全国弁護団事務局 通信
第1号 2009年1月22日
裁判はじまる!
本日2009年1月22日午前10時30分、滋賀県の大津地方裁判所にて第1回口頭弁論期日が行なわれ、全国で行なわれる予定の障害者自立支援法応益負担違憲訴訟の火ぶたが切って落とされました。
裁判員制度(刑事裁判において、重大な事件の判決の内容を市民が判断する制度)用に作られた大きな法廷の傍聴席は記者席含め満席(傍聴券交付)。
国、市町村側の被告席には法務局に所属する訟務官(しょうむかん)、厚生労働省の役人、市町村の障害者福祉担当者などが座りました。
原告側席には原告のみなさん、補佐人(成年後見の保佐人ではありません。民事訴訟法第60条第1項「当事者又は訴訟代理人は裁判所の許可を得て、補佐人とともに出頭できる。」に基づく補佐人)としてのご家族、滋賀弁護団、竹下義樹全国弁護団団長、各地から応援に駆けつけた全国の弁護団員が座りました。
弁論期日の詳しい内容は滋賀弁護団からの報告をご覧下さい。
特に印象に残った点を挙げれば、原告2名のお母様の意見陳述です。
子が生まれてから今に至る歴史と障害者自立支援法の与える影響を物静かに語る姿には胸を打つものがありました。
裁判官の心に届け!
この裁判は障害者自立支援法が導入した応益負担の過ちを廃絶することを求めてます。
たまたま裁判員制度に触れたので、裁判員制度で考えてみます。
裁判員に視覚障害者が参加するとします。ほかの裁判員に配布される印刷された裁判記録を読むためには点訳文書が必要です。では、裁判所は点訳を必要とする視覚障害裁判員には点訳サービス利用料の負担を義務付けるのでしょうか。あるいは、聴覚障害裁判員には手話通訳サービス利用料の負担を義務付けるのでしょうか。車いすを利用する障害者にはスロープ利用料の負担を?
おかしいですよね。応益負担制度とはこれと同じです。
障害者福祉施策とは機能障害から派生する社会的不利益を解消・是正するための諸施策です。それがノーマライゼーションの理念として、国際的に共通理解されている障害者福祉の目的です。
つまり、障害者自立支援法という障害者福祉施策の基本的な法規のなかに応益負担が存在していることを許すということは今の例の場合にも、「点訳サービスを利用するのはその視覚障害者自身の責任なんだから点訳利用料を負担するのは当たり前」という理屈を認めることになります。
むずかしいことはともかく、このような理屈を認めてしまえば、障害者差別は永遠に無くならないと感じるのが現在到達している一般的な人権感覚なのではないでしょうか。
この理屈を認めてしまえば、「障害者が働きたいならばスロープ設置費用を負担することを条件とします」、「ジョブコーチの給与の一部を負担することを雇用条件とします」ということを何ら問題ないと是認する社会にになります。
言い換えると、応益負担制度がこの国の法規にある以上、障害者差別に対して、それは差別じゃないよという法的根拠を与えることを意味します。
応益負担制度がわが国の法規にある以上、日本は永遠に障害者権利条約は批准できないし、障害者差別撤廃のための入り口に入ることが出来ないのです。
本当?
被告国らの平成21年1月22日付答弁書29頁1行目には次の記載があります。
「なお、日本国は『障害のある人の権利に関する条約』を批准していない。」
これは、原告が障害者権利条約に訴状にて言及したことへの国の反応です。
ここに国の本音が図らずも顕れていると見るのは早計でしょうか。
条約を批准しなければ障害者に対する合理的配慮義務違反、障害者差別違反は許されるというのでしょうか。
障害者権利条約の外務省仮訳は次のとおり。
「第4条 一般的義務
1 締約国は、障害を理由とするいかなる差別もなしに、すべての障害者のあらゆる人権及び基本的自由を完全に実現することを確保し、及び促進することを約束する。このため、締約国は、次のことを約束する。
(a) この条約において認められる権利の実現のため、すべての適当な立法措置、行政措置その他の措置をとること。
(b) 障害者に対する差別となる既存の法律、規則、慣習及び慣行を修正し、又は廃止するためのすべての適当な措置(立法を含む。)をとること。
(c) すべての政策及び計画において障害者の人権の保護及び促進を考慮に入れること。
(d) この条約と両立しないいかなる行為又は慣行も差し控え、かつ、公の当局及び機関がこの条約に従って行動することを確保すること。」
「批准さえしなければ障害者権利条約など関係ない」と国は考えているのでしょうか。
しかし、国は既に障害者権利条約に署名しています。
そして、日本は「条約法に関するウィーン条約(条約法条約)」に批准しています。
同条約の第18条は「条約の効力発生前に条約の趣旨及び目的を失わせてはならない義務」を規定しています。
「いずれの国も、次の場合には、それぞれに定める期間、条約の趣旨及び目的を失わせることとなるような行為を行わないようにする義務がある。
(a) 批准、受諾若しくは承認を条件として条約に署名し又は条約を構成する文書を交換した場合には、その署名又は交換の時から条約の当事国とならない意図を明らかにする時までの間」
つまり、2007年9月28日、日本は障害者権利条約に署名した以上、条約の趣旨、目的に反する行為を行えばそれは条約違反として違法となるということです。
この署名時点で既に障害者自立支援法の応益負担制度は存在していました。
ということは、私たちの立場から言えば、この署名の瞬間から障害者自立支援法は、「条約法に関するウィーン条約」第18条違反であり、同法は条約違反として無効となるものなのです。
もちろん以上のようなことも当然私たち弁護団はこの裁判で主張・立証していきます。
とにかく、応益負担制度が存在していることはわが国の障害者福祉制度に致命的な禍根を残すことであって、絶対に許されないことなのです。
この点、「お金を払うことで権利性が高まる」などと主張して応益負担を擁護する意見もありますが、はっきりと誤りです。
ここで対象となっているのは、障害者にとって、障害に起因する社会的不利益を是正するための必要な公的支援に関する公的権利であって、憲法の保障する生存権、平等権、幸福追求権に基づくものです。
その権利がいくら支払ったかで権利の強弱が連動するのですか?
お金のない人には支援のための権利が弱くなるのですか。
生活保護を受ける権利の保障請求を求める人はお金がない以上、その公的権利は薄弱なものなのですか。大金持ちになってから強い権利に基づいて生活保護受給請求権を行使すればいいのでしょうか。もうお分かりでしょう。
国は「決め細やかな低所得者対策を講じているから問題ない」と必ず弁明してきます。
しかし、法施行1年目の2006年に発表された「特別対策」も、翌年発表された「緊急措置」も、全国の障害者の悲痛な叫びに押されて、国はその対策をせざるを得ない状況に追い詰められたに過ぎません。
このことは、法の規定する「利用料原則1割負担」という法の仕組み自体に根本的な過ちがあることを雄弁に証明しています。
小手先の継ぎ接ぎの小細工を重ねたところで、根本の禍根を断たなければ、本質的な解決にはならないのです。
この障害者自立支援法訴訟は、障害のあるなしに関わらず誰でも安心して住める社会をめざす裁判です。
障害者を排除する社会はもろく弱い社会です。
100年、200年後、私たちの子孫に恥ずかしくないような社会を築くため、弱いものに冷たい社会からおさらばしましょう。
人にやさしい社会をめざして、さあ、障害者自立支援法訴訟が始まった!
楽しみです。
障害者自立支援法訴訟 全国弁護団 事務局長弁護士藤岡毅
全国弁護団事務局 通信 第2号 2009年1月30日
福岡地方裁判所 第1回期日 この感動を伝えたい。
本日午後1時10分から、福岡地裁で第1回口頭弁論期日が開かれました。
福岡弁護団のページに報告がありますのでご覧下さい。
いやあ、感動しました。
テレビで実況生中継したら国民みんなが釘付けになるのではと思うほど、どんなドラマを見るより素晴らしい時間と空間を共有したという充実感を感じます。
1月22日の大津地裁でのお母様お二人の意見陳述にも胸を打たれましたが、今日は九州で現在のところただ一人原告として立ち上がっている平島龍磨さんの、トップバッターでの登場で緊張してもおかしくないところを、「原告の思い」の堂々たる陳述があり、障害当事者本人による力強い陳述には本当に感動しました。
裁判後の集会でも、普段は冷静を装っている弁護団員が口々に感動したと率直に感想を述べていました。
改めて、平島さんにはその勇気に心より敬意を表します。
平島さんは法廷で「提訴して本当に良かったです。」と言い切りました。私もそんな平島さんと共に闘えることに喜びを感じます。
次に、平島さんが通所している通所施設の施設長赤松英知さんの意見陳述がこれまた素晴らしかった。
裁判員制度用の大きな法廷の隅々まで朗々とよく響き渡る声で陳述された障害者自立支援法のもたらす障害福祉現場への過酷な影響と矛盾は、とてもわかりやすく、臨場感あるものとして裁判官に伝わったのではないかと思います。
続いて、福岡弁護団を率いている中村博則弁護士の弁護団としての陳述がありました。
その冒頭の部分を次に再現します。
障害者政策は「社会の鏡」であると言われます(甲A24号証)。
「社会の鏡」であるという意味は、障害者に対してどのような政策を取っているかが、その社会の本当の豊かさの実態を示すものだということです(甲A17号証)。障害者が暮らし易い社会は、すべての人が豊に暮らせる社会であるということです。
障害者がレストランに就職したときの経験が新聞で報道されたことがあります(甲A40号証)。当初は1日2時間しか働くことができず、会社側から福祉施設への転職を提案されましたが、店長が「たった1年で解雇するのか」と猛反発しました。その店長がノートで情報を交換しながら支援し、3年後には1日5時間働くことができるようになりました。その過程で、パートやアルバイトの従業員もその障害者を気遣うようになり、接客対応まで向上し、会社側は、「いかなる研修やマニュアルにも勝る効果があった」と言っているそうです。
この例で、レストランを社会や国に置きかえても同じことが言えると思います。障害者を暖かく見守ることのできる社会や国は、すべての人が互いに思いやりを持って豊かに暮らしていけるということです。
しかし、障害者自立支援法は、障害者の自立を支援するどころか、自立を妨害し、それどころか障害者のこれまでの生活そのものを否定するような法律です。
中村弁護士の暖かい人柄が滲み出ている陳述です。
九州人の暖かさなのかもしれません。
聞いていて、何とも暖かい気持ちにさせられる陳述です。
この訴訟の意義の根底にあるものが感じられます。
最後に竹下団長からの言葉。次の3点。
① 立法時点で欠陥法であることが明らかなこと
② 自立と社会参加という障害福祉の目的と相反する応益負担、受益者負担
③ 障害をさらす原告の勇気と決意の意義
裁判後の集会で重い障害を持つお子さん(たぶん成人)のお母様から、「竹下弁護士の法廷での発言には障害を持つ親としてほんとに有り難い」という趣旨の泪声の言葉もいただきました。
この団長なくして有り得ないこの障害者自立支援法訴訟です。
………………………………………
それにしても、障害者自立支援法って何なんでしょう。
自立とは、経済的自立だけではありません。
一人ひとりの人間がその人らしく、個々の尊厳を尊重されて活き活きと生きていくことではないでしょうか。
この法は自立を上から強要しています。
強要される自立が本当の自立でしょうか。
仮に国の考える、金銭的自立、経済的自立だけしかみない皮相な自立観(もちろん、お金を自分で稼いで自尊心を持つことはとても大切なことですし、働くことの喜びは代え難い価値があり、障害者の一般就労がさらに実現する社会は望ましいことですが、この法の想定する自立観はいびつで、一面的ではないでしょうか)を前提としても障害者自立支援法が論理破綻を来たしていることは自明です。
今日の4名の意見陳述を聞いて、今更ながら思いを強くしました。
だって、国は障害者が金銭的、経済的自立が出来ていないから、その自立を促進、支援するためにこの法を制定したと言っていたのでしょう。
だったら、どうして、その金銭的自立が出来ていない人に金銭負担を強いることが自立の促進という効果と結びつくのでしょう。
金銭的自立が出来て、負担が苦にならなくなった人、つまり公的自立支援が不要な人に負担させるならば論理的整合性がありますが、金銭的自立が全く出来ていないため負担が苦になる人にだけ負担を強いる法律。
公的支援の必要が高い人にはそれに応じて重い負担を強いる法律。
福岡弁護団も次のとおりこの法の欠陥を看破します。
障害が重い人ほど重い負担を課すということは、働けない人ほど重い負担を課すわけですから、耐えられるわけがありません。
応益負担というのは、最初から実現不可能な制度なのです。
この法の基本思想における論理矛盾は誰にでも自明でしょう。
…………………………
法制定前後に厚生労働省の社会保障審議会障害者部会会長として、この法律制定の推進力として中心的役割を果たされた、京極高宣(きょうごく たかのぶ)(元社会事業大学学長)先生は、2008年12月5日付、9日付の「厚生福祉」という雑誌において、
「 『受益者負担』という用語はもともと財政に関する法律上の概念であって、『開発利益を開発主体へ吸収、還元するための特別課徴金』等の意味で使われていた。…それは道路の開通によって、その周辺の地主等に土地価格の上昇等の特別利益が生じることから、社会的均衡を期すためにその受益者たる地主に開発費用の全額または一部を強制的に負担させるというものである。」(1984年刊「市民参加の福祉計画」)と説明されています。
噛み砕いていえば、「一部の人が特別に利益を得て得をするのは不公平、ずるいから、その特別に儲けた利益をみんなに吐き出しなさい」という考えが「受益者負担」ということになると思われます。
しかし、京極先生は「昭和40年代後半から、保健、医療、福祉の分野での利用者の負担を強化するためのテクニカルタームとして国が受益者負担という用語を強調してきた事実」を認めながら、一転「私が調べたところでは、これは外国では使われていない概念である。」として、例えば外国でよく使われるユーザーズチャージは利用者負担と訳した方がいいものであり、「受益者」という概念は必ずしも英語にはなじまない。…私はユーザー(利用者)という言葉を用いて、「利用者負担」という中立的な考え方に整理した。それが今日では一般的に普及している。…と説明されています。
そして、…あたかも国が障害者を受益者とみて、その便益に応じた応益負担の原理を障害者自立支援法に導入したと決め付けることはいささか短絡的であろう。…
と記載してます。
さらには
…厚生労働省の説明の一部に、障害者自立支援法の利用者負担があたかも応益負担であるかのごとく、やや軽率な発言が在ったのも議論の混乱を招いたかもしれない。…
と書いています。
つまり、京極先生は、障害者自立支援法の負担方法は最初から応能負担だったのであり、あたかも応益負担のごとく軽率な発言をした厚生労働省の一部の人間がいたことが混乱の原因であったという趣旨の御主張を展開されています。
そこで厚生労働省の現在のHPを見てみます。
平成16年10月12日、厚生労働省障害保健福祉部が、第18回社会保障審議会障害者部会に正式に提出した、障害者自立支援法の原型となる、平成16年10月12日付け「今後の障害保健福祉施策について(改革のグランドデザイン案)」には次の記載があります。
もっとも、「会議終了後に資料に誤りがあることが判明したため、ホームページに掲載された資料は訂正しました。」との記載があるため、何かしらの修正が入っている可能性はあります。
……………
見直しの具体的な内容
1 福祉サービスに係る応益的な負担の導入
に基づきサービス量を決定する仕組みであること、またサービスの利用に関する公平を図る観点から、サービスの量に応じて負担が変わる応益的な負担を導入し、利用額に応じ、利用者がサービス事業者に支払うものとする。
……………
そして、平成16年10月12日付の議事録を見てみます。
……………
○村木企画課長
それではまず私から改革の全体像を簡単にお話したいと思います。
お手元の資料2「今後の障害保健福祉施策について(改革の
グランドデザイン案)
【概要】」というものをご覧いただきたいと思います。
…
次の8ページをご覧ください。費用負担の仕組みでございます。
絵がかいてございますが、障害者福祉にかかる費用をみんなでしっかりと支える仕組みを
構築をしたいというふうに考えております。
具体的には、ご利用されるご本人の利用者負担について、
これまで応能負担の仕組みをとっておりましたが、
これからは使ったサービス量に応じて負担をする
応益負担に制度を
変えたいというふうに考えております。
そのことによりまして、当然に扶養義務者負担は廃止をされるということでございます。また、応益負担の制度をとった場合に家計への影響等々が非常に大きいという場合もあります。そういったことを考慮しまして、一定の負担上限を設けたいというふうに考えております。この負担上限につきましては、負担能力の低い方には低い負担上限を設定したいと考えております。またさらに、これによっても利用に係る負担をすることが難しいというケースにつきましては、なんらかの配慮措置を講ずることも検討してみたいと考えております。
……………
そして、京極先生が司会をされている平成16年10月25日(金)10:00
~12:30に実施された第19回の議事録を見てみます。
北川企画官という厚生労働省の官吏が制度説明として
「利用者負担の問題についても応益的な負担とか、
…こういう形で提案させていただいているというのが我々の考え方です。」
と説明しています。
これに対して、福島智委員から即座に
「応益負担といった場合、応益の益、利益というのは何なのか。」
という指摘が出ています。
これらの点に関して、京極部会長からは次の発言です。
京極部会長
なお、利用者負担につきましては、私は福祉財政学を
やっているので、 社会福祉サービスにおける利用者負担というのは、応益負担にしても、全額市場ベースのコストを負担しているわけで はなくてその一部をどういう考え方で負担させるかということであって、
福島委員の言うように全部負担させているわけではなくて、
その一部を能力に応じて負担させる場合と、
実際に使った分に対して介護保険のように
その一割を負担するという2つになっていて、
負担については必ずしも、財政的に金がないから
利用者に負担させるということではなくて、モラルハザードを防いだり、あるいは、若干の負担をしたほうが使いやすいという利用者の気持ちを忖度したり、いろんな機能があるわけで、そういうことを総合的に考えて、
例えば、介護保険の場合は応益負担にしたわけで、
それまでは措置制度の下でしたので応能負担だったということで、
所得の低い方はたくさん使ってもモラルハザードがないと
いうことだったので、それでいいのか。
逆に、所得の高い人は応能負担で多額納税者でありながら
たくさんの負担をしている。 そういう問題をクリアしたわけで
、今後どうするか。
障害施策の将来展望との関係、そして、義務的経費化の問題でも、
果たして青天井を、どういうところで水準をつくってやれるか
というようなことも
次回以降詰めて議論したいと思いますので、
これぐらいにしたいと思います。
部会長として、「利用者負担」を福祉財政学上専門的に
研究した学者として、
「厚生労働省の説明は間違っている。
これを応益負担と説明するのは間違いで、
応能負担である。」との指摘は私には読み取れません。
それを4年以上経ってから、
「障害者自立支援法の利用者負担は受益者負担でもなければ、応益負担でもない。あたかも応益負担のごとく軽率に発言した厚生労働省の一部の説明が混乱を招いただけだ。」
「国が障害者自立支援法の利用者を受益者と考えたとか、応益負担を導入したと決めるつけるのはいささか短絡的だ」というご趣旨の主張を展開される。
ちなみに、この京極先生の御論稿の中には「障害者が一斉提訴」と題する私たちのこの訴訟の動きがコラムで説明されています。京極先生が私たちの訴訟を意識して御主張を展開されていることは明らかです。
みなさんはどう思われますか?
話しが飛んだかもしれませんが、みなさんとともに、障害者自立支援法、応益負担の問題を改めて徹底的に検証していきたいと思います。
未来を信じて進んで行きましょう。
藤岡毅
http://info.jiritsushien-bengodan.net/
第1号 2009年1月22日
裁判はじまる!
本日2009年1月22日午前10時30分、滋賀県の大津地方裁判所にて第1回口頭弁論期日が行なわれ、全国で行なわれる予定の障害者自立支援法応益負担違憲訴訟の火ぶたが切って落とされました。
裁判員制度(刑事裁判において、重大な事件の判決の内容を市民が判断する制度)用に作られた大きな法廷の傍聴席は記者席含め満席(傍聴券交付)。
国、市町村側の被告席には法務局に所属する訟務官(しょうむかん)、厚生労働省の役人、市町村の障害者福祉担当者などが座りました。
原告側席には原告のみなさん、補佐人(成年後見の保佐人ではありません。民事訴訟法第60条第1項「当事者又は訴訟代理人は裁判所の許可を得て、補佐人とともに出頭できる。」に基づく補佐人)としてのご家族、滋賀弁護団、竹下義樹全国弁護団団長、各地から応援に駆けつけた全国の弁護団員が座りました。
弁論期日の詳しい内容は滋賀弁護団からの報告をご覧下さい。
特に印象に残った点を挙げれば、原告2名のお母様の意見陳述です。
子が生まれてから今に至る歴史と障害者自立支援法の与える影響を物静かに語る姿には胸を打つものがありました。
裁判官の心に届け!
この裁判は障害者自立支援法が導入した応益負担の過ちを廃絶することを求めてます。
たまたま裁判員制度に触れたので、裁判員制度で考えてみます。
裁判員に視覚障害者が参加するとします。ほかの裁判員に配布される印刷された裁判記録を読むためには点訳文書が必要です。では、裁判所は点訳を必要とする視覚障害裁判員には点訳サービス利用料の負担を義務付けるのでしょうか。あるいは、聴覚障害裁判員には手話通訳サービス利用料の負担を義務付けるのでしょうか。車いすを利用する障害者にはスロープ利用料の負担を?
おかしいですよね。応益負担制度とはこれと同じです。
障害者福祉施策とは機能障害から派生する社会的不利益を解消・是正するための諸施策です。それがノーマライゼーションの理念として、国際的に共通理解されている障害者福祉の目的です。
つまり、障害者自立支援法という障害者福祉施策の基本的な法規のなかに応益負担が存在していることを許すということは今の例の場合にも、「点訳サービスを利用するのはその視覚障害者自身の責任なんだから点訳利用料を負担するのは当たり前」という理屈を認めることになります。
むずかしいことはともかく、このような理屈を認めてしまえば、障害者差別は永遠に無くならないと感じるのが現在到達している一般的な人権感覚なのではないでしょうか。
この理屈を認めてしまえば、「障害者が働きたいならばスロープ設置費用を負担することを条件とします」、「ジョブコーチの給与の一部を負担することを雇用条件とします」ということを何ら問題ないと是認する社会にになります。
言い換えると、応益負担制度がこの国の法規にある以上、障害者差別に対して、それは差別じゃないよという法的根拠を与えることを意味します。
応益負担制度がわが国の法規にある以上、日本は永遠に障害者権利条約は批准できないし、障害者差別撤廃のための入り口に入ることが出来ないのです。
本当?
被告国らの平成21年1月22日付答弁書29頁1行目には次の記載があります。
「なお、日本国は『障害のある人の権利に関する条約』を批准していない。」
これは、原告が障害者権利条約に訴状にて言及したことへの国の反応です。
ここに国の本音が図らずも顕れていると見るのは早計でしょうか。
条約を批准しなければ障害者に対する合理的配慮義務違反、障害者差別違反は許されるというのでしょうか。
障害者権利条約の外務省仮訳は次のとおり。
「第4条 一般的義務
1 締約国は、障害を理由とするいかなる差別もなしに、すべての障害者のあらゆる人権及び基本的自由を完全に実現することを確保し、及び促進することを約束する。このため、締約国は、次のことを約束する。
(a) この条約において認められる権利の実現のため、すべての適当な立法措置、行政措置その他の措置をとること。
(b) 障害者に対する差別となる既存の法律、規則、慣習及び慣行を修正し、又は廃止するためのすべての適当な措置(立法を含む。)をとること。
(c) すべての政策及び計画において障害者の人権の保護及び促進を考慮に入れること。
(d) この条約と両立しないいかなる行為又は慣行も差し控え、かつ、公の当局及び機関がこの条約に従って行動することを確保すること。」
「批准さえしなければ障害者権利条約など関係ない」と国は考えているのでしょうか。
しかし、国は既に障害者権利条約に署名しています。
そして、日本は「条約法に関するウィーン条約(条約法条約)」に批准しています。
同条約の第18条は「条約の効力発生前に条約の趣旨及び目的を失わせてはならない義務」を規定しています。
「いずれの国も、次の場合には、それぞれに定める期間、条約の趣旨及び目的を失わせることとなるような行為を行わないようにする義務がある。
(a) 批准、受諾若しくは承認を条件として条約に署名し又は条約を構成する文書を交換した場合には、その署名又は交換の時から条約の当事国とならない意図を明らかにする時までの間」
つまり、2007年9月28日、日本は障害者権利条約に署名した以上、条約の趣旨、目的に反する行為を行えばそれは条約違反として違法となるということです。
この署名時点で既に障害者自立支援法の応益負担制度は存在していました。
ということは、私たちの立場から言えば、この署名の瞬間から障害者自立支援法は、「条約法に関するウィーン条約」第18条違反であり、同法は条約違反として無効となるものなのです。
もちろん以上のようなことも当然私たち弁護団はこの裁判で主張・立証していきます。
とにかく、応益負担制度が存在していることはわが国の障害者福祉制度に致命的な禍根を残すことであって、絶対に許されないことなのです。
この点、「お金を払うことで権利性が高まる」などと主張して応益負担を擁護する意見もありますが、はっきりと誤りです。
ここで対象となっているのは、障害者にとって、障害に起因する社会的不利益を是正するための必要な公的支援に関する公的権利であって、憲法の保障する生存権、平等権、幸福追求権に基づくものです。
その権利がいくら支払ったかで権利の強弱が連動するのですか?
お金のない人には支援のための権利が弱くなるのですか。
生活保護を受ける権利の保障請求を求める人はお金がない以上、その公的権利は薄弱なものなのですか。大金持ちになってから強い権利に基づいて生活保護受給請求権を行使すればいいのでしょうか。もうお分かりでしょう。
国は「決め細やかな低所得者対策を講じているから問題ない」と必ず弁明してきます。
しかし、法施行1年目の2006年に発表された「特別対策」も、翌年発表された「緊急措置」も、全国の障害者の悲痛な叫びに押されて、国はその対策をせざるを得ない状況に追い詰められたに過ぎません。
このことは、法の規定する「利用料原則1割負担」という法の仕組み自体に根本的な過ちがあることを雄弁に証明しています。
小手先の継ぎ接ぎの小細工を重ねたところで、根本の禍根を断たなければ、本質的な解決にはならないのです。
この障害者自立支援法訴訟は、障害のあるなしに関わらず誰でも安心して住める社会をめざす裁判です。
障害者を排除する社会はもろく弱い社会です。
100年、200年後、私たちの子孫に恥ずかしくないような社会を築くため、弱いものに冷たい社会からおさらばしましょう。
人にやさしい社会をめざして、さあ、障害者自立支援法訴訟が始まった!
楽しみです。
障害者自立支援法訴訟 全国弁護団 事務局長弁護士藤岡毅
全国弁護団事務局 通信 第2号 2009年1月30日
福岡地方裁判所 第1回期日 この感動を伝えたい。
本日午後1時10分から、福岡地裁で第1回口頭弁論期日が開かれました。
福岡弁護団のページに報告がありますのでご覧下さい。
いやあ、感動しました。
テレビで実況生中継したら国民みんなが釘付けになるのではと思うほど、どんなドラマを見るより素晴らしい時間と空間を共有したという充実感を感じます。
1月22日の大津地裁でのお母様お二人の意見陳述にも胸を打たれましたが、今日は九州で現在のところただ一人原告として立ち上がっている平島龍磨さんの、トップバッターでの登場で緊張してもおかしくないところを、「原告の思い」の堂々たる陳述があり、障害当事者本人による力強い陳述には本当に感動しました。
裁判後の集会でも、普段は冷静を装っている弁護団員が口々に感動したと率直に感想を述べていました。
改めて、平島さんにはその勇気に心より敬意を表します。
平島さんは法廷で「提訴して本当に良かったです。」と言い切りました。私もそんな平島さんと共に闘えることに喜びを感じます。
次に、平島さんが通所している通所施設の施設長赤松英知さんの意見陳述がこれまた素晴らしかった。
裁判員制度用の大きな法廷の隅々まで朗々とよく響き渡る声で陳述された障害者自立支援法のもたらす障害福祉現場への過酷な影響と矛盾は、とてもわかりやすく、臨場感あるものとして裁判官に伝わったのではないかと思います。
続いて、福岡弁護団を率いている中村博則弁護士の弁護団としての陳述がありました。
その冒頭の部分を次に再現します。
障害者政策は「社会の鏡」であると言われます(甲A24号証)。
「社会の鏡」であるという意味は、障害者に対してどのような政策を取っているかが、その社会の本当の豊かさの実態を示すものだということです(甲A17号証)。障害者が暮らし易い社会は、すべての人が豊に暮らせる社会であるということです。
障害者がレストランに就職したときの経験が新聞で報道されたことがあります(甲A40号証)。当初は1日2時間しか働くことができず、会社側から福祉施設への転職を提案されましたが、店長が「たった1年で解雇するのか」と猛反発しました。その店長がノートで情報を交換しながら支援し、3年後には1日5時間働くことができるようになりました。その過程で、パートやアルバイトの従業員もその障害者を気遣うようになり、接客対応まで向上し、会社側は、「いかなる研修やマニュアルにも勝る効果があった」と言っているそうです。
この例で、レストランを社会や国に置きかえても同じことが言えると思います。障害者を暖かく見守ることのできる社会や国は、すべての人が互いに思いやりを持って豊かに暮らしていけるということです。
しかし、障害者自立支援法は、障害者の自立を支援するどころか、自立を妨害し、それどころか障害者のこれまでの生活そのものを否定するような法律です。
中村弁護士の暖かい人柄が滲み出ている陳述です。
九州人の暖かさなのかもしれません。
聞いていて、何とも暖かい気持ちにさせられる陳述です。
この訴訟の意義の根底にあるものが感じられます。
最後に竹下団長からの言葉。次の3点。
① 立法時点で欠陥法であることが明らかなこと
② 自立と社会参加という障害福祉の目的と相反する応益負担、受益者負担
③ 障害をさらす原告の勇気と決意の意義
裁判後の集会で重い障害を持つお子さん(たぶん成人)のお母様から、「竹下弁護士の法廷での発言には障害を持つ親としてほんとに有り難い」という趣旨の泪声の言葉もいただきました。
この団長なくして有り得ないこの障害者自立支援法訴訟です。
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それにしても、障害者自立支援法って何なんでしょう。
自立とは、経済的自立だけではありません。
一人ひとりの人間がその人らしく、個々の尊厳を尊重されて活き活きと生きていくことではないでしょうか。
この法は自立を上から強要しています。
強要される自立が本当の自立でしょうか。
仮に国の考える、金銭的自立、経済的自立だけしかみない皮相な自立観(もちろん、お金を自分で稼いで自尊心を持つことはとても大切なことですし、働くことの喜びは代え難い価値があり、障害者の一般就労がさらに実現する社会は望ましいことですが、この法の想定する自立観はいびつで、一面的ではないでしょうか)を前提としても障害者自立支援法が論理破綻を来たしていることは自明です。
今日の4名の意見陳述を聞いて、今更ながら思いを強くしました。
だって、国は障害者が金銭的、経済的自立が出来ていないから、その自立を促進、支援するためにこの法を制定したと言っていたのでしょう。
だったら、どうして、その金銭的自立が出来ていない人に金銭負担を強いることが自立の促進という効果と結びつくのでしょう。
金銭的自立が出来て、負担が苦にならなくなった人、つまり公的自立支援が不要な人に負担させるならば論理的整合性がありますが、金銭的自立が全く出来ていないため負担が苦になる人にだけ負担を強いる法律。
公的支援の必要が高い人にはそれに応じて重い負担を強いる法律。
福岡弁護団も次のとおりこの法の欠陥を看破します。
障害が重い人ほど重い負担を課すということは、働けない人ほど重い負担を課すわけですから、耐えられるわけがありません。
応益負担というのは、最初から実現不可能な制度なのです。
この法の基本思想における論理矛盾は誰にでも自明でしょう。
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法制定前後に厚生労働省の社会保障審議会障害者部会会長として、この法律制定の推進力として中心的役割を果たされた、京極高宣(きょうごく たかのぶ)(元社会事業大学学長)先生は、2008年12月5日付、9日付の「厚生福祉」という雑誌において、
「 『受益者負担』という用語はもともと財政に関する法律上の概念であって、『開発利益を開発主体へ吸収、還元するための特別課徴金』等の意味で使われていた。…それは道路の開通によって、その周辺の地主等に土地価格の上昇等の特別利益が生じることから、社会的均衡を期すためにその受益者たる地主に開発費用の全額または一部を強制的に負担させるというものである。」(1984年刊「市民参加の福祉計画」)と説明されています。
噛み砕いていえば、「一部の人が特別に利益を得て得をするのは不公平、ずるいから、その特別に儲けた利益をみんなに吐き出しなさい」という考えが「受益者負担」ということになると思われます。
しかし、京極先生は「昭和40年代後半から、保健、医療、福祉の分野での利用者の負担を強化するためのテクニカルタームとして国が受益者負担という用語を強調してきた事実」を認めながら、一転「私が調べたところでは、これは外国では使われていない概念である。」として、例えば外国でよく使われるユーザーズチャージは利用者負担と訳した方がいいものであり、「受益者」という概念は必ずしも英語にはなじまない。…私はユーザー(利用者)という言葉を用いて、「利用者負担」という中立的な考え方に整理した。それが今日では一般的に普及している。…と説明されています。
そして、…あたかも国が障害者を受益者とみて、その便益に応じた応益負担の原理を障害者自立支援法に導入したと決め付けることはいささか短絡的であろう。…
と記載してます。
さらには
…厚生労働省の説明の一部に、障害者自立支援法の利用者負担があたかも応益負担であるかのごとく、やや軽率な発言が在ったのも議論の混乱を招いたかもしれない。…
と書いています。
つまり、京極先生は、障害者自立支援法の負担方法は最初から応能負担だったのであり、あたかも応益負担のごとく軽率な発言をした厚生労働省の一部の人間がいたことが混乱の原因であったという趣旨の御主張を展開されています。
そこで厚生労働省の現在のHPを見てみます。
平成16年10月12日、厚生労働省障害保健福祉部が、第18回社会保障審議会障害者部会に正式に提出した、障害者自立支援法の原型となる、平成16年10月12日付け「今後の障害保健福祉施策について(改革のグランドデザイン案)」には次の記載があります。
もっとも、「会議終了後に資料に誤りがあることが判明したため、ホームページに掲載された資料は訂正しました。」との記載があるため、何かしらの修正が入っている可能性はあります。
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見直しの具体的な内容
1 福祉サービスに係る応益的な負担の導入
に基づきサービス量を決定する仕組みであること、またサービスの利用に関する公平を図る観点から、サービスの量に応じて負担が変わる応益的な負担を導入し、利用額に応じ、利用者がサービス事業者に支払うものとする。
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そして、平成16年10月12日付の議事録を見てみます。
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○村木企画課長
それではまず私から改革の全体像を簡単にお話したいと思います。
お手元の資料2「今後の障害保健福祉施策について(改革の
グランドデザイン案)
【概要】」というものをご覧いただきたいと思います。
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次の8ページをご覧ください。費用負担の仕組みでございます。
絵がかいてございますが、障害者福祉にかかる費用をみんなでしっかりと支える仕組みを
構築をしたいというふうに考えております。
具体的には、ご利用されるご本人の利用者負担について、
これまで応能負担の仕組みをとっておりましたが、
これからは使ったサービス量に応じて負担をする
応益負担に制度を
変えたいというふうに考えております。
そのことによりまして、当然に扶養義務者負担は廃止をされるということでございます。また、応益負担の制度をとった場合に家計への影響等々が非常に大きいという場合もあります。そういったことを考慮しまして、一定の負担上限を設けたいというふうに考えております。この負担上限につきましては、負担能力の低い方には低い負担上限を設定したいと考えております。またさらに、これによっても利用に係る負担をすることが難しいというケースにつきましては、なんらかの配慮措置を講ずることも検討してみたいと考えております。
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そして、京極先生が司会をされている平成16年10月25日(金)10:00
~12:30に実施された第19回の議事録を見てみます。
北川企画官という厚生労働省の官吏が制度説明として
「利用者負担の問題についても応益的な負担とか、
…こういう形で提案させていただいているというのが我々の考え方です。」
と説明しています。
これに対して、福島智委員から即座に
「応益負担といった場合、応益の益、利益というのは何なのか。」
という指摘が出ています。
これらの点に関して、京極部会長からは次の発言です。
京極部会長
なお、利用者負担につきましては、私は福祉財政学を
やっているので、 社会福祉サービスにおける利用者負担というのは、応益負担にしても、全額市場ベースのコストを負担しているわけで はなくてその一部をどういう考え方で負担させるかということであって、
福島委員の言うように全部負担させているわけではなくて、
その一部を能力に応じて負担させる場合と、
実際に使った分に対して介護保険のように
その一割を負担するという2つになっていて、
負担については必ずしも、財政的に金がないから
利用者に負担させるということではなくて、モラルハザードを防いだり、あるいは、若干の負担をしたほうが使いやすいという利用者の気持ちを忖度したり、いろんな機能があるわけで、そういうことを総合的に考えて、
例えば、介護保険の場合は応益負担にしたわけで、
それまでは措置制度の下でしたので応能負担だったということで、
所得の低い方はたくさん使ってもモラルハザードがないと
いうことだったので、それでいいのか。
逆に、所得の高い人は応能負担で多額納税者でありながら
たくさんの負担をしている。 そういう問題をクリアしたわけで
、今後どうするか。
障害施策の将来展望との関係、そして、義務的経費化の問題でも、
果たして青天井を、どういうところで水準をつくってやれるか
というようなことも
次回以降詰めて議論したいと思いますので、
これぐらいにしたいと思います。
部会長として、「利用者負担」を福祉財政学上専門的に
研究した学者として、
「厚生労働省の説明は間違っている。
これを応益負担と説明するのは間違いで、
応能負担である。」との指摘は私には読み取れません。
それを4年以上経ってから、
「障害者自立支援法の利用者負担は受益者負担でもなければ、応益負担でもない。あたかも応益負担のごとく軽率に発言した厚生労働省の一部の説明が混乱を招いただけだ。」
「国が障害者自立支援法の利用者を受益者と考えたとか、応益負担を導入したと決めるつけるのはいささか短絡的だ」というご趣旨の主張を展開される。
ちなみに、この京極先生の御論稿の中には「障害者が一斉提訴」と題する私たちのこの訴訟の動きがコラムで説明されています。京極先生が私たちの訴訟を意識して御主張を展開されていることは明らかです。
みなさんはどう思われますか?
話しが飛んだかもしれませんが、みなさんとともに、障害者自立支援法、応益負担の問題を改めて徹底的に検証していきたいと思います。
未来を信じて進んで行きましょう。
藤岡毅
http://info.jiritsushien-bengodan.net/