かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 145

2022-10-11 18:05:12 | 短歌の鑑賞
  2022年度 渡辺松男研究2の19(2019年2月実施)
   Ⅲ〈錬金術師〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P96~
   参加者:泉真帆、M・I、岡東和子、A・K、T・S、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放


145 暗黒界から引っぱられたる大根は身を響かせてあらわれにけり

    (当日意見)
★暗黒界って普通は浮いてしまうような言葉だけど、身を響かせてとか少し古風な「あらわ
 れにけり」でうまく収まっている。(真帆)
★素晴らしいと思います。暗黒界という言葉が普通は出てこない。自分の感覚を信じてうた
 っている。説得力があって浮いた感じが全くしないですね。緩急がとっても上手いです
 ね。ここでは大根ですけど、混沌としたものがこの世に顔を出す時のエネルギーを感じま
 す。(A・K)
★自分だったら大根を引き抜いたと作るけど、松男さんは大根になっているところがすごい
 ですね。
 私が歌を始めた頃に、上の句下の句のつながりが分からないと批評されて、その後たまた
 ま近くに座った松男さんにどう作ったらいいのですかと聞いたら「上の句に手がかりを入
 れておかないといけないんだよ」とおっしゃった。(真帆)
★「言いおおせて何かある」ってありますよね、芭蕉の言葉みたいですが。何がうたってあ
 るかは分かってもそれだけでは駄目で、何か無いといけない。何かあると思わせることが
 詩だと結社に 入ったとき叩き込まれましたね。佐太郎なんかは、何も言ってないですよ
 ね。例えば晩年の病院に入っている時、リハビリを兼ねて海まで散歩してくるというだけ
 の歌なんか。(A・K)
★ 「ただ水を見るのみの」ですね。(慧子)
★はい、ただそれだけのことしか言ってないのに何かあるんですよね。馬場先生の『あさげ
 ゆふげ』もそうですね。何も言ってないけど何かある。(A・K)
★そうですね、今、ネットで馬場先生へのインタビュー記事が配信されていて。そこで若い
 人と老年の歌を比較して述べられています。老年の歌は言葉も少なくてあっさりしている
 けど、助詞と助動詞で人間の心を伝えているって。若い人の歌は言葉をいっぱい詰め込ん
 で面白いけど、それは「時の花」で本当の花ではないから長持ちしないって。また、「言
 いおおせて何かある」って言葉も歌会でよく馬場先生がおっしゃっていました。「言いた
 いことを言っただけでは歌は駄目なんだよ」あるいは「言いたいことを全部言ってしまっ
 ては駄目なんだよ」というニュアンスだったと思います。(鹿取)
★むかし学士会館で馬場先生の講演を聴いたのですが、新しい言葉、新しいことばってみん
 なは探しているけど、そんなのは駄目。枕詞とかバーンと使ってご覧っておっしゃっ
 た。(A・K)
★では、松男さんのこの歌に戻りますが、暗黒界って抜け出したい嫌な世界だとは私はとり
 ません。ロシアの童話に「大きなかぶ」ってありますよね、あのかぶの埋まっていた世界
 は豊穣界のように思います。だから身を震わせるのが嫌な場所から出られる喜びだとも思
 ません。そういう意味づけの無いもっと即物的な歌だろうと。たとえば、この歌の少し先
 に出てくる「人参の地中に奪う朱のいろにおもいおよびてぞくぞくとせり」という歌で
 す。(鹿取)
       

      (後日意見)
 A・K、慧子発言の佐藤佐太郎の歌は、次のものだろう。(鹿取)
  ただ広き水見しのみに河口まで来て帰路となるわれの歩みは
         『天眼』(昭和54年刊)

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