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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 184(中国)

2019-03-12 22:17:21 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の旅の歌24(2009年12月実施)
    【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)124頁~
     参加者:K・I、N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・S 司会とまとめ:鹿取 未放


184 西安の街上にひまはりの香を放つ向日葵の種子食みかがやきて

         (レポート)
 この歌では馬場先生は向日葵の種を食べたことになる。はたしてそうだろうか。それとも向日葵の種を食べながら歩いている人とすれちがった。この香ばしい匂い、素朴な匂い。と同時にその人の面差しの輝きに感動している。(T・S)


     (当日意見)
★作者が食べても、他の人が食べてもどっちでもいい。明るくて素朴な西安の街 。(藤本)

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馬場あき子の外国詠 183(中国)

2019-03-11 17:59:02 | 短歌の鑑賞
   馬場あき子の旅の歌23(2009年11月実施)【紺】『葡萄唐草』(1985年刊)
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放


183 彼方越ここは呉地なる六和塔の十三層上春たけてをり

     (レポート)
 今、先生は 六和塔の十三層上に居られる。はるかかなたを眺めると、かつてあちらの方は越の国だったなあ、そして今、私は呉と言われた国の六和塔の十三層にいる。周りを見渡すと、花咲き鳥が歌う春たけなわである。旅情を充分に感じておられるご様子が、ほほえましい。(T・H)
   呉、越:春秋戦国時代(BC600年~500年頃)の覇者。


     (当日意見)
★ 呉越同舟(N・I) 

     
      (まとめ)
 六和塔は、杭州市街の南方、銭塘江沿いの月輪山に建っている。銭塘江の逆流を鎮めるために970年に建立されたが、戦乱によって消失、何度か建て替えられて、最近では清代(1900年)に木造の外層が造られたそうだ。銭塘江を見下ろす高台にあるため、灯台としての役割もあったそうだ。その十三層は60メートル近くあるので呉越同舟の語源になった越の地の方角の指示標識もあるのかもしれない。その塔の上から何事もなかったかのような春景色を眺めていると、さまざまな感慨がわくのであろう。「春たけてをり」の結句に寂しいような明るいような茫漠とした気分がにじんでいる。ちなみに呉越の戦いは春秋時代の話で、呉が滅亡したのはBC463年のことである。     (鹿取)

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馬場あき子の外国詠 182(アフリカ)

2019-03-10 19:32:00 | 短歌の鑑賞
   馬場あき子の旅の歌23(2009年11月実施)【紺】『葡萄唐草』(1985年刊)
    参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放


182 銭塘江逝くともみえず後漢書の春も白木蓮(はくれん)咲きたるかなや

      (レポート)
 銭塘江は、悠久の昔から今も変わらず流れている。その岸辺に咲いている白木蓮の花は、後漢書の時代の春にも、今のように美しく咲いていたのかなあ、との感慨。銭塘江のゆったりとした流れを、なぜ「逝く」ともみえずと表現されたのであろうか。銭塘江の流れと「後漢書」と結びつけて思いを巡らされる先生の歴史に対する認識の深さに脱帽です。(T・H)

   銭塘江:浙江省の北西部の川。多くの支流を集めて杭州湾に注ぐ。長さ406㎞。
   後漢書:中国、後漢(AD25~225年)の正史。二十四史の一つ。120巻。選者は、       本紀十巻、伝記八十巻が、南朝宋の笵曄。志三十巻が、晋の司馬彪。「東夷伝」に、       古代日本に関する記述がある。


      (まとめ)
 「逝く」の文字に疑問をもつ会員が多かったが、論語に孔子が川のほとりで言った「逝くものはかくのごときか、昼夜を舎(お)かず。」との有名な句があって、水が流れ去るという意味だと分かる。銭塘江は杭州湾に注ぐ全長688㎞の浙江省内を流れる河川である。蛇足だが、この杭州湾を横断し、上海と寧波を結ぶ35.6㎞の杭州湾海上大橋が2008年開通したそうだ。
 銭塘江は流れていると分からないほどゆったりと流れ、岸辺には白木蓮が美しく咲き誇っている。遠い後漢書の時代の春もこんなふうに美しく白木蓮が咲いていたんだろうなあ、という感慨。後漢書と銭塘江の関係は、私に知識がなくて不明だが、「漢倭奴国王」の金印に関連がありそうな有名な記述が「後漢書」にある。すなわち「建武元(57)年、倭奴国奉朝賀す。……」日本の使者が漢の光武帝に印綬を受けたあの時代の春も……という気分なのだろうか。史実かどうかも確定していないので、この時の日本からのルートなどもちろん分からないが、8、9世紀の遣唐使の航路は、五島列島を経由して現在の中国の明州、紹興を通り銭塘江をわたって杭州へ行くルートだったらしい。この歌ではわれわれの祖先が見た風景を懐かしんでいるのかもしれない。
 ともあれ、銭塘江の美しい春景色に酔っているような雰囲気の歌である。83年の中国旅行での春景色は夢のように美しかったと馬場から聞いたことがある。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 181(中国)

2019-03-09 21:06:16 | 短歌の鑑賞
   馬場あき子の旅の歌23(2009年11月実施)【紺】『葡萄唐草』(1985年刊)
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放


181 老爺笑み媼は多くきげん悪しき自由市場の干し果肉はも

      (レポート)
 本来なら、老爺は不機嫌で媼は愛想良くしているものなのだが、この場合はどうしたのかな?この時代、自由市場はようやく認められるようになった。自分が作った作物を自分が値段をつけて売ることができるようになった。本来なら「自由に売ることができる」という念願通りの商いであるはずなのに、どうして媼は機嫌が悪いのか?商品の干し果肉を買い手がその出来具合を手で触ってみたりするので不機嫌なのかな?語尾の「はも」は詠嘆であるから、「ああ美味しそうな干しぶどうなのに、あんなに不機嫌なおばあさんの顔を見たら、買う気がしないわよね」とのお気持ちなのか。元来、共産社会では、売れても売れなくても責任は問われないから、売る気があるのかないのかわからない場合が多いように思われ、この場合もまだその名残が顔に現れたのか。(T・H)


      (当日意見)
★日本の習慣やサービスとの違い。ほほえみも習慣で違う。(藤本)
★スケッチ。「はも」の感動も「干し果肉よ」くらいの意味。買うとか買わないとかいう問題で
 はない。おじいさんがほほえんでおばあさんが機嫌悪いのも特別の意味はなく、それを作者は
 面白がって観察しているのだろう。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 180(アフリカ)

2019-03-08 18:48:15 | 短歌の鑑賞
   馬場あき子の旅の歌23(2009年11月実施)【紺】『葡萄唐草』(1985年刊)
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放


180 魯迅の時計止まりたるまま古びをり歴史とは少しずれし抒情に

      (レポート)
 今、先生方は上海の魯迅記念館を見学しておられる。そこには魯迅愛用の時計が展示されていた。(柱時計か、腕時計かは分からないが。)「魯迅の時計止まりたるまま古びをり」とは、彼の思想信条が結局はその正当な意味において実現していない、ということを残念がっておられるのか。ここにいう「抒情」とは? (T・H)
  魯迅(1881~1936)中国の文学者・思想家。本名は周樹人。浙江省紹興の人。中国現代文学の初期を代表。日本に留学、帰国後、西洋や日本の近代文学・思想の翻訳紹介と創作活動を行い、文学活動の実質的な指導者となった。作品「狂人日記」「阿Q正伝」等。


      (まとめ)
一行が魯迅記念館を訪問したのは魯迅死後50年近く経ってからである。展示されている魯迅の時計も止まって古びている。魯迅が意図したようには中国は動いて来なかった。魯迅の思想や政治の理想は、今はちょっと現実離れした抒情的なものに思えたのだろうか。魯迅を敬愛しつつ、今や昔の人となってしまった魯迅をはかなんでいるのだろう。(鹿取)


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