ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

阪和貨物廃線跡を追う4

2021-11-16 21:08:44 | ウォーキング

阪和貨物の線路跡をたどっているうちに、
昔働いていた時のことが
いろいろと思い出されてきます。



ここで行われた大会では
確か初めて38分台で
10kmを走った大会でしたね。
何回も走った大会です。

ここで多くの市民の方とも
知り合いましたねえ。

そして防災訓練も思い出深いです。
広報の頃はいつも、知事の横を歩いて
担当者に写真を撮ってもらったなあ。
消防の放水では、虹の写真が撮りたくて、
近づきすぎてぼとぼとに
なったのも思い出します。

退職前なんかは参加者の一人で、
主催者席に座っていたこともあったけなあ。
そんな過去のことを思い出したり、



こんな植物や



お取込み中のバッタを眺めたりしながら、
そうそう今は線路跡の痕跡を
たどって行くんだと気持ちを切り替え、



前方に見える阪神高速松原線
の方へと進んでいきます。



時折堤防から下の町にあおりていく道や
階段を降りて行ったりしたのですが、
どこが線路跡なのかこの辺は
よくわかりませんでした。



この辺で道には大和川の右岸で



河口から10kmの地点である
という記載があったり、



石が建っていたりします。



その先で阪神高速の下を
抜けてゆくのですが、
スーパー堤防はやっとこの辺で
埋め立て作業が終わっています。



なので少し道を横にそれて下を見下ろすと、
赤い矢印の先のところにみえているのが、
線路跡であろうという感じになってきました。



道はさらに堤防を進んでいくのですが、
旧309号線をこえたところから、
道は街中へと入っていきます。



資料によると、阪和貨物も
このあたりから北向きに変わって行き、
瓜破霊園の横へと入っていくはずです。

街中へ降りていきながら、
線路跡を超えたりします。



そして瓜破下池公園や



区民わた畑を超えたあたりで、



右から線路跡がやってきて、
こんな感じで道路端に
線路跡を並列して残っていく感じです。



あ、瓜破という地名は
道昭が当地で得た天神尊像に瓜を割って供えた説や、
当地の住民が空海にウリを進上した説があります。



そして貨物跡の線路は今も管理は
わりとていねいに行われていて、
もしいま線路を復活させるで
となってもこの辺りはスムーズに進んでいく、
みたいな感じになっています。

まあ巨大な墓の横なんで、
うっそうとさせておくわけには
いかないんでしょうが・・・。

それにしても、廃線になって年月も経つのに、
意外に線路跡はくっきり
明確に残っているんですね。

旅番組とか見ていたら、全国的に
廃線跡が自転車道になっていたり、
遊歩道になっていたりしますが、
ここはまだ鉄道関係の



こんな注意看板が残っていたり、



多分不法投棄禁止や



野生動物にエサを与えないなど、
昔の雰囲気を残しながらも
管理に力を入れているようです。
線路跡はそんな感じで残ったまま、
地下鉄谷町線の出戸駅まで続いていました。



平野のあたりも職場の友達も
たくさんいたのに、阪和貨物の後が
こんな感じで残っていたとは
思いもよりませんでした。



杉本町で見つけた線路跡を
追って歩いた甲斐がありましたね。

とまあそういうことで、
今回の阪和貨物跡の探索は
一旦ここまでとします。
多分、この先も何らかの形で
続いているように思いますので、
次回は出戸駅まで電車で来て、
そこから北向いて歩き
関西本線までをたどれればなあ
と思っています。


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