全国保険医団体連合会(保団連)
特別寄稿 宇沢弘文東大名誉教授
日本の医療崩壊と後期高齢者医療制度
世界に誇るべき国民皆保険制度 完全な崩壊への決定的一歩
4月1日から後期高齢者医療制度がスタートする。同制度の問題点について、宇沢弘文東大名誉教授に寄稿いただいた。(中見出し編集部)。
給付の平等性とフリーアクセスの原則
1961年に発足した日本の国民皆保険制度の下、国民のすべては、何らかの公的医療保険によってカバーされる。公的医療保険は社会保険としての性格をもつ。すなわち、保険者は市町村または健康保険組合であって、各人はそれぞれの医療保険が特定する要件をみたすときには、保険に加入することが強制される。
国の定める療養規定の範囲に限って、診療報酬の支払いがなされ、保険料はもっぱら、市民の基本的権利の充足、社会的不平等の解決という視点から決められる。
とくに、社会保険としての公的医療保険については、各保険者の経営的赤字は、憲法第25条にしたがって、最終的には国が補填するのが基本的原則である。
国民皆保険制度の基幹的原則ともいうべき、給付の平等性とフリーアクセスの原則を貫こうとするとき、個別的な保険者について、保険収支のバランスを想定することは不可能である。
皆保険制度を守る医療関係者の努力
国民皆保険制度はもともと、すべての国民が斉しく、そのときどきに可能な最高の医療サービスを受けられることを社会的に保障するという高邁な理想を掲げて発足した。しかし、理想と現実との乖離は大きかった。
その乖離を埋めるために、医師、看護師を中心とする医療にかかわる職業的専門家の献身的な営為と、医療行政に携わる人々の真摯な努力がつづけられてきた。
病院の物理的条件も医療設備も必ずしも満足できるものではなかった。日本の医師、看護師などの医療専門家の、人口当たりの人数は極端に少なく、その経済的、社会的処遇も、諸外国に比較して極めて低く、また勤務条件も過酷であった。しかし、大多数の医師、看護師たちは、高い志を保って、患者の苦しみ、痛みを自らのものとして、献身的に診療、看護に当たってきた。
日本の国民医療費はGDP当たりでみるとき、OECD諸国のなかで最低に近い水準にある。しかし、日本の医療はどのような基準をとっても、最高に近いパフォーマンスを挙げてきた。
国民の多くはこのことを高く評価し、医師、看護師をはじめとして医にかかわる職業的専門家に対して、深い信頼と心からの感謝の念をもってきた。
高齢者を犠牲にした極端な医療費抑制
この理想に近い状況は、度重なる乱暴な医療費抑制政策によって維持しつづけることが極めて困難になってしまった。日本の医療はいま、全般的危機といっていい状況にある。かつては日本で最高水準の医療を提供していたすぐれた病院の多くが経営的に極めて困難な状況に陥っている。
とりわけ地方の中核病院の置かれている状況は深刻である。数多くの医師、看護師たちは志を守って、医の道を歩むことが極めて困難な状況に追いやられている。
この危機的な状況の下で、本年4月1日、医療費抑制をもっぱらの目的に掲げて、後期高齢者医療制度が発足する。この制度は、75歳以上の老人すべてを対象として、他の公的医療保険制度から切りはなして、新しく組織される広域連合を「保険者」として、地域的に分断して、運営しようとするものである。
保険料は、もっぱら広域連合の経営的観点に立って(おおむね2年を通じて財政の均衡を保つように)決められ、75歳以上の老人は、生活保護世帯に属するもの以外すべて、これまで扶養家族だった人も含めて個別的に保険料を支払わなければならない。
医療給付についても、信じられないような条件が課せられている。たとえば、闘争、泥酔、著しい不行跡、あるいは自殺未遂で負傷したり、病気になってしまった場合、療養の給付はカバーされない。
とくに深刻な影響を及ぼすことになるのが、被保険者資格証明書の制度が全面的に取り入れられることである。保険料の未納が1年を超えると、健康保険証を取り上げられ、代わりに被保険者資格証明書が発行される。
しかし、この資格証明書だと、かかった医療費をそのたび、全額、病院の窓口で支払わなければならない。未納保険料を全額支払わないかぎり健康保険証は返してもらえない。
「医療費の適正化」という市場原理主義的な名目を掲げて、主として「高額医療費」と「終末期の入院医療費」に焦点を当てて、75歳以上の老人を犠牲にして、極端な医療費抑制を実現しようというのが厚生労働省の意図である。
社会的共通資本としての医療を具現化するという高邁な理想を掲げて、1961年発足した、世界に誇るべき日本の国民皆保険制度は、その完全な崩壊への決定的な一歩を歩み始めようとしている。
日本の医療はなぜ深刻になったのか
日本の医療は、何故このような深刻な事態に立ちいたってしまったのだろうか。この深刻な事態を招来させた、そのもっとも根元的なものは、市場原理主義とよばれる似非経済学の思想である。 市場原理主義は簡単にいってしまうと、もうけることを人生最大の目的として、倫理的、社会的、人間的な営為を軽んずる生きざまを良しとする考え方である。
市場原理主義は先ず、アメリカに起こった。そして、チリ、アルゼンチンなどの南米諸国に始まって、世界の数多くの国々に輸出され、社会の非倫理化、社会的靱帯の解体、格差の拡大、そして人間的関係自体の崩壊をもたらしてきた。
この市場原理主義が、中曽根政権の下に始まって、小泉・安倍政権の6年あまりに日本に全面的に輸入され、日本の社会はいま、戦後最大の危機を迎えている。
日本では、市場原理主義が、経済の分野だけでなく、医療、教育という社会的共通資本の核心にまで、その影響を及ぼしつつあるからである。
中曽根「臨調行革」路線の下で、厚生官僚によって「医療亡国論」が声高に主張され、医療費抑制のために医師数をできるだけ少なくする政策が取られはじめた。医に経済を合わせるという社会的共通資本としての医療の原点を忘れて、経済に医を合わせるという市場原理主義的主張に基づいた政策への転換を象徴するものだった。現在の極端な医師不足、勤務医の苛酷な勤務条件を招来する決定的な要因がすでに形成されはじめていたのである。
市場原理主義は国民の願いに逆行する
1980年代、財政赤字と貿易赤字という双子の赤字に悩むアメリカ政府は、日米構造協議の席上、日本政府に対して執拗に内需拡大を求めつづけた。その結末が、日本が10年間で公共投資を430兆円行うという国辱的ともいうべき公約であった。
「増税なき財政再建」の旗印を掲げながら、アメリカからの、この理不尽な要求を可能にするために政府が考え出したのが、地方自治体にすべてを押しつけることであった。国からの補助金をふやさないで、すべて地方自治体の負担で、この巨額に上る公共投資を実現するために、詐欺と紛う、巧妙な手法が用いられた。
この流れは、小泉政権の「三位一体改革」によって、さらに拍車を掛けられた。その「地域切り捨て」政策と、度重なる暴な医療費抑制政策の及ぼした弊害はとくに深刻である。
市場原理主義の日本侵略が本格化し、社会のほとんどすべての分野で格差が拡大しつつある。この暗い、救いのない状況の下で行われた昨年7月29日の参議院選挙の結果は、国民の多くが望んでいるのは、市場原理主義的な「改革」ではなく、一人一人の心といのちを大切にして、すべての人々が人間らしい生活を営むことができるような、真の意味におけるゆたかな社会だということをはっきり示した。
しかし、今回発足する後期高齢者医療制度は、この国民の大多数の願いを裏切って、これまでの長い一生の大部分をひたすら働き、家族を養い、子どもを育て、さまざまな形での社会的、人間的貢献をしてきた「後期高齢者」たちの心といのちを犠牲にして、国民医療費の抑制を図ろうという市場原理主義的な「改革」を強行しようとするものである
全国保険医団体連合会(保団連) より
http://hodanren.doc-net.or.jp/iryoukankei/seisaku-kaisetu/080222uzawa.html
特別寄稿 宇沢弘文東大名誉教授
日本の医療崩壊と後期高齢者医療制度
世界に誇るべき国民皆保険制度 完全な崩壊への決定的一歩
4月1日から後期高齢者医療制度がスタートする。同制度の問題点について、宇沢弘文東大名誉教授に寄稿いただいた。(中見出し編集部)。
給付の平等性とフリーアクセスの原則
1961年に発足した日本の国民皆保険制度の下、国民のすべては、何らかの公的医療保険によってカバーされる。公的医療保険は社会保険としての性格をもつ。すなわち、保険者は市町村または健康保険組合であって、各人はそれぞれの医療保険が特定する要件をみたすときには、保険に加入することが強制される。
国の定める療養規定の範囲に限って、診療報酬の支払いがなされ、保険料はもっぱら、市民の基本的権利の充足、社会的不平等の解決という視点から決められる。
とくに、社会保険としての公的医療保険については、各保険者の経営的赤字は、憲法第25条にしたがって、最終的には国が補填するのが基本的原則である。
国民皆保険制度の基幹的原則ともいうべき、給付の平等性とフリーアクセスの原則を貫こうとするとき、個別的な保険者について、保険収支のバランスを想定することは不可能である。
皆保険制度を守る医療関係者の努力
国民皆保険制度はもともと、すべての国民が斉しく、そのときどきに可能な最高の医療サービスを受けられることを社会的に保障するという高邁な理想を掲げて発足した。しかし、理想と現実との乖離は大きかった。
その乖離を埋めるために、医師、看護師を中心とする医療にかかわる職業的専門家の献身的な営為と、医療行政に携わる人々の真摯な努力がつづけられてきた。
病院の物理的条件も医療設備も必ずしも満足できるものではなかった。日本の医師、看護師などの医療専門家の、人口当たりの人数は極端に少なく、その経済的、社会的処遇も、諸外国に比較して極めて低く、また勤務条件も過酷であった。しかし、大多数の医師、看護師たちは、高い志を保って、患者の苦しみ、痛みを自らのものとして、献身的に診療、看護に当たってきた。
日本の国民医療費はGDP当たりでみるとき、OECD諸国のなかで最低に近い水準にある。しかし、日本の医療はどのような基準をとっても、最高に近いパフォーマンスを挙げてきた。
国民の多くはこのことを高く評価し、医師、看護師をはじめとして医にかかわる職業的専門家に対して、深い信頼と心からの感謝の念をもってきた。
高齢者を犠牲にした極端な医療費抑制
この理想に近い状況は、度重なる乱暴な医療費抑制政策によって維持しつづけることが極めて困難になってしまった。日本の医療はいま、全般的危機といっていい状況にある。かつては日本で最高水準の医療を提供していたすぐれた病院の多くが経営的に極めて困難な状況に陥っている。
とりわけ地方の中核病院の置かれている状況は深刻である。数多くの医師、看護師たちは志を守って、医の道を歩むことが極めて困難な状況に追いやられている。
この危機的な状況の下で、本年4月1日、医療費抑制をもっぱらの目的に掲げて、後期高齢者医療制度が発足する。この制度は、75歳以上の老人すべてを対象として、他の公的医療保険制度から切りはなして、新しく組織される広域連合を「保険者」として、地域的に分断して、運営しようとするものである。
保険料は、もっぱら広域連合の経営的観点に立って(おおむね2年を通じて財政の均衡を保つように)決められ、75歳以上の老人は、生活保護世帯に属するもの以外すべて、これまで扶養家族だった人も含めて個別的に保険料を支払わなければならない。
医療給付についても、信じられないような条件が課せられている。たとえば、闘争、泥酔、著しい不行跡、あるいは自殺未遂で負傷したり、病気になってしまった場合、療養の給付はカバーされない。
とくに深刻な影響を及ぼすことになるのが、被保険者資格証明書の制度が全面的に取り入れられることである。保険料の未納が1年を超えると、健康保険証を取り上げられ、代わりに被保険者資格証明書が発行される。
しかし、この資格証明書だと、かかった医療費をそのたび、全額、病院の窓口で支払わなければならない。未納保険料を全額支払わないかぎり健康保険証は返してもらえない。
「医療費の適正化」という市場原理主義的な名目を掲げて、主として「高額医療費」と「終末期の入院医療費」に焦点を当てて、75歳以上の老人を犠牲にして、極端な医療費抑制を実現しようというのが厚生労働省の意図である。
社会的共通資本としての医療を具現化するという高邁な理想を掲げて、1961年発足した、世界に誇るべき日本の国民皆保険制度は、その完全な崩壊への決定的な一歩を歩み始めようとしている。
日本の医療はなぜ深刻になったのか
日本の医療は、何故このような深刻な事態に立ちいたってしまったのだろうか。この深刻な事態を招来させた、そのもっとも根元的なものは、市場原理主義とよばれる似非経済学の思想である。 市場原理主義は簡単にいってしまうと、もうけることを人生最大の目的として、倫理的、社会的、人間的な営為を軽んずる生きざまを良しとする考え方である。
市場原理主義は先ず、アメリカに起こった。そして、チリ、アルゼンチンなどの南米諸国に始まって、世界の数多くの国々に輸出され、社会の非倫理化、社会的靱帯の解体、格差の拡大、そして人間的関係自体の崩壊をもたらしてきた。
この市場原理主義が、中曽根政権の下に始まって、小泉・安倍政権の6年あまりに日本に全面的に輸入され、日本の社会はいま、戦後最大の危機を迎えている。
日本では、市場原理主義が、経済の分野だけでなく、医療、教育という社会的共通資本の核心にまで、その影響を及ぼしつつあるからである。
中曽根「臨調行革」路線の下で、厚生官僚によって「医療亡国論」が声高に主張され、医療費抑制のために医師数をできるだけ少なくする政策が取られはじめた。医に経済を合わせるという社会的共通資本としての医療の原点を忘れて、経済に医を合わせるという市場原理主義的主張に基づいた政策への転換を象徴するものだった。現在の極端な医師不足、勤務医の苛酷な勤務条件を招来する決定的な要因がすでに形成されはじめていたのである。
市場原理主義は国民の願いに逆行する
1980年代、財政赤字と貿易赤字という双子の赤字に悩むアメリカ政府は、日米構造協議の席上、日本政府に対して執拗に内需拡大を求めつづけた。その結末が、日本が10年間で公共投資を430兆円行うという国辱的ともいうべき公約であった。
「増税なき財政再建」の旗印を掲げながら、アメリカからの、この理不尽な要求を可能にするために政府が考え出したのが、地方自治体にすべてを押しつけることであった。国からの補助金をふやさないで、すべて地方自治体の負担で、この巨額に上る公共投資を実現するために、詐欺と紛う、巧妙な手法が用いられた。
この流れは、小泉政権の「三位一体改革」によって、さらに拍車を掛けられた。その「地域切り捨て」政策と、度重なる暴な医療費抑制政策の及ぼした弊害はとくに深刻である。
市場原理主義の日本侵略が本格化し、社会のほとんどすべての分野で格差が拡大しつつある。この暗い、救いのない状況の下で行われた昨年7月29日の参議院選挙の結果は、国民の多くが望んでいるのは、市場原理主義的な「改革」ではなく、一人一人の心といのちを大切にして、すべての人々が人間らしい生活を営むことができるような、真の意味におけるゆたかな社会だということをはっきり示した。
しかし、今回発足する後期高齢者医療制度は、この国民の大多数の願いを裏切って、これまでの長い一生の大部分をひたすら働き、家族を養い、子どもを育て、さまざまな形での社会的、人間的貢献をしてきた「後期高齢者」たちの心といのちを犠牲にして、国民医療費の抑制を図ろうという市場原理主義的な「改革」を強行しようとするものである
全国保険医団体連合会(保団連) より
http://hodanren.doc-net.or.jp/iryoukankei/seisaku-kaisetu/080222uzawa.html
元 厚生労働大臣 おつじ秀久
はじめに
尾辻でございます。まだ1月ですので、新年のご挨拶を申し上げたいと存じます。明けましておめでとうございます。お元気に新年をお迎えになりましたこととお喜び申し上げます。
中略
2 国の財政事情と社会保障費
●返済利子は1分間に約1700万円
社会保障の現状をご理解いただくには、国の財政事情を改めて認識していただきたいと思います。
2005 年末の日本の借金総額は774兆円です。1兆円を使い切るのに毎日100万円使っても2800年かかるのですから、その774倍といわれてもピンときませんが、この借金によって支払っている利息は1分間で約1700万円に上ります。これでは、いくら国でも持つわけがありません。まさに借金地獄の状態にあるわけです。
そのような借金地獄の財政事情の中で、社会保障費にいくらかかっているのか。 2005年度予算の一般会計総額は約82兆円です。一般会計には地方交付税や国債費が含まれていますが、それらを差し引いたものが一般歳出で、普通に国が使っているお金は約47兆円です。
このうち社会保障費は一般会計で約20兆円。一般歳出の44%に当たります。特別会計を含めると約73兆円。給付総額にして約84兆円となります。このことから、社会保障費が極めて大きな割合を占めていることがご理解いただけるのではないでしょうか。
社会保障費は一般歳出の44%を占めていますが、特別会計まで入れると恐らく6割はゆうに超える金額になるだろうと思います。それだけのお金を厚生労働省が使っているのですから、厚生労働大臣が平均睡眠時間5時間弱で頑張って何とか仕事になるということもご理解いただけるだろうと思います。
以上、借金地獄の状態にある国の財政事情において、社会保障費が極めて大きな割合を占めていることをお話ししました。
本日は「社会保障制度の課題と展望」というテーマをいただきましたので、本来であれば我が国の社会保障制度の概要と特徴についてもお話ししなければなりませんが、それについては割愛させていただきたいと思います。
●対国民所得比が増え続ける医療費
次に、「社会保障の給付と負担の見通し」についてお話しします。「福祉その他・医療・年金」という社会保障給付は、2004年度予算で86兆円、2015 年度の給付金額の予測は121兆円、 2025年度は152兆円となっており、社会保障給付総額はだんだん大きくなります。
しかし、この中で年金をみると、2004年度予算時での対国民所得比は12.5%、2015年度は13%、2025年度は12%と、総額は増えるものの対国民所得比ではほとんど同じ割合です。国民所得比でいえば変化していないのです。
ところが医療費をみると、総額が増えることはもちろん、対国民所得比も2004年度の7%が、2015年度には9%になり、 2025年度には11%になると見込まれています。つまり、国の経済規模における医療費の割合が大きくなっていくわけです。
これが、医療費に対する風当たりが強くなっている大きな理由です。この医療費を何とかしろ、となるわけです。
私は医療費の問題は、国の最大の課題の1つだと思っており、今通常国会でもこのあたりに議論が集中してくるだろうと感じています。
●老人医療費の地域格差は±15万円
医療費増加の要因としては、私どもが問題としているポイントが2つあります。
1つは、地域によって老人医療費に極めて大きな差があることです。ざっくりした数字を紹介しますと、老人医療費の全国平均は75万円です。医療費が全国で一番高い福岡県はプラス15万円の90万円。一番低い長野県はマイナス15万円で60万円です。
75万円の全国平均値に対して、プラスマイナス15万円の差、つまり60?90万円の
75万円の全国平均値に対して、プラスマイナス15万円の差、つまり60?90万円の大きな差が生じています。これが、私どもが医療費をどうしても問題にせざるを得ないポイントの1つなのです。
●日本の平均在院日数は36.4日
もう1つのポイントは、1人当たりの老人医療費が若い人の5倍という状況です。これが老人医療費の大きな問題の1つです。
実はこの問題について、私は経済財政諮問会議とかなり議論しました。「あなたたちは老人医療費が若い人の5倍になっている現実をそもそも理解していない」という言い方をしたりもしました。
では、その分析を踏まえてどうすればいいのか。途中の議論をかなり省略してお話しすると、厚生労働省は結局、医療費を抑制するために2つの対策を挙げています。1つは平均在院日数を短くすることで、もう1つは徹底した生活習慣病対策です。
日本の平均在院日数は36.4日。それに対して、ドイツは10.9日、フランスは13.4日、イギリスは7.6日、アメリカは6.5日です。日本の平均在院日数が長い背景には、よく指摘されている社会的入院などもあります。このことに対応しなくてはならないわけです。
●都道府県を軸とした保険運営へ
2003年3月に閣議決定した「医療保険制度改革に関する基本方針の策定」の一番のポイントは、「保険者の統合及び再編を含む医療保険制度の体系の在り方」でした。
先ほどもお話ししましたが、都道府県別の医療費にあまりにも差があるのに、保険料が全国均一でいいのだろうかという問題意識があるわけです。これだけ差があるのなら、都道府県別に保険料に差があっていいのではないか。そういう考え方を盛り込んでいます。
2点目が、「新しい高齢者医療制度の創設」です。老人医療費が若い人の5倍であるならば、医療制度も老人用をつくらないといけないのではないかということを言っています。
そして、3点目が、「診療報酬の体系の見直し」でした。
1点目の「保険者の再編・統合の基本的考え方」については、今後は都道府県単位、すなわち都道府県を軸に保険運営を行うことが、大きな流れだとお考えいただければと思います。
昨年は国保の問題などがありましたが、私が三位一体改革の中で着手させていただいたのが、都道府県負担の導入でした。今後の都道府県を軸にした動きの根本には、都道府県別の医療費格差があることを改めてご理解いただければと思います。
3 医療費抑制への取り組み課題
●経済財政諮問会議との闘いの日々
医療を取り巻く議論は、現在もいろいろなされていますが、私が厚生労働大臣を務めさせていただいた400日は、まさに「闘いの日々」でした。
中でも、経済財政諮問会議での議論は忘れることができません。
経済財政諮問会議は、森内閣のときにできましたが、当時は大した役割は果たしていませんでした。小泉内閣になって脚光を浴び、いまや実質の方針決定機関になっています。
経済財政諮問会議では民間の委員が主役となって自分たちの考えを主張するわけですが、彼らの考え方の根底にあるのは「財政の健全化」です。「借金体質から何とか脱却しなければならない」と真剣に考え、何とかしようとしているわけです。
そのことを具体的な数字で表す方法として、「プライマリーバランスの回復」と表現しています。
いまの日本の財政は、毎年利息を含めて借金を返さないといけない借金体質です。毎年借金を返すために借金を重ね、借金は増え続けています。返す金額より借りる金額が多いので、借金総額は増えているわけです。この借りる金額と返す金額が同じ額になったときに、プライマリーバランスが回復した状態になるのです。
つまり、彼らは、これ以上借金が増えない状態、利息も含めて返す額と借りる額がイコールになった状態に持ち込みたいわけです。
実はこのことは、後でお話ししますが、私たちにとってある意味助けとなる考え方につながりました。ですから、このプライマリーバランスの回復という言葉を覚えておいてください。
●冷たい政府はだめだ
国の赤字体質を回復させる方法は、会社や家庭といっしょです。収入が増える方法を考えるか、支出を抑える方法を考えるかのどちらかしか道はありません。
小泉内閣は、まず徹底して出す方を抑えようとしました。お金が入る方法はとりあえず考えない。だから、消費税の話も先に送るといっています。出す方を徹底して抑えれば、どんどん「小さな政府」になります。
そのような中、私は経済財政諮問会議で「小さな政府はいい。しかし、冷たい政府ではだめだ」と言いました。社会保障費をお預かりしている私の立場から、「小さな政府はやむを得ないかもしれないが、冷たい政府は絶対にだめだ。温かい政府でなければならない」と言い続けたのです。
しかし方向としては、やや強い言葉で率直に申しますと、小泉内閣が行ってきたことは、弱肉強食の面は否定できないし、勝ち組と負け組に二極化させたことも否定できないのではないかと感じています。このような中で、社会保障をどう考えるかが、私の闘いでもありましたし、ポスト小泉を巡っても問題になる部分だと思っています。
●医療費を「総額」で捉えられるか
この経済財政諮問会議との医療をめぐる議論の中で、ポイントは2点ありました。
1点は、彼らが「お金がないのだから、医療費を総額で管理する」と主張したことです。医療費はこれだけだと決めて、切り込めというわけです。
それに対し、私は「医療費というのは必要なものを積み立てて計算していき、これだけかかるとしないと国民の命は守れない。あなたはお金がないから死んでくださいと言えるのか」と言ったことがありました。
ここが経済財政諮問会議と私を含めた厚生労働省の極めて大きな意見の違いであり、論点でした。
●中長期的対策を講ずる
もう1つの議論のポイントは、厚生労働省としては生活習慣病の予防に努めること、平均在院日数を短くすることを「中長期的対策」と呼んだことです。
そして
そして、中長期的対策を講ずることとしました。短期的対策も確かに重要です。しかし、短期的対策はどちらかといえばプラスアルファの部分であり、「まずは中長期的対策に取り組みましょう」としたわけです。
厚生労働省は、「中長期的に取り組むことによって49兆円まで医療費が抑えられる」と主張しました。経済財政諮問会議は、「それでは足らない」と言いました。
それに対し、私たちが主張したのが、「短期的対策をプラスアルファすれば、もう少し下がる」ということでした。しかし、その対策はあくまでも短期的対策として行うべきものでした。各方面からいろいろご意見があったので、その3つを提案として提示しました。
●プラスアルファとしての短期的対策
第1点が、前期・後期とも高齢者の患者負担を2割にする、第2点目が、保険免責制の創設として、外来1回当たり1000円までは自己負担をいただく、第3点目が、診療報酬の伸びの抑制です。これら3点を短期的対策と呼びました。
繰り返しますが、私たちは「これはプラスアルファの部分である」と言いました。しかし、経済財政諮問会議は、「まずはこれを実施しろ」と言い出したのでした。診療報酬改定が真っ先に議論の俎上に上がったのです。
ある新聞に「2025年までに診療報酬を7%抑える」という根拠のない記事が出たことがありましたが、そういう議論は経済財政諮問会議の考え方そのものだったわけです。
●プライマリーバランスの回復時期
そして、昨年12月に答えが出て、「医療制度改革大綱」がまとめられました。
医療費総額を最初に示して規制するのか、積み立てていって医療費を計算するのかで議論してきましたが、議論は平行線をたどり、結論は出そうにもありませんでした。そんな中、議論が落ち着く要因となったのが、先ほどお話しした「プライマリーバランスの回復」という経済財政諮問会議の悲願だったわけです。
彼らは、2010年代初頭にプライマリーバランスを回復させると言いました。当初は2013年ごろと言っていましたが、2011年になるかもしれないとやや早めたのです。そうするためには、日本の経済成長をかなりスピードアップしないとなりません。 2010年代初頭にプライマリーバランスを回復させるためには、日本の経済成長をかなり大きく見ざるを得なくなったのです。
そうなると、「そこまで日本の経済が成長するならば、医療費が伸びても合いますね」という話になりました。
私はずいぶんこの点を経済財政諮問会議と議論しました。彼らは「経済成長率に合わせろ」と言い続けてきました。私は、「それはおかしい」と言い続けました。「それならば、かつてのバブルみたいに日本全体の経済成長が5%プラスになった場合、本当に医療費を5%伸ばしていいのですか」と切り返したわけです。
●医療費抑制は中長期的対策が基本
結局、この議論は現在、消えてしまっています。彼らも、「総額で抑える」「GDP比何%」「国民所得比何%」と言わなくなりました。そして、中長期的対策に立つか、短期的対策に立つか、という話に移ったのです。
「医療制度改革大綱」の中では、「医療給付金の伸びに関しては、糖尿病等の患者・予備群の減少や平均在院日数の短縮などの中長期の医療費適正化対策の効果を基にして…」と書かれていますので、私どもの主張どおりになったとご理解いただければと思います。
したがって、今後医療費の伸びをできるだけ抑えていくには、まずは私どもが提案したような中長期的対策を基本にして進める。そして、短期的対策はプラスアルファで考えるという方向になりました。
この中長期的対策の基本となるのが、「在院日数の短縮」と「生活習慣病の予防」なのです。
●療養病床群はなくす方向へ
この「在院日数の短縮」と「生活習慣病の予防」を並べて中長期的対策といっていますが、やや本音をいいますと、生活習慣病対策は長期的対策だと思っています。
生活習慣病対策については、厚生労働省は必死に取り組むでしょうが、医療費抑制面で効果が現れるにはかなり時間がかかると思います。
そうなると、差し当たり在院日数を減らすことに取り組まざるを得ません。これは、介護保険との絡みで少しややこしくなってきますが、療養病床群はやめる話になるとご理解いただければと思います。療養病床群をなくすことについては、様々な議論があります。しかしこれはもう、厚生労働省としては引くわけにいかないでしょう。
ですから、介護保険における療養病床群は、いまのところ2011年といっていますが、なくなることについては止めようのない流れだと思っていただいて結構です。
以上が、医療制度改革大綱の答えです。
4 今後の医療制度改革
●水面下での党内議論
そのような中で、現在党内で議論の焦点となっている問題について少しご紹介したいと思います。
第1点は、離島のお医者さんについての問題で、無医村を何とかしたいということです。これは当然の話だと思います。
その問題解決策として、医療機関の管理者になるためには、もっとはっきりいえば、開業するためには、必ず一度は離島で医療行為を経験しなければならない。離島での医療経験がない人は管理者になれない仕組みにしたらどうかという案が出ています。これに対しては、いろいろな意見が集中しており、これがどうなるかという問題が1つ。
もう1点ご紹介すると、現在、薬局は医療法上医療機関ではありませんが、それを医療機関にしようという議論が水面下でかなりあります。
ただ、これついては医師会がまず反対するでしょう。そして、実はたいへん微妙な問題を含んでいます。薬局はいまや株式会社が常識です。その薬局を医療機関に入れるとなると、医療機関に株式会社が入ってくることになるわけです。
そういう非常に微妙な問題を含んでいるわけですが、これらのことをいま水面下で議論しているところです。
●「未妥結・仮納入」の是正
中医協改革については、私自身、相当の覚悟で取り組みました。
診療報酬改定については、この場で詳しくご紹介できませんが、薬剤の見直しについて、医療制度改革大綱の中でジェネリック医薬品の使用を明確に打ち出していることは強調しておきたいと思います。
それから、皆様に関係のある「未妥結・仮納入」については、「長期にわたる取引価格の未妥結及び仮納入は、薬価調査の信頼性を確保する観点からも、不適切な取引であることから、その是正を図ることとする」とし、 2006年度に実施していくことになりました。
●すべては国家国民のために
厚生労働省を去るとき、私は次のような挨拶をしました。「400日の間に大臣として決断をしなければならない、判断をしなければならない場面がいろいろありました。その基準はいつもたった1つでした。国家国民のために何が正しいか。そのことだけを考えてきました。間違っても、特定の人や一部の団体のために判断をしたことはありません。我が良心に照らして一点恥ずることはありません」と言って厚生労働省を去りました。
そう言えて去ることができたことを、大変ありがたいと思っています。
そして、それはまさに、多くの皆様にそう言えるように支えていただいたお蔭であったと心から感謝します。
最後にそのことをお伝えさせていただき、本日の話を終えたいと思います。ご清聴どうもありがとうございました。