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社会福祉の思想は次第に成熟されつつあった。しかし、いつのまにか時は崩壊へと逆行しはじめた。

経団連会長に米倉弘昌氏 財閥系から初の起用 -共同通信

2010年01月28日 00時21分44秒 | Weblog
経団連会長に米倉弘昌氏 財閥系から初の起用 -共同通信

 日本経団連は23日、御手洗冨士夫会長(74)の後任に、米倉弘昌住友化学会長(72)を起用する人事を固めた。米倉氏は経団連で会長に次ぐナンバー2の評議員会議長を務めている。5月下旬の経団連総会で正式に就任する。

 住友グループや財閥系企業から経団連会長が出るのは初めて。化学業界からの会長就任は旧経団連の初代会長だった石川一郎氏以来となる。

 御手洗氏は、住友グループの中核企業を率いる米倉氏の指導力や手堅い経営手腕を評価し、次期会長就任を打診した。「財界総理」と呼ばれる経団連会長の任期は1期2年。最近は2期4年務めるのが慣例。

 米倉氏は米国に駐在経験があり、財界活動にも長く携わってきた。

 経団連の主流企業とされる電機、自動車、鉄鋼などの有力企業は2008年に起きた「リーマン・ショック」後の不況で、軒並み業績が悪化。住友化学も09年3月期の純利益は赤字に陥ったが、10年3月期には黒字に転換する見込み。出身企業の業績回復が順調に進んでいることも米倉氏起用の追い風になった。

 米倉氏にとっては、成長戦略や景気対策に加え、社会保障制度改革、財政再建などでも政府と協調関係を築くことが課題になる


参考

米倉氏は、サウジアラビアやシンガポールで大規模な石油化学事業を立ち上
げたり、日米財界人会議の日本側議長に就くなど、国際派経済人として知られる。
日本経団連では2004年から08年まで副会長として、貿易や投資の自由化に向け、
日本とアジア各国などとの経済連携協定の締結促進などに当たった。


経団連 歴代会長

初代  石川 一郎 日産化学工業社長1948年3月16日~1956年2月21日
第2代 石坂 泰三 東京芝浦電気社長1956年2月21日~1968年5月24日
第3代 植村 甲午郎 経団連事務局 1968年5月24日~1974年5月24日
第4代 土光 敏夫 東京芝浦電気会長1974年5月24日~1980年5月23日
            やるべきことが決まったならば、執念をもって
            とことんまで押しつめよ。
            問題は能力の限界ではなく、執念の欠如である。
第5代 稲山 嘉寛 新日本製鐵会長 1980年5月23日~1986年5月28日
第6代 斎藤 英四郎 新日本製鐵会長 1986年5月28日~1990年12月21日
            今日失敗しても明日に明るさを求める。
            人の欠点より長所を見る。
            その方が人生楽しいじゃないですか。
第7代 平岩 外四 東京電力会長 1990年12月21日~1994年5月27日
            決断の条件は、小心、大胆、細心。
            組織が人を動かす企業は活力を失い衰退していく。
            人が組織を動かす企業は発展成長する 。
第8代 豊田 章一郎 トヨタ自動車会長1994年5月27日~1998年5月26日
第9代 今井 敬 新日本製鐵社長 1998年5月26日~2002年5月28日

日本経団連 歴代会長

初代 奥田 碩 トヨタ自動車 2002年5月~2006年5月
二代 御手洗 冨士夫 キヤノン社長 2006年5月~2010年