
■メイン写真
ガスの中の氷ノ山山頂
■今回のコース
1/2(月) 「高原の宿 氷太くん」泊
1/3(火) 「高原の宿 氷太くん」⇒(わかさ氷ノ山スキー場・ロマンスコースリフト)→
チャレンジコース最上部→坂ノ谷/殿下コース分岐三ノ丸→氷ノ山→
コシキ岩→仙谷コース分岐→氷ノ山越→氷ノ山コース登山口→
「高原の宿 氷太くん」泊
1/4(水) 「高原の宿 氷太くん」⇒若桜鉄道若桜駅⇒不動院岩屋堂
今年の初登山は、岳友たちと兵庫県と鳥取県の境にそびえる氷ノ山へ。
兵庫県の最高峰として知られ、日本200名山のひとつでもある。
今回は鳥取県の若桜町側からアプローチしてみた。

「高原の宿 氷太くん」に宿泊。清潔で、料理も美味い、いい宿だった。
1月3日、朝一番は小雨がまじる、あいにくの天気。
少し待っていたら雨が止んだので出発。
スタート地点であるわかさ氷ノ山スキー場の標高は760m。
雪が多ければ、チャレンジコースリフトで一気に標高1190mまで上れるのだが、
この日はまだリフトは動いておらず、隣の短いロマンスコースリフトで
860m地点まで上がる。それでも、かなり楽をさせてもらった。

上のほうのゲレンデは、斜度30度を超える。かなりの急登で息が上がる。
ゲレンデが終わると、細い尾根づたいのルートになる。

ブナが出てきた。雪が多いため、根、幹が曲がっている。
1360mあたりで樹林帯を抜け、(たぶん)ササ薮の緩やかな地形に変わる。
このあたりで雪が深くなってきたので、スノーシューを装着した。

路傍にキャラボクが現れる。大山などに多い、イチイの変種である。

三ノ丸のトイレ兼休憩所。

そのすぐ先で、兵庫県側の坂ノ谷コース/殿下コースへの分岐を見送ると、
三角屋根がかわいい三ノ丸の避難小屋がある。

そして、三ノ丸の山頂へ。宍粟市の最高峰でもある。
ガスで展望が皆無なのが残念。
ここから先は、氷ノ山へ緩やかな尾根散歩となる。
ここまで、ちょっと時間がかかっていたので、ちょっと急ぐことにした。

雪の重みで枝が垂れた杉。

「速い~」と恨み節も聞こえるが、皆さん、さすが山岳部の主力メンバー達、
夏道タイムを上回る速度でついてくる。

一気に、氷ノ山の山頂に到着。山頂に避難小屋が建つ。
避難小屋で昼食をかき込むと、元気復活。

山頂からは、登山地図では尾根に忠実に、時計の10時の方向へ下るように
赤線が引かれているが、実際は最初は真北に100m近く進む。

次に、左へジグザグに切っていくと、簡単にコシキ岩を巻ける。
地形に忠実に尾根をたどってしまい、コシキ岩で難儀する人が多いようだ。
これも予想して、ロープも持参したのに拍子抜け。
ここで時間をとられると思って、スピード重視でここまで歩いてきたが、
おかげでもう、余裕のペースとなった。

コシキ岩を巻いて、仙谷コース分岐の手前で振り返る。

あたりの木々は、霧氷が発達していた。

小ピークを巻き、尾根を下ると、ブナの原生林が迎えてくれる。
結構な年月を重ねたブナが群生する、美しい場所。
これで天気がよかったら最高だったな。

氷ノ山越の手前の小ピークから、赤倉山を望む。
「氷ノ山」の名称には、ちょっとややこしい話がある。
かつて鳥取県側で「氷ノ山」と呼んでいたのは、現在の赤倉山で、
現在の氷ノ山は、「須賀ノ山」と呼ばれ、実際に須賀の宮権現が
山頂に祀られていたという。
ところが兵庫県側では今の氷ノ山を「標ノ山」とか「氷ノ山」と呼んでおり、
測量調査のときに現在のように表記されるに至ったようだ。
「氷ノ山」の語源は、「ヒエの山」。
郷土史書「稲羽誌」によると、天照大神が旭日に映える樹氷を見て、
「ヒエの山」と称されたと、麓の説明板に書かれていた。

氷ノ山越に到着。ここにも避難小屋がある。
ここもパーティが宿泊できるようなサイズではなく、あくまで緊急用と
いった規模だ。

氷ノ山越にたたずむお地蔵さんは、天保14年(1843年)に建立されたそうだ。

ファミリーコースとされている氷ノ越ルートでラクラク下山。
氷ノ山キャンプ場に下りてきた。響の森を抜けて、「高原の宿 氷太くん」に
戻った。
最終日は、観光地をめぐりながら帰る。
知らない土地の風物を知るのは楽しい。

若桜鉄道の若桜駅には、SL(C-12)が保存されている。

駅舎などは、国の登録有形文化財であり、昭和初期の雰囲気が残されている。

SLのターンテーブルは手動式だ。

SLの下にカメラを差し入れて撮った1枚。なかなか、SLの底面は見られない。

若桜宿は、かつて伊勢参りで栄えたという。伊勢って、めっちゃ遠いやん。
昔の面影を残す倉通りを歩いてみた。

最後に不動院岩屋堂に寄る。まるで三徳山三仏寺の投入堂のようだ。
間口約7m、高さ13m、奥行き10mの天然洞の中に、3間四方のお堂がある。
床下は、三徳山と同じ造りだそうだ。
国指定の重要文化財。本尊の不動明王は、日本三大不動明王のひとつ。
帰りは渋滞もなく、あまり疲れも出ないうちに帰れた。
今年は当面、通算踏破ピーク数900座を目指し、がんばるぞ。
ガスの中の氷ノ山山頂
■今回のコース
1/2(月) 「高原の宿 氷太くん」泊
1/3(火) 「高原の宿 氷太くん」⇒(わかさ氷ノ山スキー場・ロマンスコースリフト)→
チャレンジコース最上部→坂ノ谷/殿下コース分岐三ノ丸→氷ノ山→
コシキ岩→仙谷コース分岐→氷ノ山越→氷ノ山コース登山口→
「高原の宿 氷太くん」泊
1/4(水) 「高原の宿 氷太くん」⇒若桜鉄道若桜駅⇒不動院岩屋堂
今年の初登山は、岳友たちと兵庫県と鳥取県の境にそびえる氷ノ山へ。
兵庫県の最高峰として知られ、日本200名山のひとつでもある。
今回は鳥取県の若桜町側からアプローチしてみた。

「高原の宿 氷太くん」に宿泊。清潔で、料理も美味い、いい宿だった。
1月3日、朝一番は小雨がまじる、あいにくの天気。
少し待っていたら雨が止んだので出発。
スタート地点であるわかさ氷ノ山スキー場の標高は760m。
雪が多ければ、チャレンジコースリフトで一気に標高1190mまで上れるのだが、
この日はまだリフトは動いておらず、隣の短いロマンスコースリフトで
860m地点まで上がる。それでも、かなり楽をさせてもらった。

上のほうのゲレンデは、斜度30度を超える。かなりの急登で息が上がる。
ゲレンデが終わると、細い尾根づたいのルートになる。

ブナが出てきた。雪が多いため、根、幹が曲がっている。
1360mあたりで樹林帯を抜け、(たぶん)ササ薮の緩やかな地形に変わる。
このあたりで雪が深くなってきたので、スノーシューを装着した。

路傍にキャラボクが現れる。大山などに多い、イチイの変種である。

三ノ丸のトイレ兼休憩所。

そのすぐ先で、兵庫県側の坂ノ谷コース/殿下コースへの分岐を見送ると、
三角屋根がかわいい三ノ丸の避難小屋がある。

そして、三ノ丸の山頂へ。宍粟市の最高峰でもある。
ガスで展望が皆無なのが残念。
ここから先は、氷ノ山へ緩やかな尾根散歩となる。
ここまで、ちょっと時間がかかっていたので、ちょっと急ぐことにした。

雪の重みで枝が垂れた杉。

「速い~」と恨み節も聞こえるが、皆さん、さすが山岳部の主力メンバー達、
夏道タイムを上回る速度でついてくる。

一気に、氷ノ山の山頂に到着。山頂に避難小屋が建つ。
避難小屋で昼食をかき込むと、元気復活。

山頂からは、登山地図では尾根に忠実に、時計の10時の方向へ下るように
赤線が引かれているが、実際は最初は真北に100m近く進む。

次に、左へジグザグに切っていくと、簡単にコシキ岩を巻ける。
地形に忠実に尾根をたどってしまい、コシキ岩で難儀する人が多いようだ。
これも予想して、ロープも持参したのに拍子抜け。
ここで時間をとられると思って、スピード重視でここまで歩いてきたが、
おかげでもう、余裕のペースとなった。

コシキ岩を巻いて、仙谷コース分岐の手前で振り返る。

あたりの木々は、霧氷が発達していた。

小ピークを巻き、尾根を下ると、ブナの原生林が迎えてくれる。
結構な年月を重ねたブナが群生する、美しい場所。
これで天気がよかったら最高だったな。

氷ノ山越の手前の小ピークから、赤倉山を望む。
「氷ノ山」の名称には、ちょっとややこしい話がある。
かつて鳥取県側で「氷ノ山」と呼んでいたのは、現在の赤倉山で、
現在の氷ノ山は、「須賀ノ山」と呼ばれ、実際に須賀の宮権現が
山頂に祀られていたという。
ところが兵庫県側では今の氷ノ山を「標ノ山」とか「氷ノ山」と呼んでおり、
測量調査のときに現在のように表記されるに至ったようだ。
「氷ノ山」の語源は、「ヒエの山」。
郷土史書「稲羽誌」によると、天照大神が旭日に映える樹氷を見て、
「ヒエの山」と称されたと、麓の説明板に書かれていた。

氷ノ山越に到着。ここにも避難小屋がある。
ここもパーティが宿泊できるようなサイズではなく、あくまで緊急用と
いった規模だ。

氷ノ山越にたたずむお地蔵さんは、天保14年(1843年)に建立されたそうだ。

ファミリーコースとされている氷ノ越ルートでラクラク下山。
氷ノ山キャンプ場に下りてきた。響の森を抜けて、「高原の宿 氷太くん」に
戻った。
最終日は、観光地をめぐりながら帰る。
知らない土地の風物を知るのは楽しい。

若桜鉄道の若桜駅には、SL(C-12)が保存されている。

駅舎などは、国の登録有形文化財であり、昭和初期の雰囲気が残されている。

SLのターンテーブルは手動式だ。

SLの下にカメラを差し入れて撮った1枚。なかなか、SLの底面は見られない。

若桜宿は、かつて伊勢参りで栄えたという。伊勢って、めっちゃ遠いやん。
昔の面影を残す倉通りを歩いてみた。

最後に不動院岩屋堂に寄る。まるで三徳山三仏寺の投入堂のようだ。
間口約7m、高さ13m、奥行き10mの天然洞の中に、3間四方のお堂がある。
床下は、三徳山と同じ造りだそうだ。
国指定の重要文化財。本尊の不動明王は、日本三大不動明王のひとつ。
帰りは渋滞もなく、あまり疲れも出ないうちに帰れた。
今年は当面、通算踏破ピーク数900座を目指し、がんばるぞ。