かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 401 中欧⑥

2023-12-21 13:07:25 | 短歌の鑑賞
 2023年度版 馬場あき子の外国詠55(2012年8月)
     【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P113
     参加者:K・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、
         藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:曽我 亮子 司会と記録:鹿取 未放
       


401 かへりみるプラハ城はればれと静かなり歴史はいまによりてかがやく

      (当日発言抄)
★今があるからこそ過去が輝いて見えると詠っているのではないか。昔の時点ではそれ
 は輝いていなかったのではないか。(慧子)
★「歴史はいまによりてかがやく」の部分はあんまり重く考えたくない。むしろ初句が
 大切ではないか。かえりみるとプラハ城が晴れ晴れと静かに建っている。その空間的
 な視野にふっと時間的なことも考えているのではないか。(鈴木)
★どこの国も歴史は重い。だからこの歌はあっさりとった方がよい。(藤本)
            

       (後日意見)(2015年9月)
 もう一度、見ておこうとプラハ城を振り返ると、様々な歴史の変遷の渦中にあった城は、なにごともなかったように1100年の時を経て晴れ晴れと、静かに佇んでいる。それは過去の歴史を浄化して、新しい歴史を明日へとつなぐ輝きのように思われることだ。
 プラハ城は、聖堂、修道院、王宮、旧王宮などの様々な建物から構成されており、城というより街である。聖ヴィート大聖堂、フランツ・カフカの住んだ家なども城内にある。1100年以上の歴史を持つ世界最大のプラハ城は、1992年には世界遺産に登録され、今ではチェコが誇る観光名所となっている。歴代のボヘミア王、ローマ皇帝、チェコスロヴァキア大統領が居住し、現在もチェコ共和国の大統領府として使用され、ミロシュ・ゼマン大統領が、2013年以後、執務を行っている。チェコ市民の象徴的建物でもあり、フラチャヌィの丘からプラハの街を見下ろしている。1968年春にチェコスロバキアで起きた「プラハの春」といわれる民主化の動きでは「ドゥプチェクを城へ!」というのが民衆のスローガンであったが、ソ連・東欧軍の介入により弾圧された。1989年ビロード革命で、共産党政権が崩壊。再び民主化を進めたハヴェルが大統領に就任して、プラハ城の主となった。(S・I)

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馬場あき子の外国詠 400 中欧⑥

2023-12-20 11:14:20 | 短歌の鑑賞
 2023年度版 馬場あき子の外国詠55(2012年8月)
    【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P113
     参加者:K・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、
         藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:曽我 亮子 司会と記録:鹿取 未放
       

400 ここに誰れ逢ふべくもなき街ながらプラハ美し夕べも昼も

      (レポート抄)
 私にとってこの地は誰と逢うつもりもない行きずりの街なのだけれど、プラハは本当に美しい。昼も夜もそれぞれに何とも言えない雰囲気に満ちた魅力的な街なのだ。(曽我)


      (当日発言)
★レポートに「逢うつもりもない」と解釈してあり、「逢」という文字からすると約束
 ととれなくもない。一方、予定ではなく偶然に知り合いに逢うなどないとも考えられ
 る。(鹿取)
★街というのはただぶらぶら歩くのではなく、普通は誰かに逢うものだという前提。こ
 こでは約束ではないと思う。街の美しさを強調するためにこう言っている。(鈴木)
★偶然には知り合いに逢うことなどない街だけれど、プラハは夕方も昼もこんなに美し
 い。もし、知り合いにあったら美しいねと感動を共有したいけれどそれができない。
 だからもったいない、たった一人でこの美しい風景を眺めているのは、という気持ち
 なのだろう。まあ、実際は旅の同行者がいたわけだけど。
 ただ古歌に「心ある人に春の難波のすばらしい景色を見せたいものだ」というのがあ
 って、あれと同様の気分だと約束して逢う方がふさわしくなる。古歌は有り体にいえ
 ば自分と同じくらい の情趣を解する心、鑑賞眼を持った人にこのすばらしい難波の
 春景色を見せたいということ。この景色を誰とも分かち合えないからこそ、ますます
 美しくもったいなく感じるのだろう。(鹿取)


      (後日意見)
 「誰れ逢ふべくもなき」は、助詞の省略された言い回しだが、それ故の切迫感のようなものがある。意味はやはり〈誰かと約束して逢う〉ということもないけれど、というのだろう。この街のすばらしさを分かちあう人がいない寂しさを詠っているのだろう。〈誰〉は、自分と同じように〈情趣を解する人〉という意味だろう。偶然あうだと〈情趣を解する人〉の意味合いが薄れてしまう。
 当日発言の中で話題にした歌は、正確には次のとおり。
〈心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春の景色を〉(後拾遺集)能因法師
 ところで理由は不明だが、ヒトラーはプラハの街だけは爆撃しなかったという。おかげでこの古い街並みがそのまま残っている。絵画を殊に愛したヒトラーだから、この街の美しさも壊すに忍びないと考えたのだろうか。(鹿取)


     (後日意見)その2
 〈心あらむ(情趣を解する)人〉にあまりこだわるととがった解釈になってかえって歌の情趣がそがれるようだ。前言を撤回するようだが、誰か知り合いや友人とこのプラハの美しい景気を共に味わいたいものだ、というように解釈する方がふっくらとしてよいのだろう。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 399 中欧⑥

2023-12-19 16:16:46 | 短歌の鑑賞
 2023年度版 馬場あき子の外国詠55(2012年8月)
     【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P113
     参加者:K・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、
         藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:曽我 亮子 司会と記録:鹿取 未放
       

399 ただ一日(ひとひ)見て別れなむカレル橋灯の入れば三十の彫像の翳 

      (レポート抄)
 たった一日だけ見て別れてきたカレル橋だが、今夜もまた黄昏れてランタンに灯がともれば三十体の彫像それぞれの長い陰影が橋上に伸びていることだろう。(曽我)


     (当日発言抄)
★レポートには「別れてきた」とあるが、解釈が違う。(慧子)
★そうですね。「なむ」の識別は難しいですが、ここは完了の助動詞「ぬ」の未然形
 「な」+推量の助動詞「む」の終止形「む」で、たった一日だけ見て「分かれるのだ
 ろう」の意味ですかね。気分的には「分かれてしまうのだなあ」と惜しむ気持ちを込
 めて読みたいところですが。カレル橋に灯が入ったので三十体の彫像が翳を濃くして
 いて、それが魅惑的なのでしょうね。(鹿取)
★二句切れの限定が効いている。(鈴木)
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馬場あき子の外国詠 398 中欧⑥

2023-12-18 18:39:33 | 短歌の鑑賞
 2023年度版 馬場あき子の外国詠55(2012年8月)
     【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P113
     参加者:K・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、
         藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:曽我 亮子 司会と記録:鹿取 未放
       

398 カレル橋たそかれ色に青むころともし灯は影を生みたく灯(とも)る

      (レポート)
 カレル橋に夕暮れがきて、淡い青色のしっとりとした靄に包まれる頃が何ともあわれに美しい。欄干に灯る灯火は影を作りたくて灯るのだろう。(曽我)


     (当日発言抄)
★「カレル橋」と「たそかれ」は韻を踏んでいる。(慧子)
★下の句「影を生みたく灯(とも)る」が独特。(鹿取)
★下の句の擬人法はあまり好きではない。上の句も「たそかれ色」に「青む」といっ
 ているが、たそかれ色」って既にある。それを「青む」といっても青もいろいろある
 のに。思い入れがあるのだろうが技巧的で好きではない。(鈴木)

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馬場あき子の外国詠 397 中欧⑥

2023-12-17 21:30:13 | 短歌の鑑賞
 2023年度版 馬場あき子の外国詠55(2012年8月)
     【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P113
     参加者:K・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、
         藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:曽我 亮子 司会と記録:鹿取 未放
       

397 行けば影プラハの夜の深い影わが影にふと寄り添ふやうな

      (レポート)
 街を歩けばプラハの夜の濃密な影がいつのまにかすっーと私の影に寄り添ってくる様な一体感がある。何とも言えない近親感を覚えるプラハの夜である。作者には「影」を歌う歌が多々見られるが、心を投影した深い「影」なのだろう…。(曽我)


     (当日発言)
★歴史のある街の重さや奥深さを感じる。(崎尾)
★中世の建物が残って林立している街の夜の影のことも言っているのだろう。それがわ
 たしに寄り添うということで、作者の都市への深い思いを表現している。(藤本)
★下の句がポイント。ニューヨークや東京ではこういう思いは出てこないだろう。古い
 町並みのよさが表現されている。(鈴木)

 
      (まとめ)
 「カレル橋」一連は光と影を意識的に詠っている。この397番歌には影という語が3回も出てくる。プラハの夜の影はやはりプラハの歴史を背負った影なのだろう。その歴史はもちろん悲惨なものもあるが、築いてきた文化の歴史でもある。影を曳いてそのなかを漂うように歩く姿にはどこか陶酔感もあるようだ。(鹿取)
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