田中秀征 政権ウォッチ 【第159回】 2012年11月22日 田中秀征 [元経済企画庁長官、福山大学客員教授]
もう40年ほど前のこと。私は自動車教習所で何度も仮免試験に落ちた。不器用で上達が遅い私にいら立って助手席の教官がこう言った。
「カーブの終わりをよく見て走れ」
言われた通りにすると、何と体が自然に動いて速度も方向も調整できるようになり、私も運転免許証を手中にした。
その後、政治の現場に出て、この言葉が政治の場でも通用することを知った。目先のことに気を取られて遠くを見ない政治行動は結局大きな成功を得ることができない。
第三極に期待する「二段階再編」とは
さて昨年来、第三極の出現待望論が強まって以来、私は強く「二段階再編」を唱えてきた。
第一段階は、行政改革、官僚改革を軸とした統治構造の改革。それに有効な立法措置を講じたら、直ちに第二段階の思想、理念を軸とした政界再編のための解散・総選挙に持ち込む。1年に2度の総選挙になってもよい。
政治はもちろん思惑通りには進まない。
野田佳彦首相は「解散の理由は『近いうちに信を問う』との約束を果たすため」(16日の記者会見)と明言して解散を断行した。
「シロアリ退治をする」、「消費税増税はしない」という重大公約に違反したことに対する反発を薄めるためで、実に個人的な事情による解散・総選挙となった。
この突然の事態を受けて「第三極」はあわただしく動いている。この激しい動きは公示直前どころか選挙戦の最終盤まで続くだろう。
しかし、政権の枠組や政策調整は投票日の3日ほど前までに定まれば充分だ。なぜなら、今回は有権者がその動きをつぶさに凝視しているに違いないからだ。
「維新」の強大化で第三極待望論が頭打ちに
「みどりの風」を先頭にした勢力に期待
私は、維新の会と太陽の党の合併前までは、小政党が競い合って進むのがよいと考えてきた。しかし、残念ながらもうその段階ではない。
これからは第三極が2つの勢力になり、統治構造の改革の一点で連携して進むのが望ましい。
ひとつは、①ナショナリズムやグローバル経済への対応を強調する勢力。もう1つは②それに抑制的に対応する勢力だ。
①の石原慎太郎、橋下徹両氏に代表される勢力は、安倍晋三自民党総裁や野田佳彦民主党代表と基本的に同じ政策的立場であるという印象を受ける。
しかし、世論の第三極待望論が頭打ちになっているのは、①の勢力が強大化することに戸惑いも持つ人がかなり多いからだろう。
私は、亀井亜紀子氏らの「みどりの風」が先頭に立つ②の勢力の結集を強く期待している。これに民主党の若手が合流すれば、①と②によって第三極は爆発的な進撃が可能になって統治構造の改革が実現するだろう。
このままでは、野田首相の政策方針に反発してきた民主党候補は選挙戦を展開することができなくなる。彼らは今、重大な(彼ら自身にとってはもちろん日本の政治の将来にとっても)岐路に立っている。どう考えても民主党内にとどまる選択肢はない。
第三極が精彩を欠く理由は?
長老は一歩、二歩引いた行動を
また、第三極の動きに精彩が欠けるのは、やはり新鮮さの欠如によるものだろう。
極上の松坂牛でも賞味期限が切れていたり、切れそうになっている肉は店頭の真ん中に並べないほうがよい。そのままでは新しい肉も売れなくなり、客足が鈍ってくる。
93年の細川政権では、細川護熙氏はもちろん、われわれ「さきがけ」も、小沢一郎氏もそれなりに新鮮であったからこそ期待が集まった。
土佐の一本釣りのかつお船には必ず経験豊かな長老が同乗したと言う。それと同じようにベテランは一歩も二歩も引いて見守る方が成果は大きくなる。長老がかつおを釣って、若手がそれに従うのではお話にならない。
この際、「カーブの終わり」は第三極中心の政権の樹立、それによる統治構造の改革を実現することだ。それをしっかりと見据えて進めば必ず世論はそれに応えるはずだ。
緊急の課題は、未だ大きな空白となっている②の勢力の出現である。言ってみれば、「第二の新党さきがけ」が渇望されている。
※この記事は11月20日午後に書かれたものです。
田中秀征 政権ウォッチ 【第158回】 2012年11月15日 田中秀征 [元経済企画庁長官、福山大学客員教授]
今回の解散は“自己陶酔解散”だ
(編集部注:本稿前半は11月13日夜の執筆、後半は14日の解散の方向性決定直後に加筆をお願いしたものです)
野田佳彦首相は、本当に年内解散を決断したのだろうか。既に、メディアも自民党などもそれを既定のこととして動いている。こうなると流れを止めるのはきわめて困難だ。
だが私は願望を込めて首相はまだ迷っているのではないかと思っている。
なぜならここにきて、政局の動向に影響を与える2つの要因が加わった。それは、①小沢一郎氏の控訴審判決が無罪となったことと、②7~9月のGDP速報値が年率換算で前年比3.5%減となったことだ。
もちろん首相には2つとも予想通りだろうが、それが事実として明確になると事情はかなり違ってくる。なぜなら、政界ではともかく、多くの一般の人たちにとってこれらは衝撃的な新事実である。政界やメディアで織り込み済みでも、世論一般では必ずしもそうではない。
景気が後退局面に入って、「消費税増税をやるときではない」、「今まで何をやっていたのか」と野田政権への風当たりは一段と強まっている。
「小沢無罪」も、底辺の小沢ファンに勢いを与えている。今まで黙って耐えていたこともあって、その攻勢にはあなどり難いものがある。
閣僚や党役員も年内解散推進か?
選挙をめぐる役職者たちの不可解な行動
おそらく、このまま解散・総選挙となれば、民主党議席は数十に転落するだろう。それでも突入するとすれば、首相は自分の功名心だけで民主党議員や党員の運命など眼中にないことになる。
かろうじて残るとすれば、組合候補、世襲候補、重要閣僚経験者、個人後援会が強い地方議員出身候補の一部に限られよう。
閣僚や党役員の中には、年内解散推進論者も散見され、実に不可解な印象を与えている。
重要な役職のまま選挙に臨むほうが有利、選挙が遠くなれば落選の可能性が高まる、と考えていると疑われている。
それに50議席に転落しても、「三党合意」を大義名分に自民党と連携すれば、彼らの選挙区で活動している自民党候補は立場がなくなり政治生命が絶たれる。そんな甘いことでも考えてのことか。
仮に自民党中心の政権ができても、参議院で大野党を維持すれば、新政権での大きな発言力を保つことができる。それをテコに夏の参院選で反転攻勢をかけて立ち直る。そういうことではないか。
要するに、倒れつつある仮設住宅から逃げ出して一旦老朽住宅に逃げ込むということだ。
賢明な有権者はその意図を見抜いているから思惑通りには展開しない。仮にそれが誤解であるとしたら、それを弁解しているだけで選挙は終わってしまう。
第三極の進撃がままならない今、
解散・総選挙をすれば政治は一層混乱へ
私は、今後4年間は、日本にとって運命的な時代の局面だと言っている。今のような政治の混乱が続けば取り返しがつかないことになると思っている。
今、総選挙を実施すれば確実に政権を交代させることはできる。だが、ただそれだけのことだ。しかし、現状より一層混乱した政治状況が4年間続くことが避けられない。それでは日本の衰弱、劣化に歯止めがかからなくなる。
唯一の希望は第三極の進撃だが、今のところこの行方もままならない。今のままではとても大きな展望は開けないだろう。何よりも統合原理と際立った 指導者が欠けているのが致命的だ。たとえ第三極が自民、民主を脅かす当選者を得ても、同床異夢のゲリラ集団では早々に愛想を尽かされよう。
そもそも解散・総選挙は菅直人内閣が参院選で大敗した直後にすべきであった。だから“ねじれ国会”とその弊害はあくまでも民主党の責任である。
野田首相にはこの際、何としても年内解散を断念してほしい。私は、消費税問題では首相がウソをついたと思っているが、解散問題ではそう思っていな い。そもそも昔から、「解散だけはウソをついてもよい」と言われている。むしろ、解散を法案賛成の条件にする自民党のほうがはるかに不見識だ。今後もこの ような手法が常態化するとすれば、憲政史上に汚点を残したと言われても仕方がない。
民主党はこのまま消え去ってもよいのか。自民党以上に政治不信を強めて後は野となれ山となれということでよいのか。来年、半年間、じっくりと構想を固めて出直す方向に転換することを願うばかりである。
【追補】(11月14日夜)
願いも虚しく、衆議院は11月16日に解散されることになった。私はこの解散を“自己陶酔解散”と名付けた。
いくつかの感想を列挙する。
極めて異例な委員会の場での“解散”明言
比例区削減を条件にしたのは暴挙である
①解散に条件を付けたこと、委員会の場で明言したこと。これらはきわめて異例で、“解散”と言う言葉を著しく軽いものにした。
②特に、比例区40議席の削減を条件として持ち出したことはこの上ない暴挙である。
本欄で指摘してきたように、定数削減の目的が「身を切る」すなわち歳出の削減にあるなら、それに相当する政党助成金を削れば済むことだ。小選挙区と比例区のバランスは1つの理念に基づくもので歳出削減とは全く別の話である。
「身を切る」と言っても、それは落選者だけで、当選する自信のある議員は何も身を切らないことになる。
③たとえ、通常国会で違憲状態を脱する法案を成立させたにせよ、今回の総選挙は憲法違反のまま実施される。今後4年間は憲法違反の総選挙で選ばれた議員に政治を任せることになる。
要するに、今回の選挙制度改革は、4年後にやっても全く同じことなのだ。この責任は野田佳彦首相本人にある。そして、そうである限り民主党は壊滅的な大敗を招かざるを得ない。
自分の歴史的業績(?)のために同志を見捨てた
野田首相を待ち受ける厳しい現実とは
④「ノーサイド」や「全員野球」はどうしたのか。
渡部恒三長老は「100人が100人反対」している現状を指摘し、横路孝弘、菅直人両氏も公然と反対した。首相は民主党内の声を全く無視して強行した。同志を紙くずのように捨てたのである。
私は、イタリアで沈没する船から1人で逃げ出した船長を連想した。自分のことしか考えないのだ。
⑤首相はおそらく来年に解散を先送りすれば、消費税増税に赤信号がともるという財務省の見通しにあわてたのだろう。自分が「歴史的業績」と思い込んでいることが徒労に終わることを恐れ、それを優先して解散に持ち込んだのだ。
「一将功成りて万骨枯る」という言葉があるが、残念ながら一将の功もあり得なくなった。
最近、私が気になったのは「政治生命を賭けると言った意味は議員辞職すること」という首相発言だ。
今になってなぜそんなことを言うのか。それほど自己犠牲の精神で政治に取り組んでいると言いたいのだろうが、本気にそう覚悟している人は死んでもそんなことは公言しない。
私が“自己陶酔解散”と名づけたのは、今回の党首討論での際立った印象だったからである。
第三極が結集しないうちにと言う計算もあるかもしれない。しかし、期間が短ければ短いほど、逆にまとまりやすい場合もある。
それに、「100人のうち100人」の意向を踏みにじった首相についていく人はほとんどいない。
代表交代、内閣総辞職、集団離党という大政局も視野に入ってきた。
自己陶酔から醒めたら一段と厳しい世界が待っているに違いない。