かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 211

2024-02-26 10:05:31 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究 25(15年3月) 
   【光る骨格】『寒気氾濫』(1997年)86頁~
    参加者:S・I、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放
    

211 存在ということおもう冬真昼木と釣りあえる位置まで下がる

        (当日意見)
★好きな歌です。「釣り合う」というのが松男さんのキーワードの一つで、いろんな歌
 に出てきます。天国と地獄が釣り合うとか、千年生きた木と今日死ぬ鳥が釣り合うと
 か詠われています。この歌も、釣り合うというのが物理的な距離ではなくて、木とい
 う存在と〈われ〉が「いのち」として均衡を保てることかなと。その均衡は自分が
 「下がる」行為で保たれるという点が大切だと思います。(鹿取)
★おそらくそうだと思います。作者は大きな抽象的なことを思っていらっしゃって、存
 在として釣り合う位置なんでしょう。(S・I)
★思惟の深さなんですね。(慧子)
★「冬真昼」という季節と時間がそういう思惟に適しているのかしら。(S・I)
★この間鑑賞したところでも「冬芽がねばねば光る」とか、冬でしたね。(鹿取)
★本当に裸形というのか、冬は裸になっているんですね。木に親和感を覚えていらっ
 しゃるから、木と同じだと。存在というと人間中心に考えがちだけど、この人はそ
 うではない。(S・I)
★どちらかというと木の方に基準を置いているのね、この人。(鹿取)


      (後日意見)
 鹿取の発言中の「天国と地獄が釣り合う」は内容的にまったく正確さを欠いていた。言及したかった歌は、次のとおり。(鹿取)
 地獄へのちから天国へのちから釣りあう橋を牛とあゆめり『寒気氾濫』
釣り合えよ 今日死ぬ鳥のきょうの日と千年生きる木の千年と『泡宇宙の蛙』

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