かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 84

2022-05-14 11:06:24 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の11(2018年5月実施)
    【夢みるパン】『泡宇宙の蛙』(1999年)P57~
     参加者:泉真帆、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放


84 ほのぼのとアンパンマンと呼びたればアンパンマンは頬赤らめる

      (レポート)
 アンパンがあってアンパンマンと呼ばれ、アンパンは命を吹き込まれる。命を得た証のように頬を赤らめる。名づけられ呼ばれそして存在するに至り、何かおもはゆいような、こころもちになる。そんなことが「赤らめる」にこめられていよう。(慧子)


      (当日発言)
★アンパンマンってほっぺたがまっ赤に塗ってあったような。(真帆)
★そうするとこの一連、蜻蛉の赤、妊娠した女の指や蚕の白、秋の白、今度は赤ですね。
  (鹿取)
★やなせたかしですよね。マント羽織って飛んだりするんですよね。(A・K)
★食パン食べたりするんですよね。(真帆)
★最後に自分を食べてって自己を犠牲にする。(慧子)
★連作だから、美しい場面もたくさんあったけど、最後は少しユーモアで終わるのかなと。
 最初はパンだからおしまいもパン。ここは前の歌「まっしろき秋のいかなる隙間から子ら
 あらわれて丘 を走るや」で、白い光の中に湧いて出た子ども達の一人にあまりに可愛い
 ので「アンパンマン」 って呼びかけた。そうすると呼ばれた子どもは頬を赤らめた。
    (真帆)
★今の意見に大賛成です。渡辺さんって方は歌集を作るときの構成力が凄い。連作意識を非
 情に感じます。一首独立というのは少なくて、ずーと連なっている。生き生きと走ってい
 る子ども達の もっている含羞。(A・K)
★アンパンマンが唐突な気がしたんですが、そんなふうに前の歌と繋げて読むとなるほどと
 思えますね。ただ、私は自己犠牲ということを聞いたので、そこからも読めるかなと思い
 ます。つまり自己犠牲をはたらくアンパンマンの含羞、それは〈われ〉の中にある自己犠
 牲的な部分をふっと感じたときの、あるいは他者から指摘されたときの含羞かもしれない
 なと。(鹿取)

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