かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の歌の鑑賞 109、110

2020-10-09 18:31:40 | 短歌の鑑賞
    渡辺松男研究12【愁嘆声】(14年2月)まとめ
        『寒気氾濫』(1997年)44頁~
        参加者:渡部慧子、鹿取未放、鈴木良明(紙上参加)
        レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取 未放
       

109 上州はひねもす風の荒れしあと沈黙にあり寒の夕焼け

         (意見)
 これもからっ風だろう。ひもすがら続いた強い風が夕方には止み、寒々とした夕焼けが西の空に広がり、上州に沈黙が訪れたのである。終日続いたはげしい風の音がやんだあとの沈黙の深さが感じられる。 (鈴木)

 
110 ひとり夜にうずくまるとき闇よりも真っ黒なもの 犀のにおいす

          (レポート)
 夜になってひとりうずくまるときがあるのだが、それは闇より黒く「犀のにおいす」と孤独を詠っていよう。犀のごとくひとりゆけと仏陀は言ったが、存在の寂しさにたえて修行せよとの意味へ掲出歌を広げなくてもよいと思う。「真っ黒なもの」と突き放している。いずれにせよ「犀のにおいす」とは観念にたよらず、すぐれた結句となっている。(慧子)


           (意見)
 犀は、「地下に還せり」のなかでも、「犀の放尿」として詠われているが、この歌でも孤独の象徴としての犀に自らを重ねて詠んでいる。夜の底でひとり眠りに就くとき、闇よりも真っ黒なものに向き合っている孤独な姿(しかし独り生く気概を持つ)が、そこにはある。
    (鈴木)    

            (発言)
★生命を持つ存在として人間も動物も同じ、というのはよく分かります。孤独とか寂しいと
 いうような概念で捉えられる以前の、意識にはのぼらない原初的な存在そのもののある黒
 い感じで、それを犀のにおいで捕らえているんだけど、レポートの「観念にたよらず、す
 ぐれた結句」というのは全く同 感です。(鹿取)
★鈴木さんは向き合っていると書いているけど、私は動物と向き合ってはいなくて、動物の
 ように動物と同じ孤独感でもって自分もそこにいると思います。動物になりきっていて自
 分を対象化してしないんです。鈴木さんのは知が勝った解釈です。(慧子)
★人間も動物も、どの個であっても「闇よりも真っ黒なもの」である、そしてそれはいわば
 「犀のにおい」がしている、動物だ人間だという点に差異はない、ということですか?
 人間が学んできた智恵や知識を取り去って、とさっきおっしゃったのはそういうことで
 すか。それならよく分かります。(鹿取)
★ あと細かいことですけど、鈴木さんの「夜の底でひとり眠りに就くとき」は、うずくま
 るとは姿勢が違うので、眠るときとは違うかなあと思いました。(鹿取)

コメント
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