日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

「長岡亮介」先生    20200813

2020-07-18 02:10:14 | 日記
 東京大学出身だという大学教授の数学の講義を受けたことがあるが、その教授の講義を受けた時に当時何故かイライラしていた。どうしてイライラしているのか,当時は自分自身もよく解っていなく、負の側面からしか見る事が出来なかったし、また己の問題なんだろうと考えていた。


けれども、細かく見ていくと実際は証明を遣る筈のものが、数学科位しか遣らないという言い訳じみた事を述べて省略して行く様が、此れは違うだろうと何処かで解っていたという事だった。加えて講義で言われるのは、それでも、それでも、と2回繰り返され知りたければ自分自身でという決まり文句が述べられ、カリキュラムと呼ばれたり教育課程と呼ばれたりするもの所以で確信が持てない様にさせてというのも、自身の数学観が崩壊していたというのもある。


数学観が崩壊し、必要と判断できない状況。そして教師に頼るのは高校時代迄だという、衝撃的な先生観の崩壊。


全てが何が何だか解らない状況だった。当時は再び学習を始めることを決意し、行動を起こし始めた時で、外界も内界も何が何だか解らなく、人生に幕を退こうとしていた時を経た状態だった。


そうかそうか、だから良い教師に会ったことも無いんじゃないかという思いに駆られたのか。尊敬する祖父が戦争が無ければ為れる筈だったという、医者が先生と仰ぐ者とはどんな者なんだろうかという思いに駆られたのか。


それで自分の思考傾向から探していくと「長岡亮介」先生ということになるのか。記号論理学的な先生区分になるな(微笑)


蛇足 先生と教師は違うんだよな。此れを理解し受け容れる気持ちが当時では精一杯だったからな。
コメント
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