2025年度版 渡辺松男研究2の10(2018年4月実施)
『泡宇宙の蛙』(1999年) 【邑】P50~
参加者:泉真帆、K・O、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取未放
74 いただきゆ君が手をふる青あらし古墳そっくり抱きたくてわれ
(レポート)
俳句のようにぴしりときまった上句だ。小山のようにこんもりと林に覆われた古墳の頂きから君が手をふっている。すると青嵐もろとも君の心が吹いてきた。青葉のそよぐその古墳もろとも「そっくり抱きたくて」という熱く壮大な相聞歌だと感じ、ほーっと溜息がでてしまった。(真帆)
(当日発言)
★青あらしは作者と相手との両方の心を込めているように思いました。古墳そっくりと言ったので歌が生々しくならないと思いました。(慧子)
★私はあまり相聞とは思いませんでした。古墳にシンパシィを感じていて、そこに壮快な青あらしが吹いている。そして古墳の頂に立って(きっと小さな丘なのでしょう)、恋人だか妻だかが手を振っている。昔話の絵本に出てくるような漫画チックな情景が浮かんでくる。男と女の情愛がテーマな のではなくて、古墳・青あらし・心の通じる相手、そういうものひっくるめた眼前の風景への讃歌と読みました。(鹿取)
★過ぎてしまった時代、あるいは土の中に埋まっていて見えなかったもの、どちらかというと「死」が近いもの、松男さんの歌って、すぐそこに死があるんだけど生命力というか再生力というか、生命賛歌というのがこのあたりにも出ているなあと思って。古墳って死者のものなんだけど、なまなましくなくて、こんもりしていて、人間の肉体のようで。その天辺から君が手を振っているって、普通は見えないと思うけど、でも見えるような存在感があって凄いなあと。俳句のように作られているのに、この韻律感は何でしょう。土着性もあって生命感もあって、それで死が近い。松男さんの死生観がよく現れている一首だと思いました。(K・O)
★松男さんの歌ってどんなに深刻でもユーモアがあったりしますね。この歌も単純化された構図だけ ど、死生観とか深いところに及んでいて、でも表面はダイナミックで楽しい歌。土着性というK・O さんの意見、とても勉強になりました。(鹿取)
(後日意見)2019年5月追加
ジパング倶楽部2020年5月号に、群馬の古墳を特集していて、八幡塚古墳と井出二子山古墳の写真が載っている。ゆるやかな富士山型でてっぺんまで階段が付いている。木は茂っておらず、頂上に立つ人の姿がしっかりと見える。松男さんは群馬の人なので、この歌の古墳はこんな感じだろう。このあたりの古墳の高さは6m~9m程度なので、古墳の下にいて頂上に立つ人の顔の識別も十分できる。
第一歌集『寒気氾濫』にも古墳の歌が⒉首あったが、『泡宇宙の蛙』ではもう少し先の頁に埼玉県の将軍山古墳をうたった歌がある。
将軍山古墳というを見ておればめぐりに湧きて埴輪が増ゆる P121
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