かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 166

2023-12-26 10:39:52 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究 21 2014年10月 
    【音符】『寒気氾濫』(1997年)70頁~
     参加者:S・I、泉真帆、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放


166 平面はぐにゃぐにゃとなることもなきわがQUARTZの秒針の影

      (レポート)
 「物質が存在すると時空が曲がる」(アインシュタインの一般相対性理論)が念頭にあって、この歌が詠まれている。この理論によると物質の質量(重さ)が大きいほど周囲の時空は大きく曲がるが、正確な時間を刻むはずのQUARTZ腕時計にも、この原理が及んでいることを作者は感じている。さすがに、空間(平面を含む)がぐにゃぐにゃになる「空間の曲がり」を見ることはないが、「時間の曲がり」=「時間の遅れ」を「秒針の影」に見ているのだ。 (鈴木)
  ※(1)辞書によると、QUARTZとは水晶に一定の電圧を加えると決まった時間内
   に決まった回数、正確に発信するという特性を利用した、水晶発振式時計であ
   る。水晶の温度が高くなると狂いが生じてくるので、大型の保温装置を必要とし
   たが、六十四年の東京オリンピックのとき、電流の流し方で温度を調節できる小
   型化に成功し、腕時計も可能とした。
  ※(2)相対性理論には「特殊相対性理論」と「一般相対性理論」がある。前者
   は、「物体が等速直線運動を行っている場合」にのみ当てはまる理論であり、こ
   れに修正を加えて加速度運動(重力)にも当てはまるようにしたものが、後者。


      (同日意見)
★ダリの絵でこういうのがありますね。時計がぐにゃっとして垂れ下がっている。あの
 絵の意味はよくわからないのですが、あの絵に近いものを感じます。(N・F)
★「時間の固執」でしたっけ?松男さん、ダリが嫌いで僕はマグリットが好きですとい
 ろんなところで言っている。これも、僕の時計はダリのようにはならなくて、秒針の
 影もしっかり見えているって。マグリットの端正な感じが秒針の影のイメージにはあ
 るのでしょうか。ダリはよく分からないから言えないけど、冷静に技巧駆使した結果
 なのに絵は情念のどろどろが出てるような気がする。ああいう情念の放出の仕方が、
 松男さんは嫌なのかな。(鹿取)
★ダリの絵、「記憶の固執」じゃないですか。普通時間って直線ですよね。でも、ニー
 チェなんか循環していますよね。仏教にも循環がありますけど、そんなふうな自然の
 移り変わりや生まれ変わりって意味なのかなあ。(S・I)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 165

2023-12-25 17:32:45 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究 21 2014年10月 
    【音符】『寒気氾濫』(1997年)70頁~
     参加者:S・I、泉真帆、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放


165 首絞めていしネクタイを夜にほどくとき空間は湯気立ちはじめたり

      (レポート)
 サラリーマンなら誰しも実感するだろう。「締める」ではなく「絞める」ほどに首を拘束していたネクタイ。それを夜に帰宅してほどくときの解放感と安堵感が感じられる。季節によっては湯気が見えることもあろうが、実際の湯気ばかりでなく、拘束されて内部に渦巻いていた様々な思いが湯気となって立ちはじめたのだ。(鈴木)


      (当日意見)
★松男さんの歌に白鳥が鳴くとき湯気が立つというのがあって、いかにも鳴くときはエ
 ネルギー使って湯気が立つような気がする、だから白鳥の頭から湯気が立っている絵
 をリアルに思い浮かべて読んでいた。これも似たようなところがあるけど、ネクタイ
 をほどいて直接摩擦のある首ではなくて空間に湯気が立つところが白鳥の歌とは違
 う。摩擦の熱が空間に伝わって、何ほどかは放射している、でこの歌読むと、空間に
 たちのぼる湯気が映像としてリアルに見えて面白い。(鹿取)
★これ、とてもリアルな歌ですよね。ネクタイすることで自分を殺して組織の中で生き
 ているんだけど、外すと本音がぼろぼろ出てくる。溜まっていたものがもあもあと出
 てくる。それを湯気と表現したのではないか。しみじみと実感がこもっている歌だ。
   (N・F)
★はい、私もそう思います。N・Fさんの意見に大賛成です。


      (まとめ)
 鹿取の発言中にある白鳥の歌は、『泡宇宙の蛙』にある。
  白鳥の鳴くときすこし湯気が立つ今二羽が鳴きふたすじの湯気
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 164

2023-12-24 10:48:35 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究 21 2014年10月 
      【音符】『寒気氾濫』(1997年)70頁~
      参加者:S・I、泉真帆、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
         渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放


164 黒き手帳日にいくたびも開かれて別のわたしが出這入りをする

      (レポート)
 この歌を、もし「わたし」を主格にすると、スケジュールに従ってその時々の役割をこなすため、予定や次第を書き込んだ黒き手帳を日にいくたびも開く、と一般的な詠み方になる。ところが、本歌では「黒き手帳」が主格になっている。そのために、手帳管理者の「わたし」のほかに、手帳を開いて覗きに来る「わたし」が生まれ、そのときどきの役割を担った個別の「わたし」が出這入りをするのである。
主客を変えることによってこのように見え方が異なり、「わたし」の実感は、よりリアルなものとなっている。(鈴木)


     (当日意見)
★たぶん、渡辺さん的には複数の〈われ〉があって、ある時は欅にあるときは鳥にな
 る。黒き手帳の中でもいろんな役割を自分が担うことになる。同じ手帳でもジャンル
 からきっていけばまったく違う自分というものがその中に存在する。だから開く度に
 同じ〈われ〉じゃなくて別の〈われ〉が出たり入ったりする。そこが非常に哲学的な
 歌になっているのかなと。(N・F)
★低い次元で考えると個人のスケジュール帳には過去、未来、現在といろいろ書いてあ
 るのですが、日に何度も開いてそれに対応した私が出入りをするということですよ
 ね。(S・I)
★N・Fさんの意見にとても同感しました。日常的に読めば、客にあう自分、デスクワ
 ークの自分、講演をする自分って別の顔をもっているので、S・Iさんのようにも読め
 ますよね。(鹿取)
★多重の、複数の私がいると考えていいんじゃないでしょうか。(S・I)
★〈われ〉というのは規定できなくて、あそこに行く〈われ〉とここにいる〈われ〉は
 違って、そのことを認識しているから、別の〈われ〉って強調されたのかなあ。
 (真帆)
★器用に何でもできる人はあまりこんなことは考えなくて、不器用だと自分の役割がは
 ねかえってくる。私って一つだとは言えないので、私の本質なんかなくて関係性の中
 でだけ私はあるのかもしれない。渡辺さんは不器用だから、こういう歌ができるん
 じゃないか。(鈴木)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 163

2023-12-23 09:27:28 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究 21 2014年10月 
    【音符】『寒気氾濫』(1997年)70頁~
     参加者:S・I、泉真帆、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放


163 手と足と首がてんでんばらばらにうごきはじめて薄明に覚む

      (レポート)
 薄明に目覚めたとき、身体の各所がばらばらに自覚され、それが徐々に統べられて意識としての目覚めに繋がってゆく様子が詠われている。普段われわれは、①意識の目覚めが先ずあって、②起きようと思い、③身体を起こす、と一般的に思っている。しかし、この歌では、これとは逆に五感など身体感覚から目覚めてやがて徐々に統合した目覚めの意識になってゆく。このような逆転した心身の経過に目を注いでいるところが、面白い。
  ※早起きの習慣が身についてくると、定刻になると心身の葛藤がなく目覚められた
   り、反射神経のように意識を経由せずに無意識に身体が先行し、後から意識・意
   志がそれを追認するケースも、これと同じようなことであろう。(167番歌
   「寒林のなかに日当たるところあり抜けや すきわが魂はよろこぶ」の「魂」を思
   わせる。(鈴木)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 162

2023-12-22 10:19:59 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究 21 2014年10月 
  【音符】『寒気氾濫』(1997年)70頁~
   参加者:S・I、泉真帆、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
         渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放


162 月読に途方もなき距離照らされて確かめにいくガスの元栓

      (レポート)
 夜も更けて寝ようとして、安全のため、ガスの元栓が閉まっているかどうか、確かめに行ったのだろう。神々しい月が照るなかでガスの元栓までの距離が途方もなく長く感じられたのだ。それは活動的な昼間とは異なる、寝静まった夜の時間感覚によるところが大きいのだろうが、煌々と照る月の光が一層その距離を遠いものにしている。(鈴木)


      (当日意見)
★どの建物のガスの元栓かは言われていない。そこが面白い。帰宅途中に勤務先に戻っ
 ていくのかもしれない。「途方もなき距離」に気持ちが表されている。(真帆)
★月読というロマンチックなものとガスの元栓というリアルなものを並べて、非常にイ
 ンパクトの強い歌。月から派生したルナティックという語があるが、これは狂人とい
 う意味もある。月の明かりは昼間閉じこめていた情念を呼び出す。だからガスの元栓
 との結びつきはとても考えられたものだと思います。(S・I)
★なるほどね、そういう二物を持ってくるのは前川佐美雄なんかがやりましたよね。と
 ころで、「途方もなき距離」は〈われ〉とガスの元栓までの距離ではなく、月から
 〈われ〉への距離で、遠方から来た月の光に照らされながら、ガスの元栓を確かめに
 行く、と読んでいました。だから戸外のイメージです。ただ、戸外にあるガスの元栓
 を毎日閉めているとも思えないので、この日は何か特別気になることがあったのだろ
 う。防災上というより心理的な要因だろうか。(鹿取)
★寝静まった夜の感覚がうまくうたわれているのかな。遠い月光から近い元栓に引き戻
 していくところが渡辺さんの特徴かなと思います。(N・F)
★「照らされて」の「て」は、照らされて、「そして」行くのか、照らされ「つつ」
 いくのか、どっちなのでしょう?(真帆)
★「つつ」の意味だと思っていましたが、皆さんはどう思われます?(鹿取)
★私は勤務先まで戻る状況というのは考えていなかったので、照らされる中を、と読ん
 でいましたが。(鈴木)
★私も鈴木さんと同じで、距離もレポートのように思っていたのですが、鹿取さんの発
 言聞いたら月からの距離かなと。(真帆)
★両方にとっていいんじゃないですか。月からの距離も、ガス栓までの距離も遠い。
    (鈴木)
★私も両方でいいかなと。ガス栓までは何か心理的に遠いんですよね。(鹿取)

※後日、田村広志さんから「途方もない距離は心の距離で、何かに、たぶん人の、思う人に届か  ない、そんな感じ。だからガスの元栓も比喩。」というご意見をいただいた。


      (後日意見)
 先月鑑賞した156番歌に「抽出しのなかに隠れているわれを大声で呼ぶ満月ありき」があった。月の光の力強さ、そして今回のは月の神秘性。
 また、煌々と照る月の光といえば李白に有名な「静夜思」があるのを思い出した。
   牀前 月光を看る  疑うらくは是 地上の霜かと
   頭を挙げて 山月を望み  頭を低れて 故鄕を思う
 今回の歌は李白と違って、S・Iさんの発言のようにリアルなガスの元栓に結びついているところが現代的で哲学的だ。(鹿取)


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