愛嶽山
宝満本山とは鳥越峠を通じて連峰となる標高432mの山。
ピークは手前の愛嶽神社本殿のある峰とその奥の
枡形城とされる山城の占拠する峰とからなる。
「小岳」、「尾だけ」と書かれることもある。
神社の祭神は伊豆奈権現であったが、明治維新後に
軻遇土(かぐつち)神になった。火を司る神。
信仰としては牛馬安全、五穀豊穣の農耕に係わる事柄が主で
主に1月24日、7月24日に大石、本道寺、内山、北谷などから
牛を曳いて参拝することが恒例であったという。
その際に、土や砂を奉納する慣習があったらしい。
近世宝満二十五坊中の財行坊に係わる伝承として、
同坊に伊豆奈権現からの神託がり、参拝者が一握づつの土を奉納すれば
百万年後に宝満本山と同じ高さになり、望みをすべて叶えることが出来る
ようになる、という話が残されているらしい。
現在社地は竈門神社が管理している。
筑紫野市側からの参拝者が自主的に手を入れてあったらしいが、
ほんの数年の間に荒れてしまった。
参考文献
『太宰府市史民俗資料編』1997太宰府市
宝満本山とは鳥越峠を通じて連峰となる標高432mの山。
ピークは手前の愛嶽神社本殿のある峰とその奥の
枡形城とされる山城の占拠する峰とからなる。
「小岳」、「尾だけ」と書かれることもある。
神社の祭神は伊豆奈権現であったが、明治維新後に
軻遇土(かぐつち)神になった。火を司る神。
信仰としては牛馬安全、五穀豊穣の農耕に係わる事柄が主で
主に1月24日、7月24日に大石、本道寺、内山、北谷などから
牛を曳いて参拝することが恒例であったという。
その際に、土や砂を奉納する慣習があったらしい。
近世宝満二十五坊中の財行坊に係わる伝承として、
同坊に伊豆奈権現からの神託がり、参拝者が一握づつの土を奉納すれば
百万年後に宝満本山と同じ高さになり、望みをすべて叶えることが出来る
ようになる、という話が残されているらしい。
現在社地は竈門神社が管理している。
筑紫野市側からの参拝者が自主的に手を入れてあったらしいが、
ほんの数年の間に荒れてしまった。
参考文献
『太宰府市史民俗資料編』1997太宰府市