【第1回】 2011年11月24日 西沢和彦 [日本総合研究所調査部主任研究員]
【新連載】第1回
国民が社会保障制度を理解できない2つの理由
年金は2階建てというフィクション
増加する社会保障費の財源確保に向けて、政府は消費税引き上げの議論を本格化させてい る。だが、社会保障をめぐる議論は複雑かつ専門的で、国民は改革の是非を判断できない状態に置かれている。社会保障の専門家として名高い日本総研の西沢和 彦主任研究員が、年金をはじめとする社会保障制度の仕組みと問題点を、できるだけ平易に解説し、ひとりひとりがこの問題を考える材料を提供する。
社会保障制度を理解するのは
なぜ難しいのか
ニシザワ カズヒコ/日本総合研究所調査部主任研究員。1989年3月一橋大学社会学部卒業、同年年4月三井銀行入行、98年より現職。2002年年3月法政大学修士(経済学)。主な著書に『税と社会保障の抜本改革』(日本経済新聞出版社、11年6月)、『年金制度は誰のものか』(日本経済新聞出版社08年4月、第51回日経・経済図書文化賞)など。(現在の公職)社会保障審議会日本年金機構評価部会委員、社会保障審議会年金部会年金財政における経済前提と積立金運用のあり方に関する専門委員会委員。
年金、医療、介護をはじめとする社会保障制度は、国民の生活に密着しているものの、制度を理解するのは容易ではない。2011年7月1日、菅直人 政権のもと「社会保障・税一体改革成案」が閣議報告され、それに基づき、来年の通常国会への法案提出に向け、審議会で議論が進められているが、国民がその 議論についていくのもほとんど困難である。
なぜ、社会保障制度を理解するのが難しいのか。理由は主に2つ考えられる。1つは、政府から国民に提供される情報は、往々にしてオブラートに包み 込まれているためだ。政府にとってみれば、改革項目の多くは、国民に直截的には伝えたくない内容である。少子高齢化が進み、かつ厳しい財政状況のもと、社 会保障制度改革は、負担の増加や給付のカットなど国民の耳に痛い内容が主体にならざるを得ない。典型例が、「百年安心」と言われた2004年の年金改正 で、目玉の一つとして導入されたマクロ経済スライドである。
「マクロ経済スライド」というネーミングと「自動調整機能」という政府の説明を聞けば、国民も特段の警戒感を抱かない。しかし、マクロ経済スライド の本当の目的は、年金給付のカットである。その目的自体、年金財政の持続可能性を維持するためには妥当なものだが、仮に、政府がそれをありのままに国民に 説明したならば、高齢者を中心に国民の間から拒絶反応が出てくる可能性がある。そうした可能性を回避するため、政府が意図して何重にも実態をオブラートに 包み込んでいるようにすらみえる。国民が理解出来ないとしても、当然の帰結である。
もう1つは、用語の抽象度が高かったり、あるいは、技術的過ぎたりして、専門家ではない国民にとって分かりにくいことだ。例えば、「社会保障・税 一体改革成案」に次のような記述がある。「自助・共助・公助の最適バランスに留意し、個人の尊厳の保持、自立・自助を国民相互の共助・連帯の仕組みを通じ て支援していくことを基本に、(略)制度を構築する」。自助・共助・公助の最適バランスといえば高邁に聞こえるが、国民の間でこれらの用語に対する認識が 共有されている訳ではない。他方、「成案」には、前述のマクロ経済スライドのほか、介護納付金の総報酬割導入などといった技術的な用語も並ぶ。
今回のシリーズでは、社会保障制度に対する国民の理解を妨げる、これらの理由があることを念頭に置き、年金、医療、介護、子育て、および、税制の順に計10回を予定し、現行制度と改革の論点を解説していきたい。
シリーズの最大の目的は、社会保障改革の議論への国民の主体的参加を少しでも手助けすることである。現行制度は、仕組みが複雑化し、議論が技術的 になりすぎ、主役であるはずの国民が改革の是非を判断できていない。そこで、この複雑な仕組みを解き明かし、その問題点を明らかにし、改革の論点を示すこ とで、読者の皆さんが社会保障改革に対して、ご自身で判断できる材料を提供したい。
年金制度は2階建てではない
第1回は、年金制度の構造を取り上げる。冒頭、04年の年金改正において、給付カットがマクロ経済スライドというネーミングのオブラートに包み込 まれていると述べたが、年金制度の実態も「2階建て」というオブラートに包み込まれている。2階建てという政府の説明を鵜呑みにしていたのでは、年金制度 に対する真の理解は一向に進まない。まずは、この2階建てという説明からいったん離れることが重要である。
また、年金制度の真の構造を理解しておくことは、シリーズで取り扱う健康保険制度の構造を理解する際の下地になる。健康保険制度は、年金制度と似た構造を持ちつつ、より複雑になっているためである。
わが国の年金制度は2階建てであるという説明が、図表1に示したポンチ絵とともに、政府からなされる。1階には、全国民共通の国民年金(基礎年 金)があり、その上に、民間サラリーマンの厚生年金、国家公務員や地方公務員などの共済年金が、2階部分として上乗せされるという、新聞や雑誌などでもお 馴染みの説明だ。
建前上、1階の基礎年金は老後の生活費のうち食費や被服費をはじめとする基礎的な支出を賄う部分、2階の厚生年金は現役時の所得に応じた上乗せ部分であるとされている。しかし、よくよく考えてみると、こうした説明はわれわれの実感と合わない。
例えば、民間サラリーマンの給与明細から天引きされているのは厚生年金保険料だけである。他方、民間サラリーマンも、老後には厚生年金とともに基礎年金も貰えると聞いているが、では、基礎年金の保険料はどのように払っており、それは一体いくらなのか?
あるいは、サラリーマンを夫に持つ専業主婦の妻(被扶養配偶者)は、第3号被保険者として直接的には保険料を負担せずとも、基礎年金を受け取ることが出来る。では、その費用は一体だれがどのようにいくら負担しているのか?
さらには、ポンチ絵には、国民年金に括弧書きして基礎年金とあるが、基礎年金と国民年金は単なる呼称の違いなのか?呼称の差であるとすれば、なぜ統一しないのか?このように、政府の説明や2階建てのポンチ絵は、実はどうも腑に落ちない。
制度は依然として分立
そこで、これまでの政府の説明をいったん白紙に戻し、年金制度は2階建てではないと考えた方が、制度に対する理解は深まる。
年金制度の歴史を振り返りながら説明しよう。わが国の年金制度は、厚生年金、共済年金、国民年金が、個々別々に成立して来た。まず、1944年に 民間サラリーマンを対象とした厚生年金が発足し、その後、国家公務員、地方公務員などの恩給が、それぞれの共済年金に転換していった。1961年には、自 営業者や農林漁業者のために国民年金が創設された。これにより一応、国民皆年金が達成された。なお、一応と断り書きがつくのは、専業主婦の妻は、国民年金 への任意加入であったからである。
その後、こうした制度の分立に対し、全国民共通の年金を設けるべきとの機運が出てきた。時代とともに、自営業者や農林漁業者が減り、国民年金制度 単体では立ち行かなくなっていた。年金制度の官民格差も指摘されていた。全国民共通の年金創設にこうした問題の解決が期待された。
嚆矢となった提言が、1977年の総理府社会保障制度審議会の2階建て年金構想である。その構想は、まず全国民共通の年金として基本年金(基礎で はない)を設け、財源には付加価値税を充てる。次いで、その上に、既存の厚生、共済、国民各年金を上乗せするというものであった。国民年金も基本年金に上 乗せされる。まさに2階建てだ。
ところが、別途検討を進めた厚生省(当時)が下した結論は、表向きは似ているものの、実態は似て非なるものであった。厚生省案は、全国民共通の基 礎年金を設けると表明したものの、財源については、基礎年金独自にそれを手当てすることはせず、新たに設けた年金特別会計の基礎年金勘定に厚生、共済、国 民各制度から拠出金を持ち寄らせることとした。
なぜ、そうしたのか。最大の理由は、改革の難易度が低かったためであろう。付加価値税という新税の導入とセットで基本年金を創設するより、既存の 各制度から拠出金を持ち寄らせた方が手っ取り早い。この点は、自民党が、何度も消費税(付加価値税の1つ)の導入を企てつつ、頓挫し、ようやく1989年 になって導入に至ったことを考えれば頷ける。
加えて、省庁間の縦割りがあった可能性も否定できないだろう。基本年金の財源が付加価値税になってしまえば、それは厚生省の所管からは離れてい く。年金財政は、一般会計とは別に、年金特別会計で管理されている。厚生省案であれば、年金特別会計もそっくりそのまま残ることになる。
各年金の収入と支出の実態
では、各年金の収入と支出の実態を具体的にみてみよう。先ず、厚生年金の加入者は、86年の基礎年金導入後も導入前と変わらず、厚生年金保険料 (労使折半)のみを支払う(図表2)。09年度の保険料総額は22.2兆円であり、勤務先を通じて日本年金機構に納められる。資金は、年金特別会計を構成 する6勘定のうちの1つである厚生年金勘定において管理される。
年金特別会計の厚生年金勘定の収入には、そのほか、基礎年金拠出金に対する国庫負担(注)等7.8兆円(等とつけているのは厚生年金給付にも一部国庫負担があるため)、積立金より受け入れ3.8兆円などがある。受け入れというのは積立金の取り崩しであり、収益ではない。本来、赤字として計上されるべき性格のものである。
厚生年金勘定の支出は、給付費23.8兆円のほか、基礎年金勘定への基礎年金拠出金14.8兆円がある。すなわち、加入者の支払った厚生年金保険 料は、一般会計から国庫負担が加わった上、厚生年金勘定と基礎年金勘定の2つに入金されるのである。国家公務員共済組合(国共済)、地方公務員共済組合 (地共済)、私立学校教職員共済(私学共済)も、厚生年金とほぼ同様の構造である。
さて、国民年金加入者は、86年の基礎年金導入後も、導入前と変わらず、定額の国民年金保険料を日本年金機構に支払う(任意加入であった専業主婦 は除く)。資金は、年金特別会計の国民年金勘定で管理される。それは、国庫負担なども含め、大部分が基礎年金拠出金として基礎年金勘定に移転される。国民 年金加入者は、加入時に国民年金保険料を支払うが、受給時になると基礎年金を受け取るのである。
このように、厚生年金と共済年金は、国民年金(基礎年金)に上乗せされている訳ではない。国民年金と基礎年金も同じではない。依然としてわが国の 年金制度は、厚生、共済、国民各制度の分立を基本としており、基礎年金は、制度というよりも、アカウント、あるいは、給付される際の名称に過ぎない。
基礎年金はフィクション
あるいはバーチャル
こうした基礎年金を、年金評論家の村上清氏は「フィクション」であると評し、政策研究大学院大学の田中秀明氏は「バーチャル」と評している。年金 制度は2階建てではなく、基礎年金はフィクション、あるいは、バーチャルである。このように現行制度を実態に即して理解することが、議論のスタート地点で ある。
まとめよう。社会保障制度に関する政府の説明は、幾重ものオブラートに包み込まれているため、政府の説明を鵜呑みにせず、実態に迫ることが重要である。さらに、一見高邁にみえる抽象的議論にも惑わされないことである。
年金制度が2階建てになっているという政府の説明も、そうしたオブラートの1つと解釈できる。わが国の年金制度は、明確な2階建てにはなっておら ず、厚生、共済、国民各年金制度の分立を基本とし、それぞれから基礎年金勘定に拠出金を出すことで、フィクションあるいはバーチャルとも評される基礎年金 を維持しているのが実態である。
こうした1階と2階とが明確に切り分けられていない年金制度の構造は、年金制度の真の理解を困難にしている。理解されない制度が国民から信頼され るはずもなく、また、政治によるガバナンスも効かず、それ自体大きな問題である。加えて、この構造は、第3号被保険者問題、厚生年金のパート労働者への適 用拡大を図る際の障壁である9万8000円の壁など、年金制度の諸問題の根源となっている。これらの問題については、次回取り上げる。
(注)国庫負担という言葉は曲者である。国庫負担は、次の2つの場合であれば、確かにあり得 る。1つは、国から地方へ、あるいは、国から健康保険の運営者である健康保険組合などへ補助金を出す場合である。実際、厚生年金保険法や健康保険法など社 会保険各法では、国庫負担という言葉が用いられている。もう1つは、国から特定の企業や家計への補助も、国庫負担と呼ぶことにそれほど違和感はない。
しかし、国と全ての国民との間において、国庫負担は理論的にあり得ない。わが国は、産油国な どと違って自ら富を生み出す手段を持っていない。よって、国庫負担などといっても、所詮、納税者の支払う税金(タックス・ペイヤーズ・マネー)でしかあり 得ない。それにもかかわらず、政府は、しばしば国庫負担という言葉を好んで使う。増税という実態がオブラートに包み込まれるためである。政府の説明は、オ ブラートに包み込まれてばかりだ。
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