かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 89

2020-09-08 20:54:11 | 短歌の鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究⑩(13年11月)
     【からーん】『寒気氾濫』(1997年)36頁~
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明(紙上参加)、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター 渡部慧子    司会と記録:鹿取 未放


89 月の下をながるるなかにわれもあり濁れる水を秘めてゆくなり

          (レポート)    
「月の下」が美しく、抒情性をもつと思う。だが「ながるる」とは何であろう。水惑星と呼ばれる地球の汚染状態から人体の70%を占める水分を「濁れる水を秘めて」としても充分納得できる。だが、上の句の「ながるる」は時であろうし、「濁れる水」は人間の傲慢や利己心を象徴していよう。そしてその存在を月がしずかに照らしているようなおもむきが感じられ、美しい一首。(慧子)

         (記録)
 ★月の下を流れるって人生を生きるということだろうと思うのですけど、やっぱ 
  り人間はそんなに綺麗事だけでは生きていけなくて、どんな人でも汚れた部分
  はある。(曽我)
 ★私はあまり精神性とか通俗的には考えない方がよいかなと思う。他の歌集だっ
  たかもしれないけど、人間は歩く水袋だ、というような歌がありました。月光
  の下をこの世のあらゆるものが流れているんだけど、その中に人体も内部に汚
  れた水を抱えたまま流れている。そんなふうに具体的にとっていいんじゃない
  の。もちろんどう具体的に詠んでも、表現の背後には精神の汚れや邪悪な部分
  も張り付いてはいるんだろうけど。(鹿取)

       (まとめ)
 第2歌集『泡宇宙の蛙』に「水」という一連があって、この歌の思想を発展・ 展開させたものと思う。12首中2首のみあげる。(鹿取)

 われ水にくるしむわれのなかの水雲ひろがりてくるときにおう
 ぼちゃぼちゃとわたしは歩く水ぶくろ歩きつかれて月下水のむ


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