Mr.Dashのぶろぐ館

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2015年2月24日(火) 出石・有子山城跡へ、城下町の絶景ハイク

2015年02月27日 | 山登りの記録
■メイン写真
出石城跡から見上げる有子山


■今回のコース
吹田IC[中国道]⇒吉川IC[舞鶴若狭道]⇒春日IC[北近畿丹後道]⇒山東IC⇒
出石城山ガーデン駐車場(駐車)→出石城跡→稲荷神社→有子山城跡(城山)→
(城山遊歩道)→鯵山峠→出石城山ガーデン(車を回収)⇒出石グランドホテル
(温泉入浴、夕食、泊)


14年ぶりに、兵庫県北部の出石にある有子山城跡(321m)に登ってきた。
今回は、山に不慣れな、古希をとうに過ぎた両親を連れてのハイキングである。

有子山城は、室町幕府の四職の家系である山名祐豊が1574年に築城。もともと山名氏は、
有子山の北側2.5kmにある此隅山の城を持っていたが、1569年に羽柴秀吉の攻撃により
落城し、新しく向かいの有子山に築かれたという。
ところが1580年に再び羽柴秀吉が攻めてきて、可哀想に再び落城の憂き目に。
関ヶ原の戦いの後1604年に、城主・小出氏によって麓に出石城が築かれ、山頂にあった
有子山城は廃城となった。

このように城として機能していた期間は意外に短いものの、今でも石垣が崩れて
おらず、当時の建築水準には驚かされる。

出石城山ガーデンの有料駐車場にクルマを停め、まず麓の出石城へ。



城門をくぐる。



稲荷神社へは、朱い鳥居が続く。



稲荷神社の左奥に登山口がある。



尾根の急登が続く。ゆっくりしたペースを保ちながら登れば大丈夫。
最後は来輪を右から回り込むように、石垣の残る本丸へ。



本丸跡へ、最後の石段。



山頂でもある本丸跡には、三角点が鎮座している。
両親もバテることなく無事登頂できた。



その横にはあずま屋があり、休憩にもってこい。
この日は地元の女子高生グループが4人で散歩に来ていた。



山頂から見下ろす出石の街並み。まるで鉄道模型のジオラマのよう。
艶のある黒瓦の屋根が特徴的だ。



山頂の南側に回り込み、自動車が余裕で通れるほどの幅がある城山遊歩道を東へ、
だらだらと下山する。基本的に尾根をたどる道だ。のどかすぎて眠くなる。



途中、右手に雪を被った山が見えた。東床ノ尾山(839m)だろう。
あのあたりまで行けば、まだ積雪が十分にあるようだ。



鯵山峠に出る。ここで近畿自然歩道に合流し、道も舗装道に変わる。
一転して今度は東に進路をとる。



のどかな山村風景を楽しみながら、散歩気分。
このあたりのお地蔵さんは極彩色に彩られている。



石部神社の大ケヤキ。 樹齢1000年、幹周囲8m、樹高30mという。
傍に寄ると本当にそのデカさが実感できる。



加藤弘之生家。
加藤弘之は、東京帝国大学(要は東大のこと)の初代総理・総長。



出石のシンボル、辰鼓楼。1971年に旧三の丸大手門脇に建てられ、当時は
1時間ごとに太鼓で時間を告げていたという。



出石城山ガーデンに無事、帰還。
両親の体力を心配したが、全く問題ないようで安心。
親父とともちゃんは、この名物、そばが入った地ビール「出石浪漫ビール」で舌鼓。

時間に余裕があったので、さらに出石の観光を楽しむ。



沢庵和尚で知られる宗鏡寺の、苔むした石仏群。
この寺は庭園が見事だった。ワビスケ椿も情緒深い。



出石酒造の酒蔵。ここの銘柄は「楽々鶴(ササヅル)」。
親父は試飲したのち原酒を買っていた。



永楽館は、明治期に建設された近畿地方最古クラスの大衆芝居小屋である。
40年ほど空き家となっていたものを分解、再建し2008年に再オープン。
今では片岡愛之助さんを中心とする歌舞伎公演がプラチナチケットとなるほどの
盛況だという。

公演のない時は、1階席、2階席はもちろん、舞台、舞台裏の楽屋、回り舞台の地下、
奈落まで見学できる。
昭和の古き良き時代の広告看板(実物)がそのまま懸っていて、雰囲気はバツグン!!

予定していなかった観光だったが、これはいいものを観た。

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