![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/00/32ccb6f4ca4dc23c9c84dc954dd9c1ac.jpg)
■メイン写真
萱小屋跡。下山時に貴重なお話が聞けた
■今回のコース
大股登山口→萱小屋跡→檜峠→伯母子峠分岐→伯母子岳→(往路を戻る)→大股登山口
熊野古道小辺路の中でも難所といわれた伯母子越。
3年前の6月に同ルートで企画したときは、途中から土砂降りになった。
リベンジすべく、冬季にずらして挑んだのだが、超暖冬のあおりで雪はほとんど
なかったうえに、行程の半分は小雨が降るというコンディション。
展望は期待できないので、コケやキノコに視線を注ぎながら歩いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/01/48c4089e21be82b9557b5ed81a37443e.jpg)
雨具を着こみ、すでに路面が湿っている大股登山口を出発。
大股の集落に入ると、いきなりの急坂だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/b0/3b84448279884a6d660849705cc9a328.jpg)
いよいよ山に入ろうとするとき、お地蔵さまなど石仏群がに遭遇。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/79/c82ee502d0c3cbf969885f564e9c1b93.jpg)
序盤、萱小屋跡までの登りがとにかくきつい。距離1.4kmの間に標高差約300mを登る。
暑い、暑いと言いながら登る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/cc/4584f11db73d1390595ef3b7c9b8e45e.jpg)
萱小屋跡の手前にある古杉。あまたの旅人を見守ってきたことだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/33/a4eb032bbb94c3700effc0e534387f5e.jpg)
萱小屋跡。私有・無番の避難小屋は、休憩や素泊まり等で使わせて頂ける。
小屋の中には薪ストーブがあり、じつに清潔に保たれている。
また、小屋横の水場には缶飲料が無人販売されている。
江戸時代には茶店など5軒の家があったが、昭和61年当時で2棟の廃屋があったと
されている。
登山道は巡礼者が歩きやすいように、幅広で、急登や崖場を避けて作られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/c2/70dc4a7d2d49dfda30eb445c79451a91.jpg)
檜峠に到着。大股~伯母子峠間の中間点である。雪は全然ない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/1f/777cb6697e02bacda34435941b5b966a.jpg)
道は尾根の西側に転じ、緩やかに下っていく。
まるで林道のような広い幅。崩れやすい土壌なのか、度重なる補修の跡と、
さらに崩れかけている様子が痛々しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/31/63d46e7bd4cb9bc6a3103ebc516126dc.jpg)
ふたたび登りに転じ、伯母子峠との分岐に到着。
少し広くなっているので、ここで昼食タイム。
山頂まであと600m、直登ルートを選択。
ブナやカエデの、好みの紅葉樹林帯だが、小雨とガスでいまひとつ。
ひたすら山頂を目指した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/c1/715b4cfb684ae952961b69af2d61e4da.jpg)
山頂も、予想通りのガスの中。
山頂稜線は南風ではあるが、冷たい強風が吹きつけてくる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/5a/6d3e8c239d86c3f1f863556d53016050.jpg)
体温低下を懸念し、記念写真を撮っただけで、そそくさと山頂をあとにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/9f/dfd447ab1f84bbbcafd94f27e25f0718.jpg)
強風に耐えながら、山頂稜線を東へ進む。
稜線の樹木に生えたコケについた水滴が綺麗。
道は雪解けと雨でぬかるみ、非常に滑りやすくなっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/89/32a72e0600abafa90cca7f002c7fdb30.jpg)
シッポゴケか、カモジゴケか、ハート形になっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/71/23f5a6ed8454061f29a7d9f948968b88.jpg)
伯母子峠に到着。避難小屋の扉が壊れていて、開けっ放しになっていた。
中が汚れたり、動物が入ったりすると困るので、石で扉をふさいでおいたが
気休めにすぎない。公衆トイレ小屋は、冬季閉鎖中。小屋の左側にある
簡易トイレは汚いものの、なんとか使えるレベルだったが、やはり扉の
建付けがよくない状態だった。
なお、現在、本来の小辺路ルートは、伯母子峠と上西家跡の北側の間で道が崩落して
おり通行止めだ(復旧未定)。
上西家跡に下りるには、山頂近くに迂回し、尾根筋につけられた迂回路を行く
ことになる。迂回路は一部でヤセ尾根を通るので、気をつけなければならない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/3d/63c9c6f99d0427cd3a8a52756f29d99a.jpg)
峠から、先ほどの分岐へ向かう道には、かろうじて雪が残っていた。
凍っていなかったので、これもじきに消えてしまうのだろう。
あとは往路を戻り下山する。
ブナの幹を、雨水が伝って流れる"幹流"を観察したり、
ツチグリ、クチベニタケ、ホコリタケの3兄弟をすべて見つけて、指で押さえて
胞子を吐き出させたり、遊びながら下る。
萱小屋に戻ると、長靴をはいた女性が一人、出迎えてくれた。
挨拶をすると、子供時代に、ここに住んでおられたという地元の方だった。
ここでたいへん貴重なお話を聞けた。
当時の母屋では、茶屋を営業し、宿泊の便宜も図っていたとのこと。
幼い頃、ここから片道1時間半かけて大股の小学校に通っていたこと、
奥の沢から約100mくらい、竹の樋で水を引いていたこと、
下の平坦地で田畑をつくっていたこと、母屋のが建っていた位置、
小屋横に置いてある五右衛門風呂は当時のものではなく、当時はコウヤマキで
造った風呂桶を使っていたこと、
どれもこれも、興味深い話ばかりだった。
今でもこうして掃除やいろいろな整備、缶飲料の補充などのために
萱小屋に来ておられるのだが、薪割りなどの作業には、大阪や各地からボランティアで
参加してくれる人たちもいるという。
その他、まだ見つかっていない米国人女性の遭難者の話で、おそらく遭難直前の
タイミングだと思うが、ここで会話を交わし、一緒に写真を撮ったそうで、
その後1か月にわたり、捜索のため来日されていたご家族のことなど
よもやま話を情報交換。
登山ガイド兼山岳ライターの身としては、このお話が最大のご褒美となった。
萱小屋跡。下山時に貴重なお話が聞けた
■今回のコース
大股登山口→萱小屋跡→檜峠→伯母子峠分岐→伯母子岳→(往路を戻る)→大股登山口
熊野古道小辺路の中でも難所といわれた伯母子越。
3年前の6月に同ルートで企画したときは、途中から土砂降りになった。
リベンジすべく、冬季にずらして挑んだのだが、超暖冬のあおりで雪はほとんど
なかったうえに、行程の半分は小雨が降るというコンディション。
展望は期待できないので、コケやキノコに視線を注ぎながら歩いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/01/48c4089e21be82b9557b5ed81a37443e.jpg)
雨具を着こみ、すでに路面が湿っている大股登山口を出発。
大股の集落に入ると、いきなりの急坂だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/b0/3b84448279884a6d660849705cc9a328.jpg)
いよいよ山に入ろうとするとき、お地蔵さまなど石仏群がに遭遇。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/79/c82ee502d0c3cbf969885f564e9c1b93.jpg)
序盤、萱小屋跡までの登りがとにかくきつい。距離1.4kmの間に標高差約300mを登る。
暑い、暑いと言いながら登る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/cc/4584f11db73d1390595ef3b7c9b8e45e.jpg)
萱小屋跡の手前にある古杉。あまたの旅人を見守ってきたことだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/33/a4eb032bbb94c3700effc0e534387f5e.jpg)
萱小屋跡。私有・無番の避難小屋は、休憩や素泊まり等で使わせて頂ける。
小屋の中には薪ストーブがあり、じつに清潔に保たれている。
また、小屋横の水場には缶飲料が無人販売されている。
江戸時代には茶店など5軒の家があったが、昭和61年当時で2棟の廃屋があったと
されている。
登山道は巡礼者が歩きやすいように、幅広で、急登や崖場を避けて作られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/c2/70dc4a7d2d49dfda30eb445c79451a91.jpg)
檜峠に到着。大股~伯母子峠間の中間点である。雪は全然ない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/1f/777cb6697e02bacda34435941b5b966a.jpg)
道は尾根の西側に転じ、緩やかに下っていく。
まるで林道のような広い幅。崩れやすい土壌なのか、度重なる補修の跡と、
さらに崩れかけている様子が痛々しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/31/63d46e7bd4cb9bc6a3103ebc516126dc.jpg)
ふたたび登りに転じ、伯母子峠との分岐に到着。
少し広くなっているので、ここで昼食タイム。
山頂まであと600m、直登ルートを選択。
ブナやカエデの、好みの紅葉樹林帯だが、小雨とガスでいまひとつ。
ひたすら山頂を目指した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/c1/715b4cfb684ae952961b69af2d61e4da.jpg)
山頂も、予想通りのガスの中。
山頂稜線は南風ではあるが、冷たい強風が吹きつけてくる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/5a/6d3e8c239d86c3f1f863556d53016050.jpg)
体温低下を懸念し、記念写真を撮っただけで、そそくさと山頂をあとにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/9f/dfd447ab1f84bbbcafd94f27e25f0718.jpg)
強風に耐えながら、山頂稜線を東へ進む。
稜線の樹木に生えたコケについた水滴が綺麗。
道は雪解けと雨でぬかるみ、非常に滑りやすくなっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/89/32a72e0600abafa90cca7f002c7fdb30.jpg)
シッポゴケか、カモジゴケか、ハート形になっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/71/23f5a6ed8454061f29a7d9f948968b88.jpg)
伯母子峠に到着。避難小屋の扉が壊れていて、開けっ放しになっていた。
中が汚れたり、動物が入ったりすると困るので、石で扉をふさいでおいたが
気休めにすぎない。公衆トイレ小屋は、冬季閉鎖中。小屋の左側にある
簡易トイレは汚いものの、なんとか使えるレベルだったが、やはり扉の
建付けがよくない状態だった。
なお、現在、本来の小辺路ルートは、伯母子峠と上西家跡の北側の間で道が崩落して
おり通行止めだ(復旧未定)。
上西家跡に下りるには、山頂近くに迂回し、尾根筋につけられた迂回路を行く
ことになる。迂回路は一部でヤセ尾根を通るので、気をつけなければならない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/3d/63c9c6f99d0427cd3a8a52756f29d99a.jpg)
峠から、先ほどの分岐へ向かう道には、かろうじて雪が残っていた。
凍っていなかったので、これもじきに消えてしまうのだろう。
あとは往路を戻り下山する。
ブナの幹を、雨水が伝って流れる"幹流"を観察したり、
ツチグリ、クチベニタケ、ホコリタケの3兄弟をすべて見つけて、指で押さえて
胞子を吐き出させたり、遊びながら下る。
萱小屋に戻ると、長靴をはいた女性が一人、出迎えてくれた。
挨拶をすると、子供時代に、ここに住んでおられたという地元の方だった。
ここでたいへん貴重なお話を聞けた。
当時の母屋では、茶屋を営業し、宿泊の便宜も図っていたとのこと。
幼い頃、ここから片道1時間半かけて大股の小学校に通っていたこと、
奥の沢から約100mくらい、竹の樋で水を引いていたこと、
下の平坦地で田畑をつくっていたこと、母屋のが建っていた位置、
小屋横に置いてある五右衛門風呂は当時のものではなく、当時はコウヤマキで
造った風呂桶を使っていたこと、
どれもこれも、興味深い話ばかりだった。
今でもこうして掃除やいろいろな整備、缶飲料の補充などのために
萱小屋に来ておられるのだが、薪割りなどの作業には、大阪や各地からボランティアで
参加してくれる人たちもいるという。
その他、まだ見つかっていない米国人女性の遭難者の話で、おそらく遭難直前の
タイミングだと思うが、ここで会話を交わし、一緒に写真を撮ったそうで、
その後1か月にわたり、捜索のため来日されていたご家族のことなど
よもやま話を情報交換。
登山ガイド兼山岳ライターの身としては、このお話が最大のご褒美となった。