日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

精神と精神性と衝撃的繋がりと外界

2022-08-27 07:23:35 | 日記
 「中り矢」あたりやか。此れであるなこれが重要なことだったか。物事の精神性に通じる弓術に付いての話で抜けていたのはコレか。此れが欠けていなければ真直ぐに取り組む事は出来たな。

射る状態は射ないことで、射ないことは射ることであるか。見事だな確かにそうかもしれない外人には何のことか分らないらしいが、私はこの言葉で分った気がする。

けれども混乱していた当時の自身の状態時にこの言葉で内容を汲み取れたかな・・。思い返してみると、そう言えば射る状態はいないことで、射ないことは射ることである、という言葉は何処かで聞いた事がある気がする。

袴を着て歳を経た人が大学の若者講座でやっていた時に遭って僅かの間だけ話した人だったかな。だが話が途中だったのか切り上げられてしまったが、中り矢という言葉があって初めて次の文節の射る状態はの処の意味が解る様に思う。

未だ冒頭ではあるが何だが、芯にビリッリと響く感じはした。丁度その日に雷が光って0.x秒で近くに気象現象ではあるが落ち、家が揺れた。

幼き日の祖父母宅で目の前に雷がマンホール蓋に落ちた瞬間に、金属製の窓にピリッリと身体に流れた瞬間を思い出した。その時もある核心の感覚に付いて考えていた時である。

こういう事って昔から在るんだよな何故か精神の話と精神性が衝撃的に繋がる時に外界に似た性質性が起こるという。

なんなんだろうな。
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