艦長日誌 補足(仮) 

タイトルは仮。そのときに思ったことを飲みながら書いたブログです。

ワイパーを新しいものに交換して、気持ちも新たに…って、ならないよ。なるわけないじゃん。

2009年02月03日 22時35分16秒 | 個人日誌
 今日はですねー、特になにをしたってわけでもなく忙しくもなく、とても休みっぽい休みでした。
 なんつーか、全ての行動が「あまり意味のないもの」というか。どれもこれも今日やらなければいけない、なんてことはないものばかり。まぁ、読めばわかります。

 午前中は歯医者に行きました。たびたび書いているけど、三ヶ月に一度くらいの割合で歯石を取ってもらって、タバコのヤニなんかを落としてもらう。
 けっこうお金もかかるんだけど、おかげで虫歯はないな~ここ何年も。
 腰も大事なんだけど、歯も大事。何十年かして腰が曲がるどころか歩けなくなっても、食べる喜びは失いたくないな~。

 だいたいいつも歯石とったりゴリゴリするのも、けっこう痛い。
 「そんなに歯茎をグイグイしてんじゃあねーっすよ!」と思うのですが、口の中にわけのわからない器具を突っ込まれている最中に、くどくどと抗議の言葉を口にするのは大変難しい作業だ。

 ところが、今日担当した歯科衛生士さんはめちゃんこ上手でした。
 まったく痛みを感じさせない。ドクターボンベも真っ青な腕前で、ロングホーンをノコギリでゴリゴリされても痛くないっつーか。
 冬なのに黒く日焼けしていて健康美人そうだし、僕のロングホーントレインの相方に是非指名したくなっちゃうね。

 歯医者を出て、まず一服。このあとは車をディーラーに持っていくんです。もうお昼だし、車を預けたら回転寿司にでも行こう。
 このまえ使えなくて、悔しい思いをした200円割引の券を「レジに叩きつけてやるッ!」と誓いながら、のんびりとタバコを吹かしていました。

 歯医者の駐車場はけっこう広いんだけど、この歯医者に何かを納品しにきた薬品関係の会社の営業車なのかな~、隣に停まっている軽自動車は。
 広い駐車場に、僕は車を停めるときにはなるべく空いている所を探して停めます。けっこうやられんですよ、ドアパンチ。

 こんな話をしているってことは、つまりは今日もやられたんだよねー。

 その営業車のさー、運転席側がガッ!開いて、キングクリムゾンで見たきたかのように、僕の車の助手席側のドアにドン!ですよ。
 これはよ~、めっちゃ許せんよなァ~。

 普段の僕はとてもおとなしいので、そんなに怒ることも誰かを怒鳴りつけることもありません。

 だから、今日も怒ることもなく。
 びっくりした顔をして頭を下げていた営業マンらしき若い男に「いいよいいよ」と手を振る。

 最近思うんだけどさ~。車なんか消耗品じゃん。
 長く乗っていればガタもくるし、故障もするし、どんなに大事にしていたっていつかはまた新しい車に乗る日がやってくるんだよね~。
 このあと車をディラーに持っていくのも、先日葉書が来て。
 不具合が見つかったのでリコールの対象になっているので、お近くの正規ディラーまで点検にお越しくださいってことで。
 「点火プラグの不具合」がどうこう書いてあったけど、車の構造にはとても疎いので、内容はよくわからない。それでも一応は車を持っていく。

 ついでにワイパーの交換もお願いして。ワイパーがさ、バインバインいうようになってきちんと窓を拭き拭きしてくれなくなった。
 リコールの検査には30分ほどかかるらしい、ワイパーの交換にも少々時間が必要だろう。

 当初の予定通り、車を預けている間に回転寿司を食べに行きました。
 以前はまぐろや鮭やあじ、いわしといった味のしっかりしたネタが好きだったのですが、去年くらいから海老やイカなんかの、甘みがあって歯ごたえのいいネタが好きになりました。

 寿司をいただいたあとは近くのブックオフで立ち読み。「レベルE」という漫画を。昔読んだこともあるけど、あんまし憶えていなかったので読んでみたら大層面白くて、一時間。

 車を引き取りに行って、洗車をしに行く。
 洗車も、歯医者と同じくらいの間隔で何ヶ月かに一回する。ピカピカにしたところでどうせすぐに汚れてしまうのだけど。
 いつもだいたいというか、ほとんどの休日を一人で過ごすことが多い。そんなときでも誰かを車に乗せる予定があるときには、あまり薄汚れた車のままでいたくないので、洗車します。
 今日の洗車は、近々誰かを乗せる予定なんかからっきしないんだけどね。

 泡たっぷりのスポンジを車に押しつけながらゴシゴシしていると、隣のブース(ブースって呼んでいいものか)で女性二人が一台の車を洗っている。
 ワゴンRみたいのに乗った、若い女のコ。きっとまだ十代、いいとこ二十歳そこそこだろう。
 不思議なんだけどさー。グレーのスゥエットみたいのを着ているこのくらいの年齢の女のコって、なぜか二人組が多くない?
 で、片方は「まともな格好していればけっこうかわいいかも」なのに、もう片方はびっくりするくらいのブサイクってパターンが基本で。
 この二人、あと五年して、お互い友達同士なのかな?学校が一緒で仲良しになったクチ?結婚式あげるときなんかにはお互い招待するほどの付き合いを今後何年も続けていられるほどの友情ってあんのか?少なくとも自分のほうが他方よりかわいいってお互いに思ったりしてんのかな?
 そんな、とてもどうでもよくて、バカっぽいことを考えていた33歳独身、彼女いない。休みの日にやることったら歯医者に行って、一人で回転寿司を食べて、洗車をするだけ。

 寂しいかと問われれば、実はそれほど寂しくない。心が弱いのはしぶしぶながらも認めるけど。
 面倒な仕事や面倒な事態が降りかかったときに「このめんどくささを、誰かと酒でも飲みながら、笑い話で吹っ飛ばしてしまいたい」とは考える。
 そんなふうに飲むことができる誰かであれば、僕は相手が男性でも女性でも一向にかまわないのだけど、一緒に寝るときは女性で温くてふんわりしたほうが、そりゃあいいよな断然。

 洗車のあとには「ここち湯」に行ってきました。泡風呂で足の裏とか腰とかブクブクされながら、裸の男たちを見ながら「ホモってやつは、こういう男がみんな裸の場所に来たらウハウハなのかな~。男の裸なんか汚いだけで何も楽しくないのに。やっぱり女性のお尻がプリンとしたカンジがいいよな~」なんてことを考えました。

 時間をかけてサウナで汗を流し(20分!)、壺湯なるものでかるく寝るほど浮かび、泡風呂でなまった心と体を打たれつつ、露天のかけ流しで半身浴をしていると、あがったときに立ちくらみがひどかった。

 11歳、いや12歳くらいの頃かな。
 父さんの職場の同僚家族と、僕の家族で、どこか温泉に一泊しに行きました。
 父さんと母さんと妹二人。向こうの家族は僕の一コしたの長女とその妹と弟。

 この向こうの家族の長女とは、歳の近いせいもあって、僕がそれこそ二、三歳の頃から遊んでいたらしい。アルバムには写真があって。もちろん記憶はないけど。
 「僕、大きくなったらこのコと結婚するの!」と言ってニコニコしていたそうです。

 小学校高学年当時の僕は車に乗るとすぐに酔ってしまうような男の子で。(大人になった今でも酒にはすぐ酔うけどさ)
 道中、コンビニ袋を口にあてて胃の中のものを全部出してしまうほどに吐いていました。
 温泉宿に到着する頃には、立っていることもできなくて。なんとか這いながらベッドに辿り着き、みんながおいしい夕食をとるために部屋を空けても、一人でベッドに伏せてるような状態。
 それでもせっかくだから温泉には入ろうってことで、父さんと一緒に温泉に入って、どこの温泉だったかわすれたけど、ものすごい硫黄のニオイがしていたのは憶えている。

 湯からあがって、ロッカールームに辿り着いたところから記憶がない。
 気がつくとベンチに裸で寝かされていて、顔の上には冷え冷えのタオルが乗せられていて、そのくせ顔は燃えるように熱い。

 あとで聞いた話では、着替えを置いていたロッカーに辿り着いた僕は、からだを拭くこともなくそのまま倒れ、ロッカーに角におでこを打ち、気絶していたとのこと。

 人生の中で、気を失う経験をしたことは、憶えているだけでも三回あります。一度目はこのとき。
 二度目は、大学一年生の学祭で酔っ払って走り回っているときに、中央棟の玄関のガラスに体ごと突き抜けてしまったとき。このときは、からだが倒れていることは知覚できるし、周りの声も聞こえているのだけどからだが動かないカンジの気絶。
 三回目は、ミノルハイツで浴びせ蹴りをしようとして、柱に顔面を打ちつけてしまい、水をかけられるまでの数秒間(たぶん数秒)意識なかった。

 温泉のときは、おでこの、性格には右の眉毛の斜め上あたりを強打してしまい。チュミミ~ンどころか、エイリアンが生まれるときくらいに腫れ上がりました。紫色に膨れ上がって。
 あれから20年以上たった今でも、その箇所はぼっこりしています。触るとすごくよくわかるんだけど、未だに誰にも触らせたことはない。

 ここち湯で、顔剃りをしてもらい時計をみると20時半。今日は特になにもしていないのにもうこんな時間か。
 お腹が空いてきたので、スーパー銭湯にありがちな、ご飯からラーメン、カレー、お蕎麦なんかを食べさせてくれるセルフ食堂形式な座敷で、生姜焼き定食を食べる。
 あたりを見回すとさー。誰もが誰かを一緒に来て、楽しい会話をしながら一緒に食事したり、風呂上りの火照ったからだでジョッキで乾杯したりしている。若い女のコも二人三人とかで、風呂上りの乾ききっていない髪のままジュースを飲んでいたり。

 僕は一人でいることには何の不満もないのだけど、ちょいと自分を外から見てみたときに
 …生姜焼き定食を一人で食べて、洗車に二時間も時間をかけて、もし誰かがいれば洗車なんてものにそんなに時間をかけていられない。そんな時間があれば一緒の誰かと遊びに行くだろう。回転寿司で、一人で次に何を食べようか考えて…
 そんな生活は、間違っていないけど長く過ごせば過ごすほど、こう凝り固まっていくというか、知らず知らずのうちに、自分を自分の中に閉じ込めることに慣れてしまっていくんじゃあないかなと思う。

 一人でいることに不満がなくて、そのくせたまに寂しくなることもあって、飲んで紛らわして。(飲んでいるのは毎日のことだけど)
 誰かの気持ちを考えるほど、自分の気持ちもよくわからなくて。わかるまで考えることも苦しいし、結局は自分、全部自分じゃんってことで諦めて、「たまに会ってわかりあえればそれがいいんじゃあない」ってことで気持ちを満足させて、持続的になにかをすることもなく。
 (「わかりあえている」という気持ちは錯覚なのか?本物なのか?それを深く追求することにどれほどの意味があるってんだ)

 黙ってても生きていけるんだけど、これってホントの意味で生きているっていえるのかな?
 誰かの心をギュっとさせて、自分もギュとしたくなるような、そんなふうに誰かと過ごせるのなら。誰かが僕といて幸せだと少しでも感じてくれるのなら、僕はそのひとのために、今よりちょっぴりツライことがあってもなんとか耐えていけそうな気はする。
 きっと気持ちは同じで。
 お互い、なんとかやっていけそうな気がする。