かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠草 309 トルコ⑦

2024-04-18 14:04:44 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子旅の歌42(11年8月)【キャラバンサライにて】
    『飛種』(1996年刊)P139~
     参加者:N・I、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、T・H、
        渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子 司会とまとめ:鹿取未放
                  

309 瘤の水さへかすかさびしきけはひする秋の駱駝はすでに発ちしか

      (レポート)
 人間とその文明と共に過ぎてきた「駱駝」への情を読者に手渡している。世にあるもろもろがやがて「既に発ちしか」に収斂されてゆく。そんなことをしきりに思う。
  (慧子)

     (当日意見)
★駱駝によって秋の寂しさを感じている。(曽我)
★下の句は劇的な仕立てになっている。(鹿取)

    (まとめ)
 はろはろとした秋のただなかにあって、駱駝が瘤に貯えている水さえ寂しい気配がするととらえている。旅行者である作者の前に、現実の、たとえば観光用の駱駝は立っていたかもしれないが、作者が見ているのはもはや非在の、遙か昔の隊商の駱駝である。作者の空想の中で隊商の駱駝は東洋の絹を積んでもう出立してしまったのである。かつて鑑賞した「オリエント急行今日発車なし」と似たような手法である。
 余談だが、隊商達は沙漠でいよいよとなった時には駱駝の血を飲んで生き延びるのだと何かの本で読んだことがある。瘤の中の水は飲めるのであろうか。(鹿取)


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