(社説)衆院選 社会保障の将来 甘い言葉で「安心」得られぬ
2017年10月1日05時00分
「社会保障制度を全世代型へと転換する。急速に少子高齢化が進む中、決意しました」
衆院解散を表明した記者会見で、安倍首相はそう強調した。「全世代型」への柱として「子育て世代への投資の拡充」を唱え、2年後に予定する消費増税分から財源を確保するとした。その是非を国民に問うという。
だが、深刻な少子高齢化も、高齢者向けと比べて手薄な現役世代への支援の必要性も、以前から指摘されてきたことだ。
8年前には麻生内閣の「安心社会実現会議」が「全世代を通じての切れ目のない安心保障」を打ち出した。政権交代を経てもこの考えは引き継がれ、旧民主党政権は社会保障・税一体改革大綱で「社会保障を全世代対応型へ転換」すると掲げた。安倍内閣のもとでも、「社会保障制度改革国民会議」が4年前に「全世代型の社会保障」を提言している。
方向に異を唱える人はいないだろう。政治の怠慢で進まなかったのが実態である。
■繰り返される議論
首相官邸が主導し、社会保障を議論する有識者会議が設けられるようになったのは、2000年代に入ってからだ。
高齢化で年金や医療などの給付が膨らむ一方、少子化で支え手は減っていく。制度を維持していくには、給付を見直しながら、負担についても保険料や自己負担に加えて税制も一体で考え、縦割りを排して政府全体で検討する必要がある。そうした問題意識が背景にある。
以来、内閣が代わるたびに「国民」や「安心」「改革」といった言葉をちりばめた会議ができ、提言がまとめられた。
その内容は、多くの部分で重なり合う。「女性、高齢者、障害者が働きやすい環境を整え支え手を増やす」「高齢者であっても負担可能な人には負担を分かち合ってもらう」「子育て世代への支援、若者の雇用不安への対策の強化」……。
取り組むべき課題は十数年の議論で出尽くしている。必要なのは、具体策をまとめて実行に移す、政治の意思と覚悟だ。とりわけ、給付の充実と表裏であるはずの負担増を正直に語れるかどうかが試金石となる。
■負担増こそが論点
安倍首相は、消費増税分のうち、国の借金減らしに充てる分の一部を新たな施策に回し、安定した財源にするとしている。
だが、この考え方は危うさをはらむ。
日本は「中福祉」の社会保障と言われるが、それに見合う財源が確保されておらず、国債の発行という将来世代へのつけ回しに頼っている。消費税率を10%にしても、不足分の解消にはほど遠い。高齢化などに伴う社会保障費の自然増を毎年5千億円に抑えるやりくりでしのいでいるのが近年の状況だ。
消費増税の使途を変えるとなると、社会保障費の伸びを今以上に抑えるのか。あるいは、国債発行に頼ってさらにつけ回しを増やすのか。そうした点も一緒に示さなければ、国民は是非を判断しようがない。
給付の充実だけを言い、社会保障制度への影響には触れず、財政再建への見取り図も示さない。そうした態度では、単なる人気取り政策と言うしかない。
そもそも、給付が負担を大きく上回る構造を抜本的に改めていくことが問われ続けているのだ。今後、高齢者でも所得や資産に余裕のある人には負担を求めることや、医療・介護の給付範囲と負担のあり方なども検討課題としていかざるを得ないだろう。
そうした痛みを伴う改革や負担増の具体案と道筋を示し、将来の社会保障の姿を描く。それこそが政治の役割であり、国民に信を問うべきテーマである。
■一体改革をどうする
消費税収の使途変更を打ち出した与党に対し、「希望の党」代表の小池百合子・東京都知事は消費増税の凍結を語る。
与党との対立の構図を作る狙いのようだが、では社会保障についてどのようなビジョンを持っているのか。
希望の党への合流を掲げた民進党の前原誠司代表は、消費税を増税した上で教育や社会保障の充実に充てると訴えていた。統一した見解を早急に明らかにするべきだ。
国民のニーズの変化に対応して社会保障の仕組みを見直し、少子高齢社会のもとでも安定した制度にしていく――。誰が政権についても避けて通ることのできない課題である。人口減や財政難の深刻さを考えれば、とりうる政策の幅はそれほど大きくはない。
5年前、民主(現民進)と自民、公明の与野党3党が決めた社会保障と税の一体改革は、社会保障とそのための負担を政争の具にしないという、政治の知恵だと言える。
風前のともしびの一体改革の精神を大切にするか。目先の甘い話を競い合うか。すべての政党が問われている。
(社説)衆院選 自民改憲公約 国民には語らないのか
2017年10月3日05時00分
自民党がきのう、衆院選の政権公約を発表した。
憲法改正については、5月の憲法記念日に安倍首相が提案した「自衛隊の明記」を盛り込んだ。教育の無償化・充実強化▽緊急事態対応▽参議院の合区解消もあわせた4項目を中心に、「初の憲法改正を目指す」としている。
自衛隊明記を含めた具体的な項目を公約に掲げるのは初めてだ。改憲に意欲的な首相としては、選挙戦で国民に明確に改憲を問うのかと思いきや、実はそうでもない。
首相は衆院解散を表明した記者会見で、改憲には一切ふれなかった。これまでの街頭演説でも改憲は語らず、自ら「国難」と位置づけた北朝鮮情勢への対応や、少子高齢化対策の重要性を主に訴えている。
首相をはじめ自民党の候補者に問う。なぜいま改憲が必要なのか。公約に掲げた以上、国民に持論を語るべきだ。
振り返れば、自民党が圧勝した過去の衆参両院選挙でも首相のふるまいは似ていた。選挙前は「経済優先」を強調し、選挙で得た数の力で「安倍カラー」の政策を強引に進める。
特定秘密保護法、安全保障関連法、「共謀罪」法を成立させたのは、いずれも経済を前面にたてた選挙の後だった。
9条1項、2項を維持し、自衛隊を明記する改憲を2020年までに実現したい。首相が5月に明らかにした構想だ。
党内での議論もないままに、国会の頭越しに自らの首相在任中の改憲に向けて、期限を切って持論を持ち出す――行政府の長としての法(のり)を越えた、首相の暴走だった。
7月の東京都議選で自民党が惨敗したのも、そうした首相のおごりが一因ではなかったか。
都議選後、「党に任せる」と改憲論議から一歩引く構えに転じたのは当然だろう。
今回、公約に掲げたことで、選挙後に改憲論議を進める布石を打とうとしたのか。しかし、選挙前は身を低くして、選挙に勝てば「信を得た」と突き進むのは許されない。
衆院選の結果次第では、憲法改正に向けた国会の動きの分水嶺(ぶんすいれい)となる可能性がある。
「希望の党」代表の小池百合子・東京都知事は自衛隊明記には慎重な姿勢だが、憲法改正自体には前向きな立場だ。
言うまでもなく、憲法改正の発議権は国会にある。衆参の憲法審査会での与野党の丁寧な議論の積み上げが大前提だ。選挙結果を問わず、十分な国民的議論も欠かせない。
(社説)東電の原発再稼働 国は自らの無責任を正せ
2017年10月5日05時00分
福島第一原発で未曽有の事故を起こし、今も後始末に追われる東京電力に対し、原発を動かすことを認めてよいのか。
国民に説明し、理解を得る責任が政府にはある。それを果たさないまま、なし崩しに再稼働を進めることは許されない。
東電が再稼働をめざす柏崎刈羽原発(新潟県)について、原子力規制委員会が技術面で基準を満たすとする審査結果をまとめた。国の手続きは山場を越え、「原発回帰」の加速につながる節目である。
■「丸投げ」姿勢の政権
安倍政権は「規制基準への適合を規制委が認めれば、その判断を尊重し、地元の理解を得て、再稼働する」との姿勢だ。
だが、この進め方は、大切なことが抜け落ちている。再稼働は本来、規制委や自治体に判断を丸投げするのではなく、事故のリスクや安全対策、社会的な必要性などを踏まえて、国が総合的に判断すべきものだ。
東電の柏崎刈羽は、全国の原発の中でもとりわけ、検討するべき課題が多く、重い。
事故の被害者が納得するか。避難計画も含めて安全を確保し、周辺住民の不安を拭えるか。事故処理費用をまかなう目的ばかりが強調されるが、電力供給や電気料金面の対策として不可欠なのか。そして、事故の反省に立ち、原発への依存度をどう下げていくのか。
こうした疑問を、福島や新潟をはじめ多くの国民が抱く。政府は答えなければならない。
規制委は、原発施設の安全性を専門家が技術的にチェックする役回りにすぎない。今回、東電だけの特例として、原発を動かす資格を見極めようとした。それ自体が、再稼働手続きに不備があることを表している。
規制委が議論したのは、東電は安全文化や閉鎖的な体質を十分改善できたか、福島第一の廃炉に人手や資金を取られる中、柏崎刈羽で安全対策がおろそかにならないか、といった点だ。
その姿勢は妥当だが、経営体制や組織運営に十分踏み込まないまま、「安全に責任を持つ」という東電社長の決意表明をもとに「合格」とした。拙速な判断と言わざるを得ない。
■手続き全体見直しを
今の再稼働手続きは、規制委任せ、自治体任せ、電力会社任せになっている。全体を見直し、国がしっかり責任を持つ仕組みにすることが不可欠だ。
規制委の審査基準について、政権は「世界でもっとも厳しい」と強調するが、規制委自身は「最低限の要求でしかない」と繰り返す。政権はまず、規制委が安全を全面的に保証したかのように印象づける姿勢を改めなければならない。
事故時の避難計画は規制委の審査対象になっておらず、政府としての対応が求められる。
自治体との関係も課題だ。
規制委の手続きが終わると、県や立地市町村の同意が焦点になるが、電力会社との安全協定に基づく手順にすぎない。ひとたび過酷事故が起きた時の被害の深刻さを考えれば、同意手続きを法的に位置づけた上で、国が直接関与するべきだ。
避難計画の策定を義務づけられた原発30キロ圏内のすべての自治体と政府が一緒に協議する。計画の実効性や再稼働の必要性などを幅広く検討し、運転を認めるかを判断する。そんな仕組みが必要ではないか。
個々の原発を動かすかどうかについて、政府は電力各社の経営判断の問題だとし、前面に出るのを避けてきた。だが、原発をさまざまな政策で支える「国策民営」を続けており、事業者任せではすまされない。
ましてや東電は、事故に伴う賠償や除染を自前でできず、実質国有化された。経営方針を差配しているのは経済産業省だ。再稼働への疑問や不安に答える責任を、政府は東電とともに果たすべきである。
■原発問い直す契機に
柏崎刈羽の審査合格は、日本の原発の今後に大きな影響を及ぼす。
これまでに規制委の審査を通った12基は西日本にある「加圧水型」で、福島第一と同じ「沸騰水型」では柏崎刈羽が第1号となる。これが呼び水となり、今後は東日本でも再稼働の流れが強まりそうだ。
柏崎刈羽が再び動けば、地方に原発のリスクを背負わせ、電気の大消費地が恩恵を受ける「3・11」前の構図が首都圏で復活することにもなる。
福島の事故から6年が過ぎても、被害は癒えない。原発に批判的な世論が多数を占める状況も変わらない。その陰で、国が果たすべき責任をあいまいにしたまま、再稼働の既成事実が積み重ねられていく。
そんな状況を見過ごすわけにはいかない。原発問題には社会全体で向き合う必要がある。
衆院選では、各党は考えを明確に示し、国会での議論につなげる。国民も改めて考える。
柏崎刈羽の再稼働問題を、その契機としなければならない。
(社説)衆院選 森友・加計 「丁寧な説明」どこへ
2017年10月6日05時00分
「謙虚に丁寧に、国民の負託に応えるために全力を尽くす」
安倍首相は8月の内閣改造後、森友・加計学園の問題で不信を招いたと国民に陳謝した。
だがその後の行動は、謙虚さからも丁寧さからも縁遠い。
象徴的なのは、憲法53条に基づく野党の臨時国会の召集要求を、3カ月もたなざらしにしたあげく、一切の審議もせぬまま衆院解散の挙に出たことだ。
首相やその妻に近い人に便宜を図るために、行政がゆがめられたのではないか。森友・加計問題がまず問うのは、行政の公平性、公正性である。
もう一つ問われているのは、「丁寧な説明」を口では約束しながら、いっこうに実行しない首相の姿勢だ。
安倍首相は7月の東京都議選での自民党惨敗を受け、衆参両院の閉会中審査に出席した。
そして、この場の質疑で疑問はさらに膨らんだ。
たとえば、加計学園による愛媛県今治市の国家戦略特区での獣医学部の新設計画を、ことし1月20日まで知らなかった、という首相の答弁である。
首相は、同市の計画は2年前から知っていたが、事業者が加計学園に決まったと知ったのは決定当日の「1月20日の諮問会議の直前」だと述べた。
だが、県と市は10年前から加計学園による学部新設を訴えており、関係者の間では「今治=加計」は共通認識だった。
さらに農林水産相と地方創生相は、昨年8~9月に加計孝太郎理事長から直接、話を聞いていた。加計氏と頻繁にゴルフや会食をする首相だけは耳にしていなかったのか。
首相の説明は不自然さがぬぐえない。
朝日新聞の9月の世論調査でも、森友・加計問題のこれまでの首相の説明が「十分でない」が79%に達している。
それでも首相は説明責任を果たしたと言いたいようだ。9月の解散表明の記者会見では「私自身、丁寧な説明を積み重ねてきた。今後ともその考えに変わりはない」と繰り返した。
ならばなぜ、選挙戦より丁寧な議論ができる国会召集を拒んだのか。「疑惑隠し解散」との批判にどう反論するのか。
首相は「国民の皆さんにご説明をしながら選挙を行う」ともいう。けれど解散後の街頭演説で、この問題を語らない。
首相は「総選挙は私自身への信任を問うもの」とも付け加えた。与党が勝てば、問題は一件落着と言いたいのだろうか。
説明責任に背を向ける首相の政治姿勢こそ、選挙の争点だ。
(社説)核廃絶運動 世界に新たなうねりを
2017年10月7日05時00分
今年のノーベル平和賞が、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN〈アイキャン〉)に贈られる。122カ国の賛同でこの夏に採択された核兵器禁止条約への貢献が評価された。
国連が71年前の最初の総会決議で掲げた核廃絶へ向け、ICANが機運を復活させた。ノーベル委員会はそう称賛し、世界のすべての反核運動への表彰でもある、と強調した。
核兵器の非人道性を訴えるICANの主張を支えたのは、広島、長崎で原爆に遭った被爆者たちである。国際会議やネットを通じ、生々しい声が国際世論を揺さぶった。
画期的な条約の成立に続く、ICANへの平和賞決定を、被爆者、日本のNGOなどすべての関係者とともに歓迎したい。「核なき世界」をめざす国際機運をいっそう高める節目とするべきだろう。
ICANは、核戦争の防止に取り組む医師らのNGOを起点に、100カ国超にまたがる500近い団体の連合体だ。多彩な分野でそれぞれの強みを発揮する特長がある。
医師や科学者は核戦争の被害を科学的に示し、法律家は条約の案文を作った。軍需産業の監視団体は、核関連企業への資金の流れを明らかにした。政治家や元外交官らも含め、多面的な働きかけを積み上げたことが条約成立の下地を作った。
だが、それでも核廃絶に向けた潮流は滞っている。先月に始まった条約の署名では53カ国が応じたが、核保有国はゼロ。米国の「核の傘」の下にある日本も不参加を表明した。
トランプ氏とプーチン氏の米ロ両首脳とも核軍拡に前向きであるうえ、北朝鮮の核開発の脅威はきわめて深刻だ。
ただ、核が再び使われれば、人類に破滅的な影響が避けられない。その危機感がICANや被爆者らの努力で世界に浸透した意義は大きい。核に依存する政治家らの考えを変えるには、引きつづき市民社会に働きかけていくしかない。
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は昨春、「ヒバクシャ国際署名」の運動を始めた。9月末までに515万の署名を得た。20年までに世界で数億人まで増やすのが目標だ。
多くの市民が廃絶の意思を共有し、「核兵器ノー」の包囲網を築いていく。ICANの受賞決定を、世界的なうねりへとつなげるきっかけにしたい。
被爆国でありながら、ICANや被爆者の願いに背を向けたままの日本政府は、その姿勢が改めて問われることになろう。
(社説)中国の歴史観 政治利用の不毛な動き
2017年10月9日05時00分
日本と中国が全面戦争に突入した起点は今から80年前、1937年7月の盧溝橋事件である。中国では45年までの8年を抗日戦の期間とする見方がこれまで定着していた。
ところが最近、習近平(シーチンピン)政権は31年9月18日に起きた満州事変・柳条湖事件を抗日戦の起点と唱えるようになった。戦いの期間は6年延びて14年となる。
習氏自身が、14年間を一貫したものと捉えるよう求めた、とされている。その狙いは、自らが率いる共産党政権の正統性を強めることにあるようだ。
満州事変以降、日本の侵略が断続的に進んだのは事実だ。反省すべき戦争を長い視点で考える意味も込めて、日本でも同様の見方をすることがある。
不幸な日中関係の歴史に光をあてて教訓をくみ、いまの政治の戒めとすることは必要な営みであろう。しかし、習政権の動きは、そのようには見えない。むしろ、時の最高指導者が自らの都合に合わせて歴史観を定めているというのが実態だ。
当時の日中関係を、14年戦争とだけ捉えると全体像を見落としがちだ。その間には関係改善を探り合った時期があり、全面衝突を避ける選択肢はあり得た。また当時の中国は内戦状態で、単純な日中対立の構図ではない。そもそも、共産党の抗日戦への貢献度は大きくない。
それでもあえて抗日戦の期間を長くすることで、中国の戦後国際秩序形成への貢献と、共産党の主導ぶりを浸透させたいのだろう。
中国で問題なのは、ひとたび政権が見解を出せば、その歴史観に社会全体が縛られる点だ。すでに教科書の改訂が進み、異論を唱えた歴史学者の文章はネットから削除されている。自由であるべき歴史研究が妨げられているのは憂うべき事態だ。
中国と違い、日本には言論や学問の自由がある。しかし、政治家が、いびつで不誠実な歴史認識を語る現実もある。
記憶の風化に伴い、戦前戦中の不名誉な史実を拒むような政治家の言動が続くのは、懸念すべき風潮だ。かつて国民に忠君愛国を植えつけ、戦時動員の下地をつくった教育勅語を肯定する政治家まで出ている。
中国での歴史の政治利用と、日本の政治家による偏狭な歴史観の摩擦が、両国の互恵関係づくりの足かせになりかねない。
自由な歴史研究と交流をもっと広げるべきだ。当時の指導者が何を考え、どこで道を誤り、何が欠けていたのか。その謙虚な模索があってこそ、歴史は今の指針を探る源泉となる。
(社説)衆院選 安倍政権への審判 民意こそ、政治を動かす
2017年10月11日05時00分
近年まれにみる混沌(こんとん)とした幕開けである。
衆院選が公示され、22日の投開票に向けた論戦が始まった。
発端は、安倍首相による唐突な臨時国会冒頭解散だった。
選挙準備が整わない野党の隙をつくとともに、森友学園・加計学園問題の追及の場を消し去る。憲法53条に基づく野党の臨時国会召集要求を無視した「自己都合解散」である。
だが解散は、思わぬ野党再編の引き金をひいた。民進党の崩壊と、小池百合子・東京都知事率いる希望の党の誕生だ。
■「1強政治」こそ争点
選挙戦の構図を不鮮明にしているのは、その小池氏の分かりにくい態度である。
「安倍1強政治にNO」と言いながら、選挙後の首相指名投票への対応は「選挙結果を見て考える」。9条を含む憲法改正や安全保障政策をめぐる主張は安倍政権とほぼ重なる。
固まったかに見えた「自民・公明」「希望・維新」「立憲民主・共産・社民」の3極構図は今やあやふやだ。
むしろ政策面では、安保関連法を違憲だと批判し、首相が進める改憲阻止を掲げる「立憲民主・共産など」と「自民・希望など」の対立軸が見えてきた。
野党なのか与党なのか。自民党に次ぐ規模である希望の党の姿勢があいまいでは、政権選択選挙になりようがない。戸惑う有権者も多いだろう。
だからこそ、確認したい。
この衆院選の最大の争点は、約5年の「安倍1強政治」への審判である。そして、それをさらに4年続けるかどうかだと。
この5年、安倍政権が見せつけたものは何か。
経済を前面に立てて選挙を戦い、選挙後は「安倍カラー」の政策を押し通す政治手法だ。
景気と雇用の安定を背景に選挙に大勝する一方で、圧倒的な数の力で特定秘密保護法、安保法、「共謀罪」法など国論を二分する法律を次々と成立させてきた。
■一票が生む緊張感
ことし前半の通常国会では、数の力を振り回す政権の体質がむき出しになった。
加計学園に絡む「総理のご意向」文書、財務省と森友学園の交渉記録……。国会で存在を追及されても「記憶がない」「記録がない」で押し切る。政権にとって不都合な証言者には容赦なく人格攻撃を加える。
国会最終盤には「共謀罪」法案の委員会審議を打ち切って採決を強行する挙に出た。1強のおごりの極みである。
行政府とその長である首相を監視し、問題があればただす。国会の機能がないがしろにされている。三権分立が危機に瀕(ひん)しているとも言える。
そんな1強政治を前にして、一票をどう行使すべきか。考え込む人も多いかもしれない。
自分の一票があってもなくても政治は変わらない。政党の離合集散にはうんざりだ。だから選挙には行かない――。
しかしそれは、政治の現状をよしとする白紙委任に等しい。
7月の東京都議選最終盤の一場面を思い起こしたい。
「こんな人たちに負けるわけにはいかない」。東京・秋葉原でわき上がる「辞めろ」コールに、首相は声を強めたが、自民党は歴史的敗北を喫した。
選挙後、首相は「謙虚に、丁寧に、国民の負託にこたえる」と述べたが、その低姿勢は長くは続かなかった。内閣改造をへて内閣支持率が上向いたと見るや、国会審議を一切せずに冒頭解散に踏み切った。
それでも、都議選で示された民意が政治に一定の緊張感をもたらしたのは間違いない。
■無関心が政権支える
1強政治は、どれほどの「民意」に支えられているのか。
首相は政権に復帰した2012年の衆院選をはじめ、国政選挙に4連勝中だ。
最近の国政選挙は低投票率が続く。前回14年の衆院選の投票率は戦後最低の52・66%で、自民党の小選挙区での得票率は48・1%だ。つまり、有権者の4分の1程度の支持でしかない。
そして衆院選小選挙区の自民党の得票総数は、05年の「郵政選挙」以降、減り続けている。有権者の選挙への関心の低さが1強を支えている。
一票は、確かに一票に過ぎない。だがその一票が積み重なって民意ができる。そこに政治を変える可能性が生まれる。
政治家は一票の重みを熟知している。だから民意の動向に神経をとがらせる。
日本は今、岐路に立つ。
少子高齢化への対応は。米国や近隣国とどう向き合うか。原発政策は……。各党が何を語るかに耳を澄まし、語らない本音にも目をこらしたい。
納得できる選択肢がないという人もいるだろう。それでも緊張感ある政治を取り戻す力は、有権者の一票にこそある。
自分のためだけではない。投票は、子どもたちや将来の世代への責任でもある。
(社説)衆院選 安倍首相 説明になっていない
2017年10月12日05時00分
安倍政権の5年が問われる衆院選である。
安全保障関連法やアベノミクス、原発政策など大事な政策論議の前にまず、指摘しておかねばならないことがある。
森友学園・加計学園をめぐる首相の説明責任のあり方だ。
首相やその妻に近い人が優遇されたのではないか。行政は公平・公正に運営されているか。
一連の問題は、政権の姿勢を問う重要な争点である。
党首討論やインタビューで「森友・加計隠し解散だ」と批判されるたびに、首相はほぼ同じ言い回しで切り返す。
首相の友人が理事長の加計学園の獣医学部新設問題では「一番大切なのは私が指示したかどうか」「国会審議のなかで私から指示や依頼を受けたと言った方は1人もいない」という。
首相自身の指示がなければ問題ないと言いたいのだろう。
だが、それでは説明になっていない。
首相に近い人物が指示したり、官僚が忖度(そんたく)したりした可能性を否定できないからだ。
実際に、「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っている」と記された文書が文部科学省に残っている。
首相は、愛媛県の加戸守行・前知事が国会で「ゆがめられた行政が正されたというのが正しい」と述べたことも強調する。
しかし加戸氏の発言は、長年にわたって要望してきた学部設置が認められたことを評価したものだ。選定過程の正当性を語ったものではない。
そもそも加戸氏は2年前の国家戦略特区の申請時には知事を引退していた。省庁間の調整作業や特区をめぐる議論の内実を知る立場にない。
森友学園に関しては、妻昭恵氏と親交があった籠池泰典・前理事長とは面識がないことと、「籠池さんは詐欺罪で刑事被告人になった」ことを指摘する。
そのうえで、昭恵氏の説明責任については「私が何回も説明してきた」と言うばかり。
昭恵氏にからむ疑問に対して、首相から説得力ある答えはない。
昭恵氏はなぜ学園の小学校の名誉校長に就いたのか。8億円以上値引きされた国有地払い下げに関与したのか。昭恵氏が渡したとされる「100万円の寄付」の真相は――。
事実関係の解明にはやはり、昭恵氏自身が語るべきだ。
首相が国民に繰り返し約束した「丁寧な説明」はまだない。首相はどのように説明責任を果たすのか。それは、選挙戦の大きな争点である。
(社説)衆院選 安保法と憲法9条 さらなる逸脱を許すのか
2017年10月13日05時00分
「憲法違反」の反対論のうねりを押し切り、安倍政権が安全保障関連法を強行成立させてから、初めての衆院選である。
安倍首相は、安保法によって「はるかに日米同盟の絆は強くなった」「選挙で勝って、その力を背景に強い外交力を展開する」と強調する。
安保法に基づく自衛隊の任務拡大と、同盟強化に前のめりの姿勢が鮮明だ。
混沌(こんとん)とした与野党の対決構図のなかで、安保法をめぐる対立軸は明確である。
■「国難」あおる首相
希望の党は公約に「現行の安保法制は憲法に則(のっと)り適切に運用する」と掲げた。
同法の白紙撤回を主張してきた民進党の前議員らに配慮し、「憲法に則り」の前置きはつけた。ただ、小池百合子代表は自民、公明の与党と同じ安保法容認の立場だ。
これに対し立憲民主、共産、社民の3党は同法は「違憲」だとして撤回を求める。
首相は、北朝鮮の脅威を「国難」と位置づけ、「国際社会と連携して最大限まで圧力を高めていく。あらゆる手段で圧力を高めていく」と力を込める。
たしかに、核・ミサイル開発をやめない北朝鮮に対し、一定の圧力は必要だろう。だからといって軍事力の行使に至れば、日本を含む周辺国の甚大な被害は避けられない。
平和的な解決の重要性は、首相自身が認めている。
それでも「国難」を強調し、危機をあおるような言動を続けるのは、北朝鮮の脅威を自らへの求心力につなげ、さらなる自衛隊と同盟の強化につなげる狙いがあるのではないか。
安倍政権は、歴代内閣が「違憲」としてきた集団的自衛権を「合憲」に一変させた。根拠としたのは、集団的自衛権について判断していない砂川事件の最高裁判決と、集団的自衛権の行使を違憲とした政府見解だ。まさに詭弁(きべん)というほかない。
■枠を越える自衛隊
その結果、自衛隊は専守防衛の枠を越え、日本に対する攻撃がなくても、日本の領域の外に出て行って米軍とともに武力行使ができるようになった。
その判断は首相や一握りの閣僚らの裁量に委ねられ、国民の代表である国会の関与も十分に担保されていない。
安保法の問題は、北朝鮮への対応にとどまらない。
国民の目と耳の届かない地球のどこかで、政府の恣意(しい)的な判断によって、自衛隊の活動が広がる危うさをはらむ。
しかも南スーダン国連平和維持活動(PKO)で起きた日報隠蔽(いんぺい)を見れば、政府による自衛隊への統制が機能不全を起こしているのは、明らかだ。
来年にかけて、防衛大綱の見直しや、次の中期防衛力整備計画の議論が本格化していくだろう。自民党内では、大幅な防衛費の増額や敵基地攻撃能力の保有を求める声が強い。
報道各社の情勢調査では、選挙後、自公に希望の党も加わって安保法容認派が国会の圧倒的多数を占める可能性がある。
そうなれば、国会の関与がさらに後退し、政権の思うがままに自衛隊の役割が拡大する恐れが強まる。
今回の衆院選は、安倍政権の5年間の安保政策を問い直す機会でもある。
安保法や特定秘密保護法。武器輸出三原則の撤廃、途上国援助(ODA)大綱や宇宙基本計画の安保重視への衣替え……。
一つひとつが、戦後日本の歩みを覆す転換である。
次に首相がめざすものは、憲法への自衛隊明記だ。自民党は衆院選公約の重点項目に、自衛隊を明記する憲法改正を初めて盛り込んだ。
安保法と、9条改正論は実は密接に絡んでいる。
■民主主義が問われる
安保法で自衛隊の行動は変質している。その自衛隊を9条に明記すれば、安保法の「集団的自衛権の行使容認」を追認することになってしまう。
「(安保法を)廃止すれば日米同盟に取り返しのつかない打撃を与えることになる」
首相は主張するが、そうとは思えない。
立憲民主党などが言う通り、安保法のかなりの部分は個別的自衛権で対応できる。米国の理解を得ながら、集団的自衛権に関する「違憲部分」を見直すことは可能なのではないか。
衆院選で問われているのは、憲法の平和主義を逸脱した安倍政権の安保政策の是非だけではない。
この5年間が置き去りにしてきたもの。それは、憲法や民主主義の手続きを重んじ、異論にも耳を傾けながら、丁寧に、幅広い合意を築いていく――。そんな政治の理性である。
「数の力」で安保法や特定秘密法を成立させてきた安倍政権の政治手法を、さらに4年間続け、加速させるのか。
日本の民主主義の行方を決めるのは、私たち有権者だ。
(社説)衆院選 アベノミクス論争 「つぎはぎ」の限界直視を
2017年10月14日05時00分
第2次安倍政権の発足以来、「アベノミクス」をめぐる議論が間断なく繰り返されてきた。政権は成果を誇り、「加速」が必要だと主張する。一方、野党からは「実感がない」「失敗した」との声があがる。
アベノミクスという言葉自体は「安倍政権の経済政策」という意味しかない。内容は多岐にわたり、力点の置き方も変わってきている。衆院選は、その内実を見極める機会でもある。
■当初目標は未達成
2012年末の就任時、安倍首相は「強い経済を取り戻す」と訴え、「大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略」を掲げた。この「3本の矢」自体は、不況時の標準的な政策といえる。
その後の5年間、円安を起点にした企業の収益改善に加え、雇用も好転し失業率は大きく下がった。どこまでが政策の効果か、厳密な論証は難しいが、景気が回復したのは確かだ。
ただ、賃金と消費の伸びはいまだに勢いを欠く。物価上昇率2%というデフレ脱却の目標は実現のメドがたたない。経済の実力を表す潜在成長率も、微増にとどまっているようだ。
その結果、「10年間の平均で名目3%、実質2%」という当初の成長率目標の達成は見通せないままだ。
一方で、異次元の金融緩和政策を担った日本銀行は、巨額の国債を抱え込み、将来の金利上昇時に大きな損失を抱えるリスクを膨らませている。
国の財政も、赤字幅は一定の改善をみたが、基礎的収支の黒字化は先送りに追い込まれた。高齢化による負担増の加速が見込まれる25年以降の長期的な見通しもたっていない。
政権は「アベノミクスは道半ば」と説明してきた。「新3本の矢」「働き方改革」などとスローガンを変え、自民党の選挙公約は「生産性革命」と「人づくり革命」を打ち出している。
だが、足元の限界を直視せず、看板の掛け替えを繰り返しながら勇ましい表現を連ねるだけでは、進展は望めない。
■鈍い賃上げどうする
企業が空前の利益をあげているのに、賃金は伸びない。それが経済の循環を滞らせているのなら、働き手への分配を渋る企業の判断が問われる。
安倍政権は、法人税減税などを通じて経済界との蜜月を築いてきた。賃上げも求めたが、基本的には「アメ」の政策だ。それが十分な結果を出せていない現状を変えられるのか。
政権は、企業の生産性向上を促すことで賃上げを後押しするというが、具体的な議論はこれからだ。しかも民間の取り組み次第の面が強く、時間もかかる。足元の分配不足の解決は、先送りされかねない。
そもそもアベノミクスが掲げた経済再生は、成長の回復が主眼で、当初は分配の視点がほとんどなかった。次第に働き手や低所得者により配慮するような姿勢も見せ始めたが、成長力を高める一環といった位置づけが強く、分配面で社会的公正をめざす視点はいぜんとして弱い。理念を伴わず、野党の主張を横目に、政策をつぎはぎしているだけにみえる。
例えば、税制である。
政権は10%への消費増税を実施した上で、教育や社会保障分野に厚めに振り向ける方針を打ち出した。公正・公平を目指すなら、所得税や相続税の強化など再分配に関わる改革も欠かせないはずだ。しかし、本格的に取り組む姿勢は一向にうかがえない。
■大切な「分配」の視点
最大野党の希望の党の公約も混沌(こんとん)としている。
「民間活力を生かした経済の活性化」を前面に出す一方で、内部留保課税といった企業に厳しく見える提案も掲げる。企業にたまった資金の有効利用についての問題提起としては理解できる部分もあるが、今の大まかな提案では実現性や実効性は評価できず、働き手への分配増をめざしているのかも不明だ。
また、消費増税凍結を主張しつつ金融・財政政策に「過度に依存しない」とも言うが、めざす方向性が読み取れない。
共産党や立憲民主党は格差是正や社会保障の充実を掲げ、分配面重視の姿勢をとる。だが、逆に成長をどう維持するのかという視点は希薄だ。
世界的に技術革新とグローバル化が進み、国内では未曽有の高齢化と人口減少に直面する。経済成長による「パイ」の拡大とともに、その分配の視点が一段と大事になってくる。
雑多な政策を「○○ノミクス」という名ばかりの風呂敷でくるむだけでは、問題解決には力不足だ。
個々の政策を貫く、経済社会についてのビジョンがなければ、何を優先するかが混乱したり、修正が必要なときに対応を誤ったりしかねない。
成長と分配についてどんな見取り図を描いていくかが、何よりも問われている。
(社説)衆院選 沖縄の負担 悲鳴と怒り、耳澄ませ
2017年10月15日05時00分
沖縄の悲鳴と怒りに、衆院選にのぞんでいる政党・候補者は改めて耳を傾け、それをわがこととしなければならない。
米軍の大型輸送ヘリコプターが東村(ひがしそん)高江の民家近くに不時着して炎上した。13年前に沖縄国際大に墜落した同系機だ。
翁長雄志知事や地元の住民は強く反発している。政府が米軍に対し、原因の究明や飛行停止を求めたのは当然である。
だが安倍政権はこれまで、その「当然」の措置すら、しばしばうやむやにしてきた。
オスプレイが普天間飛行場に配備されて今月で5年になる。24機体制に拡充されたうちの1機が昨年末に名護市の海岸で大破した時も、「機体に問題はない」との説明を受け入れ、飛行再開をあっさり容認した。そして先月、米軍が政府に示した最終報告書は、意見や提言の欄がすべて黒塗りになっていた。
普天間のオスプレイは今年になってからも、豪州沖で墜落して3人が死亡したほか、奄美大島、大分、石垣島などで緊急着陸をくり返している。
いったい何が起きているのか。原因は人為ミスとして処理されることが多い。ではなぜ、こうもミスが続くのか。
徹底解明を米軍に働きかけ、納得できる回答を引き出し、住民の不安や疑問にこたえる。日本の当局による検証や捜査を阻む原因になっている、日米地位協定の見直しに全力をあげる。それが政府の使命だ。
しかし政権が米国に本気で迫ることはなく、衆院選の自民党公約にも「地位協定はあるべき姿を目指します」という中身のない一文があるだけだ。
墜落の恐怖ばかりではない。
ヘリが炎上した高江には、米軍が北部訓練場の半分を返還する見返りとして、この数年の間にヘリパッドが6カ所造成された。オスプレイもたびたび飛来し、12年度に567回だった60デシベル以上の騒音は、昨年度は6887回と激増した。低周波騒音に頭痛を訴える人も多い。
夜間訓練や飛行ルートに関する取りきめはあるが、一向に守られていない。これが、政府がとり組んできたと胸を張る「沖縄の負担軽減」の現実だ。
首相は「この国を守り抜く」と力説するが、「この国」のなかに、沖縄の人々の平穏な生活は含まれているのだろうか。
「したい放題の米軍」「もの言えぬ日本政府」が続けば、民心はさらに離れ、沖縄に多くを依存する安保政策は根底からゆらぐ。沖縄が背負う荷をいかにして、真に軽くするかは、まさに選挙で問うべき重い課題だ。
(社説)衆院選 憲法論議 国民主権の深化のために
2017年10月16日05時00分
憲法改正の是非が衆院選の焦点のひとつになっている。
自民党、希望の党などが公約に具体的な改憲項目を盛り込んだ。報道各社の情勢調査では、改憲に前向きな政党が、改憲の発議に必要な3分の2以上の議席を占める可能性がある。
政党レベル、国会議員レベルの改憲志向は高まっている。
同時に、忘れてはならないことがある。主権者である国民の意識とは、大きなズレがあることだ。
■政党と民意の落差
民意は割れている。
朝日新聞の今春の世論調査では、憲法を変える必要が「ない」と答えた人は50%、「ある」というのは41%だった。
自民党は公約に、自衛隊の明記▽教育の無償化・充実強化▽緊急事態対応▽参議院の合区解消の4項目を記した。
なかでも首相が意欲を見せるのが自衛隊の明記だ。5月の憲法記念日に構想を示し、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と語った。メディアの党首討論で問われれば、多くの憲法学者に残る自衛隊違憲論を拭いたいと語る。
一方で首相は、街頭演説では改憲を口にしない。訴えるのはもっぱら北朝鮮情勢やアベノミクスの「成果」である。
首相はこれまでの選挙でも経済を前面に掲げ、そこで得た数の力で、選挙戦で強く訴えなかった特定秘密保護法や安全保障関連法、「共謀罪」法など民意を二分する政策を進めてきた。
同じ手法で首相が次に狙うのは9条改正だろう。
だが、改憲には前向きな政党も、首相の狙いに協力するかどうかは分からない。
希望の党は「9条を含め憲法改正論議を進める」と公約に掲げたが、小池百合子代表は自衛隊明記には「もともと合憲と言ってきた。大いに疑問がある」と距離を置く。
連立パートナーの公明党は「多くの国民は自衛隊の活動を支持し、憲法違反の存在とは考えていない」と慎重姿勢だ。
■必要性と優先順位と
時代の変化にあわせて、憲法のあり方を問い直す議論は必要だろう。
ただ、それには前提がある。
憲法は国家権力の行使を規制し、国民の人権を保障するための規範だ。だからこそ、その改正には普通の法律以上に厳しい手続きが定められている。他の措置ではどうしても対処できない現実があって初めて、改正すべきものだ。
自衛隊については、安倍内閣を含む歴代内閣が「合憲」と位置づけてきた。教育無償化も、予算措置や立法で対応可能だろう。自民党の公約に並ぶ4項目には、改憲しないと対応できないものは見当たらない。
少子高齢化をはじめ喫緊の課題が山積するなか、改憲にどの程度の政治エネルギーを割くべきかも重要な論点だ。
朝日新聞の5月の世論調査で首相に一番力を入れてほしい政策を聞くと、「憲法改正」は5%。29%の「社会保障」や22%の「景気・雇用」に比べて国民の期待は低かった。
公約全体で改憲にどの程度の優先順位をおくか。各党は立場を明確にすべきだ。
安倍首相は、なぜ改憲にこだわるのか。
首相はかつて憲法を「みっともない」と表現した。背景には占領期に米国に押しつけられたとの歴史観がある。
「われわれの手で新しい憲法をつくっていこう」という精神こそが新しい時代を切り開いていく、と述べたこともある。
■最後は国民が決める
そこには必要性や優先順位の議論はない。首相個人の情念に由来する改憲論だろう。
憲法を軽んじる首相のふるまいは、そうした持論の反映のように見える。
象徴的なのは、歴代内閣が「違憲」としてきた集団的自衛権を、一内閣の閣議決定で「合憲」と一変させたことだ。
今回の解散も、憲法53条に基づいて野党が要求した臨時国会召集要求を3カ月もたなざらしにしたあげく、一切の審議を拒んだまま踏み切った。
憲法をないがしろにする首相が、変える必要のない条文を変えようとする。しかも自らの首相在任中の施行を視野に、2020年と期限を区切って。改憲を自己目的化する議論に与(くみ)することはできない。
憲法改正は権力の強化が目的であってはならない。
必要なのは、国民主権や人権の尊重、民主主義など憲法の原則をより深化させるための議論である。
その意味で、立憲民主党が公約に、首相による衆院解散権の制約や「知る権利」の論議を掲げたことに注目する。権力を縛るこうした方向性こそ大切にすべきだ。
改憲は政権の都合や、政党の数合わせでは実現できない。
その是非に最後に判断を下すのは、私たち国民なのだから。
(社説)衆院選 知る権利 民主主義の明日を占う
2017年10月17日05時00分
安倍政権がないがしろにしてきたもの。そのひとつに、国民の「知る権利」がある。
政府がもつ情報の公開を求める権利は、国民主権の理念を実現し、民主主義を築いていくうえで欠かすことができない。
だが政権は、森友・加計学園問題で、政府の記録を公開する考えはない、破棄済みで手元にない、そもそも作成していないの「ないない尽くし」に終始した。PKO日報をめぐっても重大な隠蔽(いんぺい)があった。
自民党が5年前に発表した憲法改正草案は、「知る権利」について「まだ熟していない」として条文に盛りこむのを見送った。後ろ向きの姿勢には疑問があるが、一方で「国は、国政上の行為につき国民に説明する責務を負う」との規定を、新たに設ける考えを示している。
この草案に照らしても、政権の行いは厳しい非難に値する。
情報公開法の制定から18年になる。熟したか熟していないかの議論はともかく、大切なのは知る権利が確実に保障される社会をつくること。具体的には、情報隠しができないように法令を整備し、制度をみがき、行政にたずさわる人々の意識と行動を変えていくことだ。
だが、自民党の衆院選公約には「行政文書の適正な管理に努める」とあるだけだ。公明党も同様で、与党として、一連の問題に対する深い反省も、改革への決意もうかがえない。
希望の党は、知る権利を憲法に明確に定めることを公約にかかげる。しかしこれも、同党を率いる小池百合子・東京都知事が五輪会場の見直しや築地市場の移転をめぐって見せた行動を思いおこすと、眉につばを塗る必要がある。
「敵」と位置づけた元知事らにとって都合の悪い情報は、たしかに公開した。だが自らの判断については、そこに至った根拠や検討の経過、描く将来像などの説明に応じなかった。
市民が情報にアクセスし、それを手がかりに行政を監視し、考えを深めて、より良い政治を実現する――。そんな知る権利の意義を本当に理解しているのか。政略の道具にただ利用しただけではないのか。
旧民主党政権のとき、知る権利を明記し、開示の範囲を広げる情報公開法の改正案が閣議決定されたが、成立に至らなかった。その流れをくむ立憲民主党や、「抜本改革が必要」と唱える共産党は、実現に向けてどんな道筋を描いているのか。
各党の主張や姿勢を見極め、投票の判断材料にしたい。民主主義の明日がかかっている。
(社説)衆院選 財政再建 将来世代への責務だ
2017年10月18日05時00分
消費増税と財政再建の議論が、いっこうに深まらない。
安倍首相は衆院解散の理由として、消費増税分の使途変更を挙げた。19年10月に税率を10%に上げることで新たに得られる年間5兆円余りのうち、借金減らしに充てる分を減らし、子育て支援などに回す。「国民と約束していた税の使い道を変える以上、信を問わなければならない」というのが首相の説明だ。
しかし、高齢者向けと比べて手薄な現役世代への支援が必要であることは、この十年来、繰り返し指摘されてきた。野党も子育て支援の充実などには反対していない。
国民に問うべきなのは、使途変更の是非ではない。
首相は基礎的財政収支を20年度に黒字化する目標を同時に先送りした。「財政再建の旗は降ろさない」と言うなら、使途変更によって生じる財政の穴をどう埋めて、いつごろ黒字化するのか。そして、全世代型に転換するという社会保障を財政でどう支えていくのか。
そうした点が関心事なのに、首相は口をつぐんだままだ。
先進国の中で最悪の水準にある財政状況を考えれば、将来世代へのつけ回しを抑えるためにも、国民全体で広く負担する消費税の増税が避けられない。そう正面から訴えることが、増税に対する国民の理解を深めることにつながる。
しかし首相は増税自体については詳しくは語らず、もっぱら子育て支援などの充実を強調している。解散表明後のテレビ番組で、消費増税を先送りする可能性に触れたこともある。既に2度増税を延期してきただけに、本気度が疑われかねない。
野党各党も、財政再建については「現実的な目標に訂正する」(希望の党)などとしている程度で、どんな道筋を考えているのかはっきりしない。消費増税の凍結や反対を唱えながら、それに代わる財源は「大企業の内部留保への課税検討」(希望)、「国会議員の定数・歳費の3割カット」(維新)など、実現性や財源としての規模に疑問符がつくものが目立つ。
超高齢化と少子化が同時に進む中で、社会保障と財政の展望を示すことこそが、政治に課された責務だ。10%への消費増税や基礎的財政収支の黒字化も、小さな一歩に過ぎない。
所得税や相続税、法人税も含めて今後の税制を描く。予算を見直し、非効率な支出をなくしながら配分を変えていく。
与野党ともに、将来の世代まで見すえて、負担と給付の全体像を語るべきだ。
(社説)中国共産党 疑問尽きぬ「強国」構想
2017年10月19日05時00分
30年かけて強国を築き上げる――。きのう始まった中国共産党大会で習近平(シーチンピン)・党総書記(国家主席)が、そう宣言した。2千人余りの党代表を前に、自信に満ちているように見えた。
それは豊かで調和のとれた「社会主義現代化強国」だという。崇高な目標にも聞こえるが、そこには共産党の一党支配を強めるという大前提がある。そのうえで経済を発展させ、公正な社会をつくることが果たして可能なのか。
確かにこの5年間、習氏はめざましい実行力をみせた。
汚職の摘発で党や軍の首脳級に切り込んだ。軍の組織改革も進めている。党内部からの腐敗への危機感ゆえだが、権力固めに利用した面も否めない。摘発の矛先は習氏に近い人々には決して向けられなかった。
国力を背に積極外交に打って出たのも、習政権の特徴だ。アジアインフラ投資銀行を設け、中央アジア、欧州と結ぶ「一帯一路」構想が前進している。強引な海洋進出も目立った。
こうした急速な動きと対照的なのが経済改革だ。4年前の党の会議で「近代的市場体系の形成を急ぐ」としたものの、現実は逆行している。
合併を通じて国有企業をさらに大型化し、経済の命脈を握らせている。そのうえ、党の指示を各企業の経営判断に反映させる制度を新たに導入した。
一部の国有企業に民間から出資させる動きはあるが、民営化にはほど遠い。民間企業は、これまで雇用の伸びを支えてきたというのに、政府支援や融資の面で公平に扱われない。
中国は、中所得国水準から抜け出せない段階で急速に高齢化が進む。そんな危機を目前に、民間の活力をそいででも経済に対する党・政府の管理統制を優先する姿勢は大いに疑問だ。
それにも増して不当なのは、社会全般に対する統制の強まりである。習政権のもと、NGO活動の管理、弁護士の摘発、メディアの監視、大学の統制を厳しく進めた。ネット上のちょっとした政権批判めいた言葉も許されない。これまで残っていた市民的自由の空間は、いよいよ狭まってきた感がある。
目標とする30年後は、中国建国からほぼ100年にあたる。そのころ習氏が「世界一流」と自称する軍は、周辺国からどう見られているだろうか。
そもそも一党支配のままで、「強国」になることはありうるのか。もしなったとしても、それは中国の人々にとっても他国にとっても、決して歓迎されるものではないだろう。
(社説)核禁止条約 背を向けず参加模索を
2017年10月25日05時00分
被爆国に対する国際社会の期待を裏切る行動だ。
日本政府が国連に提出した核兵器廃絶決議案が波紋を呼んでいる。7月に122カ国の賛同で採択された核兵器禁止条約に触れず、核保有国に核軍縮を求める文言も弱くなったためだ。
日本は24年連続で決議案を出しており、昨年は167カ国が賛成した。だが、今回の案には、条約を推進した非核保有国から強い不満の声が出ている。
条約づくりに尽力したNGO・核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN〈アイキャン〉)がノーベル平和賞に決まった際も、外務省が談話を出したのは2日後。「日本のアプローチとは異なる」とし、やはり条約に触れなかった。
条約の意義を改めて確認したい。核兵器を「絶対悪」と位置づけ、「決して使われてはならない」という規範を国際法として打ち立てたことだ。
72年前、米軍が広島、長崎に投下した原爆で、人類は核兵器の圧倒的な非人道性を知った。
だが戦後、米国や旧ソ連をはじめとする大国は「核兵器を持つことで、他国からの攻撃を未然に防ぐ」という核抑止論を持ち出し、核軍拡に走った。
ICANや広島、長崎の被爆者らの努力で生まれた核兵器禁止条約は、非人道性という原点に立ち返り、核抑止論を否定しようとしている。「核兵器のない世界」の実現に向けた着実な一歩であることは確かだ。
この流れになぜ被爆国があらがうのか。
安倍首相は8月に条約への不参加を明言した。河野太郎外相は「北朝鮮や中国が核兵器を放棄する前に核兵器を禁止すれば、抑止力に問題が出る」との見解を表明した。米国の「核の傘」に頼る安全保障政策が、最大のネックになっている。
北朝鮮が核実験やミサイル発射を繰り返し、核の傘の役割は増しているとの見方さえある。トランプ米大統領は米国の核戦力を増強する考えを再三表明し、緊張に拍車をかけている。
だが、「核には核を」の悪循環は、偶発的に核が使われる危険性を高めるばかりだ。すぐには困難だとしても、核の傘からの脱却と、条約参加への道筋を真剣に模索するのが、被爆国としての日本の責務だろう。
9月以降、53カ国が条約に署名したが、核保有国や核の傘の下にある国はまだ一つもない。日本が参加の意思を示せば、インパクトは計り知れない。核保有国と非核保有国の橋渡し役を自任するなら、国際社会の多数が支持する条約に背を向け続けるべきではない。
(社説)習近平新体制 個人独裁へ歩むのか
2017年10月26日05時00分
これは新たな個人独裁ではないのか。おととい閉幕した中国共産党大会と、きのう発足した党指導部の人事から、そんな疑念が湧いてくる。
5年前、党トップの総書記に就いた習近平(シーチンピン)氏は一貫して権力集中を進め、今回、党規約に自らの名を冠した「思想」を書き込んだ。この短期間で毛沢東、トウ小平に並ぶかのような権威づけがされるのは異例だ。
最高指導部である常務委員や政治局員の人事でも習氏に近い人物が要所に配された。
習氏にとっては党の立て直しのつもりなのだろうが、これほどの力の集中は、危うい。
かつて独裁者の毛沢東が「大躍進」「文化大革命」の名の下で過ちを犯し、数千万人規模の命を奪う災難をおこした。毛の死去後に集団指導体制に転じたのは重い教訓ゆえでもある。
ところがその後は集団指導下での市場経済化に伴い、各指導者のもとでの利権構造が生じ、腐敗が深まった。国有石油企業を通じて蓄財していた周永康氏の事件は記憶に新しい。
そうした構造に切り込むためにも、習氏はトップである自身の権限を強め、一党支配の安定化を図ろうとしている。
だが、腐敗をただすのは当然だとしても、まるで毛時代に戻るような方向は間違っている。どんな権力であれ、批判や牽制(けんせい)を受け、説明責任を果たす仕組みが欠かせない。
メディアによるチェック機能を高め、政策決定過程の透明化を求める議論は、もともと共産党の内外にあった。しかし今では、こうした改革派の影が薄くなったことが懸念される。
新しい常務委員にも、5年後に習氏を継ぐべき次世代の顔ぶれが入らなかった。習氏は2期10年という従来のルールを変えて3期目以降も続けるつもりなのか。長期院政を敷くつもりなのか。権力集中の果てにはそんな可能性も見える。
世界的には、グローバル化の波の中で欧米の自由民主主義の政治が混迷していることから、中国の一党支配による安定は、皮肉な強みとみられることもある。しかし、今の時代、どんな独裁も決して国の持続的な長期安定はもたらさない。
北京では習氏をたたえる報道ばかりだ。この5年、生活水準の底上げが進み、習体制への支持は確かに厚い。それでも、毛沢東時代のような熱狂からは程遠く、多くの市民は冷静だ。
飢える心配がなくなり、外の世界を広く知り始めた人々が、いつまでこの体制を容認し続けるか、やがて問われるだろう。
(社説)商工中金不正 政策金融の失敗だ
2017年10月27日05時00分
民業の補完という原則を踏み外し、不正を重ねて民業を圧迫していた。言語道断の、政策金融の失敗である。
商工組合中央金庫(商工中金)で、国の予算を利用した不正がほぼすべての店舗に広がっていた。全職員の2割が処分されるという前代未聞の事態だ。
所管する経済産業省の責任も厳しく問われる。政策金融のあり方について、踏み込んだ点検が急務である。
不正の舞台になった「危機対応業務」は、災害や経済危機時に中小企業が資金を借りやすくするための公的金融制度だ。担い手の商工中金には国の予算から利子などが補填(ほてん)される。
商工中金は、この仕組みを融資先獲得の武器に使って業績拡大を図った。経営陣が営業現場にプレッシャーをかけ、書類の改ざんなど不正に行き着いた。
再発防止策として、公的金融と通常業務の峻別(しゅんべつ)や法令順守意識の立て直し、企業統治の見直しなどを打ち出した。早急に対応しなければ、政策を担う資格はない。
安達健祐社長は辞意を表明した。安達氏と、その前任の杉山秀二氏は元経産次官である。経産省は、中小企業金融の政策を所管すると同時に、商工中金を監督する立場にもあった。
大臣や次官が給与を返上するが、何の責任をとったのかがあいまいだ。政策の実績づくりや天下り先を温存したいという意識が不正を許す土壌にならなかったか、検証が不可欠だ。
商工中金の経営陣には財務省出身者もいる。官庁出身者の登用はやめるのが当然だろう。
経産省は有識者会議を設け、商工中金のあり方について年内にも結果をまとめるという。原点に立ち返った議論を求める。
危機対応業務は、リーマン・ショックや東日本大震災といった本来の危機時には、一定の役割がある。しかし、景気回復が続く現時点でも「デフレ脱却」などを理由に危機と認定されていた。行き過ぎを防ぐために、基準を明確にする必要がある。
商工中金は当初、2015年までに完全民営化すると決まっていた。だが、危機対応業務を担わせることを理由に、無期限で先送りされている。
民間の地域金融機関は過当競争に苦しんでいる。国の後ろ盾がある商工中金による民業圧迫には、不満の声が強い。
真の危機時に民間金融機関が「貸しはがし」に走らないような仕組みを整えつつ、平時の政策介入は控え、商工中金は完全民営化を急ぐ。政府はそうした検討を急ぐべきだ。
(社説)国会軽視再び 「国難」をなぜ論じない
2017年10月27日05時00分
勝てば官軍ということか。
政府・自民党は、首相指名選挙を行う特別国会を11月1日~8日に開いた後、臨時国会は開かない方向で調整を始めた。
憲法53条に基づき、野党が臨時国会を要求してから4カ月。安倍政権は今回もまた、本格審議を逃れようとしている。
衆院選の大勝後、首相や閣僚が口々に誓った「謙虚」はどうなったのか。巨大与党のおごりが早速、頭をもたげている。
国会を軽んじる安倍政権の姿勢は、歴代政権でも際立つ。
通常国会の1月召集が定着した1992年以降、秋の臨時国会がなかったのは、小泉政権の2005年と安倍政権の15年だけだ。ただ05年は特別国会が9月~11月に開かれ、所信表明演説や予算委員会も行われた。
安倍政権は15年秋も、野党の臨時国会召集要求に応じなかった。閣僚らのスキャンダルが相次いだことが背景にあった。
今回は野党の要求があれば、予算委員会の閉会中審査には応じる考えという。だが、わずか1日か2日の審査では議論を深めようにも限界がある。
審議すべきは森友・加計問題だけではない。首相みずから「国難」と強調した北朝鮮情勢や消費増税の使途変更についても、国会で論じあうことが欠かせない。
だが臨時国会がなくなれば、6月に通常国会を閉じて年明けまで約半年も、本格論戦が行われないことになる。言論の府の存在が問われる異常事態だ。
ここは野党の出番である。だが、その野党が心もとない。
民進党は四分五裂し、立憲民主党は55年体制以降、獲得議席が最少の野党第1党だ。
それでも、安倍政権の憲法無視をこのまま見過ごすことは、あってはならない。
同党の枝野幸男代表は「永田町の数合わせに我々もコミットしていると誤解されれば、今回頂いた期待はあっという間にどこかにいってしまう」と述べ、野党再編論に距離を置く。
それはその通りだろう。ただ民主主義や立憲主義が問われるこの局面では、臨時国会を求める一点で野党は連携すべきだ。
自民党は野党時代の2012年、要求後20日以内の臨時国会召集を義務づける改憲草案をまとめた。それにならって、今度は「20日以内」の期限を付けて改めて要求してはどうか。
「憲法というルールに基づいて権力を使う。まっとうな政治を取り戻す」。枝野氏は衆院選でそう訴えた。その約束を果たすためにも、野党協力への指導力を期待する。