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社会福祉の思想は次第に成熟されつつあった。しかし、いつのまにか時は崩壊へと逆行しはじめた。

修正 特定秘密保護法の全文(前半)

2013年12月14日 02時36分21秒 | Weblog

 ◆特定秘密の保護に関する法律

12月 6日に成立した特定秘密保護法の全文は次の通り。(【】内が衆院での主な修正箇所)

目次

第一章 総則(第一条・第二条)

第二章 特定秘密の指定等(第三条―第五条)

第三章 特定秘密の提供(第六条―第十条)

第四章 特定秘密の取扱者の制限(第十一条)

第五章 適性評価(第十二条―第十七条)

第六章 雑則(第十八条―第二十二条)

第七章 罰則(第二十三条―第二十七条)

附則

第一章 総則

(目的)

第一条 この法律は、国際情勢の複雑化に伴い我が国及び国民の安全の確保に係る情報の重要性が増大するとともに、高度情報通信ネットワーク社会の発展に伴いその漏えいの危険性が懸念される中で、我が国の安全保障【(国 の存立に関わる外部からの侵略等に対して国家及び国民の安全を保障することをいう。以下同じ。)】に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるものに ついて、これを適確に保護する体制を確立した上で収集し、整理し、及び活用することが重要であることに鑑み、当該情報の保護に関し、特定秘密の指定及び取 扱者の制限その他の必要な事項を定めることにより、その漏えいの防止を図り、もって我が国及び国民の安全の確保に資することを目的とする。

(定義)

第二条 この法律において「行政機関」とは、次に掲げる機関をいう。

一 法律の規定に基づき内閣に置かれる機関(内閣府を除く。)及び内閣の所轄の下に置かれる機関

二 内閣府宮内庁並びに内閣府設置法(平成十一年法律第八十九号)第四十九条第一項及び第二項に規定する機関(これらの機関のうち、国家公安委員会にあっては警察庁を、第四号の政令で定める機関が置かれる機関にあっては当該政令で定める機関を除く。)

三 国家行政組織法(昭和二十三年法律第百二十号)第三条第二項に規定する機関(第五号の政令で定める機関が置かれる機関にあっては、当該政令で定める機関を除く。)

四 内閣府設置法第三十九条及び第五十五条並びに宮内庁法(昭和二十二年法律第七十号)第十六条第二項の機関並びに内閣府設置法第四十条及び第五十六条(宮内庁法第十八条第一項において準用する場合を含む。)の特別の機関で、警察庁その他政令で定めるもの

五 国家行政組織法第八条の二の施設等機関及び同法第八条の三の特別の機関で、政令で定めるもの

六 会計検査院

第二章 特定秘密の指定等

(特定秘密の指定)

第三条 行政機関の長(当該行政機関が合議制の機関である場合にあっては当該行政機関をいい、前条第四号及び第五号の政令で定める機関(合議制の機 関を除く。)にあってはその機関ごとに政令で定める者をいう。第十一条第一号を除き、以下同じ。)は、当該行政機関の所掌事務に係る別表に掲げる事項に関 する情報であって、公になっていないもののうち、その漏えいが我が国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるもの(日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法(昭和二十九年法律第百六十六号)第一条第三項に規定する特別防衛秘密に該当するものを除く。)を特定秘密として指定するものとする。【ただし、内閣総理大臣が第十八条第二項に規定する者の意見を聴いて政令で定める行政機関の長については、この限りでない。】

2 行政機関の長は、前項の規定による指定(附則第五条を除き、以下単に「指定」という。)をしたときは、政令で定めるところにより指定に関する記 録を作成するとともに、当該指定に係る特定秘密の範囲を明らかにするため、特定秘密である情報について、次の各号のいずれかに掲げる措置を講ずるものとす る。

一 政令で定めるところにより、特定秘密である情報を記録する文書、図画、電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録をいう。以下この号において同じ。)若しくは物件又は当該情報を化体する物件に特定秘密の表示(電磁的記録にあっては、当該表示の記録を含む。)をすること。

二 特定秘密である情報の性質上前号に掲げる措置によることが困難である場合において、政令で定めるところにより、当該情報が前項の規定の適用を受ける旨を当該情報を取り扱う者に通知すること。

3 行政機関の長は、特定秘密である情報について前項第二号に掲げる措置を講じた場合において、当該情報について同項第一号に掲げる措置を講ずることができることとなったときは、直ちに当該措置を講ずるものとする。

(指定の有効期間及び解除)

第四条 行政機関の長は、指定をするときは、当該指定の日から起算して五年を超えない範囲内においてその有効期間を定めるものとする。

2 行政機関の長は、指定の有効期間(この項の規定により延長した有効期間を含む。)が満了する時において、当該指定をした情報が前条第一項に規定する要件を満たすときは、政令で定めるところにより、五年を超えない範囲内においてその有効期間を延長するものとする。

3 指定の有効期間は、通じて三十年を超えることができない。

4 前項の規定にかかわらず、政府の有するその諸活動を国民に説明する責務を全うする観点に立っても、なお指定に係る情報を公にしないことが現に我 が国及び国民の安全を確保するためにやむを得ないものであることについて、その理由を示して、内閣の承認を得た場合(行政機関が会計検査院であるときを除く。)は、行政機関の長は、当該指定の有効期間を、通じて三十年を超えて延長することができる。【ただし、次の各号に掲げる事項に関する情報を除き、指定の有効期間は、通じて六十年を超えることができない。

一 武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物(船舶を含む。別表第一号において同じ。)

二 現に行われている外国(本邦の域外にある国又は地域をいう。以下同じ。)の政府又は国際機関との交渉に不利益を及ぼすおそれのある情報

三 情報収集活動の手法又は能力

四 人的情報源に関する情報

五 暗号

六 外国の政府又は国際機関から六十年を超えて指定を行うことを条件に提供された情報

七 前各号に掲げる事項に関する情報に準ずるもので政令で定める重要な情報】

【5 行政機関の長は、前項の内閣の承認を得ようとする場合においては、当該指定に係る特定秘密の保護に関し必要なものとして政令で定める措置を講じた上で、内閣に当該特定秘密を提示することができる。】

【6 行政機関の長は、第四項の内閣の承認が得られなかったときは、公文書等の管理に関する法律(平成二十一年法律第六十六号)第八条第一項の規定にかかわらず、当該指定に係る情報が記録された行政文書ファイル等(同法第五条第五項に規定する行政文書ファイル等をいう。)の保存期間の満了とともに、これを国立公文書館等(同法第二条第三項に規定する国立公文書館等をいう。)に移管しなければならない。】

7 行政機関の長は、指定をした情報が前条第一項に規定する要件を欠くに至ったときは、有効期間内であっても、政令で定めるところにより、速やかにその指定を解除するものとする。

(特定秘密の保護措置)

第五条 行政機関の長は、指定をしたときは、第三条第二項に規定する措置のほか、第十一条の規定により特定秘密の取扱いの業務を行うことができるこ ととされる者のうちから、当該行政機関において当該指定に係る特定秘密の取扱いの業務を行わせる職員の範囲を定めることその他の当該特定秘密の保護に関し 必要なものとして政令で定める措置を講ずるものとする。

2 警察庁長官は、指定をした場合において、当該指定に係る特定秘密(第七条第一項の規定により提供するものを除く。)で都道府県警察が保有するものがあるときは、当該都道府県警察に対し当該指定をした旨を通知するものとする。

3 前項の場合において、警察庁長官は、都道府県警察が保有する特定秘密の取扱いの業務を行わせる職員の範囲その他の当該都道府県警察による当該特定秘密の保護に関し必要なものとして政令で定める事項について、当該都道府県警察に指示するものとする。この場合において、当該都道府県警察の警視総監又は道府県警察本部長(以下「警察本部長」という。)は、当該指示に従い、当該特定秘密の適切な保護のために必要な措置を講じ、及びその職員に当該特定秘密の取扱いの業務を行わせるものとする。

4 行政機関の長は、指定をした場合において、その所掌事務のうち別表に掲げる事項に係るものを遂行するために特段の必要があると認めたときは、物 件の製造又は役務の提供を業とする者で、特定秘密の保護のために必要な施設設備を設置していることその他政令で定める基準に適合するもの(以下「適合事業 者」という。)との契約に基づき、当該適合事業者に対し、当該指定をした旨を通知した上で、当該指定に係る特定秘密(第八条第一項の規定により提供するも のを除く。)を保有させることができる。

5 前項の契約には、第十一条の規定により特定秘密の取扱いの業務を行うことができることとされる者のうちから、同項の規定により特定秘密を保有す る適合事業者が指名して当該特定秘密の取扱いの業務を行わせる代表者、代理人、使用人その他の従業者(以下単に「従業者」という。)の範囲その他の当該適 合事業者による当該特定秘密の保護に関し必要なものとして政令で定める事項について定めるものとする。

6 第四項の規定により特定秘密を保有する適合事業者は、同項の契約に従い、当該特定秘密の適切な保護のために必要な措置を講じ、及びその従業者に当該特定秘密の取扱いの業務を行わせるものとする。

第三章 特定秘密の提供

(我が国の安全保障上の必要による特定秘密の提供)

第六条 特定秘密を保有する行政機関の長は、他の行政機関が我が国の安全保障に 関する事務のうち別表に掲げる事項に係るものを遂行するために当該特定秘密を利用する必要があると認めたときは、当該他の行政機関に当該特定秘密を提供す ることができる。ただし、当該特定秘密を保有する行政機関以外の行政機関の長が当該特定秘密について指定をしているとき(当該特定秘密が、この項の規定に より当該保有する行政機関の長から提供されたものである場合を除く。)は、当該指定をしている行政機関の長の同意を得なければならない。

2 前項の規定により他の行政機関に特定秘密を提供する行政機関の長は、当該特定秘密の取扱いの業務を行わせる職員の範囲その他の当該他の行政機関 による当該特定秘密の保護に関し必要なものとして政令で定める事項について、あらかじめ、当該他の行政機関の長と協議するものとする。

3 第一項の規定により特定秘密の提供を受ける他の行政機関の長は、前項の規定による協議に従い、当該特定秘密の適切な保護のために必要な措置を講じ、及びその職員に当該特定秘密の取扱いの業務を行わせるものとする。

第七条 警察庁長官は、警察庁が保有する特定秘密について、その所掌事務のうち別表に掲げる事項に係るものを遂行するために都道府県警察にこれを利用させる必要があると認めたときは、当該都道府県警察に当該特定秘密を提供することができる。

2 前項の規定により都道府県警察に特定秘密を提供する場合については、第五条第三項の規定を準用する。

3 警察庁長官は、警察本部長に対し、当該都道府県警察が保有する特定秘密で第五条第二項の規定による通知に係るものの提供を求めることができる。

第八条 特定秘密を保有する行政機関の長は、その所掌事務のうち別表に掲げる事項に係るものを遂行するために、適合事業者に当該特定秘密を利用させ る特段の必要があると認めたときは、当該適合事業者との契約に基づき、当該適合事業者に当該特定秘密を提供することができる。ただし、当該特定秘密を保有 する行政機関以外の行政機関の長が当該特定秘密について指定をしているとき(当該特定秘密が、第六条第一項の規定により当該保有する行政機関の長から提供 されたものである場合を除く。)は、当該指定をしている行政機関の長の同意を得なければならない。

2 前項の契約については第五条第五項の規定を、前項の規定により特定秘密の提供を受ける適合事業者については同条第六項の規定を、それぞれ準用す る。この場合において、同条第五項中「前項」とあるのは「第八条第一項」と、「を保有する」とあるのは「の提供を受ける」と読み替えるものとする。

3 第五条第四項の規定により適合事業者に特定秘密を保有させている行政機関の長は、同項の契約に基づき、当該適合事業者に対し、当該特定秘密の提供を求めることができる。

第九条 特定秘密を保有する行政機関の長は、その所掌事務のうち別表に掲げる事項に係るものを遂行するために必要があると認めたときは、外国の政府又は国際機関で あって、この法律の規定により行政機関が当該特定秘密を保護するために講ずることとされる措置に相当する措置を講じているものに当該特定秘密を提供するこ とができる。ただし、当該特定秘密を保有する行政機関以外の行政機関の長が当該特定秘密について指定をしているとき(当該特定秘密が、第六条第一項の規定 により当該保有する行政機関の長から提供されたものである場合を除く。)は、当該指定をしている行政機関の長の同意を得なければならない。

(その他公益上の必要による特定秘密の提供)

第十条 第四条第五項、第六条から前条まで及び第十八条第四項後段に規定するもののほか、行政機関の長は、次に掲げる場合に限り、特定秘密を提供するものとする。

一 特定秘密の提供を受ける者が次に掲げる業務又は公益上特に必要があると認められるこれらに準ずる業務において当該特定秘密を利用する場合(次号 から第四号までに掲げる場合を除く。)であって、当該特定秘密を利用し、又は知る者の範囲を制限すること、当該業務以外に当該特定秘密が利用されないよう にすることその他の当該特定秘密を利用し、又は知る者がこれを保護するために必要なものとして、イに掲げる業務にあっては附則第十条の規定に基づいて国会 において定める措置、イに掲げる業務以外の業務にあっては政令で定める措置を講じ、かつ、我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないと認めたとき。

イ 各議院又は各議院の委員会若しくは参議院の調査会が国会法(昭和二十二年法律第七十九号)第百四条第一項(同法第五十四条の四第一項において準用する場合を含む。)又は議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律(昭和二十二年法律第二百二十五号)第一条の規定により行う審査又は調査であって、国会法第五十二条第二項(同法第五十四条の四第一項において準用する場合を含む。)又は第六十二条の規定により公開しないこととされたもの

ロ 刑事事件の捜査又は公訴の維持であって、刑事訴訟法(昭 和二十三年法律第百三十一号)第三百十六条の二十七第一項(同条第三項及び同法第三百十六条の二十八第二項において準用する場合を含む。)の規定により裁 判所に提示する場合のほか、当該捜査又は公訴の維持に必要な業務に従事する者以外の者に当該特定秘密を提供することがないと認められるもの

二 民事訴訟法(平成八年法律第百九号)第二百二十三条第六項の規定により裁判所に提示する場合

三 情報公開個人情報保護審査会設置法(平成十五年法律第六十号)第九条第一項の規定により情報公開個人情報保護審査会に提示する場合

四 会計検査院法(昭和二十二年法律第七十三号)第十九条の四において読み替えて準用する情報公開個人情報保護審査会設置法第九条第一項の規定により会計検査院情報公開個人情報保護審査会に提示する場合

2 警察本部長は、第七条第三項の規定による求めに応じて警察庁に提供する場合のほか、前項第一号に掲げる場合(当該警察本部長が提供しようとする特定秘密が同号ロに掲げる業務において利用するものとして提供を受けたものである場合以外の場合にあっては、同号に規定する我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないと認めることについて、警察庁長官の同意を得た場合に限る。)、同項第二号に掲げる場合又は都道府県の保有する情報の公開を請求する住民等の権利について定める当該都道府県の条例(当該条例の規定による諮問に応じて審議を行う都道府県の機関の設置について定める都道府県の条例を含む。)の規定で情報公開個人情報保護審査会設置法第九条第一項の規定に相当するものにより当該機関に提示する場合に限り、特定秘密を提供することができる。

3 適合事業者は、第八条第三項の規定による求めに応じて行政機関に提供する場合のほか、第一項第一号に掲げる場合(同号に規定する我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないと認めることについて、当該適合事業者が提供しようとする特定秘密について指定をした行政機関の長の同意を得た場合に限る。)又は同項第二号若しくは第三号に掲げる場合に限り、特定秘密を提供することができる。

第四章 特定秘密の取扱者の制限

第十一条 特定秘密の取扱いの業務は、当該業務を行わせる行政機関の長若しくは当該業務を行わせる適合事業者に当該特定秘密を保有させ、若しくは提供する行政機関の長又は当該業務を行わせる警察本部長 が直近に実施した次条第一項又は第十五条第一項の適性評価(第十三条第一項(第十五条第二項において準用する場合を含む。)の規定による通知があった日か ら五年を経過していないものに限る。)において特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者(次条第一項第三号又は第十 五条第一項第三号に掲げる者として次条第三項又は第十五条第二項において読み替えて準用する次条第三項の規定による告知があった者を除く。)でなければ、 行ってはならない。ただし、次に掲げる者については、次条第一項又は第十五条第一項の適性評価を受けることを要しない。

一 行政機関の長

二 国務大臣(前号に掲げる者を除く。)

三 内閣官房副長官

四 内閣総理大臣補佐官

五 副大臣

六 大臣政務官

七 前各号に掲げるもののほか、職務の特性その他の事情を勘案し、次条第一項又は第十五条第一項の適性評価を受けることなく特定秘密の取扱いの業務を行うことができるものとして政令で定める者

第五章 適性評価

(行政機関の長による適性評価の実施)

第十二条 行政機関の長は、政令で定めるところにより、次に掲げる者について、その者が特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないことについての評価(以下「適性評価」という。)を実施するものとする。

一 当該行政機関の職員(当該行政機関が警察庁である場合にあっては、警察本部長 を含む。次号において同じ。)又は当該行政機関との第五条第四項若しくは第八条第一項の契約(次号において単に「契約」という。)に基づき特定秘密を保有 し、若しくは特定秘密の提供を受ける適合事業者の従業者として特定秘密の取扱いの業務を新たに行うことが見込まれることとなった者(当該行政機関の長がそ の者について直近に実施して次条第一項の規定による通知をした日から五年を経過していない適性評価において、特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを 漏らすおそれがないと認められた者であって、引き続き当該おそれがないと認められるものを除く。)

二 当該行政機関の職員又は当該行政機関との契約に基づき特定秘密を保有し、若しくは特定秘密の提供を受ける適合事業者の従業者として、特定秘密の 取扱いの業務を現に行い、かつ、当該行政機関の長がその者について直近に実施した適性評価に係る次条第一項の規定による通知があった日から五年を経過した 日以後特定秘密の取扱いの業務を引き続き行うことが見込まれる者

三 当該行政機関の長が直近に実施した適性評価において特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者であって、引き続き当該おそれがないと認めることについて疑いを生じさせる事情があるもの

2 適性評価は、適性評価の対象となる者(以下「評価対象者」という。)について、次に掲げる事項についての調査を行い、その結果に基づき実施するものとする。

一 特定有害活動(公になっていない情報のうちその漏えいが我が国の安全保障に支障を与えるおそれがあるものを取得するための活動、核兵器、 軍用の化学製剤若しくは細菌製剤若しくはこれらの散布のための装置若しくはこれらを運搬することができるロケット若しくは無人航空機又はこれらの開発、製 造、使用若しくは貯蔵のために用いられるおそれが特に大きいと認められる物を輸出し、又は輸入するための活動その他の活動であって、外国の利益を図る目的 で行われ、かつ、我が国及び国民の安全を著しく害し、又は害するおそれのあるものをいう。別表第三号において同じ。)及びテロリズム(政 治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊 するための活動をいう。同表第四号において同じ。)との関係に関する事項(評価対象者の家族(配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の 事情にある者を含む。以下この号において同じ。)、父母、子及び兄弟姉妹並びにこれらの者以外の配偶者の父母及び子をいう。以下この号において同じ。)及 び同居人(家族を除く。)の氏名、生年月日、国籍(過去に有していた国籍を含む。)及び住所を含む。)

二 犯罪及び懲戒の経歴に関する事項

三 情報の取扱いに係る非違の経歴に関する事項

四 薬物の濫用及び影響に関する事項

五 精神疾患に関する事項

六 飲酒についての節度に関する事項

七 信用状態その他の経済的な状況に関する事項

3 適性評価は、あらかじめ、政令で定めるところにより、次に掲げる事項を評価対象者に対し告知した上で、その同意を得て実施するものとする。

一 前項各号に掲げる事項について調査を行う旨

二 前項の調査を行うため必要な範囲内において、次項の規定により質問させ、若しくは資料の提出を求めさせ、又は照会して報告を求めることがある旨

三 評価対象者が第一項第三号に掲げる者であるときは、その旨

4 行政機関の長は、第二項の調査を行うため必要な範囲内において、当該行政機関の職員に評価対象者若しくは評価対象者の知人その他の関係者に質問 させ、若しくは評価対象者に対し資料の提出を求めさせ、又は公務所若しくは公私の団体に照会して必要な事項の報告を求めることができる。

(適性評価の結果等の通知)

第十三条 行政機関の長は、適性評価を実施したときは、その結果を評価対象者に対し通知するものとする。

2 行政機関の長は、適合事業者の従業者について適性評価を実施したときはその結果を、当該従業者が前条第三項の同意をしなかったことにより適性評価が実施されなかったときはその旨を、それぞれ当該適合事業者に対し通知するものとする。

3 前項の規定による通知を受けた適合事業者は、当該評価対象者が当該適合事業者の指揮命令の下に労働する派遣労働者(労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律(昭和六十年法律第八十八号)第二条第二号に規定する派遣労働者をいう。第十六条第二項において同じ。)であるときは、当該通知の内容を当該評価対象者を雇用する事業主に対し通知するものとする。

4 行政機関の長は、第一項の規定により評価対象者に対し特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められなかった旨を通 知するときは、適性評価の円滑な実施の確保を妨げない範囲内において、当該おそれがないと認められなかった理由を通知するものとする。ただし、当該評価対 象者があらかじめ当該理由の通知を希望しない旨を申し出た場合は、この限りでない。

(行政機関の長に対する苦情の申出等)

第十四条 評価対象者は、前条第一項の規定により通知された適性評価の結果その他当該評価対象者について実施された適性評価について、書面で、行政機関の長に対し、苦情の申出をすることができる。

2 行政機関の長は、前項の苦情の申出を受けたときは、これを誠実に処理し、処理の結果を苦情の申出をした者に通知するものとする。

3 評価対象者は、第一項の苦情の申出をしたことを理由として、不利益な取扱いを受けない。

警察本部長による適性評価の実施等)

第十五条 警察本部長は、政令で定めるところにより、次に掲げる者について、適性評価を実施するものとする。

一 当該都道府県警察の職員(警察本部長を除く。次号において同じ。)として特定秘密の取扱いの業務を新たに行うことが見込まれることとなった者(当該警察本部長 がその者について直近に実施して次項において準用する第十三条第一項の規定による通知をした日から五年を経過していない適性評価において、特定秘密の取扱 いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者であって、引き続き当該おそれがないと認められるものを除く。)

二 当該都道府県警察の職員として、特定秘密の取扱いの業務を現に行い、かつ、当該警察本部長がその者について直近に実施した適性評価に係る次項において準用する第十三条第一項の規定による通知があった日から五年を経過した日以後特定秘密の取扱いの業務を引き続き行うことが見込まれる者

三 当該警察本部長が直近に実施した適性評価において特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者であって、引き続き当該おそれがないと認めることについて疑いを生じさせる事情があるもの

2 前三条(第十二条第一項並びに第十三条第二項及び第三項を除く。)の規定は、前項の規定により警察本部長が実施する適性評価について準用する。この場合において、第十二条第三項第三号中「第一項第三号」とあるのは、「第十五条第一項第三号」と読み替えるものとする。

(適性評価に関する個人情報の利用及び提供の制限)

第十六条 行政機関の長及び警察本部長 は、特定秘密の保護以外の目的のために、評価対象者が第十二条第三項(前条第二項において読み替えて準用する場合を含む。)の同意をしなかったこと、評価 対象者についての適性評価の結果その他適性評価の実施に当たって取得する個人情報(生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日 その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるもの を含む。)をいう。以下この項において同じ。)を自ら利用し、又は提供してはならない。ただし、適性評価の実施によって、当該個人情報に係る特定の個人が国家公務員法(昭和二十二年法律第百二十号)第三十八条各号、同法第七十五条第二項に規定する人事院規則の定める事由、同法第七十八条各号、第七十九条各号若しくは第八十二条第一項各号、検察庁法(昭和二十二年法律第六十一号)第二十条各号、外務公務員法(昭和二十七年法律第四十一号)第七条第一項に規定する者、自衛隊法(昭和二十九年法律第百六十五号)第三十八条第一項各号、第四十二条各号、第四十三条各号若しくは第四十六条第一項各号、同法第四十八条第一項に規定する場合若しくは同条第二項各号若しくは第三項各号若しくは地方公務員法(昭和二十五年法律第二百六十一号)第十六条各号、第二十八条第一項各号若しくは第二項各号若しくは第二十九条第一項各号又はこれらに準ずるものとして政令で定める事由のいずれかに該当する疑いが生じたときは、この限りでない。

2 適合事業者及び適合事業者の指揮命令の下に労働する派遣労働者を雇用する事業主は、特定秘密の保護以外の目的のために、第十三条第二項又は第三項の規定により通知された内容を自ら利用し、又は提供してはならない。

(権限又は事務の委任)

第十七条 行政機関の長は、政令(内閣の所轄の下に置かれる機関及び会計検査院にあっては、当該機関の命令)で定めるところにより、この章に定める権限又は事務を当該行政機関の職員に委任することができる。

 


特定秘密保護法の全文(後半)

2013年12月14日 02時31分57秒 | Weblog

 

第六章 雑則

(特定秘密の指定等の運用基準等)

第十八条 政府は、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施に関し、統一的な運用を図るための基準を定めるものとする。

2 【内閣総理大臣は、】前項の基準を定め、又はこれを変更しようとするときは、我が国の安全保障に関する情報の保護、行政機関等の保有する情報の公開、公文書等の管理等に関し優れた識見を有する者の意見を【聴いた上で、その案を作成し、閣議の決定を求めなければならない。】

【3 内閣総理大臣は、毎年、第一項の基準に基づく特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の状況を前項に規定する者に報告し、その意見を聴かなければならない。】

【4 内閣総理大臣は、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の状況に関し、その適正を確保するため、第一項の基準に基づいて、内閣を代 表して行政各部を指揮監督するものとする。この場合において、内閣総理大臣は、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施が当該基準に従って行われ ていることを確保するため、必要があると認めるときは、行政機関の長(会計検査院を除く。)に対し、特定秘密である情報を含む資料の提出及び説明を求め、並びに特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施について改善すべき旨の指示をすることができる。】

(国会への報告等)

【第十九条 政府は、毎年、前条第三項の意見を付して、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の状況について国会に報告するとともに、公表するものとする。】

(関係行政機関の協力)

第二十条 関係行政機関の長は、特定秘密の指定、適性評価の実施その他この法律の規定により講ずることとされる措置に関し、我が国の安全保障に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるものの漏えいを防止するため、相互に協力するものとする。

(政令への委任)

第二十一条 この法律に定めるもののほか、この法律の実施のための手続その他この法律の施行に関し必要な事項は、政令で定める。

(この法律の解釈適用)

第二十二条 この法律の適用に当たっては、これを拡張して解釈して、国民の基本的人権を不当に侵害するようなことがあってはならず、国民の知る権利の保障に資する報道又は取材の自由に十分に配慮しなければならない。

2 出版又は報道の業務に従事する者の取材行為については、専ら公益を図る目的を有し、かつ、法令違反又は著しく不当な方法によるものと認められない限りは、これを正当な業務による行為とするものとする。

第七章 罰則

第二十三条 特定秘密の取扱いの業務に従事する者がその業務により知得した特定秘密を漏らしたときは、十年以下の懲役に処し、又は情状により十年以下の懲役及び千万円以下の罰金に処する。特定秘密の取扱いの業務に従事しなくなった後においても、同様とする。

2 第四条第五項、第九条、第十条又は第十八条第四項後段の規定により提供された特定秘密について、当該提供の目的である業務により当該特定秘密を 知得した者がこれを漏らしたときは、五年以下の懲役に処し、又は情状により五年以下の懲役及び五百万円以下の罰金に処する。第十条第一項第一号ロに規定す る場合において提示された特定秘密について、当該特定秘密の提示を受けた者がこれを漏らしたときも、同様とする。

3 前二項の罪の未遂は、罰する。

4 過失により第一項の罪を犯した者は、二年以下の禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。

5 過失により第二項の罪を犯した者は、一年以下の禁錮又は三十万円以下の罰金に処する。

第二十四条 【外国の利益若しくは自己の不正の利益を図り、又は我が国の安全若しくは国民の生命若しくは身体を害すべき用途に供する目的で、】人を欺き、人に暴行を加え、若しくは人を脅迫する行為により、又は財物の窃取若しくは損壊、施設への侵入、有線電気通信の傍受、不正アクセス行為(不正アクセス行為の禁止等に関する法律(平成十一年法律第百二十八号)第二条第四項に規定する不正アクセス行為をいう。)その他の特定秘密を保有する者の管理を害する行為により、特定秘密を取得した者は、十年以下の懲役に処し、又は情状により十年以下の懲役及び千万円以下の罰金に処する。

2 前項の罪の未遂は、罰する。

3 前二項の規定は、刑法(明治四十年法律第四十五号)その他の罰則の適用を妨げない。

第二十五条 第二十三条第一項又は前条第一項に規定する行為の遂行を共謀し、教唆し、又は煽動した者は、五年以下の懲役に処する。

2 第二十三条第二項に規定する行為の遂行を共謀し、教唆し、又は煽動した者は、三年以下の懲役に処する。

第二十六条 第二十三条第三項若しくは第二十四条第二項の罪を犯した者又は前条の罪を犯した者のうち第二十三条第一項若しくは第二項若しくは第二十四条第一項に規定する行為の遂行を共謀したものが自首したときは、その刑を軽減し、又は免除する。

第二十七条 第二十三条の罪は、日本国外において同条の罪を犯した者にも適用する。

2 第二十四条及び第二十五条の罪は、刑法第二条の例に従う。

附則

(施行期日)

第一条 この法律は、公布の日から起算して一年を超えない範囲内において政令で定める日から施行する。ただし、第十八条第一項及び第二項(変更に係る部分を除く。)並びに附則第九条及び第十条の規定は、公布の日から施行する。

(経過措置)

第二条 この法律の公布の日から起算して二年を超えない範囲内において政令で定める日の前日までの間においては、第五条第一項及び第五項(第八条第 二項において読み替えて準用する場合を含む。以下この条において同じ。)の規定の適用については、第五条第一項中「第十一条の規定により特定秘密の取扱い の業務を行うことができることとされる者のうちから、当該行政機関」とあるのは「当該行政機関」と、同条第五項中「第十一条の規定により特定秘密の取扱い の業務を行うことができることとされる者のうちから、同項の」とあるのは「同項の」とし、第十一条の規定は、適用しない。

(施行後五年を経過した日の翌日以後の行政機関)

第三条 この法律の施行の日(以下「施行日」という。)から起算して五年を経過した日の翌日以後における第二条の規定の適用については、同条中「掲 げる機関」とあるのは、「掲げる機関(この法律の施行の日以後同日から起算して五年を経過する日までの間、次条第一項の規定により指定された特定秘密(附 則第五条の規定により防衛大臣が特定秘密として指定をした情報とみなされる場合における防衛秘密を 含む。以下この条において単に「特定秘密」という。)を保有したことがない機関として政令で定めるもの(その請求に基づき、内閣総理大臣が第十八条第二項 に規定する者の意見を聴いて、同日後特定秘密を保有する必要が新たに生じた機関として政令で定めるものを除く。)を除く。)」とする。

自衛隊法の一部改正)

第四条 自衛隊法の一部を次のように改正する。

目次中「自衛隊の権限等(第八十七条―第九十六条の二)」を「自衛隊の権限(第八十七条―第九十六条)」に、「第百二十六条」を「第百二十五条」に改める。

第七章の章名を次のように改める。

第七章自衛隊の権限

第九十六条の二を削る。

第百二十二条を削る。

第百二十三条第一項中「一に」を「いずれかに」に、「禁こ」を「禁錮」に改め、同項第五号中「めいていして」を「酩酊して」に改め、同条第二項中「ほう助」を「幇助」に、「せん動した」を「煽動した」に改め、同条を第百二十二条とする。

第百二十四条を第百二十三条とし、第百二十五条を第百二十四条とし、第百二十六条を第百二十五条とする。

別表第四を削る。

自衛隊法の一部改正に伴う経過措置)

第五条 次条後段に規定する場合を除き、施行日の前日において前条の規定による改正前の自衛隊法(以下この条及び次条において「旧自衛隊法」という。)第九十六条の二第一項の規定により防衛大臣防衛秘密として指定していた事項は、施行日において第三条第一項の規定により防衛大臣が特定秘密として指定をした情報と、施行日前に防衛大臣が当該防衛秘密として指定していた事項について旧自衛隊法第九十六条の二第二項第一号の規定により付した標記又は同項第二号の規定によりした通知は、施行日において防衛大臣が当該特定秘密について第三条第二項第一号の規定によりした表示又は同項第二号の規定によりした通知とみなす。この場合において、第四条第一項中「指定をするときは、当該指定の日」とあるのは、「この法律の施行の日以後遅滞なく、同日」とする。

第六条 施行日前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による。旧自衛隊法第百二十二条第一項に規定する防衛秘密を取り扱うことを業務とする者であって施行日前に防衛秘密を取り扱うことを業務としなくなったものが、その業務により知得した当該防衛秘密に関し、施行日以後にした行為についても、同様とする。

内閣法の一部改正)

第七条 内閣法(昭和二十二年法律第五号)の一部を次のように改正する。

第十七条第二項第一号中「及び内閣広報官」を「並びに内閣広報官及び内閣情報官」に改める。

第二十条第二項中「助け、」の下に「第十二条第二項第二号から第五号までに掲げる事務のうち特定秘密(特定秘密の保護に関する法律(平成二十五年法 律第 号)第三条第一項に規定する特定秘密をいう。)の保護に関するもの(内閣広報官の所掌に属するものを除く。)及び」を加える。

(政令への委任)

第八条 附則第二条、第三条、第五条及び第六条に規定するもののほか、この法律の施行に関し必要な経過措置は、政令で定める。

(指定及び解除の適正の確保)

【第九条 政府は、行政機関の長による特定秘密の指定及びその解除に関する基準等が真に安全保障に資するものであるかどうかを独立した公正な立場において検証し、及び監察することのできる新たな機関の設置その他の特定秘密の指定及びその解除の適正を確保するために必要な方策について検討し、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする。】

(国会に対する特定秘密の提供及び国会におけるその保護措置の在り方)

【第十条 国会に対する特定秘密の提供については、政府は、国会が国権の最高機関であり各議院がその会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定める権能を有することを定める日本国憲法及びこれに基づく国会法等の精神にのっとり、この法律を運用するものとし、特定秘密の提供を受ける国会におけるその保護に関する方策については、国会において、検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。】

別表(第三条、第五条―第九条関係)

一 防衛に関する事項

イ 自衛隊の運用又はこれに関する見積り若しくは計画若しくは研究

ロ 防衛に関し収集した電波情報、画像情報その他の重要な情報

ハ ロに掲げる情報の収集整理又はその能力

ニ 防衛力の整備に関する見積り若しくは計画又は研究

ホ 武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物の種類又は数量

ヘ 防衛の用に供する通信網の構成又は通信の方法

ト 防衛の用に供する暗号

チ 武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物又はこれらの物の研究開発段階のものの仕様、性能又は使用方法

リ 武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物又はこれらの物の研究開発段階のものの製作、検査、修理又は試験の方法

ヌ 防衛の用に供する施設の設計、性能又は内部の用途(ヘに掲げるものを除く。)

二 外交に関する事項

イ 外国の政府又は国際機関との交渉又は協力の方針又は内容のうち、国民の生命及び身体の保護、領域の保全その他の安全保障に関する重要なもの

ロ 安全保障のために我が国が実施する貨物の輸出若しくは輸入の禁止その他の措置又はその方針(第一号イ若しくはニ、第三号イ又は第四号イに掲げるものを除く。)

ハ 安全保障に関し収集した【国民の生命及び身体の保護、領域の保全若しくは国際社会の平和と安全に関する重要な情報】又は条約その他の国際約束に基づき保護することが必要な情報(第一号ロ、第三号ロ又は第四号ロに掲げるものを除く。)

ニ ハに掲げる情報の収集整理又はその能力

ホ 外務省本省と在外公館との間の通信その他の外交の用に供する暗号

三 特定有害活動の防止に関する事項

イ 特定有害活動による被害の発生若しくは拡大の防止(以下この号において「特定有害活動の防止」という。)のための措置又はこれに関する計画若しくは研究

ロ 特定有害活動の防止に関し収集した【国民の生命及び身体の保護に関する重要な情報】又は外国の政府若しくは国際機関からの情報

ハ ロに掲げる情報の収集整理又はその能力

ニ 特定有害活動の防止の用に供する暗号

四 テロリズムの防止に関する事項

イ テロリズムによる被害の発生若しくは拡大の防止(以下この号において「テロリズムの防止」という。)のための措置又はこれに関する計画若しくは研究

ロ テロリズムの防止に関し収集した【国民の生命及び身体の保護に関する重要な情報】又は外国の政府若しくは国際機関からの情報

ハ ロに掲げる情報の収集整理又はその能力

ニ テロリズムの防止の用に供する暗号


東京新聞  【特集・連載】 岐路に立つ憲法。その60年余を見つめ直します 第1部 50年代の攻防 

2013年12月13日 20時27分34秒 | Weblog

 

 

第1部 50年代の攻防<1> 平和の願い 改憲阻む

(2013年4月19日)

 今夏の参院選の結果次第で、現実味を帯びる憲法改正。施行以来初の改憲となれば、国のありようを大きく変える可能性がある。岐路を前に考えたい。 私たちの社会は、なぜ六十年余の間、憲法を変えないという選択をしてきたのか。第一部では、改憲論が最初に台頭した一九五〇年代に、その源流をたどる。

 空襲を逃れた東京・新宿の古い平屋の一室に、歴戦の女性活動家らが集った。五五年春、日本婦人有権者同盟の会合。初めて参加した本尾良(りょう)(82)=市川房枝記念会・前理事長=は結核の闘病を終え、上京したばかりだった。

 議題に上がったのは、女性を縛りつける家制度を復活させようとする憲法改正案。「国防の義務」「夫婦親子を中心とする血族的共同体を保護尊重」(自由党憲法調査会)など復古的な草案を政党や学者団体が発表していた。

 「反対集会をやろう」。にらみつけるような一同の真剣なまなざしに、本尾は「女性が差別され、選挙権もない時代に戻してはいけない」との思いを強くした。

 翌五六年春、札幌市の劇場で、自民党の中曽根康弘(94)と社会党の勝間田清一の講演会が開かれた。高校生だった保阪正康(73)=ノンフィク ション作家=は学校を休んで友人と出かけた。若手論客の弁舌の巧みさに驚きながらも、漠然と危機感を覚えた。「憲法が変わって軍隊ができれば、徴兵され る」

 同じ頃、中曽根作詞の「憲法改正の歌」の発表会が東京・有楽町の宝塚劇場で開かれている。「平和民主の名の下に/占領憲法強制し/祖国の解体計り たり」。映画スターや歌手も出演し、超満員。中曽根は、当時の首相だった鳩山一郎邸で開かれた前夜祭の一コマを紹介。鳩山は「涙で詰まって二番が歌えな かった。戦争に負けて悔しいから」と漏らしたという。

    ◇

 「米国の押しつけではない独自の憲法を」という改憲論が台頭したのは、連合国の占領が解かれた五二年前後。中心は、鳩山ら連合国軍総司令部(GHQ)に一度は公職を追放された保守政治家だった。

 世論も賛否が拮抗(きっこう)する中で行われた五六年七月の参院選。前年の衆院選に続き、憲法改正を阻止できる三分の一の議席を、革新勢力がぎりぎりで確保した。「憲法改悪反対」を旗印にした社会党の作戦が当たった。

 党本部の部長だった曽我祐次(87)は「本当は党内でも意見が割れていた。三分の一を取れなかったら、分裂して改憲に流れた勢力もあっただろう」と打ち明ける。

 自民党幹事長の岸信介は敗北を認め、「よく国民に理解させた上で民意を問う」と早急な改正を断念。日本の再軍備を求めた米国でも「憲法改正見込みなし」「非友好的な空気」と報道された。

 本尾はその時のことをうっすらと覚えている。「うちは夫の家族が宝塚の空襲で亡くなり、平和への思いが強かった。家族で喜びあったような記憶があります」 =敬称略

(この企画は樋口薫、大平樹が担当します)

◆2013年の窓

 昨年衆院選で自民、日本維新の会など改憲勢力が三分の二以上の議席を確保。維新の党綱領は「絶対平和という非現実的な共同幻想を押しつけた元凶で ある占領憲法を大幅に改正」とする。安倍晋三首相は衆参両院で三分の二以上の賛成が必要な改憲発議の要件を、過半数に緩和する九六条改正を目指す。

 高見勝利・上智大教授(憲法)は「改正手続き自体を変えるというのは、憲法学的には想定外で、一種のクーデター」と指摘する。

 憲法にまつわる体験談や思い、この企画へのご意見をお寄せください。Eメールはshakai@tokyo-np.co.jp 手紙は〒100 8505(住所不要)東京新聞社会部憲法取材班。ファクスは03(3595)6917

 

第1部 50年代の攻防<2> 判決に教わった9条

(2013年4月20日)

 一メートルほどの高さの柵を倒し、学生たちが米軍立川基地(旧東京都砂川町、現立川市)内になだれ込んだ。警官隊は、有刺鉄線を広げて待ち受け る。大学生だった島田清作(74)=元立川市議=は、後続のデモ隊に押され後戻りできない恐怖の中で、足で押し返した有刺鉄線の硬さを覚えている。一九五 七年七月八日のことだった。

 

 五五年、基地の拡張が公表され、土地を奪われる農民に、学生や労組が合流。警官隊と衝突を繰り返した。島田は兵庫県西宮市出身。小学生のときに、空襲で街が廃虚になる姿を目の当たりにした。「基地拡張は戦争をするということ」という思いがあった。

 

 大学生だった榎本信行(78)=弁護士=は近所だったので、好奇心で出かけた。炊き出しをする農家の女性から「憲法に軍隊はだめだと書いてある。米軍基地もだめだろう」と話しかけられた。

 

    ◇

 

 「日本の非武装化は誤りだった」。五三年十一月、来日したニクソン米副大統領=当時(40)=は日米協会主催の昼食会で演説し、軍事協力を呼び掛 けた。平和憲法を求めた米国が、自国の軍事費を削減しつつ共産主義勢力と対抗するため、方針転換したことがあからさまとなった。

 

 「米国に押しつけられた憲法」と改正を訴えた政治家の論調に、ねじれも生じた。五四年三月の自由党憲法調査会初会合で、鳩山一郎は「(改憲で)冷却しつつあるアメリカとの関係をふたたび旧に復することができる」とあいさつ。七月には自衛隊が発足した。

 

 砂川闘争は、その日米関係にくさびを打ちかねない司法判断をもたらす。刑事特別法違反罪で起訴された学生ら七人に、東京地裁は五九年三月、無罪判決を言い渡した。米軍駐留を憲法九条違反と指摘。伊達秋雄裁判長の名から「伊達判決」と呼ばれる。

 

 伊達とともに判決に臨んだ裁判官、松本一郎(82)=独協大名誉教授=は、憲法公布直後は「米国に押しつけられた」と反感を抱いていたという。任 官して学ぶにつれ、戦力不保持をうたう九条を「成立の経緯はどうあれ、大切にしないといけない」と思うようになる。米ソ冷戦に日本が巻き込まれることも心 配だった。「改憲派の言い分は米国べったりで日本がステイツ(州)の一つになりかかっていると感じていた」

 

 伊達との議論は「駐留米軍が日本の戦力と言えるかどうか」が中心だった。当時、憲法違反の判例はほとんどない。「僕の前に道はない」という高村光太郎の詩の一節を思い浮かべながら原案を書いた。法廷で判決を読み上げる伊達は胸に辞表を忍ばせていた。

 

 検察は、高裁を飛び越えて最高裁に上告。結局、最高裁は伊達判決を破棄。差し戻し審で有罪が確定したが、九条の存在感は増す。弁護団事務局長内藤 功(82)は「憲法をちゃんと使えば平和は守れるんだ」と感じ入り、イラク派兵など自衛隊の合憲性を問う訴訟に身を投じる契機になった。

 

 デモの先頭にいた島田は、新聞で伊達判決を知る。交渉が進む日米安保条約改正のことで頭がいっぱいの時だった。「憲法とはこういうことを決めているのかと、判決が気付かせてくれた」 =敬称略

 

◆2013年の窓

 

 政府は自衛隊の海外活動を次々に増やす一方、憲法が禁じた「戦力」ではないとの立場を取り続ける。一九九〇年代から海外派遣を開始。二〇〇三年成 立のイラク特措法で、戦闘が続く外国領土にも初めて派遣した。安倍晋三首相は今年二月、憲法解釈で禁じられた集団的自衛権の行使容認に向けた有識者会議を 再開した。

 

 砂川訴訟では、最高裁判決前に米大使が田中耕太郎最高裁長官から越権的に情報収集していた事実が近年、米公文書から判明している。

 

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第1部 50年代の攻防<3> 大衆の熱気 経済へ

(2013年4月21日)

 一九六〇年六月。首相官邸は「安保反対」を叫ぶデモによって、幾重にも取り囲まれていた。時の首相、岸信介から至急の呼び出しを受けた郵政相の植 竹春彦は、レインコート姿で夜の闇に紛れ、裏口から執務室に入った。「NHKを守れ」。それが岸の指令だった。「デモ隊に占拠され、革命放送を流されたら 大変だ」

 

 清原淳平(80)=新しい憲法をつくる国民会議会長=は岸の晩年、「私は死を覚悟したことが三回ある。東条英機内閣打倒の時と戦犯として巣鴨プリズンにいた時、そして安保の時だ」と胸中を打ち明けられた。

 

 首相が革命や死を意識するほど、高まりを見せた安保闘争。五月に日米新安保条約が国会で強行採決され、衆院を通過したことで、若者を中心に「民主主義の破壊だ」「米国の戦争に日本が巻き込まれる」と反発が広がった。

 

 当時、十八歳だった須藤瑛子(ようこ)(71)は、勤め先からの帰りにデモを見学した。米陸軍基地のある神奈川県座間市に住み、再軍備には反感が あった。「ヘルメットをかぶった若者があちこちで警官と衝突し、怖くて近づけなかった。でも、心の中では『もっとやれ』と応援していた」

 

 条約の自然成立を控えた六月十八日の深夜には、三十万人ともいわれる人波が国会周辺を埋め尽くした。社会党本部職員で、デモ隊に指示を出していた 大下勝正(86)=元東京都町田市長=は「必死で抑えようとしたが、収拾がつかない。ラジオで自然成立の報が入っても、皆『徹底してやれ』『殴り込みだ』 と叫んでいた」と語る。

 

 混乱の責任を取り、岸は新安保条約の発効後に退陣。岸に二十回以上のインタビューを重ねた国際政治学者、原彬久(よしひさ)(73)=東京国際大名誉教授=は「日本の独立の完成という志が半ばに終わったことを、最後まで悔やんでいた」と証言する。

 

 原によると、岸にとっての「独立の完成」は改憲で海外派兵を可能にし、米国と対等な立場で相互防衛条約を結ぶことだった。それは「戦争が終わったばかりなのになぜ」(須藤)という若者の気持ちとは大きく食い違っていた。

 

 デモの群衆の熱気には別のまなざしも向けられていた。ノンフィクション作家の保阪正康(73)は後年に安保闘争の取材をした際、岸の後に首相と なった池田勇人の秘書官、伊藤昌哉がこう話したのを覚えている。「このエネルギーを経済に向けたら、日本はすごい国になると思った」。次世代の保守は改憲 を封印する。

 

 その後の経済成長を、国民も謳歌(おうか)した。憲法がうたう平和の重みを、須藤が考えるようになったのは還暦を過ぎてからだ。地元の反基地活動 への参加がきっかけだった。原発も基地も「迷惑するのは次の世代」と考え、現在は毎週、官邸前での脱原発デモに足を運ぶ。「安保のデモは熱気こそすごかっ たけど一気に収束した。子や孫のために、息長く声を上げ続けたい」 =敬称略

 

◆2013年の窓

 

 一九六〇年に締結された新安保条約は、現在に至るまで改定されず、効力を保っている。日本と中国が対立する尖閣諸島について、米政府は「条約の適 用対象」と繰り返し表明。安倍晋三首相は、今年二月の施政方針演説で「安保体制には抑止力という大切な公共財がある」と強調した。

 

 一方、一度は忘れられた改憲論が再び盛り上がったのは、日本の経済が行き詰まり始めた九〇年代。渡辺治一橋大名誉教授(政治・憲法)は「憲法改正は、社会の不安や危機の時に論じられてきた。五〇年代は坂を上る前の不安、現在は下り坂の不安だ」と指摘する。

 

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第1部 50年代の攻防<4> 学者の気骨 政府の「調査会」に対抗

 (2013年4月23日)

 

 「日本一忙しいホール」と言われた東京・後楽園駅近くの文京公会堂は、約二千人の定員が毎年ぎっしりと埋まった。学者による護憲団体「憲法問題研 究会」が、憲法記念日に開く講演会。中央大の法学生だった高見勝利(68)=上智大教授=も、一九六四年の入学から四年間通い詰めた。

 「民法の父」と呼ばれた我妻栄(わがつまさかえ)、多くの憲法学者を育成した宮沢俊義ら法学の大御所から、政治、経済、文学、理系まで。当代きっ ての知識人が結集した。憲法学の道に進んだ高見は「当時は知識人が社会をリードする最後の時代。きら星のように輝いて見えた」と振り返る。

    ◇

 研究会が対抗したのが、岸信介内閣が五七年に設置した議員と学識者による「憲法調査会」だった。改憲に必要な議席の獲得に失敗した保守勢力は調査会に改憲案を出させ、地固めを図ろうとした。

 そのもくろみは出だしからつまずいた。社会党とともに護憲派の大物法学者らがこぞって不参加を表明。焦った岸は、東大で首席を競った旧知の我妻に、調査会入りを頼んだ。だが「政府の人選では望む研究ができない」と固辞された。

 我妻らの研究会で書記を務めた憲法学者池田政章(87)=立教大名誉教授=によると、毎月の勉強会では政府の調査会の動向を気にかけ、改正案が出た時に備え、九条が集中討議された。

 最も熱を帯びたのは、六〇年の安保改定の時。会として抗議行動をすることに慎重な意見も出たが、政治学者の丸山真男が「戦争までの学者のあり方を 考え、社会にそれを生かそう」と熱弁を振るい、声明を出した。池田は「戦争を止められなかった自責の念が、会を突き動かしていた。運命共同体のような感じ があった」と証言する。

 政府の調査会の報告書が出たのは六四年七月。賛否両論を併記し、結論は出さなかった。会長の法学者高柳賢三は「改憲派の多い偏った構成で多数決を取っても、世間の物笑いになるだけ」と説明。「研究会の無形の圧力を感じていたはず」と池田は推し量る。

 安保闘争の手痛い教訓を経て、首相池田勇人は「憲法改正は考えない」と明言していた。高柳は「九条は政治的宣言であり、自衛隊などの問題は社会の実情に照らし、政策的に判断するべきだ」と提唱。その後の政権が選択した「解釈改憲」路線を支えることになる。

 改憲派は失望した。調査会の資料作りに加わった小林昭三(86)=早稲田大名誉教授=は、報告書が発表された時の心境を「玉音放送の時に近い」と明かす。「改憲の世論喚起のために作られた調査会が、改憲派の息の根を止めた。こんな皮肉はない」

    ◇

 憲法学者小林直樹(91)=東大名誉教授=は、五〇年代の論争を「改憲派と護憲派の対立がクリアで、生々しい時代だった」と振り返る。学徒動員も 経験した研究者の目には今の状況が「危険」に映る。「緊張関係が後退し、何となく憲法が変えられようとしている。もっともっと議論があってしかるべきだ」

  =敬称略、おわり

 (この企画は樋口薫、大平樹が担当しました)

◆2013年の窓

 政府の憲法調査会は二〇〇〇年、約四十年ぶりに、衆参両院に設置された。〇五年四月の衆院調査会の報告書では、九条改正を多数意見として打ち出し、現在は後継の憲法審査会が活動している。学識者は参加せず、全委員が国会議員。

 一九五〇年代の調査会設置時の国会討論を著作にまとめた、ノンフィクション作家保阪正康さんは「憲法は『戦争はこりごり』という当時の空気を代弁している。史実を検証し、戦争体験者の感情を理解することが、改憲を論じるための資格だ」と語る。

 <憲法問題研究会> 1958年、経済学者の大内兵衛、法学者の我妻栄、ノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹らが呼びかけ、一線級の学者約50人で 結成した。関東と関西に分かれ、76年の解散まで毎月の勉強会と年1回の講演会を開催。月刊誌「世界」などで成果を発表し、当時の知識層や学生らに影響を 与えた。主な会員は政治学の南原繁、丸山真男、歴史学の家永三郎、文学の中野好夫、竹内好、哲学の久野収ら。既に全員死亡している。

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東京新聞 【特集・連載】岐路に立つ憲法。その60年余を見つめ直します 第5部 不戦のとりで / 番外編

2013年12月12日 03時00分38秒 | Weblog

 

第5部 不戦のとりで<上> 特高のキリスト教弾圧

2013年8月24日

 第二次大戦中、私の家庭は常に特別高等警察の監視下にありました。それは家庭がキリスト教徒であったからです。(中略)現憲法によって、信教の自由はもっとも基本的な権利として大切にされています

 本紙の憲法取材班に手紙を寄せた踊哲郎(おどりてつろう)さん(80)は、東京都練馬区の老人ホームにいた。傍らには、使い込んだ聖書と日本国憲法があった。

 宣教師フランシスコ・ザビエルが日本に初めてキリスト教を伝えた地とされる、鹿児島県伊集院町(現日置市)で育った。一九三〇年、町で最初のキリスト教会を麦野七右衛門(しちえもん)牧師が開き、踊さんの父末治(すえはる)さんは最初の信徒になった。

 特別高等警察(特高)の警察官は、踊さんの印鑑店兼自宅に、客を装って訪れた。天皇批判をしたり、スパイをかくまったりしていないかを疑っていた。家の中での会話も盗聴されるおそれがあり、家族は声をひそめて話した。

 毎週日曜の礼拝も見張られた。麦野牧師が平和の大切さを説こうとすると「中止!」と叫んで説教を止めた。

 日本国憲法は二〇条で「信教の自由」を保障している。しかし、戦前の大日本帝国憲法下では「安寧秩序を妨げず及臣民たるの義務に背かざる限に於 (おい)て」との限定付きだった。天皇を中心とする国家神道を、国民の求心力として利用しながら、政府は戦争へ突入していく。天皇以外を神と信じるキリス ト教は弾圧の対象だった。

   ■  ■  

 伊集院町で麦野牧師が開いた教会は現在、孫達一(たついち)さん(44)に受け継がれている。

 教会は戦争末期、軍に接収され司令部として使われた。祈りの場が戦いの拠点とされることは、何よりの宗教弾圧だった。一九九二年に亡くなった麦野 牧師は生前、戦時中のことを多くは語らなかった。ただ、昭和天皇が崩御した八九年の礼拝で「キリストと天皇のどちらがえらいか、と責め立てられた」と説教 で振り返った、との記録が残る。

 達一さんは「あなたの隣人を、あなた自身を愛するように愛しなさい」という聖書の言葉を「弱者のために自分に何ができるか考えること。憲法の理念 と共通する」と解説する。県内で宗教を超えて、平和を願う集いを開いている。「この国が二度と戦争を起こさないようにしなければ」と話す。

   ■  ■  

 「恐れなく自分の考えを語っていくことこそが大切。社会の不正義と戦うことは苦しいことだけど、生きている人の特権だ」。戦時中に受けた抑圧から、踊さんの信念は培われた。

 戦後、牧師になった踊さんは佐賀県に移り、貧しい人の生活支援などに取り組んだ。七〇年代にはキリスト教系私立高校の聖書科教師になったが、学校 側から生徒のベトナム戦争への反対デモを止めるように求められると「平和のためなら叫んでいい」とデモの先頭に立ち、職を辞した。

 体調を崩し、親族の住まいに近いホームで暮らす今、大学ノートに憲法を書き写す日々を送る。「この自由を守らにゃいかん。絶対に変えちゃいかん」 (大平樹)

     ◇

 憲法について強い思いが込められた手紙が、戦争体験者やその家族から取材班に寄せられている。終戦の月の八月、手紙の主らを訪ねた。

 <特別高等警察> 1910年代に当時の内務省が、社会主義者や共産主義者などを監視する目的で各府県警に設置した。25年の治安維持法制定により、取り締まりを強化した。その厳しさを批判する小説を書いた作家小林多喜二は、特高警官による拷問で死亡した。

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第5部 不戦のとりで<中>軍国主義教えた国民学校

2013年8月25日

 「子どもたちに命の大切さを教えられなかった。それが一番悔やまれる」。広島市の中心部にあった大手町国民学校の元教員藤川信子さん(88)=埼 玉県三郷(みさと)市=は、セピア色の写真に目を落とした。担任していた二年生のクラス写真を見ると、今も涙があふれてくる。緊張した面持ちの子どもたち の三分の一ほどが原爆で命を失った。

 一九四三年春、女学校を出て十七歳で教員に。歴代天皇の名前の暗記や、わら人形を竹やりで突く訓練など軍国主義的な授業を、当たり前にしか思わなかった。子どもたちには「米兵が来たらやっつけるんだよ」と話すこともあった。

 それでも、違和感を覚える場面はあった。教員を集めて行われた修身の研究授業で、「神様って本当にいるんですか」と聞いた女の子が、職員会議で 「危ない子だ」と糾弾されるのを聞き、背筋が凍る思いがした。神話の授業の指導書には「子どもたちに疑問を持たせぬよう教えること」と書かれていた。

 四五年三月に退職。家族の都合で転居した高松で八月、広島に新型爆弾が落ちたと聞いた。爆心地から約一キロの大手町校は全壊。疎開せず残っていた 数十人が犠牲になった。校庭での朝礼中、整列したまま爆死したとの目撃談もあった。姉のように慕っていた先輩教員も亡くなった。

 終戦後、先輩の初盆を前に、長い手紙を書いた。「今度こそだまされぬ、正しい精神を持って、世界の人々から愛される国民にならなければ」

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 天皇に尽くす「皇国民」の錬成を目的とした国民学校は四一年から、戦後の四七年までの六年間設置された。従来の小学校よりも愛国心教育の色合いが強まり、修身や国語、国史などが国民科として再編された。児童は「少国民」と呼ばれ、教科書で日本は「神の国」と表記された。

 「私たちは一度も『小学校』に通ったことがない」と、本紙の憲法取材班に手紙を寄せたのは、東京都世田谷区の元学校職員高岡岑郷(しんごう)さん(79)。六年間を国民学校で過ごした唯一の学年だ。

 日露戦争で連合艦隊を率いた東郷平八郎と、その側近で後に海軍大臣となった大角岑生(みねお)から一文字ずつとって名付けられた高岡さんは、海軍に入ることを夢見る少国民だった。「戦争に行って死ぬ、それだけをたたき込まれた」

 その価値観が、終戦でひっくり返った。新制中学校に進み、新しい憲法を学んだ時のことを、鮮烈に覚えている。「戦争放棄の文字がまぶしかった」。 自分たちのような教育を子どもたちが二度と受けることがないようにと、定年後の九九年、同級生らと「国民学校一年生の会」をつくり、平和憲法を守る活動を 続けている。

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 藤川さんも、男女平等や平和主義が盛り込まれた憲法を歓喜して受け入れた。結婚して移り住んだ山口県の周防(すおう)大島で、二人の娘を産むとすぐ教員に復帰。憲法の授業になると、あの時代には戻すまいと熱意がこもった。

 憲法を変えようとする勢力が増えたことに危機感を抱き、高岡さんらの国民学校の会に参加。小中学生に戦争体験を話す活動も始めた。「私は戦時中、 子どもを戦争に送ることに疑問を持てなかった。だから今は、おかしいと思うことに声を上げたい」。それは、国民学校の教え子たちへの罪ほろぼしでもある。  (樋口薫)

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第5部 不戦のとりで<下>権力、国家とは何か

2013年8月26日

 何もかも燃えて黒一色となった街。道路に赤い遺体が横たわる。胸に焼きついていた六十八年前の光景を、中嶋彌平(やへい)さん(89)=横浜市= は今春、一枚の水彩画にした。自宅で営むギャラリーで憲法記念日周辺に開催している「憲法を書き展示する会」に出品するためだ。

 東京大空襲があった翌日の一九四五年三月十一日。夜学で化学を学びながら、東京都江東区越中島の陸軍糧秣本廠(りょうまつほんしょう)(兵隊の食 糧などを取り扱う部署)研究科に勤めていた中嶋さんは、学徒動員で来ていた女学生たちの安否を確認するため、墨田区に自転車で向かう。描いたのは、最初に 見た死体。北に進むにつれ被害はひどくなり、道路の黒こげの死体の間を擦り抜けるようにハンドルを操った。改憲が取りざたされる今、展示会で伝えたかった のは「戦争」だった。

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 戦後、神奈川県の高校教員になった後も、化学一筋だった中嶋さんに転機が訪れたのは六〇年。当時、教員に勤務評価を持ち込む国の方針をめぐり、全 国で教育委員会と教員労組の対立が激化し「勤評闘争」と呼ばれた。県教委が実施した組合幹部らの人事異動に、「ノンポリ」(政治的思想のない)の中嶋さん も巻き込まれた。活発に活動していた教員と交換の形で、自宅から遠い高校への異動を命じられた。

 中嶋さんを含む七人が不当人事として県人事委員会に提訴。争いは二十年近く続いた。

 権力や国家とは一体何なのか。縁のなかった人文科学の書籍にも手が伸びた。やがて、民の側から権力をしばる憲法に関心が向いた。

 八五年、前文を毛筆で書くなど、憲法を作品にすることを始めた。作品を募って、展示会を始めたのは三年前。「憲法について話そうとしても人々は乗ってこない。書けば頭に残るかもしれない」。方言で憲法を書いてくる人もいれば、絵を寄せる人もいる。

 「大正生まれの父が長年温めてきた企画展です」。娘の真弓さん(58)は、本紙の憲法取材班に寄せたメールに、そうつづった。

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 権力を持つものと持たざるものでは、戦争の意味合いも違う。「戦争の時に苦労した、というけど全部の人が苦労したわけではない」。中嶋さんが通っ ていた陸軍糧秣本廠には調理師養成所があり、三月の大空襲で焼けるまで、朝と昼に白米のご飯が食べられた。「自慢しているんじゃない。恥じるべき話として 言っている。もっと権力がある人はあらゆる面で困っていなかったはずだ」

 本来、兵隊の栄養補給のあり方などの研究が目的だった研究科では、毒物の研究なども手掛けていた。戦後、研究科の人たちと再会した際、小麦の病気 の一つ、赤さび病菌を風船爆弾に載せ、米国本土を汚染する作戦があったことを知った。菌の培養を命じられた研究者は、赤土をフライパンでいって外見を菌に 似せ、提出したという。「陸軍は『できません』が言えない組織だった。そんなことをしていて戦争に勝てるはずがない」

 異議を唱えられない社会は危うく、もろい。国防軍を創設する改憲の動きなど「戦前」のにおいを感じることも増えた。「今を五十年後の人が振り返ったときに、愚かだったと言われない選択をしなければ。歴史に学ぶとは、そういうことです」 (早川由紀美)

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番外編 司法 独立してこそ

2013年11月10日

 一九五九年、「米軍駐留は憲法九条違反」として、旧東京都砂川町(現立川市)の基地闘争で逮捕された学生らを無罪にした東京地裁の「伊達判決」。 元被告の土屋源太郎(79)=静岡市=は十月中旬、判決を伊達秋雄裁判長(故人)とともに書いた元裁判官、松本一郎(82)を訪ねた。近年、判決を破棄し た最高裁長官が事前に米国側と接触したことが判明。五十四年ぶりの対面は、戦争放棄や司法の独立という憲法の理念を再確認する場となった。 (大平樹)

 「はじめまして、だか、ごぶさたしてますだか。あの時はお世話になりました」。東京都北区の松本宅で、土屋が頭を下げた。砂川闘争でドキュメンタ リー映画を撮った監督の仲介で実現した対面。法廷外で被告と会うのは初めてという松本は「申し訳ないような気もするが、無罪判決だからいいでしょう」と 笑って応じた。

 「改憲派の言い分は米国べったりで日本がステイツ(州)の一つになりかかっていると感じていた」。本紙連載「憲法と、」(四月二十日付)で、判決当時を振り返った松本。この日も伊達が胸に辞表を忍ばせていたことなど判決に至る経緯を約一時間にわたって土屋に伝えた。

 最高裁で有罪が確定後、働き始めた土屋は、元被告だということは胸にしまって生きてきた。基地問題も時折、集会に呼ばれれば顔を出す程度だった。

 しかし二〇〇八年以降、複数の米公文書から、当時最高裁長官だった故田中耕太郎が、米大使側に判決の見通しを伝えていた事実が明らかになった。

 その時の衝撃を、切々と語りかけた。「このまま黙って放置したら、伊達判決の意義までなくしてしまうと思った」「憲法は、国民の人権を守り、権力 を規制するもののはず」。司法の独立が憲法で保障されているのは、時の政権にも物を言えるよう、政治判断からの影響を排除するためだ。なのに、自分たちの 有罪判決が、米国への配慮で導き出されたのだとしたら-。

 〇九年、元被告の仲間らと「伊達判決を生かす会」を結成。田中長官の行動記録などを開示するよう関係省庁に求めているが、回答期限が延長されてい るものもあり、今のところ目立った成果はない。最高裁にも、裁判官の行動倫理を定めたガイドラインがあるのか開示を求めている。

 国会で審議が始まった特定秘密保護法案。成立したら、こうした情報が開示されないどころか、事実を解明しようとするだけで罰せられる可能性もあると懸念する。「そんな法律は絶対、成立させてはならない」

 土屋の話を黙って聞いていた松本は、再び伊達判決に注目が集まっていることについて「死んだ子が目覚めたようだ」と話した。

 最高裁が全員一致で伊達判決を破棄したことに絶望し、数年後に職を辞した松本。半世紀たって明るみに出た裏のからくりに憤っている。「事前に判決を漏らすなんて、裁判官として考えられない。田中さんは裁判官ではなく政治家だった」

 松本との対談を終えた土屋は「今後の運動に励ましをもらった」と意を新たにしている。「米側の意向をくんで判決を出すなんて、二度と繰り返してはいけないことだ。そのためにも真実を明らかにしなければ」 =敬称略

<伊達判決> 1957年に東京都砂川町の米軍基地内に無断で立ち入ったとして、刑事特別法違反の罪に問われた土屋ら7人全員に、米軍基地が憲法9 条に違反するとして、伊達秋雄裁判長が無罪を言い渡した一審判決。検察側の跳躍上告を受けた最高裁は「日米安保条約は高度な政治性を有し」ていることか ら、司法審査の対象外として地裁に差し戻し、土屋らは罰金2000円の刑を受けた。米側の公文書によると、田中長官は公判直前に米大使館のレンハート首席 公使と会い、全員一致で伊達判決破棄を目指すことなどを伝えていた。

 
 

 

 

 


東京新聞 【特集・連載】  第4部 9条の21世紀

2013年12月12日 02時56分17秒 | Weblog

第4部 9条の21世紀<1> 言葉のマジック「非戦闘地域」

2013年6月29日

 イラク戦争、支持-。二〇〇二年末、防衛省の理論的支柱であるシンクタンク「防衛研究所」内の結論は固まりつつあった。米大統領のブッシュはその年の初め、イラクや北朝鮮を大量破壊兵器を保有するテロ国家と非難。開戦は秒読み段階に入っていた。

 毎週のように開かれる研究会。所長の柳沢協二(66)をはじめ、戦争支持の「空気」が大勢を占め、米国の先制攻撃がどのような理論で正当化できるかに議論は集中した。

 主任研究官だった植木千可子=現早稲田大大学院教授=は、反対の論陣を張り続けた。「イラク戦争は、米国の目標とされた国が核武装に走る動機を強める。米国の正統性が失われ、影響力は低下する恐れがある」

 懸念は、後にすべて現実となる。

     ■

 〇三年三月、米国は国連決議のないまま、イラクを攻撃。仏独などが非難する中、首相の小泉純一郎は直ちに支持を表明した。

 植木の手元には、当時議論のたたき台として作ったメモが残る。「日米同盟は、あくまでも国益を守るための手段であって、国益(目的)ではない」。 しかし「米国に異を唱えるのは現実的でない、という雰囲気だった」。七月、人道復興支援を名目に自衛隊を派遣するためのイラク特措法が成立する。

 一九九一年の湾岸戦争でのペルシャ湾に始まった自衛隊の海外派遣。米国に目に見える協力を求められる中、政府は憲法九条とぎりぎりの整合性がとれ る枠組みをひねり出すことで、アフガニスタン戦争でのインド洋派遣など、活動範囲を広げた。イラクへの地上部隊派遣を可能にしたのは、「非戦闘地域」とい う言葉だった。

 「内閣の施策を実現するため、インド洋でも用いられた法的スキーム(枠組み)。だが実際に戦闘が続く国で適用するので、本当にうまくいくのか、厳 しい試験を受けている思いだった」。政府の行為が憲法に沿っているかを判断する内閣法制局で当時次長を務め、後に長官となる阪田雅裕(69)は振り返る。

 防衛研所長から内閣官房副長官補となり、官邸で自衛隊派遣を統括した柳沢には「魔法の言葉」だった。心中には、湾岸戦争で日本が百三十億ドルを拠 出しながら、他国に「小切手外交」とやゆされた苦い経験が刻まれていた。イラク派遣は名誉挽回の機会ととらえた。「外圧に従ったのではなく、自らの意思で 突き進んだ。いかに米国しか見ていなかったか」

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 国際貢献の名の下、戦争に協力する母国を「ペシャワール会」の医師中村哲(66)は苦々しく見つめてきた。パキスタン、アフガンで約三十年間、医療や用水路建設に携わる。砂漠化が進むアフガンで、戦争の疲弊は飢餓をより深刻にした。

 自衛隊のイラク派遣後、活動用車両から日の丸を取り外した。軍事に頼らない日本の戦後復興を、現地の誰もが知り、かつては好感を持たれていた。米国を支援する今、日の丸はテロの標的だ。

 それでも中村は、戦地アフガンにとどまる。「活動できるのは、日本の軍人が戦闘に参加しないから。九条はまだ辛うじて力を放ち、自分を守ってくれている」

   ■  ■

 米中枢同時テロで始まった二十一世紀。試練にさらされる九条と向き合う人々を追った。 =敬称略

 (この企画は、樋口薫、大平樹が担当します)

 <非戦闘地域> 国または国に準ずる組織の間の戦闘行為が行われておらず、一定期間中も行われないと認められる地域。99年に成立した周辺事態法 で、自衛隊が活動できる「後方地域」として定められ、イラク特措法に引き継がれた。定義があいまいとして国会で議論になり、小泉純一郎首相は04年11 月、「自衛隊のいるところが非戦闘地域」と答弁した。

 
 

第4部 9条の21世紀<2> 政界去った戦争体験世代

2013年6月30日

 一九九四年九月、社民党の前身である社会党は真っ二つに割れた。新政治方針を決める臨時党大会。「自衛隊合憲」「日米安保堅持」「原発容認」。従 来路線の大幅転換が、党から約半世紀ぶりに誕生した首相村山富市の発言に沿う形で提示された。沖縄など反対する県本部は修正を求めていた。

 「修正したら村山政権は持たない」。幹部の発言に、反対派をたき付けた党政策審議会の河野道夫(71)は憤った。「自民と交渉もせず、何をおびえ ている」。結局、予想以上の大差で原案が可決。河野は「野党から責められる村山が気の毒、という同情論にやられた」とうめいた。

 改称した社民党からは、旧民主党に半数の議員が流出。九六年の総選挙で、議席数は十五にまで落ち込んだ。かつての野党第一党の凋落(ちょうらく)を、村山の首相秘書官も務めた河野は「党大会が分水嶺(れい)。護憲政党としてのアイデンティティーを失った」と悔やむ。

    ■

 二〇〇三年七月、戦地イラクに自衛隊を派遣するための特措法が、国会で議論されていた。自民党元幹事長の古賀誠(72)は、ハト派の重鎮、野中広務とともに衆院での法案の採決を棄権した。

 湾岸戦争以降、次々と自衛隊が海外へ派遣される現状に、危機感を抱いていた。「たとえ小さな穴でも、一つあけば広がっていく。先の戦争の時もそうだった。きちんとした歯止めが必要」。それが、太平洋戦争で父を亡くした古賀の政治哲学だった。

 護憲政党が力を失う中、自民の重しとなったのが、戦争を体験した世代の議員だった。だが、その思いとは裏腹に、自民、民主の二大政党は改憲に向け歩調を合わせていく。

 〇五年には、約四十年ぶりに設置された憲法調査会が五年間の活動を終え、報告書を提出。改憲手続きに必要な国民投票法案の成立に向け、両党と公明 の三党担当者は毎週のように議論を重ねた。〇七年、「私の内閣で憲法改正を目指したい」という首相安倍晋三の発言が民主の反発を招くまで、蜜月関係は続い た。

 昨年末、安倍が首相に返り咲き、改憲論は再び勢いを増す。古賀や野中らハト派の多くは政界を去った。〇七年まで自民の憲法調査会長だった船田元 (59)は、三年余の自らの落選期間の間に、憲法への自民の姿勢が「乱暴になった」と懸念している。「われわれの考えを憲法に書き込めばいい、という欲求 が高まってきた」

    ■

 社民党職員を退職した河野はイラクに自衛隊が派遣された〇三年、国際法を学ぶため渡英した。九条が空洞化するのは、国連が機能せず、日米安保に頼らざるを得ないからだと、長年の経験で痛感した。「ならば国連憲章を抜本改革できないか」

 英語の習得から始め、足かけ六年で、資料の豊富なスコットランドの大学の修士課程を終えた。帰国後、勉強会を立ち上げ、なお国際法の研究を続ける。

 一年半前には、住まいを沖縄に移した。基地負担を強いられる人々の「怒り」を共有するためだ。「世界情勢に合わせ改憲するのでなく、国際社会の秩序を九条に近づけたい」。高すぎる理想のために、怒りのエネルギーが必要と信じている。 (敬称略)

 

第4部 9条の21世紀<3> グローバル化 揺れる企業

2013年7月2日

 「ホルムズ海峡のタンカーはほとんど日本向けだ。日本は何もしないのか」。イラクがクウェートに侵攻した一九九〇年、ニューヨークでセミナーに参 加していた高坂節三(77)は昼食中、米ボーイング社の部長に意見を求められ、返答に詰まった。当時、商社大手の伊藤忠アメリカの副社長。中東産の原油は 日本経済の生命線だが、自衛隊の海外派遣の前例はなかった。

 「『日本は九条があるから何もやりません。でも、鉄鉱石や石炭はほしいです』って(言えば)、何を言ってるんだとなる」。米国のイラク攻撃直後の二〇〇三年四月、経済同友会は高坂が調査会委員長となり、集団的自衛権の行使容認などを求める意見書を発表した。

 経済のグローバル化が進み、日本企業は人件費の安い途上国に進出し、生産拠点を置くようになった。国内市場が縮む中で海外に活路を求める動きも加速する。九条を変えることを求める経済界の意見も強くなった。〇五年には経団連と日本商工会議所も、同様の意見書を出す。

    ◇

 一方で、グローバル化は国内を空洞化させ、雇用は厳しさを増す。

 二階建てアパートの郵便受けにささったチラシが風に揺れる。シャープ亀山工場(三重県亀山市)近くの山あいに並ぶ六棟計約百室のうち、入居してい るのは数室だけ。「今じゃどこもこんなもの」。地元で派遣労働者の相談に応じるユニオンみえ書記長の広岡法浄(60)は、吐き捨てた。

 亀山工場は、県と市が補助金を出して誘致し、〇四年に稼働を始めた。生産された液晶テレビは「世界の亀山モデル」ともてはやされた。価格競争の激 化、〇八年のリーマン・ショック…。十年とたたない間にグローバル経済の波にのまれ、生産量は落ち込んだ。広岡は「景気が良い時にかき集められた大量の労 働者は、一斉に派遣切りに遭った」と話す。空き家のアパートは、その名残だ。

 相談に訪れた人々にはまず、労働者の団結権を保障する憲法二八条を説明するという。実際には企業側の圧力でつぶされた労働組合もあるが「憲法が権利を保障していることは最後の歯止めになっている」と感じる。

 九条にも同じことを思う。「戦争をしない権利を国民に保障している。歯止めがなくなってしまえば、派遣労働者が企業に使い捨てられたように、弱い人たちが戦争へかり出されるのではないか」

    ◇

 高坂と同じ元商社マンでも、憲法に違う思いを抱く人たちがいる。〇六年に設立された「商社九条の会」世話人の一人、橋本建八郎(74)は「戦後、 商社活動ができたのは九条があったから」と話す。橋本の主な取引先だったアジア諸国は第二次世界大戦の戦地。不戦を掲げた九条がなければ、被害をもたらし た日本の企業は相手にされず、経済復興はなかったと感じている。

 これまで二十回を超す講演会や学習会を開いて護憲の重要性を訴えてきた。「商社は平和産業だ、という気概で仕事をしてきた。ビジネスのために九条を変えるという論理は理解できない」 (敬称略)

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第4部 9条の21世紀<4> ネット世論 改憲後押し

2013年7月3日

 「なぜ、ここまで批判されるのか」。二〇〇四年四月、イラク人質事件で武装勢力から解放され、帰国した写真家の郡山総一郎(41)は、驚きを通り 越してあきれた。危険な地に自ら向かった被害者が悪い、という「自己責任論」の嵐が吹き荒れていた。ネット掲示板「2ちゃんねる」は、中傷の書き込みで埋 め尽くされた。

 イラク戦争の実態を撮影するための、二回目の入国だった。大量破壊兵器が発見されず、戦争の大義が問われる中、武装勢力は自衛隊の撤退を求めていた。「なぜ自分がイラクに行き、なぜ誘拐されたかを考えた人がどれほどいたのか。国の言う自己責任は責任転嫁でしかない」

    ◇

 「ネトウヨ(ネット右翼)」を自称するライター森鷹久(29)は今年三月、コリアンタウンのある大阪・鶴橋で開かれた「反韓デモ」の動画に、言葉を失った。「鶴橋大虐殺を起こせ」と叫ぶ女子中学生に、大人たちが拍手喝采をおくっていた。

 森が保守思想に共鳴したのは、韓国の「反日的な姿勢」に違和感を覚えたことがきっかけだった。「南京大虐殺は捏造(ねつぞう)」「従軍慰安婦の強制連行はなかった」。ネットを巡回し、「マスコミが報じない真実がある」と興奮した。

 だが、東京・新大久保などで起きているヘイトスピーチ(人種差別的表現)の過熱には危惧を覚える。「右派も左派も、ネットでは自分の望む情報にしかアクセスしない。考え方がより極端になり、先鋭化してしまう」

 匿名のネット社会では、過激な発言が「本音」として語られ、独自の「世論」を形成した。「ニコニコ動画」生放送のアンケートでは、延べ約一万五千人が視聴した五月の憲法討論番組で、改憲賛成が八割を超えた。

 そうした層を取り込んだのが自民党だった。六月上旬、東京・渋谷での首相安倍晋三街頭演説。「子どもが誇れる日本を取り戻そう」。呼びかけに、大 きな拍手と歓声が上がった。日の丸を持った女性(38)は「中国や韓国は日本をおとしめている。首相の主張には共感できる」。マスコミに頼らず、フェイス ブックで自ら情報発信しているように感じられ、好感を抱く。

 日本の岐路の一つであるTPPに反対する市民グループが傍ら行っていた抗議活動について、安倍は「左翼の妨害にかえってファイトがわいた」とフェイスブックに書き込んだ。この日の投稿二件に計二万人以上が賛意を示す「いいね!」を押した。

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 ネットは改憲反対の人々もつなぎ始めている。渋谷での安倍の演説の前日、「安倍のつくる未来はいらない」と叫ぶデモが、東京・新宿で行われた。告知はツイッター。経済産業省前などで原発再稼働に抗議する人たちが呼び掛けた。

 求職中の田中文(あや)(27)は、自民党の改憲草案を読み、安倍政権は「弱者を切り捨てる政治」と感じ、デモに加わった。

 イラク人質事件の起きた春、社会に出た田中は、自己責任が当たり前だと思ってきた。機会や能力を生かせば成功する、失敗すれば自分のせい。だが、抑うつ症状で仕事ができなくなり、セーフティーネットの重要さを痛感した。

 「政府は生活保護費の削減などで自己責任をうたいながら、戦争を経験して得た九条を変えようとしている。貧しい若者が戦争で命を落としたとき、それも自己責任と言われるのだろうか」 (敬称略)

<イラク人質事件> 2004年4月、イラクの武装勢力が、日本から入国したカメラマンやボランティアの男女3人を拘束し、自衛隊の撤退を要求した 事件。約1週間後、全員無事解放された。発生直後から、退避勧告を無視した3人の「自己責任」を問う声が政府やメディアの一部から上がり、自衛隊撤退を求 めた家族とともに、バッシングにさらされた。

 

第4部 9条の21世紀<5> イラク派遣違憲判決

2013年7月4日

 二〇一一年末、米国がイラク戦争の終結を宣言した。戦争の「大義」とされた大量破壊兵器は存在しなかった。米兵の死者数は四千人を超えていた。一方、自衛隊は五年余りの活動で一人の犠牲も出さずにすんだ。

 この事実の受け止め方はさまざまだ。

 「九条の下でも仕事はできたが、制約はあった」。陸上自衛隊のイラク復興支援群長として〇五年一月、サマワに入った太田清彦(57)は振り返る。

 最初の任務は、盛大な送別会の開催だった。現地の治安維持を担当するオランダ軍が撤退し、英国、オーストラリアの両軍と入れ替わる。準備に一カ月半かけた。治安情勢を知るため、他国軍と良好な関係を築く必要があった。

 イラク特措法のもとでは、自衛隊が活動をするには、サマワは「非戦闘地域」でなければならない。だが、他国の軍隊による治安維持が必要なのが実態 だった。三月の記者会見で、オーストラリア人記者にその矛盾を突かれる。「自衛隊は自分の身を守れないのか。なぜオーストラリア軍がガードするんだ」。答 えに詰まった。

 元防衛官僚で内閣官房副長官補として自衛隊派遣を統括した柳沢協二(66)の受け止めは異なる。

 〇四年十一月、サマワの陸自宿営地に、ロケット砲が着弾した際の、政府関係者の言葉に体の力が抜けた。「一人でもけがをしたら、部隊は帰国させないと」

 怒りより割り切りが先に立った。以来、イラクに派遣される隊長らには「何もしなくていい、全員無事に帰国することが最大の任務」と言い含めた。

 退職後、自ら深くかかわったイラク戦争への対応を検証し、「憲法は制約ではなく、よすがだった」と思い至った。在職中、「(自衛隊が)何でもでき る法律」を欲しがる防衛族の政治家と議論しても、その先に何がしたいかは見えてこなかった。「もし九条を取り払った時に、何をすべきか決めるだけの力を日 本は持っているのだろうか」

    ◇

 国として是非をきちんと検証しないイラク派遣に、司法は一つの判断を下している。

 「航空自衛隊のイラクでの活動は違憲」-。〇八年四月、関西の法科大学院生だった橋本祐樹(32)は、憲法学の教授から自衛隊イラク派遣差し止め訴訟の名古屋高裁判決の内容を告げられ、耳を疑った。自らも原告に名を連ねていたが、「どうせダメ」とあきらめていた。

 十五歳で軍隊に取られ、中国で人を殺したという祖父の体験を、何度も聞かされて育った。「加害者の立場を強いられたくない」という弁護団の言葉に共感し、原告団に加わっていた。

 北海道の法科大学院生だった池田賢太(29)も「基本的人権は平和の基盤なしに存在し得ない」と断じる判決文に、興奮していた。原告団への参加をきっかけに法曹を志した。「戦後、日本が自由と平等を獲得したように、この憲法の下でなら平和も実現できる」

 橋本と池田は司法試験に同期で合格。偶然同じ北海道の弁護士事務所に勤務する。「違憲判決は裁判所から託されたバトン。日本がまた大義なき戦争に 加わろうとした時、歯止めに使わなければいけない」。訴訟は五年前に終結したが、弁護団は連絡会として残り人数はなお増え続けている。 =敬称略、おわり

 (この企画は、樋口薫、大平樹が担当しました)

 <自衛隊イラク派遣差し止め訴訟> 2004年1月以降、名古屋、札幌など全国11カ所で集団提訴。市民の「平和的生存権」が侵害されたとして、 自衛隊の派遣差し止めなどを求めた。3000人以上が原告となった名古屋訴訟は、名古屋高裁が08年4月、空自の行っていた多国籍軍の空輸を、「他国の武 力行使と一体化した行動」で違憲と判断。差し止め請求自体は棄却され、判決は確定した。