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キレる、スネる、自己中「モンスター部下」の猛威

2019年07月20日 17時39分33秒 | Weblog
河合薫の新・社会の輪 上司と部下の力学
健康社会学者(Ph.D.)
2019年7月16日
 
 

 知人が、またウツになった。これで3人目。いずれも40代後半の管理職の男性である。

 1990年代以降、管理職の死亡率が急増している実態は先日書いたが(「中間管理職がヤバい!死亡率急増と身代わり残業」)、40代のメンタル不全者は2010年以降、急増している(日本生産性本部の企業アンケート調査)。

 長時間労働、睡眠不足に加え、仕事の要求度の高さ、さらには時間切迫度などで、ストレスの雨にびしょぬれになってしまうのだ。

 が、今回のケースは、それ以外のストレス雲が豪雨を降らせた。
「ここまで自尊心が低下したのは初めて」と語る知人を苦しめたのは、部下。

 いわゆる“モンスター部下”だ。

 2014年12月に50代の静岡市職員の男性が自殺したのも、モンスター部下が原因の1つだった。

 男性は14年4月に市の外部機関に異動となり、計6人の部下を持ったが、部下から業務の指示を巡り「いいかげんにしろ」「うそを言わないでください」などと強い口調で叱責されていたと複数の職場関係者が証言している。

これまで職場のストレスのもとは上司だったが

 本人の手帳には「部下から逆パワハラを受けている。バトウやシッセキがあり、席にいてもおちついていられない」と書き残され、異動から約8カ月後の12月24日、職場で自殺するというショッキングな事態となってしまったのだ。

 遺族は「長時間労働と部下からのパワーハラスメント(逆パワハラ)」が原因として15年5月に、公務災害認定を申請。男性は1カ月で最長約82時間の時間外勤務をしており、「異常ともいえる職場環境で繰り返し叱責・罵倒され、精神疾患を発症させる強度の精神的負荷だった」と判断。19年6月、地方公務員災害補償基金静岡市支部は自殺を公務災害に認定したという。

 これまで職場のストレスを考える上で「最大のリスクは上司」だった。それを象徴するようにキャリア研究や職場組織研究は「上司との関係性」をフォーカスし、上司=パワーある存在としてあの手この手で上司の問題を扱ってきた歴史がある。

 が、今や組織内でパワーは上司にあっても、社会的にパワーを持つのは部下だ。
時代は以前にも増して「部下オリエンテッド」。飲み会に誘うだけでパワハラと言われ、その是非がSNSで飛び交うご時世である。

 

 厚生労働省が実施した2016年度パワハラ調査でも、「上司から部下」によるパワハラが76.9%と最も多いものの、「部下から上司」によるパワハラも1.4%報告されている。

 たった1.4%と思われるかもしれないが、実態はこれ以上に存在しているのではあるまいか。

 実際、冒頭の知人は「会社には部下のことは話していない」そうだ。

 現在彼は3カ月の休養を得て、「完全復帰とは言えないけど普通に仕事ができている」状態まで回復した。そこで今回は、彼がメンタル不全に至るまでの経緯を話してくれた内容から「モンスター部下」についてあれこれ考えてみようと思う。

 「海外展開の部署に異動になって出張も多かったし、月100時間残業当たり前になっていたのが、かなり疲弊していたことは確かです。

 でも、部下のことが一番しんどかった。もうね、いちいちムカつくんです」

自己中心的でビジネスマナーに欠ける部下

 お客さんにシワシワの資料を平気で出す。注意すると突然、幽体離脱したみたいに無表情になって聞こえないふりをする。自信家さんで自分の意見が通らないと感情的になる。社内評論家のように、偉そうなことばかり言う。

 自分がやりたくないことは絶対にやらない。どんなに突然の仕事が入って、周りが残業していても視界に入らないのか見向きもしないで、とっとと帰る。地味な仕事は「それ、なんの意味があるんですか?」とやたらと聞いてくる。

 そのくせ結構ナイーブで、すぐに自信喪失する。そのたびに周りが慰め、褒めなきゃならない。それをしないと貝になり、誰かに優しく声を掛けてもらえるまでスネ続ける」

 

「1つひとつのことは、大きな問題じゃないし、余裕があれば対処できることなのかもしれない。でも、毎日毎日こうしたミニ事件が起こるわけです。ついこっちもカッとなる。でも、そこで大きな声でも出そうもんなら、パワハラになってしまうから我慢するしかない。

 すると、次第に自分を責めるようになるんです。自分に能力がないんじゃないかって。消えてくれればいいのに、とか思うようになってしまってね。

 家でもストレスを引きずっていたみたいで、妻からあるとき病院に行った方がいいって言われたんです。自分でもなんか俺おかしいって自覚もあったから、妻のアドバイスを素直に聞くことができたし、医者にすぐに会社を休まないと、取り返しのつかないことになるって診断されたときは『これであいつらから逃れられる』ってホッとしました。

 でも、心身が回復していくのと並行して、自尊心が著しく低下するんです。部下を教育できない自分が嫌で嫌で。この先、部下を持つのが怖いというか、二度と持ちたくないのが本音です」

ストレスにはライフイベントとデイリーハッスルの2種類

 おそらくここまで読んだ人の中には、「これってただ単に、知人くんの方に部下マネジメントの能力がないのだよ」だの、「メンタル低下したのは長時間労働が問題であって、モンスター部下は関係ないんじゃない」だのと思われた人もいるかもしれない。

 だが、人間の感情は複雑に交差し、感情は割れる。だからこそしんどい。第三者の目には「大したことじゃない」と映っても、当事者にとっては土砂降りのストレス豪雨となったりもする。

 私たちが感じるストレスは、ライフイベントとデイリーハッスルという、2つのシーンに分けられ、前者は人生上で起こる節目の出来事で、転勤や異動、転職、結婚、離婚、あるいは大切な人の死などが相当する。想定していなかった突然の出来事であればあるほど衝撃が強く、誰にとってもストレスフルで、ダメージも大きい。そのため周りからの共感も得られやすい。

 一方、デイリーハッスルは、日常的に遭遇するイライラ事で、人間関係のもつれや悩み、仕事上の失敗、忙しさからくる不満や怒りなど、誰もが普通に生活していれば遭遇するストレスである。

 が、何がデイリーハッスルになるかは個人により異なり、ストレス対処力の高い人は、そもそもストレスに感じない、あるいはストレスと感じてもうまく対処できるので、個人の性格の問題や能力の問題にされがちなのだ。

 

 ストレス研究の専門家の中にも、「日常イライラしたり、悩んだりするのは、この世の中に生きていれば当たり前だ」として、デイリーハッスルをストレッサー(ストレスの原因)として扱わない人も少なくない。

 とはいえ、リアルの世界は学問じゃ語りきれない問題だらけで、デイリーハッスルの慢性化ほど、つらいことはないのである。

 とりわけ上司と部下の関係のように毎日顔を合わさなくてはならない、相手を避けることも逃げることもできない状況では、地獄の苦しみとなる。上司がリスクなら「そうそうその通り!」と満場一致の賛成票を集められても、部下の場合はそうはいかない。知人が言うように自責の念も強まるため、余計にタチが悪い。

 私は講演会などで大抵質疑応答の時間を設けるのだが、最近のトレンドはもっぱら「ゆとりモンスター部下」だ。

「ゆとり‥‥という言葉は禁句らしいのですが‥‥」
「ゆとり‥‥と呼ぶこと自体、パワハラらしいのですが‥‥」
「自分たちの時代もそうだったのかもしれないけど、やはりゆとりは‥‥」

 といった具合に相当に気遣った前置きをした上で、心情を吐露する。

少子化がコミュニケーション下手を助長した

 ゆとり世代=モンスター部下では決してなく、モンスター部下にゆとり世代が多いと感じられているだけなのだが(と、ここでも気を遣わなきゃならないわけでして)、仕事のアドバイスをすれば「上から目線」と批判され、ちょっとでも厳しく指導すると「パワハラ」って騒がれてしまう上司たちは、「新しきが良きこと」という極めて短絡的な価値観を最優先し、「評価されない」とまるで子供のように機嫌をそこねる「ゆとりモンスター」に手を焼いているのである。

 いったいなぜ、モンスター部下なんて言葉が生まれるような時代になってしまったのか?

 個人的には少子化、SNSによるコミュニケーションスタイルの違い、大学のキャリア教育が影響していると考えている。

 今の若者たちの多くは「一人っ子」だ。1970年代前後から30年以上、兄弟の数は2.2人前後で安定していたが、2005年で2.09人に減少し、2010年には1.96人とついに2人を割り込んだ。

 そういった少子化に加え「子供の個性を伸ばせ!」だの、「褒めて育てろ!」だのといった“英才教育本”が普及し、親たちの「子への期待」は加熱。昭和時代はお父さんの指定席だった家庭の“主役”を子供が取って代わり、親からチヤホヤされて育ったのが平成生まれの若者である。

 彼らは「今日、学校はどうだった?」「勉強は?」「お友達は?」などと常に、親が先回りし、気持ちを察してあれこれ言ってくれるから、ゼロから話を組み立てる必要がない。いつも「自分」を気にしてくれるオトナがいれば、「はい」「いいえ」だけでコミュニケーションは成立するし、「今日はこんなことがあって、誰々ちゃんがこんなことをやって、僕はあれをやって」とひたすら言いたいことを発信すれば、伝わったとか、わかったかな?とか案じる必要はゼロ。

 

 その結果、相手に伝えるための言葉を持たない、伝わったかどうかも気にならない子供が量産される。それは「受け止める力」の弱い子供が量産されることでもある。

 自分の伝えたいことを必死で伝える努力を経験して初めて、相手の言わんとしているメッセージを「受け止める力」が育まれるため、その経験がない若者には、そもそも上司の言っていることが伝わりづらい。

 さらに、SNSがメインのコミュニケーションツールとなり、顔と顔を突き合わせてのぶつかり合いが激減した。それはコミュニケーションの神髄が身体に染み込む経験の喪失である。

 Twitter、facebook、Instagram、YouTubeなどでは、いいねの数やツイートの数、フォロワーの数など他者評価が溢れるため他人の評価にも過敏になる。

 親にチヤホヤされて育ったのに、会社にチヤホヤしてくれる上司はいない。そのため余計に他者評価への関心が過剰になり、ささいなことで自信過剰になったり、自信喪失してしまったり。時には「本当の自分はこんなもんじゃない」という気持ちが、モンスターの芽になってしまうのだ。

 極め付きは大学のキャリア教育だ。ただ、この件については長くなるので簡単に要点だけを書くことにする。

 つまるところ、私はキャリア教育の必要性と重要性は重んじているが「自分に合った仕事を見つけましょう!」「自分の能力を発揮できるやりがいのある仕事を見つけましょう!」的教育は大反対。そういった誤ったキャリア教育が「自分のやりたいことしかやらない若者」を量産し、彼らの伸びしろを狭めているのではあるまいか。

モンスター化を防ぐには組織で腰を据えた教育を

 と、あれこれモンスター化の原因を書いてきたけど、モンスター部下を量産しないためには、彼らの教育には手間がかかるという共通理解のもと、彼らの力を生かす方法をとるしかない。

 具体的には、部下にチャレンジする機会を与え、役立つ情報をきちんと伝達し、彼らができている点、できていない点を客観的にフィードバックし、彼らの心を周りが支える仕組みが必要不可欠。「上司1人=点」に任せるのではなく、「組織=面」で彼らを教育する。

 繰り返すが、それはとてもとても手間がかかる作業だ。

 だが、いつの時代もそうであるように、上司や先輩の真摯な気持ちは必ずや部下の心に響く。時には上司や先輩が若いときの失敗した経験を話してあげれば、部下たちは「自分と同じなんだ」という気持ちになり安堵する。上司への共感が、部下たちのモンスター化を防ぎ、そのエネルギーを成長に転嫁させるのだ。

 学生や20代の社員と話をすると、彼らが本質的には私たちの若い頃となんら変わらないと感じたりもする。むしろ今の若い世代は、私たちが若い頃になかったような優しさを持っている。ボランティアに参加する腰の軽さ、人に役立ちたいという気持ち。さらには様々なITスキルや新しい世代ならではの価値観は「私」の学びにもなると思うのだ。

 そして、どうか会社は、モンスターが部下であるが故に、その苦しみを打ち明けられない上司たちを救う仕組みもきっちりと検討してほしい。

■変更履歴
記事掲載当初、本文中の表記に誤りがありました。本文は修正済みです [2019/07/16 10:25]

 

『他人の足を引っぱる男たち』(日本経済新聞出版社)


権力者による不祥事、職場にあふれるメンタル問題、 日本男性の孤独――すべては「会社員という病」が 原因だった? “ジジイの壁”第2弾。
・なぜ、優秀な若者が組織で活躍できないのか?
・なぜ、他国に比べて生産性が上がらないのか?
・なぜ、心根のゲスな権力者が多いのか?
そこに潜むのは、会社員の組織への過剰適応だった。 “ジジイ化”の元凶「会社員という病」をひもとく。

 

 

キレる中高年に従業員が潰される!増えるカスハラ問題

 「カスハラ」問題が深刻化している。

 カスハラとは、カスタマーハラスメント。明確な定義はないが、「顧客や取引先からの自己中心的で理不尽かつ悪質なクレームや要求」のことで、先週ILO(国際労働機関)の定時総会で採択された「ハラスメント禁止条約」でも対象になっている。

 で、いつもどおり“遅ればせながら”ではあるが、厚労省もガイドラインの作成に乗り出す方針だそうだ。

 そんな中、民間の調査で「カスハラが最近3年間で増えた」と感じる人が6割近くいて、約7割がカスハラを経験していることがわかった。

 「カスハラの対応で、どんな影響があるか?」との問いには(複数回答)、「ストレスが増加」93.1%、「仕事の意欲が低下」82.1%、「体調不良」73.2% 、「退職」59.6%「休職」54.2"など、カスハラに対応した人に過剰な負担がかかることも明らかになっている。

 「せっかく大卒を積極的に採用して1年間コストをかけて育成しても、お客に潰されるんです。職業差別がひどくなってませんかね」

  つい先日タクシーに乗ったときも、運転手の方がこう嘆いていた。

 どう考えても「このコースしかないでしょ」というときでさえ、「ご希望のコースはございますか?」だの、「●●通りから△△に入る道でよろしいですか?」と聞いたり、「お話してもいいですか?」と断ってから雑談を始めたりするるのも、運転手さんによればすべてカスハラ対策だという。

若い社員が早々に辞める一因にも

 というわけで今回は、「カスハラ」についてアレコレ考えてみようと思う。

 「私も40年くらい運転手やってますけど、“普通のお客さん”に怒られるようになるなんて想像したこともなかったですよ。つい先日もね、『さっき確かめた金額と違う!』って怒りだしちゃって。

 こちらの都合で指定の場所を過ぎたときは、メーターを止めます。ほら、交差点とかで止められなかったり、危なかったりするときがあるでしょ。でも、その時は私が止まろうとしたら『もっと先まで行け!』って言われたんです。参りますよね。

 ホントね、大人しそうに見える人が突然怒りだすから、怖いですよ。
 まぁ、私くらいになれば、言われてもなんとか対処したり、あまりにひどいことを言われたら車止めて『会社に電話しますので』とか言ったりできるけど、若い人はそんなことはできない。

 だから、メンタルやられて辞めちゃうんです。会社はタクシー業界のイメージをよくしようと賃金上げたり、福利厚生充実させたり、いろいろやってるのに。お客さんに潰されちゃうんだもん。やってられないよね」

 

「え? どんなこと言われるのかって? まぁ、いろいろありますよ。

 ‥‥そうね、ほとんどは言葉の暴力だけど、あれは結構、あとからこたえるんですよね。トラウマっていうのかな。アホだの、ボケだの、すごい怒鳴り方されて。今の若い子たちはそんなに怒られた経験がないし、年上と話すのも下手。1回でもやられるとお客さんとコミュニケーション取れなくなって、完全に悪循環ですわ。

 特にね、理不尽なこと言うのは年配の男性に多いんです。命令口調でね。自分の運転手だと勘違いするんですかね。殴られたら、警察呼べばいいけど、言葉の暴力じゃあ通報もできませんから。いやな世の中になってしまいましたね」

 ‥‥せっかく育てた社員が辞めてしまうほど怒鳴り散らすとは。事態は想像以上に深刻である。しかも、年配の男性。ふむ、確かに。

 コンビニでアルバイトをしている学生が、意味不明の横暴な態度を取るのは、決まってダーク系のスーツをきちんと着たビジネスマンとぼやいていたことがあった。社会的に強い立場にいる人たちの特権意識が高まっている傾向は確かにあるのだと思う。

 だが、女性であれ、おばさんであれ、若者であれ、カスハラ加害者はいるし、今回は「どんな人が加害者になりやすい」ということがテーマではないので、「あくまでもこういう話を私が聞いた」というレベルにとどめておいていただきたい。

カスハラは心に深く長く傷を残す

 昨今のカスハラはエスカレートの一途をたどっていて、暴言や恫喝だけではなく、土下座を強要したり、SNSで広めるぞと脅しをかけたり、数時間にもわたりクレームを言い続けたり、賠償金を求めるケースも存在する。

 カスハラは介護の現場でも横行している。「介護職員への暴行、杖(つえ)を股に当てるセクハラも」に書いたとおり、利用者の家族からの迷惑行為も「カスハラ」である(以下、抜粋)。

・“挨拶ができていない”、“太っているナースは来るな”など、訪問する度に暴言をはく
・“おまえなんかクビにしてやる!”と激高。杖を振り回してたたこうとした
・料金請求時“カネカネばっかり言いやがって”“ボランティアって気持ちがないのか”と言われた。

 カスハラを受けた人が「10年以上前のことだが、思い出すだけで涙が出る」「言われるだけで何もできなかった」と告白しているように、心が引き裂かれるほどの深い傷を負うことになる。

 被害者の心情を慮れば「ガイドラインを作成する」などと悠長なことを言っている場合じゃない。早急になんらかの防止策に乗り出して欲しい。というか、これこそ「働き方改革」だと思うのだが・・・。

 

 いずれにせよ、運転手さんが“普通のお客さん”と表現したように、ひと昔前であれば、堅気の人はやらないようなクレームを、ごくごく普通の人が「お客様」の立場を利用して、従業員を追い詰めているというのだから困ったものである。

 が、これは裏を返せば、なんらかのスイッチが入った途端、誰もが「カスハラ加害者」になる可能性があるとも言える。人のふり見てわがふり直せ、ではないけど、自分や家族が加害者にならないよう気をつけねばならない。

 そもそも、この数年社会にまん延している「カネさえ払えば何をやっても許される」「客の要求を満足させるのは当然」という歪んだ“お客様”意識はどこから生まれたのか。
 個人的には大きく2つの要因が引き金になっていると考えている。

 まず、1つ目は「お客様第一主義」という理念の下、モノを作ることに専念してきたメーカーまでもが、「モノ」の付加価値を高めるために顧客サービスを強化し、競争に打ち勝とうとしたことである。

 その結果、本来であれば顧客サービスとは無縁の職業についた従業員にまで、顧客サービスが課せられ、それが従業員の資質の問題として処理されるようになった。

顧客の声とカスハラを明確に区別する企業は少ない

 例えば、システムエンジニア(SE)だ。
 数年前に行ったヒアリングでは(河合らの研究グループ)、多くのSEさんたちが顧客のところに出向いて要求を聞きながら作業を進める“サービス”を課せられていた。もともと「人と接するのが苦手だから、プログラマーの道を選んだ」という人が少なくないにもかかわらず、だ。

 システムの不具合の原因が顧客の側にある場合でも、途方もない要求を突きつけられる。「顧客が不機嫌というだけで、怒鳴られたり罵倒されたりした」と語る人たちもいた。

 企業側からすれば、現場で社員が耳にする「お客様のクレーム」は商品改善の大切な声かもしれない。だが、「大切な声」と「カスハラ」を明確に区別する企業は少ない。

 ただただ「お客様を満足させよう!」を合言葉に、ときにゲキを飛ばし、従業員たちに丸投げする。銃も防護服も身につけずに、丸裸で従業員は“危険なサバンナ”に放り出されているのだ。

 

 実際、冒頭で紹介した調査では、顧客対応マニュアルを作成している会社は31.4%だった。そのうち、カスハラに対応していないマニュアルが約4割で、全体の半数以上は「作成予定もない」という。

 で、ここからが2つ目の要因になるのだが、そもそもサービスとは“感情”を提供することであり、サービスを提供する労働は「感情労働(emotional labor)」と呼ばれ、それなりのスキルなくしてできるものではない。

 つまり、本来であれば従業員のサービスの教育や感情コントロールの訓練を行ったり、感情労働分の賃金を上乗せしたりするなど、お客様を満足させるためのコストが必要不可欠。付加価値を高めるためのサービスは、タダじゃないのだ。そんな認識もないままに、対人サービスを当たり前としていることが問題なのだ。

 2012年にスカイマークが、[スカイマーク・サービスコンセプト]という冊子を座席のシートポケットに入れ、顧客からのクレームで回収するという事態に至ったことがあった。

「感情労働」を切り分けてみせたスカイマーク

・荷物の収容はしない
・従来の航空会社の客室乗務員のような丁寧な言葉使いを当社客室乗務員に義務付けていない
・安全管理のために時には厳しい口調で注意をすることもある
・メイクやヘアスタイルやネイルアート等に関しては「自由」
・服装については会社支給のポロシャツまたはウインドブレーカーの着用だけで、それ以外は「自由」
・客室乗務員は保安要員として搭乗勤務に就いており接客は補助的なもの
・幼児の泣き声等に関する苦情は一切受け付けません
・地上係員の説明と異なる内容をお願いする際は、客室乗務員の指示に従うこと
・機内での苦情は一切受け付けません
・ご理解いただけないお客様には定時運航順守のため退出いただきます
・ご不満のあるお客様は「スカイマークお客様相談センター」あるいは「消費生活センター」等に連絡されますようお願いいたします

 私はこの問題が発覚し、大バッシングが起きた時に、スカイマークを褒めた。「オ~、よくぞここまで言い切った!」と。このサービスコンセプトこそが搭乗料金の値下げにつながっているというロジックが成立するからである。

 [スカイマーク・サービスコンセプト]は、「我が社の飛行機に乗っているのは、客室乗務員ではなく、保安員です。ですから、他の航空会社さんとは違うのです」というお客さんへのメッセージであると同時に、「我が社はあなたたちに、乗客を感情的に満足させることを求めていない。あなたたちは、安全に乗客を届ける仕事に専念してください」という社員へのメッセージでもある。

 

 誤解のないように言っておくが、社会人の当たり前の振る舞いとして、お客さんに感謝したり、仕事をスムーズに進めるためにお客さんとコミュニケーションを取ったり、自分がお客さんを喜ばせたくてサービスすることと、「何が何でもお客さんを満足させる!」ことは別。

 お客様を「大切」に思って丁重に接することと、感情を売り払ってまでお客様を満足させることは、決して同じではないのである。

 「感情労働」は働く人の資質でも自主性に任せる問題でもない。「企業がコストを払う労働」である。「顧客を満足させるのは、タダじゃない」という当たり前を、一体どれだけの企業が理解しているのだろうか。

 企業は本当に「サービス」が最後の切り札なのか?を、きちんと考えた方がいい。

 その上で「『お客様を満足させる』ために我が社が従業員に求めるものは何か?」をとことん突き詰めてほしい。“顧客を満足させる”ことに疲弊しきって、しまいには金属疲労のように心がポキリと折れることがないように働く人を守ってほしい。

 これ以上、お客さんのモンスター化が進行しないためにも。

『他人の足を引っぱる男たち』(日本経済新聞出版社)


権力者による不祥事、職場にあふれるメンタル問題、
日本男性の孤独――すべては「会社員という病」が
原因だった?“ジジイの壁”第2弾。
・なぜ、優秀な若者が組織で活躍できないのか?
・なぜ、他国に比べて生産性が上がらないのか?
・なぜ、心根のゲスな権力者が多いのか?
そこに潜むのは、会社員の組織への過剰適応だった。
“ジジイ化”の元凶「会社員という病」をひもとく。

 

 


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