音楽人生万歳 ただ今、ブログ奮闘中 !

身の回りの生活環境の中で触れ合った出来事を中心に記録していきます。

田端義夫さんの死を悼む ・・・ 昭和が遠ざかる ・・・

2013年04月26日 06時24分04秒 | 日記
田端義夫さんの死を悼む。



昭和の時代に活躍された方がどんどん亡くなって、
良き時代であった昭和が遠くなっていく。

田端 義夫(たばた よしお、1919年1月1日 - 2013年4月25日)は、
日本の歌手。
本名は田畑 義夫(読み同じ)
第二次世界大戦前から21世紀初頭まで現役歌手として活躍した。
社団法人日本歌手協会名誉会長。
愛称はバタヤン。
水平に構えて持つ、
アメリカのナショナル・ギター社製エレキギターと
威勢のよい挨拶がトレードマークであった。



田端さんが歌った「かえり船」は、
戦後の引き揚げ人たちの心を随分慰めてくれたのです。



田端義夫さんは「バタヤン」の愛称で親しまれ、
戦前から「大利根月夜」などのヒット曲で活躍し、
演歌界の最長老と言える存在だった。

「90歳までは歌う」と公言していた通り、
2009年1月1日には歌手生活70周年の記念アルバムを発表、
現役であることをアピールした。
95年には日本歌手協会の5代目会長に就任し、
04年には名誉会長の座に就いた。



エレキギターを手に、
威勢のいいあいさつ「オース!」とともに
ステージに現れ、
「島の舟歌」「大利根月夜」「別れ船」など
次々とヒットを飛ばし、
戦中は中国や軍需工場などへ慰問活動も精力的に従事した。
戦後は歌手に復帰するとともに、
映画でも「底抜け青春天国」「アジャパー天国」など
数多くの喜劇作品を残している。
「NHK紅白歌合戦」には
1963年に「島育ち」で、
89年は「かえり船」で2度出場した。



テレビ出演の田端義夫さんは見る時、
いつも思っていました。
他の歌手とは違う味を感じていました。
それがまさに昭和の香りかもしれませんし、
田端義夫さんの独特の個性であったのかも知れません。


本当に昭和が遠くなっていきます。

心からご冥福をお祈り致します。



愛犬ダンディ君、君にも独特の香りがあるよ ・・・

それは心地良いと言うか なんと言うか ????? 解りません 










最新の画像もっと見る

コメントを投稿