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ハブ ア ナイス doi!その2

たまあに振り返ったことや、ちょっと考えたことを綴ってゆきます。

岡山周遊のんき旅6

2024-11-09 21:06:23 | プチ旅行

話は岡山に戻ります。

岡山城は宇喜多秀家が築城した城です。

天守はその後岡山大空襲で焼失しましたが、
その後立て替えられ、
壁が黒いので「烏城(うじょう)」と
言われています。

今はその城跡は烏城公園として
整備されているようです。

では旭川の堤防歩きから、
烏城公園の方へと入ってゆきましょう。



今入ろうとしているのは
何となく裏口っぽいです。
古い建物が入っている建物類を見ながら、
中へ進んでいくと何やら
発掘してそうな広場の横に出ます。
その端っこに、広場へ下りてゆく
階段があるので入ってゆきました。

広場の横には、小さな建屋があります。
メインの方からは中は
見えない形なんで、
アベックが一組くっついて
話をしていました。

ああ、邪魔なおっさんやなあ
と思われながらも、
城の断面図や



昔の岡山城なんかの
写真を取りながら、そこはパパっと
出てゆくことに。



なんでアベックに吾輩の行動が
制御されなあかんねん、
ほんまにもう。
じっと立って見とくぞって感じですねえ。
でもまあ仕方ないなあ
あきらめて、移動してゆきましょう。

それにしてもこの辺りからは、
お城の外側の石垣がよく見えますね。



この辺りの石組は自然石の乱組ですねえ。
しかも高さが結構高いので
迫力があります。

さあでは天守の方に回ってゆきましょう。

石垣の下に階段等があります。



足の悪い人には車いす用の道も
整備されていますね。



上がってゆくと、昔の城周りの
施設跡がいくつかあります。

これは鉄門跡(くるがねもんあと)で



これはかつての大納戸櫓です。



ん?地下に降りていく階段がありますよ。



築城時の石垣が残っているそうです。



降りていくと確かに石垣跡もありますし、



土のなかに金箔瓦の金が出てきているようです。



大空襲の時はゴールドラッシュ
だったのかもしれません。



そしてその横には岡山市内を
見渡せるようになっています。
この辺りは過去にいろんな施設も
作られていたのですね。



城があった時には表書院があって
藩政が執り行われていたり、
中学校なんかもあったそうです。





城内の広い鳥がいろんな形で
使われていた様です。
福井なんか県庁や警察署なんかも
城跡内にあるもんね。

さて、その先で今の天守がみえてきましたよ。



三層六階の天守を持っています。
壁も烏城と言われるだけあって
漆黒ですねえ。



入城券を買いましょう。

観光案内所でいただいた地図には、
割引チケットがついています。
なのでこのチケットで後楽園にも
入れる券を買おうと思ったのですが、

「何歳ですかあ」と聞くので、
年齢を明かすと
「ああ、65歳以上なら向うで
切符を買った方が年齢割引もあるし、
そのうえで割引ですからお得ですよ」
と案内されました。

いいですねえ。
歳をとるとお得な割引が使えますねえ。

はは~とよろこんでdoironは
入城してゆくのです。

最初に、藩主の歴史が書かれ、



そのあとお城の優秀な装備や
構造の説明なんかも書かれています。



勉強になりますねえ。
城はとても複雑な構造を
持っているようです。
ここではそれらをこさえた
すごい技術なんかも紹介されていました。

さあでは城を上に上がってゆきましょう。

続く

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岡山周遊のんき旅5

2024-11-07 21:00:01 | プチ旅行

堤防の石はまだほかにもありますよ。

こういう京橋渡染の絵が残っています。



先ほど歩いてこの橋を渡ったときに、
中洲の島を渡ったと書きましたが、
この絵を見ても昔から京橋は
中州を経て橋が二本かかっていた
ことがわかりますね。



また岡山には夏目漱石も逗留していた様で、
そんな説明の石も置かれています。

それから、これが東門の後で、



これが素軒屋敷櫓跡の案内。



ああ、立っている石の中身も
近づいてきた岡山城に関するものが
増えてきました。

そもそも旭川と先ほどから書いていますが、
これは北海道のように「あさひかわ」
と読むのではなく「あさひがわ」とよみます。

京橋なんかのように
最近できた川の名前かというと
そうではなくて、あさひがわという名前は
古今和歌集の歌からとられた名前で
昔からそう呼ばれているようです。

その川はここからぐりっと回っています。



そうですその岡山城の堀として
使われているようですね。

岡山県立商業学校跡から、



水位観測所を抜けたら



広い車が走る道路に出ます。

この辺りから堀の様相を示し始めます。

ここに岡山城の案内が立っていました。



この城は「宇喜田秀家」が
1597年に築城しました。
黒く塗られた壁から「烏城」と
呼ばれていました。

長く岡山藩の城府となり
明治時代に廃城されたものです。

しかし昭和20年の岡山大空襲で焼失し、
その後公園として整備されているそうです。

そして今も復元修理や
石垣の展示なんかもされているそうで、
オカデンの終点から旭川に出て
堤防をあれこれ見ながら
旅してきましたが、
さらにここから岡山城内へと
旅は続いていくのです。

きりがいいので今日はここまで。

続く

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岡山周遊のんき旅4

2024-11-06 20:59:08 | プチ旅行

市役所跡地の石の裏には
迷い人の字がきざまれ、
両脇には「たずぬるひと」と
「しりぬるひと」と書かれています。



これはもう間違いなく
迷子のたずね石ですね。



迷子を探している人は
たずぬるひとの上にある
ボックスに書いて入れておきます。

「髪の毛の少ないおっさんで、
腹がひとつに割れている人探してます」

そして迷子を預かっている人は
その人の特徴を書いて入れておきます。

「ビールに目がなくて、
イカに興味をしめすおっさんがいます」
と書いて入れておきます。

昔の迷子札ですね。

ちょっと変わった取り組みなんで
覚えています。
神戸の湊八幡神社にも
よく似た石がありましたねえ。

あの時はこれは何?
って感じでしたが、
同じものがあるって驚きでした。

ネットもテレビもない昔には
有効な手段だったかもしれません。

今や放浪する高齢者も多いと聞きますから、
なんかそんな解決にも
役立ちそうな気がします。

もしかしたら、仕事探し石なんががあって、
高収入ホワイト案件なんて
書かれた石「ブラック石」なんかが
どこかにあるかもしれませんね。

そしてこれは京橋水管橋の説明ですね。



もともとこの辺りは、
人の往来の多いところで、
京都や大阪の品物なんかも
たくさん売られており、
そのおかげで京橋と名前が着いた橋です。



その横に水道橋が作られています。

近くに詩の書かれた石もあります。
「水滴のひとつひとつが笑っている顔だ」



書いたのは「住宅顕信」という人です。
帰ってから調べたら岡山生まれの俳人で、
若い時に急性骨髄性白血病になり、
離婚して病室で子供を育てたという俳人。
25歳で亡くなったそうです。
200篇余りの作品があるそうです。
何気ない石碑でも調べたら
すごい事実が隠れていたり
するんですね。

向うに火の見櫓のような物が立ち
「京橋朝市」と書かれていますよ。



行ってみるとそこは月に一回
朝市をしているところらしいのですが、
こんな石もたっていました。



「電信発祥の地」と書かれています。

明治六年に岡山電信局が
できたところだそうです。

火の見やぐらと思っていたのは、
電波塔だったのかもしれません。
そしてその横には何やら、
壊れた橋脚のような物がありますよ。
これはここの京橋は水害で
何度か流れた後、
橋の付け替え工事をするときに、
川底から見つかった旧の京橋の
橋脚なんだそうです。



水の力って恐ろしいですねえ。



支えの橋脚は八角形をしていたそうで、
石などの流れから守るための
ものだったそうです。



生活の重要な役割を果たした橋ですから、
壊れた橋脚までこうして
並べられているんですねえ。

岡電に乗り、市内を歩き続けて
渡った京橋。

その堤防には様々なものが並んでいます。

これは、世界で初めて空をとんだ
人間の碑です。



天明5年(1785年)に
表具師幸吉という人間が、
鳩の体形を研究して羽根を作り、
京橋から旭川に飛び降りたんだそうです。
これが見事に空を滑空し、
河川敷に降りたそうで、
これは何とライト兄弟が空を飛ぶより
110年以上も前の事だったそうです。

空を飛ぶ先駆者が岡山にいたことを
あらわす記念碑です。

色々とありますねえ。

続く

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岡山周遊のんき旅3

2024-11-05 21:08:44 | プチ旅行

岡山駅からオカデンの路面電車に乗り、
旅が始まりました。

路面電車の中から、
街の様子をじっと見とこう
という計画だったのですが、
隣に座ったおばあちゃんの話が
次々つづいて、景色どころではありません。

話は散々続いているかと思ったら、
もうすぐ終点やからな、
私はこれでと、降りていきはります。

行きがかりじょうというか、
もう乗客は我々2人だけやったので、
またまた乗車口からシルバーカーを
おろしてあげましたよ。

ほっと一息、それにしてももうなんか
いきなり変な旅の始まりだったのでした。

路面電車はそこから二駅で終点に到着です。
ありがとうございましたといわれながら、
バスを降りたらもうなんか田舎の町です。

東山駅です。

では早速、チャギントンミュージアムに
向かうことにしましょう。



右手に、電車区があるような感じです。
眺めながら近づいていくと、
ああここです。



入り口はどこかなあと探すと、
ガビーン、今日はやすみでした。



ウエーン、トーマスに言ってやる。



定休日が火曜日なんだって。
大体さあこういうところのやすみは
月曜日が多いよねえ。
それに電車と一緒で休みなしとかねえ。
まさかねえ、休みだなんて
思ってもいなかったですね。

どうもなんかのんきだけれど
チグハグな旅が続いています。
でもしかたないですね。
ぶつぶつ言ってても仕方ありません。
きっかけになった貴志川電鉄の
オカデン訪ねはこれで終わりです。
気持ちを切り替えて、
では歩き始めましょう。

まずは路面の線路沿いに歩いて行きます。
天気はいいですね。
めちゃくちゃ暑いわけでもなく、
散歩も快適です。

右手に大きなお寺がみえてきましたよ。



「臨済宗三友寺」と書かれています。

古い門なのに中身の本堂とかは
新しいなあと思っていたら、調べたら
諸堂は岡山大空襲で燃えたのに、
山門だけが残ったんだそうです。
その山門の横に石が建てられており
「ピンポン伝来の地岡山」と
書かれています。



この寺に寄宿していた外国人が、
卓球を伝えたんだそうです。
ちょっと意外でしたね。



その寺の近くには、
こんな交通安全の旗がありました。
そんなの見ながら歩いてゆきます。

そうそう電車に乗っているときに
ずっと地域の人と話をしていたので
はっきりとは覚えていないのですが、
路面電車は途中大きな橋を越えましたね。

前方にそんな橋がみえてきました。
歩道で渡っていくと、
あれ?また向こうにも橋が見えていますよ。
地図で確認すると、
中洲のようになっているところに、
家が何軒か経っていますね。
中島町という町になっていました。



川は「旭川」と言います。



渡っている橋は「京橋」です。



うんなんか歴史のにおいがしますねえ。
案の定橋を渡ったところには
石碑なんかがいろいろありました。



これはまず道路元標です。
明治に建てられたもので、
かなり古いものです。



その後旧道路法に基づいて作られた
道路元標も近くの交番の横に
建てられていましたよ。



これまで各地の道路元標を
撮影してきましたねえ。
一度集計してみないといけないなあ
って感じになっています。

そして、ここには旧の市役所跡地を
示す石碑もたっていますが、
ちょっと変わった文字が
ほられていますねえ。



これはもしかして迷子札?

続く

 

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岡山周遊のんき旅2

2024-11-04 20:59:52 | プチ旅行

岡山駅にある観光案内所に
地図をもらいに行きました。

「すみません。市内を歩きに来たのですが
地図はありますか」

「はい。どこに行きますか?」
と聞かれたので、実はねえと
貴志川電鉄の話からしようかと
思ったのですが、まあ変なおっさんに
なってしまいますね。
市内にへんなのんきなおっさん注意報が
出てもいけませんので、
冷静に「オカデンの終点まで行ってそこから、
お城と後楽園をあるこうかと考えています」
電車の終点駅や美術館、
博物館に行こうと思っていますので、
的確に目的は伝わったでしょう。

「そしたらこの二種類の地図を渡しときますね。
こちらにはいろんな割引券も
ついているので活用してください」と
機嫌よく渡してくれました。

では早速活動し始めましょう。

駅前のオカデン乗り場に向かってゆきます。

で、これまでのニュースや
旅番組で見た記憶があるのですが、
駅前にはきっと桃太郎像が
あるだろうと思っていたのです。



ここかなあといろいろと
捜してみたのですが、
見つけられなかったですね。

大きな工事をやっているので
その中なんでしょうか、
あるいは移設でもされているのでしょうか。
仕方ないですね。
ネットの写真を紹介しておきましょう。



目的である岡電の乗り場は、
駅に向かう道路の中央分離帯にあります。
阪堺線の天王寺駅みたいな感じです。

そこへいくと、ちょうど電車が
止まっていましたよ。



いいタイミングです。
入り口でイコカをどこにかざすのか、
ちょうどそこにいた駅員に
確認して乗車してゆきます。

お客さんは10人くらい乗っていました。
外の景色がよく見えそうな
後ろの席に陣取ります。
このまま終点まで20分くらいでしょうか。
さあ、動くかなあと待っていると、
扉からシルバーカーを持った人が
乗ろうとしています。

ウヒャー、危なそうです。
乗車を手伝ってあげました。
よっこらしょとシルバーカーををあげると、
ありがとうと言いながら、
さっきまでこちらがいいなあと
思って座ってたところに
向かってゆきました。

ムムム、まあいいか。
いろんなごちゃごちゃは少なく、
安全第一ですな。

近くがあいているので、
doironもそこに座ると、
おばあさんがよっこらしょと
近寄ってきました。

「兄さんはどこからきはったん?」
と聞いてきはります。
なぜ旅人とわかったのでしょうか。
遠くへ行きたい顔になっていたのでしょうか。
それとも東海道中膝栗毛、
じゃないなあ、岡山ですから
山陽道中膝栗毛な顔に
なっていたのでしょうか。

答えは簡単です。

手に地図を持っていたからですね。

「大阪からきましてん」と答えると
「ほんでどこ行くの?」って聞くので

「この電車で終点まで行って
歩いて岡山駅まで帰るねん」

「へえ、ほんでどっかに一泊して帰るのん?」

「いやいや今日帰りますよ」

「そうなんや。泊まって帰るんなら
うちに泊まって帰ったらええのに」
とまあ、ナンパされてしまいました。

もしかしたら旅館の大おかみかあるいは、
泊まったら隣で包丁とぐ
おばあさんやったかもしれませんね。

「残念ながら、今日帰るんですみません」
と断りつつ電車は動き始めました。

続く

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