かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 79 スペイン②

2024-08-14 14:32:25 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子の外国詠9(2008年6月実施)
    【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P52~
     参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:藤本満須子 まとめ:鹿取未放

  ※この項、『戦国乱世から太平の世へ』(シリーズ日本近世史①藤井譲治)・
   『ザビエルとヤジロウの旅』(大住広人)・講談社『日本全史』等を参照した。


79 逃亡者ヤジローの海灼けるほど熱き黙秘の塩したたらす

       (まとめ)
 ヤジローは殺人を犯したというが、それはどういう事情からだったのだろうか。敵討ちのような肉親の情か、金銭のトラブルか。分からないが、ストーリーとしてはささいなことで激情にかられて殺人を犯し逃げていた人間が、ザビエルという偉大な思想家に魅せられキリスト教の深淵に触れ、改心をして洗礼を受け、以後敬虔な信者になって生涯を貫き通したと考える方が面白い。
 「黙秘」という言葉から推察するとやはりキリスト教信仰と関係があるように思われるが、海外で殺人や不法入国の罪をとがめられて「黙秘の塩したたらす」場面というのはどうも考えにくい。ただ「海灼けるほど熱き」はマレーシアなど南洋の海を思わせられるので、ザビエルに従って帰国した後の場面とは考えにくい。もっともザビエル在日中に大伴氏から禁教される場面もあり、邪教を説く者達として行く先々で白眼視されたことはあったかもしれないが、まだ拷問にかけるというところまではいっていないだろう。政治の中心にあった幕府や朝廷でも、キリスト教をどうこうという段階ではまだなかった。(家康が全国にキリスト教禁止令を出したのは、ザビエル来日のおよそ70年後、支倉常長が帰国したちょうどその年、1620年のことである。)
 それにしても、灼けるほど熱い海と対比された黙秘、じりじりと全身から塩をしたたらせて耐えているヤジローの意地の強い人格を見せられるようだ。(鹿取)


    (後日意見)(2015年10月)
 ヤジローについて書かれた本を何冊か読んでいるところだが、事実にそってその足跡を記しているものではない。ヤジローに対する文献が非常に少ないため、誰もがある時点から空想に頼らざるをえないようだ。「人を殺して逃亡した」点は、ヤジローが書いたポルトガル語の書簡の写しが残っているので事実である。また、海外に逃亡する前からポルトガル人の知り合いがいてポルトガル語が少しは話せたらしい。日本からマラッカに渡ったときもポルトガル人である商船主への紹介状をもらっており、交渉して載せて貰ったことが船主への聞き書きとして残っているという。また、時代背景が違うので殺人というのも今日考える凶悪な人間が犯すというイメージとはかなり違う見方もあるようだ。ともかく彼の生業は何だったのか、なぜ人を殺したのか、なぜザビエルと共に帰国したとき罪に問われなかったのかなど今までの本では解明されていない。(鹿取)


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