ブログ版 清見糺の短歌鑑賞 おいたるダビデ
鎌倉なぎさの会 鹿取 未放
195 おいらくのともをえらばばマグダラのマリアのようなくらいべっぴん
「かりん」2002年8月号
「えらばば」は仮定形。つまり「選ぶならば」の意だから、たぶん作者はこういう友を選ぶ夢は実現しないまま亡くなったのだろう。
ルーヴルにラ・トゥールの「悔悛するマグダラのマリア」という絵がある。蝋燭の灯に照らされて横顔を見せる静かな絵だ。長い髪を垂らして日本の王朝女性のような印象であるが、膝には髑髏を乗せている。「くらいべっぴん」はあの絵のようなイメージなのかもしれない。もっとも華やかなマリアを描いた絵は世にたくさんあるから異議も出よう。しかし「おいらくのとも」には華やかすぎる女性では疲れることだろう。
与謝野鉄幹の「人を戀ふる歌」に「 妻(つま)をめとらば才たけて/ 顔うるはしくなさけある/友をえらばば書を讀んで/ 六分の俠氣四分の熱」がある。これは血気盛んな壮年の歌だが、おいらくにはもう少し人生の味と艶が必要だというのだろう。
鎌倉なぎさの会 鹿取 未放
195 おいらくのともをえらばばマグダラのマリアのようなくらいべっぴん
「かりん」2002年8月号
「えらばば」は仮定形。つまり「選ぶならば」の意だから、たぶん作者はこういう友を選ぶ夢は実現しないまま亡くなったのだろう。
ルーヴルにラ・トゥールの「悔悛するマグダラのマリア」という絵がある。蝋燭の灯に照らされて横顔を見せる静かな絵だ。長い髪を垂らして日本の王朝女性のような印象であるが、膝には髑髏を乗せている。「くらいべっぴん」はあの絵のようなイメージなのかもしれない。もっとも華やかなマリアを描いた絵は世にたくさんあるから異議も出よう。しかし「おいらくのとも」には華やかすぎる女性では疲れることだろう。
与謝野鉄幹の「人を戀ふる歌」に「 妻(つま)をめとらば才たけて/ 顔うるはしくなさけある/友をえらばば書を讀んで/ 六分の俠氣四分の熱」がある。これは血気盛んな壮年の歌だが、おいらくにはもう少し人生の味と艶が必要だというのだろう。
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