かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 191(中国)

2019-03-19 20:00:13 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の旅の歌25(2010年1月実施)
  【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)127頁~
    参加者:K・I、N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:N・I 司会とまとめ:鹿取 未放

 
191 貧しからねど豊かならざる表情に水牛は耕し終へて我をみる

      (レポート)
 肉牛はビールを飲まされブラシで磨かれ高く売られることに価値があるのですが、水牛は労働のために使われ又ある種の競技にも用いられます。泥に近い畑を耕し終えた水牛の眼にある種の険しさを見たのでしょう。人間にも、また今の世相にも通じる含蓄の深い歌と思いました。(N・I)


      (まとめ)
 動物側から「我をみる」という詠み方は馬場がよくする技法。何度かこの旅の歌シリーズにも例歌を挙げてきた。「貧しからねど豊かならざる表情」とはどういう感じなのだろうか。牛のことではないが、この中国旅行では「民衆は豊かならねどくつろぎて飲食に就く暗き灯のもと」のように歌われている。しかし牛には経済上の解釈はできないので(もちろん、その反映として心地よい牛舎や美味しい餌をもらえるということはあろうが。)あくまでも内面の表情である。それも耕すという労働が終わってほっとしたひとときである、貧しくはないけれども豊かではない表情で我をみて、水牛は何を思っているのであろうか。(鹿取)


コメント
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