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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 161

2023-12-16 15:22:37 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究 19  2014年9月 
   【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)67頁~
   参加者:S・I、泉可奈、泉真帆、崎尾廣子、鈴木良明、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放
                       

161 はるかなるあたたかき闇夢見ればうぼんうぼんと海亀が鳴く

      (レポート)
距離か年月なのかずっとずっと遠くにあるあたたかな闇。その闇を夢見るわたしの耳にいま「うぼんうぼん」と海亀の鳴く声が届いているよ。「うぼんうぼん」が海中で鳴く声のように響く。上の句にあたたかな冥界を思う。作者が冥界を肯定的に詠っているように感じた。(真帆)


      (当日意見)
★158番歌〈亀鳴くと君は目を閉ずうつうつととじこめられているものは鳴け〉に続
 いて亀が鳴く歌です。こちらは海亀ですけど。こちらの「はるかなるあたたかき闇」
 は冥界なのでしょうか?(鹿取)
★「はるかなるあたたかき闇」が全く分からなかったので、真帆さんの解釈を見て、そ
 うか冥界と も考えられるなあと思いました。(崎尾)
★私は単純に南方のどこかかと思いました。(鈴木)
★南方の世界だと下の句がぐっと生きてきますよね。(崎尾)
★私はまじめに考え過ぎたのかも。皆さんがおっしゃるようにもっと楽しい世界かもし
 れないですね。(真帆)
★やっぱり死後の世界なんじゃないですか。(曽我)
★私は帰って行きたい場所のように思いました。(S・I)
★海亀がこういった音で鳴くことはないんだけど、音的に惹かれますね。(鈴木)
★158番歌の「君は目を閉ず」から考えて「はるかなるあたたかき闇」を私は女体の
 ようにも感じましたし、母の胎内のようにも思いました。暖かくて安心できる闇への
 回帰願望ですね。もちろん、死後の平安のようにとることもできますが。(鹿取)
★いろんな解釈ができるのが、松男さんの歌のよいところですよね。(鈴木)
★「夢見れば」はどう解釈すればいいんですか?夢を見ておれば、ですか?(真帆)
★憧れじゃないですか。(鹿取)
★憧れですか。まあ、実際の夢の中で亀が鳴いているのも変かな。(鈴木)
★もう戻れないかもしれないけど暖かい闇に憧れる。158番歌より安堵感を感じ
 ます。(鹿取)
★「うぼんうぼん」というこのオノマトペが凄いですね。(曽我) 
★松男さんじゃないと出てこないオノマトペですよね。(鹿取)
★よく歌会なんかで、この言葉が唐突に出てきているとか言われるけど、松男さんの歌
 は唐突のようで唐突ではない。(真帆)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 160

2023-12-15 18:59:05 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究 19  2014年9月 
   【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)67頁~
   参加者:S・I、泉可奈、泉真帆、崎尾廣子、鈴木良明、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放
                       

160 欠陥とみなされているわが黙も夕べは河豚のようにすずしい

      (レポート)
 私の沈黙を欠陥だと見なしているものがいる。けれどその私の黙しも、夕方ともなればまるで河豚のようにすずしいものだ。結句に清々しさの実感があると思う。(真帆)


     (当日意見)
★皆さん意見がないようですけど、あまり考えすぎないでいいんじゃないですか。〈わ
 れ〉が寡黙なことを周囲では(主に職場でしょうかね)欠陥のようにみなしているけ
 れど、この寡黙も夕べは河豚のように涼しいと素直に読みました。「夕べは」ととり
 たてているのは職場がはねた後ということでしょうか。「すずしい」というのも松男
 さん愛用の感覚表現で、気温や衣服のすずしさとかを超えた、何か手ざわり感のある
 言葉なのですが説明するのが難しい。でも、共感できます。同じような「すずしい」
 はこれまでにも出てきたし、後の歌集にも出てきます。この160番歌は寡黙と河豚
 の取り合わせが余裕があるようで面白いですね。(鹿取)
★河豚刺しを思っちゃうんですよ(笑)。お皿が透けて見えるでしょう。あの涼しさった
 らないですよ(笑)。(鈴木)


      (まとめ)
火口原わが耳となるすずしさよ夏の夜深く落石つづく『寒気氾濫』
透りたる尾鰭を見れば永遠はすずしそうなり化石の石斑魚(うぐい)『泡宇宙の蛙』

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 159

2023-12-14 09:55:18 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究 19  2014年9月 
   【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)67頁~
   参加者:S・I、泉可奈、泉真帆、崎尾廣子、鈴木良明、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放
                       

159 地獄へのちから天国へのちから釣りあう橋を牛とあゆめり

      (レポート)
地獄へむかっている力と、天国へむかっている力とが、ちょうど均衡を保っているところに橋がある。「牛とあゆめり」を私は〈牛と成って〉という意味にとった。漱石が芥川龍之介と久米正雄に宛てて送った言葉を一首の鑑賞のヒントにした。「たゞ牛のやうに図々しく進んで行くのが大事です」「牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。」天国地獄というのは善悪の思想だとおもうと、そのどちらでもない中庸を、作者は独り漱石の牛のように歩んでるのではないか、と思った。(真帆)


      (当日意見)
★私は牛と一緒にだと思いますが、牛と一緒じゃまずいですか?(鈴木)
★禅に牛の十牛図というのがあって、そういうのを全部呑み込んだうえで松男さんは書
 いていらっしゃると思う。だから牛になるのではなく牛と一緒にでないといけない。
  (可奈)
★私はニーチェなんかを思いました。『ツァラツストラはかく語りき』に、彩牛という
 町が出てきてそこでツァラツストラは若い弟子達に超人になるための精神の変化を説
 いたりするんですけど「橋」いうのもツァラツストラによく使われる比喩です。たと
 えば「人間が偉大なのは、人間が橋であって、目的でない点にある」というように。
 こんな短い引用では何も伝わりませんけれど。159番歌 は意識の上でこのニー
 チェの句と重なる部分があるように思います。それと「釣り合う」というのも松男さ
 ん愛用の思考パターンですよね。今日死ぬ鳥と千年生きる木が釣り合えよ、という
 意味の歌もあるし。159番歌はとてもスケールが大きくて好きです。地獄からも天
 国からも釣り合う所にある橋、距離ではなくてちからが釣り合うところが深いし難
 しいですね。力と言っても善悪は超えたものだと思いますけど。中空に架かった橋を
 牛と一緒にゆっくり歩いている〈われ〉がリアルに見えるみたいです。(鹿取)
★作者は中庸を行く、ということを言いたかったのではないでしょうか。(曽我)
★いや、松男さんは道徳のプタハ作らないです。地獄と天国とは言っても、人間の作っ
 た道徳的な概念とかいうものは超えたところで思考している歌だと思います。それは
 松男さんの歌全般に言えると思いますけど。(鹿取)
★牛と歩めりというところ、とても意志的なものを感じました。 (S・I)
★レポートで漱石が牛のように進めと言っているのが面白かった。幸田文がエッセーで
 父の露伴が「牛の歩み」をしようという意味の句を作っていたと読んだことがある。
 あの時代の文人の共通認識んでしょうかね。明治という激動の時代だから、政治家は
 やたら走りまわっているけど、立ち止まって深くものを考える人は時代にブレーキの
 必要性を感じていたのでしょうかね。(鹿取)
★それと牛が出てくるのは、今よりありふれていて、牛はどこにでもいる身近な動物だ
 ったからじゃないですか。(真帆)


     (まとめ)
発言中の鳥と木が釣り合う歌は、第二歌集『泡宇宙の蛙』にある。
 〈釣り合えよ 今日死ぬ鳥のきょうの日と千年生きる木の千年と〉
 釣り合う歌は、『寒気氾濫』にもあった。
 〈存在ということおもう冬真昼木と釣りあえる位置まで下がる〉
 幸田露伴の句は〈天鳴れど地震(ない)ふれど牛の歩みかな〉
 ちなみに露伴と漱石は同じ1867(慶応3)年生まれ。露伴は〈蝸牛庵〉と号したのでゆっくり歩むことはモットーだったのだろう。
 ところで、私はニーチェに思い入れがあるので、〈彩牛〉とか勝手な発言をしているが、松男さんは哲学を体系的に研究し、哲学以外にも広い知識を持っている人だ。また何よりも思索の深さや広さははかりしれない。自分の狭い知識からニーチェなど持ち出して批評しているのはとても恥ずかしい。また、泉可奈さんから出た禅の十牛図というのも興味深い。なるほど、牛を連れて橋の上を歩いている図は東洋的で、水墨画などにも描かれているような気がする。(鹿取)

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渡辺『』『寒気氾濫』の一首鑑賞 158

2023-12-13 15:59:31 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究 19  2014年9月 
   【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)67頁~
   参加者:S・I、泉可奈、泉真帆、崎尾廣子、鈴木良明、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放
                       

158 亀鳴くと君は目を閉ずうつうつととじこめられているものは鳴け

     (レポート)
 「ああ、亀が鳴いている」と君は目を閉じる。閉じ込められて鬱々としているものたちよ声を上げよ。「亀鳴くと」をどう読めばよいのか迷った。〈亀が鳴けば〉なのか〈亀が鳴くと(君が)言って〉なのか。わたしは後者だと思った。三句以下は作者のメッセージだと受け取ったが、ではなぜ「亀」でなければならなかったのだろうかと疑問に思った。事典をひくと「亀」の【伝承・民俗】(中国)に目がとまった。「亀の担うもう一つの重要な神話的な役割は、大地の下にあって大地を支えることであった。馬王堆漢墓出土の帛画(はくが)にも見られるように、この大地の底には、水生の動物がいると考えられていたが、日本のナマズの伝承につながる大魚などのほか、亀の一類が地底にあって大地を支えていると考えられる場合もあった。」(世界大百科事典 六巻 平凡社)「大地の下にあって大地を支えること」という中国の伝承が「亀」をモチーフに使われた理由のひとつとも思えた。(真帆)


      (当日意見)
★うちの亀はピーピーと変な鳴き方をしていました。(S・I)
★俳句では「亀鳴く」というような季語があって、実際は鳴かないんだけどオスがメス
 を呼ぶときに鳴くような声を上げるといわれている。空気の出る音かもしれないけ
 ど。(鈴木)
★では何か恋に関係する。(鹿取)
★そういうニュアンス。それで君が出てくるのかなあ。(鈴木)
★でも、君は妻にしろ恋人にしろ、閉じこめられているのは亀ですよね。それとも君も
 亀と同じように閉じこめられているのかしら?押し込めているものを解放し、本能を
 むき出しにしなさいよと。そうするとこれは非情にエロチックな歌なのかしら?
   (鹿取)
★俳句と同じように考えれば、そういった性的なものがあるのかもしれないですね。
   (鈴木)
★今の話だと「目を閉ず」がよく伝わってきますよね。(崎尾)
★「うつうつととじこめられているものは」だから、亀も君もその他の閉じこめられて
 いるものはみんなってことでしょうか?(真帆)
★そうですね。そういう広がりのある歌なんですね。(鹿取)


        (まとめ)
 この歌には直接関係ないが、真帆さんのレポートの「大地を亀が支えている」という中国の伝承、東洋にもあったのかと感動した。ホーキングが講演をした後、聴衆の老婦人が寄ってきて「あなたのお話しは面白かったけど、本当は地球を支えているのは無数の亀なのよ」と言う旨の発言をしたエピソードを読んだことがあるが、亀が大地を支える話は洋の東西にあるんですね。
 ところで、歌集『蝶』の冒頭に「びめう」と題する亀が鳴く一連がある。こちらは、より生死の根源にかかわる思いのようだ。そして、生死の根源には当然性もかかわっている。(鹿取)
 亀鳴くはきみにもぼくにもびめうにてそのびめう互(かたみ)にわかりてゐたり
  あとかたもなきおもひなどかたいせつな雲のごと亀の鳴くを待ちをり
  くらやみに亀鳴くはいかなかなしみか閻浮のそとゆ漏れてくるこゑ
  亀鳴くを聴きとめてせんねんまんねんを耳にとどめてゐるのもかなし
  鳴く亀は一世(ひとよ)のふしぎおもはせていつのまにわれ椅子に寝てゐし

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 157

2023-12-12 11:04:24 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究 19  2014年9月 
   【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)67頁~
   参加者:S・I、泉可奈、泉真帆、崎尾廣子、鈴木良明、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放
                       

157 身はじょじょに眠りにむかい重くなり犀となりしとき水月浮かぶ

(レポート)
 眠りに落ちようとするわれの体がしだいに重くなって行き、ついには犀になってしまった。犀のわたしの目には水面に映っている月が見えている。あるいは、犀のわたしは水中にいて水の中から水面に映る月を見ているのかもしれない。
 作者はいろいろなものへ成り代わるが、ここではなぜ「犀」なのだろうかと思った。この後に続く158〜161番のうたも連作として繰返し鑑賞しているうちに、なんだか「犀の角のようにただ独り歩め」というブッダのことばが重ねられているのだろうかと思うようになった。(真帆)


     (当日意見)
★犀というものは重いものじゃないですか、だからあまりブッダとか背景を考えなく
 ともいいんじゃない。水月というのは幻という意味もあるので幻の月を見たのかもし
 れないなと。(曽我)
★そうですね、ブッダのこの言葉は有名だから当然松男さんの頭にもあって、そこから
 来た言葉かも知れないですね。松男さんには気持ちよき犀の放尿というような歌もあ
 るし、句集にも「犀といふすごい秋思がやつてきた」と犀が詠まれていますけど、こ
 の歌はこの句のような精神的意味合いはあまり考えなくていいのじゃないかなあ。眠
 くなった時の感覚が犀の鈍重さとか重さに重なる。朦朧として犀になったときに意識
 に水月が浮かんだ、あるいは犀になった〈われ〉が水の中にいて水面に浮かぶ月を見
 上げているイメージでもいいけど。(鹿取)
★犀となった時は自覚的なのじゃないかな。その時になってやっと海の中が見えた。
   (慧子)
★そうすると慧子さんの読みでは、犀になった時、悟りとかそういう宗教的なものが宿
 った事になるんですか?(鹿取)
★そういう匂いがちょっとします。(慧子)
★私は身が重くなって犀になった時、そこに夢まぼろしのように水月がゆらめいていた
 ととりました。あまり自覚的だと、犀になっておぼろの中に眠っていくイメージが台
 無しになってしまう。(鹿取)
★悟りとかとは全く違って眠りに入るときの状況そのものかなあと。(鈴木)
★私も眠りの心地よさを表しているのかなあと。(崎尾)
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