宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

大南窟

2007-10-18 | Weblog


大南窟

宝満山には古くから「七窟」という言葉があり、
山中には修行に供された石組みの窟とされる箇所が
7箇所以上に存在する。
この大南窟は筑紫野市大石側の大谷尾根道と
通称かもしか新道の間にある。
外観は縦に割れた花崗岩が屹立した形状で、
岩の根元に3畳ほどの室状の空間が開いている。


現在はこの岩室で峰入りの際の入峰灌頂がおこなわれる
修験道では重要視されている窟であり、
江戸時代の山中での回峰行においても
最南端の修法箇所として位置づけられていた。
現在では「クツ」と呼び習わしているが
江戸の絵画資料では「イハヤ」の注記もあり、
そう読むのが古い呼び方なのかも知れない。

宝満B経塚出土の経筒の銘文には「大南毘沙門堂」
と見られ、「大南」の地名は複数あったのかもしれないが
山中には12世紀以降地名として使用されているらしい。
英彦山にも同名の「大南」窟があり、
こちらは鎌倉期に成立した「彦山流記」にも記載があり
古い名称であることがわかる。
修験道段階以前の天台系山岳寺院であった頃から
この名称で呼ばれていた山中の聖地でったのであろう。

出土遺物はさらい古い。
ここでは奈良時代後期の須恵器、土師器、
製塩土器などが見られる。
宝満での山中祭祀の初期段階において
その使用が始まった古い祭祀場の一つである。
また、屹立する巨石の外観は
沖ノ島祭祀遺跡のそれを強く連想させる。
沖ノ島での祭祀が公的なものから宗像一族の
個的なものに移行していく段階であり、
その後の宝満が国境祭祀に係わった事実から
まさにその繋がりが注目されるスポットといえる。

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