識するだろうか?自分のことを思考する存在だということを思うだろうか?
自分はこの世も存在する唯一の意識をもった人類であったとき、「一人ぼっちは寂しいな~」なんてことは考えるだろうか?もともと一人なら考えない。考えようがない。
そこにもう一人、誰かがいたとして、その人の存在を感じることによって初めて「自分以外の存在」を意識する。
誰かを、何かを意識しない限り、そこにはなにもなくて、自分も含めて誰もいなくて、それが永遠に続くんだけどさ。
「精神はそれ一つでは精神とは成り得ない」
意識できる友人がいるってことの、なんと素晴らしいことか。友人を意識するってことで自分を意識することができる。
だから「かんぱ~い」は一人よりも二人。
僕が「女のコとイチャイチャしたいなー」なんて言うのはヤラシイからではなく、そうやって誰かと一緒にいることで、自分が今ここにキミと一緒にいるってことで、その存在が真実であることを自分で意識していたいからなのかもしれません。
一緒においしいお酒を飲んで、素敵な景色を見て、お互いの体温を感じることを大切に思うのは、自分だけのためではなくて、そのコの目線で物事を見ることが、それをお互いがお互いの目線で感じることこそが、幸せだからだろう。
走り始めてから一ヶ月ちょい経ちましたけど、未だに「苦しくなく走れる」ってところまでは到達できません。
そりゃあオメー、一ヶ月くらいで何を言ってるんだと思われるかもしれませんが、早く早く前に進みたい。
少なくとも筋肉痛はない。最初の何回かのランは筋肉痛がひどかった。単に運動不足なんだけど、その痛みも心地よい。
走ってる最中はホント苦しいです。「ここで走るのをやめて歩いても誰も文句は言わない。第一に無理は禁物ってみんな言ってるじゃあないか?」って思うし。
自分は貧乏性かな~って感じる。「ここで休めば、何の為に走ってるのか?いや、自分の為なんだけど。高いシューズも買って、ウェアも買って、時計はまだ買ってないから一本1000円の時計だけど、プロテインも買ったし。ここでやめたらもったいない」
「今日も仕事は辛くて、走り出すまではすごく面倒だったけど、走り始めたなら歩くのはもったいない」
「別に走らなくてもいいんじゃあないか?走ったことにしてしまおう。ウソついてもいいじゃん。どうせ今までだってたいした生き方してないし、これからもそうなんだろう?なぁ、俺」
いいや!それだけは!そんなに簡単になんでも諦めたら、これからもなにかを諦めていくような道を、妥協して行くしかなくなるんだ。
な~んて、やたら生真面目なカンジで書いたけど、走ってる最中は楽しくない。でも走り終えたあとが気持ちいい。ハァーハァーしながらも「どうよッ!」って誰に対してでもなく、いつもウダウダ言ってる自分に思う。
と、ここで掲題のタイトル。
「他人のペースに惑わされるべからず!!」なのですが、よね3が言いたかったのは「周りがどう走ろうと、自分のペースで楽しく行きましょ。怪我したらイヤじゃんか。のう、若きジェダイよ」ってことなんでしょうけど(帰省したときに「昔よね3が~って言ったのはつまり~ってことなんですよね!」とか俺が酔っ払って聞くと、いつもよね3は「うん、つーかそんなこと言ったか憶えてないし」と、とても冷たい)。
こんなことを考える時点で僕は、他人に惑わされるどころか「自分に惑わされてる」
前に「僕はみなさんより遅れて走り始めたから、その遅れを取り返したくて…」と、書き込んだときに「それは違うよ」とみなさんに忠告された。それについて少し考える、僕はなにをもって遅れたと考えたのか。
たくさんの物も考え方もあって、その大多数に対して、それに関わるほぼ全員は先駆者に続くってのが常じゃあないか。
あれ?なんか話があっちにいったな、修正しよう。
「惑わされるってことは他人を意識するからこそ」であって、なぜなら人は一人であるなら惑わされないし、そもそも意識しない。
だから、自分は自分のペースで行くしかない。(「行くしかない」ってあたりが義務っぽくてよくないな…「自分は自分のペースで行こう」に訂正)
もし、この地球にあなた一人しか人間という存在はいなかったら。あなたは自分を意識するだろうか?自分のことを思考する存在だということを思うだろうか?
自分はこの世も存在する唯一の意識をもった人類であったとき、「一人ぼっちは寂しいな~」なんてことは考えるだろうか?もともと一人なら考えない。考えようがない。
そこにもう一人、誰かがいたとして、その人の存在を感じることによって初めて「自分以外の存在」を意識する。
誰かを、何かを意識しない限り、そこにはなにもなくて、自分も含めて誰もいなくて、それが永遠に続くんだけどさ。
「精神はそれ一つでは精神とは成り得ない」
意識できる友人がいるってことの、なんと素晴らしいことか。友人を意識するってことで自分を意識することができる。
だから「かんぱ~い」は一人よりも二人。
僕が「女のコとイチャイチャしたいなー」なんて言うのはヤラシイからではなく、そうやって誰かと一緒にいることで、自分が今ここにキミと一緒にいるってことで、その存在が真実であることを自分で意識していたいからなのかもしれません。
一緒においしいお酒を飲んで、素敵な景色を見て、お互いの体温を感じることを大切に思うのは、自分だけのためではなくて、そのコの目線で物事を見ることが、それをお互いがお互いの目線で感じることこそが、幸せだからだろう。