goo blog サービス終了のお知らせ 

かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 175

2021-03-02 18:38:07 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究22(2014年12月) 【非常口】『寒気氾濫』(1997年)75頁~
      参加者:石井彩子、泉真帆、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:石井 彩子  司会と記録:鹿取 未放


175 笑いあいなどしておりたれど噤むとき口のなかには闇がいっぱい

         (レポート)
 互いに哄笑しあっているのである。何故、何を、誰と笑っているのか、敢えて明示ぜず、強調されているのは噤むときの口のなかの闇である。「笑う」とはなにか?笑いは人間をはじめとする霊長類にのみ特徴的な動作であり、極めて知的な感情表現である。ニーチェは、笑いというのは「良心の呵責もなしに他人の不幸を喜ぶことだ」と言っている。このような笑いの残酷さ、後ろめたさの一面を、口のなかの闇と、暗喩しているのだろうか?物事の闇、負の部分を注視しているのは174番歌(裁判所のできあがりゆく床下にとじこむるべき闇がきている)と同じである。哄笑の主体を複数にしたのは秀逸であり、笑いの本質である同期性を念頭におき、笑いの特質を普遍化している。(石井)


      (意見)
★噤むという一瞬の行為によって何かが一転することがある。そこを捕らえている。(慧子)
★ニーチェの笑いを出してきたのは深読みじゃないかなあ。笑いって単純なものですよねえ。口を
 噤んだときふっと自分に返るという。ニーチェのような笑いじゃんくて、笑い合うという形で繋
 がっているんだけど、口を噤むと独りになってしまうという、そこに共感しました。(鈴木)
★174番歌(裁判所のできあがりゆく床下にとじこむるべき闇がきている)から闇で繋がっているん
 ですよね。(鹿取)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 渡辺松男の一首鑑賞 174 | トップ | 渡辺松男の一首鑑賞 176 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

短歌の鑑賞」カテゴリの最新記事