共生の小路ーこの時代に生きる私たちの社会に、警鐘とひかりを見いだす人々の連帯の輪をここにつくりましょう。

社会福祉の思想は次第に成熟されつつあった。しかし、いつのまにか時は崩壊へと逆行しはじめた。

「1カ月ルール」は前から守られていなかった…

2010年02月18日 21時57分25秒 | Weblog
天皇会見問題
「1カ月ルール」は前から守られていなかった…
羽毛田長官3
あの大騒ぎは一体なんだったのか。
昨年12月、天皇と中国の習近平国家副主席との会見が決まったのを受けて、宮内庁の羽毛田信吾長官(67)が緊急会見した一件だ。
「厳格に守ってきたルールが破られたのは残念。二度とこういうことがあって欲しくない」

羽毛田長官は、天皇と外国要人との会見日程を事前調整する「1カ月ルール」を政府が無視したといって、異例のことのように騒ぎ立てた。「天皇の政治利用だ」とまで批判してみせたものだ。

ところが、「1カ月ルール」に合致しなかった例は03年以降に6件あり、直近では05年2月にも1件あった。羽毛田長官が宮内庁次長になったのは01年4月だから、この6件は間近に見てきたはずである。それに、昨年11月のオバマ米大統領の訪日時も、大統領の日程に合わせて即位20周年記念行事の日程が何度も変更されていたというのだ。
15日の衆院予算委員会で、平野官房長官が明らかにした。

また、宮内庁によれば、「1カ月ルール」が設定された95年以降、守られなかったケースは22件もあったという。これらについても羽毛田長官が知らないはずはない。もし、知らなかったとしたら、それこそ長官失格だ。役人のウソには慣れっこといっても、昨年12月の特例会見が、まるで有史以来の出来事のように騒ぎ立てた羽毛田長官の発言はあまりに悪質だ。

「文句があるなら辞表を出してから言うべきだ」と言った小沢幹事長の見解はもっともで、羽毛田長官自身が天皇の了解を得たのだから、決まった後でゴタゴタ言うなという話だ。どうしてもルールを守りたいなら、自分のクビを懸けてでも抵抗すればよかった。それなのに、羽毛田長官は「天皇陛下のお務めの在り方を守るというのが私の立場。辞めるつもりはない」と居直ったのだ。

もっとも、口では「守るのが役目」と言っているが、実際にやっていることは正反対。05年に小泉政権下で現職に任命されて以来、羽毛田長官の目立ちたがり発言は、職権を逸脱している。08年には、定例会見で皇太子夫妻が御所を訪問する回数が少ないと苦言を呈した。これが皇太子夫妻に対するバッシング報道を招いたのはご存じの通り。
皇室の内幕を暴露して騒ぎを引き起こしているのだから話にならない。

今回だって、黙っていればいいものを、官邸とのやりとりをバラし、ウソまでついて、天皇会見を政治問題化した。

以下、省略

(日刊ゲンダイ 2010/02/17 掲載)

以上、http://octhan.blog62.fc2.com/  より引用

まだまだある、〔デスマッチ捜査〕。枚方市副市長冤罪事件ーーー検察が病人に対して事実上の「拷問」ーーー

2010年02月18日 21時29分56秒 | Weblog
枚方市副市長冤罪事件:前立腺肥大の手術を控えた副市長に紙おむつを着せ、毎日8時間の取り調べ。容体悪化してもコップ一杯の水も与えられ無い取り調べが続いた。無実の人にここまでした検察。結局何の責任もとらない検察官。補償は国民の税金から拠出された。


以下

高橋伸介枚方市議HP HOME >データバンク2より全文

ttp://www.kiku-sakura.net/kobori.html

小堀前副市長の書簡 「無罪判決を受けて」 平成21年5月25日   

 枚方市議会  議 長  榎 本 正 勝 様

急啓

先日5月12日0時、「無罪」が確定してから約二週間が経とうとしています。

一昨年5月末日の青天の霹靂で理不尽極まりない突然の逮捕。非人道的且つ人権無視の取調べ。

一貫して潔白を主張し続けるも強引に起訴。

その後の一年余に及ぶ裁判手続きを経ての「無罪」判決。このことが何を意味したのか?人の人生を土足で踏み躙っておいて。

優秀な職員と共に市役所一丸となり誠心誠意取り組んだ、新清掃工場と新火葬場建設事業は無事竣工し既に稼動している現実。等々‥‥。

未だ気持ちの整理が付かず、未消化で溜飲の下がらない情況の中で、現時点に於ける自らの思いを有りのままにしたためました。

失礼ながら、市議会の皆様方にご抜露いただければ幸甚に存じます。

      平成21年5月 25日                          小 堀 隆 恒

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                            以下は本文

                                               平成21年5月吉日

各 位

                          無罪判決を受けて

1,平成21年4月27 日、私は、大阪地方裁判所で無罪判決を勝ち取ることができました。無実の罪で起訴されたわけですから、無罪判決は当然と言えば当然の結果です。しかし、他方、世の中に散見される冤罪事件を思うと、その心中は穏やかではありませんでした。

裁判官から「無罪」と言われたときの心境は、体験した者しか理解して頂けないものかもしれません。えも言われぬ歓喜の気持ちと虚脱感が錯綜した不思議な感覚でした。この感覚は、逮捕されて2年間という時間の長さとその間の苦しみの重さから来るものかもしれません。

2,無罪を勝ち取ることができたのは、裁判所が私の言い分を虚心坦懐に聞いて頂けたことが大きいとは思いますが、これまで私を支えてくれた数多くの方々のご支援ご声援の賜物と、心から感謝しております。

私の人となりをよく知って頂いている方々は、私がおよそ犯罪とは無縁な生真面目だけが取柄の人物であること、公務員として高潔であるべきとの理念の下、40年間これを実践してきたことを理解して下さっていました。

私が、逮捕されても、また起訴されても、私が無実であることを信じて、決して疑いをかけることすらありませんでした。特捜部が起訴しようが、マスコミがどれだけ騒ごうが一向に意に介さず、「小堀隆恒」という人間を心底信じてくれる人が周囲には沢山いるということが、何より私を勇気付けてくれたのです。

3,私は腎臓癌で右腎を摘出し、前立腺肥大による手術をする予定であったところ、突然逮捕されました。私は自分が逮捕されるなど全く予想もしておらず、個人的に弁護士の知り合いもいなければ、刑事事件がどのような手続きで進められるかも理解を欠いていました。

それより何より、私は自分が何故逮捕されなければならないのか、その理由を全く理解することが出来ませんでした。私は、当時、大阪府警の現職警察官で、しかも談合捜査のプロとして紹介された平原という人物に、捜査情報として尋ねられた内容を答えたに過ぎません。しかも、その情報は予算額と経審の点数であり、捜査情報として必要だとの平原の説明に何ら不合理な点はなく、しかも何ら秘密事項でもありません。

そもそも目の前の警察官が業者から1000万円もの賄賂をもらって談合に加担しているなど一般人が考えるでしょうか。一般人のこんな常識的感覚さえ、検察官は聞く耳を持ちませんでした。

私は業者と接触することを悉く嫌っており、業者から金品をもらったことなど一度たりとてありません。大阪府警をしょって立つエリート警察官として紹介された平原が、賄賂をもらっていたなどという話が、小説やテレビではなく現実にあるなどと一体誰が考えるでしょうか。

4,それでも、検察官は私の話を聞き入れません。汚職警察官の言うことが正しいと決め付け、私がそうでないと何度も申し向けても聞く耳を持ちませんでした。挙句、「二度と枚方に住めないようにしてやる。」、「お前ら家族も町を歩けないようにしてやる。」などと怒号し、机を叩きつけたり、パイプ椅子を蹴り飛ばしたりし続けました。拘置所の看守が、近所から苦情が出ていると取調べの最中にクレームを述べに来たり、多数の取調べを目の当たりにしている看守が私に「間違いをおかすなよ。」と自殺の心配をしなければならないほど過酷な取調べが続いたのです。

その上、排尿障害でカテーテルを挿入され、その挿入に問題があったがため出血が酷く、まともな手当てもされないまま、オムツを履かされ出血が止まらない状況で取調べを受けたのです。その屈辱は一生消えることはないでしょう。私は、法治国家の日本の現実かと恐ろしくなりました。

5,勾留中、私には弁護士以外とは面会できないという措置が講じられていました。

保釈後、マスコミが、私が罪を認めたであるとか、1000万円受け取ったなどと虚偽の報道を競うようにしていたことを知り愕然としました。特捜部からリークされた虚偽の事実を、そのまま平然と報道するマスコミの姿は、それまで私が持っていたマスコミ像とは全く違っていました。権力と戦う正義感に燃えるマスコミ像というのは、単なる幻想であることを思い知りました。

事件について何も知らず、マスコミからの情報にだけ接する一般人の考えは当然誤った方向に導かれます。私が勾留中、私の家族には「松岡農林水産大臣のように自殺されてはどうですか」と書かれた匿名の手紙が届きました。あの時、私の家族に何かあったとしても、マスコミは責任を認めなかったでしょう。

これが報道の自由を標傍するマスコミの実態なのかと虚しくなりました。

6,私は、40年以上、枚方市政のために全力を傾注してまいりました。それは生まれ育った、そして今後一生を終える地となるであろう、この枚方市が少しでも良くなればこそと思ってのものです。私だけではなく、先祖代々枚方市に居を構え、私の子供達を含めて、枚方市のお世話になっております。私は枚方市に仕える身として、職務に励んでおり、公務員としても人一倍自分を律してきました。

それにもかかわらず、志半ばで枚方市を去ることを余儀なくされたのです。時計の針が戻るなら、平成19年5月の時点にもう一度戻り、副市長としての職務を全うしたいとの思いです。しかし、それが適わない現在の自分の立場が、本当に辛く悔しくてなりません。

7,以上、無罪判決を勝ち取ることができた現在の心境を率直に述べました。

私は、この結果を受けて、皆様の面前において、自らの思いの丈を述べることも思慮しましたが、控訴係争中の方がいる現状に鑑みて書面といたしました。

                                                     小堀隆恒 印

平成21年4月27日、私は、大阪地方裁判所で無罪判決をかち取ることができました。

民主党 国策捜査といわれている問題について

2010年02月16日 15時47分22秒 | Weblog
重要なブログ記事を発見した。民主党議員はこんなもの読んでるのかなと思って、以下に記事を引用します。


世に倦む日日

 戦前型警察国家の謀略官僚人脈 - 漆間巌、大林宏、田母神俊雄

麻生首相は漆間巌を更迭せず、問題の発言については「記憶にない」の一点張りで逃げ切らせようとしている。先週末、騒動が大きくなった時点の報道では、引責辞任必至の見方が示され、河村建夫や与党幹部の発言も辞任での決着を示唆していたが、蓋を開ければ、意外にもシラを切って開き直る強行策で突破してきた。いつもながら国民無視の政権と政府の姿勢に唖然とする。この不敵な開き直りの方針を決めたのは麻生首相だろう。身内でなく他人である二階俊博の首は簡単に差し出せるが、自分が抜擢した腹心の漆間巌は自分自身の分身であり、世論がどう反発しようが世論の言うとおりには従わないのだ。週末の段階の政府側の言い訳は、「発言は一般論で、実際に捜査に影響を及ぼしていない」とするもので、発言そのものを否定してはいなかった。「自民党議員には捜査は及ばない」と記者団を前にして述べた発言の事実は認めていたのである。おそらくこの釈明は、更迭も念頭に置いて名前を公表した河村建夫の収拾の線だろう。それが週末を挟んで覆され、「記憶にない」の強行突破に一転した。  

戦前型警察国家_2麻生首相の性格による強引な方針転換としか考えられない。「テープレコーダーの録音の証拠を出せ」と開き直っているのである。「一般論だった」という言い訳は、これが普通の自民党の政治家のケースなら聞き流せるが、官僚機構の頂点に立つ官房副長官の場合は問題なしには済まされない。政府の全ての情報が入る政府責任者が「自民党議員には捜査は波及しない」と言明したのだから、当然、それは政府組織内部の判断と動向の示唆になる。オフレコであれ、20人の記者団と3人の秘書官を前にして総理官邸で政府実務トップの官房副長官が発言したことであり、何も根拠のない憶測や妄言が口から出たということはないだろう。憶測や妄言であったとすれば、立場からしてあまりに無責任で不心得な発言であり、即解任されるのが当然の処分となる。「一般論」の釈明では辞任の結論だったから、それを麻生首相がひっくり返して、「記憶にない」の線で発言の物理的抹殺に出たのである。いずれにしても、漆間巌が検察の捜査方針の情報を知っていたのは間違いなく、それを堂々と記者団に開陳して得意になっていた事実は疑いようがない。

戦前型警察国家_3aこの漆間巌について、人物の詳細情報がネットに出て物議が醸されている。国民が注視する中で飄々とシラを切る不敵な面構えを見て、これは並の官僚ではないなと誰もが推測するけれど、やはり経歴が不気味であり、それを見ると、いわゆる霞ヶ関の官僚の一般的な範疇の人物ではなく、諜報と謀略の工作畑を一貫して歩いてきた恐るべき諜報官僚の実像が鮮明に浮かび上がる。亀井静香のような単なる警察官僚ではない。もっと自衛隊に近く、警察官と言うよりもグロテスクな軍務官の実体である。経歴はこうなっている。1969年警察庁に入庁、1980年在ソ連日本大使館の一等書記官、1987年防衛庁陸幕調査部調査第2課調査別室長、1989年奈良県警本部長、2001年警察庁警備局長、2004年警察庁長官。産経新聞に警察庁長官を退官した後の2007年に寄せた記事があり、これは言わば日経の「私の履歴書」の右翼方面版のような回顧録のコラムだが、そこに警察庁に入庁した漆間巌がモスクワの日本大使館に赴任した当時の経緯が書かれている。漆間巌は警察庁が初めて送り込んだソ連駐在官であり、この男は大学でロシア語を学んでいた。漆間巌が何の目的で警察庁からソ連の日本大使館に派遣されたのか、後の経歴を見るだけでそれを想像するのに難くない。

戦前型警察国家_4スパイだったのだ。諜報工作のためにソ連に潜入した工作員だったのだ。ここ数日の新聞報道には、漆間巌の警察官僚としての経歴が賑々しく紹介されているが、防衛庁陸幕調査部第2課に所属していた過去について触れている記事はない。昔で言えば、陸軍参謀本部謀略課である。要するに漆間巌は、(憲法9条下の戦後日本では消滅したはずの)「特務機関」の生粋のエリートであり、その組織の最高幹部に登りつめた人間だった言うことができる。警察庁警備局長のときの2001年12月、漆間巌は東シナ海不審船事件の処理で安倍晋三(当時の政務の官房副長官)に気に入られ、安倍晋三の政治力で警察庁長官に出世したと言われている。これは事実だろう。実は、この漆間巌と非常によく似た経歴の人間が検察の最高幹部の中にいる。東京高検検事長の大林宏である。先週の3/6 だったが、民放のテレビニュースの中で、小沢一郎本人の事情聴取を検察が検討しているという情報が流れ、その検討メンバーの報道が、地検特捜部長と高検検事長と検事総長の3人を挙げていた。それを聞いて、私はオヤと思ったのである。東京高検検事長は確かに検察のNo.2だが、わざわざ報道でそこまで言う必要があるかなと不審に感じたのだ。そこで調べてみた。

戦前型警察国家_5調べてみて愕然とした。今度の西松事件の捜査と小沢秘書逮捕の一件は、官邸の漆間巌と検察の大林宏の二人の連携作業なのではないか。その疑念を現在は濃くしている。果たして、大林宏の経歴は次のようになっている。1970年司法修習生、法務省刑事局、(時期は明確でないが)在中華人民共和国日本大使館一等書記官、1994年法務総合研究所教官、 1996年札幌地検次席検事、 1996年東京高検検事、1997年法務大臣官房審議官、1999年最高検検事、2002年法務省大臣官房長、2004年法務省刑事局長、2006年法務事務次官、2008年東京検検事長。検察の組織の序列では、1.検事総長、2.東京高検検事長、3.大阪高検検事長、4.最高検次長、5.法務省事務次官となっていて、法務省の事務次官などより東京高検の検事長がずっと上であり、通常、東京高検検事長が検事総長に就任する。漆間巌は国家公務員上級職から警察官僚、大林宏は司法試験に合格して検察官僚と出身に若干の違いはあるが、二人の歩んだ人生と職業のコースはよく似ている。大林宏の最初の職歴である「在中華人民共和国日本大使館一等書記官」、これは一体何だったのか。その真相を探る前に、まずわれわれが大林宏の名前を聞いて思い出すのは、3年前のあの共謀罪騒動の一件である。2006年の春、共謀罪を新設する組織犯罪処罰法の改正案が国会で審議された経緯は誰でもよく覚えている。

戦前型警察国家_6その国会審議で、政府答弁の責任者として立ち、野党議員を相手に共謀罪導入の正当性を主張したのが法務省刑事局長の大林宏だった。その詳細はあらためて述べるまでもない。私が注目させられたのは、ネットの検索エンジンから出てきた一個の情報の切れ端で、そこには驚愕する内容が記されている。この大林宏は、在中国一等書記官だった若き日に、何とあの北京から帰国した伊藤律を尋問していたのだ。そこには伊藤律の回想録が引用されて以下の証言がある。「大林は威圧的で、時には旧特高式の睨みをきかせ、時には日本料理を食べないかとか、日本のえらい医師に私の病気をみさせようとか硬軟両方の手を使う。少しでも多く喋らせようとの魂胆がありありだ。帰国後に判明したのだが、大林は法務省刑事局の幹部検察官で、当時『外務省出仕』となっていたのである。つまり本物の公安検察官だったのだ」。大林宏は、法務省刑事局から何かの怪しげな目的で中国の日本大使館に赴任し、帰国した伊藤律の取調を担当していた。大林宏が単なる法務官僚ではない真相がよく分かる。この男は、漆間巌と同じく、(現憲法下の戦後日本では消滅させられたはずの)「内務省」の「特高」であり、イデオロギー関係の任務すなわち思想警察の国策実務を担当する人生を歩んできた人間だ。日本の「思想警察」の長なのである。

戦前型警察国家_7この大林宏は1947年生まれの61歳。漆間巌は1945年生まれの63歳。年齢がとても近い。年齢が近く、二人に共通するのは、全共闘闘争の時代に学生生活を送っていることである。団塊の世代だ。ほぼ同じ世代で同じ学生時代の経験を持っている政治家に、1944年生まれの町村信孝や1943年生まれの中山成彬がいる。どちらも強烈な反共イデオロギーの闘士である点は同じで、生い立ちや学生時代の経験が政治思想に色濃く影響を及ぼしていることが
推察される。漆間巌と大林宏の大学時代はどのようなものだっただろう。この団塊の世代で、反日本国憲法のイデオロギー的国策実務に従事して権力の階梯を登りつめた人間がもう一人いる。1948年生まれで61歳の田母神俊雄である。この男も安倍晋三に引き立てられ、航空自衛隊の幕僚長という最高権力者の立場だった。漆間巌、大林宏、田母神俊雄。警察と検察と軍(自衛隊)の頂点の人間たち。こうして見ると、現在の日本がどういう国であるかがよく分かる。この現在の日本国と日本国憲法がどのような関係であるかがよく分かる。今の日本は、外形は違うが中身は戦前の大日本帝国と同じになっていて、過激な右翼のイデオロギーを内面化した人格が権力機構の頂点に立ち、彼らの理想と目標に従って統治が行われている国家である。そう言わざるを得ず、その恐怖の事実に震え上がらざるを得ない。こうしてネットで自由に言論できているのが不思議に感じられるほどだ。

以上、http://critic6.blog63.fc2.com/blog-entry-40.html  より


次に、西部邁ゼミナール 2009年10月3日放送の【通算50回】『脱官僚』の陰で増殖するか、『司法権力』 という番組をネット上で見た。http://www.youtube.com/watch?v=TfkGAFh0zPw
上記の「世に倦む日日」というブログ掲載記事を読んだ後、西部氏の番組は『司法権力』といものの実態を改めて考えさせられた。

 佐久間特捜部長と組んでいる「国策捜査」の体制側の仕掛け人は誰なのか? 

2010年02月04日 17時32分16秒 | Weblog
■東京地検特捜部が「週刊朝日」弾圧を開始か?
「小沢不起訴」に至る過程で大きな転換点になったのが「週刊朝日」の「検察リーク暴露」報道だったが、ついに東京地検特捜部の堪忍袋が切れたらしく、「週刊朝日」弾圧を開始したらしい。東京地検次席検事の「谷川恒太」名の抗議書が、「週刊朝日」編集部に届いたらしいのだが、今になって考えてみると、東京地検特捜部としても、「小沢不起訴」という屈辱的な結末をなかなか受け入れられず、怒りが内向し、その怒りの鉾先を何処かに向けようにも、何処に向けていいかわからなくなり、仕方なく「週刊朝日」に向かったということなのだろう。それにしても、東京地検特捜部の面々とは、何処まで狂っている連中なのか。組織存亡の崖っぷちに追い詰められて、前後の見境もなく、自虐的な暴発を始めたということなのか。子供の喧嘩じゃあるまいし、週刊誌に八つ当たりするとは、東京地検特捜部も堕ちたものである。「恥の上塗り」とは、こういうことを言うのだろう。
(↓写真左端が谷川恒太検事?)
http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/d/dokuhebiniki/20100204/20100204025914.jpg

週刊朝日が東京地検から抗議を受ける!
 週刊朝日2月12日号で掲載されたジャーナリストの上杉隆氏による「子ども人質に女性秘書『恫喝』10時間」の内容について3日、東京地検が同誌編集長の山口一臣氏宛に抗議をしていたことがわかった。抗議に対する山口氏のコメントは以下の通り。

山口一臣氏(週刊朝日編集長)「記事には自信を持っている」
 2月12日号「子ども人質に女性秘書『恫喝』10時間」の記事に対し3日、谷川恒太・東京地検次席名の「抗議書」を受け取りました。記事は丁寧な取材を重ねたものであり、自信を持っております。

以上 http://f.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20100204025914 より抜粋

2010年02月04日東京地検、週刊朝日に抗議 大鶴最高検検事実名報道に怒る。
 ここのところ毎週のように検察批判の記事を大きく掲載している「週刊朝日」(朝日新聞出版)の記事をめぐり、東京地検が編集部側に抗議し山口一臣「週刊朝日」編集長の検察への「本日出頭を要請」週刊朝日側は出張を理由にひとまず断った。(出頭はせざるおえないらしい)
掲載された記事を執筆したジャーナリストの上杉隆さんが、ツイッターで出頭方法を募集するなどしたため、騒ぎが広がっている。
検察ははじめは記事に「虚偽の点がある」との抗議だったがどうも週刊朝日の2/5号に最高検検事の実名を載せたのがカチンときたらしい。
最高検検事のOMさんの実名報道と顔写真は「捜査妨害だ!」と検察は激怒。

以上 http://earthian.seesaa.net/article/139611632.html より抜粋

参考

≪「鳩山由紀夫を告訴する会」、「世論を正す会」、「真実を求める会」で検索した結果・・・・前編≫
http://www.asyura2.com/10/senkyo78/msg/744.html
投稿者日時2010 年 1 月 27 日 06:26:15: qfdbU4Y/ODJJ.
(まえがき)
謎の市民団体である「鳩山由紀夫を告訴する会」、「世論を正す会」、「真実を求める会」について調べてみましたが、ほとんどというかまったく情報・手がかりが得られません。情報がまったく流出していませんし、案外、実体のないダミー団体なのかもしれません。一つだけ真偽の程は別として、出てきたのが、統一教会と、そして日本会議です。
http://www.asyura2.com/10/senkyo78/msg/744.html より抜粋 


2009-03-10
佐久間特捜部長は「国策捜査」のプロ?
 .....前文略,,,,,
今回の、小沢民主党党首の周辺への「国策捜査」の陣頭指揮をとったのは「佐久間達哉特捜部長」と「樋渡利秋検事総長」の二人らしい。しかるに、佐久間達哉特捜部長は、「国策捜査」の創始者といわている人で、「体制側によって決められた答え通りの逮捕劇を演じる」のが、この人の特徴らしい。ということは、小沢秘書逮捕劇は、麻生政権の希望通りの「逮捕劇」だったということになるが、そういうことになれば、多くの謎が解けてくるというものだ。「佐久間達哉特捜部長」とその上司の岩村某の二人は、「国策捜査」の創始者と言われ、防衛庁汚職事件や長銀粉飾決算事件を担当したらしいが、誰の振り付けで、これまで「国策捜査」に励んできたのだろうか。小泉? 飯島? 安倍? 麻生? 要するに、佐久間達哉特捜部長と組んでいる「国策捜査」の体制側の仕掛け人は誰なのか?
,,,中略,,,,,

司法ジャーナル
2009年03月07日号【検察インサイド】
小沢一郎氏秘書の逮捕を決めた人たち、本誌編集長「3庁と法務省刑事局幹部が合意して強制捜査着手に踏み切った」とコメント
●適正な手続を踏んだ結果
 民主党代表の小沢一郎氏は7日、「公設第一秘書で陸山会の会計責人者、大久保隆規氏(47)は下潔白だ」と語っている。
 しかし、東京地検特捜部が暴走し。大久保隆規氏や西松前社長の国沢幹雄容疑者(70)らの逮捕に踏み切ったわけではない。
 適正な手続を経て踏み切ったのだ。
●吉田正喜特捜部副部長
 西松建設の裏金事件を捜査してきた東京地検特捜部の主力、特殊・直告第一班のまとめ役は39期の吉田正喜筆頭副部長だ。昨年9月、36期、前任者の堺徹氏が交通部長に栄転した後任として総務部副部長から就任した。吉田氏が捜査検事と「大久保隆規氏や西松前社長の国沢幹雄容疑者らを政治資金規正法違反で逮捕できる」ことをまとめ。佐久間達哉特捜部長に報告した。
●東京地検の首脳陣
 それを佐久間特捜部長が特捜部の意見として谷川宏太・次席検事。岩村修二検事正に報告強制捜査着手の承認を得た。
 佐久間部長は35期、東京地検特捜部検事、法務省人権擁護局調査救済課長、刑事局公安課長、刑事課長や東京地検特捜部副部長などを歴任。東京地検総務部長を務め、特捜部長になった。
 副部長時代には、佐藤栄佐久前福島県知事の汚職事件や防衛施設庁談合事件などの捜査を手掛けた。
 特捜部のヒラ検時代には、山一証券の旧経営陣による粉飾決算事件の捜査にも携わった。
 谷川次席検事は32期、特捜検事、副部長を経て東京地検公判部長。07年1月から東京高検刑事部長。08年1月、盛岡地検検事正を経て次席検事となった。
 岩村検事正は28期、東京地検特捜部長、松山地検検事正などを経て6年6月30日から東京地検次席検事、07年10月2日から最高検刑事部長を務めて、昨年7月、東京地検検事正に就いた。
●東京高検首脳陣
 一方、東京地検は上級官庁の東京高検長谷川充弘・刑事部長に報告。大林宏検事長、渡辺恵一次席検事の承認を得た。長谷川刑事部長は34期、東京地検副部長、法務省会計課長を務め東京高検刑事部長に。
 大林検事長は一橋大卒、法務省矯正局長、官房長、省刑事局長、同事務次官、札幌高検検事長を経て東京高検検事長となった。
 渡辺次席検事は東大卒。30期、78年検事。東京地検特捜部検事、同副部長、刑事部長、最高検検事、東京高検刑事部長などを経て大津地検検事正。07年10月から東京地検次席検事、今年1月から東京高検次席検事。
●最高検首脳陣
 最高検は元東京地特捜部長、函館地検検事正を務めた東京地検担当、31期の大鶴基成検事が東京地検の連絡役、東京地検は東京高検、最高検に報告、大鶴検事はそれを鈴木和宏刑事部長に報告、承認したと思う。
 鈴木刑事部長は一橋大卒。28期、東京地検刑事部副部長、宇都宮地検検事正などを経て06年12月から最高検公判部長、07年7月から東京高検次席検事、今年1月から最高検刑事部長。
 それを樋渡総長、伊藤鉄男次長検事が鈴木部長の報告を承認したのであろう。
●法務省刑事局首脳
 民主党代表の第一秘書を強制捜査の対象にするとなれば法務省刑事局も公判維持ができるか、どうか位はチェックする。担当の落合義和刑事課長は渡辺広康元東京佐川急便社長の特別背任事件の初公判で同社長と金丸信氏の関係を冒頭陳述で詳らかにした。特捜部の直告2班担当副部長で緒方重威元公安調査庁長官らを逮捕を指揮、取り調べた人でもある。
 刑事局長の大野恒太郎氏は、東大卒。司法制度改革推進本部事務局次長などを経て04年12月から宇都宮地検検事正、05年8月から最高検総務部長心得、06年4月、ら総務部長に昇進、07年7月、法務省刑事局長に就任した。
●3庁と法務省刑事局も同意
 大久保隆規氏や西松前社長の国沢幹雄容疑者らの逮捕は特捜部だけで決めたわけではなく、3庁、東京地検、同高検、最高検首脳の承認と法務省刑事局の同意を得て行われたことは間違いない。
株)司法ジャーナル.

以上 http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20090310/1236618375 より抜粋