かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 78 スペイン②

2024-08-13 10:32:52 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子の外国詠9(2008年6月実施)
    【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P52~
     参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:藤本満須子 まとめ:鹿取未放

  ※この項、『戦国乱世から太平の世へ』(シリーズ日本近世史①藤井譲治)・
   『ザビエルとヤジロウの旅』(大住広人)・講談社『日本全史』等を参照した。


78 西班牙より見ればヤジローとザビエルの対座の秋の無月邃(ふか)しも

         (レポート)
 下の句に作者の深い感慨が込められている。ザビエルとヤジロー、互いに孤独な二人が対座している。キリスト者としてのザビエルの生き方に強く惹かれ、罪人として逃亡していたヤジローは受洗し、ザビエルを案内して日本に帰るというのである。日本は安土桃山時代、小田信長が天下を取ろうとしていた頃である。(藤本)


      (後日意見)(2015年12月)
 東洋の一犯罪者であるヤジローとキリスト教国の最高の知性であり情熱を秘めた神父との魂と魂のぶつかり合いを扱って緊張感があり、かつ奥深い味わいがある。「ザビエルとヤジロー」ではなく、「ヤジローとザビエル」である点は、ヤジローへの心寄せの深さであろうか。それはともかく、ザビエルがヤジローを伴って薩摩に上陸したのは八月十五日、中秋の名月その日であった。無月とは中秋の名月に月が見えないことをいうが、無月の深いふかい闇の中で二人はいのちがけの鋭い議論を交わしたであろうか。ヤジローがポルトガル語を学んだのは二年弱、日常会話には不自由しなくても微妙な教義内容に立ち入ってザビエルと互角に議論できるほどの語学力は持ち合わせていなかっただろう。また、スペイン生まれのザビエルもポルトガル語がそれほど達者ではなかったらしいから、ここでの対座は孤独な魂同士の触れあいを感受すればいいのだろう。「西班牙より見れば」と断っているとおり、現代のスペインに東洋の日本から旅行者として来ている。その現代スペインから時空を隔てて「ヤジローとザビエルの対座の秋」を馬場は遠望している。もちろん無月も対座も馬場が創造したドラマである。無月という設定によって個としてのザビエルとヤジローがより屹立し、かつふたりの関係の濃さが浮き彫りにされている。(鹿取)

コメント
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