かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 106

2020-10-06 21:22:50 | 短歌の鑑賞
     渡辺松男研究12【愁嘆声】(14年2月)まとめ
      『寒気氾濫』(1997年)44頁~
       参加者:渡部慧子、鹿取未放、鈴木良明(紙上参加)
        レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取 未放
       

106  背中のみ見せて先行く人があり容赦なくわれはその背中見る

          (レポート)
 見られていることさえ知らない無防備な背中を容赦なく見るという。行きずりの人への無礼講的行為か、あるいは軋轢のある知人への作者の真理を表しているのか、いずれであろう。みる、みられる、みあう、みかえす、などや見る、看る、視る、観る、診るとさまざまなみると思った。 (慧子)

      (意見)
 人の顔や背中にその人の来歴がよく現れる。相手の顔を見ることは逆に相手から見られることでもあり、なかなかまじまじとは見ることはできない。特に日本人は、相手から見られることを強く意識する国民であり、相手の目を見ずに伏し目がちに接する人は多いだろう。〈われ〉もそのひとりで、背中であれば、見られることはないので、安心して人を観察できる。それだからこそ容赦なく背中を穿鑿してしまう人でもあるのだ。(鈴木)

       (発言)
 私、何となくお父さんの背中かと思っていたけど、そうでもないのかな。次の次の歌にお父さんが登場するので、そう思ったのかな。行きずりの人なのか、ある特定の人なのか、どうなんでしょうね。慧子さんの言うように軋轢のある人、父とか上司とかなのか、どうもこの歌だけでは特定できないように思う。やっぱり一般的な背中なんでしょうかね。(鹿取)

コメント
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