かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 41

2023-05-16 11:37:24 | 短歌の鑑賞
 2023年版渡辺松男研究6(13年6月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)橋として
      参加者:崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     司会と記録  鹿取未放
                   

41 出口なきおもいというは空間が葱の匂いとともに閉じらる

      (当日意見)
★「ともに」は何と何を「ともに」なんですか?(崎尾)
★私は哲学的な歌として読みました。渡辺さんは哲学を専攻した人なので、もしか
 したらサルトルの戯曲「出口なし」などが念頭にあったのかなと。私は読んだこ
 とがないし、このお芝居を観たこともないけれど、この戯曲ではこの世の価値は
 全て相対的なもので絶対はないというようなことを言っているそうです。サルト
 ルは実存ということを考えた人だけど、全てが相対的という考えは仏教と共通し
 ていますよね。人間という存在がこの世に閉じこめられていて、脱出するには死
 しかないんだけど、仏教でいうと死も脱出では無いわけですよね。六道を輪廻し
 ていて、たとえ天上界へ行ってもそこは輪廻の一つに過ぎないわけですから。だ
から仏教では一般的には悟りということを考えて、それによって輪廻の外へ出よ
 うって考えられている。この歌は葱の匂いに触発されてできたのかもしれないけ
 れど、生ということをやはり考えている歌なんでしょう。〈われ〉(作中主体の
 こと)が葱の匂いと「ともに」空間に閉じこめられているんでしょう。(鹿取)


      (後日意見)2013年9月
 あまり関係がないが、私の好きな俳人、永田耕衣に「夢の世に葱を作りて寂しさよ」がある。(鹿取)


        (後日意見)2020年7月
 この歌は「橋として」という一連20首の中にある。前回鑑賞した「生きて尾を塗中(とちゅう)に曳きてゆくものへちちよちちよと地雨ふるなり」「葱浄土広大にして先を行く幻へ骨をもちて追いかく」「表層を皮剥けばまた表層の表層だけのキャベツが重い」、それと、これから出てくる「鮑焦(ほうしょう)は木に抱きつきて死にけるをさやさやと葉は黄にかわりゆく」など哲学的な歌とも関連があるのかもしれません。イメージとしては狭すぎるので違うのでしょうが、〈われ〉が小さくなって一本の葱の底に閉じ込められているような図を思い浮かべます。(鹿取)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 馬場あき子の外国詠 240... | トップ | 渡辺松男『寒気氾濫』の一首... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

短歌の鑑賞」カテゴリの最新記事