和日和さんから頂いた花束の百合の花が少し咲き出しました。
甘い香りが部屋中に
百合が咲く前に綺麗に咲いていた白いダリアが少し茶になってきたので
明日は、百合の花をメインにしたアレンジフラワーに活け治そうかと思います。
H12年11月30日に剣道8段を取得してから、沢庵禅師、宮本武蔵他
色々な先生方の著書を読んで勉強し、実践しようとしていた主人ですが
脳梗塞だと思っていたのが、腫瘍だとわかって常に悩んでいました。
稽古に行くたびに反省や健康状態をメモ帳に書いていました。
H15年7月8日から剣道について自分の感想や思いを書いていた雑記帳を見つけたので
順次掲載します。
前回、掲載したのは、最終の部分でした。
成人式の袴スタッフの練習会
何時もは夏前に一度するのですが(;'∀')
今年は主人の介護で大幅に遅れ
主人も少し元気になったので
ちょうど通夜の日の午後に袴の講習会を予定したいたのですが
講習会は嶋岡先生にお任せしました。
その時出来なかった娘と娘の友達
今日初めて袴の着付けを教えました。
娘の友達、日本舞踊を習って居られるのですが、舞台の時は着付けてもらっているそうです。
でも、とっても覚えが良くて
初めてにしては上手に出来ました。
頑張って練習して下さいね。。
夜は自宅のきもの教室
Iさんが振袖の練習をしました。
春に私の犬友から分けて頂いた豪華な振袖と帯
この帯にはどんな結び方が合いそうですかと言われ
刺繍がとても豪華なので、ふくら雀のアレンジ、愛ちゃん結びを教えました。
とても豪華になりました(^_-)-☆
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昨日、とても立派なお花が届きました。
ブログのお友達が送って下さいました。
最近は、ずっと何方のブログにも訪問していなかったので
とても恐縮してしまいますが
コメントやお花まで
本当にありがとうございます。
剣道部の先輩が居られ、主人の事を聞かれたとお聞きしていたのですが
「私の大学の剣道部の先輩がPL剣道部出身で、今、百合栽培農家なので贈ってもらいました。」と
きっと主人も喜んでいると思います。
私もとても癒されました。
今日は全日本剣道連盟から顕彰状を頂き
主人が指導させて頂いた月曜会の会長さんと元会長さんがお二人で持って来て下さいました。
通夜・告別式に出られなかったとホームケアの看護師さんやスタッフさん、ご近所の方や犬友さん他がお焼香に
遠方からお供えや電報、手紙が届いたりと
主人の前の備えていますが
顕彰状、主人が剣道に掛けてきただけに、生きている間に見せてあげたかった・・・
主人が生前H18,8,21に書いていた雑記を見つけました。
私も娘の所に行く時にだんじりで、何時も曲がる所が曲がれず
何度も迂回する様に言われ、だんじりが通り過ぎるのをまったりと大変でしたが・・・
2019/10/5 の出張着付は 堺市西区のS様でした。
ご親戚の結婚式にご出席
スタッフの清原と祐村、ヘアメイクの研が10時に伺いました。
ところがちょっとアクシデントがあったようです。
Googleのナビでは違うところを示し、
だんじりの交通整備をするおじさんに
道を教えていただけば、全然違うところを教えられ💦
お客様に聞きながら、探しても全然わからず、
どうしようと思っていたところへ
ご主人様が車で私達を探してくださり、
なんとかお宅へたどり着きました💦
その前には
深井駅に研さんをお迎えに行くときも、だんじりの横断するところに出会い、3台ほどやり過ごしました💦
この秋の時期の交通はご注意です‼️
お着物、帯はお母様が着られていたものだそうです。
前板は、ゴムがついたものをお持ちでしたので、こちらが持参した紙の前板を使いました。
変わり結びご希望でしたが、華やかでと伺ったので、振り袖の時の帯結びなどの写真を見ていただいて決めました。
ヘアセットは研さん
前は祐村、後ろは清原です
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9月21日の通夜には約350名、22日の告別式には170名の皆様に参列して頂き
本当にありがとうございました。
参列できないからと、通夜が始まる前や終わってから23時頃まで、
告別式には朝7時から来て頂きました。
剣道家としての主人がたくさんの方に慕われているのを見て
私を含めて家族、親族一同が知らなかった主人の一面を知り、嬉しく思いました。
寂しがり屋だった主人は、たいへん喜んでいると思います。
剣道関係の方が多く、少年剣道を教えていた頃の懐かしい方がたくさん来て下さいました。
生徒さんやスタッフさん、ご近所の方
急な事でまだ、連絡できていない所もあり、今も電話も頂いております。
お別れ会の様にしたいと言う私の希望で
通夜の時は地域の友人と主人の少年剣道~職場、そして最後の一ヶ月に大きくかかわって下さった教え子のお二方に弔辞を頂きました。
心のこもった弔辞に、涙を誘いました。
葬儀の時は、地域の問題から始まって深くかかわって下さった長谷川俊英堺市議に私の思いも込めた弔辞を頂きました。
弔 辞
剣道教士八段・坂田良一先生の御霊前に立ち、先生の剣道界における数々のご業績と、弟子の末端にお加えくださった私に賜った過分のご恩を思い返しつつ、謹んで哀悼の辞を捧げます。
先生に初めてお目にかかったのは、平成十二年(二〇〇〇年)も押し詰まった十二月二十一日だったと記憶しております。
ご用件は、お住まいのある当時の美原町木材団地の地区区長による不正を糾すために知恵を貸してほしいとのこと。当時の私は公職を離れ、大学に勤務しながら、地域の剣道クラブを主宰しておりましたが、その剣道クラブの指導者の仲立ちが、先生とのご縁の始まりでした。
その折に頂戴したお名刺には、大阪府警察本部警備部第二機動隊剣道師範とありました。正義感に溢れる先生のお話を伺い、年明け以降、同じ思いで先生と共に地域改革を志す地区住民の方々との交流が始まりました。
そして、当時の区長と地区事業受注企業との不明朗な関係などを追及し、また地区会を再生するための住民の皆さんの活動は成功しました。
奥様の正子さんが新しい区長に選ばれ、活発な住民自治活動が展開されるようになったこともあって、先生や地区の皆様とのご交誼はさらに深まりました。
三年後の平成十五年(二〇〇三年)、私が堺市議会に復帰するにあたっては皆様の大きなご支援をいただき、平成十七年(二〇〇五年)の美原町と堺市との合併により、同じ堺市民としての絆がさらに強まったかと思います。
ご公務を退かれた後の先生には、私の後援組織の要職もお引き受けいただいたほか、家族ぐるみのお付き合いを賜ってまいりました。
何年かして、先生が病を得られたことを知り、ひたすらそのご快復を願ってきたところです。ところが、先生の剣道への情熱と指導者としての責任感はすさまじく、病を押してもその責務を果たそうとされるお姿に圧倒されました。
剣道指導者としての先生のご名声は海外にも及び、中国瀋陽市からのご招聘に応じられ、また、同市から来日した剣道家のお世話をされるなど、剣道を通じての国際親善にも貢献されたことは、「さすが、坂田先生」と各界からの賞賛を集めました。
しかし、病の進行はいかんともしがたく、一昨年の京都大会への出場は、「これが最後」と覚悟を決められてのことと、奥様に伺いました。
その京都大会の出場アルバムを拝見し、品格に満ちた先生の剣士姿とともに、防具装着に手を添える正子さんのひたむきなご表情に感動させられました。
思えば、坂田先生の半生は坂田正子さんの献身によって支えられ、先生の数々のご名声は、奥様と共にお受けになられたものではないかと、思えてなりません。
まさに「九州男児」の「肥後もっこす」であった先生が、奥様に強い口調で接されることに、最初はハラハラしました。しかし、それでもすぐ、先生の行動も奥様を信じて頼る関係にあることを窺い知りました。
病床にあってご不安が増す時期であったにもかかわらず、奥様が堺市美原区の選挙管理委員という公職に就くことをお認めになったことなど、しばしば、先生の奥様への敬愛ぶりを拝見することもありました。
また、そのような先生の広いお心と他者への思いやりは、ご家族はもちろん、数多くの弟子やご友人にも及び、昨日も今日も、これほど大勢の方々がお別れを惜しんで集うことになったかと思います。
ともあれ、病院や施設ではなく、できる限りご自宅での闘病生活を選ばれ、ここ数年にわたる奥様の懸命の介護ぶりは誰もが認めるところです。
過日の弔問の際、ずっとそばで手を握り続けてご臨終を迎えたと伺い、その深い愛に包まれた坂田先生の人生は、とてもお幸せだったのだと思い至らされました。
奥様からは、「つい先日も、主人は竹刀を両手で持って素振りしていたのです」との話も伺いました。どのように体力が衰えようと、剣の道を極めようとされる坂田先生の強いご意志が伝わってきます。
と同時に、剣道家としての坂田先生への敬慕の念に満ちた奥様の思いも強く感じさせられたところです。
その奥様、そしてお子様や、おじいちゃん大好きだった八人のお孫様たちに見守られ、どうか安らかにお眠りください。
そして、黄泉の国にいらっしゃっても、よりいっそう、先生を慕う弟子たちに剣の道を教え伝え続けてくださることを切にお願い申し上げ、お別れの言葉の結びといたします。
二〇一九年(令和元年)九月二十二日
不肖の弟子
堺市議会議員 長谷川俊英
葬儀委員長をして下さった不知火会の右田先生
快く弔辞を引き受けて下さった3人の皆様、とても感謝しております。
又、葬儀のお手伝いをして下さった各種団体の皆様
そして、わざわざお越し頂き、お心のこもった言葉や献花を頂いた皆様に厚く御礼申し上げます。
行き届かないことばかりでございましたことをお詫び申し上げます。
娘たちに手伝ってもらい、四十九日を行う11月9日まで
お参りしてして頂けるように部屋も片付ける事が出来ました。
歩けなくなって1年半、ずっと居間に置いていたベットもお返しして
部屋が広くなり、ビックリしました。
昨日は、自宅介護でお世話になった看護師さんたちがお参りに来て下さり、感謝の気持ちを伝えることが出来ました。
主人が亡くなってから2週間、最初はバタバタしていましたが
告別式の時は孫3人が泊まってくれて、
月、火と交代で来てくれて
先週で手続きもほぼ出来ました。
次女は金、土日と泊まってくれて、
日曜日は長女も来て、
ちょっと寂しくなった頃に、昨日は娘2人が来てくれました。
娘2人に孫8人、私が淋しくないようにしてくれた主人に感謝です。
やっとブログにも手を付ける気になれました。