枚方市副市長冤罪事件:前立腺肥大の手術を控えた副市長に紙おむつを着せ、毎日8時間の取り調べ。容体悪化してもコップ一杯の水も与えられ無い取り調べが続いた。無実の人にここまでした検察。結局何の責任もとらない検察官。補償は国民の税金から拠出された。
以下
高橋伸介枚方市議HP HOME >データバンク2より全文
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小堀前副市長の書簡 「無罪判決を受けて」 平成21年5月25日
枚方市議会 議 長 榎 本 正 勝 様
急啓
先日5月12日0時、「無罪」が確定してから約二週間が経とうとしています。
一昨年5月末日の青天の霹靂で理不尽極まりない突然の逮捕。非人道的且つ人権無視の取調べ。
一貫して潔白を主張し続けるも強引に起訴。
その後の一年余に及ぶ裁判手続きを経ての「無罪」判決。このことが何を意味したのか?人の人生を土足で踏み躙っておいて。
優秀な職員と共に市役所一丸となり誠心誠意取り組んだ、新清掃工場と新火葬場建設事業は無事竣工し既に稼動している現実。等々‥‥。
未だ気持ちの整理が付かず、未消化で溜飲の下がらない情況の中で、現時点に於ける自らの思いを有りのままにしたためました。
失礼ながら、市議会の皆様方にご抜露いただければ幸甚に存じます。
平成21年5月 25日 小 堀 隆 恒
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以下は本文
平成21年5月吉日
各 位
無罪判決を受けて
1,平成21年4月27 日、私は、大阪地方裁判所で無罪判決を勝ち取ることができました。無実の罪で起訴されたわけですから、無罪判決は当然と言えば当然の結果です。しかし、他方、世の中に散見される冤罪事件を思うと、その心中は穏やかではありませんでした。
裁判官から「無罪」と言われたときの心境は、体験した者しか理解して頂けないものかもしれません。えも言われぬ歓喜の気持ちと虚脱感が錯綜した不思議な感覚でした。この感覚は、逮捕されて2年間という時間の長さとその間の苦しみの重さから来るものかもしれません。
2,無罪を勝ち取ることができたのは、裁判所が私の言い分を虚心坦懐に聞いて頂けたことが大きいとは思いますが、これまで私を支えてくれた数多くの方々のご支援ご声援の賜物と、心から感謝しております。
私の人となりをよく知って頂いている方々は、私がおよそ犯罪とは無縁な生真面目だけが取柄の人物であること、公務員として高潔であるべきとの理念の下、40年間これを実践してきたことを理解して下さっていました。
私が、逮捕されても、また起訴されても、私が無実であることを信じて、決して疑いをかけることすらありませんでした。特捜部が起訴しようが、マスコミがどれだけ騒ごうが一向に意に介さず、「小堀隆恒」という人間を心底信じてくれる人が周囲には沢山いるということが、何より私を勇気付けてくれたのです。
3,私は腎臓癌で右腎を摘出し、前立腺肥大による手術をする予定であったところ、突然逮捕されました。私は自分が逮捕されるなど全く予想もしておらず、個人的に弁護士の知り合いもいなければ、刑事事件がどのような手続きで進められるかも理解を欠いていました。
それより何より、私は自分が何故逮捕されなければならないのか、その理由を全く理解することが出来ませんでした。私は、当時、大阪府警の現職警察官で、しかも談合捜査のプロとして紹介された平原という人物に、捜査情報として尋ねられた内容を答えたに過ぎません。しかも、その情報は予算額と経審の点数であり、捜査情報として必要だとの平原の説明に何ら不合理な点はなく、しかも何ら秘密事項でもありません。
そもそも目の前の警察官が業者から1000万円もの賄賂をもらって談合に加担しているなど一般人が考えるでしょうか。一般人のこんな常識的感覚さえ、検察官は聞く耳を持ちませんでした。
私は業者と接触することを悉く嫌っており、業者から金品をもらったことなど一度たりとてありません。大阪府警をしょって立つエリート警察官として紹介された平原が、賄賂をもらっていたなどという話が、小説やテレビではなく現実にあるなどと一体誰が考えるでしょうか。
4,それでも、検察官は私の話を聞き入れません。汚職警察官の言うことが正しいと決め付け、私がそうでないと何度も申し向けても聞く耳を持ちませんでした。挙句、「二度と枚方に住めないようにしてやる。」、「お前ら家族も町を歩けないようにしてやる。」などと怒号し、机を叩きつけたり、パイプ椅子を蹴り飛ばしたりし続けました。拘置所の看守が、近所から苦情が出ていると取調べの最中にクレームを述べに来たり、多数の取調べを目の当たりにしている看守が私に「間違いをおかすなよ。」と自殺の心配をしなければならないほど過酷な取調べが続いたのです。
その上、排尿障害でカテーテルを挿入され、その挿入に問題があったがため出血が酷く、まともな手当てもされないまま、オムツを履かされ出血が止まらない状況で取調べを受けたのです。その屈辱は一生消えることはないでしょう。私は、法治国家の日本の現実かと恐ろしくなりました。
5,勾留中、私には弁護士以外とは面会できないという措置が講じられていました。
保釈後、マスコミが、私が罪を認めたであるとか、1000万円受け取ったなどと虚偽の報道を競うようにしていたことを知り愕然としました。特捜部からリークされた虚偽の事実を、そのまま平然と報道するマスコミの姿は、それまで私が持っていたマスコミ像とは全く違っていました。権力と戦う正義感に燃えるマスコミ像というのは、単なる幻想であることを思い知りました。
事件について何も知らず、マスコミからの情報にだけ接する一般人の考えは当然誤った方向に導かれます。私が勾留中、私の家族には「松岡農林水産大臣のように自殺されてはどうですか」と書かれた匿名の手紙が届きました。あの時、私の家族に何かあったとしても、マスコミは責任を認めなかったでしょう。
これが報道の自由を標傍するマスコミの実態なのかと虚しくなりました。
6,私は、40年以上、枚方市政のために全力を傾注してまいりました。それは生まれ育った、そして今後一生を終える地となるであろう、この枚方市が少しでも良くなればこそと思ってのものです。私だけではなく、先祖代々枚方市に居を構え、私の子供達を含めて、枚方市のお世話になっております。私は枚方市に仕える身として、職務に励んでおり、公務員としても人一倍自分を律してきました。
それにもかかわらず、志半ばで枚方市を去ることを余儀なくされたのです。時計の針が戻るなら、平成19年5月の時点にもう一度戻り、副市長としての職務を全うしたいとの思いです。しかし、それが適わない現在の自分の立場が、本当に辛く悔しくてなりません。
7,以上、無罪判決を勝ち取ることができた現在の心境を率直に述べました。
私は、この結果を受けて、皆様の面前において、自らの思いの丈を述べることも思慮しましたが、控訴係争中の方がいる現状に鑑みて書面といたしました。
小堀隆恒 印
平成21年4月27日、私は、大阪地方裁判所で無罪判決をかち取ることができました。
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小堀前副市長の書簡 「無罪判決を受けて」 平成21年5月25日
枚方市議会 議 長 榎 本 正 勝 様
急啓
先日5月12日0時、「無罪」が確定してから約二週間が経とうとしています。
一昨年5月末日の青天の霹靂で理不尽極まりない突然の逮捕。非人道的且つ人権無視の取調べ。
一貫して潔白を主張し続けるも強引に起訴。
その後の一年余に及ぶ裁判手続きを経ての「無罪」判決。このことが何を意味したのか?人の人生を土足で踏み躙っておいて。
優秀な職員と共に市役所一丸となり誠心誠意取り組んだ、新清掃工場と新火葬場建設事業は無事竣工し既に稼動している現実。等々‥‥。
未だ気持ちの整理が付かず、未消化で溜飲の下がらない情況の中で、現時点に於ける自らの思いを有りのままにしたためました。
失礼ながら、市議会の皆様方にご抜露いただければ幸甚に存じます。
平成21年5月 25日 小 堀 隆 恒
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平成21年5月吉日
各 位
無罪判決を受けて
1,平成21年4月27 日、私は、大阪地方裁判所で無罪判決を勝ち取ることができました。無実の罪で起訴されたわけですから、無罪判決は当然と言えば当然の結果です。しかし、他方、世の中に散見される冤罪事件を思うと、その心中は穏やかではありませんでした。
裁判官から「無罪」と言われたときの心境は、体験した者しか理解して頂けないものかもしれません。えも言われぬ歓喜の気持ちと虚脱感が錯綜した不思議な感覚でした。この感覚は、逮捕されて2年間という時間の長さとその間の苦しみの重さから来るものかもしれません。
2,無罪を勝ち取ることができたのは、裁判所が私の言い分を虚心坦懐に聞いて頂けたことが大きいとは思いますが、これまで私を支えてくれた数多くの方々のご支援ご声援の賜物と、心から感謝しております。
私の人となりをよく知って頂いている方々は、私がおよそ犯罪とは無縁な生真面目だけが取柄の人物であること、公務員として高潔であるべきとの理念の下、40年間これを実践してきたことを理解して下さっていました。
私が、逮捕されても、また起訴されても、私が無実であることを信じて、決して疑いをかけることすらありませんでした。特捜部が起訴しようが、マスコミがどれだけ騒ごうが一向に意に介さず、「小堀隆恒」という人間を心底信じてくれる人が周囲には沢山いるということが、何より私を勇気付けてくれたのです。
3,私は腎臓癌で右腎を摘出し、前立腺肥大による手術をする予定であったところ、突然逮捕されました。私は自分が逮捕されるなど全く予想もしておらず、個人的に弁護士の知り合いもいなければ、刑事事件がどのような手続きで進められるかも理解を欠いていました。
それより何より、私は自分が何故逮捕されなければならないのか、その理由を全く理解することが出来ませんでした。私は、当時、大阪府警の現職警察官で、しかも談合捜査のプロとして紹介された平原という人物に、捜査情報として尋ねられた内容を答えたに過ぎません。しかも、その情報は予算額と経審の点数であり、捜査情報として必要だとの平原の説明に何ら不合理な点はなく、しかも何ら秘密事項でもありません。
そもそも目の前の警察官が業者から1000万円もの賄賂をもらって談合に加担しているなど一般人が考えるでしょうか。一般人のこんな常識的感覚さえ、検察官は聞く耳を持ちませんでした。
私は業者と接触することを悉く嫌っており、業者から金品をもらったことなど一度たりとてありません。大阪府警をしょって立つエリート警察官として紹介された平原が、賄賂をもらっていたなどという話が、小説やテレビではなく現実にあるなどと一体誰が考えるでしょうか。
4,それでも、検察官は私の話を聞き入れません。汚職警察官の言うことが正しいと決め付け、私がそうでないと何度も申し向けても聞く耳を持ちませんでした。挙句、「二度と枚方に住めないようにしてやる。」、「お前ら家族も町を歩けないようにしてやる。」などと怒号し、机を叩きつけたり、パイプ椅子を蹴り飛ばしたりし続けました。拘置所の看守が、近所から苦情が出ていると取調べの最中にクレームを述べに来たり、多数の取調べを目の当たりにしている看守が私に「間違いをおかすなよ。」と自殺の心配をしなければならないほど過酷な取調べが続いたのです。
その上、排尿障害でカテーテルを挿入され、その挿入に問題があったがため出血が酷く、まともな手当てもされないまま、オムツを履かされ出血が止まらない状況で取調べを受けたのです。その屈辱は一生消えることはないでしょう。私は、法治国家の日本の現実かと恐ろしくなりました。
5,勾留中、私には弁護士以外とは面会できないという措置が講じられていました。
保釈後、マスコミが、私が罪を認めたであるとか、1000万円受け取ったなどと虚偽の報道を競うようにしていたことを知り愕然としました。特捜部からリークされた虚偽の事実を、そのまま平然と報道するマスコミの姿は、それまで私が持っていたマスコミ像とは全く違っていました。権力と戦う正義感に燃えるマスコミ像というのは、単なる幻想であることを思い知りました。
事件について何も知らず、マスコミからの情報にだけ接する一般人の考えは当然誤った方向に導かれます。私が勾留中、私の家族には「松岡農林水産大臣のように自殺されてはどうですか」と書かれた匿名の手紙が届きました。あの時、私の家族に何かあったとしても、マスコミは責任を認めなかったでしょう。
これが報道の自由を標傍するマスコミの実態なのかと虚しくなりました。
6,私は、40年以上、枚方市政のために全力を傾注してまいりました。それは生まれ育った、そして今後一生を終える地となるであろう、この枚方市が少しでも良くなればこそと思ってのものです。私だけではなく、先祖代々枚方市に居を構え、私の子供達を含めて、枚方市のお世話になっております。私は枚方市に仕える身として、職務に励んでおり、公務員としても人一倍自分を律してきました。
それにもかかわらず、志半ばで枚方市を去ることを余儀なくされたのです。時計の針が戻るなら、平成19年5月の時点にもう一度戻り、副市長としての職務を全うしたいとの思いです。しかし、それが適わない現在の自分の立場が、本当に辛く悔しくてなりません。
7,以上、無罪判決を勝ち取ることができた現在の心境を率直に述べました。
私は、この結果を受けて、皆様の面前において、自らの思いの丈を述べることも思慮しましたが、控訴係争中の方がいる現状に鑑みて書面といたしました。
小堀隆恒 印
平成21年4月27日、私は、大阪地方裁判所で無罪判決をかち取ることができました。
[小沢一郎ネタ] 福島県前知事・佐藤栄佐久氏が語る~検察の暴走と恐怖(下)
私の事件では、特捜部の過酷な取り調べによって、弟の会社の総務部長と私の支援者、そして東急建設の支店長2人が自殺を図りました。総務部長は一命を取り留めましたが、今も意識は戻らないまま。ベッドの上で男性の声を聞くと、検事の声を思い出すのか、険しい表情を浮かべ、顔を背けるのです。よほど取り調べがツラかったのでしょう……」
<東京地検に出頭した佐藤氏の後援会の幹部たちは「栄佐久氏の悪口を何でもいいから言ってくれ」「15分以内に言え」「想像でいいから言え」「もう図は完成していて、変えられないんだ」と執拗に迫られたという。>
「いま『取り調べ可視化』が取り沙汰されていますが、検察の恫喝には抜け道がある。弟は拘置所に向かう車中で『中学生の娘が卒業するまで出さない』と脅されました。相手は今から取り調べを受ける検事ですよ。あまりに卑劣です」
<佐藤氏も約50日間に及んだ拘置中に精神的に追い込まれ、ほぼ全面的に供述してしまった。>
「逮捕後2日間は検事と怒鳴り合っていましたが、次第に『私が自供すれば支持者は解放される』『早く“火の粉”を消さなければ…』『検事に身を任せよう…』と思うようになったのです。私は“ストレイシープ(迷える羊)”になっていました」
<一方で検察は有利な証言をした人物を手厚くもてなすようだ。>
「検察に『私から“天の声”を聞いた』と証言した元県幹部は、私の事件に絡み、競争入札妨害罪で特捜部に逮捕されましたが、起訴を免れました。公判の過程では、この人物の口座に約3000万円の出所不明な入金記録があることが発覚。特捜部はこのカネの流れを取引材料に県幹部を締め上げ、“天の声”をデッチ上げたのではないかと思っています」
特捜部長の出世と引き換えに私は政治生命を絶たれ、4人が自殺を図った
<東大法卒、参院議員を経て知事5期。「改革派知事」として霞ヶ関と戦ってきた佐藤氏には、今の検察の動きこそ、「霞ヶ関官僚の行動原理の縮図」と映る>
「ダム建設や原子力行政と同じで、一度決めた方針を覆そうとしない。いかにムチャな方針だろうと、保身に走って突っ走ってしまう。完全に『経路依存症』に陥り、捜査そのものが自己目的化しています。検察の正義は国民にとっての正義であるべきなのに、国民不在の捜査が今も続いています。政権交代を選んだ国民の意思を踏みにじってまで、強引に小沢捜査を進める必要はあるのか。はなはだ疑問です」
<佐藤氏の事件については、「当時の大鶴基成特捜部長が『これができるかどうかで自分の出世が決まる』と息巻き、乗り気でない現場を怒鳴りつけていた」と報じられたものだ。>
「特捜部長の出世と引き換えに、私の政治生命は絶たれ、弟の会社は廃業し、100人以上の社員が路頭に迷うハメになった。今後、私の無実が証明できても自殺した人々は戻りません。検察と一体化したマスコミも共犯です。『知事は日本にとってよろしくない、抹殺する』。弟の取り調べ中に検事が吐き捨てた言葉です。事件の犠牲となった人を思う、その発言のあまりの軽さに驚かされます。強大な捜査権力は実に気まぐれで、特捜検事にとっての“おもちゃ”に過ぎないのです」
<佐藤氏の裁判は現在上告中だが、検察の強引な筋立てと捜査が、いかに多くの悲劇を招くか。
小沢事件を指揮する大鶴最高検検事と佐久間特捜部長は、肝に銘じておいた方がいい。>
小沢捜査~何が目的で誰のためにやっているのか
法務省2
検察の捜査を見ていると、つくづく、こう感じてしまう。とにかく、その執念のすさまじいこと。政権交代前から、執拗に小沢を追いかけ、まさしく、政治生命を抹殺しようとしているのが歴然だ。
ターゲットは小沢ひとり、それも狙い撃ちではないか。小沢が角栄のごとく、誰が見ても黒幕、巨悪であるのならば、それも分かる。しかし、政治団体が不動産を買うのはおかしいだとか、岩手ではゼネコンは小沢に逆らえないとか、“この程度”で巨悪か?
小沢がクリーンな政治家だとは言わないが、少なくとももっと露骨で、金に汚い政治家はゴマンといる。検察の捜査には大きな疑問符がつくのである。
(中略)
本来であれば、特捜部が暴走すれば、検事総長がストップをかける。しかし、樋渡利秋検事総長は赤レンガ組の法務官僚で捜査の現場経験がない。それが佐久間の暴走を許している。
「それと、誰が指示したわけではないが、霞ヶ関全体が検察を応援しているという側面もあるでしょうね。小沢幹事長の政治生命を潰せば、永田町は混乱する。政治が混乱すれば、役人の出番になる。そんなアウンの呼吸が検察を後押ししているのです」(政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏)
よこしまな野心や怨念、権力闘争。さまざまな側面が見え隠れするのだが、少なくともそこに正義はない。これが小沢捜査なのである。
(日刊ゲンダイ 2010/01/27掲載)
以上、http://octhan.blog62.fc2.com/blog-entry-1199.html より引用転載