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第2のパナマ文書か 「パラダイス文書」首脳ら120人 タックスヘイブンへの関与に批判必至

2017年11月08日 01時54分33秒 | Weblog

第2のパナマ文書か 「パラダイス文書」首脳ら120人
タックスヘイブンへの関与に批判必至


ヨーロッパ
2017/11/6 18:43

 大手法律事務所アップルビーから流出した「パラダイス文書」は、世界の首脳や閣僚、王室関係者がタックスヘイブン(租税回避地)に関与していた実態を浮き彫りにした。文書には著名人約120人の名があがった。タックスヘイブンの利用は違法ではないが、意図的な税逃れとの批判は避けられない。各国の首脳や閣僚を辞任に追い込んだ「パナマ文書」の再来となる可能性がある。

 

 パラダイス文書は国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が5日(日本時間6日未明)に公開した。英領バミューダ発祥の法律事務所アップルビーの内部文書など合計1340万件の文書で構成する。ICIJは分析を通じ、世界の首脳、閣僚ら120人がタックスヘイブンの企業に関与したと指摘した。

 米国ではロス商務長官の関連企業が米政府による経済制裁対象のロシア企業と取引していると名指しした。新たなロシア疑惑に発展する可能性が指摘されている。

 清潔なイメージが売り物のカナダのトルドー首相の盟友の名前も挙がった。同首相の資金集めを担当していたステファン・ブロンフマン氏が英領ケイマン諸島の信託会社に巨額の資金を移していたと指摘。専門家によると、カナダ、米国、イスラエルで課税を逃れた可能性があるという。

 王室では英国のエリザベス女王の個人資産がケイマン諸島のファンドに投資されたことが分かった。ヨルダンの前国王の妻、ヌール妃もジャージー島にある信託会社2社の受益者になっていたことが判明した。そのうちの1つは2015年時点で4千万ドル(約45億円)の価値があり、収入はヌール妃に支払われることになっていた。

 名前が挙がった著名人にはノーベル平和賞受賞者も含まれる。11年に受賞したリベリアのサーリーフ大統領は、01~12年までバミューダ企業の役員として登録されていた。コロンビアのサントス大統領(16年受賞)は、01年までバルバドスに設立された保険会社の役員を務めていた。

 100を超す多国籍企業の名も挙がった。ICIJの資料によると、米アップルの顧問弁護士がメールでアップルビーにタックスヘイブンでの子会社設立を相談していた。ナイキはロゴの商標権を持つペーパーカンパニーを設立し、課税逃れをしていたとしている。

 世界のリーダーや大手企業は高い倫理観やルールの順守が求められる。タックスヘイブンを使った税逃れが事実なら、有権者や消費者の反発を招くのは必至だ。

 (国際アジア部 松本史)

日本経済新聞 電子版

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23150440W7A101C1FF2000/


記者爆殺、揺れるマルタ 「パナマ文書」報道、疑惑追及

バレッタ=喜田尚 軽部理人

2017年11月6日11時43分

 10月、調査報道に携わる記者の車が爆弾で吹き飛ばされ、殺害される事件が起きた地中海の島国マルタ。彼女は国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)によって昨年公表された「パナマ文書」に基づいて、政府の腐敗を追及していた。背後には組織暴力の影もちらつく。「言論の自由を守れ」。マルタの人々は連帯して声を上げている。

 「悪党だらけ。状況は絶望的だ」。マルタの調査報道ジャーナリスト、ダフネ・カルアナガリチアさん(53)が自らの人気ブログに書き込んだのは、10月16日午後だった。直後にレンタカーで自宅を出たところ、車に仕掛けられた爆弾が爆発した。即死だった。

 パナマ文書をもとに政府の疑惑を追及した彼女は、欧州では知られた存在だった。政府の重要閣僚やムスカット首相の妻が中米パナマに会社を置き、マルタにエネルギー輸出を図るアゼルバイジャンの大統領の家族の会社から大金を受け取っていたと指摘。追い詰められたムスカット首相は今年6月、批判をかわすために前倒し総選挙に踏み切った。

 政権は前倒し選挙で過半数を確保し、「再出発」が軌道に乗り始めた矢先だった。ムスカット氏は事件の打撃を抑えようと、米国連邦捜査局(FBI)やオランダの鑑識チームを招き、徹底捜査を誓った。

 与党・労働党のアレアンデル・バルザン報道官は「政府は言論の自由の保障に力を尽くしてきた」と強調する。だが選挙の勝利で疑惑のみそぎを済ませたとする政府への批判が、事件で一気に噴き出した。

 主要紙「マルタ・インディペンデント」のラチェル・アタルド編集長は「疑惑に対して首相がすべきだったのは、関係者に責任をとらせること。選挙を前倒しすることではなかった」と言う。

 マルタは人口わずか42万。欧州連合(EU)内でも治安の良さを誇り、記者が殺されたのも初めてだ。

 首都バレッタ周辺では、記者殺害や政府の対応に抗議する集会が2度開かれ、いずれも1万人近くが集まった。10月29日の集会では、若者からお年寄りまでが彼女がブログに残した最後の言葉を染めたTシャツを着て、「我々は黙らない」と訴えた。

ログイン前の続き■「外国マネーが腐敗招く」

 知人によると、カルアナガリチアさんは学生時代の1980年代、反政府活動で逮捕された経験をバネに記者を志した。主な執筆の舞台はブログだ。大手メディアに属さず、腐敗を追及する特ダネを連発した。

 マルタは二大政党制。一緒に仕事をしたカメラマンは、「人も企業も二つに分かれ、両方の内部に不満を持つ人がいる。そんな『ネタ元』が電話する先が、彼女だった」と明かす。

 マルタを経由してリビアから石油を密輸する犯罪グループの動きも書いた。今回の事件の後、イタリア南部シチリアの検察当局は記事に登場した人物が捜査対象になっていたことを明かした。マルタでは最近2年、それまで例のなかった車爆弾事件が5回も起きていた。イタリアのマフィアが使う手法だ。

 地元の弁護士、アンドレウ・ボルグカルドナ氏は「事件が起きる環境を作ったのは政府だ」と話す。

 マルタは大幅な税還付制度で法人税の負担を軽くして、外国投資を呼び込んでいる。2013年に発足した現政権は、投資した人に国籍を与える優遇制度を作り、EU市民の権利を望む域外投資家を引きつけてきた。

 政府は「競争力を高める手段。すべてEUの規則に沿っている」とするが、事件に抗議する人々には、外国マネーが腐敗を招き、言論の自由が脅かされていると映っている。

 懸念は欧州全体にも広がる。EUの行政機関である欧州委員会は3日、記者の調査報道を「我々の価値の核心」とする声明を発表。欧州刑事警察機構(ユーロポール)も、マルタで捜査に加わることになった。

 3日、彼女の葬儀には千数百人が集まった。シクルーナ大司教は訓話で「記者のみなさん、人々の目、耳、口となる使命を続けてください」と訴えた。(バレッタ=喜田尚)

北朝鮮実業家、マルタに企業

 「パラダイス文書」にも、マルタに本拠を置く企業の名があった。北朝鮮の実業家が設立した法人で、識者は「北朝鮮タックスヘイブン租税回避地)を税逃れではなく、経済制裁逃れに使っている可能性がある」と指摘する。

 韓国の調査報道機関「ニュースタパ」がマルタの記者の協力を得て取材した。

 記載があったのは「コーマル商社」。社長は女性のソン・ソンヒ氏だ。同氏の父は故金日成主席から「愛国心あるビジネスマン」とたたえられたことがあるとされ、ソン氏の一族は北朝鮮の体制と強く結びついているとみられる。

 資料によると、同社は2011年、ソン氏とマルタ人実業家が共同で設立した。主な業務内容は、輸出入のほか、料理の仕出しや医療対応となっている。会社住所はマルタ人実業家の自宅だ。

 北朝鮮の外貨獲得の重要な手段の一つが、外国への労働者派遣だ。マルタは、北朝鮮労働者が働く国の一つとして知られる。

 ソウルの北韓大学院大学のヤン・ムジン教授は、コーマル商社について「マルタに派遣された建設労働者の支援のために設立された可能性もある」と指摘する。一方で、ニュースタパは、北朝鮮タックスヘイブンに設立したペーパーカンパニーの存在を報じてきた。ヤン教授は「北朝鮮人が体制の許可なしに、タックスヘイブンにペーパーカンパニーを作れるとは思えない。国家と党のバックアップがあってのことだろう」とも話す。(軽部理人)

朝日新聞デジタル

http://digital.asahi.com/articles/ASKC240Z7KC2UHBI016.html?_requesturl=articles%2FASKC240Z7KC2UHBI016.html&rm=878


朝日新聞デジタル

パナマ文書の衝撃から1年半あまり。新たな秘密が再び、世界で一斉に報じられた。「パラダイス文書」。世界67カ国の記者たちが加わる国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)はこの1年、文書をもとに取材を重ね、タックスヘイブン(租税回避地)に隠された事実に迫ってきた。

ニューヨークから飛行機で2時間。窓の下には青い海が広がっていた。北大西洋に浮かぶ英領バミューダ諸島。「ようこそパラダイスへ」。タクシー運転手は、こんな言葉で観光客を歓待する。ここバミューダ諸島と米フロリダ半島の先端、大西洋のプエルトリコを結ぶ三角形の海域は、「バミューダトライアングル」と呼ばれる。飛行機や船が消える魔の伝説は日本でも有名だ。

 

10月上旬。正午すぎの気温は26度。中心都市ハミルトンの港には無数の白いクルーザーが浮かぶ。ピンク色の砂浜、薄いパステルカラーの家々、柔らかい風……。 米ドルが広く流通し、米国人の避寒地として人気だ。ニューヨークやアトランタなど各地から1日10便以上が降り立つ。日本人にとっての米領グアム島のような存在だろうか。

 

我々がこの島々を訪れたのには、理由がある。138の島から成るこの地域の総面積は、東京都足立区とほぼ同じ53平方キロメートル。だが、この小さな島々には別の顔がある。所得税や法人税、キャピタルゲイン(金融資産の値上がり益)への課税がない「タックスヘイブン」。多くの多国籍企業がここに拠点を構え、本国の利益を移転するなどして、その恩恵に浴しているとみられている。中心都市ハミルトンの海岸から徒歩数分の金融街。司法省や金融庁と並んでガラス張り4階建ての近代的な建物が立つ。ここが今回の取材のターゲット。パラダイス文書の主な流出元である法律事務所「アップルビー」だ。


今回、アップルビーから流出した文書は680万点に及ぶ。少なくとも2万5千の法人や組合に関する情報があり、契約書や銀行口座、Eメールなどが含まれる。膨大なデータは、パナマ文書の時と同じく、南ドイツ新聞の記者が入手した。入手経路や時期は極秘。ICIJ内の記者も知らされていない。データは何を語るのか。それはアップルビーが通常は決して明かすことのない「人」「企業」「カネ」のつながりだ。

 

流出した文書について報じるにあたって、当事者の取材は必須だ。直接取材の予定日は10月10日。我々はそれまでに、同事務所に9月から3度にわたって書面で取材を申し入れていた。だが具体的な回答は得られていなかった。直接取材は、世界各国のメディアによる異例の協働作業となった。現地入りしたメディアは7社、約20人。日本の朝日新聞とNHK、調査報道で知られる米新興メディアVICE(バイス)、オーストラリアの公共放送ABCなどだ。


「当日は何時に行く?」「正午だと遅すぎるし、午前10時は早すぎる」「地元警察を呼ばれないか?」「事務所をきょう見てきた。1階の受付は行っても大丈夫だろう」我々は前々夜から計3時間以上かけて綿密に打ち合わせした。最も避けたいのは取材拒否とともに、記者やカメラマンが当局に拘束されることだ。「ジェントル(穏やか)であろう」と、互いに声を掛け合った。取材ルールも各国で異なる。一般人に迷惑をかけたり、取材相手を刺激したりしないよう、どう担当者と接触するか、テレビカメラはどのタイミングで建物に入るかを詰めた。


10月10日午前10時53分。質問状送付などを担ってきたICIJ記者のウィル・フィッツギボン(31)と、一番のベテランである米テレビ局「ユニビジョン」上級編集者のデイビッド・アダムス(56)がドアを開け、各社の記者とカメラクルーが続いた。「メディア担当の方につないでいただけますか?」。アダムスは受付カウンターの女性職員に丁重に依頼した。ICIJの正式名称を告げると、受付職員は「インターナショナル……?」と聞き直した後、入り口近くのソファで待つよう我々に指示をした。対応したのはメディア担当ではなく、施設責任者の男性だった。ひざよりやや短い半ズボン「バミューダパンツ」をはいている。この島では正装だ。アダムスが、流出文書に関する取材であることや質問状を送付したことを説明した。

 

30分後、上階から戻ってきた男性の回答は、「今日は対応できる人がいない」というものだった。わずか1分足らずの、事実上のゼロ回答。タックスヘイブンの実態を正面から暴くことの難しさを実感させるものだった。

 

いかなる疑惑にも反論する

直撃取材から半月後、アップルビーはホームページ上に相次いで声明を掲載した。「我々が不正行為をしたという証拠は何もない。いかなる疑惑にも反論するし、当局の適切な調査には全面的に協力する」「我々は合法なビジネスのアドバイスを提供しており、違法行為は容認していない」「違法なハッキングで文書が流出したと考えられる」

 

パナマ文書には、ロシア・プーチン大統領の友人や中国・習近平国家主席の義兄の名前があり、世界を驚かせた。だがパラダイス文書も、それに勝るとも劣らぬ内容だ。税逃れへの取り締まりを公約に掲げるカナダ・トルドー首相の資金調達者が、巨額資金をタックスヘイブンに移し、課税を逃れていた疑いが浮上した。英国のエリザベス女王や、日本の鳩山由紀夫元首相の名前もあった。ICIJによると、文書に登場する各国の政治家・君主らの名前は、47カ国127人。

http://www.asahi.com/special/paradise-paper/?iref=pc_extlink



「「パナマ文書」公開で発覚!税金を払わない日本人「大金持ち」リスト

 講談社雑誌週刊現代

2016.05.17

セコム創業者,UCC代表の他にもいた

税率が著しく低いタックスヘイブン。存在は知られていたが、内情は長らくブラックボックスのままだった。そこから飛び出た、膨大な内部機密文書。ついにパンドラの箱が開く—。

資産家しかできない超節税術

兵庫県芦屋市六麓荘町。関西を代表する超高級住宅地だ。そんな中でも高台に位置する一等地に、要塞のような豪邸がそびえている。

鉄筋コンクリート3階建てで、延べ床面積750m2。裏には1000m2を超す庭が広がっている。そんな大豪邸に住む人物に「疑惑の目」が向けられている。UCCホールディングス社長でUCC上島珈琲グループCEO(最高経営責任者)の上島豪太氏(47歳)だ。

パナマにある法律事務所「モサック・フォンセカ」の機密文書が大量に流出。タックスヘイブン(租税回避地)を「活用」した課税逃れの実態を、国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が調査してきた。そして5月10日、パナマ文書がついに公開される。その中には上島氏の名前もあり、タックスヘイブンにあるペーパーカンパニーを用いて、「行き過ぎた節税」を行ったのではないか、という疑惑が持たれているのだ。

パナマ文書によると、タックスヘイブンである英領バージン諸島に'00年に設立された2法人の唯一の株主で役員として、上島氏の名前が登場するという。ただし、この2法人の事業目的や活動はわかっていない。

上島氏はUCC上島珈琲創業者の孫で、3代目社長。売上高1385億円('15年3月期・単体)の大手コーヒー飲料メーカーの舵取りを託された若きリーダーだ。

「上島氏は甲南大学卒で、学生時代は少林寺拳法部の主将を務めるなど、体育会系の経営者です。若い頃から帝王学を授けられ、'09年に40歳の若さでUCC上島珈琲社長に就任しました。現在はUCCグループCEOで、社長職は弟の昌佐郎氏に譲っています。会長である父・達司氏とともに3人でがっちり経営をグリップしています。

持ち株会社であるUCCホールディングスは非上場ですから、実態は不透明ですが、上島一族がほとんどすべての株を握っているはずです。会社の利益は株式への配当という形で創業一族に入りますから、溜まりに溜まった個人資産を資産管理会社によって管理し、少しでも節税しようと考えるのは当然のことでしょう」(上島家を知る経済ジャーナリスト)

仮に父親の達司氏が亡くなれば、上島氏は株式を相続することになる。いくら非上場とはいえ、国税当局に時価換算をされ、莫大な相続税を要求されることは想像に難くない。その課税を少しでも小さくするためにタックスヘイブンの法人を利用したのではないか、というわけだ。

UCCホールディングス広報室は、

「会社設立はビジネス目的であって、租税回避や節税が目的ではございません。税務当局にも情報開示をしており、合法的に納税をしております」

と答え、あくまでも合法だと強調する。

しかし、税金がほとんど掛からないタックスヘイブンに事業目的が不明なペーパーカンパニーを設立すること自体、倫理的に問題があると考えるのが普通だ。

一般の納税者は、海外の、しかもタックスヘイブンに資産を移すことなど考えたこともないだろう。知識もないし、専門家に頼むような財力もない。そのため、何ら節税の手立てを講じることなく、国の要求するままに税金を納めている。

ところが、一部の富裕層は潤沢な資金で専門家を雇い、自分たちだけが少しでも税金が安くなるように対策を打つ。

パナマ文書によって名前が公開された政治家や官僚、俳優、有名スポーツ選手が非難を浴びるのは、まさにこれが原因なのだ(名前の挙がっている世界の主な著名人は次ページ表参照)。

自分たちだけがタックスヘイブンという「隠れ蓑」を利用して節税し、合法だと言い張る。その姿に一般の納税者は強烈な「不公平感」を抱いているのである。

最大の関心は「相続税逃れ」

パナマ文書の中には、セコム創業者で最高顧問の飯田亮氏(83歳)の実名も挙がっている。

「若い頃の飯田さんはケチで有名で、セコムじゃなくて『セコく』やってあそこまで会社を大きくしたと揶揄されることもありました。今となっては、カネは腐るほどあるでしょうから、自宅や別荘に惜しみなく金銭をつぎ込んでいます。ただ、相続税で国に持っていかれるのを嫌い、専門家に任せて、タックスヘイブンに会社を設立したのでしょう」(ベテラン経済ジャーナリスト)

セコムのコーポレート広報部は、課税回避をこう言って否定する。

「本件については、日本の税務当局から求められた必要な情報を開示するとともに、法律専門家から税務を含む適法性についての意見を聞いた上で、正しく納税済みであると聞いています」

パナマ文書にはまだ他にも日本人や日本企業の名前が含まれている。ICIJに参加している朝日新聞によれば、パナマ文書に名前の挙がった「大金持ち」のリストは以下のとおり。

・英領バージン諸島に会社を所有する貿易会社社長(44歳)
・家具を輸入販売していた西日本の男性(62歳)
・関西の自営業の男性(64歳)
・関西でアパレル会社を父から継いだ男性(56歳)
・都内でアパレル会社を営む男性(60歳)
・都内でFX仲介業を営む男性(50歳)

富裕層の資産運用に詳しい経営コンサルタントの加谷珪一氏が、彼らの特徴を分析する。

「共通するのは、いずれも企業の創業者や創業一族ということ。資産家にとって最大の関心事は相続税と言っていいでしょう。自分が親からどのように相続するか、もしくは自分の子供にどう相続させるか。その際には、できるだけ相続税を軽くしたい。金融資産が数十億円ある場合は、タックスヘイブンに移せば大きな節税効果を得られる場合があります。

とはいえ、資産を移す際に日本国内で譲渡税を支払っているはずなので、その事自体に犯罪性はほとんどないのです」

伊藤忠商事や丸紅といった大手商社も、タックスヘイブンの会社に出資していることが判明した。両社の広報部は「ビジネス目的であって、租税回避の目的はない」と口を揃える。だが、日本の商社が税金を安くしようとタックスヘイブンを活用してきたのは、業界では常識だ。

「かつてタックスヘイブンに関連会社を設立して、商品ファンドの運用に携わったことがあります。機関投資家である大手生命保険会社から依頼されて、資金の一部を商品ファンドで運用することになったのです。

タックスヘイブンで運用すれば利益に課税されませんから、それを再び投資に回すことができる。それだけ大きなリターンが見込めるということです。運用は専門の海外企業に任せていましたが、彼らにとっても税金を安く抑えることができる。これは合法的な節税です」(元大手商社幹部)

日本勢はケイマンに63兆円

近年、多国籍企業によるタックスヘイブンを悪用した課税逃れの手口は狡猾になっていく一方だ。複数のタックスヘイブンのペーパーカンパニーを経由して、税金をほとんど納めない巨大企業の存在が世界的に問題視され始めている。

たとえば、英国では'12年にスターバックス社が3年間で約2000億円もの売り上げがありながら、法人税を一銭も納付していなかったことが指摘され、英国民の怒りが爆発した。

昨年は米アップルが海外で1811億ドル(約19兆円)を稼いでいるにもかかわらず、米国内でそれに見合った額の納税を行っていないと厳しく批判された。

今回、パナマ文書で明らかになった事例は氷山の一角。日本企業はタックスヘイブンとして有名なケイマン諸島に多額の資産を溜め込んでおり、その実態はいまだ謎のベールに包まれたままだ。

日本共産党の参議院議員、大門実紀史氏がこう指摘する。

「日本銀行の調べでは、日本企業が'14年末の時点でケイマン諸島に総額で約63兆円の投資を行っています。1位の米国の約149兆円に次いで、堂々の2位です。カリブ海に浮かぶ小さな島への投資額は突出していると言わざるをえない。

内訳を見ると、その多くをファンドが投資しているようなのですが、タックスヘイブンでは出資者を匿名にする手続きも可能ですから、詳細はわかりません。わかっているのは投資収益が2兆8000億円あるにもかかわらず、課税対象が1755億円と微々たるものであることだけです」

資産移転は超富裕層にも顕著だ。国税庁は課税逃れを取り締まるため、5000万円以上の海外資産については報告するよう「国外財産調書」の提出を義務付けている。

ところが、これが機能していないと指摘するのは、政治経済研究所理事で『タックスヘイブンに迫る』著者の合田寛氏だ。

「野村総合研究所の調べでは、日本国内で1億円以上の金融資産を保有する資産家は約100万人いるとされています。国税庁は、そのうち10%前後(約10万人)は国外に財産を保有していると見ている。

ところが、国外財産調書の提出者は8184件('14年度)にすぎません。9割以上の資産家はタックスヘイブンを利用するなどして、名前を隠して海外に資産を保有しているのです」

税収ロスは「消費税2%」分

こうした手法が跋扈することによって、今やタックスヘイブンには巨額の資産が溜め込まれている。合田氏が続ける。

「『21世紀の資本』著者、トマ・ピケティの弟子、ガブリエル・ズックマンが試算しています。彼によれば、タックスヘイブンにある金融資産は控えめに見ても7兆6000億ドル(約813兆円)に達していて、その結果、徴税を逃れている金額は1900億ドル(約20兆円)に上るといいます。

多国籍企業の課税逃れによる税収ロスを足せば、最大で50兆円くらいはあるのではないか。そのうちの1割が日本の税収ロスとすると、日本政府が徴収できていない税金は5兆円。これは消費税を2%上げて増える税収と同じです」

大企業や富裕層による「節税・逃税」のしわ寄せは、一般の納税者に向かう。弁護士の宇都宮健児氏が総括する。

「タックスヘイブンを利用することは『脱税』のような違法行為ではないかもしれません。しかし、大企業や富裕層が課税逃れをしているから、政府は一般の企業や国民から税金を巻き上げて、それらを社会保障の財源として使っているんです。

本来、税収を上げるなら、庶民から取るのではなく、タックスヘイブンを利用するような人たちにきっちり納税させるべきだと思うのですが」

課税を逃れる巨大企業や超富裕層をこのまま野放しにしておいていいのか—。パナマ文書公開の衝撃は、すぐに収まりそうにない。

「週刊現代」2016年5月21日号より

 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48640


 

「パラダイス文書」にエリザベス女王やマドンナ、ボノの名前も

ローマ・カトリック教会の聖職者がバミューダ諸島に会社を持っていたことも判明

2017年11月06日 11時47分 JST


 英女王・マドンナ・中東の王妃... 「税の楽園」集う大物

 大手法律事務所「アップルビー」などから流出した膨大な「パラダイス文書」には、英国のエリザベス女王といった数々の著名人や、米アップル社など世界的に事業を展開する多国籍企業の名が載っていた。国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)の取材で、タックスヘイブン(租税回避地)での経済活動の一端が明らかになった。(疋田多揚、軽部理人)

 「分配金の詳細」

 

 パラダイス文書の一つに、こう題された文書があった。日付は2008年6月12日。本文はこう続く。「みなさまに3千万ドル(約34億円)の分配金をお知らせいたします」

 受益者の中には、エリザベス英女王の個人資産を表す名称があった。

 それによると、女王は05年、タックスヘイブンで有名な英領ケイマン諸島のファンドに750万ドル(約8億6千万円)の個人資産を投資。3年後に36万ドル(約4100万円)の分配金の知らせを受け取った。

 

 女王のお金はこのファンドを通じ、別の会社へ投資された。英国の家具レンタル・販売会社「ブライトハウス」を支配下に置く会社だ。ブライト社は、一括払いができない客に年率99・9%の高利を求める手法が、英国議会や消費者団体から批判を浴びていた。

 女王の資産は、英国内での運用は一部が明らかになっているが、英国外での運用は知られてこなかった。女王の広報担当はICIJに「ブライト社へ投資されたことは知らなかった。女王は個人資産やその運用で得た所得税を納めている」とコメントした。

 

 

朝日新聞社 エリザベス英女王の個人資産をめぐる構図

 ローマ・カトリック教会の聖職者がバミューダ諸島に会社を持っていたことも文書でわかった。メキシコ出身の故マルシアル・マシエル神父。「キリスト軍団」という修道会を創設し、「カトリック最大の資金貢献者」と称される一方で、神学生への性的虐待容疑で告発された人物だ。カトリック教会は、その資産を運用する団体がマネーロンダリング(資金洗浄)などの不正に長年かかわってきたと指摘されている。

 

 またヨルダン前国王の妻ヌール王妃は、英王室属領のジャージー島にある二つの信託会社から利益を得ていた。ブラジルの中央銀行総裁も務めたメイレレス財務相は、「慈善目的」でバミューダ諸島に財団を設立していた。約30年の独裁体制を強いたインドネシアのスハルト元大統領の2人の子どもも、アップルビーの顧客リストに載っていた。

 文書からは「セレブ」の資産運用も垣間見える。米歌手のマドンナ氏は医療用品販売会社の株を持っているほか、ロック歌手ボノ氏は、マルタに登録された会社の株を所有していた。

 米投資家で、ICIJに慈善団体を通じて寄付しているジョージ・ソロス氏もタックスヘイブンに置いた組織の運営に関し、アップルビーを利用していた。

 世界最大規模の米ネットオークションサイト「eBay(イーベイ)」創設者のピエール・オミディア氏がケイマン諸島の金融商品を所有していることもわかった。

(朝日新聞デジタル 2017年11月06日 07時02分


朝日新聞社説

2017年11月03日 22時30分50秒 | Weblog

(社説)がん基本計画 めざす目標をはっきり

2017年10月29日05時00分

 必要な措置はひととおり盛り込まれた。だが、具体的な数値目標や水準が示されない項目が多いのは、どうしたことか。

 閣議決定された第3期がん対策推進基本計画のことだ。

 今後6年間の施策の指針となるもので、小児や働く世代に加え、思春期や若年成人、高齢者への支援・診療体制をつくる必要性が明記された。また、遺伝情報をもとに治療方針を決める「ゲノム医療」の推進をうたうなど、これまでの計画以上に手厚い内容になっている。

 しかし各施策の個別目標を見ると、「検討する」「進める」などの表現が多い。これでは実現への道筋が見えず、将来、成果を分析し、評価・検証する作業が難しくなりかねない。

 たとえば、どこまで治療するのが患者本人のためになるか、判断が難しい高齢者について、「診療ガイドラインを策定した上で、拠点病院等に普及することを検討する」とある。

 大切なのは、普及でも検討でもない。患者の要求にかない、生活の質の向上につながる診療が、現場でどれだけ行われるかだ。その視点で目標を設定するべきではなかったか。

 第2期までの計画にあった、75歳未満のがん死亡率(10万人あたりの死亡人数)を「10年間で20%減らす」という目標も、今回なくなった。15年までの10年間の実績は16%の減少。「死亡率にばかりこだわるべきではない」との考えはあるものの、再び目標を達成できなかったときの批判を恐れたとすれば、本末転倒ではないか。

 数値目標がなくなると知り、「対策の評価が難しくなる」などとして、独自に目標を設けることを決めた県もある。

 一方、がんの早期発見に関しては、検診の受診率を50%(現在30~40%台)に、そこで異常が見つかったときの精密検査の受診率を90%に、それぞれ引きあげることが設定された。

 人々に検診の重要性が伝わっていないのか。仕事を休めないなどの事情があるのか。好成績の自治体はどんな工夫をしているか。原因を分析し、効果的な対策につなげてもらいたい。

 焦点だった受動喫煙対策は、法律でどんな規制をするか、政府と与党の調整がついていないため、先送りとなった。

 社説でくり返し主張してきたように、職場や家庭、飲食店での受動喫煙をすべてゼロにするとの考えを、計画にはっきり書くべきだ。周知や準備の期間を考えると、東京五輪・パラリンピックの20年まで猶予はない。これ以上の遅れは許されない。

(社説)指導死 教室を地獄にしない

2017年10月29日05時00分

 子どもたちの可能性を伸ばすべき学校が、逆に未来を奪う。そんな過ちを、これ以上くり返してはならない。

 教師のいきすぎた指導が生徒を死に追いやる。遺族たちはそれを「指導死」と呼ぶ。

 福井県の中学校で今年3月、2年生の男子生徒が自死した。宿題の提出や生徒会活動の準備の遅れを、何度も強く叱られた末のことだった。

 有識者による調査報告書を読むと、学校側の対応には明らかに大きな問題があった。

 周囲が身震いするほど大声でどなる。副会長としてがんばっていた生徒会活動を「辞めてもいいよ」と突き放す。担任と副担任の双方が叱責(しっせき)一辺倒で、励まし役がいなかった。

 生徒は逃げ場を失った。どれだけ自尊心を踏みにじられ、無力感にさいなまれただろう。

 管理職や同僚の教員は、うすうす問題に気づきながら、自ら進んで解決に動かなかった。肝心な情報の共有も欠いていた。追いつめられた生徒が過呼吸状態になっても、「早退したい」と保健室を訪ねても、校長らに報告は届かなかった。

 生徒が身を置いていたのは、教室という名の地獄だったというほかない。

 だがこうしたゆがみは、この学校特有の問題ではない。「指導死」親の会などによると、この約30年間で、報道で確認できるだけで未遂9件を含めて約70件の指導死があり、いくつかの共通点があるという。

 本人に事実を確かめたり、言い分を聞いたりする手続きを踏まない。長い時間拘束する。複数で取り囲んで問い詰める。冤罪(えんざい)を生む取調室さながらだ。

 大半は、身体ではなく言葉による心への暴力だ。それは、教師ならだれでも加害者になりうることを物語る。

 文部科学省や各教育委員会は教員研修などを通じて、他の学校や地域にも事例を周知し、教訓の共有を図るべきだ。

 その際、遺族の理解を得る必要があるのは言うまでもない。調査報告書には、通常、被害生徒の名誉やプライバシーにかかわる要素が含まれる。遺族の声にしっかり耳を傾け、信頼関係を築くことが不可欠だ。

 文科省は、いじめを始めとする様々な問題に対応するため、スクールロイヤー(学校弁護士)の導入を検討している。

 求められるのは、学校の防波堤になることではない。家庭・地域と学校現場とを結ぶ架け橋としての役割だ。事実に迫り、それに基づいて、最良の解決策を探ることに徹してほしい。

(社説)規制委5年 対話通じて安全高めよ

2017年10月30日05時00分

 原子力規制委員会の2代目委員長に更田豊志(ふけたとよし)氏が就いて、1カ月がすぎた。

 発足から5年率いた田中俊一前委員長のもとで、更田氏は委員や委員長代理を務めてきた。田中氏と二人三脚で築いた土台をもとに、積み残された課題への取り組みが問われる。

 東京電力福島第一原発の事故後、原子力安全行政の刷新を担った規制委は、「透明性と独立性」を目標に掲げてきた。

 透明性についてはかなり徹底されている。テロ対策などを除いて会議はほとんど公開され、資料や審議内容はウェブサイトで確認できる。毎週の委員長会見は動画や速記録でたどれ、他省庁が見習うべき水準にある。

 独立性も、電力会社とのなれ合いが批判された以前の態勢と比べて改善されたと言える。

 ただ、新規制基準に照らして原発再稼働の是非を判断する適合性審査には問題が残る。評価の対象が機器などに偏り、電力会社の組織運営や職員の意識に対する審査が不十分だからだ。

 再稼働した原発の運転中の管理もまったなしの課題である。

 事故防止の第一の責任は電力会社にあるが、規制委やその実動部隊である原子力規制庁は、安全軽視の姿勢や訓練不足といった問題がないか、目を光らせる役目を負う。

 カギになるのは、電力事業者との「対話」だろう。現場への訪問などで意思疎通を図りながら、安全文化の劣化の兆候を探る。ごまかしを見抜く技術を磨くことが不可欠になる。

 世界の潮流だが、日本では手つかずだ。抜き打ち検査など緊張感を保つ手法も組み合わせ、安全を高めていけるか。更田氏は規制庁職員を米国で研修させ、検査業務に明るい米コンサルタント会社も使う考えだ。先達の知恵を生かしてほしい。

 規制委の対話力は、地震や火山噴火など人知が十分でない分野でも試される。専門の学者らと交流を重ね、最新の知見に基づく規制をめざしたい。

 柏崎刈羽(かしわざきかりわ)原発(新潟県)の再稼働について「適合」判断を示したことでは、米山隆一新潟県知事から説明を求められている。原発を抱える自治体には、規制委との距離を感じているところが少なくない。

 現地に足を運び、意見に耳を傾けて、自らの仕事を見つめ直す。そうした機会をもっと増やしてはどうか。

 独立性を追求し続けることは大切だが、孤立や独善に陥っては元も子もない。さまざまな対話を重ねて、安全性の向上につなげるべきである。

(社説)「慰安婦」裁判 韓国の自由が揺らぐ

2017年10月31日05時00分

 自由であるべき学問の営みに検察が介入し、裁判所が有罪判決を出す。韓国の民主主義にとって不幸というほかない。

 朴裕河(パクユハ)・世宗大学教授の著書「帝国の慰安婦」をめぐる刑事裁判で、ソウル高裁が有罪の判決を出した。

 著書には多くの虚偽が記されていると認定し、元慰安婦らの名誉が傷つけられたと結論づけた。朴教授には罰金約100万円を言い渡した。

 虚偽とされたのは、戦時中の元慰安婦の集め方に関する記述などだ。研究の対象である史実をめぐり公権力が独自に真否を断じるのは尋常ではない。

 一審は、大半の記述について著者の意見にすぎないとして、無罪としていた。高裁は一転、有罪としながら、学問や表現の自由は萎縮させてはならないと指摘したが、筋が通らない。

 学問の自由が守られるべき研究の領域に踏み込んで刑事罰を決める司法を前に、学者や市民が萎縮しないはずがない。

 韓国では、植民地時代に関する問題はデリケートで、メディアの報道や司法判断にも国民感情が影響すると言われる。

 そんな中で朴教授は、日本の官憲が幼い少女らを暴力的に連れ去った、といった韓国内の根強いイメージに疑問を呈した。物理的な連行の必要すらなかった構造的な問題を指摘した。

 社会に浸透した「記憶」であっても、学問上の「正しさ」とは必ずしも一致しない。あえて事実の多様さに光を当てることで、植民地支配のゆがみを追及しようとしたのである。

 朝鮮半島では暴力的な連行は一般的ではなかったという見方は、最近の韓国側の研究成果にも出ている。そうした事実にも考慮を加えず、虚偽と断じた司法判断は理解に苦しむ。

 韓国では、民意重視を看板に掲げる文在寅(ムンジェイン)政権が発足して、もうすぐ半年になる。政権は、歴史問題で日本に責任を問うべきだと唱える団体にも支えられている。もし高裁がそれに影響されたのなら論外だろう。

 日韓の近年の歩みを振り返れば、歴史問題の政治利用は厳禁だ。和解のための交流と理解の深化をすすめ、自由な研究や調査活動による史実の探求を促すことが大切である。

 その意味で日本政府は、旧軍の関与の下で、つらい体験を強いられた女性たちの存在を隠してはならず、情報を不断に公開していく必要がある。

 日韓の関係改善のためにも、息苦しく固定化された歴史観をできるだけ払拭(ふっしょく)し、自由な研究を尊ぶ価値観を強めたい。

(社説)イラン核合意 問われる米外交の信頼

2017年10月31日05時00分

 国際社会が積み上げた合意を一方的にないがしろにする。そんな大国の「自国第一主義」が世界を不安に陥れている。

 トランプ米大統領の対イラン政策である。核開発をめぐる合意について、意義を認めないとし、修正ができなければ「合意を終わらせる」と表明した。

 合意は、米国が中ロ英仏独などと共に2年前、イランと交わした行動計画だ。イランが核開発を制限する見返りに、米欧が一部の経済制裁を解いた。

 かねてイスラエルによる軍事攻撃も取りざたされた中、外交交渉によって戦争の危機を防いだ歴史的な合意である。

 トランプ氏の表明を、どの当事国も冷ややかに突き放したのは当然だ。合意は今も、中東と世界の安定をめざすために肝要な枠組みの一つである。

 トランプ氏の主張はこうだ。イランは各地でテロを支援し、ミサイル開発を続け、中東を不安定にしている。だから合意の「精神」に反している――。

 イランが各地で反米を掲げる組織を支えているのは事実だ。しかしそれは、イスラエルへのアラブの反発という地域事情が絡む中東全体の問題でもある。

 そこに核合意を結びつけて、イランとの対立をあおるのは、それこそ中東を不安定化させる無責任な姿勢だ。

 イランを29日訪れた国際原子力機関の天野之弥事務局長は、イランは合意を守っていると確認した。ロハニ大統領は「こちらからは合意を破棄しない」と辛抱の態度をみせている。

 トランプ氏は、イランに新たな条件を課すため、米国の国内法を改正するよう米議会に求めた。だが議会では合意を維持すべきだとの声が大勢だという。冷静な判断を期待したい。

 心配なのは北朝鮮問題への影響だ。米国は強い威嚇の一方で対話も探っているとされる。しかし、一度合意した約束を理不尽にたがえるようでは、話し合いなど真剣に考えていないと思われても仕方あるまい。

 安倍首相は9月にロハニ氏と会談した際、イラン核合意への支持を表明し、「すべての当事国による順守が重要だ」と強調した。ならば近く来日するトランプ氏に釘をさすべきだ。

 身勝手なトランプ外交の弊害は広がっている。気候変動をめぐるパリ協定からの離脱や、自由貿易協定の見直し要求などで多くの国を悩ませている。

 独りよがりの外交は、米国の信頼を傷つけるだけでなく、世界秩序の土台を揺るがす。その国際社会の懸念を、安倍首相は本人に直言すべきである。

(社説)野党質問削減 立法府が空洞化する

2017年11月1日05時00分

 またも「数の力」を振り回す安倍政権の立法府軽視である。

 政府・自民党が、国会での野党の質問時間を削ろうとしている。議席の割合より野党に手厚い現状を見直すというのだ。

 衆院選での大勝を受けて、安倍首相が「これだけの民意をいただいた。我々の発言内容にも国民が注目している」と自民党幹部に指示したという。

 決して容認できない。

 国会議員は全国民の代表であり、質問の機会もできる限り均等に与えられるべきではある。

 ただ、自民、公明の与党は政府が法案や予算案を国会に出す前に説明を受け、了承する。その過程で意見は反映されるので、質問は政府を後押しするものがほとんどだ。

 だからこそ、法案や予算案を厳しくチェックするのは野党の大事な役割だ。その質問時間を大幅に削れば、国会審議は骨抜きになりかねない。

 たとえば、ことしの「共謀罪」法の審議はどうだったか。

 政府は「成案が得られていない」と野党の質疑をはねつけたまま、与党と対象犯罪を絞り込むなどの実質的な修正をし、法案を閣議決定した。野党も加わった質疑は2カ月ほどで、参院では委員会審議を打ち切る不正常な状態で強行成立させた。

 昨年のカジノ法審議では、質問時間の余った自民党議員が般若心経を唱える場面もあった。

 こんな状況のまま、議員数に応じた時間配分にすればどうなるのか。衆院予算委員会の質問時間は、近年一般的とされる「与党2対野党8」が、「7対3」へと逆転する。

 そうなれば、法案や予算案の問題点をただし、広く国民に知らせる立法府の機能は確実に低下し、空洞化するだろう。

 森友・加計学園問題のような野党による疑惑追及の場も、限定されるに違いない。それが首相の狙いにも見える。

 首相に問う。

 加計問題で国会での説明を求められると、「国会が決めること」とかわしてきた。なのになぜ、まさに国会が決めるべき質問時間の配分に口を出すのか。

 行政府の長として三権分立への理解を欠いたふるまいと言うほかない。最後は多数決で決めるにしても、少数者の声にも耳を傾ける。議会制民主主義のあるべき姿からも程遠い。

 安倍政権はきょう召集する特別国会で実質審議に応じるのかどうかさえ、明確にしない。

 「いままで以上に謙虚な姿勢で真摯(しんし)な政権運営に努める」

 選挙後、そう誓った首相の言葉は何だったのか。

(社説)安倍新内閣 謙虚というなら行動で

2017年11月2日05時00分

第4次安倍内閣が発足した。

 全閣僚を再任。主要メンバーが続投する自民党執行部とあわせ、顔ぶれは変わらない。

 無理もない。首相が「仕事人内閣」と称した前内閣の発足から3カ月。目に見える「仕事」はほとんどしていない。

 その代わり、首相は何をしたか。憲法に基づく野党の臨時国会召集要求を無視したあげく、一切の国会審議を拒んだままの衆院解散である。

 衆院選で自民党は大勝した。来秋の党総裁選で首相が3選すれば、憲政史上最長の首相在任も視野に入る。だが、首相に向けられる国民の目は厳しい。

 衆院選直後の本紙の世論調査で、安倍首相に今後も首相を「続けてほしい」は37%、「そうは思わない」は47%。

 自民党大勝の理由については「首相の政策が評価されたから」が26%、「そうは思わない」が65%。首相が進める政策に対しては「期待の方が大きい」の29%に対し、「不安の方が大きい」は54%だった。

 こうした民意を意識すればこそ、首相は選挙後、「謙虚で真摯(しんし)な政権運営に努める」と誓ったのではなかったか。

 だが残念ながら、首相の本気度を疑わざるを得ない出来事が相次いでいる。

 きのう召集された特別国会を政府・与党は当初、数日間で閉じる方針だった。野党の批判を受け、会期を12月9日までとしたが、議論を避けようとする姿勢が改めてあらわになった。

 国会での野党の質問時間を削ろうとする動きも続く。実現すれば、行政府をチェックし、疑惑をただす立法府の機能が弱まる。数の横暴にほかならない。

 森友・加計学園の問題への野党の追及を何とかかわしたい。そんな狙いもうかがえる。

 だがいま、首相がなすべきことはそんなことではない。国民に約束した「謙虚」を、具体的な行動で示すことである。

 国会での野党との議論に、真正面から臨む。当たり前のことが第一歩になる。

 質問をはぐらかしたり、自らの言い分を一方的に主張したりするのはもうやめる。

 最後は多数決で結論を出すにしても、少数派の意見にも丁寧に耳を傾け、合意を探るプロセスを大事にする。

 特別国会で論じるべきは森友・加計問題だけではない。自ら「国難」と強調した北朝鮮情勢や少子化問題についても、十分な議論が欠かせない。

 国会でまともな論戦を実現する。首相の姿勢が問われる新内閣の船出である。

(社説)補正予算 また「抜け道」なのか

2017年11月3日05時00分

 状況に応じて当初予算を補うという本来の役割を超え、抜け道に使う愚をまた重ねるのか。

 安倍首相が第4次内閣発足後の初閣議で、補正予算の編成を指示した。新しい看板政策である「生産性革命」と「人づくり革命」を柱とする2兆円規模の政策をまとめ、可能なものから実行する。そのための補正予算だという。

 景気対策が必要な経済情勢ではない。にもかかわらず、与党内では夏ごろから補正による歳出拡大を求める声が出ていた。

 それに応えるということか。対象として挙がる事業には、疑問符がつくものが目立つ。

 代表例が、欧州連合(EU)との経済連携協定(EPA)に備えた農業対策だ。

 EUとのEPAは年内の最終合意を目指し、まだ調整中だ。「先行して国内の基盤を強化する」というが、2年前に合意した環太平洋経済連携協定(TPP)でも補正を組んで対策費をばらまいた。TPPは米国の離脱で未発効のままだが、対策の効果の検証すらせずに同じことを繰り返すのか。

 生産性を高める政策は今後1カ月でまとめ、一部を補正に盛り込むという。

 そもそも生産性の向上を、「革命」のように一気に実現することは難しい。首相自身がよくわかっているはずだ。この5年間、成長戦略として様々な施策を並べてきたが、経済の実力を示す潜在成長率はわずかに高まっただけだ。

 まずは、これまでの対策が成果を生んでいない理由を考えるべきだ。「経済優先」をアピールしようと、中身を吟味せず付け焼き刃で政策を実施しても、予算の無駄遣いになるだけだ。

 昨年度の第3次補正には、弾道ミサイル迎撃態勢の調査研究費など防衛費1700億円を計上した。当初予算での防衛費の伸びを抑える狙いが透ける。補正予算は、政府内でのチェックも国会審議も甘くなりがちだ。補正を抜け道として便利に使ってきたことが財政悪化の一因であることを忘れてはならない。

 今回の補正の財源には、16年度決算の剰余金や、低金利で使い残す国債の利払い費を充てつつ、建設国債を追加発行するようだ。20年度に基礎的財政収支を黒字化する目標を先送りしたばかりであり、「財政再建の旗は降ろさない」という首相の本気度が問われる局面である。

 九州北部豪雨などの災害復旧をはじめ、緊急度の高い事業はある。金額ありきでなく、不可欠の事業を積み上げる。それが補正予算である。


朝日新聞2017年10月1日

2017年11月03日 21時44分09秒 | Weblog

(社説)衆院選 社会保障の将来 甘い言葉で「安心」得られぬ

2017年10月1日05時00分

 「社会保障制度を全世代型へと転換する。急速に少子高齢化が進む中、決意しました」

 衆院解散を表明した記者会見で、安倍首相はそう強調した。「全世代型」への柱として「子育て世代への投資の拡充」を唱え、2年後に予定する消費増税分から財源を確保するとした。その是非を国民に問うという。

 だが、深刻な少子高齢化も、高齢者向けと比べて手薄な現役世代への支援の必要性も、以前から指摘されてきたことだ。

 8年前には麻生内閣の「安心社会実現会議」が「全世代を通じての切れ目のない安心保障」を打ち出した。政権交代を経てもこの考えは引き継がれ、旧民主党政権は社会保障・税一体改革大綱で「社会保障を全世代対応型へ転換」すると掲げた。安倍内閣のもとでも、「社会保障制度改革国民会議」が4年前に「全世代型の社会保障」を提言している。

 方向に異を唱える人はいないだろう。政治の怠慢で進まなかったのが実態である。

 ■繰り返される議論

 首相官邸が主導し、社会保障を議論する有識者会議が設けられるようになったのは、2000年代に入ってからだ。

 高齢化で年金や医療などの給付が膨らむ一方、少子化で支え手は減っていく。制度を維持していくには、給付を見直しながら、負担についても保険料や自己負担に加えて税制も一体で考え、縦割りを排して政府全体で検討する必要がある。そうした問題意識が背景にある。

 以来、内閣が代わるたびに「国民」や「安心」「改革」といった言葉をちりばめた会議ができ、提言がまとめられた。

 その内容は、多くの部分で重なり合う。「女性、高齢者、障害者が働きやすい環境を整え支え手を増やす」「高齢者であっても負担可能な人には負担を分かち合ってもらう」「子育て世代への支援、若者の雇用不安への対策の強化」……。

 取り組むべき課題は十数年の議論で出尽くしている。必要なのは、具体策をまとめて実行に移す、政治の意思と覚悟だ。とりわけ、給付の充実と表裏であるはずの負担増を正直に語れるかどうかが試金石となる。

 ■負担増こそが論点

 安倍首相は、消費増税分のうち、国の借金減らしに充てる分の一部を新たな施策に回し、安定した財源にするとしている。

 だが、この考え方は危うさをはらむ。

 日本は「中福祉」の社会保障と言われるが、それに見合う財源が確保されておらず、国債の発行という将来世代へのつけ回しに頼っている。消費税率を10%にしても、不足分の解消にはほど遠い。高齢化などに伴う社会保障費の自然増を毎年5千億円に抑えるやりくりでしのいでいるのが近年の状況だ。

 消費増税の使途を変えるとなると、社会保障費の伸びを今以上に抑えるのか。あるいは、国債発行に頼ってさらにつけ回しを増やすのか。そうした点も一緒に示さなければ、国民は是非を判断しようがない。

 給付の充実だけを言い、社会保障制度への影響には触れず、財政再建への見取り図も示さない。そうした態度では、単なる人気取り政策と言うしかない。

 そもそも、給付が負担を大きく上回る構造を抜本的に改めていくことが問われ続けているのだ。今後、高齢者でも所得や資産に余裕のある人には負担を求めることや、医療・介護の給付範囲と負担のあり方なども検討課題としていかざるを得ないだろう。

 そうした痛みを伴う改革や負担増の具体案と道筋を示し、将来の社会保障の姿を描く。それこそが政治の役割であり、国民に信を問うべきテーマである。

 ■一体改革をどうする

 消費税収の使途変更を打ち出した与党に対し、「希望の党」代表の小池百合子・東京都知事は消費増税の凍結を語る。

 与党との対立の構図を作る狙いのようだが、では社会保障についてどのようなビジョンを持っているのか。

 希望の党への合流を掲げた民進党の前原誠司代表は、消費税を増税した上で教育や社会保障の充実に充てると訴えていた。統一した見解を早急に明らかにするべきだ。

 国民のニーズの変化に対応して社会保障の仕組みを見直し、少子高齢社会のもとでも安定した制度にしていく――。誰が政権についても避けて通ることのできない課題である。人口減や財政難の深刻さを考えれば、とりうる政策の幅はそれほど大きくはない。

 5年前、民主(現民進)と自民、公明の与野党3党が決めた社会保障と税の一体改革は、社会保障とそのための負担を政争の具にしないという、政治の知恵だと言える。

 風前のともしびの一体改革の精神を大切にするか。目先の甘い話を競い合うか。すべての政党が問われている。

(社説)衆院選 自民改憲公約 国民には語らないのか

2017年10月3日05時00分

 自民党がきのう、衆院選の政権公約を発表した。

 憲法改正については、5月の憲法記念日に安倍首相が提案した「自衛隊の明記」を盛り込んだ。教育の無償化・充実強化▽緊急事態対応▽参議院の合区解消もあわせた4項目を中心に、「初の憲法改正を目指す」としている。

 自衛隊明記を含めた具体的な項目を公約に掲げるのは初めてだ。改憲に意欲的な首相としては、選挙戦で国民に明確に改憲を問うのかと思いきや、実はそうでもない。

 首相は衆院解散を表明した記者会見で、改憲には一切ふれなかった。これまでの街頭演説でも改憲は語らず、自ら「国難」と位置づけた北朝鮮情勢への対応や、少子高齢化対策の重要性を主に訴えている。

 首相をはじめ自民党の候補者に問う。なぜいま改憲が必要なのか。公約に掲げた以上、国民に持論を語るべきだ。

 振り返れば、自民党が圧勝した過去の衆参両院選挙でも首相のふるまいは似ていた。選挙前は「経済優先」を強調し、選挙で得た数の力で「安倍カラー」の政策を強引に進める。

 特定秘密保護法、安全保障関連法、「共謀罪」法を成立させたのは、いずれも経済を前面にたてた選挙の後だった。

 9条1項、2項を維持し、自衛隊を明記する改憲を2020年までに実現したい。首相が5月に明らかにした構想だ。

 党内での議論もないままに、国会の頭越しに自らの首相在任中の改憲に向けて、期限を切って持論を持ち出す――行政府の長としての法(のり)を越えた、首相の暴走だった。

 7月の東京都議選で自民党が惨敗したのも、そうした首相のおごりが一因ではなかったか。

 都議選後、「党に任せる」と改憲論議から一歩引く構えに転じたのは当然だろう。

 今回、公約に掲げたことで、選挙後に改憲論議を進める布石を打とうとしたのか。しかし、選挙前は身を低くして、選挙に勝てば「信を得た」と突き進むのは許されない。

 衆院選の結果次第では、憲法改正に向けた国会の動きの分水嶺(ぶんすいれい)となる可能性がある。

 「希望の党」代表の小池百合子・東京都知事は自衛隊明記には慎重な姿勢だが、憲法改正自体には前向きな立場だ。

 言うまでもなく、憲法改正の発議権は国会にある。衆参の憲法審査会での与野党の丁寧な議論の積み上げが大前提だ。選挙結果を問わず、十分な国民的議論も欠かせない。

(社説)東電の原発再稼働 国は自らの無責任を正せ

2017年10月5日05時00分

 福島第一原発で未曽有の事故を起こし、今も後始末に追われる東京電力に対し、原発を動かすことを認めてよいのか。

 国民に説明し、理解を得る責任が政府にはある。それを果たさないまま、なし崩しに再稼働を進めることは許されない。

 東電が再稼働をめざす柏崎刈羽原発(新潟県)について、原子力規制委員会が技術面で基準を満たすとする審査結果をまとめた。国の手続きは山場を越え、「原発回帰」の加速につながる節目である。

 ■「丸投げ」姿勢の政権

 安倍政権は「規制基準への適合を規制委が認めれば、その判断を尊重し、地元の理解を得て、再稼働する」との姿勢だ。

 だが、この進め方は、大切なことが抜け落ちている。再稼働は本来、規制委や自治体に判断を丸投げするのではなく、事故のリスクや安全対策、社会的な必要性などを踏まえて、国が総合的に判断すべきものだ。

 東電の柏崎刈羽は、全国の原発の中でもとりわけ、検討するべき課題が多く、重い。

 事故の被害者が納得するか。避難計画も含めて安全を確保し、周辺住民の不安を拭えるか。事故処理費用をまかなう目的ばかりが強調されるが、電力供給や電気料金面の対策として不可欠なのか。そして、事故の反省に立ち、原発への依存度をどう下げていくのか。

 こうした疑問を、福島や新潟をはじめ多くの国民が抱く。政府は答えなければならない。

 規制委は、原発施設の安全性を専門家が技術的にチェックする役回りにすぎない。今回、東電だけの特例として、原発を動かす資格を見極めようとした。それ自体が、再稼働手続きに不備があることを表している。

 規制委が議論したのは、東電は安全文化や閉鎖的な体質を十分改善できたか、福島第一の廃炉に人手や資金を取られる中、柏崎刈羽で安全対策がおろそかにならないか、といった点だ。

 その姿勢は妥当だが、経営体制や組織運営に十分踏み込まないまま、「安全に責任を持つ」という東電社長の決意表明をもとに「合格」とした。拙速な判断と言わざるを得ない。

 ■手続き全体見直しを

 今の再稼働手続きは、規制委任せ、自治体任せ、電力会社任せになっている。全体を見直し、国がしっかり責任を持つ仕組みにすることが不可欠だ。

 規制委の審査基準について、政権は「世界でもっとも厳しい」と強調するが、規制委自身は「最低限の要求でしかない」と繰り返す。政権はまず、規制委が安全を全面的に保証したかのように印象づける姿勢を改めなければならない。

 事故時の避難計画は規制委の審査対象になっておらず、政府としての対応が求められる。

 自治体との関係も課題だ。

 規制委の手続きが終わると、県や立地市町村の同意が焦点になるが、電力会社との安全協定に基づく手順にすぎない。ひとたび過酷事故が起きた時の被害の深刻さを考えれば、同意手続きを法的に位置づけた上で、国が直接関与するべきだ。

 避難計画の策定を義務づけられた原発30キロ圏内のすべての自治体と政府が一緒に協議する。計画の実効性や再稼働の必要性などを幅広く検討し、運転を認めるかを判断する。そんな仕組みが必要ではないか。

 個々の原発を動かすかどうかについて、政府は電力各社の経営判断の問題だとし、前面に出るのを避けてきた。だが、原発をさまざまな政策で支える「国策民営」を続けており、事業者任せではすまされない。

 ましてや東電は、事故に伴う賠償や除染を自前でできず、実質国有化された。経営方針を差配しているのは経済産業省だ。再稼働への疑問や不安に答える責任を、政府は東電とともに果たすべきである。

 ■原発問い直す契機に

 柏崎刈羽の審査合格は、日本の原発の今後に大きな影響を及ぼす。

 これまでに規制委の審査を通った12基は西日本にある「加圧水型」で、福島第一と同じ「沸騰水型」では柏崎刈羽が第1号となる。これが呼び水となり、今後は東日本でも再稼働の流れが強まりそうだ。

 柏崎刈羽が再び動けば、地方に原発のリスクを背負わせ、電気の大消費地が恩恵を受ける「3・11」前の構図が首都圏で復活することにもなる。

 福島の事故から6年が過ぎても、被害は癒えない。原発に批判的な世論が多数を占める状況も変わらない。その陰で、国が果たすべき責任をあいまいにしたまま、再稼働の既成事実が積み重ねられていく。

 そんな状況を見過ごすわけにはいかない。原発問題には社会全体で向き合う必要がある。

 衆院選では、各党は考えを明確に示し、国会での議論につなげる。国民も改めて考える。

 柏崎刈羽の再稼働問題を、その契機としなければならない。

(社説)衆院選 森友・加計 「丁寧な説明」どこへ

2017年10月6日05時00分

 「謙虚に丁寧に、国民の負託に応えるために全力を尽くす」

 安倍首相は8月の内閣改造後、森友・加計学園の問題で不信を招いたと国民に陳謝した。

 だがその後の行動は、謙虚さからも丁寧さからも縁遠い。

 象徴的なのは、憲法53条に基づく野党の臨時国会の召集要求を、3カ月もたなざらしにしたあげく、一切の審議もせぬまま衆院解散の挙に出たことだ。

 首相やその妻に近い人に便宜を図るために、行政がゆがめられたのではないか。森友・加計問題がまず問うのは、行政の公平性、公正性である。

 もう一つ問われているのは、「丁寧な説明」を口では約束しながら、いっこうに実行しない首相の姿勢だ。

 安倍首相は7月の東京都議選での自民党惨敗を受け、衆参両院の閉会中審査に出席した。

 そして、この場の質疑で疑問はさらに膨らんだ。

 たとえば、加計学園による愛媛県今治市の国家戦略特区での獣医学部の新設計画を、ことし1月20日まで知らなかった、という首相の答弁である。

 首相は、同市の計画は2年前から知っていたが、事業者が加計学園に決まったと知ったのは決定当日の「1月20日の諮問会議の直前」だと述べた。

 だが、県と市は10年前から加計学園による学部新設を訴えており、関係者の間では「今治=加計」は共通認識だった。

 さらに農林水産相と地方創生相は、昨年8~9月に加計孝太郎理事長から直接、話を聞いていた。加計氏と頻繁にゴルフや会食をする首相だけは耳にしていなかったのか。

 首相の説明は不自然さがぬぐえない。

 朝日新聞の9月の世論調査でも、森友・加計問題のこれまでの首相の説明が「十分でない」が79%に達している。

 それでも首相は説明責任を果たしたと言いたいようだ。9月の解散表明の記者会見では「私自身、丁寧な説明を積み重ねてきた。今後ともその考えに変わりはない」と繰り返した。

 ならばなぜ、選挙戦より丁寧な議論ができる国会召集を拒んだのか。「疑惑隠し解散」との批判にどう反論するのか。

 首相は「国民の皆さんにご説明をしながら選挙を行う」ともいう。けれど解散後の街頭演説で、この問題を語らない。

 首相は「総選挙は私自身への信任を問うもの」とも付け加えた。与党が勝てば、問題は一件落着と言いたいのだろうか。

 説明責任に背を向ける首相の政治姿勢こそ、選挙の争点だ。

(社説)核廃絶運動 世界に新たなうねりを

2017年10月7日05時00分

 今年のノーベル平和賞が、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN〈アイキャン〉)に贈られる。122カ国の賛同でこの夏に採択された核兵器禁止条約への貢献が評価された。

 国連が71年前の最初の総会決議で掲げた核廃絶へ向け、ICANが機運を復活させた。ノーベル委員会はそう称賛し、世界のすべての反核運動への表彰でもある、と強調した。

 核兵器の非人道性を訴えるICANの主張を支えたのは、広島、長崎で原爆に遭った被爆者たちである。国際会議やネットを通じ、生々しい声が国際世論を揺さぶった。

 画期的な条約の成立に続く、ICANへの平和賞決定を、被爆者、日本のNGOなどすべての関係者とともに歓迎したい。「核なき世界」をめざす国際機運をいっそう高める節目とするべきだろう。

 ICANは、核戦争の防止に取り組む医師らのNGOを起点に、100カ国超にまたがる500近い団体の連合体だ。多彩な分野でそれぞれの強みを発揮する特長がある。

 医師や科学者は核戦争の被害を科学的に示し、法律家は条約の案文を作った。軍需産業の監視団体は、核関連企業への資金の流れを明らかにした。政治家や元外交官らも含め、多面的な働きかけを積み上げたことが条約成立の下地を作った。

 だが、それでも核廃絶に向けた潮流は滞っている。先月に始まった条約の署名では53カ国が応じたが、核保有国はゼロ。米国の「核の傘」の下にある日本も不参加を表明した。

 トランプ氏とプーチン氏の米ロ両首脳とも核軍拡に前向きであるうえ、北朝鮮の核開発の脅威はきわめて深刻だ。

 ただ、核が再び使われれば、人類に破滅的な影響が避けられない。その危機感がICANや被爆者らの努力で世界に浸透した意義は大きい。核に依存する政治家らの考えを変えるには、引きつづき市民社会に働きかけていくしかない。

 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は昨春、「ヒバクシャ国際署名」の運動を始めた。9月末までに515万の署名を得た。20年までに世界で数億人まで増やすのが目標だ。

 多くの市民が廃絶の意思を共有し、「核兵器ノー」の包囲網を築いていく。ICANの受賞決定を、世界的なうねりへとつなげるきっかけにしたい。

 被爆国でありながら、ICANや被爆者の願いに背を向けたままの日本政府は、その姿勢が改めて問われることになろう。

(社説)中国の歴史観 政治利用の不毛な動き

2017年10月9日05時00分

 日本と中国が全面戦争に突入した起点は今から80年前、1937年7月の盧溝橋事件である。中国では45年までの8年を抗日戦の期間とする見方がこれまで定着していた。

 ところが最近、習近平(シーチンピン)政権は31年9月18日に起きた満州事変・柳条湖事件を抗日戦の起点と唱えるようになった。戦いの期間は6年延びて14年となる。

 習氏自身が、14年間を一貫したものと捉えるよう求めた、とされている。その狙いは、自らが率いる共産党政権の正統性を強めることにあるようだ。

 満州事変以降、日本の侵略が断続的に進んだのは事実だ。反省すべき戦争を長い視点で考える意味も込めて、日本でも同様の見方をすることがある。

 不幸な日中関係の歴史に光をあてて教訓をくみ、いまの政治の戒めとすることは必要な営みであろう。しかし、習政権の動きは、そのようには見えない。むしろ、時の最高指導者が自らの都合に合わせて歴史観を定めているというのが実態だ。

 当時の日中関係を、14年戦争とだけ捉えると全体像を見落としがちだ。その間には関係改善を探り合った時期があり、全面衝突を避ける選択肢はあり得た。また当時の中国は内戦状態で、単純な日中対立の構図ではない。そもそも、共産党の抗日戦への貢献度は大きくない。

 それでもあえて抗日戦の期間を長くすることで、中国の戦後国際秩序形成への貢献と、共産党の主導ぶりを浸透させたいのだろう。

 中国で問題なのは、ひとたび政権が見解を出せば、その歴史観に社会全体が縛られる点だ。すでに教科書の改訂が進み、異論を唱えた歴史学者の文章はネットから削除されている。自由であるべき歴史研究が妨げられているのは憂うべき事態だ。

 中国と違い、日本には言論や学問の自由がある。しかし、政治家が、いびつで不誠実な歴史認識を語る現実もある。

 記憶の風化に伴い、戦前戦中の不名誉な史実を拒むような政治家の言動が続くのは、懸念すべき風潮だ。かつて国民に忠君愛国を植えつけ、戦時動員の下地をつくった教育勅語を肯定する政治家まで出ている。

 中国での歴史の政治利用と、日本の政治家による偏狭な歴史観の摩擦が、両国の互恵関係づくりの足かせになりかねない。

 自由な歴史研究と交流をもっと広げるべきだ。当時の指導者が何を考え、どこで道を誤り、何が欠けていたのか。その謙虚な模索があってこそ、歴史は今の指針を探る源泉となる。

(社説)衆院選 安倍政権への審判 民意こそ、政治を動かす

2017年10月11日05時00分

近年まれにみる混沌(こんとん)とした幕開けである。

 衆院選が公示され、22日の投開票に向けた論戦が始まった。

 発端は、安倍首相による唐突な臨時国会冒頭解散だった。

 選挙準備が整わない野党の隙をつくとともに、森友学園・加計学園問題の追及の場を消し去る。憲法53条に基づく野党の臨時国会召集要求を無視した「自己都合解散」である。

 だが解散は、思わぬ野党再編の引き金をひいた。民進党の崩壊と、小池百合子・東京都知事率いる希望の党の誕生だ。

 ■「1強政治」こそ争点

 選挙戦の構図を不鮮明にしているのは、その小池氏の分かりにくい態度である。

 「安倍1強政治にNO」と言いながら、選挙後の首相指名投票への対応は「選挙結果を見て考える」。9条を含む憲法改正や安全保障政策をめぐる主張は安倍政権とほぼ重なる。

 固まったかに見えた「自民・公明」「希望・維新」「立憲民主・共産・社民」の3極構図は今やあやふやだ。

 むしろ政策面では、安保関連法を違憲だと批判し、首相が進める改憲阻止を掲げる「立憲民主・共産など」と「自民・希望など」の対立軸が見えてきた。

 野党なのか与党なのか。自民党に次ぐ規模である希望の党の姿勢があいまいでは、政権選択選挙になりようがない。戸惑う有権者も多いだろう。

 だからこそ、確認したい。

 この衆院選の最大の争点は、約5年の「安倍1強政治」への審判である。そして、それをさらに4年続けるかどうかだと。

 この5年、安倍政権が見せつけたものは何か。

 経済を前面に立てて選挙を戦い、選挙後は「安倍カラー」の政策を押し通す政治手法だ。

 景気と雇用の安定を背景に選挙に大勝する一方で、圧倒的な数の力で特定秘密保護法、安保法、「共謀罪」法など国論を二分する法律を次々と成立させてきた。

 ■一票が生む緊張感

 ことし前半の通常国会では、数の力を振り回す政権の体質がむき出しになった。

 加計学園に絡む「総理のご意向」文書、財務省と森友学園の交渉記録……。国会で存在を追及されても「記憶がない」「記録がない」で押し切る。政権にとって不都合な証言者には容赦なく人格攻撃を加える。

 国会最終盤には「共謀罪」法案の委員会審議を打ち切って採決を強行する挙に出た。1強のおごりの極みである。

 行政府とその長である首相を監視し、問題があればただす。国会の機能がないがしろにされている。三権分立が危機に瀕(ひん)しているとも言える。

 そんな1強政治を前にして、一票をどう行使すべきか。考え込む人も多いかもしれない。

 自分の一票があってもなくても政治は変わらない。政党の離合集散にはうんざりだ。だから選挙には行かない――。

 しかしそれは、政治の現状をよしとする白紙委任に等しい。

 7月の東京都議選最終盤の一場面を思い起こしたい。

 「こんな人たちに負けるわけにはいかない」。東京・秋葉原でわき上がる「辞めろ」コールに、首相は声を強めたが、自民党は歴史的敗北を喫した。

 選挙後、首相は「謙虚に、丁寧に、国民の負託にこたえる」と述べたが、その低姿勢は長くは続かなかった。内閣改造をへて内閣支持率が上向いたと見るや、国会審議を一切せずに冒頭解散に踏み切った。

 それでも、都議選で示された民意が政治に一定の緊張感をもたらしたのは間違いない。

 ■無関心が政権支える

 1強政治は、どれほどの「民意」に支えられているのか。

 首相は政権に復帰した2012年の衆院選をはじめ、国政選挙に4連勝中だ。

 最近の国政選挙は低投票率が続く。前回14年の衆院選の投票率は戦後最低の52・66%で、自民党の小選挙区での得票率は48・1%だ。つまり、有権者の4分の1程度の支持でしかない。

 そして衆院選小選挙区の自民党の得票総数は、05年の「郵政選挙」以降、減り続けている。有権者の選挙への関心の低さが1強を支えている。

 一票は、確かに一票に過ぎない。だがその一票が積み重なって民意ができる。そこに政治を変える可能性が生まれる。

 政治家は一票の重みを熟知している。だから民意の動向に神経をとがらせる。

 日本は今、岐路に立つ。

 少子高齢化への対応は。米国や近隣国とどう向き合うか。原発政策は……。各党が何を語るかに耳を澄まし、語らない本音にも目をこらしたい。

 納得できる選択肢がないという人もいるだろう。それでも緊張感ある政治を取り戻す力は、有権者の一票にこそある。

 自分のためだけではない。投票は、子どもたちや将来の世代への責任でもある。

(社説)衆院選 安倍首相 説明になっていない

2017年10月12日05時00分

 安倍政権の5年が問われる衆院選である。

 安全保障関連法やアベノミクス、原発政策など大事な政策論議の前にまず、指摘しておかねばならないことがある。

 森友学園・加計学園をめぐる首相の説明責任のあり方だ。

 首相やその妻に近い人が優遇されたのではないか。行政は公平・公正に運営されているか。

 一連の問題は、政権の姿勢を問う重要な争点である。

 党首討論やインタビューで「森友・加計隠し解散だ」と批判されるたびに、首相はほぼ同じ言い回しで切り返す。

 首相の友人が理事長の加計学園の獣医学部新設問題では「一番大切なのは私が指示したかどうか」「国会審議のなかで私から指示や依頼を受けたと言った方は1人もいない」という。

 首相自身の指示がなければ問題ないと言いたいのだろう。

 だが、それでは説明になっていない。

 首相に近い人物が指示したり、官僚が忖度(そんたく)したりした可能性を否定できないからだ。

 実際に、「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っている」と記された文書が文部科学省に残っている。

 首相は、愛媛県の加戸守行・前知事が国会で「ゆがめられた行政が正されたというのが正しい」と述べたことも強調する。

 しかし加戸氏の発言は、長年にわたって要望してきた学部設置が認められたことを評価したものだ。選定過程の正当性を語ったものではない。

 そもそも加戸氏は2年前の国家戦略特区の申請時には知事を引退していた。省庁間の調整作業や特区をめぐる議論の内実を知る立場にない。

 森友学園に関しては、妻昭恵氏と親交があった籠池泰典・前理事長とは面識がないことと、「籠池さんは詐欺罪で刑事被告人になった」ことを指摘する。

 そのうえで、昭恵氏の説明責任については「私が何回も説明してきた」と言うばかり。

 昭恵氏にからむ疑問に対して、首相から説得力ある答えはない。

 昭恵氏はなぜ学園の小学校の名誉校長に就いたのか。8億円以上値引きされた国有地払い下げに関与したのか。昭恵氏が渡したとされる「100万円の寄付」の真相は――。

 事実関係の解明にはやはり、昭恵氏自身が語るべきだ。

 首相が国民に繰り返し約束した「丁寧な説明」はまだない。首相はどのように説明責任を果たすのか。それは、選挙戦の大きな争点である。

(社説)衆院選 安保法と憲法9条 さらなる逸脱を許すのか

2017年10月13日05時00分

 「憲法違反」の反対論のうねりを押し切り、安倍政権が安全保障関連法を強行成立させてから、初めての衆院選である。

 安倍首相は、安保法によって「はるかに日米同盟の絆は強くなった」「選挙で勝って、その力を背景に強い外交力を展開する」と強調する。

 安保法に基づく自衛隊の任務拡大と、同盟強化に前のめりの姿勢が鮮明だ。

 混沌(こんとん)とした与野党の対決構図のなかで、安保法をめぐる対立軸は明確である。

 ■「国難」あおる首相

 希望の党は公約に「現行の安保法制は憲法に則(のっと)り適切に運用する」と掲げた。

 同法の白紙撤回を主張してきた民進党の前議員らに配慮し、「憲法に則り」の前置きはつけた。ただ、小池百合子代表は自民、公明の与党と同じ安保法容認の立場だ。

 これに対し立憲民主、共産、社民の3党は同法は「違憲」だとして撤回を求める。

 首相は、北朝鮮の脅威を「国難」と位置づけ、「国際社会と連携して最大限まで圧力を高めていく。あらゆる手段で圧力を高めていく」と力を込める。

 たしかに、核・ミサイル開発をやめない北朝鮮に対し、一定の圧力は必要だろう。だからといって軍事力の行使に至れば、日本を含む周辺国の甚大な被害は避けられない。

 平和的な解決の重要性は、首相自身が認めている。

 それでも「国難」を強調し、危機をあおるような言動を続けるのは、北朝鮮の脅威を自らへの求心力につなげ、さらなる自衛隊と同盟の強化につなげる狙いがあるのではないか。

 安倍政権は、歴代内閣が「違憲」としてきた集団的自衛権を「合憲」に一変させた。根拠としたのは、集団的自衛権について判断していない砂川事件の最高裁判決と、集団的自衛権の行使を違憲とした政府見解だ。まさに詭弁(きべん)というほかない。

 ■枠を越える自衛隊

 その結果、自衛隊は専守防衛の枠を越え、日本に対する攻撃がなくても、日本の領域の外に出て行って米軍とともに武力行使ができるようになった。

 その判断は首相や一握りの閣僚らの裁量に委ねられ、国民の代表である国会の関与も十分に担保されていない。

 安保法の問題は、北朝鮮への対応にとどまらない。

 国民の目と耳の届かない地球のどこかで、政府の恣意(しい)的な判断によって、自衛隊の活動が広がる危うさをはらむ。

 しかも南スーダン国連平和維持活動(PKO)で起きた日報隠蔽(いんぺい)を見れば、政府による自衛隊への統制が機能不全を起こしているのは、明らかだ。

 来年にかけて、防衛大綱の見直しや、次の中期防衛力整備計画の議論が本格化していくだろう。自民党内では、大幅な防衛費の増額や敵基地攻撃能力の保有を求める声が強い。

 報道各社の情勢調査では、選挙後、自公に希望の党も加わって安保法容認派が国会の圧倒的多数を占める可能性がある。

 そうなれば、国会の関与がさらに後退し、政権の思うがままに自衛隊の役割が拡大する恐れが強まる。

 今回の衆院選は、安倍政権の5年間の安保政策を問い直す機会でもある。

 安保法や特定秘密保護法。武器輸出三原則の撤廃、途上国援助(ODA)大綱や宇宙基本計画の安保重視への衣替え……。

 一つひとつが、戦後日本の歩みを覆す転換である。

 次に首相がめざすものは、憲法への自衛隊明記だ。自民党は衆院選公約の重点項目に、自衛隊を明記する憲法改正を初めて盛り込んだ。

 安保法と、9条改正論は実は密接に絡んでいる。

 ■民主主義が問われる

 安保法で自衛隊の行動は変質している。その自衛隊を9条に明記すれば、安保法の「集団的自衛権の行使容認」を追認することになってしまう。

 「(安保法を)廃止すれば日米同盟に取り返しのつかない打撃を与えることになる」

 首相は主張するが、そうとは思えない。

 立憲民主党などが言う通り、安保法のかなりの部分は個別的自衛権で対応できる。米国の理解を得ながら、集団的自衛権に関する「違憲部分」を見直すことは可能なのではないか。

 衆院選で問われているのは、憲法の平和主義を逸脱した安倍政権の安保政策の是非だけではない。

 この5年間が置き去りにしてきたもの。それは、憲法や民主主義の手続きを重んじ、異論にも耳を傾けながら、丁寧に、幅広い合意を築いていく――。そんな政治の理性である。

 「数の力」で安保法や特定秘密法を成立させてきた安倍政権の政治手法を、さらに4年間続け、加速させるのか。

 日本の民主主義の行方を決めるのは、私たち有権者だ。

(社説)衆院選 アベノミクス論争 「つぎはぎ」の限界直視を

2017年10月14日05時00分

 第2次安倍政権の発足以来、「アベノミクス」をめぐる議論が間断なく繰り返されてきた。政権は成果を誇り、「加速」が必要だと主張する。一方、野党からは「実感がない」「失敗した」との声があがる。

 アベノミクスという言葉自体は「安倍政権の経済政策」という意味しかない。内容は多岐にわたり、力点の置き方も変わってきている。衆院選は、その内実を見極める機会でもある。

 ■当初目標は未達成

 2012年末の就任時、安倍首相は「強い経済を取り戻す」と訴え、「大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略」を掲げた。この「3本の矢」自体は、不況時の標準的な政策といえる。

 その後の5年間、円安を起点にした企業の収益改善に加え、雇用も好転し失業率は大きく下がった。どこまでが政策の効果か、厳密な論証は難しいが、景気が回復したのは確かだ。

 ただ、賃金と消費の伸びはいまだに勢いを欠く。物価上昇率2%というデフレ脱却の目標は実現のメドがたたない。経済の実力を表す潜在成長率も、微増にとどまっているようだ。

 その結果、「10年間の平均で名目3%、実質2%」という当初の成長率目標の達成は見通せないままだ。

 一方で、異次元の金融緩和政策を担った日本銀行は、巨額の国債を抱え込み、将来の金利上昇時に大きな損失を抱えるリスクを膨らませている。

 国の財政も、赤字幅は一定の改善をみたが、基礎的収支の黒字化は先送りに追い込まれた。高齢化による負担増の加速が見込まれる25年以降の長期的な見通しもたっていない。

 政権は「アベノミクスは道半ば」と説明してきた。「新3本の矢」「働き方改革」などとスローガンを変え、自民党の選挙公約は「生産性革命」と「人づくり革命」を打ち出している。

 だが、足元の限界を直視せず、看板の掛け替えを繰り返しながら勇ましい表現を連ねるだけでは、進展は望めない。

 ■鈍い賃上げどうする

 企業が空前の利益をあげているのに、賃金は伸びない。それが経済の循環を滞らせているのなら、働き手への分配を渋る企業の判断が問われる。

 安倍政権は、法人税減税などを通じて経済界との蜜月を築いてきた。賃上げも求めたが、基本的には「アメ」の政策だ。それが十分な結果を出せていない現状を変えられるのか。

 政権は、企業の生産性向上を促すことで賃上げを後押しするというが、具体的な議論はこれからだ。しかも民間の取り組み次第の面が強く、時間もかかる。足元の分配不足の解決は、先送りされかねない。

 そもそもアベノミクスが掲げた経済再生は、成長の回復が主眼で、当初は分配の視点がほとんどなかった。次第に働き手や低所得者により配慮するような姿勢も見せ始めたが、成長力を高める一環といった位置づけが強く、分配面で社会的公正をめざす視点はいぜんとして弱い。理念を伴わず、野党の主張を横目に、政策をつぎはぎしているだけにみえる。

 例えば、税制である。

 政権は10%への消費増税を実施した上で、教育や社会保障分野に厚めに振り向ける方針を打ち出した。公正・公平を目指すなら、所得税や相続税の強化など再分配に関わる改革も欠かせないはずだ。しかし、本格的に取り組む姿勢は一向にうかがえない。

 ■大切な「分配」の視点

 最大野党の希望の党の公約も混沌(こんとん)としている。

 「民間活力を生かした経済の活性化」を前面に出す一方で、内部留保課税といった企業に厳しく見える提案も掲げる。企業にたまった資金の有効利用についての問題提起としては理解できる部分もあるが、今の大まかな提案では実現性や実効性は評価できず、働き手への分配増をめざしているのかも不明だ。

 また、消費増税凍結を主張しつつ金融・財政政策に「過度に依存しない」とも言うが、めざす方向性が読み取れない。

 共産党や立憲民主党は格差是正や社会保障の充実を掲げ、分配面重視の姿勢をとる。だが、逆に成長をどう維持するのかという視点は希薄だ。

 世界的に技術革新とグローバル化が進み、国内では未曽有の高齢化と人口減少に直面する。経済成長による「パイ」の拡大とともに、その分配の視点が一段と大事になってくる。

 雑多な政策を「○○ノミクス」という名ばかりの風呂敷でくるむだけでは、問題解決には力不足だ。

 個々の政策を貫く、経済社会についてのビジョンがなければ、何を優先するかが混乱したり、修正が必要なときに対応を誤ったりしかねない。

 成長と分配についてどんな見取り図を描いていくかが、何よりも問われている。

(社説)衆院選 沖縄の負担 悲鳴と怒り、耳澄ませ

2017年10月15日05時00分

 沖縄の悲鳴と怒りに、衆院選にのぞんでいる政党・候補者は改めて耳を傾け、それをわがこととしなければならない。

 米軍の大型輸送ヘリコプターが東村(ひがしそん)高江の民家近くに不時着して炎上した。13年前に沖縄国際大に墜落した同系機だ。

 翁長雄志知事や地元の住民は強く反発している。政府が米軍に対し、原因の究明や飛行停止を求めたのは当然である。

 だが安倍政権はこれまで、その「当然」の措置すら、しばしばうやむやにしてきた。

 オスプレイが普天間飛行場に配備されて今月で5年になる。24機体制に拡充されたうちの1機が昨年末に名護市の海岸で大破した時も、「機体に問題はない」との説明を受け入れ、飛行再開をあっさり容認した。そして先月、米軍が政府に示した最終報告書は、意見や提言の欄がすべて黒塗りになっていた。

 普天間のオスプレイは今年になってからも、豪州沖で墜落して3人が死亡したほか、奄美大島、大分、石垣島などで緊急着陸をくり返している。

 いったい何が起きているのか。原因は人為ミスとして処理されることが多い。ではなぜ、こうもミスが続くのか。

 徹底解明を米軍に働きかけ、納得できる回答を引き出し、住民の不安や疑問にこたえる。日本の当局による検証や捜査を阻む原因になっている、日米地位協定の見直しに全力をあげる。それが政府の使命だ。

 しかし政権が米国に本気で迫ることはなく、衆院選の自民党公約にも「地位協定はあるべき姿を目指します」という中身のない一文があるだけだ。

 墜落の恐怖ばかりではない。

 ヘリが炎上した高江には、米軍が北部訓練場の半分を返還する見返りとして、この数年の間にヘリパッドが6カ所造成された。オスプレイもたびたび飛来し、12年度に567回だった60デシベル以上の騒音は、昨年度は6887回と激増した。低周波騒音に頭痛を訴える人も多い。

 夜間訓練や飛行ルートに関する取りきめはあるが、一向に守られていない。これが、政府がとり組んできたと胸を張る「沖縄の負担軽減」の現実だ。

 首相は「この国を守り抜く」と力説するが、「この国」のなかに、沖縄の人々の平穏な生活は含まれているのだろうか。

 「したい放題の米軍」「もの言えぬ日本政府」が続けば、民心はさらに離れ、沖縄に多くを依存する安保政策は根底からゆらぐ。沖縄が背負う荷をいかにして、真に軽くするかは、まさに選挙で問うべき重い課題だ。

(社説)衆院選 憲法論議 国民主権の深化のために

2017年10月16日05時00分

 憲法改正の是非が衆院選の焦点のひとつになっている。

 自民党、希望の党などが公約に具体的な改憲項目を盛り込んだ。報道各社の情勢調査では、改憲に前向きな政党が、改憲の発議に必要な3分の2以上の議席を占める可能性がある。

 政党レベル、国会議員レベルの改憲志向は高まっている。

 同時に、忘れてはならないことがある。主権者である国民の意識とは、大きなズレがあることだ。

 ■政党と民意の落差

 民意は割れている。

 朝日新聞の今春の世論調査では、憲法を変える必要が「ない」と答えた人は50%、「ある」というのは41%だった。

 自民党は公約に、自衛隊の明記▽教育の無償化・充実強化▽緊急事態対応▽参議院の合区解消の4項目を記した。

 なかでも首相が意欲を見せるのが自衛隊の明記だ。5月の憲法記念日に構想を示し、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と語った。メディアの党首討論で問われれば、多くの憲法学者に残る自衛隊違憲論を拭いたいと語る。

 一方で首相は、街頭演説では改憲を口にしない。訴えるのはもっぱら北朝鮮情勢やアベノミクスの「成果」である。

 首相はこれまでの選挙でも経済を前面に掲げ、そこで得た数の力で、選挙戦で強く訴えなかった特定秘密保護法や安全保障関連法、「共謀罪」法など民意を二分する政策を進めてきた。

 同じ手法で首相が次に狙うのは9条改正だろう。

 だが、改憲には前向きな政党も、首相の狙いに協力するかどうかは分からない。

 希望の党は「9条を含め憲法改正論議を進める」と公約に掲げたが、小池百合子代表は自衛隊明記には「もともと合憲と言ってきた。大いに疑問がある」と距離を置く。

 連立パートナーの公明党は「多くの国民は自衛隊の活動を支持し、憲法違反の存在とは考えていない」と慎重姿勢だ。

 ■必要性と優先順位と

 時代の変化にあわせて、憲法のあり方を問い直す議論は必要だろう。

 ただ、それには前提がある。

 憲法は国家権力の行使を規制し、国民の人権を保障するための規範だ。だからこそ、その改正には普通の法律以上に厳しい手続きが定められている。他の措置ではどうしても対処できない現実があって初めて、改正すべきものだ。

 自衛隊については、安倍内閣を含む歴代内閣が「合憲」と位置づけてきた。教育無償化も、予算措置や立法で対応可能だろう。自民党の公約に並ぶ4項目には、改憲しないと対応できないものは見当たらない。

 少子高齢化をはじめ喫緊の課題が山積するなか、改憲にどの程度の政治エネルギーを割くべきかも重要な論点だ。

 朝日新聞の5月の世論調査で首相に一番力を入れてほしい政策を聞くと、「憲法改正」は5%。29%の「社会保障」や22%の「景気・雇用」に比べて国民の期待は低かった。

 公約全体で改憲にどの程度の優先順位をおくか。各党は立場を明確にすべきだ。

 安倍首相は、なぜ改憲にこだわるのか。

 首相はかつて憲法を「みっともない」と表現した。背景には占領期に米国に押しつけられたとの歴史観がある。

 「われわれの手で新しい憲法をつくっていこう」という精神こそが新しい時代を切り開いていく、と述べたこともある。

 ■最後は国民が決める

 そこには必要性や優先順位の議論はない。首相個人の情念に由来する改憲論だろう。

 憲法を軽んじる首相のふるまいは、そうした持論の反映のように見える。

 象徴的なのは、歴代内閣が「違憲」としてきた集団的自衛権を、一内閣の閣議決定で「合憲」と一変させたことだ。

 今回の解散も、憲法53条に基づいて野党が要求した臨時国会召集要求を3カ月もたなざらしにしたあげく、一切の審議を拒んだまま踏み切った。

 憲法をないがしろにする首相が、変える必要のない条文を変えようとする。しかも自らの首相在任中の施行を視野に、2020年と期限を区切って。改憲を自己目的化する議論に与(くみ)することはできない。

 憲法改正は権力の強化が目的であってはならない。

 必要なのは、国民主権や人権の尊重、民主主義など憲法の原則をより深化させるための議論である。

 その意味で、立憲民主党が公約に、首相による衆院解散権の制約や「知る権利」の論議を掲げたことに注目する。権力を縛るこうした方向性こそ大切にすべきだ。

 改憲は政権の都合や、政党の数合わせでは実現できない。

 その是非に最後に判断を下すのは、私たち国民なのだから。

(社説)衆院選 知る権利 民主主義の明日を占う

2017年10月17日05時00分

 安倍政権がないがしろにしてきたもの。そのひとつに、国民の「知る権利」がある。

 政府がもつ情報の公開を求める権利は、国民主権の理念を実現し、民主主義を築いていくうえで欠かすことができない。

 だが政権は、森友・加計学園問題で、政府の記録を公開する考えはない、破棄済みで手元にない、そもそも作成していないの「ないない尽くし」に終始した。PKO日報をめぐっても重大な隠蔽(いんぺい)があった。

 自民党が5年前に発表した憲法改正草案は、「知る権利」について「まだ熟していない」として条文に盛りこむのを見送った。後ろ向きの姿勢には疑問があるが、一方で「国は、国政上の行為につき国民に説明する責務を負う」との規定を、新たに設ける考えを示している。

 この草案に照らしても、政権の行いは厳しい非難に値する。

 情報公開法の制定から18年になる。熟したか熟していないかの議論はともかく、大切なのは知る権利が確実に保障される社会をつくること。具体的には、情報隠しができないように法令を整備し、制度をみがき、行政にたずさわる人々の意識と行動を変えていくことだ。

 だが、自民党の衆院選公約には「行政文書の適正な管理に努める」とあるだけだ。公明党も同様で、与党として、一連の問題に対する深い反省も、改革への決意もうかがえない。

 希望の党は、知る権利を憲法に明確に定めることを公約にかかげる。しかしこれも、同党を率いる小池百合子・東京都知事が五輪会場の見直しや築地市場の移転をめぐって見せた行動を思いおこすと、眉につばを塗る必要がある。

 「敵」と位置づけた元知事らにとって都合の悪い情報は、たしかに公開した。だが自らの判断については、そこに至った根拠や検討の経過、描く将来像などの説明に応じなかった。

 市民が情報にアクセスし、それを手がかりに行政を監視し、考えを深めて、より良い政治を実現する――。そんな知る権利の意義を本当に理解しているのか。政略の道具にただ利用しただけではないのか。

 旧民主党政権のとき、知る権利を明記し、開示の範囲を広げる情報公開法の改正案が閣議決定されたが、成立に至らなかった。その流れをくむ立憲民主党や、「抜本改革が必要」と唱える共産党は、実現に向けてどんな道筋を描いているのか。

 各党の主張や姿勢を見極め、投票の判断材料にしたい。民主主義の明日がかかっている。

(社説)衆院選 財政再建 将来世代への責務だ

2017年10月18日05時00分

 消費増税と財政再建の議論が、いっこうに深まらない。

 安倍首相は衆院解散の理由として、消費増税分の使途変更を挙げた。19年10月に税率を10%に上げることで新たに得られる年間5兆円余りのうち、借金減らしに充てる分を減らし、子育て支援などに回す。「国民と約束していた税の使い道を変える以上、信を問わなければならない」というのが首相の説明だ。

 しかし、高齢者向けと比べて手薄な現役世代への支援が必要であることは、この十年来、繰り返し指摘されてきた。野党も子育て支援の充実などには反対していない。

 国民に問うべきなのは、使途変更の是非ではない。

 首相は基礎的財政収支を20年度に黒字化する目標を同時に先送りした。「財政再建の旗は降ろさない」と言うなら、使途変更によって生じる財政の穴をどう埋めて、いつごろ黒字化するのか。そして、全世代型に転換するという社会保障を財政でどう支えていくのか。

 そうした点が関心事なのに、首相は口をつぐんだままだ。

 先進国の中で最悪の水準にある財政状況を考えれば、将来世代へのつけ回しを抑えるためにも、国民全体で広く負担する消費税の増税が避けられない。そう正面から訴えることが、増税に対する国民の理解を深めることにつながる。

 しかし首相は増税自体については詳しくは語らず、もっぱら子育て支援などの充実を強調している。解散表明後のテレビ番組で、消費増税を先送りする可能性に触れたこともある。既に2度増税を延期してきただけに、本気度が疑われかねない。

 野党各党も、財政再建については「現実的な目標に訂正する」(希望の党)などとしている程度で、どんな道筋を考えているのかはっきりしない。消費増税の凍結や反対を唱えながら、それに代わる財源は「大企業の内部留保への課税検討」(希望)、「国会議員の定数・歳費の3割カット」(維新)など、実現性や財源としての規模に疑問符がつくものが目立つ。

 超高齢化と少子化が同時に進む中で、社会保障と財政の展望を示すことこそが、政治に課された責務だ。10%への消費増税や基礎的財政収支の黒字化も、小さな一歩に過ぎない。

 所得税や相続税、法人税も含めて今後の税制を描く。予算を見直し、非効率な支出をなくしながら配分を変えていく。

 与野党ともに、将来の世代まで見すえて、負担と給付の全体像を語るべきだ。

(社説)中国共産党 疑問尽きぬ「強国」構想

2017年10月19日05時00分

 30年かけて強国を築き上げる――。きのう始まった中国共産党大会で習近平(シーチンピン)・党総書記(国家主席)が、そう宣言した。2千人余りの党代表を前に、自信に満ちているように見えた。

 それは豊かで調和のとれた「社会主義現代化強国」だという。崇高な目標にも聞こえるが、そこには共産党の一党支配を強めるという大前提がある。そのうえで経済を発展させ、公正な社会をつくることが果たして可能なのか。

 確かにこの5年間、習氏はめざましい実行力をみせた。

 汚職の摘発で党や軍の首脳級に切り込んだ。軍の組織改革も進めている。党内部からの腐敗への危機感ゆえだが、権力固めに利用した面も否めない。摘発の矛先は習氏に近い人々には決して向けられなかった。

 国力を背に積極外交に打って出たのも、習政権の特徴だ。アジアインフラ投資銀行を設け、中央アジア、欧州と結ぶ「一帯一路」構想が前進している。強引な海洋進出も目立った。

 こうした急速な動きと対照的なのが経済改革だ。4年前の党の会議で「近代的市場体系の形成を急ぐ」としたものの、現実は逆行している。

 合併を通じて国有企業をさらに大型化し、経済の命脈を握らせている。そのうえ、党の指示を各企業の経営判断に反映させる制度を新たに導入した。

 一部の国有企業に民間から出資させる動きはあるが、民営化にはほど遠い。民間企業は、これまで雇用の伸びを支えてきたというのに、政府支援や融資の面で公平に扱われない。

 中国は、中所得国水準から抜け出せない段階で急速に高齢化が進む。そんな危機を目前に、民間の活力をそいででも経済に対する党・政府の管理統制を優先する姿勢は大いに疑問だ。

 それにも増して不当なのは、社会全般に対する統制の強まりである。習政権のもと、NGO活動の管理、弁護士の摘発、メディアの監視、大学の統制を厳しく進めた。ネット上のちょっとした政権批判めいた言葉も許されない。これまで残っていた市民的自由の空間は、いよいよ狭まってきた感がある。

 目標とする30年後は、中国建国からほぼ100年にあたる。そのころ習氏が「世界一流」と自称する軍は、周辺国からどう見られているだろうか。

 そもそも一党支配のままで、「強国」になることはありうるのか。もしなったとしても、それは中国の人々にとっても他国にとっても、決して歓迎されるものではないだろう。

(社説)核禁止条約 背を向けず参加模索を

2017年10月25日05時00分

 被爆国に対する国際社会の期待を裏切る行動だ。

 日本政府が国連に提出した核兵器廃絶決議案が波紋を呼んでいる。7月に122カ国の賛同で採択された核兵器禁止条約に触れず、核保有国に核軍縮を求める文言も弱くなったためだ。

 日本は24年連続で決議案を出しており、昨年は167カ国が賛成した。だが、今回の案には、条約を推進した非核保有国から強い不満の声が出ている。

 条約づくりに尽力したNGO・核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN〈アイキャン〉)がノーベル平和賞に決まった際も、外務省が談話を出したのは2日後。「日本のアプローチとは異なる」とし、やはり条約に触れなかった。

 条約の意義を改めて確認したい。核兵器を「絶対悪」と位置づけ、「決して使われてはならない」という規範を国際法として打ち立てたことだ。

 72年前、米軍が広島、長崎に投下した原爆で、人類は核兵器の圧倒的な非人道性を知った。

 だが戦後、米国や旧ソ連をはじめとする大国は「核兵器を持つことで、他国からの攻撃を未然に防ぐ」という核抑止論を持ち出し、核軍拡に走った。

 ICANや広島、長崎の被爆者らの努力で生まれた核兵器禁止条約は、非人道性という原点に立ち返り、核抑止論を否定しようとしている。「核兵器のない世界」の実現に向けた着実な一歩であることは確かだ。

 この流れになぜ被爆国があらがうのか。

 安倍首相は8月に条約への不参加を明言した。河野太郎外相は「北朝鮮や中国が核兵器を放棄する前に核兵器を禁止すれば、抑止力に問題が出る」との見解を表明した。米国の「核の傘」に頼る安全保障政策が、最大のネックになっている。

 北朝鮮が核実験やミサイル発射を繰り返し、核の傘の役割は増しているとの見方さえある。トランプ米大統領は米国の核戦力を増強する考えを再三表明し、緊張に拍車をかけている。

 だが、「核には核を」の悪循環は、偶発的に核が使われる危険性を高めるばかりだ。すぐには困難だとしても、核の傘からの脱却と、条約参加への道筋を真剣に模索するのが、被爆国としての日本の責務だろう。

 9月以降、53カ国が条約に署名したが、核保有国や核の傘の下にある国はまだ一つもない。日本が参加の意思を示せば、インパクトは計り知れない。核保有国と非核保有国の橋渡し役を自任するなら、国際社会の多数が支持する条約に背を向け続けるべきではない。

(社説)習近平新体制 個人独裁へ歩むのか

2017年10月26日05時00分

 これは新たな個人独裁ではないのか。おととい閉幕した中国共産党大会と、きのう発足した党指導部の人事から、そんな疑念が湧いてくる。

 5年前、党トップの総書記に就いた習近平(シーチンピン)氏は一貫して権力集中を進め、今回、党規約に自らの名を冠した「思想」を書き込んだ。この短期間で毛沢東、トウ小平に並ぶかのような権威づけがされるのは異例だ。

 最高指導部である常務委員や政治局員の人事でも習氏に近い人物が要所に配された。

 習氏にとっては党の立て直しのつもりなのだろうが、これほどの力の集中は、危うい。

 かつて独裁者の毛沢東が「大躍進」「文化大革命」の名の下で過ちを犯し、数千万人規模の命を奪う災難をおこした。毛の死去後に集団指導体制に転じたのは重い教訓ゆえでもある。

 ところがその後は集団指導下での市場経済化に伴い、各指導者のもとでの利権構造が生じ、腐敗が深まった。国有石油企業を通じて蓄財していた周永康氏の事件は記憶に新しい。

 そうした構造に切り込むためにも、習氏はトップである自身の権限を強め、一党支配の安定化を図ろうとしている。

 だが、腐敗をただすのは当然だとしても、まるで毛時代に戻るような方向は間違っている。どんな権力であれ、批判や牽制(けんせい)を受け、説明責任を果たす仕組みが欠かせない。

 メディアによるチェック機能を高め、政策決定過程の透明化を求める議論は、もともと共産党の内外にあった。しかし今では、こうした改革派の影が薄くなったことが懸念される。

 新しい常務委員にも、5年後に習氏を継ぐべき次世代の顔ぶれが入らなかった。習氏は2期10年という従来のルールを変えて3期目以降も続けるつもりなのか。長期院政を敷くつもりなのか。権力集中の果てにはそんな可能性も見える。

 世界的には、グローバル化の波の中で欧米の自由民主主義の政治が混迷していることから、中国の一党支配による安定は、皮肉な強みとみられることもある。しかし、今の時代、どんな独裁も決して国の持続的な長期安定はもたらさない。

 北京では習氏をたたえる報道ばかりだ。この5年、生活水準の底上げが進み、習体制への支持は確かに厚い。それでも、毛沢東時代のような熱狂からは程遠く、多くの市民は冷静だ。

 飢える心配がなくなり、外の世界を広く知り始めた人々が、いつまでこの体制を容認し続けるか、やがて問われるだろう。

(社説)商工中金不正 政策金融の失敗だ

2017年10月27日05時00分

 民業の補完という原則を踏み外し、不正を重ねて民業を圧迫していた。言語道断の、政策金融の失敗である。

 商工組合中央金庫(商工中金)で、国の予算を利用した不正がほぼすべての店舗に広がっていた。全職員の2割が処分されるという前代未聞の事態だ。

 所管する経済産業省の責任も厳しく問われる。政策金融のあり方について、踏み込んだ点検が急務である。

 不正の舞台になった「危機対応業務」は、災害や経済危機時に中小企業が資金を借りやすくするための公的金融制度だ。担い手の商工中金には国の予算から利子などが補填(ほてん)される。

 商工中金は、この仕組みを融資先獲得の武器に使って業績拡大を図った。経営陣が営業現場にプレッシャーをかけ、書類の改ざんなど不正に行き着いた。

 再発防止策として、公的金融と通常業務の峻別(しゅんべつ)や法令順守意識の立て直し、企業統治の見直しなどを打ち出した。早急に対応しなければ、政策を担う資格はない。

 安達健祐社長は辞意を表明した。安達氏と、その前任の杉山秀二氏は元経産次官である。経産省は、中小企業金融の政策を所管すると同時に、商工中金を監督する立場にもあった。

 大臣や次官が給与を返上するが、何の責任をとったのかがあいまいだ。政策の実績づくりや天下り先を温存したいという意識が不正を許す土壌にならなかったか、検証が不可欠だ。

 商工中金の経営陣には財務省出身者もいる。官庁出身者の登用はやめるのが当然だろう。

 経産省は有識者会議を設け、商工中金のあり方について年内にも結果をまとめるという。原点に立ち返った議論を求める。

 危機対応業務は、リーマン・ショックや東日本大震災といった本来の危機時には、一定の役割がある。しかし、景気回復が続く現時点でも「デフレ脱却」などを理由に危機と認定されていた。行き過ぎを防ぐために、基準を明確にする必要がある。

 商工中金は当初、2015年までに完全民営化すると決まっていた。だが、危機対応業務を担わせることを理由に、無期限で先送りされている。

 民間の地域金融機関は過当競争に苦しんでいる。国の後ろ盾がある商工中金による民業圧迫には、不満の声が強い。

 真の危機時に民間金融機関が「貸しはがし」に走らないような仕組みを整えつつ、平時の政策介入は控え、商工中金は完全民営化を急ぐ。政府はそうした検討を急ぐべきだ。

(社説)国会軽視再び 「国難」をなぜ論じない

2017年10月27日05時00分

勝てば官軍ということか。

 政府・自民党は、首相指名選挙を行う特別国会を11月1日~8日に開いた後、臨時国会は開かない方向で調整を始めた。

 憲法53条に基づき、野党が臨時国会を要求してから4カ月。安倍政権は今回もまた、本格審議を逃れようとしている。

 衆院選の大勝後、首相や閣僚が口々に誓った「謙虚」はどうなったのか。巨大与党のおごりが早速、頭をもたげている。

 国会を軽んじる安倍政権の姿勢は、歴代政権でも際立つ。

 通常国会の1月召集が定着した1992年以降、秋の臨時国会がなかったのは、小泉政権の2005年と安倍政権の15年だけだ。ただ05年は特別国会が9月~11月に開かれ、所信表明演説や予算委員会も行われた。

 安倍政権は15年秋も、野党の臨時国会召集要求に応じなかった。閣僚らのスキャンダルが相次いだことが背景にあった。

 今回は野党の要求があれば、予算委員会の閉会中審査には応じる考えという。だが、わずか1日か2日の審査では議論を深めようにも限界がある。

 審議すべきは森友・加計問題だけではない。首相みずから「国難」と強調した北朝鮮情勢や消費増税の使途変更についても、国会で論じあうことが欠かせない。

 だが臨時国会がなくなれば、6月に通常国会を閉じて年明けまで約半年も、本格論戦が行われないことになる。言論の府の存在が問われる異常事態だ。

 ここは野党の出番である。だが、その野党が心もとない。

 民進党は四分五裂し、立憲民主党は55年体制以降、獲得議席が最少の野党第1党だ。

 それでも、安倍政権の憲法無視をこのまま見過ごすことは、あってはならない。

 同党の枝野幸男代表は「永田町の数合わせに我々もコミットしていると誤解されれば、今回頂いた期待はあっという間にどこかにいってしまう」と述べ、野党再編論に距離を置く。

 それはその通りだろう。ただ民主主義や立憲主義が問われるこの局面では、臨時国会を求める一点で野党は連携すべきだ。

 自民党は野党時代の2012年、要求後20日以内の臨時国会召集を義務づける改憲草案をまとめた。それにならって、今度は「20日以内」の期限を付けて改めて要求してはどうか。

 「憲法というルールに基づいて権力を使う。まっとうな政治を取り戻す」。枝野氏は衆院選でそう訴えた。その約束を果たすためにも、野党協力への指導力を期待する。

 


朝日新聞 社説 2017年9月

2017年11月03日 20時58分38秒 | Weblog

(社説)南海トラフ 「突然」を前提に対策を

2017年8月26日05時00分

 現在の科学的知見では地震の直前予知はできない――。ほとんどの専門家が同意するであろう「地震学の実力」が、今後の対策の出発点になる。

 静岡沖から九州沖に延びる南海トラフ沿いでは、巨大地震が繰り返されてきた。そして今、トラフ全体で大規模地震の切迫性が高いと考えられている。

 このうち東海地震については、約40年前に制定された大規模地震対策特別措置法(大震法)で、地震予知を受けて首相が警戒宣言を出し、鉄道を止めるなどの応急対策をとる仕組みがつくられてきた。

 しかし国の中央防災会議の作業部会はきのう、前提を「予知は不可能」に転換し、大震法に基づく応急対策も見直す必要があるとの最終報告をまとめた。

 警戒宣言を聞いて身構えることは期待できない。日常生活を送るなかで突然襲ってくると考えておこう、という意味だ。

 想定震源域が近く、揺れが大きいうえに、地震発生から数分間で津波が到達すると予想される地域もある。建物の耐震化を進め、津波からすぐに逃げる手立てを常に考えておくことが、何より求められる。

 個人、家族、企業、自治体。それぞれがそれぞれの立場で、日ごろから主体的に検討し、決められることは決めておく。それが重要だ。むろん、政府の責任は引き続き重い。

 南海トラフ沿いの大地震は様々な発生の仕方がありうる。過去の例を見ると、連動して起きる可能性もある。一部の地域で先に大地震が起きたとき、残りの地域はどうするか。被災地の救援と続発への警戒とを、どうやって両立させるか。

 生産や流通が複雑に絡みあう社会だ。政府、自治体と主な事業者で対応策をできるだけ整合させておかないと、救援物資を用意したのに届ける手段がないとか、逆に交通は確保したが生産ラインは止まったままだとかの不都合が生じかねない。

 難題ではあるが、政府が音頭をとって生産、物流、医療など公共性の高い機関に呼びかけ、想定されるシナリオごとに計画をつくっておくことが欠かせない。官民合同で問題点を洗い出し、解決策を探り、結果を市民と共有するようにしたい。

 警戒態勢をとった後、それをどんなタイミングで、どう緩めていくかも重要な宿題だ。

 自治体の中には政府で決めて欲しいとの声もあるが、政府頼みは疑問だ。専門家を擁する政府と、住民の生命を預かる自治体が対話し、適切な役割分担の答えを見つけていくしかない。

(社説)米の通商政策 「米国第一」を見直せ

2017年8月27日05時00分

 米国のトランプ政権が通商の世界をかき回している。カナダ、メキシコと北米自由貿易協定(NAFTA)の再交渉に入り、FTAを結んでいる韓国とも協議。中国に対しては制裁措置も視野に、知的財産侵害に関する調査を始めた。

 環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱を決めたのに続く動きである。

 政権が掲げる「米国第一」を貫き、自らを大統領に押し上げた、ラストベルト(さびついた工業地帯)の支持者らにアピールする狙いだろう。しかし自国の利益のみを追う姿勢では、不毛な対立をまき散らすだけだ。世界の貿易や投資にも悪影響を及ぼしかねない。トランプ政権は考えを改めるべきだ。

 NAFTAや米韓FTAの再交渉では、米国は自らの貿易赤字の削減にこだわる。しかし貿易収支は各国の産業構造や経済状況などに左右され、貿易協定で決まるものではない。

 NAFTAを巡って特に問題なのは、域内の部品をどれほど使えば関税撤廃の対象にするかを決める原産地規則を見直し、自動車について米国製の割合だけを引き上げようとしていることだ。米国製部品をより多く使った自動車の輸出を増やしたいようだが、無理な注文である。

 NAFTAは発効から20年が過ぎ、そのルールを前提に世界の自動車メーカーは北米での生産体制を築いてきた。人件費が相対的に安いメキシコに工場を移し、米国に輸出している。トランプ政権の主張には、メキシコやカナダだけでなく、当の米自動車業界も反発する。

 中国については、米国企業の知的財産を侵害している疑いがあるとして、通商法301条に基づく調査を通商代表部が始めた。「クロ」と判断すれば、関税引き上げなどの制裁措置に踏み切る可能性がある。

 中国に対しては、進出する外資に地元企業と合弁を組ませ、技術移転を強いているといった批判が日欧にもある。だからといって、国際ルールで認められない一方的な制裁措置を発動すれば、国際社会の批判は中国ではなく米国に向かう。日欧と協調して中国に政策変更を迫るのが、米国のとるべき対応だ。

 NAFTAにしても、電子商取引をはじめ新たに盛り込むべきテーマがある。米国が独善的な主張を続ければ、そうした前向きの議論にならない。

 近視眼的な「米国第一」主義を捨てることが、結局は米国の利益になる。日本政府も、日米経済対話などを通じて、繰り返し説くべきだ。

(社説)労基法改正 働き過ぎ是正が優先だ

2017年8月31日05時00分

 長時間労働をただす規制の強化と、一部の働き手を規制の対象外にする制度をつくることが、どう整合するというのか。政府に再考を求める。

 秋の臨時国会に提出が予定される「働き方改革」法案をめぐり、厚生労働省の審議会の議論が大詰めだ。

 労働基準法の改正では、働き過ぎを防ぐ新たな残業時間の上限規制と、既に国会に提出されている労働分野の規制緩和策を一緒にして、法案を出し直す方針を政府は示した。一定年収以上の専門職を労働時間の規制からはずし、残業や深夜・休日労働をしても割増賃金を支払わない「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」の新設と裁量労働制の拡大である。

 だが、二つのテーマは背景や目指す方向が異なる。長時間労働の是正が喫緊の課題である一方、高プロは「残業代ゼロ」との批判が強く、2年前に関連法案が国会に提出されて以来、一度も審議されずにたなざらしにされてきた。

 働く人が望む改革と一緒にすれば押し通せる。政府がそう考えているのなら言語道断だ。一本化で議論が紛糾し、残業規制まで滞る事態は許されない。二つを切り離し、まずは長時間労働の是正を急ぐべきだ。

 そもそも安倍政権の目指す「働き方改革」とは何なのか。

 正規・非正規といった働き方の違いによる賃金などの格差を是正し、底上げをはからなければ消費の回復もおぼつかない。出産や子育てがしやすく、家族の介護をしながら働き続けられる環境を整えないと、少子高齢化社会を乗り切れない。そんな問題意識が出発点で、安倍首相も「働く人の視点に立った改革」を強調してきたはずだ。

 一方、高プロ創設などの規制緩和は経済界が要望してきた。首相が「世界で一番企業が活躍しやすい国」を掲げるなか、労働者代表のいない産業競争力会議が主導し、審議会での労働側の反対を押し切って法案化された。いわば「働かせる側の視点に立った改革」だ。

 高プロは、時間でなく成果で働きぶりを評価する仕組みとされるが、成果で評価する賃金体系は今でもある。必要な制度なのか、説明は十分ではない。残業代の負担という歯止めがなくなり、長時間労働が助長されないか。いったん導入されたら対象が広がらないか。疑問や懸念は根強く、徹底的に議論することが不可欠だ。

 「働く人の視点に立った改革」を進める気があるのか。政権の姿勢が問われる。

(社説)麻生副総理 あまりにも言葉が軽い

2017年8月31日05時00分

 首相や外相を歴任した政治家として、あまりにも軽すぎる発言である。

 麻生副総理兼財務相がおととい、自らの自民党派閥の研修会でこう語った。

 「(政治家になる)動機は私は問わない。結果が大事だ。いくら動機が正しくても、何百万人も殺しちゃったヒトラーは、やっぱりいくら動機が正しくてもダメなんですよ」

 何が言いたいのかよくわからないが、ヒトラーが率いたナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺(ホロコースト)に、正当な動機があったとの考えを示したとも受け取られかねない。

 麻生氏はきのう「ヒトラーを例示としてあげたことは不適切であり撤回したい」とするコメントを出した。「私がヒトラーについて、極めて否定的にとらえていることは発言の全体から明らかであり、ヒトラーは動機においても誤っていたことも明らか」としている。

 理解不能である。

 ならばなぜ「動機が正しくても」と2度も繰り返したのか。

 ナチスは強制収容所にユダヤ人を移送し、ガス室などで殺害し、数百万人が犠牲になった。残虐極まる蛮行に正しい動機などありえるはずがない。

 欧米では、ナチスやヒトラーを肯定するような閣僚の発言は直ちに進退問題につながる。安倍政権の重鎮である麻生氏が、このような発言を国内外に発信した責任は重い。

 ナチスを引き合いに出した麻生氏の発言は、今回が初めてではない。

 2013年には憲法改正をめぐり、「ある日気づいたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」と発言。批判を浴びると、「誤解を招く結果となった」と撤回した。

 麻生氏はきのうのコメントでも「私の発言が誤解を招いたことは遺憾だ」と釈明した。

 発言が問題視されると、誤解だとして撤回し、とりあえず批判をかわす。自らの発した言葉への反省は置き去りにし、また過ちを重ねる……。

 麻生氏に限らず、そんな軽々しい政治家の言動を何度、見せつけられてきたことか。

 政治家にとって言葉は命である。人びとを動かすのも、失望させるのも言葉によってだ。

 その言葉がこれほどまでに無神経に使い捨てられている。

 そんなものかと、この状況を見過ごすことは、この国の政治と社会の基盤を掘り崩すことにつながる。

(社説)震災とデマ 偏見と善意の落とし穴

2017年9月1日05時00分

 94年前の惨事に、あらためて注目が集まっている。

 関東大震災の混乱のなか、官憲や市民の「自警団」の手で、多くの朝鮮人や中国人が殺された。その追悼式に追悼文を送るのを、小池百合子都知事がとりやめると表明したからだ。

 真意ははっきりしない。会見では「震災に続く様々な事情で亡くなった」などと、あいまいな物言いに終始した。

 これでは、事件の本質とそこから学ぶべき教訓がかき消されてしまう。リーダーとしての適格性が疑われる行いである。

 「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」といったデマを信じた人々によって虐殺があったのは、動かしようのない事実だ。

 16歳だった社会学者の故清水幾太郎も、兵隊らが銃剣の血を洗うのを目撃した。一人が得意そうに「朝鮮人の血さ」と教えてくれたと書き残している。

 同じ社会に生きる少数者に、差別意識や漠とした不安感を抱いている状態で、震災のような異変が起き、そこに日ごろの偏見と重なる話が流れてくると、あっさりのみ込まれてしまう。人間にはそんな一面がある。

 東日本大震災でも「被災地で外国人窃盗団が横行している」といったデマが流布した。

 在日コリアンたちへのヘイト行為が公然となされ、ネット上で「関東大震災での虐殺は、朝鮮人が起こした暴動への正当防衛だった」などの虚説が飛びかうのを見ると、災害時の流言飛語がはらむ危うさは、決して過去の話ではない。

 多くのデマは「真実の仮面」をかぶって現れ、必ずしも悪意によって広がるのではないことを知っておきたい。

 LINEやツイッターなどSNSが発達し、だれもが情報を発信する手立てをもった。

 治安の悪化や買い占めなどの話を耳にした。内容は不確かかも。でも万が一のこともある。みんなで共有しておこう――。そんな「善意」や「正義感」もデマ拡散の原因になりうる。

 防ぐ特効薬はない。

 正確な情報で正していくしかないが、ある考えが一度植えつけられ、偏見の「鋳型」ができてしまうと、後から本当のことを示されても容易に受け入れられない。それも人間の特性で、米大統領選ではフェイクニュースが広がり続けた。

 だからこそ、日ごろ知識を蓄え、デマの特徴や過去の例を知り、早めに誤りの芽を摘むことが大切だ。SNSを賢く使いこなす能力も求められよう。

 きょうは防災の日。関東大震災の教訓を胸に刻む日である。

(社説)防衛概算要求 「限界」見据えた議論を

2017年9月1日05時00分

 日本にとって適正な防衛力とはどの程度なのか。臨時国会での冷静な議論を求めたい。

 防衛省が来年度予算案の概算要求を公表した。総額は過去最大の5兆2551億円。今年度当初予算に比べ2・5%増で、要求増は6年連続だ。

 北朝鮮はミサイル発射を繰り返し、中国の強引な海洋進出が続く。自衛隊の能力を不断に見直し、防衛力の整備を進める必要があるのは確かだ。

 ただ、自衛隊ができることには、法的にも能力的にも限界がある。未曽有の財政難のなか、国家予算から防衛費にあてられる額には限りがあるし、過度の軍拡競争はかえって地域の安定を乱しかねない。

 こうした条件のもとで、適正な防衛力の規模を、費用対効果を踏まえて論じ合うのは国会の重要な使命である。

 焦点のひとつは、陸上配備型の米国製迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の導入だ。金額は明示せず、年末までに確定する形をとった。

 弾道ミサイルの脅威に対応するため、自衛隊は、イージス艦が発射する迎撃ミサイル「SM3」と、地対空誘導弾「PAC3」の二段構えの体制をとっている。さらに「万全を期す意味で」(小野寺防衛相)導入するという。

 8月に開かれた日米の外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)で、日本側が導入を対米公約した。しかし国内、とりわけ国会の議論が全く不十分だ。

 ミサイル防衛には、相手に発射をためらわせる抑止効果や、国民に安心をもたらす効果もあるとされるが、導入にかかる費用は1基800億円と巨額だ。1基あたり100人程度の要員も必要で、維持コストは重い。

 一方で、北朝鮮がミサイルを同時に多数発射したり、複数の弾頭を搭載したりすれば、実際には迎撃は困難だ。

 いま直ちに北朝鮮の脅威に対応できるわけでもない。配備先の決定に必要な地元との調整や、住民への影響調査を考えると、運用が始まるまでに5年以上かかるとの見通しもある。

 概算要求では尖閣など離島防衛の強化に向け、新型の高速滑空弾の研究費100億円、長射程の新対艦誘導弾の研究費に77億円を要求したが、あれもこれもでは際限がない。他の装備に比べ、ミサイル防衛をどこまで優先するかも重要な論点だ。

 様々な制約を抱えるなか、日本の安全をどう守り、地域の緊張緩和につなげるか。軍事だけでなく、外交努力とあわせた骨太な議論が欠かせない。

(社説)100兆円予算 「歳出改革」やれるのか

2017年9月3日05時00分

 国の来年度の予算編成に向けて、各省庁の概算要求が出そろった。総額は約101兆円で4年続けて100兆円を超えた。

 財務省は査定を通じて3兆円分を削り、総額を98兆円程度にする方針だ。とはいえ、税収は今年度に見込む57兆円余から大きな伸びは期待できず、多額の国債発行が避けられない。

 必要な事業を見極め、将来世代へのつけ回しを少しでも減らせるか。安倍政権は「歳出改革の取り組みを強化する」と強調するが、かけ声だけで終わらせてはならない。

 概算要求の総額は前年度よりやや少ないが、各省庁が要求を絞ったからではない。借金(過去に発行した国債)の元利払いに充てる国債費を少なく見積もったことが最大の要因だ。超低金利に合わせて想定金利を下げ、8千億円近く減った。

 それ以外では、むしろ締まりのなさが目につく。

 象徴的なのが約4兆円の「特別枠」だ。公共事業など政策判断で増減させやすい分野について、要求額を今年度予算から1割減らす代わりに、政権が重視する施策に関する事業を特別枠で優先的に認める。

 硬直的になりがちな配分にメリハリを付けるのが本来の狙いだが、「抜け道」になりやすい。特別枠の対象が「人材投資」「地域経済・中小企業・サービス業の生産性向上」などと幅広いためだ。「1割減」ルールで要求を見送った分を特別枠に回し、合計すると増額要求になっているという例もある。

 金額を明示していない「事項要求」も心配だ。幼稚園や保育園の無償化など、どこまで具体化するかを今後詰める項目についてとられる手法だが、各省庁にいくつもある。軒並み予算計上を認めていけば、総額が膨らみかねない。

 医療や介護などの社会保障費も焦点だ。高齢化に伴って膨らむ「自然増」について、政府は年間5千億円に抑える目標を掲げる。来年度は6300億円の増加が見込まれ、診療報酬や介護報酬の改定などで圧縮する方針だが、調整は容易ではない。

 安倍政権は毎年度、100兆円近い過去最大規模の予算を組んできた。しかし16年度の税収が7年ぶりに減少するなど、経済成長をあてにした予算編成を続けられないのは明らかだ。

 与党議員からは、内閣支持率の低下とともに歳出増を求める声が強まっている。ばらまきを排し、政策ごとに必要性を突き詰める「歳出改革」の重みがこれまでになく増していることを、政権は肝に銘じてほしい。

(社説)尖閣問題5年 日中互恵の歩を進めよ

2017年9月10日05時00分

 沖縄県尖閣諸島の3島を日本政府が国有化してから、5年になる。

 領有権を主張する中国が反発し、日中関係は一時最悪の状況に陥ったが、このところ停滞の中にも改善傾向がみられる。

 だが、安倍政権と習近平(シーチンピン)政権の間では、信頼関係ができたと言うにはほど遠いようだ。

 日中にとって、東アジア地域の平和と繁栄は共通の利益である。それが今、北朝鮮のミサイル発射と核実験によって脅かされている。にもかかわらず、両首脳間で直接の意思疎通がないのは異様というべきだ。

 尖閣の国有化後、中国の国家主席も首相も来日していない。首脳会談は国際会議のときに、短時間できただけだ。関係改善の余地はまだまだ大きい。

 尖閣周辺海域の状況も依然、厳しい。中国の公船による日本領海への侵入が繰り返されている。中国漁船とともに近づき、「公務執行」の事実を積み重ねているようにみえる。

 こうした緊張を高める不毛な行動を中国はやめるべきだ。

 問題は尖閣にとどまらない。中国軍の海洋進出が強まっている。艦船による日本の海峡などの航行や、航空機の接近が目立つようになった。

 日本側も、この5年で変わった。集団的自衛権の行使を含む安保関連法を施行したほか、南西諸島の防衛を強化している。中国がそれも意識しつつ、さらなる軍拡を進めている。

 そもそも両国の間には、自由民主主義と共産党支配という根本的な体制の違いがある。だが一方で、長年にわたる貿易と投資、人的交流の太い結びつきがあり、相互依存は強固だ。

 新興大国・中国に対しては、どの国も協力と対抗の両面を抱えざるをえない。ただ、日本の外交は後者に偏りがちだった。

 その意味では最近、習政権の「一帯一路」構想に日本政府が示した協力姿勢はバランスの修正を図ったものといえる。

 尖閣国有化からさらに5年前は07年。第1次安倍政権の下で日中関係が改善し、温家宝首相が来日した。その翌年には胡錦濤国家主席が訪れ、相互信頼をうたう共同声明をまとめた。

 ついこの間まで、そんな関係だったことを思い出したい。

 安保面では、偶発的な衝突を防ぐ連絡態勢作りを急ぎたい。経済や環境ではもっと互恵関係を広げたい。地道な努力で関係の再構築を図るほかない。

 まずは延期されている日本での日中韓サミットの開催をめざし、日本政府が中国に働きかけを強めてはどうか。

(社説)森友学園問題 国会は矛盾をただせ

2017年9月13日05時00分

 学校法人・森友学園の前理事長、籠池泰典と妻諄子(じゅんこ)の両被告が、大阪府、大阪市の補助金を詐取した詐欺罪などで、大阪地検特捜部に起訴された。

 国の補助金を含めた詐取総額は1億7千万円にのぼる。補助金不正の捜査はこれで終結した。だが、特捜部は、学園に国有地を大幅値引きして売った財務省職員らの背任容疑については、捜査を続けるという。

 繰り返すが、問題の核心は、国有地がなぜ8億円余りも値引きされたかだ。この点が解明されなければ、国民の納得は得られまい。捜査を見守りたい。

 この問題で新たな音声データの存在も明らかになった。

 財務省近畿財務局の職員が、学園側の希望する金額に近づけるために「努力している」と伝えていたことを示す内容だ。

 朝日新聞の取材によると、昨年5月、財務局の職員2人が学園の幼稚園を訪問し、「来月には金額を提示する」と説明。前理事長夫妻は、すでに国に伝えていた新たなごみに加え、「ダイオキシンが出た」と述べ、「0円に近い形で払い下げを」などと迫っている。

 財務局職員は汚染土の除去費の立て替え分としてすでに国が学園に約1億3200万円を払っており、「それを下回る金額はない」と理解を求め、10年の分割払いも提案し、「ご負担も減る」と説明した。

 翌月、土地は1億3400万円で、分割払いでの売却が決まった。国有財産の処分が、相手の要望に沿って決まったとすれば驚くほかない。国有地は一括売却が原則だ。「新たなごみ」が出たというなら地中を掘削して調べ直せばいい。国の立て替え分は売値とは別の話だ。

 このやりとりの前にも、財務局が「いくらなら買えるのか」と学園側にたずね、学園側が「1億6千万円まで」と答えたという関係者証言もある。

 音声データは特捜部も入手している。価格決定までの国の内部のやりとりについて、捜査を尽くしてほしい。

 焦点は、学園の小学校の名誉校長に安倍首相の妻の昭恵氏が就任していたこととの関係だ。

 国会も事実関係の確認に乗り出すべきだ。

 財務省理財局長だった佐川宣寿(のぶひさ)・国税庁長官は3月、国会で「(価格を)提示したこともないし、先方からいくらで買いたいと希望があったこともない」と述べた。分割払いも、学園の「要望」と答弁している。明らかに矛盾する交渉経緯が浮上している以上、臨時国会で真相を明らかにする必要がある。

(社説)憲法70年 まっとうな筋道に戻せ

2017年9月14日05時00分

 憲法は、一人ひとりの人権を守り、権力のあり方を規定する最高法規である。その改正をめぐる議論は、国民と与野党の多くが納得して初めて、前に進めるべきものだ。

 このまっとうな筋道に、自民党は立ち戻るべきだ。

 同党の憲法改正推進本部が一昨日、9条1項、2項を維持しつつ自衛隊の存在を明記する安倍首相の案について、条文の形の試案を示す方針を確認した。

 「2020年を新しい憲法が施行される年に」。首相がそう語ったのは5月だった。

 それが森友、加計学園問題などで「1強のおごり」への批判が高まり、7月初めの東京都議選で惨敗すると、「スケジュールありきではない」と軌道修正したはずだった。

 だが結局、首相が描いた日程は変えたくないらしい。同本部の特別顧問である高村正彦副総裁は、秋の臨時国会で自民党案を「たたき台」として各党に示し、来年の通常国会で発議をめざす考えを示している。

 背景には、最近の内閣支持率の持ち直し傾向があるようだ。北朝鮮情勢の緊迫や民進党の混迷も一因だろう。それ以上に、野党が憲法に基づき要求した臨時国会召集を拒み、一連の疑惑の追及を避けていることも支持率上昇の理由ではないか。

 国会での圧倒的な数の力があるうちに、自らの首相在任中に改憲に突き進む。そんな強引な姿勢も世論の批判を招いていたのではなかったか。そのことを忘れたのだろうか。

 一昨日の自民党の会合では、首相の9条改正案に同調する意見と、国防軍保持を明記した2012年の党改憲草案を支持する意見が対立した。

 石破茂元防衛相は会合で「いまでも自民党の党議決定は草案だ。それを掲げて、国民の支持を得てきた」と指摘した。

 連立を組む公明党の山口那津男代表は、安全保障関連法が施行されたことを理由に、9条改正には否定的な立場だ。

 改憲論議には積極的な前原誠司・民進党代表も「少なくとも年単位の議論が必要だ。拙速な安倍さんのスケジュール感にはくみしない」と距離をおく。

 民意も二分されている。本紙の5月の世論調査で首相の9条改正案について「必要ない」が44%、「必要」は41%だった。

 憲法改正は、与野党の意見も民意も割れるなかで強引に進めるべきものではない。

 党派を超えて、幅広い合意づくりを心がける。衆参の憲法審査会が培ってきた原点に戻らなければならない。

(社説)東電と原発 規制委の容認は尚早だ

2017年9月14日05時00分

 福島第一原発事故を起こした東京電力に、原発を動かす資格はあるのか。

 原子力規制委員会が、柏崎刈羽(かしわざきかりわ)原発6、7号機(新潟県)の再稼働への審査で、安全文化が社内に根付いているかなど「適格性」を条件付きで認めた。

 「経済性より安全性追求を優先する」などと東電社長が表明した決意を原発の保安規定に盛り込み、重大な違反があれば運転停止や許可の取り消しもできるようにするという。

 しかし、今後のチェック体制を整えることと、現状を評価することは全く別の話だ。適格性を十分確認したとは言えないのに、なぜ結論を急ぐのか。近く5年の任期を終える田中俊一委員長に、自身の任期中に決着をつけたいとの思いがあるのか。

 規制委の姿勢には前のめり感が否めない。今回の判断は時期尚早である。

 安全文化は「過信」から「慢心」、「無視」「危険」「崩壊」へと5段階で劣化していくが、福島の事故前から原発のトラブル隠しやデータ改ざんで既に「崩壊」していた。東電は2013年、事故をそう総括した。改善に向けて、社外のメンバーをまじえた委員会に定期的に報告する態勢を整え、成果を誇る自己評価書も公表済みだ。

 ところが、第一原発事故で当時の社長が「炉心溶融」の言葉を使わないよう指示していたことは、昨年まで明るみに出なかった。柏崎刈羽原発では、重要施設の耐震性不足を行政に報告していなかったことが発覚。今年8月、第一原発の地下水くみ上げで水位低下の警報が鳴った際は公表が大幅に遅れ、規制委は「都合の悪い部分を隠し、人をだまそうとしているとしか思えない」と厳しく批判した。

 それなのに、規制委はなぜ、適格性について「ないとする理由はない」と判断したのか。

 福島の事故後、日本の原発について、事業者も規制当局も設備などのハード面に関心が偏っているとの指摘が内外から相次いだ。安全文化の醸成と定着へ組織運営や職員の意識を改めていくソフト面の取り組みは、東電以外の事業者にも共通する課題であり、事故後の新規制基準でも不十分なままだ。

 規制委にとって、適格性の審査は新しい取り組みだ。専門のチームで検討を始めたのは今年7月で、年内に中間まとめを出す予定という。

 まずは適格性に関する指針を固める。その上で、個々の原発の再稼働審査にあてはめ、安全文化を徹底させる。それが、規制委が踏むべき手順である。

(社説)旧姓使用拡大 小手先対応では済まぬ

2017年9月16日05時00分

 国家公務員が仕事をする際、結婚前の旧姓を使うことを原則として認める。各府省庁がそんな申し合わせをした。

 職場での呼び名や出勤簿などの内部文書などについては、2001年から使用を認めてきたが、これを対外的な行為にも広げる。すでに裁判所では、今月から判決などを旧姓で言いわたせるようになっている。

 結構な話ではある。だが、旧姓の使用がいわば恩恵として与えられることと、法律上も正式な姓と位置づけられ、当たり前に名乗ることとの間には本質的な違いがある。長年議論されてきた夫婦別姓の問題が、これで決着するわけではない。

 何よりこの措置は国家公務員に限った話で、民間や自治体には及ばない。内閣府の昨秋の調査では、「条件つきで」を含めても旧姓使用を認めている企業は半分にとどまる。規模が大きくなるほど容認の割合は高くなるが、現時点で認めていない1千人以上の企業の35%は「今後も予定はない」と答えた。

 人事や給与支払いの手続きが煩雑になってコストの上昇につながることが、導入を渋らせる一因としても、要は経営者や上司の判断と、その裏にある価値観によるところが大きい。

 結婚のときに姓を変えるのは女性が圧倒的に多い。政府が「女性活躍」を唱え、担当大臣を置いても、取り残される大勢の人がいる。

 やはり法律を改めて、同じ姓にしたいカップルは結婚のときに同姓を選び、互いに旧姓を名乗り続けたい者はその旨を届け出る「選択的夫婦別姓」にしなければ、解決にならない。

 氏名は、人が個人として尊重される基礎であり、人格の象徴だ。不本意な改姓によって、結婚前に努力して築いた信用や評価が途切れてしまったり、「自分らしさ」や誇りを見失ってしまったりする人をなくす。この原点に立って、施策を展開しなければならない。

 だが安倍政権の発想は違う。旧姓使用の拡大は「国の持続的成長を実現し、社会の活力を維持していくため」の方策のひとつとされる。人口減少社会で経済成長を果たすという目標がまずあり、そのために女性を活用する。仕事をするうえで不都合があるなら、旧姓を使うことも認める。そんな考えだ。

 倒錯した姿勢というほかない。姓は道具ではないし、人は国を成長・発展させるために生きているのではない。

 「すべて国民は、個人として尊重される」。日本国憲法第13条は、そう定めている。

(社説)年内解散検討 透ける疑惑隠しの思惑

2017年9月18日05時00分

 安倍首相が年内に衆院を解散する検討に入った。28日召集予定の臨時国会冒頭に踏み切ることも視野に入れているという。

 衆院議員の任期は来年12月半ばまで。1年2カ月以上の任期を残すなかで、解散を検討する首相の意図は明らかだ。

 小学校の名誉校長に首相の妻昭恵氏が就いていた森友学園の問題。首相の友人が理事長を務める加計学園の問題……。

 臨時国会で野党は、これらの疑惑を引き続きただす構えだ。冒頭解散に踏み切れば首相としては当面、野党の追及を逃れることができるが、国民が求める真相究明はさらに遠のく。そうなれば「森友・加計隠し解散」と言われても仕方がない。

 野党は憲法53条に基づく正当な手順を踏んで、首相に早期の臨時国会召集を要求してきた。冒頭解散となれば、これを約3カ月もたなざらしにしたあげく葬り去ることになる。憲法の規定に背く行為である。

 そもそも解散・総選挙で国民に何を問うのか。

 首相は8月の内閣改造で「仕事人内閣で政治を前に進める」と強調したが、目に見える成果は何も出ていない。

 首相側近の萩生田光一・自民党幹事長代行は衆院選の争点を問われ、「目の前で安全保障上の危機が迫っている中で、安保法制が実際にどう機能するかも含めて国民に理解をいただくことが必要だ」と語った。

 だが北朝鮮がミサイル発射や核実験をやめないなか、衆院議員を不在にする解散に大義があるとは到底、思えない。

 むしろ首相の狙いは、混迷する野党の隙を突くことだろう。

 野党第1党の民進党は、前原誠司新代表の就任後も離党騒ぎに歯止めがかからず、ほかの野党とどう共闘するのか方針が定まらない。7月の東京都議選で政権批判の受け皿になった小池百合子知事が事実上率いる都民ファーストの会は、小池氏の側近らが新党結成の動きを見せるが、先行きは不透明だ。

 都議選での自民党大敗後、雲行きが怪しくなっている憲法改正で、主導権を取り戻したい狙いもありそうだ。

 自民党内で首相が唱える9条改正案に異論が噴出し、公明党は改憲論議に慎重姿勢を強めている。一方、民進党からの離党組や小池氏周辺には改憲に前向きな議員もいる。

 北朝鮮情勢が緊迫化するなかで、政治空白を招く解散には明確な大義がいる。その十分な説明がないまま、疑惑隠しや党利党略を優先するようなら、解散権の乱用というほかない。

(社説)安保法2年 政府任せにはできない

2017年9月19日05時00分

 多くの反対を押し切って、安倍政権が安全保障関連法を成立させてから、きょうで2年。

 かねて指摘されてきた懸念が次々と現実になっている。

 自衛隊の活動が政府の幅広い裁量に委ねられ、国民や国会の目の届かないところで、米軍と自衛隊の運用の一体化が進んでいく。

 その一端を示す事実が、また報道で明らかになった。

 日本海などで北朝鮮の弾道ミサイル発射の警戒にあたる米海軍のイージス艦に、海上自衛隊の補給艦が5月以降、数回にわたって燃料を補給していた。

 安保法施行を受けて日米物品役務相互提供協定(ACSA)が改正され、可能になった兵站(へいたん)(後方支援)だ。法制上は日本有事を含め、世界中で米軍に給油や弾薬の提供ができる。

 問題は、今回の給油について政府が公式な発表をしていないことだ。菅官房長官は「自衛隊や米軍の運用の詳細が明らかになる恐れがある」からだとしているが、このままでは国民も国会も、政府の判断の当否をチェックしようがない。

 やはり安保法に基づき、米軍艦船を海自が守る「米艦防護」も、初めて実施された事実が5月に報道されたが、政府は今に至るも公表していない。

 忘れてならないのは、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)で起きた日報隠蔽(いんぺい)だ。

 「戦闘」と記述された陸上自衛隊の日報をなぜ隠したのか。背景には、駆けつけ警護など安保法による新任務の付与を急ぐ安倍政権の思惑があった。

 政府の隠蔽体質は明らかだ。であれば文民統制上、国会の役割がいっそう重要だ。政府の恣意(しい)的な判断に歯止めのない現状を、早急に正す必要がある。

 一方、政府による拡大解釈の可能性を改めて示したのは、小野寺防衛相の次の発言だ。

 8月の閉会中審査で、グアムが北朝鮮のミサイル攻撃を受けた場合、集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」にあたりうるとの考えを示したのだ。

 グアムの米軍基地が攻撃を受けたとしても「日本の存立が脅かされる明白な危険がある」と言えるはずがない。ミサイルの迎撃が念頭にあるようだが、現時点では自衛隊にその能力はなく、実態とかけ離れている。

 安保法は、歴代内閣の憲法解釈を一変させ、集団的自衛権の行使容認に踏み込んだ。その違憲性はいまも変わらない。

 2年間で見えた安保法の問題点を洗い出し、「違憲」法制の欠陥を正す。与野党の徹底した議論が必要だ。

(社説)10月衆院選へ 大義なき「身勝手解散」

2017年9月20日05時00分

 安倍首相による、安倍首相のための、大義なき解散である。

 衆院総選挙が10月10日公示、22日投開票の日程で検討されている。首相は、9月28日に召集予定の臨時国会の冒頭、解散に踏み切る公算が大きい。

 重ねて記す。野党は6月、憲法53条に基づく正当な手続きを踏んで、臨時国会の早期召集を要求した。これを3カ月以上もたなざらしにした揚げ句、やっと迎えるはずだった国会論戦の場を消し去ってしまう。

 まさに国会軽視である。そればかりか、憲法をないがしろにする行為でもある。

 首相は、8月の内閣改造後、「働き方改革」のための法案などを準備したうえで、召集時期を決めたいと語っていた。

 だが解散すれば、肝いりの働き方改革は後回しになる。首相が「仕事人内閣」と強調した閣僚メンバーの多くは、まだほとんど仕事をしていない。目につく動きと言えば、「人生100年時代構想会議」を1度開いたくらいだろう。

 首相は、衆院選で掲げる公約の案を自民党幹部に伝えた。

 2019年秋の消費税率引き上げは予定通り行ったうえで、税収増の大半を国の借金の穴埋めに使う今の計画を変え、教育の無償化など「人づくり革命」の財源とする構想だ。

 しかし、消費増税の使途見直しは与党内の議論を経ていない。民進党の前原誠司代表の主張に近く、争点をつぶす狙いがうかがえる。いま総選挙で有権者に問うにふさわしいテーマとは言えない。

 さらに理解できないのは、北朝鮮情勢が緊張感を増すさなかに、政権与党の力を衆院選に注ぎ込もうとする判断である。

 自民党内では、有事や災害に備えて憲法を改正し、緊急事態条項や衆院議員の任期延長の特例新設を求める声が根強い。その一方で、衆院議員を全員不在にするリスクを生む解散をなぜあえてこの時期に選ぶのか。ご都合主義にもほどがある。

 与党は予算案や法案を通す圧倒的な数をもつ。国民の信を問うべき差し迫った政策的な緊迫があるわけでもない。総選挙が必要な大義は見当たらない。

 なのになぜ、首相は解散を急ぐのか。自身や妻昭恵氏の関与の有無が問われる森友学園や加計学園の問題をめぐる「疑惑隠し」の意図があると断じざるを得ない。

 それでも首相はこの身勝手な解散に打って出るのか。そうだとすれば、保身のために解散権を私物化する、あしき例を歴史に刻むことになる。

(社説)森友・加計 どこが「小さな問題」か

2017年9月21日05時00分

 「国民から疑念の目を向けられるのはもっとも。その観点が欠けていた」「丁寧に説明を重ねる努力を続けたい」

 2カ月足らず前、加計学園問題をめぐる衆参予算委員会の閉会中審査にのぞんだ安倍首相は、おわびの言葉を重ねた。

 あれは口先だけだったのか。政権全体の姿勢を疑わざるをえない発言が飛び出した。

 臨時国会の冒頭で衆院を解散するというのは、森友・加計学園の「疑惑隠し」ではないか。だれもが抱く思いに対し、自民党の二階俊博幹事長が記者会見でこう答えたのだ。

 「我々はそんな小さな、小さなというか、そういうものを、問題を隠したりなどは考えていない」

 言いたいことが二つある。

 まず、森友・加計問題は「小さな問題」などではない。

 行政は手続きにのっとり、公平・公正に行われているか。権力者である首相との距離によって、分け隔てがあるのではないか。正確に記録を残し、適切に開示して説明責任を果たすという務めを理解しているか。

 両学園をめぐって国民から噴き出したこれらの疑問は、民主主義と法治国家の根幹にかかわる、極めて重いテーマだ。

 だからこそ、政権の不誠実な対応に国民は怒り、落胆した。それは7月の東京都議選で自民党の大敗をもたらし、内閣支持率の低下を招いた。

 そのことを早くも忘れ、おごりに転じたと見るほかない。

 「隠したりなどは考えていない」が真実ならば、堂々と国会審議に応じよ。これが言いたいことの二つ目だ。

 憲法に基づく野党の臨時国会の召集要求を3カ月も放置した末に、衆院解散によって状況のリセットを図る。政権のふるまいと二階氏の発言は、まるでつじつまが合わない。

 真相解明の鍵を握るとみられながら口を閉ざしたままの人がまだまだいる。首相の「腹心の友」で加計学園理事長の加計孝太郎氏、森友学園の小学校の名誉校長を引き受け、講演もしてきた首相の妻昭恵氏らだ。国会で話を聴く必要がある。

 記録の開示もまったく不十分だ。内閣府や財務省は「文書はない」「廃棄した」をくり返し、恥じるそぶりも見せない。この国の行政はそんないい加減な官僚によって担われているのか。本当ならば、その弊をただすために審議を尽くし、手立てを講じるのが、与野党を超えた立法府の責務ではないか。

 このままでは「疑惑隠し」の汚名が消えることはない。

(社説)公文書管理 法の原点に立ち返れ

2017年9月25日05時00分

 公の文書をどう管理し、国民に対する説明責任を果たすか。近づく衆院選でも、しっかり議論すべきテーマである。

 政府が先ごろ管理方法の見直し策を示した。だが森友・加計学園問題やPKO日報の隠蔽(いんぺい)で明らかになった、ずさんな取り扱いを改めさせることに、どこまでつながるだろうか。

 内閣官房の検討チームが打ち出した柱の一つは、政策立案や事業の実施に「影響を及ぼす打ち合わせ」については、相手が行政機関か民間かを問わず、文書を作成するというものだ。

 当然の話だ。作らなくても問題にならない現状がおかしい。だが、打ち合わせた相手の発言を記録する際は、できるだけその相手に内容を確認するとした点には疑問がある。政府の狙いが透けて見えるからだ。

 加計学園の獣医学部新設をめぐり、文科省には、内閣府から「(開学時期は)総理のご意向だ」と伝えられたとする文書などが残っていた。検討チームの方針にそのまま従えば、こうした発言は確認を拒まれ、当たり障りのない「きれいな記録」しか作られなくなるだろう。

 相手の確認を必要とする理由は「正確性の確保」だという。だが求められる正確性とは、省庁間の意見の違いや政治家の指示など、意思決定過程をありのまま残すことだ。加計問題の教訓をとり違え、悪用し、真相を隠す方向に働きかねないルールを設けるべきではない。

 これとは別に、有識者でつくる内閣府の公文書管理委員会も文書管理に関するガイドラインの改訂にとり組んでいる。

 森友問題で財務省が、国有地の売却記録を「保存期間1年未満」に分類し廃棄したと説明したことなどを受け、役所に勝手をさせず、保存範囲を広げる方向で議論は進んでいる。

 それでも、長期保存の要件とされる「重要」「異例」などを判断するのは官僚だ。自分らに都合よく解釈して廃棄してしまうおそれは消えない。また、時間が経ち、政策が動き出したところで重要性が認識されても、それまでの記録は処分済みという事態も考えられる。

 多くの文書が電子化され、紙に比べてコストがかからないことを踏まえ、長期保存を原則とする。重要か否かの判断を役所任せにせず、第三者の専門家や国民の意見を聞く――。そんな方策も考えてはどうか。

 何より大事なのは公務員の自覚だ。公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と定める法の趣旨を、いま一度かみしめるべきだ。

(社説)衆院選 大義なき解散 「首相の姿勢」こそ争点だ

2017年9月26日05時00分

 安倍首相が衆院の解散を表明した。10月10日公示、22日投開票で行われる方向の衆院選の最大の「争点」は何か。

 民主主義の根幹である国会の議論を軽んじ、憲法と立憲主義をないがしろにする。そんな首相の政治姿勢にほかならない。

 きのうの記者会見で首相は、少子高齢化と北朝鮮情勢への対応について国民に信を問いたいと訴えた。

 少子高齢化をめぐっては、消費税率の10%への引き上げを予定通り2019年10月に行い、借金返済にあてることになっている分から、新たに教育無償化などに回す。その是非を問いたいという。

 だが、この使途変更は政府・与党内でまともに議論されていない。そればかりか、民進党の前原誠司代表が以前から似た政策を主張してきた。争点にすると言うより、争点からはずす狙いすらうかがえる。国民に問う前に、まずは国会で十分な議論をすべきテーマだ。

 核・ミサイル開発をやめない北朝鮮にどう向き合うか。首相は会見で「選挙で信任を得て力強い外交を進めていく」と強調したが、衆院議員を不在にする解散より、与野党による国会審議こそ必要ではないのか。

 首相にとって今回の解散の眼目は、むしろ国会での議論の機会を奪うことにある。

 ■国会無視のふるまい

 首相は28日に召集される臨時国会の冒頭、所信表明演説にも代表質問にも応じずに、解散に踏み切る意向だ。

 6月に野党が憲法53条に基づいて要求した臨時国会召集の要求を、3カ月余りも放置した揚げ句、審議自体を葬り去る。憲法無視というほかない。

 いま国会で腰を落ち着けて論ずべき課題は多い。首相や妻昭恵氏の関与の有無が問われる森友・加計学園をめぐる疑惑もそのひとつだ。首相は会見で「丁寧に説明する努力を重ねてきた。今後ともその考えに変わりはない」と語ったが、解散によって国会での真相究明は再び先送りされる。

 国会を軽視し、憲法をあなどる政治姿勢は、安倍政権の体質と言える。

 その象徴は、一昨年に成立させた安全保障関連法だ。

 憲法のもとで集団的自衛権の行使は許されない。歴代の自民党内閣が堅持してきた憲法解釈を閣議決定で覆し、十分な議論を求める民意を無視して採決を強行した。

 今年前半の国会でも数の力を振り回す政治が繰り返された。

 森友問題では昭恵氏の国会招致を拒み続ける一方で、加計問題では「総理のご意向」文書の真実性を証言した前文部科学次官に対して、露骨な人格攻撃もためらわない。

 ■議論からの逃走

 極め付きは、「共謀罪」法案の委員会審議を打ち切る「中間報告」を繰り出しての採決強行である。都合の悪い議論から逃げる政権の姿勢は、今回の解散にも重なる。

 北朝鮮の脅威などで地域情勢が緊迫化すれば、政権与党への支持が広がりやすい。選挙準備が整っていない野党の隙もつける。7月の東京都議選の大敗後、与党内から異論が公然と出始めた首相主導の憲法改正論議の局面も、立て直せるかもしれない。タイミングを逃し、内閣支持率が再び低下に転じ、「選挙の顔」の役割を果たせなくなれば、来秋の自民党総裁選での3選がおぼつかなくなる……。そんな政略が透けて見える。

 森友・加計問題とあわせ、首相にとって不都合な状況をリセットする意図は明らかだ。

 もはや党利党略を通り越し、首相の個利個略による解散といっても過言ではない。

 森友・加計問題については、自民党の二階幹事長から信じられない発言が飛び出した。「我々はそんな小さな、小さなというか、そういうものを、問題を隠したりなどは考えていない」

 だがふたつの問題が問うているのは、行政手続きが公平・公正に行われているのかという、法治国家の根幹だ。真相究明を求める国民の声は、安倍政権に届いているようには見えない。

 ■数の力におごる政治

 安倍政権は12年末に政権に復帰した際の衆院選を含め、国政選挙で4連勝中だ。

 これまでの選挙では特定秘密法も安保法も「共謀罪」法も、主な争点に掲げることはなかった。なのに選挙で多数の議席を得るや、民意を明確に問うていないこれらの法案を国会に提出し、強行成立させてきた。

 きのうの会見で首相は、持論の憲法9条の改正に触れなかったが、選挙結果次第では実現に動き出すだろう。

 もう一度、言う。

 今回の衆院選の最大の「争点」は何か。少数派の声に耳を傾けず、数におごった5年間の安倍政権の政治を、このまま続けるのかどうか。

 民主主義と立憲主義を軽んじる首相の姿勢が問われている。

(社説)メルケル首相 欧州統合の推進堅持を

2017年9月27日05時00分

 「自国第一」を叫ぶ政党が、ついにドイツでも躍進した。

 24日の総選挙で、新興の右翼政党「ドイツのための選択肢」が、初めて国政の壁を破った。しかも、旧来の2大政党に次ぐ第3の勢力になった。

 反難民・反イスラムを掲げ、大衆の不満をあおる。その手法は、フランスやオランダなどのポピュリズム勢力と同じだ。

 欧州に蔓延(まんえん)する自国主義を戒めてきた大国ドイツが、足元の政治異変に揺れている。

 欧州連合(EU)加盟国で最長の4期目に臨むメルケル首相は、正念場を迎える。欧州統合の流れを守り、自由・人権の原則を掲げる旗手としての存在感を保つよう望みたい。

 今回の選挙結果には、さまざまな要因がある。この2年間で100万人超の難民申請者を受け入れた人道的措置が、国内に不満を生んだのは確かだ。

 格差への反発もある。ドイツ経済は欧州で一人勝ちといわれるほど好調だが、特に旧東独圏が置き去りにされていた。

 政党との距離感や経済格差が既成政治への不信を広げ、大衆扇動の声が勢いづく。先進国に共通するあしき潮流が、ドイツにも表れたと言えよう。

 懸念されるのは、一つの欧州をめざす理念の揺らぎだ。英国はEUからの離脱を決め、東欧諸国も難民問題に揺れる。ここでドイツとフランスまでも自国の利益を囲い込む考え方を強めれば、統合深化は失速する。

 そんな事態に陥らぬよう、メルケル氏は、まず新たな連立政権づくりに向けて、原則を見失わずにいてもらいたい。

 連立交渉の相手は、富裕層が支持する中道右派から、環境保護の中道左派まで幅広い。欧州全体の浮揚こそがドイツの長期的な国益にかなうという大局観を粘り強く説くべきだろう。

 ギリシャなどユーロ圏内の弱者をドイツ経済の強さですくいあげる努力が求められている。現実的な合意形成を築くメルケル氏の能力を生かし、マクロン仏大統領とも協力しながら、民主主義と多様性を重んじるEUの価値観を堅持してほしい。

 これまで世界を牽引(けんいん)してきた米国の信頼性が揺らぐ時代でもある。EUに限らず、地球温暖化をめぐるパリ協定など地球規模の問題についても、メルケル氏への期待は高い。

 日本にとってドイツは価値観を共有するパートナーである。同じ貿易大国でもあり、日本とEUの経済連携協定(EPA)の最終合意を急ぎたい。それが自由貿易の原則を守る姿勢を世界に示すことにもなろう。

(社説)衆院選 対北朝鮮政策 「国難」あおる政治の危うさ

2017年9月30日05時00分

 安倍首相は目下の北朝鮮情勢を「国難だ」という。

 だとすればなぜ、衆院議員全員を不在にする解散に踏み切ったのか。その根本的な疑問に、説得力ある答えはない。

 「国難」を強調しながら、臨時国会の審議をすべて吹き飛ばし、1カ月もの期間を選挙に費やす「政治空白」を招く。

 まさに本末転倒である。

 「国難」の政治利用、選挙利用と言うほかない。

 ■政治空白の本末転倒

 首相は言う。

 「民主主義の原点である選挙が、北朝鮮の脅かしによって左右されることがあってはならない」「この国難とも呼ぶべき問題を、私は全身全霊を傾け、突破していく」

 朝鮮半島有事という事態になれば、日本は甚大な被害を受ける。北朝鮮にどう向き合うかは重要だ。

 論点はいくつもある。圧力をかけたうえで、事態をどう収拾すべきか。圧力が軍事衝突に発展する事態をどう防ぐか。

 その議論を行う場は選挙なのか。そうではあるまい。大事なのは関係国との外交であり、国会での議論のはずである。

 首相はこうも言う。「国民の信任なくして毅然(きぜん)とした外交は進められない」

 ならば問いたい。

 いくつもの選挙で明確に示された「辺野古移設NO」の沖縄県民の民意を無視し、日米合意を盾に、強引に埋め立て工事を進めているのは安倍政権である。なのになぜ、北朝鮮問題では「国民の信任」がなければ外交ができないのか。ご都合主義が過ぎないか。

 一昨年の安全保障関連法の国会論議で、安倍政権は、集団的自衛権の行使が認められる存立危機事態や、重要影響事態の認定に際しては「原則、事前の国会承認が必要」と国会の関与を強調していた。

 なのにいざ衆院解散となると「事後承認制度がある」(小野寺防衛相)という。「国難」というならむしろ、いつでも国会の事前承認ができるよう解散を避けるのが当然ではないのか。

 ■力任せの解決は幻想

 自民党内では、有事に備えて憲法を改正し、緊急事態条項や衆院議員の任期延長の特例新設を求める声が強い。それなのに、解散による政治空白のリスクをなぜいまあえてとるのか。整合性がまるでない。

 首相はさらにこう語る。

 「ただ対話のための対話には意味はない」「あらゆる手段による圧力を最大限まで高めていくほかに道はない」

 前のめりの声は自民党からも聞こえてくる。

 「北朝鮮への新たな国連制裁に船舶検査が入れば、安保法に基づき、海上自衛隊の艦艇が対応すべきだ」「敵基地攻撃能力の保有や防衛費の拡大も進めなければならない」

 今回の選挙で安倍政権が「信任」されれば、日本の軍事的な対応を強めるべきだという声は党内で一層力をもつだろう。

 だが、力任せに押し続ければ事態が解決するというのは、幻想に過ぎない。逆に地域の緊張を高める恐れもある。力に過度に傾斜すれば後戻りできなくなり、日本外交の選択肢を狭めることにもなりかねない。

 「解散風」のなか、朝鮮半島有事に伴う大量避難民対策をめぐって、麻生副総理・財務相から耳を疑う発言が飛び出した。

 「武装難民かもしれない。警察で対応するのか。自衛隊、防衛出動か。射殺ですか。真剣に考えなければならない」

 ■出口描く外交努力を

 93~94年の第1次北朝鮮核危機以来、避難民の保護や上陸手続き、収容施設の設置・運営などの省庁間協力のあり方が政府内で検討されてきた。

 避難民をどう保護するかが問われているのに、国家安全保障会議(NSC)の4大臣会合の一員である麻生氏が「射殺」に言及する。危機をあおりかねないのみならず、人道上も許されない発言である。

 永田町では、北朝鮮がミサイルを発射するたびに「北風が吹いた」とささやかれる。国民の危機感が、内閣支持率の上昇につながるとの見方だ。

 危機をあおって敵味方の区別を強調し、強い指導者像を演出する。危機の政治利用は権力者の常套(じょうとう)手段である。安倍政権の5年間にもそうした傾向は見て取れるが、厳に慎むべきだ。

 北朝鮮との間で、戦争に突入する選択肢は論外だ。圧力強化にもおのずと限界がある。

 大事なのは、米国と韓国、さらに中国、ロシアとの間で問題の解決に向けた共通認識を築くことだ。日本はそのための外交努力を尽くさねばならない。

 希望の党は「現実的な外交・安全保障政策」を掲げるが、北朝鮮にどう向き合うか、具体的に説明すべきだ。

 問題の「出口」も見えないまま、危機をあおることは、日本の平和と安定に決してつながらない。

 

 

 

 


朝日新聞 社説 2017年8月

2017年11月03日 18時08分58秒 | Weblog

(社説)原爆投下72年 原点見据え核兵器禁止を

2017年8月6日05時00分

 核兵器使用の犠牲者(ヒバクシャ)の「受け入れがたい苦痛と被害」を心に留める。先月、国連で採択された核兵器禁止条約の前文はこううたう。

 「母や妹を含め、たくさんの人たちの犠牲が無駄にならなかった」。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)顧問の岩佐幹三(みきそう)さん(88)は感激した。

 72年前のきょう、米国は広島へ原爆を投下した。立ち上るキノコ雲の下で、16歳の岩佐さんは母と妹を奪われた。

 3日後、長崎にも原爆が投下された。両被爆地でその年のうちに21万人が死亡した。生き延びた人々も放射線の後遺症に脅かされ、被爆者(ひばくしゃ)と呼ばれた。

 ■世界に響く被爆者の声

 「早(はよ)う逃げんさい」。72年前の8月6日、広島の爆心地から1・2キロ。倒壊した家の下敷きになった母の清子(きよこ)さんは、助けようと躍起になる岩佐さんに告げた。猛火が迫っていた。

 数日後、自宅の跡を掘り起こし、清子さんの遺体を見つけた。むごたらしく焼けただれ、人の姿をとどめていなかった。

 12歳の妹、好子(よしこ)さんは朝から女学校の同級生たちと屋外作業に動員されていた。どこで亡くなったのか、今もわからない。

 「原爆は人間らしく生きることも、人間として死ぬことも許さない」。その憤りが岩佐さんを被爆者運動に駆り立てた。

 多くの市民が味わわされた「苦痛と被害」はやがて、世界を動かす力になった。

 2010年以降、国際社会では「核兵器の非人道性」への関心が高まった。日本被団協は、関連の国際会議に被爆者を派遣し続けた。核兵器が人間にどんな被害をもたらすか。体験に根差した被爆者の訴えは、各国の参加者に強烈な印象を与えた。

 条約は核兵器の使用だけでなく、保有や実験、使用をちらつかせた脅しなどを、「いかなる場合も」禁じるとした。交渉に参加した各国代表は「ヒバクシャに感謝したい」と口をそろえた。被爆者の切なる願いが、国際法となって結実した。

 ■核保有国動かすには

 条約の採択には国連加盟国の6割を超す122カ国が賛成した。9月から署名が始まり、50カ国の批准で発効する。

 実効性を疑問視する声は強い。核保有国や北朝鮮は採択に加わらず、当面、署名・批准もしないとみられるためだ。

 「核兵器のない世界」と逆行するような動きも目立つ。

 今年就任したトランプ米大統領は、核戦力の増強に意欲的だ。ロシアや中国も核戦力の強化に巨費を投じているとされる。北朝鮮は公然と核開発を続け、大陸間弾道ミサイル(ICBM)を2度発射した。

 核保有国に共通するのは「核兵器は抑止力であり、安全保障の根幹だ」との思想だ。だが、抑止が破れ、核が使われた場合の被害は破滅的だ。事故やテロのリスクもある。安定的な安全保障とはとうてい言えない。

 カギを握るのは世論だ。原爆投下正当化論が根強い米国をはじめ、核保有国では核の非人道性はあまり知られていない。

 昨年5月にオバマ米大統領が訪れた広島平和記念資料館は昨年度の外国人入館者が36万人を超え、過去最多を更新した。キノコ雲の下で起きた「苦痛と被害」のむごさは、核保有国の人々の心にも響かぬはずはない。

 非人道性の認識を市民レベルで広げ、核に依存する自国の政策転換を求める世論へと変える。被爆国として、そういう働きかけを強めていきたい。

 ■「核の傘」依存脱却を

 日本政府は条約交渉をボイコットし、被爆者を失望させた。安倍政権は署名しない方針だ。

 日本は、米国の核で他国の攻撃を抑止する「核の傘」を安全保障の基軸とする。安倍首相は2月のトランプ氏との首脳会談で核の傘の提供を確認した。北朝鮮や中国の脅威を背景に、核への依存を強めている。

 だが核抑止論は、相手との軍拡競争に陥るリスクがある。現に北朝鮮は核・ミサイル開発を米国への対抗策だと主張する。

 核の傘の本質は「有事では核攻撃もありうる」との脅しだ。政府は米国が核を使う可能性を否定しないが、深刻な「苦痛と被害」の再現は確実だ。被爆国として道義的にも許されまい。

 日本政府は、核兵器禁止条約への参加を目標とし、核の傘を脱却する道筋を探るべきだ。

 米国の群を抜く通常戦力だけで北朝鮮や中国への抑止は十分との見方もある。安全保障上どこまで核兵器が必要か。役割を下げる努力を日米に求めたい。

 オバマ前政権は、相手の核攻撃がない限り核を使わない「先制不使用」を検討したという。軍事偏重の懸念があるトランプ政権への牽制(けんせい)としても、日本側から再検討を求めてはどうか。

 安倍首相は今年も広島、長崎を訪れる。同行する河野太郎外相は核軍縮の問題に熱心に取り組んできた。ともに被爆国のリーダーとして、被爆者の願いを実現する決意を示してほしい。

(社説)元号と公文書 西暦併記の義務づけを

2017年8月7日05時00分

 政府は来月にも皇室会議を開き、天皇陛下の退位と改元の日取りを決めるという。新しい元号の発表はこの手続きとは切り離され、来年になる見通しだ。

 代替わりは多くの関心事であり、日常のくらしにも少なからぬ影響が及ぶ。「来年夏ごろまで」とされていた改元時期の決定が早まるのは歓迎したい。

 1年前の陛下のビデオメッセージは、象徴天皇のありようや国民との関係について議論を深める良い機会となった。今後の作業においても、常に主権者である国民の視点に立って考えることが欠かせない。

 中国で始まった元号は皇帝による時の支配という考えに源があり、民主主義の原理と本来相いれないと言われる。一方で長い定着の歴史があり、1979年に元号法が制定された。

 この法律に基づき、新元号は内閣が政令で定める。意見公募をしないことが退位特例法で決まっており、一般の国民がかかわる余地がないのは残念だ。

 改元の時期は「2019年元日」と「同4月1日」が検討されている。朝日新聞の世論調査では前者を支持する人が70%で、後者の16%を圧倒する。

 政府はこうした意見を踏まえて、適切に判断すべきだ。

 4月案は、年始は祝賀行事や宮中祭祀(さいし)が重なり、皇室が多忙なことから浮上した。しかし言うまでもなく、優先すべきは市民の日々の生活である。

 年の途中で元号が変わるのは不便で、無用の混乱をもたらす。あえて世論に反する措置をとる必要はあるまい。

 あわせて人々の便宜を考え、公的機関の文書について、元号と西暦双方の記載の義務づけを検討するよう求めたい。

 既に併記している自治体は多いが、公の文書は事務処理の統一などを理由に元号使用が原則とされる。国民への強制はないものの、西暦に換算する手間を強いられることが少なくない。

 併記の必要性は平成への代替わりの際も指摘された。国際化の進展に伴い、公的サービスの対象となる外国人もますます増えている。改元の日をあらかじめ決めることのできる今回は、運用を見直す良い機会だ。

 利便性の問題だけではない。政策の目標時期や長期計画に元号が使われる例は多い。国民が国の進路や権力行使のあり方を理解し監視する観点からも、わかりやすい表記は不可欠だ。

 事務作業が繁雑になるとの反論が予想される。だが、公的機関は誰のために、何のためにあるのかという原点に立てば、答えはおのずと導き出されよう。

(社説)核廃絶と医師 命を原点に運動広がれ

2017年8月9日05時00分

 72年前の9月、赤十字国際委員会から派遣されたスイス人医師ジュノー博士は、医薬品15トンをもって原爆投下1カ月後の広島に入り、みずから治療にもあたった。帰任後は、機会あるごとに核廃絶を訴えた。

 同委員会のケレンバーガー委員長は2010年、博士による「世界初の広島の惨状に関する証言」にふれ、「核兵器の使用はいかなる場合であっても、国際人道法に合致するとみなすことはできない」と述べた。

 この声明は核兵器禁止の流れを大きく加速した。非人道性を医療の観点から裏づけ、議論を主導したのが、党派色をもたず中立的な核戦争防止国際医師会議(IPPNW)だった。

 核兵器禁止条約が先月、国連で採択された。ここに至るまでに、国際舞台で医師が果たした貢献は計り知れない。

 ところが国内に目を転じるとさびしい現実がある。85年にノーベル平和賞を受賞したIPPNWの会員は数十万人いるといわれるが、日本支部は3千人ほどにとどまる。

 広島、長崎の医師による発信は被爆直後からあった。だが十分な広がりにならないまま、会員の高齢化が進む。後輩に参加を呼びかけてきた故河合達雄・岐阜県医師会長は、被爆国にもかかわらず活動が弱いことを嘆き、世界から「異様に思われている」と書き残している。

 そんな日本支部で5月、注目すべき動きがあった。代表支部長のポストを新設し、秋から世界医師会長を兼ねる日本医師会の横倉義武会長が就いたのだ。

 横倉氏は8月9日生まれ。72年前、1歳の誕生日を迎えたその日に、長崎のいとこが被爆して亡くなったことを後に知り、核の問題はずっと心にかかってきた。「核戦争防止の推進役を担いたい。国民の健康をあずかる医師として、世界にも強く主張していく」と話す。

 さっそく都道府県支部の拡充を図り、先月、7年ぶりに12番目の新支部が佐賀にできた。

 学生・若手医師部会の内田直子さん(長崎大医学部3年)は、大学で被爆70年の企画展にかかわり、被爆者に話を聴いたのが縁で活動に加わった。

 昨年、アジア8カ国の仲間が集まったインドで、「原爆や被爆者のことをさらに知りたい」「日本、もっと発信してよ」と迫られ、責任を痛感した。

 非人道的な核兵器から人命を守るには核廃絶しかない。そんな認識が世界に広がるいま、日本の医師は、何を考え、どう行動していくのか。これからの歩みに、世界の目が集まる。

(社説)防衛白書 また隠すのですか

2017年8月9日05時00分

 1年間の防衛省・自衛隊をめぐるできごとや日本の防衛政策の方向性を国内外に示す。それが防衛白書の目的である。

 ところが驚いたことに、きのうの閣議で報告された2017年版の防衛白書からは、重大な事案が抜け落ちている。

 南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣した陸上自衛隊の「日報」についての記述が一切ないのだ。

 白書の対象期間が昨年7月から今年6月末までだから。防衛省はそう説明する。

 確かに特別防衛監察の結果が発表され、稲田前防衛相らが辞任したのは7月末のことだ。

 だが、自衛隊の海外での運用に関する文書管理と文民統制の機能不全が問われた重い案件である。昨秋の情報公開請求に対し、防衛省が日報を廃棄したとして12月に非開示にし、一転して今年2月に公表した経緯や、稲田氏が3月に特別防衛監察を指示した事実をなぜ書かないのか、理解できない。

 防衛省は来年の白書に監察結果を書くというが、今年の白書にも追加できたはずだ。実際、稲田氏の「巻頭言」は、後任の小野寺防衛相のものに差し替えた。7月上旬の北朝鮮のミサイル発射も盛り込まれている。

 そもそも日報隠蔽(いんぺい)の狙いは何だったか。日報は昨年7月、首都ジュバでの激しい「戦闘」を生々しく報告していた。だが、稲田氏らはこれを「衝突」と言い換え、PKO参加5原則は維持されていると強弁した。

 陸自派遣を継続し、安全保障関連法に基づく「駆けつけ警護」などの新任務を付与したい――。日報隠蔽の背景には、そんな政権の思惑があった。

 白書は当時のジュバで「発砲事案」「激しい銃撃戦」が発生したと記した。一方で「戦闘」の記述はなく、日報の存在にもふれていない。

 やはり安保法に基づく米艦防護についても、5月に初めて実施された事実を安倍政権は公表せず、白書にも言及はない。

 自衛隊の活動の幅も、政府の裁量も大きく広がった安保法の運用には、これまで以上の透明性が求められる。それなのに、現実は逆行している。

 白書は北朝鮮の核・ミサイル開発の脅威や、中国の海洋進出の活発化への懸念を強調した。自衛隊の任務遂行には国民の理解と信頼が欠かせないという指摘はその通りだ。

 ならばこそ、不都合な事実を隠しているとの疑念を招いてはならない。白書だけでなく、防衛省・自衛隊に対する国民の信頼を傷つける。

(社説)慰安婦問題 救済の努力を着実に

2017年8月10日05時00分

 今月初めに外相に就いた河野太郎氏と、韓国の康京和(カンギョンファ)外相がマニラで会談した。

 河野氏が、慰安婦問題をめぐる日韓合意の着実な履行を求めたのに対し、康氏は合意の過程などを検討する特別チームを発足させたことを説明した。

 2年前の合意の主眼の一つは元慰安婦らの心の傷をいやすための支援にある。そのため発足した財団に、日本政府は10億円を送り、元慰安婦らの7割以上が現金を受ける意思を示した。

 そこまで事業は進んできたが、韓国の世論は否定的だ。財団は理事長が辞任し、存続を危ぶむ声も出ている。

 文在寅(ムンジェイン)大統領にすれば、この合意は前政権によるものだ。しかし、政府間で公式に交わした合意である。高齢化が進む元慰安婦らの救済を履行せねばならない。それが日韓関係の発展にも資する賢明な道である。

 大統領は、国内の反対世論を強調するのではなく、この問題をどう着地させるのかを語り、指導力を発揮するべきだ。

 韓国政府の中には特別チームの性格について「問題をただす検証ではなく、過程をチェックする検討だ」との指摘があるが、どんな結論が出ても国際的合意と「民意」の板挟みになりかねない。

 安倍政権も、元慰安婦らへのおわびと反省を表明した1993年の「河野談話」の作成過程を、3年前に検証した。安倍氏自身が談話を疑問視していたうえ、一部の政治勢力におされて「検証」に踏み切った。

 だが、大きな問題は見つからず、安倍政権は談話の継承を改めて確認しただけだった。

 歴代政権が積み上げた対外的な談話や合意を、政治の思惑で安易に蒸し返すのは不毛というべきだ。文政権は、そんな過ちを繰り返してはならない。

 一方、韓国側の不信の背景には、日本政府の謝罪と反省の真意に対する疑念がある。

 河野談話は、歴史の真実を直視する、と表明した。政府は96年、慰安婦問題の資料が見つかれば直ちに報告するよう求める通知を各省庁に出した。

 だが、その努力は乏しい。今のインドネシアで、旧日本軍の部隊の命令で女性を連れ込んだとの証言資料が法務省にあったが、市民団体の指摘で内閣官房に提出されたのは今年2月だ。

 この資料は十数年前には法務省にあることが知られていた。こんな後ろ向きな動きも日韓の負の連鎖が続く一因である。

 日韓両政府は、約束を一つずつ守り、感情の対立をあおらない最善の努力を尽くすべきだ。

(社説)麻生財務相 「森友」巡る混乱収めよ

2017年8月10日05時00分

 7月に国税庁長官に就いた佐川宣寿氏が、慣例の記者会見を開かないことになった。

 国民から税金を徴収するという絶大な権力を持つ国税庁は、他の役所にもまして説明責任を求められる。トップが自ら納税の意義を語り、国民に協力をお願いする。就任会見はその貴重な機会であり、少なくともここ十数年、新長官は臨んできた。見送りは異例の事態だ。

 国税庁は「諸般の事情」としか説明していないが、理由は明らかだ。

 佐川氏は先の通常国会で、財務省理財局長として、森友学園への国有地売却問題で何度も答弁に立ち、事実確認や記録提出を拒み続けた。いま、会見を開けば、森友問題に質問が集中するのは必至だ。佐川氏が回答を拒否すれば、その様子が国民に伝えられる。

 自身への直接の批判を免れるのに加え、支持率低迷に直面する安倍政権への悪影響を防ぐ。「会見なし」を誰が決めたのかは定かでないが、そうした思惑があるのだろう。

 国会で国民への説明を拒絶する役回りだった人物を、国会が閉じたとたん、とりわけ説明責任が重い役職に就ける。入省年次といった身内の論理に基づく決定の結果が「会見なし」だ。人事を決めた麻生財務相と承認した官邸の責任は重い。

 長官の沈黙が国税庁への不信の広がりを招けば、徴税の業務に影響が出かねない。国民・納税者との関係を築き直すには、森友問題の真相解明に一貫して後ろ向きだった財務省自身が態度を改めるしかない。

 ここは、財務省を率い、副総理として安倍政権を支える麻生財務相が、混乱収拾に向けて職員に徹底調査を指示するべきではないか。

 大阪府豊中市の国有地を、財務省はなぜ、鑑定価格より8億円余りも安く森友学園に売ったのか。財務省と学園との間でどんなやりとりがあったのか。その土地に建設予定だったのが、安倍首相の妻昭恵氏を名誉校長とする小学校だったため、対応が変わったのではないか。

 森友問題を巡る疑問は数多い。その一つひとつに具体的な証言と資料で答えなければ、税務行政、そして財務省への国民の不信感はぬぐえない。

 安倍首相は内閣改造後の記者会見の冒頭、森友問題にも触れたうえで、「大きな不信を招く結果となった」と反省を口にした。「謙虚に、丁寧に、国民の負託に応える」という首相の言葉が本物かどうか。政権としての姿勢が問われている。

(社説)陸自日報問題 引き継がれた隠蔽体質

2017年8月11日05時00分

 防衛相は代わったが、防衛省・自衛隊、さらには安倍政権の隠蔽(いんぺい)体質は引き継がれた。そう断じざるをえない。

 南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸上自衛隊の日報隠蔽をめぐり、きのう開かれた衆参の閉会中審査では、結局、事実関係の解明は進まなかった。

 責任は政府与党にある。

 自民党は、稲田元防衛相はもとより、前防衛事務次官や前陸上幕僚長ら疑惑の真相を知る関係者の招致を軒並み拒んだ。安倍首相もそれを追認した。

 何度でも言う。この問題は、自衛隊の海外活動にからむ文書管理と文民統制の機能不全が問われた重い案件である。

 それなのに、特別防衛監察の結果は極めて不十分だった。2月の幹部会議で稲田氏に日報データの存在が報告されたのか。最大の焦点について「何らかの発言があった可能性は否定できない」と、あいまいな事実認定にとどまった。

 真相解明がうやむやでは再発防止はおぼつかない。防衛省・自衛隊に自浄能力がないのなら、国会による文民統制を機能させねばならない。

 稲田氏ら関係者を国会に呼んで説明を求め、食い違いがあればただす。そんな議論こそ国会の使命なのに、「稲田氏隠し」で真相究明の機会を失わせた政府与党の罪は重い。

 小野寺防衛相の後ろ向きの姿勢も際だった。

 そもそも特別防衛監察を命じた側の稲田氏は監察の対象外だ。「身内」による調査に限界があるのも結果が示す通りだ。ところが小野寺氏は監察結果について「しっかり報告された内容と承知している」と述べ、野党が求める再調査を拒否した。

 幹部会議の出席者のなかで唯一、閉会中審査に呼ばれた前統合幕僚監部総括官も、野党の追及に「事実関係は監察結果に記述されている通り」と繰り返した。あいまいな監察結果を「隠れみの」に真相究明を阻む。まさに本末転倒である。

 自衛隊の最高指揮官である安倍首相の出席も、自民党は拒んだ。森友、加計学園の問題にも通じる安倍政権の隠蔽体質は変わっていない。

 監察結果をうけて首相は「説明責任が欠けていたという問題点があった。意識を変え、再発防止を進めていくことが私たちの責任だ」と語っていた。

 ならばその言葉を実行してもらおう。憲法にもとづき野党が求める臨時国会をすみやかに開き、今度こそ十分な説明責任を果たすことを強く求める。

(社説)加計学園問題 「記憶ない」は通じない

2017年8月11日05時00分

新たな事実が、また明らかになった。

 加計学園の獣医学部新設問題で、学園の事務局長が愛媛県今治市の課長らとともに15年4月に首相官邸を訪れ、国家戦略特区を担当する柳瀬唯夫・首相秘書官(当時)に面会していた。朝日新聞の取材に関係者が認めた。県と市が特区に手をあげる2カ月も前のことだ。

 秘書官は各省庁から選ばれた官僚で、一番近いところで首相を支える。その人物が、構想が正式に提案される以前に、市の職員らにわざわざ時間を割く。この特別扱いは何ゆえか。

 柳瀬氏は先月の参院予算委員会で、面会について「記憶にない」をくり返した。納得する人がどれだけいるだろう。

 あわせて浮上するのは、安倍首相の答弁に対する疑念だ。

 首相は、加計学園が戦略特区にかかわっているのを知ったのは、事業主体に決まった17年1月だという。柳瀬氏は面会した時点で「今治と加計は一体」と認識したと見るのが自然だが、それから1年9カ月もの間、情報は首相と共有されなかったのか。改めて説明を求める。

 新事実はこれだけではない。今治市が名乗りをあげた15年6月、別の学園幹部が特区ワーキンググループ(WG)による同市へのヒアリングに出席し、発言していたことがわかった。

 しかし、公表された議事要旨にその記載はない。より詳しい議事録が後日公表されると言われていたが、両者はほぼ同じものだという。

 「議論はすべてオープン」で「一点の曇りもない」――。首相とWGがしてきた説明に、いくつもの疑問符がついた。

 信じられないのは、15年4月の官邸の入館記録も、6月のWGの議事要旨の元になった速記録も、いずれも「廃棄した」と政府が説明し、平然としていることだ。真相を解明するカギになりそうな物証は、官邸にも内閣府にも一切残っていない。何ともおかしな話である。

 他にも、競合相手を押しのけ「今治―加計」に決着するまでの関係大臣の協議内容なども判然とせず、行政の意思決定の道筋をたどることは、極めて難しくなっている。透明さを欠き、国民の知る権利を踏みにじる行いと言わなければならない。

 支持率が急落し、東京都議選で大敗して以降、首相はしきりに「反省」を口にし、辞を低くする。だが、加計学園が選ばれるまでに実際に何があったのかを、包み隠さず明らかにしなければ、国民の信頼を取り戻すことなど望むべくもない。

(社説)南シナ海問題 有効な規範へ結束を

2017年8月12日05時00分

 島の領有権や漁業をめぐる争いが絶えない南シナ海を、何とか穏やかな海にできないか。

 その一歩をめざす「行動規範」の枠組みについて、東南アジア諸国連合(ASEAN)と中国が合意に達した。

 マニラであった外相会議での進展である。地域の緊張緩和に前向きな動きではあるが、具体的な条文作りはこれからだ。

 今回はあいまいにされた法的拘束力を、きちんと定めることが必要だ。国の大小を問わず、一方的な現状変更を封じる規範をめざすべきである。

 ルール制定への機運は90年代からあった。02年には、緩やかな「行動宣言」でいったん合意し、その後、規範づくりが模索されて今日に至った。

 近年、多くの国が抱く懸案は明らかに中国の行動である。

 スプラトリー(南沙)諸島で岩礁を埋め立てて軍事拠点化を進め、フィリピン沖のスカボロー礁に公船を居座らせるなど、身勝手な行動を重ねてきた。

 今回の会議で露呈した問題は、その中国が主導権をとった点に由来する。

 合意した枠組みには「国際法の原則に従う」など差し障りのない項目が並び、法的拘束力を示す内容がない。行動を縛られたくない中国による骨抜きがなされたとみるべきだろう。

 このまま中国の思惑で条文作りが進められるようでは、効果的な規範はつくれまい。ASEAN諸国は今後、結束して中国との交渉にあたってほしい。

 忘れてならないのは、昨夏、オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所が下した判決である。南シナ海の大半に歴史的権利があるとの中国の主張を全面否定し、岩礁埋め立てを非難した。

 規範をめぐる協議は、判決で形勢不利となった中国側の巻き返しの舞台だったのだろう。しかし判決は今も有効であり、中国が国際法に違反している状態は変わっていない。

 ASEANは今年で創設50周年。多国間協力の仕組みとして地域の安定に役立ってきたが、今後、中国が強引な介入を続ければ機能が弱まりかねない。

 トランプ政権下で米国外交の存在感が薄くなっていることも背景にある。東アジア地域の安定を図るうえで、米国や日本の建設的な関与がやはり必要だ。

 現状ではまだ、中国といえどもASEAN諸国を無視することはできない。加盟国の協調による外交力は発揮できる。

 南シナ海を開かれた平和の海とする規範に中国を引き込み、次世代に引き継ぐ。そのための創意と努力を各国に望む。

(社説)エネルギー基本計画 「脱原発」土台に再構築を

2017年8月13日05時00分

 電気や熱などのエネルギーをどう使い、まかなっていくか。その大枠を示す国のエネルギー基本計画について、経済産業省が見直し論議を始めた。

 世耕弘成経産相は「基本的に骨格は変えない」と語った。しかし、小幅な手直しで済む状況ではない。

 今の計画は、国民の多くが再稼働に反対する原発を基幹電源とするなど、疑問が多い。世界に目を向けると、先進国を中心とした原子力離れに加え、地球温暖化対策のパリ協定発効に伴う脱石炭火力の動き、風力・太陽光など再生可能エネルギーの急速な普及といった変化の大きな波が起きている。

 日本でも将来像を描き直す必要がある。まず土台に据えるべきは脱原発だ。温暖化防止との両立はたやすくはないが、省エネ・再エネの進化でハードルは下がってきた。経済性や安定供給にも目配りしながら、道筋を探らなくてはならない。

 ■偽りの「原発低減」

 14年に閣議決定された今の計画にはまやかしがある。福島第一原発の事故を受けて、「原発依存度を可能な限り低減する」との表現を盛り込んだが、一方で原発を「重要なベースロード電源」と位置づけた。新規制基準に沿って再稼働を進める方針も明記し、実際に各地で再稼働が進んでいる。

 計画をもとに経産省が15年にまとめたエネルギー需給見通しは、原発回帰の姿勢がさらに鮮明だ。30年度に発電量の2割を原発でまかなうと想定する。30基ほどが動く計算で、再稼働だけでなく古い原発の運転延長か建て替えも多く必要になる。

 だが、原発政策に中立的な専門家からも「現実からかけ離れている」と批判が出ている。事故後、原発に懐疑的な世論や安全対策のコスト増など、内外で逆風が強まっているからだ。原発から出る「核のごみ」の処分も依然、日本を含め大半の国で解決のめどが立たない。先進国を中心に原発の全廃や大幅削減をめざす動きが広がっている。

 次の基本計画では、原発を基幹電源とするのをやめるべきだ。「依存度低減」を空証文にせず、優先課題に据える。そして、どんな取り組みが必要かを検討し、行程を具体的に示さねばならない。

 ■温暖化防止と両立を

 脱原発と温暖化対策を同時に進めるには、省エネを徹底し、再エネを大幅に増やすことが解になる。コストの高さなどが課題とされてきたが、最近は可能性が開けつつある。

 省エネでは、経済成長を追求しつつエネルギー消費を抑えるのが先進国の主流だ。ITを使った機器の効率的な制御や電力の需要調整など、技術革新が起きている。かつて石油危機を克服した時のように、政策支援と規制で民間の対応を強く促す必要がある。

 再エネについては、現計画も「導入を最大限加速」とうたう。ここ数年で太陽光は急増したが、風力は伸び悩む。発電量に占める再エネの割合は1割台半ばで、欧州諸国に水をあけられている。

 本格的な普及には障害の解消が急務だ。たとえば、送電線の容量に余裕がない地域でも、再エネで作った電気をもっと流せるように、設備の運用改善や、必要な増強投資を促す費用負担ルールが求められる。

 世界では風力や太陽光は発電コストが大きく下がり、火力や原子力と対等に競争できる地域が広がっている。日本はまだ割高で、設置から運用まで効率化に知恵を絞らねばならない。再エネは発電費用を電気料金に上乗せする制度によって普及してきたが、今後は国民負担を抑える仕組みづくりも大切になる。

 一方、福島の事故後に止まった原発の代役として急増した火力発電は、再エネ拡大に合わせて着実に減らしていくべきだ。

 現計画は、低コストの石炭火力を原発と並ぶ基幹電源と位置づけ、民間の新設計画も目白押しだ。しかし、二酸化炭素の排出が特に多いため、海外では依存度を下げる動きが急だ。火力では環境性に優れる天然ガスを優先する必要がある。

 ■世界の潮流見誤るな

 今回の計画見直しでは、議論の進め方にも問題がある。

 経産省は審議会に加え、長期戦略を話し合う有識者会議を設ける。二つの会議の顔ぶれは、今の政策を支持する識者や企業幹部らが並び、脱原発や再エネの徹底を唱える人は一握りだ。これで実のある議論になるだろうか。海外の動向や技術、経済性に詳しい専門家を交え、幅広い観点での検討が欠かせない。

 資源に乏しい日本では、エネルギーの安定供給を重視してきた。その視点は必要だが、原発を軸に政策を組み立てる硬直的な姿勢につながった面がある。

 世界の電力投資先は、すでに火力や原子力から再エネに主役が交代した。国際的な潮流に背を向けず、エネルギー政策の転換を急がなくてはならない。

(社説)72年目の8月15日 色あせぬ歴史の教訓

2017年8月15日05時00分

 あの戦争のころ、世の中はどんな色をしていたのか。

 世界のすべてがモノクロームだったようなイメージがある。そう話す若者たちがいる。目にする空襲や戦地の映像はどれもモノクロだから、と。

 「『戦時下』って、自分とは別次元のまったく違う世界だと感じていた」

 戦中の暮らしを描いたアニメ映画『この世界の片隅に』で主人公の声を演じた、いま24歳ののんさんもそう語っていた。

 今年も8月15日を迎えた。

 「不戦の誓いとか戦争体験の継承とか言われても、時代が違うのだから」。若い世代からそんな戸惑いが聞こえてくる。

 たしかに同じ歴史がくり返されることはない。戦争の形も時代に応じて変わる。だが、その土台を支える社会のありように共通するものを見ることができる。そこに歴史の教訓がある。

 ■戦時下のにぎわい

 日中戦争が始まった翌月の1937年8月。作家の永井荷風は日記に書いた。「この頃東京住民の生活を見るに、彼らは相応に満足と喜悦とを覚ゆるものの如(ごと)く、軍国政治に対しても更に不安を抱かず、戦争についても更に恐怖せず、むしろこれを喜べるが如き状況なり」

 軍需産業の隆盛で日本はこの年、23%という経済成長率を記録。世は好景気にわいた。

 戦線が中国奥地に広がり、泥沼化した2年後の東京・銀座の情景もさほど変わらない。

 映画館を囲む人々の行列。女性たちは短いスカートでおしゃれを楽しむ。流行は、ぼたんの花のようなえんじ色とやわらかい青竹色。夜になればサラリーマンはネオンの街に酔った。

 戦地はあくまでも海の向こう。都会に住む人の間には「どこに戦争があるのか」という、ひとごとのような気分があったと当時の記録にある。

 どこに、の答えが見つかった時にはもう遅い。〈戦争が廊下の奥に立つてゐた〉。この年そう詠んだ新興俳句の渡辺白泉は、翌年、創作活動を理由に治安維持法違反の疑いで逮捕される。白泉が言い当てたように、時代は日常と非日常とを混在させながら流れていった。

 ■いまを見る歴史の目

 社会が息苦しさを増す過程で最初にあらわれ、後戻りすることがなかったのは、多様性の否定だった。朝鮮、台湾の植民地や沖縄で日本への同化教育が行われ、国内でも天皇機関説事件などによって、学問や言論の自由が急速に失われていく。

 享受している生活が、そうした価値と引き換えであることに気がつかなかった人、気づいたけれども声に出さなかった人。その後の日本にどんな運命が待ち受けていたかを、後の世代は知っている。

 歴史の高みから「分岐点」を探し、論じるのはたやすい。ではいまの社会は、数十年後の日本人からどんな評価を受けるのだろうか。

 作家の半藤一利さんは、近代以降の日本は40年ごとに興亡の波を迎えてきたと説く。

 幕末から日露戦争まで。そこから先の大戦に敗れるまで。次は焼け跡からバブル経済まで。興隆と衰退が交互にあり、いまは再び衰退期にあると見る。

 「人々は約40年たつと、以前の歴史を忘れてしまう。日中戦争や太平洋戦争の頃のリーダーで日露戦争の惨状をわかっていた人は、ほぼいない。いまの政治家も同じことです」

 ■「似た空気」危ぶむ声

 半藤さんも、ほかの学者や研究者と同様、「歴史はくり返す」と安易に口にすることはしない。歴史という大河をつくるひとつひとつの小さな事実や偶然、その背後にある時代背景の複雑さを知るからだ。

 それでも近年、そうした歴史に通じた人々から「戦前と似た空気」を指摘する声が相次ぐ。

 安保法制や「共謀罪」法が象徴のように言われるが、それだけでない。もっと奥底にあるもの、いきすぎた自国第一主義、他国や他民族を蔑視する言動、「個」よりも「公の秩序」を優先すべきだという考え、権力が設定した国益や価値観に異を唱えることを許さない風潮など、危うさが社会を覆う。

 「歴史をつくる人間の考え方や精神はそうそう変わらない」と、半藤さんは警告する。

 一方で、かつての日本と明らかに違う点があるのも確かだ。

 表現、思想、学問などの自由を保障した憲法をもち、育ててきたこと。軍を保有しないこと。そして何より、政治の行方を決める力を、主権者である国民が持っていることだ。

 72年前に破局を迎えた日本と地続きの社会に生きている己を自覚し、再び破局をもたらさぬよう足元を点検し、おかしな動きがあれば声を上げ、ただす。

 それが、いまを生きる市民に、そしてメディアに課せられた未来への責務だと考える。

 1945年8月15日。空はモノクロだったわけではない。夏の青空が列島に広がっていた。

(社説)憲法70年 学びの保障、広く早く

2017年8月16日05時00分

 多くの人が大学や短大、専門学校で学ぶことにはいかなる意義があり、コストを社会全体でどう分かち合うべきか。そんな議論が活発になっている。

 安倍首相が改憲項目の一つとして「高等教育の無償化」の方針を打ち出したからだ。

 もっとも、先んじて提唱した日本維新の会に同調するための提案との見方がもっぱらで、自民党内もまとまっていない。

 無償化は法律を改めれば実現できる。わざわざ改憲を持ちだすまでもない。ただ「高等教育を万人に開かれたものに」という考え自体は正しく、その重要性はますます高まっている。

 憲法26条は「能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利」を保障し、これを受けて教育基本法は、人種や信条などに加え、経済的地位によっても教育上差別されないと定めている。

 国は教育の機会均等の実現に努める責務がある。改憲に政治のエネルギーを費やすよりも、この現憲法の精神を、確実に実践していくことが肝要だ。

 東大の小林雅之教授らの調査では、年収400万円以下と1千万円超の家庭では、私大への進学率に倍に近い開きがある。国立大に進んでも授業料は年間約54万円とかなりの負担だ。

 資格や収入の形で恩恵を受けるのだから、学費は本人や家庭が負担するのが当たり前だという考えが、根強くある。だが技術革新や国際化に伴い、仕事に求められる知識や技能のレベルは上がっている。いまや高等教育はぜいたく品ではない。

 貧富による進学格差を放置するとどうなるか。

 貧困が再生産され、社会に分断をもたらし、国の根幹をきしませる。逆に、大学や専門学校で学び、安定した収入を得る層が厚くなれば、税収が増えて社会保障などを支える。お金の問題で高等教育をあきらめる人がいるのは、日本全体の損失だという認識を共有したい。

 一律無償化には3・7兆円の財源が必要で、ただちに実現するのは難しい。まずは奨学金制度の改善を急ぐべきだ。

 日本の奨学金は貸与型が人数で9割近くを占め、かつ利息のあるタイプが主体だ。返済の不要な国の給付型奨学金がやっと段階的に始まったが、対象は1学年2万人と極めて少ない。

 有利子型を無利子型に置き換えてゆき、給付型も広げる。授業料減免も組み合わせ、負担軽減を進める必要がある。

 放課後の学習支援など、大学進学前の小中高段階からの支援も重要だ。手を尽くして、26条が真に息づく社会を築きたい。

(社説)新専門医制度 「患者本位」を忘れずに

2017年8月17日05時00分

 内科や外科、小児科などの「専門医」を育てる新たな研修制度が来年4月に始まる。

 国家試験に合格したあと、2年間の初期研修を終えた医師が対象だ。3年程度、研修先として複数の病院を回りながら知識や技術を現場で学び、試験に合格すると認定される。

 「専門医」という肩書・名称はすでにあるが、様々な学会が独自に認定しており、100種類を超えて乱立状態にある。名称も「専門医」「認定医」などが混在し、患者にはわかりにくい。新制度では全体を19の基本診療科に分け、統一した基準で認定するのが目標だ。

 患者本位の制度にするには、医療の質を高める機会とするだけでなく、患者が病院や医師を選ぶときの客観的な目安にできる仕組みが必要だ。専門性を重視するあまり、医師が自分の分野以外の患者は診察しない、ということになっても困る。専門医を認定する第三者機関「日本専門医機構」は、研修プログラムづくりを学会任せにせず、かじ取り役を担ってほしい。

 避けなければならないのは、新制度に伴う研修や指導のため、医師が大学病院や都市部の大病院に集中する事態だ。

 医師の数は04年の約27万人から14年には約31万人に増えた。ただ、研修先を選べるいまの初期研修が04年に始まってから、地方の大学を卒業した医師が大都市圏に流れ、偏在の一因になったと指摘される。

 専門医制度をめぐっても、地方の病院や自治体からは地元の医師不足の悪化を心配する声が強く、今年度の開始予定が1年間先送りされた経緯がある。

 機構は、(1)大都市圏の定員に一部上限を設ける(2)研修施設を地域の中核病院にも広げる(3)都道府県ごとに置く協議会を通じて地元から意見を聞いて研修プログラムを改善する、といった措置をとった。

 とはいえ、不安は解消されていない。自治体や厚生労働省と、研修で中心的な役割を果たす大学病院は、新制度がもたらす影響を注視してほしい。

 「総合診療専門医」の新設も、新制度の特徴だ。

 地域の病院や診療所で患者に対応するだけでなく、在宅医療や介護、みとりまで担うことが期待されている。人生の最後を住み慣れた地域や自宅で暮らすことを目指す「地域包括ケアシステム」に欠かせない存在だ。

 総合性と専門性をどう両立させるか。まずは、果たすべき役割をもっと明確にしたうえで、実践的な研修プログラムづくりに努めることが求められる。

(社説)国際化と司法 権力抑止は置き去りか

2017年8月19日05時00分

 国連の国際組織犯罪防止条約への加盟手続きが終了し、今月10日に効力が発生した。

 政府が条約を結ぶために必要だと唱え、その主張の当否も含め、各方面から寄せられた数々の疑問を封じて成立させたのが「共謀罪」法である。

 実際に行われた犯罪に対し罰を科すのが、日本の刑事法の原則だ。だがこの法律は、はるか手前の計画の段階から幅広く処罰の網をかける。薬物・銃器取引やテロなどの組織犯罪を防ぐには、摘発の時期を前倒ししなければならず、国際社会もそれを求めているというのが、この間の政府の説明だった。

 他国との協調が大切であることに異論はない。伝統的な刑事司法の世界を墨守していては、時代の変化に対応できないという指摘には一理ある。

 では政府は、国際社会の要請や潮流を常に真摯(しんし)に受けとめ、対応しているか。都合のいい点だけを拾い出し、つまみ食いしているのが実態ではないか。

 たとえば今回、条約に加わる利点として、逃亡犯罪人の引き渡しが円滑になる可能性があると説明された。しかし引き渡しを阻む大きな理由としてかねて言われているのは、日本が死刑制度を維持していることだ。

 91年に国連で死刑廃止条約が結ばれ、取りやめた国は140を超す。欧州などでは「死刑を続ける日本には犯罪人を引き渡せない」との声が広がる。ところが政府は、こうした世界の声には耳を傾けようとしない。

 公務員による虐待や差別を防ぐために、政府から独立した救済機関をもうけるべきだという指摘に対しても、馬耳東風を決めこむ。国際規約にもとづき、人権を侵害された人が国連機関などに助けを直接求める「個人通報制度」についても、導入に動く気配はない。

 権力のゆきすぎにブレーキをかける方策には手をつけず、犯罪摘発のアクセルだけ踏みこむ。そんなご都合主義が国内外の不信を招いている。

 何を罪とし、どんな手続きを経て、どの程度の罰を科すか。それは、その国の歴史や文化にかかわり、国際的な統一にはなじまないとされてきた。

 だが協調の流れは、より太く確かなものになっている。その認識に立ち、犯罪の摘発と人権擁護の間で、公正で均衡のとれたシステムを築く必要がある。

 作業にあたっては、国民への丁寧な説明と十分な議論が不可欠だ。その営み抜きに、政権が強権で押し通した共謀罪法は、内容、手順とも、改めて厳しく批判されなければならない。

 (社説)憲法70年 沖縄から地方自治を問う

2017年8月21日05時00分

 

 日本国憲法から最も遠い地。それは間違いなく沖縄だ。

 「憲法施行70年」の最初の25年間、沖縄はその憲法の効力が及ばない米軍統治下にあった。沖縄戦を生き抜き、6月に亡くなった元知事の大田昌秀氏は、戦後の苦難の日々、憲法の条文を書き写して希望をつないだ。

 それほどにあこがれた「平和憲法のある日本」。だが本土復帰から45年が経ったいま、沖縄と憲法との間の距離は、どこまで縮まっただろうか。

 ■重なりあう不条理

 米軍嘉手納基地で今年4月と5月に、パラシュート降下訓練が強行された。過去に住民を巻き込む死亡事故があり、訓練は別の基地に集約されたはずだった。米軍は嘉手納での訓練を例外だというが、何がどう例外なのか納得ゆく説明は一切ない。

 同じ4月、恩納村キャンプ・ハンセン内の洪水調整ダム建設現場で、民間業者の車に米軍の流れ弾が当たる事故が起きた。演習で木々は倒れ、山火事も頻発して森の保水力が低下。近くの集落でしばしば川が氾濫(はんらん)するため始まった工事だった。

 航空機の騒音、墜落の恐怖、米軍関係者による犯罪、不十分な処罰、環境破壊と、これほどの不条理にさらされているところは、沖縄の他にない。

 普天間飛行場の移設問題でも、本土ではおよそ考えられない事態が続く。一連の選挙で県民がくり返し「辺野古ノー」の意思を表明しても、政府は一向に立ち止まろうとしない。

 平和のうちに生存する権利、法の下の平等、地方自治――。憲法の理念はかき消され、代わりに背負いきれないほどの荷が、沖縄に重くのしかかる。

 ■制定時からかやの外

 敗戦直後の1945年12月の帝国議会で、当時の衆院議員選挙法が改正された。女性の参政権を認める一方で、沖縄県民の選挙権を剥奪(はくだつ)する内容だった。交通の途絶を理由に「勅令を以(もつ)て定める」まで選挙をしないとする政府に、沖縄選出の漢那憲和(かんなけんわ)議員は「沖縄県に対する主権の放棄だ」と激しく反発した。

 だが、連合国軍総司令部の同意が得られないとして、異議は通らなかった。翌年、沖縄選出の議員がいない国会で、憲法草案が審議され成立した。

 52年4月には、サンフランシスコ講和条約の発効により沖縄は本土から切り離される。「銃剣とブルドーザー」で強制接収した土地に、米軍は広大な基地を造った。日本国憲法下であれば許されない行為である。

 そして72年の復帰後も基地を存続できるよう、国は5年間の時限つきで「沖縄における公用地暫定使用法」を制定(その後5年延長)。続いて、本土では61年以降適用されず死文化していた駐留軍用地特別措置法を沖縄だけに発動し、さらに収用を強化する立法をくり返した。

 「特定の自治体のみに適用される特別法は、その自治体の住民投票で過半数の同意を得なければ、制定できない」

 憲法95条はそう定める。ある自治体を国が狙い撃ちし、不利益な扱いをしたり、自治権に介入したりするのを防ぐ規定だ。

 この条文に基づき、住民投票が行われてしかるべきだった。だが国は「ここでいう特別法にあたらない」「沖縄だけに適用されるものではない」として、民意を問うのを避け続けた。

 復帰後も沖縄は憲法の枠外なのか。そう言わざるを得ない、理不尽な行いだった。

 軍用地の使用が憲法に違反するかが争われた96年の代理署名訴訟で、最高裁が国側の主張をあっさり追認したのも、歴史に刻まれた汚点である。

 ■フロンティアに挑む

 それでも95条、そして「自治体の運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて法律で定める」とする92条をてこに、沖縄が直面する課題に答えを見いだそうという提案がある。

 基地の存立は国政の重要事項であるとともに、住民の権利を脅かし、立地自治体の自治権を大幅に制限する。まさに「自治体の運営」に深くかかわるのだから、自治権を制限される範囲や代償措置を「法律で定める」必要がある。辺野古についても立法と住民投票の手続きを踏むべきだ――という議論だ。

 状況によっては、原発や放射性廃棄物処理施設などの立地に通じる可能性もある話で、国会でも質疑がかわされた。

 憲法の地方自治の規定に関しては、人権をめぐる条項などと違って、学説や裁判例の積みあげが十分とはいえない。見方を変えれば、70年の歩みを重ねた憲法の前に広がるフロンティア(未開拓地)ともいえる。

 憲法から長い間取り残されてきた沖縄が、いまこの国に突きつけている問題を正面から受けとめ、それを手がかりに、憲法の新たな可能性を探りたい。

 その営みは、沖縄にとどまらず、中央と地方の関係を憲法の視点からとらえ直し、あすの日本を切りひらく契機にもなるだろう。

(社説)医師過労防止 地域医療と両立めざせ

2017年8月23日05時00分

 

 東京都内の病院で働いていた研修医が、長時間労働が原因で自殺したとして、7月に労災認定された。5月にも新潟市民病院で同様の労災が認められたばかりだ。

 医師は、正当な理由がなければ診察や治療を拒めない。とりわけ病院の勤務医の多忙さはよく知られる。総務省の就業構造基本調査では週の労働時間が60時間を超える人の割合は医師が42%と職種別でもっとも高い。

 だが、勤務医も労働者だ。過労で心身の健康がおびやかされれば、手術ミスなど医療の質の低下にもつながりかねない。患者の命と健康を守るためにも、勤務医の働き過ぎを改めていくべきだ。

 政府は働き方改革として、秋の臨時国会に「最長で月100時間未満」などと残業を規制する法案を提出し、長時間労働の是正に取り組む方針だ。

 ただ、医師については、画一的な規制が地域医療を崩壊させかねないとする医療側に配慮し、適用を5年間猶予して、これから残業規制のあり方を議論することになっている。

 実際、労働基準監督署から長時間労働の是正を求められた病院で、外来の診療時間や診療科目を縮小する動きがある。医師の過労防止で必要な医療が受けられなくなる事態は避けねばならない。

 そのためには、残業規制の強化を実行できる態勢を、同時に作っていく必要がある。

 まずは、病院の勤務医の仕事の量を減らすことだ。医師でなければできないことばかりなのか。看護師や事務職など、他の職種と仕事をもっと分かち合う余地はあるはずだ。

 初期の診療は地域の開業医に担ってもらうなど、病院と診療所の役割分担を進めていくことも重要だ。

 医師不足の背景には、地域や診療科ごとの医師の偏りという問題もある。実情に合わせて正す方策を考えたい。地域によっては、病院を再編し医師を必要なところに集中させることが適当なケースもあるだろう。

 様々な取り組みを進めたうえで、それでも全体として医師が足りないようなら、いまの計画より医師を増やすことも考えねばなるまい。

 そうした議論が、働き方を巡る規制の検討会、医師の需給見通しの審議会など政府内でバラバラに進むことのないよう、横断的・一体的に検討すべきだ。

 地域医療との両立をはかりながら、医師の働き方の見直しに道筋をつける。難題だが、避けては通れない。

(社説)森友学園問題 これで適正な処理か

2017年8月23日05時00分

 学校法人・森友学園への国有地売却問題で、財務省近畿財務局が学園側に「いくらなら買えるのか」と、支払い可能額をたずねていた――。複数の関係者が朝日新聞にそう証言した。

 財務省の佐川宣寿(のぶひさ)・前理財局長は国会で「(価格を)提示したこともないし、先方からいくらで買いたいと希望があったこともない」と述べたが、虚偽答弁だった可能性が出てきた。

 意図的なうそであれば国民を愚弄(ぐろう)する話で、隠蔽(いんぺい)にも等しい。説明が事実と違う疑いが浮上した以上、同省は交渉の詳細を示し、価格決定にいたる経緯を説明する責任がある。

 問題のやりとりは、学園の前理事長の籠池泰典(やすのり)容疑者が土地購入を申し入れ、代理人弁護士を通して近畿財務局などと去年3月に協議した際のものだ。

 学園側は「新たなごみが見つかった」とし、「できるだけ安く買いたい」と伝えた。これに対し財務局は地中の埋設物の除去費として、国費で1億3千万円をすでに負担しており、「それより安くはならない」と説明、学園側は「払えるのは1億6千万円まで」と具体的な希望額を明示していた。

 約3カ月後に売却された価格は1億3400万円。学園側の希望をかなえ、財務局の示した「下限」に近い額だった。

 改めて指摘しておきたい。

 この土地の更地の鑑定価格は9億5600万円。財務局はここから、ごみ撤去費として8億1900万円などを値引いた。

 国民の共有財産である国有地を処分する場合、厳正な手続きや審査を経て契約内容を決めるのが筋だ。今回、借地契約から売買に切り替え、10年の分割払いを認めたのも異例だった。

 国は「適正に処理された」と説明し、学園への「特別な便宜」を否定する。ならば、誰がいつ、どんな交渉をして決めたのか、つまびらかにしてもらいたい。

 値引きの根拠になったとされる21枚の現場写真によると、「新たなごみ」の判別が困難なばかりか、国が国会で説明した「深さ3・8メートル」まで大量のごみが埋まっている状況は、とても確認できない。価格の目安を先に決めた上で、それに合わせるようにごみ撤去費を積算した疑いがぬぐえない。

 安倍首相は今月の内閣改造後、「謙虚に、丁寧に、国民の負託に応える」と述べたが、野党の求める国会の早期召集には応じていない。一日も早く国会を開き、佐川氏や、学園の小学校の名誉校長を務めた首相の妻の昭恵氏らを招致すべきだ。

(社説)国会先送り 許されぬ憲法無視だ

2017年8月24日05時00分

 憲法に背く行為である。決して容認できない。

 自民、公明両党の幹事長らがきのう、臨時国会を9月末に召集する方針で一致した。

 憲法53条に基づき、野党が召集を要求したのは6月末。すでに2カ月経つのに、さらに1カ月以上も臨時国会を開かないことになる。こんな国会対応がまかり通っていいわけがない。

 改めて確認しておく。憲法53条は臨時国会について、衆参いずれかの総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は召集しなければならないと定める。

 立法府における少数派の発言権を保障するための規定であり、首相や与党の都合で可否を決めていい問題ではない。

 確かに召集時期を決めるのは内閣だ。だが「召集のために必要な合理的な期間を超えない期間内に召集を行うことを決定しなければならない」という内閣法制局長官の国会答弁がある。

 「3カ月以上」は「合理的な期間」だ――。そう言う人がどれほどいるだろう。

 とくに自民党は言えないはずだ。なぜなら野党だった5年前にまとめた憲法改正草案で、少数会派の権利を生かすとの趣旨で、要求から「20日以内」の召集を義務づけているからだ。

 安倍首相は今月初めの記者会見で、「働き方改革」のための法案などを準備したうえで召集時期を決めたい、と語った。

 しかし野党や国民がいま求めているのは、法案審議の場ではない。一連の疑惑の真相を究明し、再発防止策を考える。そのための国会である。

 加計学園の獣医学部新設の背景に首相の意向があったのか否か、関係者の証言は食い違っている。森友学園への国有地売却をめぐっては、格安価格の決定過程について、政府側に虚偽答弁の疑いが新たに浮上した。陸上自衛隊の「日報」隠蔽(いんぺい)疑惑については、稲田元防衛相の関与の有無はあいまいなままだ。

 この間、衆参で計4日間の閉会中審査が開かれたが、真相解明には程遠かった。短時間のうえ、野党が求めた関係者の招致を与党が拒むケースが相次いだためだ。

 そのうえ、臨時国会の召集を先延ばしする与党や首相の姿勢は、疑惑追及の機会を遅らせ、国民の怒りが鎮まるのを待っているようにしか見えない。

 7月の東京都議選での自民党惨敗を受け、首相は「謙虚に、丁寧に、国民の負託に応える」と誓ったはずだ。

 それで、この対応である。政治全体への国民の不信がいっそう募ることを憂える。

(社説)米政権の混迷 分断抑え現実を見よ

2017年8月25日05時00分

 この大国を率いる資質があるのだろうか。トランプ大統領が就任して7カ月、米国の政界と多くの国民が悩んでいる。

 「この国を偉大にしてきたものが何だったか、それは今日でも何なのか、彼は理解しているように見えない」

 与党共和党の上院外交委員長コーカー氏はそう語り、大統領としての能力に疑問を呈した。

 「米国を再び偉大にする」という政権の看板と裏腹に、政治の混迷は深まるばかりだ。

 与党からも苦言が出たのは、トランプ氏がとりわけ重大な過ちを犯したからだ。米国の難題である人種差別をめぐり、社会の分断を再燃させたのだ。

 発端は、バージニア州であった白人至上主義団体の集会だ。反対した市民との衝突で死傷者が出た事態について、トランプ氏は「双方」に非があるとし、差別団体と抗議の市民を同列視するような認識を示した。

 移民国家米国が誇るべき価値とは、民族や文化の多様性であり、それを認めあう寛容さだろう。特定の民族が優越するとの考え方は、米国にも国際社会にも、認める余地は全くない。

 米国の経済が大きく発展したのも、自由と平等という建前で世界の頭脳と活力を吸い寄せてきたからだ。人種差別に対する公の拒否は、公民権闘争など苦難の歴史を経て築いた米社会の共通ルールのはずだ。

 それを大統領自らが揺るがすのは愚行というほかない。今からでも、差別思想への拒絶と、平等の原則の厳守を明確な公式見解として言明すべきだ。

 財界と軍は敏感だった。主要企業の首脳らでつくる政策助言機関は抗議の辞任が相次ぎ、解散した。陸海空軍の制服組トップは「人種差別、過激主義、憎悪を許容しない」と表明した。

 米政権への不安な視線は、国際社会も共有している。米国第一主義を推進した首席戦略官バノン氏が突然更迭されたが、それを機にトランプ外交は変わるのか。北朝鮮問題などを抱える日本も注視せざるをえない。

 トランプ氏は今週、アフガニスタンを支える目的などで米軍の駐留継続を明言した。撤退の主張からの転換だが、「大統領としての判断は当初の直感とは違うものだ」と釈明した。

 ならばこの際、もっと国内外の現実を直視してもらいたい。温暖化対策、移民政策、通商政策などでの一方的な変更や主張が招いている混乱は、米国と世界の信頼関係を損ねている。

 トランプ氏が今すべきは、米社会の亀裂の修復と、現実的な政策を真剣に練ることだ。