共生の小路ーこの時代に生きる私たちの社会に、警鐘とひかりを見いだす人々の連帯の輪をここにつくりましょう。

社会福祉の思想は次第に成熟されつつあった。しかし、いつのまにか時は崩壊へと逆行しはじめた。

小沢グループの造反に理あり 理念を掲げて総選挙を実施せよ

2012年10月09日 01時34分24秒 | Weblog

【第280回】 2012年6月25日 原 英次郎 [ダイヤモンド・オンライン編集長]

 

 社会保障・税一体改革に関する自公民3党の合意を受けて、明日26日にも消費増税関連法案が、衆議院で採決される見通しだ。これに対して、 民主党の小沢(一郎元代表)グループは増税に反対し、離党も辞さない構えだ。今回の消費増税に関しては、小沢氏の行動は筋が通っている。今回の消費増税の 引き上げには、反対せざるをえない。以下にその理由を述べてみたい。

代議制民主主義崩壊の
扉を開く愚行

 最も大きな理由は、明確な民主主義のルール違反である。03年の衆議院選挙以降、各政党が発表するマニフェスト選挙がようやく根付き始め、09年の衆議院選挙では、国民はマニフェストを参考にして民主党に投票し、政権交代を実現させた。

 そのマニフェストでは行政のムダをなくし、財源を組み替えることで、16.8兆円の財源をねん出して、増税は行わないと言っていたはずだ。実際の 消費税率引き上げが、民主党の政権担当期間中より後に行われるから、マニフェスト違反ではないというのは、全く国民を馬鹿にした詭弁としか言いようがな い。

 もちろん、情勢の変化でマニフェストがある程度修正されることがあってもよい。が、「増税を行わない」から、消費増税という増税路線へカジを切る のは、基本方針の大転換である。これを選挙もなしに行うということは、「うそつき」のそしりを免れない。何よりも、次回以降の選挙で、国民は何を根拠にし て投票を行えばいいのか。今回のようなやり方は、代議制民主主義に対する不信と崩壊の扉を開くことになりかねない。

社会保障問題の本質は
本当に理解されているか

 二つ目の理由は、社会保障・税一体改革の問題の本質が、国民1人1人に十分に理解されているとは言えないことだ。日本の社会保障制度は、長い自民 党政権下において、対症療法を重ねてきた結果、非常に複雑な仕組みとなっている。この結果、一部の官僚や専門家しか理解できず、国民はおろか「国会議員で も問題の本質が分かっていない」(某シンクタンンク専門家)。それこそが、最大の問題点なのだが、ここでは問題の所在を、ごく単純化して整理してみよう。

 社会保障・税一体改革の目的は、財政再建と社会保障制度を、将来にわたって維持可能なものにすることにある。日本の財政は収入(歳入)のうち、半 分以上を国債などの借金で賄うという異常な事態が続いている。政府の国債の借金(債務)残高は、12年末には、日本が1年に生み出す(付加)価値である GDP(国内総生産)の2.2倍にも達する見込みで、イタリアの1.3倍、米英仏の約1倍を大きく上回って、先進国中で最悪の状態にある。

 一刻も早く財政再建に踏み出さないと、いずれギリシャのようにならないとも限らない。財政赤字の最大の要因は、急速に進む高齢化によって、毎年1 兆円以上のスピードで増え続ける社会保障費にある。現在、社会保障制度は給付(支出)と負担(収入)がバランスしていない。したがって、社会保障・税一体 改革が必要だということである。

社会保障問題を
理解する4つのキーワード

 では、なぜ給付と負担がアンバランスになってしまったのか。公的年金(以下、年金)を取り上げて、考えてみる。社会保障制度の中心は年金、医療、介護だが、実は年金が最も大きなウエイトを占めていると同時に、医療や介護も問題の本質が、ほぼ同じだからである。

 年金を理解するキーワードは、「賦課方式」と「積立方式」、それに「社会保険方式」と「税方式」の4つである。

 賦課方式とは、現役の勤労者が払う保険料で高齢世代の年金を払う仕組みで、若い人が高齢世代を養っている。これに対して、積立方式は高齢になり年 金を受け取るときに備えて、保険料を積み立てておく。社会保険方式は、その名が示すように、年金の支払い財源が保険料で、保険料を支払った人だけが、保険 金(年金)を受け取ることができる。これに対して、税方式は年金の財源が税で、一定の基準を満たせば、税を支払ったかどうかに関わりなく年金を受け取れ る。

 賦課方式、積立方式とも、それぞれ長所・短所があるが、賦課方式の場合は、人口構成が高齢世代より、常に若い人の方が多いピラミッド型になってい ないと、問題が噴出する。社会保険方式は保険加入者がみなでリスク(年金の場合は長生きのリスク)をカバーし合うもので、対象は加入者で保険料を払った人 だけ。負担と給付の対応関係が明確で、自己責任型ともいえる。

 税方式は、何らかの事情(年金の場合は老齢)で所得がなくなったか、低くなった人に対して、税を財源に所得を補助する。つまり、所得の再配分であり、税を納めているかどうかは関係がない。言い換えれば、保険方式と違い、受益と負担は対応していない。

 現在、日本の公的年金は、賦課方式でかつ社会保険方式である。これが現在の問題を生みだしている根源である。ごく簡単な例で、考えてみよう。

 主に民間のサラリーマンなどが加入する厚生年金の場合、年金受給者は現役時代の給与の約60%の年金を受け取っている。今から約50年前の 1965年には、9.1人の現役世代で1人の高齢者を支えていたので、単純計算すれば60÷9.1=6.6%の保険料率でよいことになる。これに対して、 2012年では現役世代2.4人で一人を支えなくてはならないから、60÷2.4=25%の保険料率になるはずだが、実際は約16%なので、保険料だけで は年金の支給金額を賄いきれない。その不足分を「国庫負担」という名の税金(国債よる収入かもしれないが)を投入して、補っているという構図だ(実際は もっと複雑。どのように国庫負担が行われているかは『西沢和彦の「税と社会保障抜本改革」入門』第1回を参照)。

 こうした構図が二つの問題を引き起こしている。現在の年金受給者も、現役時代には年金保険料を支払っており、一般の保険や貯金の感覚からすれば、 支払ったおカネは年金支払いの原資として積み立てられていると思っていても、何ら不思議ではない(正確に言うと一部は積み立てられている)。だから、年金 を減額しようとすると激しい反発が起こる。二つ目は、受益と負担の関係が明確な保険方式に、それが明確でない税金を相当金額つぎ込んでしまったということ だ。国民からすれば、保険料の引き上げに加えて、なぜ増税まで行われなくてはいけないのか、増税を認めたとして、どんな受益があるのか理解しづらい。

長期の道筋は示されず
消費増税だけが先行

 賦課方式は現役世代の保険料で高齢世代を養う仕組みだから、収支をバランスさせる方策は、①経済成長率を上げるか、②年金の給付額を減らすか、③保険料をあげるかの三つしかなく、実際にはこれらを組み合わせるしかない。

 第1の論点は、我が国の「名目」成長率をあげることができるのか、できないのかということである。名目成長率が上がれば、税収も増えて増税も少なくてすむし、給与が増えれば保険料の負担感も小さくなる。

 日銀の金融緩和が欧米に比べて小さいため、物価の持続的な下落であるデフレから脱却できず、円高も続くという根強い意見がある。これに対して、国会で徹底した議論が行われたとは言えず、自公民がどのような経済見通し、経済政策を前提としているかが分からない。

 第2の論点は、現状の年金制度について、抜本的な改革が必要なのか、現状の制度を前提にした調整でよいのかが、うやむやにされたということだ(3党合意では社会保障制度改革国民会議で議論するとされている)。

 実は、自公政権下で「100年安心」を謳った2004年の年金改革の柱は、給付金額を抑制し、保険料率に上限を設けるということだった。最終的に は、年金の給付を現役時代の約50%まで引き下げ、保険料率は約18%で頭打ちにするといものだ。だが、2050年に現役世代1.2人で1人の高齢者を支 えなくてはならないとすると、保険料だけでは大幅に財源が不足する。自公両党は年金は現行制度を前提に考えるとしているが、保険料が大幅に不足することを 考えると、消費税率がどこまで上がるのか、国民には長期的な展望が不明なままだ。

 一方、民主党が掲げていた税財源による最低保障年金と社会保険方式による所得比例年金の導入は、抜本的な改革に近いが、これも消費税引き上げのために棚上げされてしまった。そもそも、長期的な負担と受益の関係すら示されなかった。

 国民が知りたいのは、今後、ますます労働力人口が減り、高齢人口が増える中で、現状の社会保障制度のままでよいのか、それとも抜本的な改革が必要 なのか、それぞれの場合に、長期的な負担と受給の関係はどうなるのかということだ。結局、その道筋は示されることなく、消費増税だけが先行されようとして いる。しかも消費税の使途が社会保障に限定されたために、社会保障が赤字だから、大切な社会保障を維持するために、という理由でいくらでも増税が可能にな りかねない道を切り開いてしまった。

 社会保障と税のあり方は、国のかたちでもある。自己責任を重視し、格差を受け入れるのか。格差を小さくするために、再配分を重視する社会を目指す のか。まずは、その理念が求められる。理念が明確にならなければ、4つのキーワードを組み合わせて政策を練り上げることができない。

 理念と政策を同じくするものが結集しない政党は、結局のところ分裂せざるを得ないことを、今回の民主党の内紛が如実に示した。今こそ、理念と政策 という旗の下に、志を同じくする政治家同士が集まり、国民に信を問う。それこそが民主主義の筋というものだ。今回、消費増税が実現したとしても、国民の信 頼を失った政党・政治家が、さらなる国民負担を求めることに国民は納得しないだろう。

 小沢一郎氏も「増税はやるべきことをやってから」一辺倒ではなく、やるべきことをやっただけで問題が解決するのかどうか、その先の長期的な展望をも示すべきである。

(ダイヤモンド・オンライン編集長 原 英次郎)


完全に壊れてしまったこの国の政治 いまこそ政治は国民に「信」を問え

2012年10月09日 01時26分37秒 | Weblog

完全に壊れてしまったこの国の政治
いまこそ政治は国民に「信」を問え

 

【第3回】 2011年6月21日 工藤泰志 [言論NPO代表]

 この一連の政治の騒動を見ていて、どうしても理解できない素朴な疑問がある。なぜこの国の政治は、国民に「信」を問おうとしないのか、ということである。

 発生後3ヵ月たっても被災地は瓦礫の山。避難所の劣悪な環境から抜け出せないまま、11万人余の被災者は未だに生存の危機に直面している。原発震災の処理は遅れ、汚染地域から避難した住民は、今後の人生すら描けない。

 被災者の一人ひとりの命を救うためには、非常事態を宣言し、政府一体で取り組む局面だったが、この3ヵ月間、政権は迅速で有効な対策の方向すら示 せないでいる。そればかりか、首相の不信任を巡って党内分裂を招き、政治家同士の騙し合いは、「嘘をついた、つかない」の話となり、政治の亀裂の修復はも はや不可能となった。

 それでもなお、菅政権の退陣を巡って、政権にしがみつく政治家と降ろしたい政治家が、毎日のように党内外で駆け引きを繰り返している。この非常時 に政治が機能しない、いやこの国の政治が壊れている。こんな政治を目前にして、こんな政治家たち、全員いらない、と思っている人も多いだろう。

 私の疑問は、この状況に至っても、私たちは、この国の政治をただ見ていることしかできないのか、ということだ。

戦時下の英国でも、関東大震災後でも
総選挙は行われた

 こんな時に選挙なんてとんでもない、という意見があるのは事実である。だが、よく考えてみると、その根拠はいささか脆弱である。

 1945年に英国では総選挙が行われ、戦争を指揮したチャーチルが退陣に追い込まれている。ヒトラーが自殺をした直後だから、戦局はほぼ決していたが、まだ戦争中である。

 日本でも関東大震災時には、政治の混乱から5ヵ月後に解散が行われ、震災の影響で選挙人名簿の作成に時間を要したものの、8ヵ月後に総選挙が行われている。

 選挙は民主主義を支えるための重要な装置である。であるならば、「困難な状況だから、国民には信を問えない」というのは、政治サイドの身勝手な言い訳に聞こえる。困難があるからこそ、国民の信を得た「強い政治」で難局に当たる必要がある、と思うからだ。

 多くの有力メディアも、選挙はとんでもない、という風潮づくりに加担している。しかし、その議論をつぶさに読んでみても、危機下では「政局」では なく、みんなで力を合わせるべき、程度の論拠しか提起できていない。今の政権に力を合わせるべき、と署名入りで書いている記者もいる。

 だが、これらの議論がおかしいのは、この国の政治の混乱は、大震災という自然災害によってもたらされてわけではなく、政権政党である民主党が事実上分裂し、政党間の対立から、政府が十分に機能しなくなっていることにある。

 そうした政治の機能不全が、未曾有の震災での対応を遅らせ、原発事故に伴う日本社会のパラダイムの転換に向かい合えない事態を招いている。いわば私たちが直面しているのは統治の危機なのである。

 しかも日本の首相は、米国のブッシュ大統領があの9.11で見せたように国民の合意や政治家全体をまとめ上げる力もなく、自己の権力を維持するために躍起である。そして、それは国民の強い支持を得ていない。

 一体、いまの政治家の誰に力を合わせればいいのか。その現実を直視する論調は皆無である。いわばほとんどのメディアは、政局のどちらかに加担しながら、お互いの正義を言い合っているだけにすぎない。

 その正義の議論に、ぽっかりと穴が空いたように無視された存在がある。それこそ、有権者の存在である。

いまの政党は
烏合の衆になっている

 ちょうど菅首相の不信任決議が衆議院に提案された6月2日。偶然にも、同じ時間に言論NPOはアドバイザリーボードの会議を行っていた。

 アドバイザリーボードは、小林陽太郎氏、明石康氏、佐々木毅氏ら9氏で構成されている。この日は多くの人の都合が悪く、出席したのは前岩手県知事で、総務大臣も務めた増田寛也氏、オリックス会長の宮内義彦氏、大和総研理事長の武藤敏郎氏の3氏である。

 当然、今まさに行われようとしている、首相への不信任決議がその議題となった。私たちの問題意識は、いまの日本の政治の状況をどう認識するか、である。

 3氏との議論の中で、今、問われているのはこの国の「統治の崩壊」だと、言い切ったのは宮内氏だった。

 宮内氏は、政治とは統治の仕組みと、政党、そして政治と行政の関係という3つの要素で構成されている、としたうえで、「そういうものが、うまくつ ながっていないと政治というのは動かない。私はそれらがいま潰れてしまっているとしか思えない」と語り、さらに特に問われるべきなのは政党の在り方だ、と して次のように語っている。

「いまの政権政党は本当に政党なのだろうか。言うなれば、綱領のない政党です。綱領がないのに集まるというのは何なのだろうか。この指止まれというけど、何に止まっているかわからない、いわゆる烏合の衆なのです。

 綱領がない政党はあり得ない。綱領らしきものはマニフェストということで選挙を戦ってきたけれども、勝った途端にそこに書かれたものはどれもこれ もダメだと言われている。自民党もそうだったし、今の民主党も政治を行うには相応しくない集団になっているのではないか、というのが実態だと思う。これ は、全てやり直さなければいけない」

「解散、総選挙」でしか
答えは出ない

 政党が「烏合の衆」になっている。意外だったのは、宮内氏のこんな厳しい指摘に他の2氏も同調したことだ。

 武藤氏も、不信任を巡る混乱の原因を、「民主党が政党として体をなしていないこと」とし、「出自から見ても、党の中には右から左までいろいろい て、とても一つの政策を標榜しているとは思えない。たまたま大震災が起こり、野党から不信任ということになったときに、色々な意見があって与党がまとまら ない、という矛盾が浮き上がっただけ」という。

 増田氏は、「結局、最後は、こうした政権を選んでしまった我が身の不明を恥じるしかない。政党政治はゼロから出発し直さなくてはならないが、その時には政治のゲームにうち興じている政治家には、二度と国政を託したくないな、というのが率直な思い」とまで、言い切る。

 こうした日本の政治の状況をどう打開できるのか。これに対する3氏の意見は、時期の問題での意見に差はあるにしても、いずれも「解散、総選挙」でしか答えは出ない、ということである。

 武藤氏は、「最も望ましくて、かつ可能なシナリオは、最終的には選挙をするべきだと思う。そうでない限り、この問題は整理がつかない。何らかの意 味で、選挙までの暫定的な政権をとりあえずつくる。それで、きちんと選挙をする。その時が勝負になって、そこから新たな政治に転換していく、というのが最 も望ましい姿」。

 そして、こう付け加えた。

「極端な話をすれば、別に首相がどうであれ、政治がどうであれ、日本国民はこの震災を必ず乗り切っていく。その程度のまとまりと、知恵と力はあると思います。ですから、震災を全ての理由にして、政治の動きをそれによって封じてしまうことは、適当ではないと思う」。
(議論の全容はこちらから

なぜ解散したくないか
その理由はきわめて単純

 私たちが、「国民の信」を問うべきだと主張しているのは、今の混乱した政治状況のままでは、迅速に被災者の生活再建や雇用の復興に、答えを出すことは困難だ、と考えるからだ。

 私も東北出身だからよく分かるが、梅雨が明け、夏祭りが終わる頃には厳しい冬の気配が迫ってくる。被災地にあまり時間は残されていない。私は、こうした政治の危機的な病巣を棚上げにしても、政治がその機能を取り戻す最大のチャンスが、この大震災だと思っていた。

 被災者の命の救済や被災地の復興に、国民との合意を形成して、課題に対して政治が協力して一体として取り組む。政治が課題を通して国民と繋がる。それこそが、震災のみならずこの国の復興に道を開くと期待したからだ。

 だが、震災対応が遅れるまま首相の退陣騒動に発展し、野党を巻き込んで、この難局に対応できる体制は、震災後3ヵ月経っても実現していない。そしてそれは、この危機下で機能不全に陥っている民主主義そのものに、私たち自身がどう向かい合うのか、という問題でもある。

 民主政治では、有権者は自分の代表として政治家や政党を選び、政党や政治家はその代表として課題に取り組む。こんな緊張感あるつながりが、本来の民主政治に問われる関係のはずである。

 その有権者の代表という姿を、今の政治に感じている有権者は皆無だろう。

 この国の政党がなぜここまで崩壊の危機に至っているのか。その問題を有権者は真剣に考える局面に今、立っていると思うのである。しかも、この局面においても政治の視野にあるのは国民の姿ではない。一度奪った権力を手放したくないという政治の力学だけなのである。

 なぜ日本の政治は解散をしたくないのか。その理由は極めて単純である。

 2年前の衆議院選挙で得た政治家の数をそのまま、なるべく長く維持したい、率直に言えば政治家の地位を守りたい、それだけの理由である。

 これを民主党の最長老の渡部恒三氏に直接聞いたことがある。

 ちょうど、小沢一郎氏との誕生日を一緒に祝う会に出席した、その翌日の朝の勉強会の席上である。

首相は選挙を権力維持の
道具としかみていない

 地元の福島原発の被害に対する心労で毎日なかなか眠れずに、白髪が増えたという渡部氏は、スピーチで「原子力発電の事故の問題は、単に福島県が滅びる、滅びないというより、日本の国が滅びる、滅びないかの問題。国益優先、挙国一致で取り組むしかない」と力説する。

 その渡部氏に失礼ながらこう聞いてみた。

「こういう国難の時は国民の強い支持がどうしても重要だと思うが、このまま選挙はやらなくていいのでしょうか」

 答えは極めて明快だった。

「選挙をやれば民主党が惨敗します。今の小沢チルドレンの150人の中で残るのは5、6人でしょう。一票の格差というのがあります。それを直さない でやると、憲法違反だと言われる可能性があります。再来年の9月まで、あと任期は2年4ヵ月あります。だからあと2年は解散ありません」

 私がどうしても理解できないのは、解散に関する首相の認識である。国民に信を問うという、民主主義の基本を、権力維持の道具としか考えていない言動が相次ぐからである。

 政治の混乱の中で、解散を巡って驚くべき首相の発言が何度かあった。第1に、菅首相は不信任の可決の公算が高まりかけたまさにぎりぎりの段階で、党内の選挙に弱い政治家の反旗を抑え込むように、解散の準備をするように指示をしている。

 さらに、新聞報道によると、さまざまな議員との会合で、大連立前提で名前が挙がった谷垣自民党総裁に関して「谷垣にやらせたら6ヵ月以内に解散をするだろう」と難色を示している。

 首相が、解散に関して誰よりも慎重であることはわかるし、選挙の結果を意識するのも当然だろう。しかし、解散が、党内の反対派を抑える方便に使われたり、議席を失うことを避け、国民に選択を求めないとしたら、政治の目的は権力闘争以外なにものでもない。   

より多くの人が望めば
それは必ず実現する

 もちろん、私が、国民の信を問うべき、と主張するだけでは政治はそれを決断しないだろう。しかし、より多くの人がそれを望めば、それは必ず実現する、と私は信じる。

 被災地では多くの市民や専門家が、被災者の生活救援に取り組んでいる。福島でも放射能汚染の健康のモニタリングが市民参加で動き始めた。多くの人 が、目の前の課題に一体となって取り組む。その支援の輪は、被災地が距離的に広がり、深刻な被害状況という困難さの中でも、確実に広がっている。

 こうした国民側の立場に立った、課題に取り組む政治を私たち自身が強く求めなくてはならない。

 私は今すぐに選挙を行えと、主張しているのではない。なるべく早い実施を国民に約束し、それまでに政治が一体となって、被災者と被災地の再建に取り組むべき、である。その一方で衆議院の一票の格差の是正などの選挙準備を進める。

 やる気になれば数ヵ月で出来るだろう。

 だが、同時に、政党の再建や再編に取り組む必要がある。それを国民側が提起すべきである。そのためには、社会保障やエネルギー、安全保障など主要な政策ごとの選択肢を提起し、それを政治家に求める必要がある。

 私たちのNPOはそれを議論の力で進めようと考えている。

 このプロセスはかなり長期化する可能性がある。これだけ、政党政治が壊れている現状では、国民が何回も政治家を選ぶことによって、新しい政党なり政治家の像が、だんだん国民に伝わってくる。そういうプロセスを経ないと、新しい政治は作れないだろう。

 ただ、これ以上、先延ばしには出来ない。だから、私たちは解散を求める。そこから、この国の政治に変化を起こしたいからである。政治の世界では今なお、権力に固執する首相のもとで、退任時期も固まらず、さまざな政策課題が停滞している。

 私たちはそうした政治に、全て白紙委任したわけではない、のである。

 

 

この国の民主主義を国民目線で作り直す
解散は「強い政治」を作るための第一歩

 

【第4回】 2011年7月15日 工藤泰志 [言論NPO代表]

 前回の記事で私は、政治は一刻も早く国民の「信」を問うべきだと、主張した。

 私が言いたかったことは、この国の政治に新しい変化を起こすのは有権者しかなく、有権者は覚悟を固める局面だ、ということである。その後も政府の統治の力は弱まり、首相退陣を巡る攻防だけが政局の焦点となっている。

 あきれた話だが、被災地の知事に、「お客を待たせるのか、助けないぞ」とすごむ復興担当大臣は辞任に追い込まれ、原発の再開で首相にハシゴを外さ れた経済産業大臣も辞意を漏らす騒ぎとなった。原発の再稼働を巡る方針で政府は腰が定まらないまま、来年には電力危機が想定される事態になっている。

胸に響いた
ある主婦からの発言

 震災復興やこの国自体の復興という、国民が直面する現実的な課題と、政局の動きの間には、目に見えるほど大きな距離が広がっている。これは統治の 危機のみならず、国民が代表を選び、その代表が国民の代わりに直面する課題に取り組むという、民主主義の機能不全だと、私は考えたのである。

 こうした私の問題提起に、数多くの人が反応し、意見をいただいた。その大部分は、有権者は政治に解散を求めるべき、という私の提案に賛同し、その幾つかは言論NPOへの厳しい注文となった。胸を締め付けられるほど、共感を覚えた意見もある。

 その一部を紹介しよう。ある主婦の発言である。

 国民として、被災地と何のつながりもないひとりの主婦として今、どう行動すればいいのか、見出せずにいます。選挙があるまで、何もできないのでしょうか。プラカードを掲げて歩けばいいのでしょうか。

 前回の総選挙以来、政治の混迷も苛立つばかりで実際には、どうすることもできずにいます。次の1票を投じる機会を得るまでに、いったいどれだけの 産業がダメになり、商店がつぶれていくのでしょう。10年後の市は、町は、国は、どうなるのでしょう。誰がそのビジョンを描いているのでしょう。

 物知り顔で世相を説いてみせても、何も変わりません。大阪の大きな商店街で3代目の個人商店を営む両親は、自分たちが過去50年やってきてこんな酷い不況はない、商店街の店もどんどんつぶれていく、そして皆、老人向けの接骨院になってしまう、と悲鳴を上げています。

 個人でできる努力には、限界があると思います。むしろ個人レベルでは、誰も必死でやっています。それらを力強くまとめ、未来を指し示す政治の力が必要です。今は個人が力尽き、町が弱り、国が死のうとしています。

 政治の努力はどこにあるのでしょうか。政治の復活再生のために、個人は何ができるのでしょうか。どうか教えてください。

 この国の政治の崩壊を前に、私たち個人は何ができるのか。それは今、国民全員に問われた問い、である。

 前回の記事で私は、やる気になれば数ヵ月でその準備はできる、と書いた。

 政治に新しい変化を起こすためには、まず解散を迫り、最終的に選挙で有権者の意思を示すしかない。ただ、今すぐ選挙を行えと私は主張したわけでは ない。選挙のなるべく早い実施を国民に約束し、それまでに政治が一体となって被災地の問題に取り組み、多くの有権者が参加できるための選挙の準備を進め る。

 と、同時に私たちは政策を軸とした政党の再編や、選挙制度も含めたデモクラシーの仕組みの立て直しのために議論を開始する必要がある。こうした政 治の立て直しには、何回もの選挙と時間が必要になるだろう。しかし、今始めなくては、その機会を私たち自身が見失ってしまう、と考えたのである。

選挙をやっても
棚に並ぶ商品は一緒

 この点で、私に寄せられた多くの意見の中で最も私が関心を持ったのは、むしろ解散に反対する意見だった。今、考えるべきいくつかの論点が示されていたからだ。

 この論点は大きく言えば2つに分けられる。

 1つは、解散は行ってもいいが、候補者として示される政治家の顔ぶれが同じでは選挙を行っても同じではないか、というもの。

 もう1つは、今の政治家を選んだのも今の有権者であり、有権者はその時々の雰囲気や自分の利害を優先するために、それに見合った政治家しか生み出せない、しかも今の選挙の在り方では、代議制民主主義が機能しているのか疑わしい、というものだ。

 私はそのあと、この解散を巡って民主党の若い政治家と議論する機会があった。最初の論点に関しては、その時に政治家から同じ意見が出たので、そのやり取りをここで紹介する。被災地の支援の際に出会ったことがある、36歳の内科医出身の梅村聡参議院議員である。

梅村 私は今、36歳なのですが、今の党の幹部というのは運動の世代なのです。統治という概念が非常に薄い。首相が辞めるのか、辞めないのか、こういうことで議論する際に、誰が最終的にまとめるのか。結局、そういう意味で言えば、統治でしょうね。統治機能が無くなっている。

工藤 僕も、今の日本は統治の危機にあると思います。ただ世界の中で、また時代の中で日本の課題もあって、それを早く直して、その課題に挑んでいくという流れを作っていかないと、大変なことになる。必要なのは選挙による、政治家の仕分けではないか。

梅村 工藤さんのお立場から言えば、国民に「信」を問うということですけど、私から言わせれば、国民に「信」を問うても、棚に並んでいる商品は一緒なのですよ。もっと言えば、政治家の棚卸し。これにつきるのではないかと思います。

工藤 では、政治家を棚卸しする力が、今の日本の政党にあるのでしょうか。

 ここでの議論は、政党がこの国が直面する課題を解決ができる候補者を、選挙時に提起できるのか、という問題である。梅村議員は、私と同じ問題意識を持ちながら、それが今の政党の中ではできないことをあっさりと認めている。さらに対話を続けてみる。

梅村 本来、二大政党になり、小選挙区制を導入した時に、その裏打ちとして政党の人材育成機能ということが実は 必要だったのです。日本はその肝を抜いたまま、細川政権の時の政治改革の議論の中で、形だけを真似た、と。だから、その育成機能を今の政党につくっていか なければいけない。そこをやらない限りは、国民に信を問うても、国民が迷惑なだけです。

工藤 政党助成金で国民から税金が党に流れている。その使い方を見直して、人材育成に当てればいいのに、結局、みんなに分配して選挙資金のために使ってしまう。そういう動きというのは、梅村さんが党内で提案しても修正は無理ですか。

梅村 それは、国民の側が、そういう選択肢で政権を選ぶという大きなムーブメントが起これば。

工藤 起こらないとダメだということですね。

梅村 起これば、いけると思います。

 同じ疑問を私は以前、自民党の石破茂政調会長にもぶつけたことがある。政党はすでに政策を軸にまとまっておらず、政党というものが機能するためには政界再編は避けられない、とする石破氏に、その動きを政治の世界で自発的に行うことは可能か、と尋ねたのだ。

 その際の答えも同じだった。「国民の側からそれを提起する動きがないと、難しい」と。

 本来、国民の代表にふさわしい候補者を有権者に提起するのは、政党の仕事である。だが、その政党自体が、同床異夢の状態で、適切な候補者を発掘できず、育てられない。むしろ、国民側に政治の建て直しを、政党に迫ってほしい、というのである。

 私は解散を行うべき、と主張しているが、選挙が行われ政権が変われば、自動的にこの国に、課題に取り組む新しい政治が生まれると楽観視しているの ではない。政治をただ見ているだけしかできなかった有権者にとって、選挙は意思を表明できる第1歩だが、新しい確かな変化を起こすためにはそれだけでは足 りない。

 前回も説明したように、主要な政策の選択肢を提起し、どれを選ぶのかを、政党や政治家自身に問い、政治家ごとにその実行を評価し、公表する。

 さらに言えば、課題解決に取り組む新しいリーダーの発掘や、梅村氏が言うように、政党に関しては政党助成金の使い方や、政策の立案の党内ガバナン スも、当然、問うべきだろう。そうしたプレッシャーをかけ続けないと、日本の政党は変わらないし、候補者の棚卸しも実現できまい。

 私たちのNPOも当然、議論の舞台でそれを行うつもりだが、そうした準備を、今回の解散から始めようというのが、私の提案なのである。

代議制民主主義の基本を
再吟味する必要があるという意見

 解散に反対する2つ目の意見は、現状のままで選挙を行っても同じ繰り返しを招いてしまうのでは、という危惧から出ている。

 1つは有権者自身が誤った選択を再びするのではないか、という危惧、そしてもう1つは選挙で代表を選ぶという民主主義の仕組み自体が機能しているのか、という疑問である。

 私に対しては次のような意見があった。

「そもそも今の選挙制度と現状の代議制民主主義で、国民の広い信頼・負託を得た議員を選ぶ事が実質的にできていない。今のシステムでは誰が選ばれよ うと、政治は混乱し、リーダーシップの取れる総理や政権は生まれない。今の混乱は政治家の個人的資質の問題や個別政党の至らなさの問題だけではない。むし ろ、国民の熟成度の低さと選挙制度のまずさ、代議制民主主義の限界の問題が大きい」

 この問題は、有権者の選択のまずさと同時に、代議制民主主義の基本の再吟味が必要ではないか、という問題を突き付けている。

 私は、ここで代議制民主主義の是非まで論じるつもりはないが、私なりに単純化すれば、今の政治家は国民の代表と言えるのか、そこには選挙制度上のまずさはないのか、という問題がある。

 第1の有権者の選択のまずさの問題は、率直に言えば有権者自身が学習するしかない。多くの有権者はこの政治の機能不全の状況を見て、安易な投票行動が、どのような政治を生み出してしまうのか、その怖さを痛感したはずだ。

 被災地では、震災から4ヵ月も経つのに瓦礫などの処理が進まず、生活不安は解消されるどころか、地域の復興の姿さえ見えない絶望的な状態にある。にもかかわらず、国会では政治の閉じられた世界だけで、党の分裂と権力争いだけを繰り返し、国民との距離を広げている。

 民主党の政治家が、この局面においても解散を、被災地の存在を理由にタブー視するのは、水ぶくれのように膨らんだ議席数を任期中は維持したい、というためだけである

非常に甘い
「最低投票」の基準

 第2の疑問は、これからの民主主義と有権者の在り方を考える点で、重要な意味を提起している。

 私は、この点で「最低投票」の問題を、ここで皆さんに問題提起してみたい。選挙では、相対的に多くの票を獲得した人が当選する。そこではいくら投票率が低くても、「有権者の代表」は選ばれる。

 公職選挙法ではこのほかに、あまりにも得票が低ければ当選できない、という「最低投票」の問題があり、衆議院の小選挙区制度では、有効投票総数の6分の1は最低でも獲得しなくては、相対的に1位になっても当選できない。

 こうした選挙制度についての、解説本はいろいろ出回っているが、なぜ「最低投票」がここまで甘いのかを説明するものは、現段階で見たことはない。

 仮にある選挙区で投票率が50%の場合、これでは有権者全体の9%程度の得票で当選できることになる。小選挙区制は2大政党化を進め、1人の当選者を選ぶ制度である。それが10人に1人の支持も得ないで「有権者の代表」と言えるのか、ということである。

 こうした大甘の理由は、6分の1という設定やその計算式の分母に有権者総数ではなく、有効投票総数を置いていることが背景にある。

 ある政治部記者出身の政治評論家の子ども向けの解説書によると、選挙による棄権者とは「白紙委任」と書いてある。これはあまりにも政治家目線の解 説だろう。棄権は、有権者としての権利の放棄であるが、今の政治では政党が政策を国民に提起できず、曖昧な公約しか出さないため、選べないから投票もでき ない、という理由も十分理解できる。

 そこで、私は選挙で「有権者の代表」を選ぶためにあえて、以下のような提案をしてみたい。

 つまり、最低投票は①現行の有効投票数を分母にする場合は2分の1以上、②有権者総数を分母にする場合は4分の1として「最低投票」を算定して、 この水準を上回らない場合は、再選挙を行うか、その再選挙コストを節約するため、当選人を選べない、つまり「政治家空白」としたらどうか、ということだ。

 有権者は選挙を棄権する以上、政治家を選ぶという権利を放棄したことになり、「政治家空白」となっても文句は言えないはずである。有権者は政治空白を避けるためには、政治家をしっかりと評価することになり、政党は適切な候補者を選ぶことに必死になるだろう。

 有権者の代表を選ぶという民主主義の在り方が俄然、緊張感を伴うものとなる。

 私たちがこの間の選挙を元に、簡単な推計をしたところ、03年の総選挙(平均投票率は59.86%)では ①の場合は162、②の場合は55の選挙区で空白が生じ、有権者の支持を確保できない政治家の数は大きく削減されることになる。

 世界では最低得票率を50%としたり、投票を義務化する国もある。その国の民主主義の程度にもよるが、今の日本の政治の状況を考えれば、こうした提案も荒唐無稽とは言えないだろう。

政治家の目線で設計された
今の代議制民主主義

 代議制民主主義の立てつけには、政治家の目線で設計されたものが並んでいる。

 政党助成金や小選挙区制と比例区の重複立候補、そして最低投票の問題、さらには小選挙区制度の問題など、有権者が代表を選ぶ仕組みに様々な疑問が 出ている。例えば、小選挙区で落選した候補が政党の比例区で当選し、その後、その政党を辞めても政治家を続けている衆議院議員も2人いる。政党助成金では その使い方が明確でないだけでなく、受け取りを拒否している共産党分を、ほかの政党が山分けしている。

 こうした不可解な事例はいくつもあってもそれを話題にし、改善する動きが政治家や主要メディアから具体的に提起されたことはない。一票の格差も、最高裁で違憲判決が出ても、政党が本気で取り組んでおらず、民主党ではその決定を次の執行部に先送りしている。

 この構図は、原発の推進を進める経済産業省所管の原子力安全・保安院が、その安全性のチェックを行っているのと同じ構図である。いわば原子力村な らず政治村の存在が、政治がここまで混乱し、政府の統治が崩れても、国民の信を問うという、有権者に立場に立った発想自体を阻んでいる。

 私へのメールで、有権者が今の政治を変えるためには、こうした代議制民主主義の構造そのものを問うべき、という意見がある。その通りだと、私も思 う。そのための議論を私のNPOも始めるつもりだが、しかし、こうした構造を国民の立ち位置で全面的に変えることも、最終的には有権者が選挙で判断するし かないのである。

 民主主義を機能させるということは、選挙における「競争」と「成果」を政治家に問うサイクルが実現することである。「成果」を判断するために、政 治家や政党が有権者に取り組む課題と達成目標を説明し、その業績評価を有権者が選挙で行う。そうした緊張感から、新しい強い政治が生まれ、政治のリーダー は必ず生み出せると、私は信じている。

 政治に国民に対する「信」を問うことを迫るのは、そうした国民目線の政治を作り出すその第一歩なのである。


見逃された原発の金融リスク  ギョルギー・ダロス氏に聞く

2012年10月09日 01時04分28秒 | Weblog

以下、http://diamond.jp/より引用

【第278回】見逃された原発の金融リスク(上)
――グリーンピース エネルギー投資シニアアドバイザー ギョルギー・ダロス氏に聞く

[2012年06月22日] 昨年3月の東日本大震災にともなって発生した福島第一原発事故。その事故原因や対応に ついて6月20日、東京電力の社内調査委員会による最終報告書が公表され、「内容が甘い」「自己弁護ばかり」と批判を浴びている。そのおよそ1週間前、あ まり注目を集めなかったが、これまで顧みられてこなかった側面から、福島第一原発事故を分析した報告書が発表された。
(ジャーナリスト 井部正之)

ギョ ルギー・ダロス/グリーンピース・インターナショナル エネルギー投資シニアアドバイザー。エコノミストでコンピュータープログラマーでもある。ハンガ リーのIBMやシティバンクで勤務後、コンサルティング会社「ボストン・コンサルティング・グループ」で国際エネルギー事業(電機、天然ガス、石油)の業 務を担当。その後、国連食糧計画(WFP)のシニアエコノミストとして3年間勤務し、2011年より現職。ハンガリー出身。

「今回の事故で何十万の人びとが家を失い、生活の糧を奪われました。同じように何十万という人びとが蓄えを失うということが起きています。その損失 というのは非常に巨額なものでして、事故によって東京電力の株価は大暴落し、株式全体の価値に換算すると3兆円に達します。またほかの電力会社の株価も暴 落しており、すべて合わせると6兆円に上る損失になります」

 報告書「原発─21世紀の不良債権」 の著者の1人である、環境NGO「グリーンピース・インターナショナル」エネルギー投資シニアアドバイザーのギョルギー・ダロス氏は、13日に都内で開催 された経済セミナー「原発の投資リスクと自然エネルギー市場の可能性」でこう切り出した。この金融リスクの側面から福島第一原発事故について分析した珍し い報告について、報告書と同セミナーの内容、そしてダロス氏へのインタビューにより、その深層に迫りたい。

東電事故で投資家100万人に損害

 ダロス氏らの調査によれば、東電株を保有していた投資家は43.9%が個人投資家で、小口の個人投資家の持ち株は平均すると1000~1200 株。株価は90%以上も値下がりしたため、彼らは株価の下落でおよそ200万円を失った。そのほかでは30.1%が金融機関、17%が外国投資家、 4.9%が国内企業、2.7%が行政機関など、1.4%が証券会社だという。

出所:グリーンピースのセミナー資料

「東電の場合は、およそ20万人が株価の低迷で損失を被った。ほかの電力会社の株価も下がったので、全体では100万人あまりが株価の低迷で株式の売却を迫られ、損害を被った」

 損失を出したのは東電株だけではなかった。ダロス氏は続ける。

「ほかの電力会社株も下がったし、海外の電力会社の株価も下がった。フランスのアレバ社のような関連企業の株価も30ユーロから10ユーロに下がっ ています。さらにスタンダード&プアーズのインデックス、7つの原子力大手を示したものですが、このインデックスは30%も下がりました。ほかのインデッ クスは平均2%上がっている」

出所:グリーンピースのセミナー資料

 投資のプロであるはずの銀行や証券会社もまた、多くの損失を出していた。社債引き受けや貸し付けにより、少なくとも約5兆6700億円が東電に提 供され、この約4分の1が原子力に投じられたという。ところが、東電の社債はいまやジャンク級に格下げされ、銀行や証券会社は多額の含み損を抱えたことに なる。

資産の100倍におよぶ原子力リスク

 原発の金融リスクを考えるうえで重要となる事故のリスクについて、福島第一原発の事故対応に必要となるコストとして、ダロス氏は日本経済研究センターが推計した6兆~20兆円を引用し、こう話す。

「このような推計は『過小評価』だと言っている人もいる。メリルリンチは金銭的な補償だけで10兆~20兆円と試算している。ですから、全体で10 兆~20兆円というのはかなり保守的な推計だと思います。それでも、これは現在の東電の時価総額の80倍に達する。これを見ると今回の事故がいかに大きい 損失を与えたものかわかります。ただしこれは除染費用を含んでいません。ですから本当はもっと巨額ということになります」

出所:グリーンピースのセミナー資料

 これは2005年8月に米国ルイジアナ州に上陸し、メキシコ湾沿岸の広い地域に深刻な被害をもたらしたハリケーン・カトリーナの被害総額や保険金の支払い、計6兆円弱に比べてもはるかに大きい金額である。

「この災害では米国の4つの保険会社が破綻するにいたった」

 損害の詳細について改めてダロス氏に尋ねた。

──損害の内訳について、もう少し説明していただけますか。

 この報告で引用している日本経済研究センターの論文で含まれているのは、金銭的な補償と汚染された土地の買い上げ、それから廃炉に関する費用で す。最初の2つで4~5兆円と試算されています。そのうちの金銭的な補償は6000~7000億円と見積もられています。残りが土地の買い上げ費用になり ます。

 廃炉に関する費用はどのような方法がとられるか定かではなかったので、最小、最大で幅をもたせてあります。燃料を炉心から引き抜くことができれば、安く廃炉にでき、もしそれができない場合は石棺を造るということになり、費用はより高くなります。

 いろいろな推計額がありますが、なるべく保守的な金額を使っている。20兆円という日本経済研究センターの推計額は実際には過小評価されているのではないかと思っています。そのほか海洋の汚染についてや訴訟費用などは含まれていません。

──資産の100倍以上の損害があったとの指摘については?

 なぜ100倍と表現しているかに関してですが、まず資産価値がどれくらいなのかという計算方法には2つあります。ひとつは市場での時価総額を基準に考える方法で、もう一つは固定資産から減価償却を差し引いた固定資産額を出す方法です。

 東京電力の時価総額は現在約2500億円ですので、計20兆円という負債額は時価総額の80倍になります。もう一つの資産価値の評価ですが、同社 の貸借対照表からの積み上げです。東京電力には17基の原子炉があります。保有原子炉のすべての純資産額は事故が起こったときの時点で7340億円でし た。事故を起こしたのは3基ですから17分の3で1300億円になります。これを20兆円の負債額と比較すると150倍を超えます。よってどちらの試算方 法でもおおむね正しいといえます。

 こうした保守的な推計損害額をもとに、報告書はこう指摘する。

《経営母体の株主資本の100倍を超える負債が生じる可能性があるのは原子力発電所のみである》

格付け機関らが見逃した原子力リスク

 この報告が特に興味深いのは、投資家に株式の善し悪しの判断指標を与える金融アナリストと、格付け機関のこれまでの判断について調べていることだ。報告書にはこうある。

《原子力リスクに関連して数々の警告があったにもかかわらず、福島第一原発事故が発生するまで東京電力は、高い信用格付けと、低コ ストの資金調達という好条件を与えられてきた。過去10年間、東京電力について発表された膨大な信用分析の中に、具体的な原子力リスクに関する言及は一切 ない》

 それどころか、格付け機関や金融アナリストが東電を高く評価し続けて奨めてきたことをこと細かに挙げ、格付け会社や金融アナリストが「いろいろな警告があったにもかかわらず、そういったことに目を向けなかった」と指摘する。

出所:グリーンピースのセミナー資料

 そして、多数の警告のうちの代表的なものとして、(1)原子炉設計の欠陥、(2)自然災害に対する備えの不備、(3)保守点検をめぐる不正――の3つを挙げる。

 (1)設計への警告は、ジェネラル・エレクトリック(GE)の原子炉マークI型における設計上の問題がよく知られていたことである。ダロス氏も以下のように話す。

「1970年代だけでも6つの大きな問題の指摘がされていたし、GEはあまりにも問題が大きいために70年代にこの設計をやめたことを明らかにして いる。また設計者がマークI型の設計では、事故時に燃料棒をうまく格納できない可能性は90%に上るとまで述べています。さらに事故の7ヵ月前にも科学者 有志による警告がされていました」

 (2)は事故後に改めて指摘されるようになった地震や津波に対する想定の甘さ。たとえば869年の貞観地震の研究から東北の大津波は警告されていたことなどだ。

 (3)は2002年8月に発覚した、格納容器内に設置された燃料棒を入れる容器である「シュラウド」のひび割れを報告しなかった不祥事だ。東電は これを行政側に連絡もせず、こっそり補修し、無断補修の証拠となる映像に手を加えて証拠を隠した。さらに17基の原子炉のうち13基の検査記録を改ざんし ていた。それも隠ぺいはおよそ10年間に及んでいた。

 また隠ぺい発覚後、原子力安全保安院が東電が原発の運転を続けられるよう、安全基準を緩めたことや、その後の調査で東電が管理職が安全よりも経費削減を優先する傾向があったことにも触れ、こう分析している。

《こうした重大な欺まん、ガバナンスや経営管理のミスに、日本の原子力規制、および政府の監視制度が抱える体質的問題が重なった。 その後の政府の原子力安全機関の最高責任者および事故当時の首相の発言から、東京電力による前述の大きな欺まんや経営ミスだけでなく、制度特有の欠陥、世 界第3位という大規模な原子力部門を抱える日本の安全基準が低いことをアナリストや格付け機関が見逃していたことは明らかである》

 次回以降、さらに原子力リスクが見逃された理由や原子力リスクの経済的な観点について、ダロス氏のコメントとともに詳述する。

 

【第279回】見逃された原発の金融リスク(中)

[2012年06月25日] 原発の金融リスクがいかにして見逃されてきていたのかについて、前回に引き続き、ギョルギー・ダロス氏のインタビューなどから迫りたい。前回の記事で、 東京電力の2002年の不祥事をはじめ、金融リスクを示す多くの警告を格付け機関が見逃していたとダロス氏は指摘した。まずこのあたりをもう少し掘り下げ たい。本当に格付け機関は原発のリスクやその警告について知っていたのか。ダロス氏に改めて聞いた。(ジャーナリスト 井部正之)

ギョ ルギー・ダロス/グリーンピース・インターナショナル エネルギー投資シニアアドバイザー。エコノミストでコンピュータープログラマーでもある。ハンガ リーのIBMやシティバンクで勤務後、コンサルティング会社「ボストン・コンサルティング・グループ」で国際エネルギー事業(電機、天然ガス、石油)の業 務を担当。その後、国連食糧計画(WFP)のシニアエコノミストとして3年間勤務し、2011年より現職。ハンガリー出身。

格付け機関は
東電不祥事を知っていた

「もちろん私たちは彼らが何を知っていたかまではわかりませんが、少なくとも2002年の不祥事については知っていたはずです。またこういう格付け 機関で働いているアナリストなどは、それぞれ担当している分野の専門家であるはずです。たとえば私はエンジニアではありませんが、コンサルタントとしてそ の業界に必要な基礎的な知識は持っていました。ですから彼らもある程度はわかっていたはずです」

 13日のセミナーでダロス氏が配布した資料には、2002年の東電不祥事が日本の英語媒体ばかりでなく、ロイター通信やニューヨーク・タイムス、ウォールストリート・ジャーナル、CNNでも大きく報じられていることが示されている。ダロス氏は続ける。

 

出所:グリーンピースのセミナー資料

「彼らは原子力のリスクを示す警告を知っていて、そのうえで無視してきたんです。実際にそれが格付け機関のレポートにも書いてあります。2002年 の東電の不祥事については非常に多くの出版物があります。たとえばムーディーズはこのような不祥事があったからといって、東電が短期的にキャッシュフロー を生み出せる能力に影響を及ぼさないだろうと結論づけています」

 報告書でもこの点は言及されている。

 《2002年の不祥事後でさえ、格付け機関による格下げはなかった。それどころか、ムーディーズは2002年9月の格付けで、「東京電力の点検記録の組織的改ざんが同社の信用度に直接大きな悪影響を及ぼすとは考え難い」と記している》

 このムーディーズの評価について、ダロス氏はさらにこう指摘する。

「これは2つのことから非常に奇妙なことだといえます。1つ目は(スキャンダル発覚後に東電の原発が)点検のために操業停止となったわけですから、現実として短期的なキャッシュフローに影響が出ています。2つ目は、経営のまずさをうかがわせるものであるからです」

 ダロス氏は続ける。

「ただ単にどこかの建物の入口のドアのメンテナンスの話をしているわけではなく、原子炉のメンテナンスがなっていなかったということですから、重大 な問題です。原子炉圧力容器内部に取付けられた、内部に燃料集合体や制御棒を収納する円筒状の構造物がシュラウドです。これが壊れてしまうと燃料棒を引き 出すことができなくなるわけですから、メルトダウンにつながりかねません。それも17基の原子炉のうち、13基でひび割れが見つかった。さらには、それを 規制当局に知らせることなく、こっそり修理したうえで、報告書を改ざんしてその事実を隠ぺいした。こういった不祥事がほかにも3~4つあったんです」

「こういう管理の仕方を組織的に原子炉に対してやっているということは管理能力に非常に大きな疑問符がつきます。ただ単にどこかのお店の管理といっ たことではありません。ですから、格付けの際には、きちんとそういった情報を読み込み、会社の報告書や記録をみたうえで判断すべきでした」

 ダロス氏は東電の経営体制についても問題視している。報告書でも言及されているが、改めてインタビュー時の発言を引用する。

「取締役の90%前後が内部からの登用であること、そして株主構成が非常に分散化、断片化されているということから、まったく外部のコントロールが 効いていないということが非常に問題だと思います。勝手に好きなことをできるような経営体制になっているのです。こういう経営体制は、たとえ原子力を扱っ ていない会社であっても問題視されるべきですし、本来なら格付けを引き下げる必要があったはずです」

原子力リスクが
見逃された理由

 では、いったいなぜ原子力分野の専門家をアナリストとして有している格付け機関が、そんな重大なリスクについて、知りながら見逃すなどということが起こったのか。大きな疑問である。これについては報告書にもセミナー資料にも記述がなく、講演でも触れられなかった。

 筆者は改めて、インタビュー時に疑問をぶつけた。

──なぜ格付け機関は原子力リスクを見逃してしまったのでしょうか。

 それは実際に、格付け機関に話を聞いてみないとわかりません。そうした機会を持っていないので、本当のところどうだったのかはわかりませんが、格 付け機関で働いている人たちに非公式に話を聞いたところ、結局のところ、こういうところには目を向けないものだということでした。彼らが焦点を当てている のはあくまで信用リスクだというのです。ただどんな場合であれ、資産価値の100倍に達するような負債の可能性を持っているのであれば、重大なことですの で、格付け機関はそれを考慮にいれるべきだと私は考えます。

──そうしたことは、今回だけだったのでしょうか。

 2008年の金融危機の時に格付け機関に対する信用がかなり失われました。アメリカで最大の年金基金であるカルパース(カリフォルニア州職員退職 年金基金)などは、格付け機関がリスクをきちんと伝えなかったことを理由に訴訟を起こしています。この後、さすがに格付け機関も巨額な負債をもたらすリス クについて、間違いなく見直すだろうと思っていたのですが、それが変わっていなかったことがわかり失望しました。

──ということは、同様の判断ミスは原子力だけではない?

 原子力に限ったことではありません。BPのメキシコ湾の原油流出事故のことを考えてみても、BPの信用格付けには洋上の石油掘削基地で爆発が起 き、原油が流出するリスクが考慮されていませんでした。そのような事故の結果、巨額の負債が生じるということ、本来ならそうしたリスクも格付けに反映され るべきだと思っています。

 ダウケミカルがインドで起こした事故(注:正確には現在同社の子会社となったユニオンカーバイドによる84年のインド・ボパールでの化学工場事故)もそうです。そういったことがきちんと投資リスクとして反映されることはありませんでした。こうした事例は数多くあります。

 格付け機関は自分たちが長いこと関わっていて、よく知っている業界(のリスク)は過小評価し、自分たちがよくわからない比較的規模の小さい業界だ と、そのリスクを過大に評価する傾向がある。たとえば再生可能エネルギーの資産価値や規模はそれほど大きくないですが、風力発電の風車が爆発するようなリ スクはあり得ません。ところが、そうした産業の評価は低い。一方、原子力や石油のような自分たちがよく知っている業界や資本規模の大きな会社については過 小評価してきた。

 会社の短期的な財務状況ばかりにとらわれるのではなく、潜在的なリスクも含めた経済的な価値に目を向けるべきです。格付け機関はきちんとしたリスク評価の仕方を学ばなければならないと思います。

潜在リスクを考えない
格付け機関の存在意義はない

 格付け機関は民間の立場でありながら、公的にもその情報が利用され、市場において絶大な影響力を持つ。そうした特殊な立場である以上、単なる博打 の予想屋として何をやっても許されるというものではない。仮に、単なる予想屋としてやっていくのだとしても、金融リスクのみでもきちんと透徹した目でもっ てリスクを分析せよというのがダロス氏の一貫した主張である。

 彼はこうも語っていた。

「金融リスクを考える際、これは人の命や生活にかかわらない、純粋に金融上のリスクだけを考える場合であっても、危険な産業については偶発的な事故 が起こって、それがかなりの負債を生み出してしまう可能性がある場合はそれを考慮に入れるべきだと思います。偶発的な事象をどう考えるかというときには、 ガバナンスの体制とか、技術的なリスク、また自然災害のリスクなどもきちんと考えるべきだと思います」

「いま話したことは、これからますます重要になるはずです。というのも、気候変動によって、さらに追加的なリスクが増えると思うからです。たとえば ヨーロッパにおいては、洪水のリスクが増えていることがすでに認識されています。またアメリカ南部のルイジアナ州などの地図をみたことがありますが、非常 に強い暴風雨が増えているということです」

「確か去年だったと思いますが、洪水により精油所が2ヵ所、油田が1ヵ所浸水したということがありました。こういったことが今後はもっと増えていく と思います。ですから、こうした危険な産業についてはリスクに必ず含めるべきでそうしないと投資家にとって大きなリスクになると思います」

「格付け機関がこうした潜在的なリスクに対する考え方を改善できないのであれば、私としては投資家に対して、『格付け機関の格付けはまったく役に立たないから無視するように』とアドバイスするしかありません」

 次回は原子力産業に投資し、多額の含み損を出してしまった具体例とそうした投資家たちへのアドバイスについて紹介する。

 

【第281回】見逃された原発の金融リスク(下)

[2012年06月26日] 原発の金融リスクが見逃されてきたことを指摘し、格付け機関やアナリストにリスク評価 の改善を迫るとともに、投資家に対して警鐘を鳴らす報告書の著者の1人であるダロス氏へのインタビューの最終回となる。今回は原発の投資リスクについてさ らに詳述するとともに、福島第一原発の事故により多額の損害を被った日本生命などの企業がどう対処すべきか、ダロス氏の処方箋を紹介する。(ジャーナリス ト 井部正之)

世界に残る“負の遺産”
旧式原子炉

ギョ ルギー・ダロス/グリーンピース・インターナショナル エネルギー投資シニアアドバイザー。エコノミストでコンピュータープログラマーでもある。ハンガ リーのIBMやシティバンクで勤務後、コンサルティング会社「ボストン・コンサルティング・グループ」で国際エネルギー事業(電機、天然ガス、石油)の業 務を担当。その後、国連食糧計画(WFP)のシニアエコノミストとして3年間勤務し、2011年より現職。ハンガリー出身。

 前回の記事で東京電力の事故以前から指摘されていた同社の原子力リスクを示す様々な警告が見逃されてきたこと、そして事故による負債が資産の100倍に達するとの調査結果について紹介した。

 しかし、ダロス氏は「こうしたリスクは何も東電に限ったことではない。このような問題は世界中に存在する」と言う。

 ダロス氏らの報告書から概説しよう。

 1つ目は既設原子炉の設計上のリスクだ。米国でGEの「マークI型原子炉」は散々“欠陥炉”として危険性が指摘されていたことを前々回の記事で 紹介したが、実はそうした批判が繰り返しされている米国でも、このタイプの原子炉23基が稼働中なのである。米国以外でも日本、スペイン、スイス、インド にこのタイプの原子炉が存在するという。これらの原子炉では当然ながら福島第一原発と同様の事故に対する脆弱性を持っている。

 またロシアではチェルノブイリ型「RBMK原子炉」が11基、EU諸国内では旧ソ連の第一世代型「VVER440原子炉」が12基稼働しているが、報告書では《これらの原発には二次格納容器がないため、原子炉事故とテロ攻撃の被害を受けやすい》との問題があると指摘している。

 さらにカナダ型原子炉「CANDU原子炉」は、チェルノブイリ事故で「致命的」と指摘されたRBMK原子炉と同じ問題を持っており、ドイツやフランスではこのタイプの原子炉が20年前から規則で認められなくなっているという。

世界で稼働する410基の原子炉は
福島の教訓が組み込まれていない

 2つ目は原子炉の老朽化である。報告書によれば、現在世界で稼働している436基の原子炉のうち、79年のスリーマイル島事故前に稼働したものは 121基、86年のチェルノブイリ事故前に稼働したものは289基だ。報告書のなかで、この問題点について、下記のように指摘されている。

 《すなわち410基にはこれらの事故の惨事の教訓が組み込まれていない。(30年を超える)古い原子炉ほどリスクは高い。その理由は、事故の惨事の教訓が組み込まれていないだけではなく、鋼鉄と溶接の継ぎ目が常に中性子の衝撃を受けることによって生じる消耗にもある》

 では、新設の原子炉設計なら大丈夫かといえばそう単純でもないようだ。3つ目は新設原子炉の設計リスクである。

 報告書は福島での事故以降、金融アナリストが新しい原子炉設計に懸念を表明し始めたことに触れ、《新しい設計は、福島で必要だっ た手動操作と比べて明らかに「フェイルセーフ(二重の安全装備)」になっているが、それでも、現在ある新世代原子炉(アレバのEPR技術など)には既に明 らかな安全上の懸念があり、その懸念は福島の事故によって募る一方だろう》、《日本の津波対策には、ほとんどの型(設計)の原子炉が苦しめられたことだろ う》との専門家の見解を引用している。

 そして、第3世代プラス欧州加圧水型炉(EPR)を例に、《EPRの設計者は、冷却系への電源喪失が持続した場合の対策を設計に 組み込んでいない。EPRには非常用の一次ディーゼル発電機のほかに二次ディーゼル発電機が2基あるが、それでも原子炉制御に必要な多くのシステムに電力 を供給するには十分とは言えない。設計全体は、「送電網から得られる電力または一次ディーゼル発電機のいずれかが24時間以内に復活可能」という前提で作 られている》ことを「共通した問題点」だと指摘する。

日本だけではない
原発の震災リスク

 福島第一原発の事故後に、ようやく見直されるようになった震災リスクについても、日本だけの問題ではないことが報告書に示されている。この震災リスクが4つ目である。

 99年に米国地質調査所とスイス地震局が発表した調査報告によれば、震災リスクを有する原発は世界中に計148基あるいう。そのうち地震活動が「中」から「高」の地域で稼働中または建設中の原子炉は107基に上り、もっとも危険な国として日本が名指しされていた。

 次いで中国・台湾、フランス、米国と続く。また震災リスクのある148基の原子炉のうち、およそ3分の1が海岸から1キロ以内にあり、追加のリスク要因だとしている。

 そして、《地震活動が「低」の地域にある原子炉も地震の影響を受ける重大なリスクがある》と結論づける。

 ダロス氏は日本の原発の震災リスクについてこう語る。

「日本のすべての原発は地震リスクがある地域に位置しています。確か24基の原子炉がリスクが『高』とされ、24基が『中』から『高』とされ、6基が『中』のリスクとされていました。リスクが『低』とされたものは1つもありませんでした」

 そして、政府が大飯原発の再稼働方針を決定する直前となる14日のインタビューでこう訴えた。

「首相が大飯原発の再稼働を決定する前にぜひ申し上げたい。世界に92基ある震災リスクにさらされている(稼働中の)原発のうち、50基がいまも日 本にあるのです。しかも日本ではほとんどが海から1マイル以内に立地し、今回の津波は内陸部3マイルまで影響があった。ぜひこうした地震や津波のリスクを きちんと捉えていただきたい」

原発建設コストは増大し
資金調達が困難になる

 5つ目は原発の経済性である。まず既設原発の経済性だが、79年のスリーマイル島原発事故と86年のチェルノブイリ事故以降、原発に要するコストが急激に上昇していることを言及している。

 フランスでの試算ということだが、追加の安全対策が1基当たり約176億円、原子炉の耐用年数の延長費用が1基あたり約714億円に達するとい う。原子炉の耐用年数延長は、こうした状況から「多額の費用を必要とする割にそれほど効果が期待できない」とダロス氏はみている。

 廃炉費用も当初見積もりの20倍との事例があるとされ、廃棄物処理コストも上昇すると見積もられている。一方で原発の稼働率は下がり続けている状況がある。

 原発の新設においても、莫大なコストを要することに変わりはない。報告書は原発が《「独占」と「納税者負担の補助金」の象徴》と指摘し、その根拠として《福島第一原発事故までの10年間、新規原子炉のほとんどすべては、市場が独占構造の諸国で着工されたものであった》ことを挙げる。

 そして、各国政府の財政状況の悪化からこうした「納税者負担による資金調達への過重な依存」は困難になっていると述べる。米国のような競争の激しい電力市場においては、資金調達はより困難となる。しかも福島の事故後は金融コストがさらに上昇する可能性がある。

 そして最後となる6つ目のリスクだが、ガバナンス構造の欠陥と弱い監視機関である。これまた日本でも指摘されたことだが、監視規制機関の独立性が 十分に確保され、その監視活動が十分に機能している国はほとんどないという。その裏付けとして、報告書は独立しているはずの規制機関と原子力産業との“癒 着”事例を列挙している。

 しかも報告書は、重大事故の発生率はこれまで考えられてきたよりも高いと専門家のリスク計算を引用し、《原子力発電の運転開始以来、炉心溶融は平均して10年に一度発生してきたことになる》と指摘する。

 こうした状況から、報告書は原発の今後をこう分析する。

 《将来的には、むしろ終点として廃炉にするほうが経済的によい結果をもたらすだろう》

 現在も日本政府はベトナムなどへの原発輸出の方針を変えていない。このリスクについて問うと、ダロス氏は「原子力技術を発展途上国に輸出することは非常に無責任だと思います」と言い切り、さらにこう続けた。

「日本がベトナムに原子力発電所を輸出するとの話については、アメリカ政府が非常に心配していて、ベトナム側とのやり取りがウィキリークスによって 公表されています。そのやり取りの中で、ベトナムの電力システムは事故時にバックアップ電源として機能させることができるほど強固でないことが明らかに なっています。また日本のような技術水準も高く、発展した国でも事故が起こるとなれば、発展度合いが低い国ではどうなるのか。事故時の電源確保ができな かったり、メンテナンスの経験がないことの問題、電力状況もあまり良くない事情も考えるべきだと思います。それに、このような事故が起こった後でGEから 原発を買いたいと思う人がいるのかどうかです。それは日立や東芝についてもいえることだと思います」

電力関連投資で大損!
日本生命と原発の関係

 ダロス氏らは今回の報告書と同時に日本生命保険相互会社(日本生命)と原子力産業の関わりについての資料も公表している。

 ブリーフィングペーパー 『日本生命と原子力産業』

 ダロス氏らによれば、日本生命は「国内の54基(事故炉を除くと50基)の原子力発電所を持つ電力会社の最大の株式保有社であり、債権者である」という。原子力発電事業者9社と電源開発の計10社の株を保有する「唯一の機関投資家」でもある。

 しかも2012年4月下旬時点でこれら10社の保有株の時価総額は約2300億円に達し、2位や3位をはるかに上回る。しかも関連会社の保有する原子力事業者の長期債や未公開の社債を含めると、総額3700億円に達するという。

出所:グリーンピースのセミナー資料

 資料によれば、日本生命が保有する電力9社と電源開発の株式の市場価値は、福島第一原発の事故前に「4700億円だったが、4月下旬にはその価値 が半減した」。2300億円の損失は前年の営業利益に匹敵するほどだ。ダロス氏に日本生命の置かれた状況や採るべき方策などについて聞いた。

──日本生命への東電事故の影響をどうみていますか。

 生命保険会社ですので事業は2つあります。1つは保険を提供すること、もう1つは集めた資金を運用すること。原子力にかかわっていることはこの両方に対して悪影響を与えます。

 運用面に関してはすでに損失が出ています。東電の株式の持ち分を1%減らしていますので、それだけですでに300億~400億円の含み損が実現化 したことになります。さらに東電に対しての融資をしていたり、東電の社債を保有していたり、東電に限らずほかの電力会社にも融資や社債の保有をしていたり しますので、バランスシート上、理論的に損害はすでに出ている。ですが、これをすべて手放して含み損を実現させるのは彼らは望んでいないはずです。それを してしまうと事業に大きな悪影響があるからです。そして保険の事業に関する損失ですが、日本生命はいま非常に微妙な競合状態に置かれています。

──どういうことでしょうか。

 日本生命は最大のシェアを誇る生命保険会社ですが、シェアはどんどん下がっていて、2~3位との差がどんどん縮まってきているのです。スタンダー ド&プアーズは去年の秋、日本生命の格付けを引き下げました。これは投資運用の構造に問題があるとして格下げになったのですが、スタンダード&プアーズは また、日本生命の価値はそのブランドにあるとも言っています。長い間広告に使ってきた「ニッセイレディ」といった非常に強いブランドを持っています。しか し今後、原子力との関わりについて、必ずその立場を問われることになります。

傍観者であることは許されない
問われる「日本生命と原子力の関わり」

──その際何が重要になりますか。

 原発を有している会社の株主総会があり、特に日本生命の行動が注目されるのが関西電力の株主総会での行動でしょう。現在大阪市が関電株の9%を保 有しており、日本生命は4%を持っています。おそらく日本生命は大阪市による脱原発の株主提案に賛成するのか反対するのかで、提案が成立するかどうかの決 定を左右する立場にいます。日本生命はどちらか態度を表明しなければならず、傍観者であることは許されません。

──どちらの選択をすべきでしょうか。

 日本生命の現状について2つ言えることがあります。1つは原子力関連の株式が下がっていて損失がでていること、もう1つはそうした投資により国民 の考えとは逆を向いていることです。いくつもの世論調査で日本国民の70~80%は原子力発電に反対という結果が出ています。これは同社の契約者も同様で しょう。こうした原子力リスクの罠にはまった状況から抜け出すにはどうしたらよいか。

 電力会社の株を多数保有しているということは、同時にその業界に非常に大きな影響力を行使することができるということでもあります。

 もし大阪市の反原発の株主提案に対して反対票を投じることになれば、顧客や競合他社が知るところになり、注目を集めることでしょう。関電の株主総 会の数週間後には日本生命の総代会があります。これは1000万人の代表の200人が集まるもので株主総会に相当するのですが、そこで日本生命が関電の株 主総会で出した決定について問われることでしょう。日本生命のブランド価値も大きく損なわれると思います。日本生命の契約者もよく思わないでしょうから、 売り上げにも悪影響があるかもしれません。また競合他社が巻き返しの材料に使うかもしれません。あるいはシェアを守るために広告費を増やす必要が出て、さ らにコストが掛かってしまうかもしれません。

 逆に大阪市の提案に賛成し、脱原発提案を支持すれば、日本生命の立場をより強くする可能性があります。生命にかかわる業務をする生命保険会社に とって、健康への影響がない再生可能エネルギーにかかわることは得策のはずです。1000万の保険契約者の名の下に、また日本経済のために、日本生命は株 主総会で大阪市の提案に同調してほしいと思います。

 非常に重い責任を負っているわけですが、その役割をきちんと果たしてほしい。なにも勇敢になってほしいと言っているわけではない。その役割は大阪 市が担ってくれている。日本生命は単に大阪市の提案に賛成すればいいだけなのです。ですから勇気をもって行動した人を邪魔するようなことだけはしないでほ しいと思います。そして良い選択をすれば、そのことによってこの会社が享受できる利点は多くあると思います。

*    *    *

 この選択肢は同じように原子力リスクによって多額の含み損を抱えたほかの企業にとっても処方箋となり得るものだ。最後に、ダロス氏はこう付け加えた。

「そうした会社は日本のエネルギー市場を変えうる力がある。そういうチャンスがあることをぜひ知っていただきたい」
 


井部正之

地方紙カメラマン、業界誌記者を経て、2002年よりフリー。現在アジアプレス・インターナショナル所属。産業公害や環境汚染、ゴミ問題などを中心に取材している。


日本のインフラが危ない  東洋大学経済学部 根本祐二教授

2012年10月09日 00時46分36秒 | Weblog

以下、「DOL特別レポート」(ダイヤモンド・オンライン編集部)より引用

【第266回】日本のインフラが危ない(上)
東京五輪に備えた大量整備から50年
「物理的な崩壊」が日本列島を襲う
――東洋大学経済学部 根本祐二教授

[2012年05月11日] 去る5月2日、首都高速道路1号羽田線の橋脚部分が公開された。50年を経過した橋脚 には無数のひび割れが発見され、インフラの弱さと怖さが明らかになった。日本では、東京五輪に備えはじめた1960年代初頭からインフラ整備が始まった。 そして今あれから50年後を迎えている。このまま何もしなければ、「物理的な崩壊」が日本列島を襲うだろう。老朽化は今そこにある危機なのだ。第1回目で はどこに危機が存在するのかを明らかにする。

ね もと ゆうじ/1954年鹿児島生。東京大学経済学部卒業後、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)入行。2006年東洋大学に日本初の公民連携(PPP) 専門の大学院開設を機に、同大経済学部教授に就任。現在同大学PPP研究センター長を兼務。専門は公民連携・地域再生。主要著書として『朽ちるインフラ』(日本経済新聞出版社)、『地域再生に金融を活かす』(学芸出版社)など。内閣府PFI推進委員会委員、国土審議会委員、自治体公共施設マネージメント委員会委員他兼職多数。

物理的な崩壊を招く
老朽化は今そこにある危機

 日本では、東京五輪に備えはじめた1960年代初頭からインフラ整備が始まった。そして今あれから50年後を迎えている。

 1980年代、米国で大型の橋が落ちる事故が発生した。原因は老朽化だった。50年前の30年代、当時のフランクリン・ルーズベルト大統領は、世 界大恐慌により大量に発生した失業者のために、全米でダムや橋を建設し雇用を創出した。いわゆるニューディール政策である。この時期大量の橋が架けられた が、いったん架けられた橋は十分にメンテナンスされることはなかった。そして老朽化した橋は50年後に落ちたのだ。

 橋にも学校にも上下水道にも物理的な耐用年数がある。整備当初は最新鋭でも、時間がたてば確実に老朽化する。それでも放置されるといずれは崩壊する。

「米国の橋は落ちても日本の橋は落ちない。今まで落ちなかったからこれからも落ちない」と、ベテラン政治家に言われたことがある。もちろん、科学的 な根拠はない。今まで日本の橋が落ちなかったのは、落ちるほど老朽化した橋がなかったためであり、今後、老朽化した橋が大量に出てくると危険は格段に高ま る。

 去る5月2日、首都高速道路1号羽田線の橋脚部分が公開された。50年を経過した橋脚には無数のひび割れが発見され、インフラの弱さと怖さが明ら かになった。実際、老朽化を主因として、使用停止もしくは使用制限が付されている橋は、一定規模以上の橋だけでも全国ですでに1300を超えている。

 このまま何もしなければ、道路には穴が開き、水道管は破裂し、学校や庁舎は倒壊するという「物理的な崩壊」が日本列島を襲うだろう。老朽化は今そこにある危機なのだ。

「物理的な崩壊」か「財政的な崩壊」か
「崩壊のジレンマ」に直面

 では、作り替えれば良いではないか。「日本の橋も落ちる」ことを理解した先の政治家は、国債発行で資金を調達し、一斉に更新すればよいと口にした。だが、ことはそれほど単純ではない。

 我が国の公共投資は、60年代の東京五輪期から70年代の高度成長期、80年代のバブル経済期、そして90年代のバブル後の不況時の景気対策期を 通じて、ほぼ一貫して増加してきた。旺盛な公共投資は経済成長を支えた一方、膨大な社会資本ストックを積みあげた。わずか数十年で焦土から世界有数の経済 大国になった日本の経済成長は人類史上最速だが、更新を待つ老朽化インフラの増加もまた人類史上最速なのだ。

 筆者は、2010年の内閣府PFI(プライベート・ファイナンス・イニシアチブ)推進委員会で、更新投資は今後50年間にわたり毎年8.1兆円と 発表した。新しいインフラを一切整備しなくても、現在のストックを更新するだけでこれだけの金額が必要なのだ。当然、税収の範囲内で解決できるものではな く国債と地方債の増発は不可避だ。

 だが、すでに限界だ。バブル崩壊後の90年代前半には他国と同様の水準だった我が国の負債依存度(国と地方を合算した負債総額の名目GDPP比) は、90年代後半の景気対策や2000年代に入ってからの社会保障費などの増加によって悪化の一途をたどり、現在、OECD諸国中最悪の水準にある。財政 破綻したギリシャをも大幅に上回る水準だ。この状態で無理に借金を増やせば、「財政的な崩壊」が日本を見舞うだろう。

 以上の通り、われわれは、「物理的な崩壊」か「財政的な崩壊」かという「崩壊のジレンマ」に、自らを追い込んでいるのである。

なぜ放置されてきたのか
その二つの理由

 物理的な資産はいずれ老朽化する。老朽化を放置したら崩壊する。個人としては誰もが知っていることだ。家を建てれば10~20年ごとに外壁や屋根や水回りに手を入れなければならない。その都度数十万円、数百万円かかる。

 冷静に考えれば誰にでも分かることが、なぜ放置されてきたのか。自治体はなぜ手を打たなかったのか。筆者は以下の理由があると考えている。

 第1に自分の責任ではないと考える点である。このまま公共投資を続けると問題が発生することを認識したとしても、その問題の発生の原因は行政自体にあるのではなく、議会や市民にあると考える。

 第2に、そもそも実態が明らかでない点である。放置することが良くないことは直感的には理解できるものの、まだ深刻ではない、本当に困った時点で考えても間に合うのではないかと考える。問題が正確に認識されないので、対策も打たれず放置が続くことになる。

 第1の理由は、無責任としか言いようがないが事実である。

 3月末に放送されたNHKスペシャル「橋が道路が壊れていく……インフラ危機を乗り越えろ」では、膨大なストックを抱える公共施設の廃止を進める 浜松市の様子が撮影されていた。地区体育館の廃止を突きつけられた利用者は、「地域の切り捨てに強い危機感を感じる」と語っていた。建て替えを求める多く の利用者の署名が、行政に届けられていた。

 老朽化した体育館を建て直す予算はなく、耐震補強だけでも数億円かかる。その予算はより緊急度の高い分野に向けるべきだ。住民が利用できる体育館 は他にもある。行政は市長のリーダーシップの下、最善の方策と判断したのだが、利用者にはその真意が伝わっていないようだ。危機感を口にした住民は、自ら の危機感は感じるが、なぜ、物理的な崩壊や財政破綻のリスクを押しつけられる子どもや孫の世代の危機に、思いをはせることができないのだろうか。

 こうした反対にさらされる行政は気の毒である。勇気がなければ、なし崩し的に利用者の意見を認めてしまうことになる。そして、崩壊のジレンマが続く。

 だが、これは行政が乗り越えなければならない壁でもある。国民はそのために税金を払っているのだ。いつまでも、「市民が…」、「議会が…」と言い訳している場合ではない。実は、壁を乗り越えるヒントは第2の理由の中にある。

まずは実態把握が有効
神奈川県藤沢市の実例

 第2の理由である実態の不明瞭さに対しては、明確に把握するという単純な処方箋が有効だ。

 2010年、神奈川県藤沢市は公共施設マネージメント白書を公表した。市のすべての施設を対象にしてストック情報、利用情報や費用の内訳を網羅し たものとしては、日本で初めてのものであった。特に、それぞれの施設の構造、面積、建設年月のデータは有効だった。「崩壊」を避ける具体的な知恵を探して いた筆者は、この情報をもとにして将来の年別の更新投資金額を予測した。

 その後、筆者がセンター長を勤める東洋大学PPP研究センターでは、過去の投資実績データさえあれば、簡単に将来の更新投資予測金額を計算できる ソフトを開発し、WEB上で無償で提供している。さらに、総務省の外郭団体である財団法人自治総合センターが、このソフトの基本構造を用いてさらに精緻化 したバージョンを開発して、11年4月には全地方公共団体に送付している。

 筆者はこれらのソフトを用いてさまざまな自治体の診断を行ってきた。今まで20以上の自治体の更新投資金額を予測してきたが、近年確保している公 共投資予算の範囲で更新が可能と判断される自治体は皆無だった。少なくとも3割、多いところでは数倍の予算不足と判断されている。事態は予想以上に深刻な のだ。

 図表は、関東地方のある自治体の今後50年間の公共施設更新投資金額を予測したものだ。この自治体は、1970年代に一斉に学校、公民館、図書館 などを整備し、ここ10年ほどはほとんど投資が行われていない。その結果、2020年以降急激な更新投資が発生するとともに、その財源となる公共投資予算 はほとんどなく、大幅な予算不足が生じることになる(図では更新投資必要金額を示す実線と、更新投資予算確保可能金額を示す点線のかい離に表れている)。

 診断結果を目にした自治体はすべて事態を認識し、具体的な行動に移っている。「まだ深刻ではない、本当に困った時点で考えても間に合うのではない か」と思いたくても、数字を見ればそうでないことは明らかだ。もし、見過ごして「物理的な崩壊」か「財政的な崩壊」の引き金を引けば、知らなかったではす まされない。

 次回は、そうした瀬戸際にある自治体を応援するため、インフラ崩壊を避ける知恵を紹介した

い。

 

【第269回】日本のインフラが危ない(下)
広域化、多様化、ソフト化
対応策は「3階層マネジメント法」
――東洋大学経済学部教授 根本祐二

[2012年05月18日] 前回で は、老朽化により徐々にインフラ崩壊の危険が高まっていながら、財政的な制約から対処できないという矛盾を抱えた日本の実態を紹介した。さて、どうすべき か。筆者は、対応策として3階層マネジメント法を考案している。3階層マネジメントでは、まず、地域内の公共施設を受益者の範囲の大小から3つの層に分け る。その層ごとに異なる処方箋で対処する。

第1層=広域化

ね もと ゆうじ/1954年鹿児島生。東京大学経済学部卒業後、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)入行。2006年東洋大学に日本初の公民連携(PPP) 専門の大学院開設を機に、同大経済学部教授に就任。現在同大学PPP研究センター長を兼務。専門は公民連携・地域再生。主要著書として『朽ちるインフラ』(日本経済新聞出版社)、『地域再生に金融を活かす』(学芸出版社)など。内閣府PFI推進委員会委員、国土審議会委員、自治体公共施設マネージメント委員会委員他兼職多数。

 第1層は庁舎、公立病院、中央図書館、文化ホールなど自治体全域に便益を及ぼす施設である(次ページ図参照)。

 この層の施設は近隣自治体で持ち合うことにする。キーワードは広域化だ。他地域にあるものと同じような施設を 自分の地域にもほしいと考えるのではなく、同じような施設であればお「互いに使い合う」という発想に変える。ワンセット主義を捨てるのだ。人口数万人程度 の市が4つ集まって、中央図書館、市民ホール、博物館、大型体育施設の4施設を分担すれば、一市の負担は4分の1になる。

 また、どの地域にも必要な唯一の広域施設である庁舎は、徹底的に面積を削減する。一般的な庁舎の職員一人あたりの延べ床面積は、標準的な民間オ フィスより大きいことは意外に知られていない。会議室・応接スペースの一元化、執務スペースのフリーアドレス化(オフィスに固定席を設けないやり方)、書 類倉庫の別建物での管理など、民間で一般化している工夫を取り込めば、2~3割の削減は可能である。

第2層=多機能化

 第2層は、学校、児童館、保育所、公民館、地区図書館など、概ね学校区単位で使われる施設である。この層は、学校建て替えを機に、すべての機能が利用できる施設に変えていく。キーワードは多機能化だ。

 地域内の他施設は老朽化するたびに、多機能施設のスペースに組み入れていく。図書館の書架、閲覧室など元々の施設が持っていたコアスペースは維持しても、玄関、ホール、階段、廊下、給湯室、トイレ、会議室などノンコアスペースは共用する。

 神奈川県秦野市での検討で試算した際は、こうした方法で2割以上の面積が削減可能であった。施設全体は教育委員会ではなく市長部局で一元管理する。学校を含めた各部局は機能に特化し、施設管理は市長部局に委ねる。民間出身のアセットマネジャーを雇用すれば万全だ。

 こうすることで、各部局の使用している資産に見合う(仮想の)費用が可視化される。納税者に費用に見合う効果を上げているかどうかについて説明責任が生じて、余剰施設を抱え込む動機がなくなる。今まで施設が多いほど偉いと考えられがちだった役人の評価も変わる。

第3層=ソフト化

 第3層は、集会所、公営住宅など受益者の範囲が限定的な施設である。民間にも十分なストックのある分野なので、自治体が資産を保有することをやめ、必要なものは費用補助などにより同じ効果を維持するようにする。キーワードはソフト化である。

 町会で集会を開くのに集会所は必須ではない。学習塾の空き時間を借りて、その費用を自治体が補助する方法を取れば、集会所を建て替えるよりも、町会も自治体の負担も大幅に削減される。

 公営住宅も同じだ。質が同等以上の民間アパートを借り上げる、もしくは、対象者が自由に選択するアパートへの家賃を補助する。自治体が新たに施設 を建てれば、稼働率が低くても全費用を負担しなければならないが、この方法であれば、稼働に応じた費用負担ですむので大幅に圧縮される。民間流に表現すれ ば、固定費を変動費に変えるのだ。

 以上の3階層マネジメント法を導入すれば、公共サービスのためのコアスペースの面積を減らさず、財政負担は30~60%削減できる。こうしたマネ ジメントを否定するなら、財源不足に相当する分、施設も機能もすべて廃止するさらに大胆な削減を行わざるを得ない。3階層マネジメント法は、経済的にも政 治的にも合理性を有する解決策なのである。

 これらの結果生じた不要な土地・建物は、民間への売却または賃貸によって収入を得る。広域化、多機能化、オフバランス化と余剰空間活用には、建設、不動産、サービス、コンサルティング、金融などのノウハウが十分に生かせる。

道路、橋、上下水道の
マネジメント

 公共施設に比べると、道路、上下水道の更新費削減は簡単ではない。広域化や多機能化が使えないからである。それでも知恵はある。

 第1は長寿命化だ。公共施設に比べると長寿命化が行いやすい。すでに大型の橋りょうに関しては、国土交通省の長寿命化計画により、計画的なマネジメントが始まっている。財源確保の目処が立っているわけではないが、一歩進んだことは評価できる。

 上下水道は配管の構造、被覆、接続技術の進歩で飛躍的に耐用年数が長くなっている。今後の更新においては、多少割高でも長寿命管への取り替えが不 可欠である。例えば、横浜市ではすでに1960年代から、70年以上の長寿命管の導入が進んでおり、筆者の試算でも、現時点ですでに更新財源の目処が立っ ている。

 第2はコンパクト化だ。今までは、広大な地域を緻密なネットワークでカバーしようとしてきたが、今後人口が減少すれば、すべてのネットワークを維 持することは困難だ。ネットワークサービスを提供するエリアを都市部に集中し、できるだけそこに移住してもらう。富山市で進めているコンパクトシティはそ の代表例である。

 都市部でも重複した道路、上下水道などのネットワークを最小限にとどめる。バブル後の景気対策では、すでに十分に整備が進んだはずの都市部でも、 ネットワーク投資が行われた。これをバブル前に戻す。筆者は間引きと呼んでいる。外延部のネットワークは最小限とし、分散処理を組み合わせる。長野県下條 村では公共下水道ではなく、合併浄化槽を導入している。住民の手間はかかるが村の負担は10分の1ですむ。

 第3は包括化だ。現在行われている個別かつ短期のマネジメントを、包括的かつ長期的に行う方式に変える。多くの場合、民間委託が有効だ。すでに、 北海道清里町、大空町では指定管理者制度(公の施設の管理を、民間事業者も含めた幅広い団体に行わせる制度)を活用して、道路、橋りょう等を一括して民間 に委託する方式を採用している。

 個々の管理ではたとえ民間委託でも、発生している障害にしか対応できないが、包括的かつ長期的に委託されれば、発生しそうな障害に対応できるよう になる。対症療法から予防保全への切り替えだ。包括方式は、道路、橋りょうだけでなく、公共施設や上下水道にも応用できる。香川県まんのう町では PFI(プライベート・ファイナンス・イニシアチブ)事業の中で、町内の全公共施設の設備保全業務を1社に委託し、成果を上げている。

経営者市民が必要

 以上の方策をすべて組み合わせれば、問題解決の可能性はある。だが、それには市民の理解が必要だ。市民には受益者市民と負担者市民がいる。少しの 不便さえも拒絶する受益者市民の声だけを聞いていては、上記の知恵を生かすことはできない。その地域はいずれ破綻するしかない。

 受益者市民は受益の立場から発言するだけであり、財政問題でもあるインフラ老朽化の解決に役立たない。聞くべきは負担者市民の声だ。特に、今は存 在しない将来の負担者市民の声なき声を拾い上げられるかどうかが鍵を握る。本来は政治家の役割だが、能力ある市民であれば、政治家に任せなくても自ずと理 解できるはずだ。これが、負担者市民を超える経営者市民だ。

 最近、各地の検討委員会に出席すると、意識の高い市民委員が多いことに気づく。団塊の世代の元企業戦士が多い。自分たちの現役時代の苦労に比べれ ば、自治体にいかに経営感覚がないかと主張する。その指摘に若い市民委員も賛同し、地域の将来のために何を我慢できるかを論じ始める。先述の長野県下條村 の市民は、自ら生活道路の舗装作業を行っている。

 こうした経営者市民が、本稿で指摘した種々の方策の実現のための人材インフラなのだ。インフラ老朽化は確かに危機だが、経営者市民という人材インフラの成長の機会だとすれば、決してマイナス面だけではないのかもしれない。