かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 189(中国)

2019-03-17 20:23:27 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の旅の歌24(2009年12月実施)
    【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)124頁~
    参加者:K・I、N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・S 司会とまとめ:鹿取 未放


189 石の船何に早きぞ朱の揀瓦積みてしづけき蘇州に下る

      (まとめ)
 石の船は現在では飾りのように運河に浮かべているらしいが、1983年当時の馬場の旅では煉瓦を積んで働いていたのだ。石の船のくせに早いので、「何に早きぞ」(どうしてこんなに早いのだろう)と驚いているのである。188番歌に「楊花散りて蘇州春逝く季に来つ濁れる運河一日下りて」とあるから、自分たちの乗る観光船からの眺めだろうか。併走したのか、もしかしたら追い抜かれたのかもしれない。快速で走る石の船に積んだ煉瓦の「朱」が鮮やかだ。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 188(中国)

2019-03-16 19:58:19 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の旅の歌24(2009年12月実施)
    【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)124頁~
     参加者:K・I、N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・S 司会とまとめ:鹿取 未放


188 楊花散りて蘇州春逝く季に来つ濁れる運河一日下りて

        (レポート)
 かわやなぎの花。とくに白楊の種から白い綿毛がとぶ。「楊花茫々として人を愁殺す」(李白)    (T・S)


        (まとめ)
 「君がみ胸に抱かれて聞くは 夢の船唄鳥の唄 水の蘇州の花散る春を 惜しむか柳がすすり泣く」とある「蘇州夜曲」の歌詞に似た場面で、陶酔的な歌である。写真で見ると楊の花は白くてふわふわした感じだが、その花の散る景色を濁った運河を行く船に乗って眺めているのである。芭蕉の「行く春を近江の人と惜しみけり」ではないが、蘇州の運河に楊の花の散る情景はいかにも春を惜しむ旅情をそそられそうだ。「あの春の蘇州は夢のように美しかった」と語った馬場の感慨が伝わってくる。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 187(中国)

2019-03-15 22:18:38 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の旅の歌24(2009年12月実施)
    【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)124頁~
     参加者:K・I、N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・S 司会とまとめ:鹿取 未放


187 街衢曲れば窓しみじみと歪みたる西安民屋に夜は満ちてゐつ

      (まとめ)
 先月鑑賞した「紺」にも「暗き灯の一つを点し民屋は土間に据ゑたり一つのかまど」があった。ここも同じ場面だろうか。それとももう少し夜が更けた場面だろうか。少し細い路地へ曲がったところ歪んだ窓を持つ民衆の家があった。窓が歪んでいるくらいだから貧しい家である。一軒とも数軒とも書かれていないが、その一角には窓が歪んだ家々が連なっていたのかもしれない。「暗き灯の」の歌のようにぼんやりと暗い灯りが漏れていたのかもしれない。歪むの形容が「しみじみと」であるところで歌になった。上から目線ではない作者の嘆息がきこえるようだ。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 186(中国)

2019-03-14 19:53:42 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の旅の歌24(2009年12月実施)
    【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)124頁~
     参加者:K・I、N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・S 司会とまとめ:鹿取 未放


186 西安の路上に淡く味はひし人民の食(じき)楡の香のせり

     (まとめ)
 路上の屋台で何か食べているのではなかろうか。その頭上には楡の若葉が茂っていたのだろうか?または、味わった素朴な食の味を感覚的に楡の香と受け取ったのかもしれない。(鹿取)


       (レポート)
 馬場先生は香にひどく惹かれるようだ。人民の食、楡の香。そうだここは西安の路上だと改めて実感する。(T・S)


     (当日意見)
★これは向日葵の種子の続きなのか?それとも屋台のようなところで何か簡単なものを食べたのだ
 ろうか?楡の香って、ちょっと分かりにくい。(藤本)




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馬場あき子の外国詠 185(中国)

2019-03-13 20:57:16 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の旅の歌24(2009年12月実施)
    【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)124頁~
     参加者:K・I、N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・S 司会とまとめ:鹿取 未放



185 向日葵の種子の香の息かすかなる西安の鸚鵡肩に置かまし

      (まとめ)(2009年)
 鸚鵡は街角で売っているのだろうか。それともペットとして人々が肩に乗せて街を連れ歩いたり、公園などで遊んだりしているのだろうか?そんな場面で「私の肩にもちょっと乗せてみてよ」とでも言ったか、言わなくても思ったか、結句の面白がりようが楽しい。「向日葵の種子の香の息かすかなる」は傍に寄ってみた発見か、向日葵の種を食べていたのでそう思ったのか?最近のブログ旅行記を読むと、向日葵の種子を炒ったものを今もよく街上で売っているらしい。100グラム2元(34円くらい)で買ったという記事もあった。炒ったものは香ばしいそうだ。もっとも小さな種の殻を一個一個剥くのがめんどうらしい。(鹿取)


       (レポート)
 向日葵の匂いのかすか感じる人がいま通り過ぎた。肩に鸚鵡を乗せるとどうだろう。一緒に向日葵の種を食べながら。馬場先生はそんな空想をした。(T・S)


      (当日意見)
★「向日葵の種子の香の息かすかなる」は「西安の鸚鵡」にまで掛かっている。だから向日葵の息 をしているのは鸚鵡です。結句は「置く」に助動詞「まし」が付いた形。「まし」にはいろんな 意味があるけど、ここは「ためらいの意志」くらいか。訳すと「肩に置いてみようかしら。」 (鹿取)
  




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