ピー先生の最近の活動や経歴について、音楽やインタビューを交えて紹介されているNHK WORLD RADIO
「瞳みのる A Third Stage in Life Spent with Friends」
が、NHK Worldのポッドキャストで日本語以外の17カ国語で配信中です。
ピー先生のサイトにリンクが張られています。こちらからもどうぞ。
放送は言語によって多少内容が違い、時間も10数分から20分前後とこれも多少違うそうです。
私が聴いたのは英語の放送ですが、これが実に上手くまとまっていて、改めて
ザ・タイガース再結成の奇跡への軌跡
を思い返し、感動してしまいました
ちなみに、私の英語力は全くのヘッポコで、話しの流れを知っているから聞き取れた程度なので以下は間違っているところがあっても笑わないでくださいね
間違いはご指摘いただけると嬉しいのでよろしくです
まず最初にピー先生の生い立ちから、1960年代にザ・タイガースとして活躍し、25歳で引退、40年ぶりにステージに戻ってきたことが紹介されます。
《そりゃ~最高ですよ。》ピー先生のファンの声。
みんな彼の事を忘れていなかった。
ピー先生のインタビューを交え、2歳の時お母さまが亡くなられその後お父様の事業の関係で生活が大変だったお話し。
good friendIttoku Kishibe との出会い。
most popular in Japan になろうと、バンドを結成。
ダンスホールでバンドボーイをしていたジュリーをスカウト。
1967年、大手プロダクションからデビュー。
《当時のライブ音源からの物凄い嬌声》
車で移動すれば警察が交通整理をし、新幹線で移動すれば時間通りに発車できない程ファンが押し寄せるビートルズ級の人気者へ。
《会社は沢田研二を売っていきたいいうことがあったので…》ピー先生のインタビュー。
1971年解散。ピー先生は京都へ帰り、過去と決別し、ただひたすら前を向いて進む道を選んだ。
高校の中国語の教師となり、新しい世界で活躍するピー先生。
《ピーさんがこの世界から足を洗って学校の先生になる。そういうのは、どこかで凄い奴だなと思った。》ジュリーが「ジュリー三昧」の中でピー先生について語っているパートが流れます。
《ジュリーの“Long Good-by”が流れ、3番の歌詞が一部英訳されます。
You are always on our minds.
Let's us have a drink together.》
《あぁ、そういう事だったのか。そこまで思っていたのかなと…》ピー先生のインタビュー。
そして、第三の人生を歩むことを決めたピー先生。
《40年ぶりに帰ってきましたピーが歌います》ジュリーの沢田研二LIVE2011~2012での声が流れます。
ピー先生の最近の活動が紹介されます。
《素晴らしいと思います。何でも真剣にやる方だから。》舞台を観終わった後のピー先生のファンの声。
《まだまだですね。あと10回くらいやらないと。お客さんやさしいので》舞台を終えたピー先生のインタビュー。
コンサートを中国でやりたいという夢が語られます。
そして、最後に再び“Long Good-by”が流れます
もちろん、これが全てではないのですが、ジュリーとの関係に焦点を絞った構成が分かり易かったし、ジュリーファンとしては「三昧」や「LIVE」からきちんとジュリーの生声を拾って来た丁寧な仕事に非常に好感を持ちました。
NHKさん、グッジョブです
これをこのまま、タイガースの頃は勿論、ジュリーのタイガース解散後の超ド級スーパースターとして日本のエンターテイメント界を牽引しているお宝映像をふんだんに交えて(ここ強調)、6人が語り会う番組をTVで作って頂けないでしょうか
「瞳みのる A Third Stage in Life Spent with Friends」
が、NHK Worldのポッドキャストで日本語以外の17カ国語で配信中です。
ピー先生のサイトにリンクが張られています。こちらからもどうぞ。
放送は言語によって多少内容が違い、時間も10数分から20分前後とこれも多少違うそうです。
私が聴いたのは英語の放送ですが、これが実に上手くまとまっていて、改めて
ザ・タイガース再結成の奇跡への軌跡
を思い返し、感動してしまいました
ちなみに、私の英語力は全くのヘッポコで、話しの流れを知っているから聞き取れた程度なので以下は間違っているところがあっても笑わないでくださいね
間違いはご指摘いただけると嬉しいのでよろしくです
まず最初にピー先生の生い立ちから、1960年代にザ・タイガースとして活躍し、25歳で引退、40年ぶりにステージに戻ってきたことが紹介されます。
《そりゃ~最高ですよ。》ピー先生のファンの声。
みんな彼の事を忘れていなかった。
ピー先生のインタビューを交え、2歳の時お母さまが亡くなられその後お父様の事業の関係で生活が大変だったお話し。
good friendIttoku Kishibe との出会い。
most popular in Japan になろうと、バンドを結成。
ダンスホールでバンドボーイをしていたジュリーをスカウト。
1967年、大手プロダクションからデビュー。
《当時のライブ音源からの物凄い嬌声》
車で移動すれば警察が交通整理をし、新幹線で移動すれば時間通りに発車できない程ファンが押し寄せるビートルズ級の人気者へ。
《会社は沢田研二を売っていきたいいうことがあったので…》ピー先生のインタビュー。
1971年解散。ピー先生は京都へ帰り、過去と決別し、ただひたすら前を向いて進む道を選んだ。
高校の中国語の教師となり、新しい世界で活躍するピー先生。
《ピーさんがこの世界から足を洗って学校の先生になる。そういうのは、どこかで凄い奴だなと思った。》ジュリーが「ジュリー三昧」の中でピー先生について語っているパートが流れます。
《ジュリーの“Long Good-by”が流れ、3番の歌詞が一部英訳されます。
You are always on our minds.
Let's us have a drink together.》
《あぁ、そういう事だったのか。そこまで思っていたのかなと…》ピー先生のインタビュー。
そして、第三の人生を歩むことを決めたピー先生。
《40年ぶりに帰ってきましたピーが歌います》ジュリーの沢田研二LIVE2011~2012での声が流れます。
ピー先生の最近の活動が紹介されます。
《素晴らしいと思います。何でも真剣にやる方だから。》舞台を観終わった後のピー先生のファンの声。
《まだまだですね。あと10回くらいやらないと。お客さんやさしいので》舞台を終えたピー先生のインタビュー。
コンサートを中国でやりたいという夢が語られます。
そして、最後に再び“Long Good-by”が流れます
もちろん、これが全てではないのですが、ジュリーとの関係に焦点を絞った構成が分かり易かったし、ジュリーファンとしては「三昧」や「LIVE」からきちんとジュリーの生声を拾って来た丁寧な仕事に非常に好感を持ちました。
NHKさん、グッジョブです
これをこのまま、タイガースの頃は勿論、ジュリーのタイガース解散後の超ド級スーパースターとして日本のエンターテイメント界を牽引しているお宝映像をふんだんに交えて(ここ強調)、6人が語り会う番組をTVで作って頂けないでしょうか